北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

大局観でものを見る

2008-04-30 23:16:29 | Weblog
 道路特定財源の復活が衆議院で再可決されました。

 この特定財源の上乗せ分はこの一ヶ月間法律が切れてしまったために、暫定税率として約25円~30円ほど安くなっていたのですが、明日からはまたこれが復活。

 おかげで安売りの間の購入を目指すドライバーたちやガソリンスタンドの人たちはてんやわんやです。まさに政治に翻弄された一ヶ月間でした。

 道路特定財源については、いまさらまだ道路を造るのか、という必要論から、マッサージチェアやグローブなどの福利厚生費への支出問題、さらにはタクシー代の妥当性など、その使途を巡って国民の批判的な意見も多く、道路特定財源に対するシンパシーを失いかけているようです。

 しかし、物事はミクロで見るときには同時に大きく大局的にも捕らえないとバランスが悪くなるものです。細かい使途でおかしなことがあればそれは修正をすればよいのですが、「木を見て森を見ず」や「角を矯めて牛を殺す」というようなことがあるとこれまた困ってしまいます。

 この一ヶ月の議論では、大きな視点からの議論がほとんどされずに一方的な意見の言いっぱなしで終始してしまったという印象です。どうして議論ができなくなってしまっているのか。そういう自体こそが深刻のような気がしますが。

    ※    ※    ※    ※

 細かいことに神経を使いすぎて大局を見失いかけていると思われるのが地域医療の問題です。

 最近は医療過誤に対する被害者や遺族からの声を受けて、医療事故の追究を最初から警察の手に委ねる事案が増えています。特にそれが顕著なのが産婦人科です。

 福島県大野病院というところでの医師の帝王切開処置による事故死に対して去る平成20年3月25日に検察は禁固1年を求刑しました。

 そしてまだ判決は下されていませんが、このことで全国の産婦人科医から、「あの条件下での医師としては適切な範囲の対応が裁判沙汰になるのであれば、とてもリスクが大きくてこれ以上産婦人科医は続けられない」という声が上がり、全国的に産婦人科医が逃げ出しているというのが現在の日本の医療問題です。

 ここには、なにか事故が起きたあとに、我々はどのように対応すべきか、という、社会のありように対する大きな二つの考え方がぶつかっていると言えます。

 
 医療問題に関する様々な意見交換の場となっている、mricという医療関係者によるブログがありますが、ここに虎ノ門病院の小松秀樹さんという方が、「無理な規範は何をもたらすか?」という視点で文章を書かれています。
 文章はこちら → http://mric.tanaka.md/2008/04/26/_vol_51_1.html#more

【以下、一部抜粋】
 世界で医療事故の報告制度について、どのように考えられているのか。1999年のアメリカ医学研究所の「人は誰でも間違える」の出版は、医療安全におけるパラダイムシフトをもたらした。医療事故調をめぐる意見は、これ受け入れるかどうかで、大きく分かれる。樋口委員の発言は下記のどちらの立場に立つのかという質問でもある。

旧思考:
 「過失により人に傷害を与えたり死に至らせたりすることは、個人の罪であり、個人への応報はそれ自体が価値である。また、処罰により事故が防止され、社会の安全が向上する」

新思考:
 「人間は間違いを犯しやすい性質を持っており、その性質を変えることはできない。人間の間違えやすいという性質を受け入れて、間違いが起こることを前提に、間違いを起こせない、あるいは、間違いがあってもどこかで修正できるようにシステムを構築する。そのためには、広く事故情報を収集して過去の失敗に学ぶ必要がある」

 旧思考は、法律、行政、メディアに親和性が強い。
 例えば、刑法学は、応報そのものに価値を見出す。犯罪の抑制効果も刑罰を正当化する論拠になっているが、刑罰とその決定までの過程に思考がとどまり、刑罰が社会全体にどのような影響を与えるのかについて、関心を持っていない。影響を計測するための方法を発達させていないし、実績も限定的である。旧思考には、過去の失敗を収集して学ぼうとする考え方はなかった。あるいは希薄だった。

 これに対し、新思考は、現実を受け入れて適応しようとするものである。医療、航空運輸、原子力発電などの現場に広く浸透している。

*******【以下略 引用終わり】*******


 つまり、失敗から何かを学び、次に備えて活かす、という前向きな視点で社会を運営して行く思考と、失敗したものに罰を下して失敗をさせないという視点で社会を運営して行く思考のぶつかり合いです。

 ある意味で現代社会は恐怖政治に似てきました。一度の失敗がすぐに裁判に直結し、これまで積み上げたものを打ち砕くような社会では人は萎縮し、ただ失敗しないだけの生き方を選択します。人はリスクを取る前向きな生き方をしなくなることでしょう。

 今の日本はどこか被害者感情に満ち満ちて、当事者を断罪する傾向にありますが、冷静な議論を尽くして、問題からどう解決策を見いだしてゆくのかという皆が参加する建設的な思考が求められます。

 医療も国の財政も、一時の感情に溺れるのではなく、大局観をもって眺めて議論を尽くし、社会全体の価値が高まるような判断をしたいものです。

 ところでうちの奥さん、今日ガソリン入れてくれたかなぁ?
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根津神社つつじ祭り

2008-04-29 23:51:34 | 東京ウォーク
 好天に恵まれた休日の一日。今日は恒例の都内巡りです。

 今日の目的は根津神社のつつじ祭り。しかしその前に近隣を自転車でぐるりと一巡りです。

 まずは西日暮里から田端周辺を走りました。田端にある田端八幡神社は、源頼朝が奥州征伐に向かう際の縁の神社。頼朝にゆかりのある八幡神社って都内に結構沢山あるのです。

  

 しかしもっと珍しかったのは、この八幡神社のお隣にある東覚寺の仁王様。なんと全身に赤い紙が貼られていて赤紙仁王と呼ばれているのです。

  

  

 これは自分の身体で不具合のある患部の箇所を、仁王様の身体の同じところに赤い紙を貼ることで快癒を願うというものなのだそうです。その霊験は音に聞こえ、遠くからも多くの人たちが訪れています。なかなかの奇観ですよ。信仰の力ってすごいものです。

    ※    ※    ※    ※

 次にいよいよ目的の根津神社へと向かいました。

 根津神社に近づくと駐車場待ちの車がずらりと並んでいます。境内は所狭しと露店が並んで大にぎわい。やっぱり祭りや縁日はこうありたいものです。

 つつじは赤や紫、白など多彩な色のつつじが斜面を利用して植えられていて、結構な見応え。やはり色物は斜面を利用して立体的に圧倒するのが上手なやり方です。有料のつつじ園はすごい長蛇の列です。

  

  

 有名な根津神社のつつじ祭りをまずは見られて良かったのですが、肝心の神社へのお参りは、長蛇の列が出来ていて全く動かないので今日は諦めました。いやすごい人です。

    ※    ※    ※    ※

 露店商の前の道はわざと狭くしているわけでもないのでしょうが、すごい混雑です。しかしそれがいかにも賑わっているという風情で、なんだか嬉しくなってきます。

 日本には広い広場を使う風習がなくて、こういう道上の長い広場こそが民族性に合っていると言った人がいました。そう日本人は縁日の露店巡りで広場を楽しんでいるんです。

  

    ※    ※    ※    ※

 そこから帰る途中で、赤坂に最近出来た再開発ビルの赤坂サカスへ寄ってきました。

 ここでは三階建てのこじんまりした建物を造ることで、大きな本体ビルの一階部分との間にちょっとしたストリートをつくり、賑わいの空間を作り上げています。これまた長い広場というわけです。

  

 かつての商店街とこういう賑わいストリートの違いはなんでしょう?それは左右のお店との距離感がほどよくヒューマンスケールとして近く、しかも車交通で分断されていないということでしょう。

 実は人間の感じる心地よい賑わい間には、ほどの良いスケール感が必要なのです。だだっ広ければ良いというものではないのですね。

 ゴールデンウィークの東京はどこも混雑しそうです。

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フライドチキンを作る

2008-04-28 22:08:15 | Weblog
 夜に肉が食べたくなって、フライドチキンを作ってみることにしました。

 胸肉を買ってきて、皮を取り一口大に切ります。

 牛乳と卵を合わせて溶いておき、片方には小麦粉に塩、こしょう、ちょっと七味唐辛子を入れます。○ンタッキー・フライドチキンなら20種類以上のスパイスを入れるのでしょうけれど、まあそこは家にあるスパイスを適当にいれましょう。

  

 レシピ本にはオールスパイスなどを入れる、と書かれていますが、それもお好みでどうぞ。

 肉の水気を取って、牛乳+卵につけて、それから小麦粉の粉をまぶし、200℃の温度の油に入れます。

  

  

 肉の厚さによって、12分から15分くらいの揚げ時間ですが、今日は13分ほどで揚げてみました。外側が茶色でカリッとするのが良いのですが、今日はちょっと揚げが強かったかな。

  

 ちょっと固くなってしまいましたがお味はまあまあ。

 フライドチキンの真ん中に笑顔のような模様が出来ました。ビールに良くあいますよ~♪

  
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いつでもどこでも隣にいるように

2008-04-27 20:45:38 | Weblog
 思い立って、携帯電話につけるイヤホンを買いました。



 イヤホンに、ハンズフリーのマイクが付いているもので、両手を使わずに電話での会話ができる代物です。携帯電話についている音楽再生機能やラジオ機能を使っている最中でも、電話の着信があれば教えてくれて、ボタンを押すだけで電話に切り替わります。

 マイクも高性能なので、マイクがある場所を意識せずに普通に会話するだけで相手とのやりとりができるというわけ。今までは電話をするのには携帯電話を耳に当てるために片手を使わなくてはいけませんでしたが、これを使うと両手も自由。

 音楽と電話の切り替えはマイクの近くにあるスイッチを押すだけですから、いちいち携帯を取り出す必要もなく、ポケットに入れたままでの会話が出来るのです。

 料理や掃除をしながらでも、ちょっとした時間の隙間を見て電話をかければ、作業をしていてもあたかも隣にいるかのように会話が出来るというので、これは本当に便利なのです。

 面白いので、実験的に仕事へ行く途中の都電の中からかけてみました。電話に出た妻と会話をしてみました。傍目にはなにやら小声でブツブツと独り言を言っているように写ったかも知れませんが、独り言のような小声でもちゃんとマイクが声を拾ってくれているので会話は成立しました。
 使えますねえ。

    ※    ※    ※    ※

 私の携帯会社は○コモですが、この4月から家族同士ならば会話が24時間無料になりました。おかげで電話をすることへの敷居がなくなったのですが、両手が自由に話ができるということは、いつどんなときでも妻や家族と話をするだけの技術的条件と社会的条件が揃ったわけです。

 どこでもネットに繋がる社会をユビキタス社会と言いますが、こういうハンズフリーイヤホンマイクという機器の登場という技術的条件だけではなく、会話が無料だという社会的条件が揃ったからこその通信環境。社会の進歩をまざまざと感じました。


 しかしまちで行き交う人がみんな何かブツブツ言っていて、実は携帯で誰かと会話しているという姿はちょっとぞっとしますね。便利もほどほどに、というところでしょうか。
  
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特養老人ホームの最前線

2008-04-26 23:02:35 | Weblog
 今日は、仕事で関係した土地の上に立てられた施設の開所式に上司と出席をしてきました。

  

 開所した施設とは、特別養護老人ホームと障害者の就労・生活支援センターの複合施設で、こういう形態は土地が高くて大きな面積が取りづらい都内では極めて珍しいものです。今回はわが機構の事業で東京外国語大学が移転した跡地を利用したために、比較的大きな土地が手に入れられたのです。

 特養施設を運営する社会福祉法人のS会は、この世界でも非常に熱心で新しい取り組みをどんどん取り入れることで知られています。

 そこが肝いりで作った施設なので、どんな施設内容になっているかが楽しみでもありました。

    ※    ※    ※    ※

 開所の式典では国会議員や地元の首長さん、厚生労働省の局長さんたちなども招かれて、それぞれご挨拶。やはり実力があるんだなあ、と改めて感心しました。

 懇親パーティまでの間に施設を見学させてもらえると言うことだったので、喜んで中を見て回りました。

 見てみて非常に感心したのは、特養老人ホームの部分では、あくまでも利用者にとって居心地がよいと言うことを主眼に考えている点でした。
普通は職員が介護などの世話をしやすいような建築設計になりがちなところを入所する人の気持ちを大切にしています。

  

 そのひとつは、それぞれ10畳ほどの部屋には全て○丁目△番地という愛称が付けられていること。これは地域のコミュニティとしてここで暮らしているんですよ、という意味が込められているのだとか。

  
 
 また食事も、ご飯だけはここで炊くようにするのだそうで、ご飯が炊ける匂いがするのが生活するということの大切な要素だというのです。

 また、10室で1ユニットになっているそのユニットの入り口には格子の引き戸がはめられていますが、開口部にはガラスがなくて廊下側の音も聞こえます。これまた、生活すると言うことは周囲の音や気配を感じると言うことだ、という信念があるのです。

  

 一緒にいった上司も「私もたくさんのこうした施設を見たけれど、ものすごく入所するお年寄り本意だと思ったよ。びっくりしたのは、フロア毎に壁紙の模様が違うんだよね。ふつうはそんなところは楽をしがちなんだけれど、それぞれのユニットの個性を出そうとしているんだね。それにスカスカの引き戸もあったけれど、介護する職員の立場からすれば普通はあそこには引き戸もつけないよね、移動の邪魔になるから。それをあそこまでコンセプトをもってつくりこんでいるんだから素晴らしいなあ」と大絶賛でした。

    ※    ※    ※    ※

 こちらの法人では早くから様々な介護用機械の開発も行っています。中でも今日見て感心したのは、車いすに乗って入浴をするバスタブや、寝たままでバスタブの方が持ち上がって入浴が出来るという機械があったこと。これなら体が動く度合いによって入浴の世話をしやすい機械を選ぶことが出来るのです。

  

 東京の北部の比較的高台にあるので、ベランダに出ると遠くまで眺めがよくてこれまた最高のロケーションです。

  

 長寿のお医者さんで有名な日野原重明先生に見せたところ「ぼくもこんなところに世話になりたいねえ」と言われた、と言うエピソードもあるのだとか。

 この法人の理事長の「お年寄りのために」という執念を感じました。

 これからの特養もいよいよ質の時代に入ってきたようです。
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知っていましたか?

2008-04-25 23:14:10 | Weblog
 「Did you know?(知っていましたか?)」という約8分のビデオクリップが、Youtube上に流れています。

 アドレスはこちら → http://www.youtube.com/watch?v=qZgL4Ybjt3w

 これを見ると、以下にこれまで静穏と思われていた社会が地球規模で激変しようとしているかがよく分かります。

  

 それは経済で言えばインドと中国という、巨大な人口を持つ国がグローバル経済の一員として登場したということに起因するものです。しかもまだまだ新興国であり相対的に為替レートが安いために、格好の労働力の提供国となり、世界の工場として多くの企業が物作りの拠点をこの二つの国に移しつつあります。

 しかし本当に先進諸国にとって恐ろしいのはここからで、新興国はいつまでも新興国ではいないということ。

 巨大な人口を背景に、これらの国から大量の高等教育を受けた人材が世界中に羽ばたいて来るというわけです。資源がなく、人材だけで勝負をして来た勝利体験は、高等教育人材の数という点であっという間に抜かされそうです。

 おまけにインドは公用語が英語という利点もあって、大学卒業者は100%が英語習得者です。英語だけではまだまだ日常生活に不便を感じる日本社会は、日本語が壁になって容易に外国人が入って来づらい社会になっていますが、それは逆に言えば世界の中でガラパゴス化しつつあるということかもしれません。

 世界の変化に日本語のおかげでこの島だけは取り残されている…、そんな恐ろしい構図になってしまうのかもしれません。

 日本の教育がおかしいとか、ああだこうだと議論は踊るばかりですが、そんな小田原評定を繰り返しているうちに、世界の潮流はもっと先を見据えているのかも知れません。

 いかに教育と学習が若者にとって、国にとって大切であるかと言うことを改めて感じるビデオクリップでした。是非ごらんください。

 ちょっとしたホラー映画よりよほど恐ろしいですから。
 
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開けゴマ!

2008-04-24 23:18:53 | Weblog
 早めの就寝と熟睡で昨夜の不調を何とか脱しました。あの具合の悪さは何だったんだろう…。くわばらくわばら。

 今日は午後に、外国人を受け入れることによるこれからのビジネスモデルを考えるというセミナーが開かれたので聞いてきました。

 現在の日本に居住する外国人としては、平成18年度末の外国人登録者数(90日間以上在国する人)で208万5千人で、過去最高。これは10年前の1.5倍にあたるそうで、すごい勢いで伸びているのだそう。

 日本には韓国・朝鮮からの特別永住者もいますが、その数は最近は漸減しつつあって、休息に伸びているのはなんと言っても中国からの来訪者です。

 留学生は、と見てみると現在国内には11万8千人の留学生がいて、その三分の一の4万人が東京にいるのだそうです。その出身国の6割を占めているのはやはり中国からの学生で、約7万人ほどで、2位の韓国が1万7千人(14%)ということなのでその差は圧倒的です。

 国家政策としても、かつて中曽根政権の時に留学生10万人構想を立て、福田政権では今年の1月にそれを30万人構想にするとうたいあげているのだそうです。

 しかしながら、受け入れ体制にはまだまだ不備なところが多く、日本語が出来ない学生にはアパートを貸さないという大家さんがまだまだ多いのが実情です。

 今日の講師の一人は、そうした留学生たちに対して賃貸不動産を仲介することをビジネスにしているという女性社長さんでした。まだ若くて美人なんです、これが。

 実際の問題として、国柄や住まいに対する考え方の違いは大きくて、日本のルールや考え方を伝えるための冊子を東大と一緒に作るなど、異文化どうしのすりあわせのようなことも結構なビジネスになるものです。

 最近の日本は国際化、という謳い文句を掲げながら、厳格化の道を歩んでいて、留学生という身分に対してもテロや密輸などの犯罪の温床のような印象を持っているのではないか、という声すら聞こえてくるそうです。

 一例として、外国人には銀行口座の開設すら厳しくて、簡単には開かせてくれないのだそうです。外国為替管理法による規定で6ヶ月以内の在留に認められる銀行口座では、海外からの送金は受けられない規定になっていて、これでは本国からの仕送りを受け取ることすら出来ないという状況なのだとか。

 また、子供がいる女性の留学生のケースとして、家がなかなか借りられずに大学まで一時間半のところでやっとアパートが借りられ、さらに子供を保育園に預けるのやっと見つけたところは大学から40分もかかるところしかなかったとか。「これでは海外からの留学生は日本という国にどのような印象を持って帰るのでしょうか」と講師の一人は憤っていました。
  
 諸外国とつきあうということへのリスクと寛大さのバランスが崩れているような気がします。これからの日本はあらゆる意味で、世界に開かれた社会にしなければいままでと同様の活力は維持できないと言うことは明らかです。

 日本も変わって行かなくてはならないという意味が、外国人とのつきあいという面のお話からもよく分かりました。

 開けゴマ!

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養生しなくちゃ

2008-04-23 21:14:21 | Weblog
 夕方から急に頭痛と吐き気が出始めて、具合が悪くなりました。普段から携行している○ファリンを飲んだのですが、どうにも耐えられなくなって1時間の休暇を取って早引け。

 我が組織では、昨年までは休暇取得は半日単位だったのですが、この四月から制度を変えて、5日間×7時間というカウントで1時間単位の休暇が取れるようになったのです。せっかく新しい制度が出来たのですから大いに使った方が良いのです。

 帰りの電車もちょっと辛かったけれどなんとか無事家に到着して、休息です。薬が効いてきたのか少し楽になりました。いやー、あれはなんだったんだろう。

 夜には知人が登場するライブ演奏へのお誘いもあったのですが、今日は残念ながら遠慮しました

 春の風邪は質が悪い。単身赴任の一番の敵は病気ですから、ここは養生と行きましょう。

 イチゴを買ってビタミンCの緊急補給です。
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道州制の影響

2008-04-22 23:16:41 | Weblog
 かつて意気投合した新聞記者の友人が、この3月に東京へ転勤しました、という連絡をくれました。

「それじゃあまずは一杯やろうよ」ということで、今夜は新宿で嬉しい再開です。

 昔話に花が咲いて、共通の友人のこと、まちづくりのこと、最近の話題・・・などなど話が弾んで、杯がどんどん重ねられてゆきました。

「それで、最近の新聞の売れ行きってどうなんですか?インターネットが普及してくると新聞って売れなくなるんじゃないの?」
「そうなんですよ、確かにだんだん下がりつつありますよね。大手の新聞社でも厳しいところがあるくらいですから」

「産経新聞なんかは、月額数百円で『産経NetView』というサービスを始めて、新聞をレイアウトもそのままの画像情報として、インターネットで配信するような事業をしていますからね。紙による媒体とネットでの配信の攻防でしょうけれど、新聞業界も変化しているんですねえ」
「ほんと、大変ですよ。でも地方の新聞社にとって大変といえば道州制ですよ」

「おや、道州制がどう大変なんですか?」
「だって、道州制になると県がいくつか合わさった自治体になるというわけじゃないですか。ということは今まで県単位で商売をしていた地方新聞社は、おおきな道州のごく一部の地域新聞になってしまうわけですよ。そうなるとより大手新聞社の思う壺ということで、大新聞に飲み込まれかねないという危機をはらんでいるんですよ」
「なるほどねえ」

 より効率的な行政運営のために道州制を進めるべきだ、という論調も、実際に行われると新聞社やテレビ局などへも再編を促すきっかけになるのかもしれません。

 マスコミもどこまで知っていてそうした議論を報道しているのでしょうか。今度からはそういう視点でも道州制の議論を見てみましょう。

   *   *   *   *   *

 今日もついつい調子に乗りすぎて飲みすぎました。うぃ~~

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花粉症は季語?

2008-04-21 23:35:32 | Weblog
 ここのところ札幌は東京よりも暑い日が続いているよう。

 家に電話をすると、「暑くて窓を開けようと思うんだけど、そろそろ花粉が飛んできて…」と困っているよう。この時期札幌はシラカバの花粉が飛んでアレルギー性鼻炎になる人が多いのです。

 今日も朝の会議が終わった後に同僚から「北海道は杉がなくて良いですねえ」と言われたので、「ところがシラカバの花粉に悩む人も多いんですよ…」と言うと驚いていました。

 東京の人たちは、アレルギー性鼻炎は杉だけと思いこんでいるようですが、どうしてどうして、植物系のアレルゲンは結構多いのです。

 私は北海道でもう25年も前からシラカバ花粉症になりました。東京へ来た最初の年はシラカバ花粉症から解放されて嬉しかったのですが、すぐに杉の花粉にも反応するようになり、今ではどちらも悩みの種となっています。

 シラカバの花粉が飛ぶ時期は3月末から5月末くらいまでで、杉の花粉とは一ヶ月ほどの時間差があります。四月の転勤の時期は、北海道から東京への転勤であれば、シラカバ花粉が飛ぶ前に北海道を離れ、東京では杉がそろそろ終わる、ということで苦しむ時期がそれほど長くはありません。

 しかしその分、内地から北海道へ帰るときは、杉で悩まされてそれが終わる頃には今度はシラカバで悩まされることになります。何事もうまくは行かないものです。

 杉の花粉症もそろそろ終わりの時期が近づいてきました。

 「花粉症」はもう俳句の季語になっているのでしょうか。

 
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