北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

荒療治

2008-09-30 23:26:26 | Weblog
 ここのところもう4ヶ月以上も歯の治療を受けています。

 一本の歯を治療し終わる頃にまた次の歯の悪いところが見つかり、なかなか治療が終わりません。まあこの際気長に治療に専念しようかと思っています。

 最近、長くブリッジをかけていた歯が二本同時に痛み出し、治療を始めました。神経はもう取ってあるのですが、病巣が歯根の奥にあるようで薬を何度入れ替えてもじわっとした痛みがなかなか治まりません。

 主治医は経験を積んだ女医のAさんです。治療をしながら「あ~、ここがね…、(あ、痛っ!) あ、今痛かったでしょう、すみませんねえ…、うーん…」と謝るような独り言を言うのが癖のよう。しかし優しくてよく話を聞いてくれるので信頼できるお医者さんです。

 そのA先生が今回の二本の治療に悩んでいました。「こままささん、これだけ薬を入れても痛みが取れないのは、病巣が奥深くて何かあるか、歯にヒビが入っているか、なにか原因があるはずなんですがつかみ切れないんですよ。どうでしょう、一度抜いて見てみようと思うんですが」
「一度抜くって、抜いてどうするんですか?」

「抜いて骨の様子と歯根の様子を見てみます。ヒビが入っていなくて、歯の埋まっている骨にも異常がなければまた戻します」
「そ、それでくっつくんですか?」

「大抵は戻ります。今回は麻酔の上で抜いてみることをお勧めしますがどうですか…」

 そう言われたのが一週間前でしたが、その時の治療でもやはり痛みが取れていなかったので、ついに今日抜いてみることにしました。

    ※    ※    ※    ※

 麻酔をするともう問題の歯の周囲に感覚はありません。何か道具をこじ入れると「はい、取れました~」の声。あまり感覚はありません。

 もう一本も取りました。その後骨の方をガリガリと削って病巣を取り、抜いた歯の方も病巣を取ったそうです。

「じゃ、急速ボンドお願いします」なんと今度は歯を接着剤でつける模様。

 結局のところ、歯も骨もなんとかなりそうで、接着剤でつけていまは縫い糸で固定をしています。歯が固定されるまでには約1ヶ月はかかるそう。それにしても、歯を抜いてまた差し戻すとは…。荒療治には違いありませんが、昔なら抜いて入れ歯にするしかなかったことでしょう。

 こういう治療を受けられる日本という国の医療技術にも感心しました。さて、うまく根付いてくれよ~ 
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憧れのドイツ

2008-09-29 23:41:14 | Weblog
 ある資料を作ろうとして、昔行ったドイツの写真を見回していました。

 ところが写真をどこの町で撮ったかを思い出せなくて困りました。そこでドイツへ一緒に行った知人のAさんににメールを出して、当時の旅の行程表を送ってくれるようにお願いをしたのでした。

 するとAさんからは「おやー、ドイツですか。私も今ちょうどあのときの視察の成果が今の北海道のシーニック・バイウェイなどの景観や地域工場活動に繋がっているのかなあ、と思っていたところなんですよ」という返事が返ってきました。

 奇しくも遠く離れたところで、同じ風景を思い起こしていたとは。考えがシンクロするということがあるのですね。

 テレパシーを思い出しました。

 Aさんからは「実は来週からドイツの保養地の視察研修旅行へ行くんです。今度は私が世話役兼団長です。こんなところで出世してもねえ…(笑)」というメールが。

 ドイツかぁ、また行きたいですねえ。

 写真はローテンブルクの夕焼けの風景です。 

 
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湘南海岸から江ノ島へ

2008-09-28 21:16:59 | 東京探検
 昨日の三浦半島~湘南のポタリングの続きです。

 鎌倉では鶴岡八幡宮はもちろんですが、なかなか行けずにいた源頼朝のお墓へもお詣り。歴史上有名な人物の割にはこぢんまりとしたお墓です。

 

 頼朝のお墓は八幡宮からすぐ近くなのですが、有名どころの観光中心だとなかなか足が伸びないところですので良い機会になりました。

 ところで、源頼朝には歴史上の謎を含めて話題が多いのですが、教科書で見慣れた源頼朝の肖像画が、実は足利義直だったのではないか、という論争が起きているのだそうです。

こちら → http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E8%AD%B7%E5%AF%BA%E4%B8%89%E5%83%8F

 将来の教科書は記述が変わるかも知れませんね。

    ※    ※    ※    ※

 自転車は、鎌倉に別れを告げて、逗子・葉山方面へ向かいます。坂を越えトンネルを抜けると、正面に皇室の葉山御用邸が見えてきました。

 御用邸が見えてきたと言っても、見えるのは正面の門と警察だけですが。

 葉山の御用邸からは海岸線の道路をひた走ります。このあたりは地形的に、浜辺と岩場が交互に出てきて、浜辺は逗子海水浴場、材木座海水浴場、由比ヶ浜海水浴場などに別れます。

 海岸通りは車の交通が多くてひどい渋滞。自転車の方が遙かに早く海辺を走ることが出来てちょっと優越感に浸ることが出来ました。

 そしてサザンオールスターズの桑田佳祐が監督をした映画「稲村ジェーン」の舞台がここ稲村ヶ崎。ここから先は七里ヶ浜海岸です。

 

 稲村ヶ崎は、新田義貞が鎌倉を攻めるときにこの岬の海側をわたったと太平記に書かれていますが、これは今のように切り通しの道路がなかったためここを陸路で越えることが出来なかったから。昔の地形が分からないと歴史物語も伝わりませんね。

    ※    ※    ※    ※

 稲村ヶ崎から目を転じると、七里ヶ浜の遥か先に江ノ島が見えます。渋滞の車列を抜き去りながら海岸通りをひた走り、江ノ島大橋を渡るとすぐに江島神社の門前町が始まります。

 

 

 賑やかなお店に囲まれた参道を行くと、正面に大きな鳥居。急な坂を登り切って江島神社へ参拝も出来ました。

 海ではまだまだサーフィンやボートセーリングを楽しむ人たちが多く、のどかな秋の一日でした。

 
 
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円覚寺と時宗 ~ 鎌倉をポタリング

2008-09-27 23:39:20 | 東京ウォーク
 三浦半島の西側半分はこれまであまり行ったことがなかったので、自転車で駆けてみることにしました。

 鎌倉を越えて逗子まで電車で行こうと思って地図を見てみたところ、乗った電車の終点の藤沢から逗子までの距離は案外近かったため、藤沢駅で電車を降りました。今日はここから自転車の旅の開始です。

 逗子までの途中に鎌倉があって、ここは通り過ぎようかと思ったのですが、まさに道の途中に鎌倉五山の円覚寺や建長寺があるとやはり惹かれます。





 円覚寺には鎌倉幕府第八代の執権北条時宗の開基廟があります。



 北条時宗は、文永5(1268)年3月に18歳で執権職を引き継ぎ、文永公安の役といわれる元寇=蒙古襲来を防ぎました。

 時宗は、国難に立ち向かった歴史上の名君として肯定的に評価されていますが、公安の役(1281年)で勝利した以降は御家人への報償などの内政に苦労したといわれています。

 調べてみて改めて分かったのは、公安の役の3年後の弘安7(1284)年の四月にもう亡くなっているのでした。享年わずかに34歳、まさに国難にあたるためだけに天から遣わされたかのようです。

 ここ円覚寺は弘安5(1282)年に、北条時宗が中国より無学祖元禅師を招いて創建されたもので、蒙古襲来による殉死者を敵味方区別亡く弔うために創建されたと伝えられています。

 現在の開基廟は江戸時代に改築されたものとされていますが、今現在も国難と言える政治経済状況。地下の時宗公はどのように思われていることでしょう。

 「国中が力を合わせれば出来ないことはない」

 国難の時代も、歴史を作るのは我々だということを自覚せねば。



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グーグルアースで古地図を見る

2008-09-26 23:48:57 | Weblog
 調べものがあって江戸時代の東京の古地図を探していたところ、検索サイトのグーグル・アースで古地図が利用できることが分かりました。

 使い方にちょっとだけ慣れは必要ですが、用意されている東京の古地図に行き当たりました。

 東京の古地図は、1680年、1799年、1858年、1892年の4枚が用意されていて、必要な年代の地図を開くと、現在の地図の上に大体重なるように古地図が置かれます。今と昔の土地利用の違いを見つけるのも簡単。

 例えば水道橋の後楽園がかつては水戸藩の屋敷だったなんて事も図面を重ねてみると分かります。今日探したかったお目当ての場所の昔からの変遷も分かって本当に大満足でした。

    ※    ※    ※    ※

 ところで、昨年同じようなことで江戸の古地図のデータがないものかと大きな書店を探して歩いたのですが、現代地図情報に古地図情報3枚を重ねて見ることが出来るというDVDソフトが1万2千円で売っていたのを思い出しました。

 グーグル・アースを見ると、お金を出さないと得られなかった情報もタダで手に入れることが出来るのです。情報を入手する料金障壁を下げて、情報はタダにするという、グーグルの野望の前には、出版社などそれを商売にしている人たちは顔色なし、というところでしょう。

 しかも本ならば印刷した時点で情報の時間が止まってしまうのに対して、ネットであれば常に最新の情報を提供することも出来ます。ますます最新の情報提供ツールとしてはネットに歩が勝ると言えるでしょう。

 グーグルのすごさをまた一つ感じたのでした。

    ※    ※    ※    ※


 グーグル・アースの最初の画面



 この左下に「ラムゼイ歴史的地図」というところがあってこれを押すします
 


 栗のイガのようなマークが四つ出てきました。これが地図のマークです。
 


 1680年の地図を開いてみると、少しゆがめて現在の地形に合わせてくれます
 


 江戸の古地図が広がって…
 


 日本橋付近はこんなに大きく見ることができます。すばらしい精度です。
 

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活性炭工場の見学

2008-09-25 23:13:15 | Weblog


 午後に休暇を取って、埼玉にあるコーヒー豆のカスから活性炭をつくる工場を見学してきました。

 工場は約10億円をかけて作られたプラントで、ドリンクメーカーからのコーヒー抽出カスや蕎麦殻、おがくずなどを原料に年間数百トンが生産できるとのこと。

 問題は原料代とどれくらいで売れるか、というコストと利益の問題です。案内してくださった方に伺うと、「本当はドリンクメーカーはお金を出して処理してもよいくらいに思っているのですが、埼玉県ではそれは廃棄物処理に当たると言うことで、安いのですが我々がお金を出して原料を買う、という形にしています」とのこと。炭化ビジネスは、まだ廃棄物と環境行政の狭間にあるような印象です。



「蕎麦殻で活性炭を作るということはどうですか?」と訊いてみました。すると、「蕎麦殻は良い活性炭が出来ることは分かっています。しかし問題は、蕎麦の産地ではなく蕎麦殻が出る場所で、つまり製粉所がどこかということでしょうね」

 蕎麦粉を作っていても、それを殻付きの玄蕎麦を運んで粉に挽く製粉所でこそ蕎麦殻が出るというものです。実際に、北海道で採れた粉でも長野県で粉にすれば長野県産の蕎麦粉と呼んで良いというのが日本のJAS法の現実なのです。



「それとあとは現実に事業主がいるかどうかでしょうね。しかしこの事業には農水省のバイオマスタウン事業から補助金が出ます。しかも通常では1/2の補助が北海道と沖縄であれば2/3の補助となり有利です」

「こちらで作られ活性炭はどこで使われていますか?」
「今は使い捨てカイロメーカーから引き合いが来ていますが、良質な活性炭は水質浄化にも使えるので水処理メーカーからも問い合わせが来ています。話を広めてみると、『え?こんなところにも活性炭が使われているのですか?』とこちらが知らないところからも問い合わせが来ています」

「例えばどこですか?」
「空調でも空気を浄化するのに使われているんですね。ですから北海道でやられるとすれば、活性炭を必要とする産業との連携を作れるかどうかが鍵でしょうね」

「なるほど。蕎麦殻以外でも例えばトウモロコシの茎や芯などは活性炭になりませんか?」
「調べてみると、トウモロコシの茎などはまずキノコの温室栽培の菌床の材料として使われていることが分かりました。しかしキノコの栽培を終えた後の菌床の処理でも良い活性炭が出来ますし、トウモロコシの茎も大丈夫です」

「これからの販路拡大の見通しはいかがですか?」
「農業関係団体では早くから、炭化して土壌改良材などの農業用資材として使えないか、という研究が行われているのですが、いかんせん購入費用が高くては使えないということでコストの面で諦めているのが実態です。実際、安くするにも限界があるので今はいかに高くても買ってくれるところを探すか、という方に考えが向いています」

「なるほど」
「農業用資材にも通じますが、廃棄物を出したところで再利用してもらうという考えもあって、コーヒー抽出カスを送り出すドリンクメーカーが使う浄水器にこの活性炭を使えないかということを考えています。メーカーにしても低炭素化やリサイクル方針、企業の社会貢献などで大義名分が立ちやすいのではと期待しています」

 実際に粉状にした活性炭を触らせてもらうと、煙突掃除のススと同じくらいの細かさ。これでも活性炭としての性能は失われないのです。



「最後に、企業の環境意識は高まっていると感じますか?」と訊ねてみました。すると答えは「こればかりは企業に依りますね。真面目なところもありますし、え?こんな有名な企業なのにこんなにだらしない意識なのか!と驚くこともあります」とチクリ。

 消費者も高い意識をもって、企業の社会的価値を総合評価するなんてことも必要な時代が近づいているようです。

 企業評価が株価だけ、なんて寂しいですね。さて、環境意識の高い企業はどこかな?
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画期的な納豆の誕生

2008-09-24 23:36:02 | Weblog
 9月1日にミツカングループが発売した、納豆が品薄状態になっています。

 

 品薄になっているのは、「金のつぶ あらっ便利! におわなっとう」シリーズ。この特徴は、今までの納豆容器から乾燥防止のフィルムとたれの袋を無くしたことです。

 普段から納豆大好き人間の私ですが、実際に蓋を開けて納豆を混ぜ、たれを絡めるとたちまち美味しい納豆のできあがり。本当にこれは便利です。

 

 「たれの袋がない」というのは、納豆のたれがゼリー状になっていることで、これは通常は半固形ですが、混ぜると液状になるという画期的なもので、ヨーグルトと同じような性質なのだとか。

 8月からコマーシャルを見て、一度食べてみたいものと思っていたのですが、なかなか店頭に出ていなくて手に入らなかったものです。

 実際に食べてみると、今までの納豆とほとんど変わりません。ただ一つ違うのは、カラシの袋が入っていないということ。これは、さすがにカラシは袋を開けた状態では風味が飛んでしまうということだそうです。
 
 これまでの納豆は乾燥防止の袋がねばついたり、たれの袋が変に破れてしまって食卓を汚したりということがあり、いささか面倒なおかずになっていたのですが、これが簡単便利なおかずに変わったという点で画期的です。これが日本の納豆のスタンダードになるのか、興味を持って見守りたいと思います。


 開発秘話がアニメになっています。
 →http://www.mizkan.co.jp/chilled/index.html#special

 
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サカイトシノリ展 ~ 友人の展覧会

2008-09-23 23:47:21 | Weblog
 私の高校時代の同期生にサカイトシノリ君という人がいます。

 彼はわが同期生の中でただ一人東京で芸術家としての生活を貫いているのですが、その彼がこの度高校生活を過ごした旭川で凱旋展覧会を行います。

 

 期間は今日9月23日から28日の日曜日までで、会場は、宮下通の上川倉庫のなかのギャラリーです。

 旭川とその近辺にいる皆様、お時間があればぜひ目の肥やしに彼の作品をご覧になってみてください。会場では「こままさからの紹介」と伝えてくれるとなおありがたく思います。

 本当は私も行きたかったのですがねえ。旭川の同期のみんなでこの期間は大いに盛り上がることでしょう。

 旭川の皆様、どうぞよろしくお願いします。

    ※    ※    ※    ※

 ◇ サカイトシノリ展

 期間:9月23日(火)~28日(日)
 時間:10時~18時 (最終日は16時まで)
 会場:〒070-0030 旭川市宮下通11丁目”蔵囲夢”内デザインギャラリー
 電話:0166-23-3000


 http://www.a-paguro.com/09koten/2008koten_asahikawa/0801koten_asahikawa.html
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「ブログ論壇の誕生」を読む

2008-09-22 23:09:44 | Weblog
 自民党選挙の結果、新総裁は麻生太郎氏が当選。連休明けには新しい総理大臣指名を受けることとなるでしょう。

 衆議院選挙の時期も10月だ11月だと、巷間いろいろ言われていますが、国の行く先の重要な選択の時期が近づいてきました。重要な選択はなにが基準になるのでしょうか。

 経済、食の安全、拉致問題、地方分権、年金、社会保険…。もはや複雑化した日本の社会には、善人と悪党がいるわけではありません。一人一人が多くの関係性の網に絡まっていて、快刀乱麻を断つような解決策もありません。

 得るものと失うものを秤にかけて、新しい問題に一つ一つ真剣に取り組まなくては。

    ※    ※    ※    ※

 文春新書から出た「ブログ論壇の誕生」(佐々木俊尚著)を読みました。



 帯には「新しく巨大な言論の波 マスコミを揺るがし政治を動かし旧弊な言説を一掃する」とあります。

 著者は「論壇とは古式蒼然とした言葉である。かつてはこの論壇は知識人たちが議論を戦わせる場だったが、こうした『公論』の場としての論壇は1990年代以降、ほとんど消滅してしまっている。教養という文化基盤の喪失と、社会の細分化がその原動力となった。

 大学の研究者は自分の知的分野の範囲でしか論考を行わなくなり、一方で新聞やテレビのマスメディア・ジャーナリズムはステレオタイプな勧善懲悪に走り、論考を深める作業を怠った」と言います。

 こうした紙のメディアがまごまごしている間に、インターネット空間に登場したのがブログ論壇であり、SNSであり2ちゃんねるのような掲示板とういわけです。

    ※    ※    ※    ※

 論壇の起源は、17~18世紀頃の西ヨーロッパに遡ることができ、ドイツの社会学者ハーバーマスによると、そこでは
 ①討論への社会的地位は度外視されている
 ②それまで教会や国家によって当然とされた問題もタブーなく自由に討論が出来た
 ③誰もが自由に討論に参加できる、という基盤が存在していたといいます。

 誰もが自由な立場で何でも議論できることが近代批評や近代市民を生み出したというのです。

 しかしこうした近代の討論空間は、「誰もが討論する能力を持っている」というエリート等質性を前提としていることから、19世紀末の大衆社会になってからは等質性が崩れてゆきます。

 その結果、知識人による学問領域と大衆の世論を集約する機能を持ったマスメディアの分野へと二分され、それが20世紀待つには分断されたままという状態になってしまいます。

 そしてそれを、社会的地位の度外視、タブー無き言論、参加のオープン性という特徴をもったネット世界が再び統合したというのが著者の主張です。

 そして著者は、このネットの論壇を構成しているのは、『1970年代に生まれ、就職氷河期を堪え忍び、格差社会にあえぎ、しかしインターネットを自由自在に操っているロストジェネレーションと呼ばれる世代なのだ』と喝破します。

 このロスジェネ世代の新しい言論は、『古い世界の言論を支配していた団塊の世代と激しく対立し、その支配を脱却しようとあがき、そして今やそれを超えて行こうとしている』というのが著者の見立てなのです。

 現に前回総選挙の小泉旋風のときは大手マスコミがこぞって小泉政権をこき下ろしたのに対して、ネットの世界では小泉氏に対する支持の声が飛び交い、結果はマスコミの希望的観測に反して小泉大勝利となりました。

 編集権を行使して伝えたいことだけを伝えようとする旧来のマスコミに対して、一人一人の知を連携させてゲリラ的に闘争をしかける非対称戦争の勃発です。

 本書では、毎日新聞が英文記事で低俗な記事を発信していた事件や、ネット百科事典のWikipediaの書き換え問題、民主党の小沢代表の動画を掲載して反論コメントを削除しまくって批判を浴びたニコニコ動画事件など、ここ数年間にネット論壇で起きた事件を扱いながら、その背景を解説してくれます。

    ※    ※    ※    ※

 2ちゃんねるやSNSも含めた、いわゆるブログ論壇は、テレビのようにスイッチをつければ流れてくる情報とは違って、自らが一定のIT能力を持って自ら触れてみなければ分からない世界。

 ネット上の若者たちの発言は意外なほど保守的で、リベラル派からは「ウヨ(右翼の略)」と呼ばれ、逆に左翼的な論を展開する輩は「サヨ(左翼の略)」と呼ばれ、激烈な意見が交わされています。

 これらは匿名性に守られてただ罵りあうレベルの低い会話も多いのですが、その一方で極めて専門的で精緻な分析を行う論者も登場してまさに玉石混淆の世界。

 石ばかりだと批判して離れるか、そこから玉を見いだそうとするのかは、一人一人の生き方の問題です。

 既存メディアの裏側に広がる新たな公共圏の興味深いレポートです。
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家族のコンピューター

2008-09-21 22:50:31 | Weblog
 帰省したときはできるだけ親のところへ顔を出して仏壇に手を合わせに行きます。今日は娘二人を連れて親元を訪ねました。両親とも元気そうなのでまずは安心です。

 家に着くと娘たちが「そうだ、おばあちゃん、昔のスーパーファミコンのコントローラーってまだある?」と思い出したように言いました。
「スーパーファミコン?なんだか分からないけど、たぶん二階の押入に入っていると思うよ」

 早速二階の押入へ行ってみると「あった!あった!」とお目当ての道具を見つけて嬉しそうにしています。

 欲しかったのは、「ボンバーマン」という十数年前のファミコン第一世代で大ヒットしたゲームソフトを、最大5人で遊べるようにするためのコントローラー増設器でした。

  

「こんなの今頃どうするの?」
「クラスの子たちがやりたいって言っていたから、そう言えばおばあちゃんの家にあったんじゃなかったかなと思って」

 実家にはスーパーファミコンの他にもPCエンジンなど懐かしいファミリーコンピューターがまだ取ってあります。

 試しに昔良く遊んだソフトを繋いでみると、まだちゃんと動きます。ゲーム自体も、単純ながらも良く出来ていることに改めて気づきます。

 調べてみると、初代のファミコンが売り出されたのが1983年で、スーパーファミコンが売り出されたのは1990年のことだったそうです。初代は昭和で、スーファミはもう平成生まれだったんですね。

 昭和から平成に時代が移り変わる頃の、新しい時代のゲームに家族が熱狂した頃を懐かしく思い出しました。

 ああ、ファミリーコンピューターシリーズは家族を仲良しにしてくれる立派なおもちゃでした。『ファミリー』って良くつけたなあ、と改めて思います。  

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