北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

それを世代間ギャップと呼ぶのだろうか ~ 現実に自分を寄せなくちゃ

2024-11-20 23:20:39 | Weblog

 

 旭川から南下して札幌へと戻ってきました

 途中で建設会社やら役場やらを訪ねながらの行程は、営業活動でもあるし情報収集でもあるし、情報提供でもあります。

 大半は世間話ですが、世間話をするにもネタを町の中から拾うには種となるネタが必要です。

 以前ある研修で、ある事務職の方が、「今までは書類ばかり相手にしていたが、突然地域の自治体を相手にするポジションに異動となり戸惑っています」と悩んでいました。

「まずは世間話からするのじゃないですか」と言ったところ、「そういう人たちと世間話をしたことがないんです」という答えが帰ってきました。

 そうか、世間話をするのも経験や練習やスキルということになるのか、と目からうろこでした。

 まさか世間話の練習をするわけにもいかないだろう、と思いつつ、もしかしたら研修で受講生を隣同士で世間話をさせる、ということだってあるのかもしれません。


     ◆


 そういえば、ある自治体の市役所の副市長を訪ねたときにこんな話を聞きました。

 それは、その自治体の市長さんが、「いやあ若者の考えていることが全然わからない、世代間ギャップを感じるなあ」と言うので、では、と副市長さんが、今年採用の新卒職員全員に対して対面で面談をしたというのです。

 そこで、「市役所で働いてみて今何か悩みはありますか」と訊いてみたところ、「電話が怖いです」という若者が思いのほか多かったのだそう。

「大卒の子ならまだそれほどでもないのですが、高卒で入ってきた子たちはほとんどが『電話が怖い』と言う」のだと。

「その世代の若者は電話をしたことがないとか?」
「まさにそれです。友達とのコミュニケーションはほとんどがメールやLineで、文字で打つことでやりとりするので、彼らは『顔の見えない人とどうやって会話したらよいかわからない』と言うんです。電話をする機会って、せいぜい家族に『迎えに来て』というくらいなんだそうで。
 しかも市役所に外からくる電話ってともするとクレームとお叱りの電話じゃないですか。他人に怒られるという経験もないのですよね」

「でもいつまでも怖いと言われていても困りますよね」
「ええまあそこで、二人一組にして電話に出てやり取りをする練習をさせたりもしてみていますがね。やはり我々の世代には考えられないような未熟さ、というか、それもまた世代間ギャップでくくられるということでしょうかねえ」

 
      ◆


 違う役場へ行ったところ、今度は職場を辞めてすぐ転職をしてしまう若者の話になりました。 

「最近はうちでも卒業直後ではなく、転職者を対象とした中途採用を増やして職員募集をかけています。ところがなかには、履歴書にものすごい数の職歴をずらっと書いてくる人がいるんです」
「それって、転職を繰り返しているという意味ですか?」

「そうです、そういう人には、希望をもって就職してみたもののそれは自分が意図した職場とは違うという思いが募って、『もっと自分に合う職場があるはずだ』と新たな希望を抱いて転職を繰り返すというわけです。できるだけそういう人ではない人を採用したいと思いますが、最初に夢破れる職場がうちでは困りますね。
 ある人はそういう人たちを称して、『夢を追い続ける若者たち』と呼んでいました。ここではないどこかに自分の理想とする場所があるはずだという夢を追い続けてしまって、そこに自分を合わせようとは思わないんですね。
 でもどうやっても、そういう人が一定の割合でいるんだ、ということに最近気が付いてきました。願わくば採用した人がそうでないことを祈るばかりです」

 どれも私が生きてきた社会の常識の範囲を超えていて、"世代間ギャップ"でくくられてしまいそうですが、ある程度は社会とはそういうものだ、という風に自分を現実に寄せていってほしいものです。

 
 こういうことが一日や二日の研修で心変わりしてもらえるものでしょうか。

 普段からのOJTと職場のコミュニケーションの問題かもしれませんが、さてさて、答えはどこにあるでしょう。
 

 

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家族がそろって休みたい ~ 休めない職場は選んでもらえない時代

2024-11-19 20:35:50 | Weblog

 

 稚内市内で知人に挨拶をして、ゆっくりと南下し今日は旭川泊りです。

 道路は圧雪状態のところも多く、慎重な速度管理とハンドルさばきが求められました。

 冬道の運転は慎重になりすぎることはありませんね。


     ◆


 ゆく先々で「人手不足の将来はどうなりますか?」と訊いて歩いているのですが、答えなどあるはずもありません。

 ある建設会社では、「あと10年はなんとかもちますが、その先は見えません。そして会社のメンバーの顔触れはずっと変わりません(笑)」と自嘲気味の答えが返ってきました。

 別な建設会社では、「特に現場の社員の負担を減らしてやろうと、建設ディレクターを導入して、しかも若い女性にそれを担ってもらっています」という前向きな対応も聞かれました。

 建設ディレクターというのは、ITとコミュニケーションスキルで建設現場を支援する新しい職域のことで、今建設会社では積極的に導入しているところが増えています。

 やることは主に、工事施工に関する書類作成やICT業務で、現場とオフィス、経営をつなぐ役割が期待されます。

 現場に出て現場の監督と一体になって書類作成をするというやり方もあれば、本社などのバックオフィスで書類を専門に作るというやり方もあります。

 建設工事の仕事の中でも、書類づくりは一定の業務量がある反面、必ずしも現場にいる人がやらなくてもよい仕事を切り出して、支援要員がサポートすることで現場の職員は現場に集中することができて残業時間も減らすことが期待できます。

 しかも若手や女性従業員などでもそれらのスキルを身に着ければが最新のスキルを身につけながら、やりがいを持って建設会社で働けるようになります。

 こういう形で仕事をより効率的にこなすことはこれからのトレンドになってゆくことでしょう。


      ◆

 
 一方で、仕事が偏ることの弊害を指摘する方もいました。

 その方は「国は現場の技術者へ求める要件が厳しすぎる」と指摘しています。

「うちの会社では、国の仕事で道路事業、港湾事業、農地整備事業の三種類をやらせていただいています。
 今年からの残業規制や職員の負担軽減もあって、できるだけ週末の土日は休むように工事の調整をさせているのですが、道路事業は道路の規制くらいが課題なので土日を休むことが比較的容易です。
 しかし農地整備では、農家さんが働くことが天候に左右されてそれが工事にも影響します。なんとか日曜日だけは休むようにしていますが、土曜日は出ることもあるのが実態です。
 また港湾の港整備事業も波があるときは工事ができませんが、凪いでいるときは工事を進めたい意向が働いてやはり出ることがあるんです」

「なるほど、工事の種類によって働き方も微妙に違うんですね」

「それで、国の工事の入札の際には、技術者を登録してその者個人に『過去に同種の工事の経験があるかどうか』を問われて、その経験が点数として反映されて工事の受注に影響します。
 なので、道路事業の経験がある技術者はどうしても次も道路の工事をやってもらうことになり、同様に農業工事ばかりやる技術者、港湾工事ばかりやる技術者という風に、得意なというよりも経験のある工事に張り付いてもらうようになってしまいます」

「なるほど、でもそれはなにか問題があるのですか?」

「はい、技術者が家庭の中の父親としてみたときに、道路担当の技術者は割と確実に土日が休めるので家族サービスがしやすいのです。
 逆に農業工事や港湾工事では土曜日の予定が立たなくて、家族との触れ合いがやりにくい、という声が上がりました」

「あ、あー、そういうことですか」

「できれば今年は農業でも来年は道路工事を担当してもらって、来年は確実に土日が休める、というようなローテーションをしてあげたいのですが、先ほど言ったように技術者個人の経験が問われているものですから、そこで経験のない者をつけることは入札上不利になってしまいます。
 なのでなかなかその担当の工事を変えることができないんです」

「それはどうしようもないのですか?」

「道庁さんの工事では、過去の工事経験について技術者個人の経験は問わず、会社として経験があるかどうかだけを問われます。なので、工事が取れてからだれを担当にするかを考えて振り分けることが可能です。
 しかし国はその要件が厳しいんですよね、はあ」
 

    ◆


 今日、社員がちゃんと休みをとれるかどうかは建設産業で働いてもらえるかどうかに関して非常に重要な項目になっています。

 休めない職場には若者は来ないのです。

 かたや工事の出来具合を気にする発注者側と、それに応えようとし続けると将来それをやってくれる働き手はいなくなるという矛盾が見え始めているのかもしれません。

 働き方改革の視点で目からうろこの現場感覚でした。

 常に時代の変化を踏まえた改善が求めらますね。
 

 

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機械を信じすぎないこと ~ 久しぶりの稚内出張

2024-11-18 23:08:56 | Weblog

 

 今日は久しぶりに稚内への出張。

 今朝から北海道には強い寒気が入って気温が下がり、各地で積雪が見られます。

 よりによってそんな日に稚内へのドライブです。

 豊富町で知り合いの建設会社を訪ねたところ、「あれ?どうやってここまで来ましたか?」と言われました。

「今日は留萌経由で日本海沿いを北上してきました」というと、「ああ、よかったですね。今日の朝に、国道40号線でタンクローリーが路外に転落して国道が通行止めだという情報があったものですから」

 どうやら雪のために交通事故があったようで、真ん中の道路で北上していたら予定に間に合わずアウトでした。

 まあこればかりは予見するのは不可能ですが。


     ◆


 私が乗っているホンダの車には、オートクルーズコントロール(ACC)という機能があります。

 これは、走行速度を設定すれば前の車の存在を感知して追尾し、追突せずに前の車について走行できる、という機能です。

 前の車より遅い速度を設定すれば離されていきますが、前の車よりもはやい速度を設定しておくことがポイントです。

 このために車の前面にレーダーがついていて、前の車との距離を適切に保つことができるのです。

 ところがこのレーダーが雪に弱い。

 べた雪が降ってレーダーの前に凍り付いてしまうとレーダーが前の車を感知することができなくなってしまいます。

 普段ならレーダーが前の車を感知できなくなると、運転席のモニターに「レーダーが機能していません」というアラートが点灯します。

 ところが今日はそのアラートがつかないまま走行するということがありました。

 こちらはACCをオンにしているので追突しないものと思っていたのですが、なんだか前の車との距離が次第に近くなってきました。

 モニターにアラートが点灯しているわけではないのですが、前の車を感知していることを示すマークがついていないことに気が付き、慌てて速度を落としました。

 なんでも機会を頼りすぎて自分の判断をおろそかにしてはいけない、という点で大いに反省です。

 夏の運転が冬道の運転に代わる今の時期は、感覚が冬になりきっていないので危険です。

 安全運転を心がけましょう。

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国を国たらしめている「国柄」「その国らしさ」とは

2024-11-17 23:19:29 | Weblog

 

 先日釧路へ行った際に、現地の知人とお話をしていたら、「コロナ期に婚姻の数が大きく減って、それに沿うように生まれる子供の数が減りました」と言っていました。

 地域の人口減少は、亡くなる数と生まれる数との差ですが、今では高齢者の亡くなる数が増える一方で、子供が生まれなくなっています。

 日本の場合は、子供は結婚した夫婦から生まれるのが一般的なので、結婚する数が減るということがそのまま生まれる子供の数に影響するということなのでしょう。

 つくづくコロナウィルスが社会に与えた影響は大きいな、と思いました。

 そして、コロナ期に社会が受けた影響は歴史として後世に残るのだと。

 
 それにしても、私の若いときは大人になれば結婚して子供を産んで家庭を作るのが当たり前だと思っていたのですが、そういう「時代の常識」は時とともに変化しています。

「経済状況が悪くて若者の収入が少ないから結婚もしないのだ」という人もいて、それもある一面をとらえているかもしれません。

 実際、収入の多い人の未婚率は収入が少ない人よりも少ない、というデータがあるそうですが、昔は収入にかかわらず「結婚はするものだ」という社会の規範があってそれに従うのが当たり前という風潮がありました。

 今ではそれも個人の自由意志の範囲で、敢えてそれにとらわれなくても後ろめたく感じることも少なくなってきたのかもしれません。

 社会の規範というのはその地域柄や国柄を表す価値観で、それがあるからその人たちなのだ、という「その人たちらしさ」です。

 さて、「日本らしさ」「日本人らしさ」とはいったいなんでしょうか。


     ◆


 「ローマ人の物語」の著者の塩野七生さんは、対談本のなかで、「なぜローマは滅亡したのでしょうか」と訊かれて、「さあ、でもローマ人がローマ人らしくなくなってしまったからではないでしょうか」と答えていたのを思い出しました。

 国民がその国たらしめている規範や美学が薄れたときに、国柄は変質してその国らしくなくなってしまうのだろう、と。

 ローマの滅亡まで引き合いに出さなくても、そこで生まれようと他から移ってきたのだとしても、今暮らしている故郷を良くしようという思いや協力して何かを成し遂げようという気持ちが薄れてしまったら、やはり地域の力は弱まってしまうことでしょう。

 人々が、自分の関心や時間や労働力やお金を少しでも差し出す気持ちがあるか、はたまた、自分への関心や時間や貢献やお金を求めるのか、で地域のありようも変わってしまうことでしょう。

 二宮尊徳は生きてゆく上で大切なこととして、「至誠・勤労・分度・推譲」の四つを掲げ、そのなかでも「分限をわきまえる分度」と「余れば他に譲る推譲」を説きました。

 知識を与えられて事足れり、とするのではなく、誰かから何かを教わったらそれを自分の実践行動に繋げることが真の魂の教育です。

 良いと思うことは実行いたしましょう。

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自社の現場安全パトロール ~ 「整理整頓の意味が分かっていますか?」

2024-11-15 23:34:25 | Weblog

 週の後半に、久しぶりに釧路へ向かいました。

 釧路で行われているわが社の受注工事での安全パトロールがあったのですが、夜間工事での現場チェックに同行させてもらったのです。

 夜間パトロール用に書類などを準備していたところ、抜き打ちで労働基準監督署の署員がお二人で抜き打ちでやってこられました。

「冬期を迎えて工事の追込み期ということで安全の確認をさせていただきたい」とのことで、約1時間にわたって現場確認と書類のチェックをしていかれました。

 幸い大きな指摘はなく、意見交換程度のやり取りがあっただけでしたが、今年は建設工事での事故が昨年よりも増えているということで、労働安全担当の行政機関としては注意喚起を強めているようです。


     ◆


 そんななか、我々も東京の本社から安全担当部長以下3名がやってきて、昼間の現場の様子視察、書類の確認、夜間工事が始まる前の関係者打ち合わせの様子、夜間工事の様子をつぶさにチェックしてゆかれました。

 夜間工事では2車線道路の一車線を規制しながらの埋設物工事ということで、交通安全への対策なども実態がよく見えました。

「交通規制を伝える車両の明かりが暗いね」「空中に張られている電柱に注意をしているか」など細かいチェックを行った後に、現場の建物の中で最終の講評が行われました。

 講評も、単に口頭で「あそこを注意してください、あとはよかった」などといった通り一遍のものではなく、事前に用意された評価シートに従って、全員で「この項目の評価を皆でどう考えるか」について意見交換しながら点数化して落とし込んでゆきます。伝えたいことは形にしなくてはだめなのです。

 その際に「現場内の整理整頓」という項目がありました。

 その際に担当の部長のほうから「現場は良いが、この現場詰所の中の整理整頓がされているか。ちょっと物が多いように見受けられる」と言われた後に、「"整理"とは"いらないものを捨てる"ということで、"整頓"というのは"ものをあるべき適切な位置に置く"ということですよ」と言われて、あらためて納得。

 自分の机周りや家の中も不要品がまだまだ多くて、整理がついていないことが恥ずかしくなりました。

 言葉の意味を改めてしっかりと理解しなくては、と思った次第。


     ◆


 釧路では懐かしい人たちを訪ねて世間話やら営業などしてきました。

 止まった宿も値上がりはもちろんですが、駐車代も上がっていたり、「男性用の剃刀は有料でのご提供になります」と言われて驚きました。

 値段が上がるということ以上に、無料のものが有料になってゆくという値上がりもあるんだな、と。

 これも世の流れなのか。


     ◆


 久しぶりに級の釧路川の対岸からMOOを眺めました。

 釧路川は穏やかで、川への目線が低いところなどはヨーロッパの風景を思わせます。

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たかが床屋の予約だが… ~ その後ろにあるもの

2024-11-13 22:20:10 | Weblog

 

 行きつけの床屋さんは、30代の若者が4人で回している活気ある床屋さんです。

 そこが以前は予約は受け付けていなかったのが、半年ほど前から「Lineによる予約」を始めました。

 とはいえそれはアナログな感じで、ラインで「〇日の▽時は空いていますか」と問うと、「〇〇さま、ご連絡ありがとうございます。お申し出の時間は空いております」と返事が来るもの。

「ではその時間で予約をお願いします」「かしこまりました」

 そんなやりとりで予約が確定するという人力システムです。

  先日髪を切ってもらった時も事前に予約をしてから行ったのですが、ちょっと返事が来るまで時間がかかって、(あれ、大丈夫なのかな)とちょっと心配になりました。

 全部が終わった後で、「あのLineの予約って、誰が読んで誰が返事を出しているんですか?」と訊いてみました。

 すると「ああ、返事が遅くてすみません。みんなで手の空いた時に見ているんですが、時間が経ってしまうこともありましてご迷惑をおかけしています」とのこと。

 そして「皆が見て、希望の時間が空いているかどうかを確認してから返事をしているんですが、最近はLineで声をかけてくださる方が増えて、結構時間を取られるんです」とのこと。

「それなら自動的に予約ができるようなシステムを導入できないんですか?」
「ええ、それが、Lineと連動して予約が取れるアプリってあるにはあるんですが、ちょっと大手のシステムだと『月々6万円かかる』と言われて、躊躇していたんです」

「うわ、そんなにかかるんですか、それは負担ですね」
「でもですね、周りの同業者に聞いて回ったところ、2万円弱でそれができるようなアプリがあるらしくて、それを年内に入れよう、という話にまでなってます」

「そうなんだ、そうしてください。こっちもいちいち確認するのは手間だな、と思っていましたから」
「はい、12月には入れたいと思っているので、次の予約のころにはなんとか新しいシステムになるよう頑張ります」

 たかが床屋の予約システムとはいえ、あれば利用者には便利なものの、小規模な事業者にしてみると結構な負担でもあります。

 少しでも安い経費で済むような、ソフト開発や技術開発で応援したいところです。

 身の回りのことが、ちょっとずつ便利になっていることって感じますか?

 そこにはそれを支える技術開発と、事業者さんの投資が隠れています。

 便利は決してただでは買えないのですね。それを支える技術開発
  

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映画「本心」を観てきました

2024-11-10 22:34:59 | Weblog

 

 11月8日(金)に封切りの映画「本心」を観てきました。

 石井裕也監督・脚本で、主演は池松壮亮さん。

 映画の宣伝では、「2040年の日本を舞台にした平野啓一郎さんの同名の小説を原作に、母の本心を知るためAI技術で仮想空間に母を蘇らせた男の姿を描くヒューマンミステリー」と書かれています。

 「大事な話がある」と母に言われた息子(池松)だったが、母が豪雨の中、目の前で川に落ちる。

 それを助けようと川に飛び込むが、助けられたものの自分自身が意識不明になり1年後に目を覚ましたところ、母は亡くなっていた。

 母が最期に言いたかったことを知りたいと、この時代が可能にした仮想空間に母のバーチャルフィギュアを作り、あの時の本心を聞こうとする。

 自分の知らない母の情報を、母の知り合いである三好彩花(三吉彩花:同名で出演)の力を借りて精度を高めようとするが、行きがかり上同居するようになり、そこからまた様々な展開が起きる…という物語。

 結局、死んでしまった母からの思いを知りたい、という主人公の思いを中心にしていながら、実は生きている周りの人間の本心すら聞けないでいるのではないか、という皮肉とも取れました。

 相手が機械ならば「本心を、思っていることを言え」と言えば、プログラム通りになにかもっともらしいことを生成してくれるのかもしれませんが、こと人間となると、思っていることはあってもその場の雰囲気とか、(これを言うとどうなるだろう)といった思いによって結局本心は言えないのが現実なのじゃないか。

 映画の中では、田中裕子が演じる主人公の母親が「あのとき言いたかったことは…」としてある言葉を口にするのですが、それは本当に母親の本心なのかな。

 それは2040年レベルの技術によってデータを駆使した、母親の思考回路が生成した答えなのかもしれない、とも思えます。

 そんなもやもやがここを掻き立てるとすれば、監督の狙いは当たったのかもしれません。


     ◆


 2024年レベルの生成AIは「生成AIは間違った答えを出すことがあります」という注釈が必ずついています。

 そういう保険をかけられたら、何を出されても正しい答えとは思えなくなってしまいますよね。
 
 でも、「らしい答え」までは導き出せそうで、生成AIへの立ち向かい方はこれからの時代の常識・必要スキルになりそうです。

 ある人によると、生成AIを使いこなすためのスキルとは、「何をしてほしいのか、の明確化」、「背景情報の提供」、「サンプルデータの与え方」、「求めるアウトプットの提示」ということだそうで、それを「筋トレのように、日々繰り返して自らの能力を鍛え上げるしかない」とのこと。

 「本心を言ってくれ」だけでは正しいアウトプットにならないのかもしれませんね。

 本心を言わせるなんて、生身の人間相手では相当に困難な技術ですから。
 

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喪中はがきを発出しました ~ 紙媒体の終わりは近い

2024-11-09 23:39:39 | Weblog

 

 昨日妹の死去に伴う喪中はがきを印刷して、今日郵便局まで持ち込みました。

 印刷はもうかなり古いプリンターで、インクも手に入れるのが大変なほどの代物です。

 もう買い替えたところですが、今あるインクだけは使ってしまってストックしてあるインクが無くなったところで寿命という感じでしょうか。

 E社のプリンターは、はがきの給紙を本体下のカセットに入れるタイプで、最大で20枚程度しか入らないので大量に印刷をすると紙の追加に手間がかかって時間がとられます。

 以前使っていたC社のものは背面給紙機能があったので、印刷しながら紙が少なくなってくれば機械を止めずに給紙ができました。

 年賀状印刷をするのだったら背面給紙機能のものをお勧めします。


      ◆


 喪中はがきの宛先も、ネットやSNSでつながっている人には一人ずつ「はがきでは送りませんのでご了承を」と伝えて枚数削減に努めます。

 ついでにこの先の年賀状を失礼する相手にもその旨をお伝えしています。

 はがきも値上がりをして新春の挨拶の負担も大きくなってきましたね。

 はがきでしか近況を伝えれらなかった時代から、ネットの普及で情報伝達の手段も変わっています。

 新聞や雑誌もそうですが、紙媒体はいよいよ暗黒の時代に突入してきました。

 そろそろ年賀状のような儀礼も考え直す時代なのかもしれませんが、「今まで続けてきたから…」という感性の慣性力も案外馬鹿にならないものです。

 さて、踏ん切りをつけるきっかけは何になるでしょうか。

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8年間の技術の進歩を目の当たりにする ~ 以前はこれが最新だったのだが

2024-11-05 23:53:13 | Weblog

 新しいノートパソコンを買ったことで、今まで使っていたノートパソコンを家専用のパソコンとしてお下がりにしました。

 これまで家専用として使っていたのはいわゆるミニタワータイプのパソコンで、記録を見ると2016年10月に購入したものでした。

 家専用といっても実際は妻専用で、ときどきネットを使ったり年賀状印刷などに使う程度なのでそれほど高性能を必要としているわけではありません。

 私のノートは出張の時は持って歩くので家専用に一台あるほうがなにかと助かるというくらいなものです。

 記録を見てみると、古いノートパソコンを買ったのがミニタワーを買った4年後の2020年で、今回の最新ノートが2024年ということで、やはり仕事にも趣味にも使える最新のパソコンでいようと思うと、寿命は4年という感じです。

 お下がりにした古いノートもwindows11にバージョンアップしたので、こちらもあと4年くらいは使いたいところです。


      ◆


 今回の入れ替えに際して、古くから使っていたハードディスクを処分しました。

 写真のものは約8年前の300GBのHDDで、手前にあるスティックが今回購入した1TBのSSDです。

 この大きさの差がありながら容量はスティックのほうがHDDの3倍以上あるという技術の進歩は驚くべきものです。

 おまけに古いHDDは別途電源を取らなくてはならず電気も食うタイプだったのが、スティックではその心配もなく省エネも格段に進んでいます。

 さらには300GBのHDDの中身をSSDに移すのにはなんと小一時間ほどかかりました。

 古いタイプのUSBで通信速度が出なかったからですが、こういう技術の進歩による速度の向上というのは日々ではわかりませんが、8年前の技術を目の当たりにするとまさに隔世の感があります。

 使っていたものをやめたり捨てたりする「断捨離」ということがありますが、使い続ける道具であれば古くなったものを新しくする「新陳代謝」で時代についてゆくという生き方も心得ておくほうがよいでしょう。

      ◆
 
 歳を取るとテレビの音が大きくなる、と言われますが、これだってBluetooth対応のテレビとヘッドセットを組み合わせれば、大音量を奏でることなく自分だけの音量で聞くことだってできるのです。

 身の回りの道具に進歩と進化を感じることはありますか。

 次々に新しい技術を使って便利な提案をしてくるメーカー各社には、買う買わないは別にして、その創造力に敬意を表さずにいられません。
 

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ついに家の暖房に火をともす ~ 秋もそろそろ終わりです

2024-11-04 23:40:47 | Weblog

 ここのところ札幌はまだ雪こそ降っていないもののかなり冷えてきました。

 これまでは寒くなると普段いる居間と寝室のエアコンを暖房にしてしのいできましたが、ついに耐えられなくなってきて、今日集中暖房のスイッチをオンにしました。

 ルンペンストーブで暖を取っていた幼いころの思い出をよみがえらせると、家を温めるのに、暖房機械のスイッチ一つで済むようになったかと感慨もひとしおです。

 私たちの子供の世代でももう北海道の暖房と言えば灯油になっているので、子供たちにももう石炭をストーブで焚くなどという記憶はないかもしれません。

 妻と話をしていたら、まだ小学校に入るか入らないかの頃(昭和30年代後半)に、両親にたてついて、集合住宅に備え付けの石炭庫に放り投げられた、と言っていました。

 官庁でいえば、今は年末に支給される冬期手当を「石炭手当」と呼んでいた時代です。

 暖房は石炭が中心で、高校でもまだ教室の暖房は石炭でした。

 
 石炭は運ぶのが大変だったり燃やした後の石炭ガラが出るあたりが難物だったのですが、いまや「燃やしたら二酸化炭素を出すからダメ」という時代が来るとは、そのときは夢にも思いませんでした。

 そのうち「灯油も燃やしたら二酸化炭素が出るからダメ」という時代が来るかもしれません。

 未来のことなんて予測不能ですよね。


 生成AIのCopilotに「だるまストーブのイラストを描いてください」と頼んだところ、こんな絵が出てきました。

「生成AIは間違うことがあります」と言われるものの、これは違いすぎるだろう。

 大喜利だと思えば面白いのですが。

 

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