北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

千客万来の日

2005-10-31 23:33:25 | Weblog
 朝の通勤の道すがら、家並みから漂うのは暖房に灯油を燃やすほのかな香りです。晩秋から初冬の訪れを知らせるのは、そんなほのかな香りなのです。

 さて今日は
■千客万来~多くの人に会う の1本です。

【千客万来~多くの人に会う】
 10月最後の一日に千客万来です。人に会うときはとにかく会えるものです。こういうのは占い上はどうなっているのかなあ、と思うのですが答えは分からず仕舞いです。

 最初は某建設業社の社長さんが訪ねてきました。この方は生業とは裏腹に、ちっとも土建業者さんには見えないおっとりした紳士である。

 社長の会社があるところが私も昔住んでいた町で、おもわず昔の学校の話になる。

「私は新制中学校の2期生でしてね。当時は中学校と言っても校舎なんかなくて、三年間に三つの場所を間借りしましたよ。最初は高校の一部、次に別の中学校の一部、最後は博覧会跡地の建物が校舎になりましてね。そのたびに机と椅子を自分たちで運んで移動したものです」
「今では校舎や椅子、机があるのはあたりまえで、おまけに夏は涼しく冬は暖かい環境が用意されていますものね」

「本当です。『そういう時代だったのさ』と言えば笑い話かも知れませんが、まあ本当に何もありませんでしたねえ」と笑う。

 そんな時代から、(次の世代にはもっと良い教育環境を用意してあげたいものだ)と思って努力してきた半世紀だったはずだが、良い教育環境は今やあたりまえになってしまい、そのうえでそこで勉強の意味を見いだせずにいる子供たちも多いのだ。

 一体何を間違えたというのだろう…。

 河川に植物が生育する場合、一年に数度洪水が起きる事で土砂が運ばれたり栄養がもたらされたり、あるいは自分以外のものが流される結果、自分だけは維持されるということがあるそうだ。

 洪水やトイレで水を流す事を英語で「フラッシュ」と言うのだが、ひたすら前進するばかりが善なのではなく、積み上げて澱(おり)のようなものがたまってどうしようもなくなったときにはフラッシュをして、『ごわさん』にしたところから始まることにも一定の価値を見いだせるのだろう。

 社会も制度も、長年使っていると不具合が多くなったりその存在による弊害の方が多くなったりする事もあるだろう。

 たまには新しくて白いカンバスに自由に絵を描いてみたくなるものである。

 トイレを使ったら最後は流しましょう。フラ~ッシュ!


    *   *   *   * 

 シーニックバイウェイについて卒論で研究したいという学生さんと先生が職場を訪ねてきてくれて、こちらの担当者側から説明をして意見交換をした。

 認定のための制度はあるけれど、その先には明確な支援制度はなくて、あくまでも地域の自主性に委ねられる地域作りです、と説明すると、分かったような分からないような不思議そうな顔をしている。

 今までのように支援制度を先に作って、これを利用して地域作りを応援するようなものとは全く発想が違うこの取り組みの難しさとすばらしさは、なかなか動かない行政や、一方で熱心な市民団体の姿を目の当たりにするような、まちづくりの現場に立った事があるものには、皮膚感覚として実によく分かる。

 しかし資料をいくらひっくり返したり裏から読んだりしてみても、そこにたどり着くのは難しいだろう。多くの人と交わって意見を集めたり、提案したり、相手に納得してもらう説明をするといった、「現場感覚」という基礎的な知識や経験が必要なのだ。

 この場合必要なのは、互いに共通する感覚の土俵なのだろう。

    *   *   *   * 

 人はしばしば説明を聞けば理解出来る、説明をすれば分かってもらえる、と信じている。

 しかし、言葉がお互いの中で必ずしも同じ事を意味しているとは限らない、という単純な事が分かっていない場合が多い。

 説明されて分からないのは、自分が不勉強なのではなくて相手の説明の仕方が悪い、という感覚である。

 常に相手に頼らなければ生きていけないような弱い自分ではなくて、様々な場面に対処出来る強い生き方を貫くには、普段の勉強が欠かせないはず。それが生涯にわたって学習をしなくてはならない、という生涯学習の真髄だ。

 一日一行の文を読めばその分だけ賢くなり、一日怠惰に過ごせばその分人に離されてゆくのはものの道理だ。だから今を嘆くよりは実践を積み重ねることが必要なのだ。

 実践するという事は誰にとっても、立派な人になる唯一の処方箋だ。薬が出ているのに飲まない人は多いのだ。

    *   *   *   * 

 夜に近在の官庁の観光関係者が約30人ほども集まって懇親会を開催した。日頃なかなかこうした機会もないものだが、思い立って実施して良かった。

 普段お互いに遠慮して深くは話せないような人たちとも酒の力を借りてお話をする事が出来た。

 人を知る事は絶対善だ。それが生涯学習の真髄の一つでもある。 
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おやじのサッカー交流

2005-10-30 23:59:57 | Weblog
 いよいよ手稲山の山頂にも白いものが見られるようになりました。冬が近くなってきた感じがします。

 さて今日は
■おやじの会のサッカー交流 の1本です。


【おやじの会のサッカー交流】
 今日は午前中に、おやじの会によるサッカー交流会である。

 私が大の苦手なのがサッカー。何しろ私が子供の時にはメジャースポーツはとにかく野球であって、サッカーなどは今からは考えられないほどマイナーなスポーツだったのだ。

 だから子供の時からサッカーは苦手、今日も全く戦力にはならないので、もっぱら撮影隊として働くことに決めていたのだ。

 折悪しく、夕べからの雨でグラウンドはぐちゃぐちゃなのだが、それでも止めないのがサッカーのすごいところである。

 中学校のサッカー部はさすがに今のサッカー人気を反映して、人数も多い。1,2年生だけで40人くらいはいるのじゃなかろうか。

 親父の方は今日は弱気なのか集まりがあまりよろしくなくて、15、6人くらいである。もっともそれでもかつては社会人でプレーしたという人もいるのである。

 父親チームには、助っ人も参加し放題で、大学でプレーしている現役学生もOK。おまけに子供達の11人に対して15人で戦うというハンデマッチ。

 しかし動ける運動量が見るからに違うので、ここはご愛敬でゆるしてもらうことにした。

    ※    ※    ※    ※

 初戦は2年生チームとの対決で、15分ハーフの前・後戦である。

 前半はほぼ互角の戦いで0-0。後半になって、親父チームが押し気味に試合を展開。

 後半8分ころにフォワードの大学生助っ人が単身ゴール前に切り込んで、最後は個人技でキーパーをかわしてゴール!結局これが決勝点となり、1-0で親父チームの勝利であった。

 第2試合は1年生チームとの対戦。2年生に比べると体が細くてまだまだ体力が足りないと思ったが、どうしてなかなかの粘りを見せて、これまた前半は0-0であった。

 後半はまたまた親父チームが押し気味になり、ゴール前の混戦から親父チームのリーダーOさんがゴール右隅に綺麗にシュートを決めて先制。

 これがまた決勝点となり、親父チームはなんと2連勝である。

    ※    ※    ※    ※

 しかしさすがに若くて生きのよい相手と30分の試合を2試合こなして、もう体力は限界。

 3試合目に引退した3年生チームと15分の試合をするころには、動けるのは助っ人の大学生くらい。

 またさすがに中学3年生ともなると体はできているし、一本のパスを見ても2年生とはちがうシャープな球筋で、力の差を明らかに感じた。

 そんなわけで、さすがに最後の試合は終始押し込まれて、最後はきれいなシュートを決められて、0-1で親父チームの負けとなった次第。

 さすがに昔取った杵柄の親父達も、グラウンドコンディションは最悪でおまけに体力も限界とあって、疲労困憊の様子だった。さらに試合途中から気温も下がってきて、動かずにみているだけの我々の方も寒くて非常に辛い条件だった。

 それでも顔中泥だらけにしながらも、体をぶつけ合って足技を競うなかですがすがしさが残り、勝ち負け以上に良い思い出が出来ただろう。


 それにしても皆さん、よく動けるものですわ。完全に脱帽です。外は寒くても心は熱いぜ!

  
 
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選べるということの豊かさ

2005-10-29 23:41:01 | Weblog
 久しぶりに妻と映画に行く。月に一度くらいは行きたいね、などと言いながら果たせていない約束です。

 映画館が近くにありながら行かないというのも、もったいない話ですが、これが都市生活というものなのでしょうか。

 さて今日は
■多様性の豊かさ~選べるということ の1本です。

【多様性の豊かさ~選べるということ】
 久々に妻と映画に行った。今日はJR札幌駅の駅ビルに入っているシネマコンプレックスの札幌シネマフロンティアへ行った。

 このシネマフロンティアにはスクリーンが12面あって、人気のある映画は複数のスクリーンで上映するし、人気の低いものは同じスクリーンの時間を区切って上映している。

 今回は職場の厚生事業の一つとして、市内のシネコンの鑑賞券を割安で購入したものを利用したのだが、こちらのシネコンのものは有効期限が今月末までだったのである。

 人気の映画をネットで調べてみると、 観客動員数1位は「私の頭の中の消しゴム 」、2位は「ティム・バートンのコープス・ブライド」、3位は「チャーリーとチョコレート工場」の順となっている。

 私としては、(せっかく広い映画館で臨場感溢れる映像を観るのだから、静かなドラマよりはスペクタクル系が良いだろう)と思う質なので、ベスト3をはずして、第4位の「ステルス」を観てきました。

 映画の詳しい論評はしないけれど、まあアメリカ的ご都合主義が満載のVFXスペクタクルでした。お金を払ってみるほどの事はないかもしれませんが…。

    *   *   *   * 

 しかしこれだけ多くの映画の中から観たい映画を選ぶ事が出来るということは一般的には都会生活の幸せなのだろう。

 町の中にはレストランや居酒屋さんが溢れているというのに、一生かかっても行く事が出来はしないに違いない。それでも、自分が行かなくても支えられているお店が多いという事は、自分が選ぶ立場とすれば自由度が高くて喜ばしいことだと多くの人が思っている事だろう。

 都会生活が田舎生活に比べて魅力的なのは、誰からも監視されない匿名の自分でいられる事と、生活のツールを選べるからだと思う。 

 掛川にいたときは、いわゆる「まち」と言われる中心的な市街地は駅前の一つしかなくて、馴染みの飲み屋さんもほぼそこに集中しているのだった。

 行くとなると必ずいつもの居酒屋で、そこの次はどこそこ、と道順が決まっていくのだった。

 行った事のない店を探すのが難しいのが田舎の悲しさと言えば、それはそうかもしれない。しかしそのことを「選択出来ない不自由さ」と嘆くのでなく、馴染みの店があるだけと考えれば、それはそれで都会に比べれば不自由だけれど、都会と比べて不幸かというとそうでもないような気がする。

 都会に比べると不自由だが、
 別に都会にいても、馴染みの店が100軒も200軒もあるわけでもなく、広いススキノと言っても行く店はせいぜい決まってくるのではないか。

 若者にはつまらないのかもしれないが、自分などはそろそろ新しい店を開拓する事よりも、新しい人を開拓する方が面白くて興味深くなってきた。

 店も人も多いのが都会なのだが、縁のない店や縁のない人がただ多いだけだ。とも言える。

 与えられている条件を嘆いてなんとか改善したい、という意欲はそれはそれで良いとしても、だからといって変わらない事を嘆くほどの事もあるまいとも思うのだ。

 そんなことを嘆く暇があったら、せいぜい縁のない店や縁のない人との縁を結ぶ努力をする方が建設的のように思う。

 都会には縁のないバスが多く走り、縁のない店が多く溢れているような、無駄を前提とした空間だ。

 そういう空間の価値観を絶対と思わずに、エコだとか繋がりだとか、それとはちがう方向の価値観の軸で都会に勝っていれば良いのではないか。そしてそれがやせ我慢や虚勢ではなく、どうどうと誇りに思って自慢していれば、逆に都会の方が振り向いて来ると思うよ。

 それを堂々とすることが生涯学習そのものなんだけどな。  

    *   *   *   * 

 中学校の近くに「K書房」という本屋さんがある。

 学校の近くの本屋さんというと、しばしば利用の中心である子供に媚びてコミックや雑誌を中心に置きたがるのではないかと思うのだが、ここはわざわざ「売れない文庫フェア」というのをやっている。

 店内ではコミックの占める割合が極めて少なくて、岩波文庫もそれなりにおいてある。

 北海道書店組合札幌支部では2005年 7月17日~8月21日の期間イベントとして、「中学生はこれを読め!」という取り組みをしていたのだが、このK書房ではまだそのコーナーを設置している。

 大きな本屋で本に出会う機会が多いのも都会ならでは、か。入手だけならインターネットでの販売でも補えるが、買う前にパラパラとめくって品定めをすることができる品揃えは魅力だ。

 数が多い事で偶然得られる縁もあるが、必ずしもそれだけでもなかろう。人づての縁の方が良縁を得られる確率は高いような気もする。本でも結婚でも、薦めてくれる人がいると余計な気苦労や遠回りをせずにすむのではないかな。

 縁って何なのだろう。

    *   *   *   * 

 夜に妻と一緒に知人の夫婦と飲み会をする。

 会場選びを相手に任せていたら私の家の近くでよい店を探してくれた。ススキノにもお店があるのだが、地鶏と貝を売りものにする和洋折衷の居酒屋。

 焼酎の利き酒セット980円は、お店にお任せで三銘柄の焼酎を小さなグラスにロックで持ってきてくれる。いろいろな味を試してみたい向きにはお薦めだ。

 本通りからは通りを一本引っ込んだところにあって、感じがよい造りの割にはあまりお客が多そうには見えない。

「どういうコンセプトのお店なのですか?」と訊いてみると「ちょっと引っ込んだ隠れ家というコンセプトだったのですが、ちょっと隠れ家過ぎましたかね…」とお店の人も苦笑い。

「ふらっと入りたいお店を探している客には、一見、何のお店か分かりづらいかも知れませんね」
「もうすぐお店に入りやすくするように入り口を改装する予定なんですよ」とのこと。

 良い店に巡り会うのも縁のなせる技である。

 
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チームの士気

2005-10-28 23:56:19 | Weblog
 札幌で秋を過ごすのは三年ぶりですが、近くの山の黄葉がきれいなことに改めて気づきました。 こんなにまじまじと山を見る事もなかったんですねえ。

 さて今日は
■チームの士気は高いか の1本です。

【チームの士気は高いか】
 我が職場の紅一点の女性職員が出産を控えて育児休暇にはいる事になり、しばしのお別れに合わせ、課の職員一同で安産祈願送別会を行った。

 二次会のカラオケで若い職員のエネルギーが爆発。このメンバーでカラオケに来たのは初めてだったのだが、職場では見せない裏の姿に驚きつつも、エネルギーはないよりはありすぎる方が遙かに良いものだ。

 現在職場のチームは明るい雰囲気の中で仕事が出来ているのだが、その理由の一つは何でも言える雰囲気を皆で支えていることだと思う。

 報告・連絡・相談の「ホウ・レン・ソウ」は仕事の基本だけれど、それは部下から上司への心構えだけではなくて、上司から部下への心構えでもある。

 一人一人が自分の役回りを自覚しつつ、コミュニケーションを良好にする努力が欠かせない。

 「注文の外」という言葉がある。何か頼まれごとをしたとき(注文をされたとき)にその真意を深く掘り下げて、(相手がそういう頼み事をしてきたということは、こういうことがしたいのだろう)と考えて、言われた事以上のことで返すと良い、ということだ。

 気遣いをどれだけし合うのかということなのだろう。

 「言われた事はします」「言われてない事はしない」という軍隊的な指示命令系統に徹するという生き方もあるが、世の中を潤いに満ちた社会にするには、時と場合を考えて「注文の外」を考えて実行する事が大事なのではないかな。

    *   *   *   * 

 しかしカラオケボックス内でのあの姿は、監視カメラに撮られていたはず。大丈夫か~ 
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物流と安定ということ

2005-10-27 23:51:06 | Weblog
 今日も晩秋を惜しむような秋晴れの一日。しかし日光の力が一日一日衰えて行くようです。

 さて今日は
■物流と安定ということ の1本です。

【物流と安定ということ】
 今北海道では、十勝産の長芋を台湾に輸出していてこれが大変な人気だという。

 川西農協というところの取り組みが功を奏して、北海道の優良な農産物はブランドとして海外でも人気だという見本のようなものである。


 ところが物流に詳しい知人によると、この十勝で取れた長芋がどうやって台湾まで運ばれるか、という流通経路をたどると面白いという。

 知人によると十勝の長いもの多くはトラックで苫小牧港まで運ばれて、そこからフェリーで仙台港を経由して名古屋港まで運ばれるのだそうだ。

 そして名古屋港からは陸送で神戸港まで運ばれてそこでやっと外国航路で台湾まで運ばれるというのである。

 十勝なら十勝港が一番近いようにも思えるし、運ぶ距離が近ければ運賃も安いような気がするが、そうではないのだそうだ。

 それは、フェリーなどが定期航路で確実に動いているものに載せる方が安いのと、さらには一定の流通業者と舟運業者とが相談をして一定量の積み荷分を安く契約するという事もあるのである。

 だから流通業者は、いつでも船に一定の運搬量をお金を払って確保出来ているので、その分を空で運ばれるよりは値段を下げてでも積み荷を確保したりする事もあるのだという。

 要は安定しない量をそれ専用に運ばせるのは非常に高価になるという事だ。だから安定的な物流ルートに載せるのが一番安くなると言うことが現実で、必ずしも陸送距離にはよらない事が多いのだという。

 さて、外国航路で台湾に運ぶにしてもなぜ神戸港からか、というとこれがまた神戸の業者さんが台湾との販売ルートを開拓したからなのだそうで、神戸に集められた長芋は他の積み荷と共にコンテナを十分に満たして台湾まで運ばれるのである。

 このような商慣習が案外物流ルートを決めている例も多いのだ。

    *   *   *   * 

 そう言えば飛行機の座席だって、大手の旅行業者が一定量を安価に確実に確保するという事は航空業界でも通常行われている事だ。

 飛行機会社にすれば、空で運ぶよりは安くしてでも安定的に収入を得る方が経営的には確実なのは当然だ。

 また旅行業者の方にすれば、飛行機の座席はもちろん、ホテルの部屋だって同じように安く確保しておけば旅行プランを安上がりにする事が出来る。

 世の中はこうして安くても安定していることを求めるということが日常的に行われていて、それゆえそういう商品は正規料金では考えられないほど安く売られているのである。

 もっともそういう商品はあまり選択制がなくて、日が決められていたり行程も決められていて自由度は低いものが多い。

 多少窮屈だが安くて旅行の一定の目的は果たせるということが期待出来るだろう。安い旅行商品はそういう仕入れ値の安さが支えているのである。

    *   *   *   *  

 某スキー場でペンションを経営している知人がいるのだが、つい数年前に「おつきあいしている旅行エージェントが倒産してひどく参りました」とトラブルに見舞われた。

 旅行エージェントには一定の部屋数を安く提供してあって、一冬そこが募集したツアーの客をさんざんもてなして、後で支払ってもらう段になってその会社が倒産したのだという。

 知人の方は一生懸命に仕事をしたのだが、代金はいただけないということになったのである。付き合う相手も安定した大手を選びたいものだ。 

 ものを運ぶということの安定をどう確保するか。普段案外我々が知らない世界がそこにはある。
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二宮翁夜話より~自分への戒めとして

2005-10-26 23:45:04 | Weblog
 天気はよいものの気温がぐんと低くなってきました。そろそろ朝夕はコートが必要な季節でしょうか。

 今日はあまりに書くことがないので、二宮翁夜話から心に残る話をお借りしましょう。
■二宮翁夜話より
■257話 官位にあっては謙譲を尽くせ
■272話 悪習の遷善、渋柿の接ぎ穂

【二宮翁夜話より】
 今日は会合はいろいろあったものの、特筆すべきこともないので、二宮翁夜話(一円融合会刊 現代版報報徳全書(9) 福住正兄原著 佐々井典比古訳注)より心に残る話をお借りします。皆さんは何を感じるでしょうか。

【257話 官位にあっては謙譲を尽くせ】
 翁のことばに、某藩の某氏は、重臣であった当時、私が礼譲と謙遜をすすめたのに耳をかさないで、その後ついに退けられたが、今はひどく困窮して今日をしのげないほどになっている。この人は、その藩が衰廃危難のときにあたって功績があったのに、今はそのように困窮している。

 これは、ほかでもない、登用されていた時に、分限の内で暮らさなかった過ちによるのだ。

 およそ権勢の盛んな官職について、富も自由自在の時こそ、礼譲・謙遜を尽くす。そうして官を退いてから、仮に遊楽・驕奢に暮らそうとも、さしつかえはない。

 それなら一点の非難もなく、人もその官職をねたまないのだ。官位に進んでは艱苦し、退いてから遊楽するのは、昼勤めて夜休息するようなものだが、反対に、官位に進んでは富有にまかせて遊楽・驕奢にふけり、退いてから節倹に努めるのでは、昼間休息して夜艱苦するようなものだ。

 昇進した上遊楽していれば、誰がうらやまずにいようか。だれがねたまずにおこうか。雲助が重荷を負うのは、思う存分酒食をとりたいためだ。遊楽・驕奢をしたいために国の重職にいるとすれば、雲助などの生き方と隔たりはない。

 重職におる者が、雲助のやり方と同じ事をしていて長く安泰を保てるわけがない。退けられたのは当然で、不幸な災難ではないと言えよう。

    ※    ※    ※    ※

 これが江戸末期の尊徳の考えである。今の公務員などに対する考えと余り違いはしないのに驚くばかりである。

 この某氏とは誰のことでもなく、自分自身のことだと思えば身の引き締まる思いである。
 
 「だれがうらやまずにいようか、だれがねたまずにおこうか」というのは厳しい言葉である。世間を恐れ、慎むべきである。


【悪習の遷善、渋柿の接ぎ穂】
 翁のことばに、深く悪習に染まった者を善に移らせるのはなかなかむずかしい。あるいは恵みあるいはさとして、いったんは改めることがあっても、また元の悪習に帰るものだ。

 これは何ともしようがないもので、幾度でも恵んで教えるがよい。悪習の者を善に導くのは、たとえば渋柿の台木に甘柿を接ぎ穂にしたようなものだ。ややともすると、台木の芽の持ち前が発生して、接ぎ穂の善をそこなうようになる。

 だから接ぎ穂をした者は、よく気をつけて、台芽をかきとるように心掛けなければならぬ。もし怠れば、台芽のために接ぎ穂の方が枯れ失せてしまうだろう。 

 私が預かった土地(桜町)に、こういう者が数名おって、この数名のために私は心身を尽くして努力したものだ。そなたたちも、よく心得るがよい。

    ※    ※    ※    ※

 二宮尊徳翁の話は農作業などを題材にしたたとえ話が多く、それだけ聞く側にとっては身近な体験と照らし合わせて理解しやすかったことだろう。

 尊徳翁のコンサルティング手法は「仕法(しほう)」と呼ばれているが、このなかでは「何度でも繰り返し繰り返し行う」ことを大事なことだと考えている。

 気づいたらその場ですぐに伝えること。言ったことが叶わなければ、何度でも言う。それでも駄目だとしても、あきらめずに言い続けるというのである。

 それはこちらが諦めてしまえば、向こうも言われなくなったことに安心するだけで、本当にこちらが果たしたかったことは果たされていないからである。

 「あの時言っただろう?」というのは実は何にもならない、そのときの思いつきに過ぎない。本当にさせたければ何度でも「あれはやったかい?」と聞かなくてはならないのだ。

 すぐに弱気になってしまう自分への戒めとして受け止めたい。なかなかできない自分の弱さを超えるためにも。

    *   *   *   * 

 ロッテが怒濤の4連勝で日本一に!最近テレビを見なくなった私ですが、最後の瞬間はしっかりと見ました。
 野球がどきどきするスポーツだと思ったのは久しぶりでした。おめでとう!


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報徳衰退の理由~実体と虚構

2005-10-25 23:45:21 | Weblog
ついに道北では雪の便りが聞かれました。まだ2,3回は降っては融けるということの繰り返しでしょう。

 初雪の朝の静けさや窓が不思議に明るい風情は雪国ならではの年に一度の感傷でもあります。さて、札幌の初雪はいつかな。

 今日は
■知識人たちの集い
■報徳が今日廃れた理由 の2本です。

【知識人たちの集い】
 ある懇談会に参加したメンバーが集まっての同窓会が開かれた。

 経済界、情報界、学会などの、北海道を代表する各界の若手知識人たちの集まりなので、そうそうたるものである。

 私自身はこの懇談会に参加していなかったので、会場の後ろからときどき拝聴していただけだったのだが、いつか直接お話をしたいものと、機会を伺っていたのだ。

 そしてその絶好の機会が訪れたので参加させてもらったというわけ。なかなか刺激的なお話が聞けましたぞ。

    *   *   *   * 

 会合では産学官の最先端技術の利用に奔走されているAさんと隣り合わせになった。

早速「車にカーナビは着いていますか?」という話になり、「私の車は古いのと、カーナビに頼ると野生の勘が失われるような気がするので、つけていないのです」と答えると苦笑いされた。

「確かに個人の好みによって、カーナビそのものを嫌う人はいるかも知れませんが、こういう技術は確実に世の中を便利にするものなので、嫌うだけではいけませんよ」と諭される。そのとおりだろう。

「カーナビは現在どれくらいの範囲で現在位置を特定出来るようになったのですか?」と訊くと
「そうですね、今で2.5センチと言われていますが、準天頂衛星システムが始まると2センチになると言われているようです」

「準天頂衛星システムとは何ですか?」
「現在我が国で使っているカーナビはアメリカの衛星を使わせてもらっているGPSシステムを使っているのですが、こういう外国の施設に頼るということでは情報の確実性に問題があると言う事で、自前の衛星を打ち上げてより精度の高い情報提供をしようということになっているのです」

 Aさんによるとそれが「準天頂衛星システム」なのだそうで、これだと複数個の衛星が見えないところでは不安定になる現在のシステムの弱点をカバーすることができるのだそうだ。

 こういう優れた技術が陰で我々の回りの便利を支える事になる。

 まだこの衛星は打ち上げられていないのだが、やがて日本をさらなる情報先進国にする事だろう。

    *   *   *   * 

 もう一人は「今週末から海外へ行くのに、100円ショップで使い捨てのつもりで下着を買いました」というBさん。

「100円ショップの品揃えに改めて驚きました。ワンタッチ傘まであるんですよ」
「そういうことに対して、何か自分の野生の勘みたいなものが『何かが間違っている』と教えてくれませんか?」

「分かります。いつかこういう世の中は壊れるのではないかと怖くなります。資本主義もいつかは崩れるのかも知れません」
「私は単純な末世論には与(くみ)しませんが、自分たちの現実感と違う経済にあるという思いを常に持っている必要がありそうですね」
 そんな会話をした。

    *   *   *   * 

 ある意味では自分の理解を超えたところに現実があるのだけれど、自分の理解を超えているという点で我々は「虚構の世界」に生きているような気もする。

 この「虚構の世界にいる自分」を自覚しつつ、実体としての基礎的・基本的な道理が分からなくては現代もこれからも時代も生きてゆけないのではないかとつくづく思った。

 実体が先で虚構が後か、虚構が現実で実体は幻想なのか。その両方に通じていなくてはならないのだろう。

 教育をする事が難しい道理である。
 

【報徳が今日廃れた理由】 
 二宮尊徳は江戸末期に小田原から北関東にかけて活躍した農民救済コンサルタントである。

 この報徳思想は昭和の30年くらいまでは北海道でも各地の報徳社として活動していたが今日は全くと言って良いほど廃れてしまった。

 その理由をつくづく考えていたのだが、上記の「虚構と実体」ということを考えて、やはりその原因は江戸時代と今日とがかけ離れた社会になったということなのだろうと思った。

 基本的に江戸時代はまだ世の中が「食える、食えない」というレベルの実物経済社会であったのだ。だから「十文節約すれば十文分の蓄えが出来、十文使えば十文蓄えが減る」ということに疑いの余地はない大道であったのだ。

 それが今日、食える食えないというレベルの実物経済から出発して、食える事の意味や内容、その多様性に至るまで「食える」という実体から派生した虚構の世界がとても無視出来ないものになってしまっているのだ。

 だからたった一日の株のもうけで一生米が食えるだけの財産を手にする事も可能なような時代にあっては、ちょっとした変化が大きな結果になって跳ね返るという虚構の上に成立していると言える。

 衣食住があるだけからその多様性という虚構もが実体として振る舞うようになったのが現代なのだ。

 そのことをよく踏まえた上で、なお一人の自分になったときには、決して間違いのない「至誠、勤労、分度、推譲」という徳目の正しさを自覚すべきだし、他人にも説き続けなくてはならないのではないか。

 この実体と虚構の差こそが今日の報徳思想衰退の最大の要因ではなかろうか。我々はよく考えなくてはならない。
 

    *   *   *   * 

 最近同僚のS君がおもしろがってネタを良く提供してくれるようになった。

 今日くれたのは朝日新聞の東京版から、昭和45年の記事を見て今日何を思うかというコラムニストの文章。
 
 そこに登場していたのはなんとバラバラに壊された二宮金次郎の銅像の写真であった。

 記事の中の先生のコメントとして「学校を建て替える際に解体屋が壊していったのだけれど、教育委員会には修復する予算がないとのことで、直せない。今日薪を背負う事もないし、本を読みながら歩けば車にひかれるので子供に手本にしろとも言えない」という言葉が紹介されていた。

 昭和45年の日本の一断面のできごとではあるけれど、このころにすでに実体と虚構の乖離が始まっていたと言える証かも知れない。

 虚構に生きる我々がときどき思い出すべき命の原理みたいなところに、様々な宗教や思想のエッセンスがありそうだ。

 我々が虚構に生きているという現実感を持てばなお、宗教や思想の意味が生きてくるに違いない。
 「慎み深くあれ」などというのも、そんなことの一つである。


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観光を支える裏方の苦労

2005-10-24 23:03:22 | Weblog
帰る頃には小雨がぱらつきました。さて、一雨ごとに寒くなる季節の到来です。

 明日の朝は平地でも雪だって

 さて今日は
■観光の会議は面白い の1本です。

【観光の会議は面白い】
 ここのところ二週間に一度のペースで開いている観光関係の会議に今日も出席する。この会議はメンバーの人選も多様で面白いのと、議論が活発なので毎回楽しみなのだ。

 今日の会議の話題は、観光戦略の骨子作成に向けて、集まっている各機関があらかじめ抽出された五つの戦略に沿った課題やポイントについての意見を出して欲しい、と言うところから始まった。

 五つの戦略(案)とは①マーケット別アプローチ戦略、②北海道観光の「魅力の向上・質の向上」、③北海道観光を巡る連携戦略、④観光基盤強化戦略、⑤北海道観光の発進戦略、の五つである。

 事務局としてはこれに対する意見を、今週末までに出して欲しいという集約の仕方を提案した。

 しかし会議は最初から意見交換の嵐で紛糾。これは面白い意見の場になった。

    *   *   *   * 

 まずAさんから「この会議の位置づけがやはり分からない。我々の上には親委員会もあるのだけれど、そこに提出する原案を作成するという事なのですか?」と疑問の声。

 それに同調する声もあって、座長が「私は行動のための素案づくりだと思っています。ここに参加している皆さんが共同でできる共同体で壁を突破する事に意義があるのではないですか」とすかさず沈静化を図る。

 Bさん:「私の机の後ろにもレポートが数十冊はありますよ。そんなものはいくら作っても何の役にも立たない。要は実行しましょうよ、ということでしょう。北海道観光のための株式会社を作ると思ってご覧なさい。そうすると誰が最高経営責任者になるのですか?誰が責任を取るのか?それを決めて、その人の働きをウォッチし続ける事ではないですか?」

 (実行しなければ何も前に進まないのは世の中の道理。さて面白い)

 Cさん:「実際、何かをしようとしても許認可という話になったとたんに、慣れた人や人の繋がりがなくてものすごく苦労する。そういうことを突破するようなことを誰が出来るのか見せて欲しい」

 Dさん:「先ほどの5つの戦略の外に何かあるとすれば、それは『財源』ではないですか。官のお金に何から何まで頼るのではなく、民間のお金が集まってくるような事を夢見ているのですが」

 Eさん「既存の組織で行くのか、新しい組織を作るのかくらいのダイナミックな議論が欲しい。親委員会でも何ででも議論して、私は新しい組織を作って欲しい」

 Fさん「観光団体のこれまでのルールを一度壊さないとダメかも知れません。そこまで戻さないとそんな議論は出来ないのではないですか」

 その辺りで座長が「日本の観光トップランナーとして産・官の連携を通じて具体的な行動に移して行きましょう」と総括。少しは参加者のマインドも向上してきたかな。

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 Bさんから「話題提供しましょう。宿の満足度調査というのをしてみると、全部で8つの項目がある中で、北海道が平均よりも低いのは『夕食』のスコアと『接客サービス』のスコアでした。お客さんの多くがここに不満足なのだ、ということを肝に銘じた上で改善が出来なくてはダメでしょう」

 Gさんの「北海道産の食材を出しているかどうか、と言う事もあるのでは?」に対して、Eさんは「食事などは期待値も高いので、その分ハンデがあるかも」と助け船。

 メンバーの一人からは、「観光地の食に関するパネルディスカッションをしたりして勉強も重ねているのですが、驚くべきは包丁も握れない料理職人もなかにはいたりするが分かりショックでした」とのこと。

 続けて「しかしそれは、人手の問題、安い単価とその必然の外注化、そして料理の半製品化が必要なのだということです。ビニールを破る事が出来れば料理になってしまうという体制でなければ、安い単価ではやれないという裏方の現実があるのでしょう。おまけに『今なら旬の素材の方が安いのに』と思う事があっても、一度パンフレットに載せてしまえば最低半年はその料理を出し続けなくてはならないということもあります」という切実な現実も。

 『安かろう悪かろう』と言うつもりはないが、安い単価を強いられるホテル業界がいかに安価にものを提供しようかと努力すれば、必然的に向かわざるを得ない方向はアウトソーシングなのだろう。

 Cさんは「100室程度のホテル運営でも同様に大変です。2割はどうしても食材会社の半製品に頼る事になるでしょう。また地産地消を訴えても、地域で農産物を入手する事も流通ルートの現状からはなかなか難しいものです。一ホテルががんばっても難しいですね」

 単価が安いという事で、良い循環になかなかなることができずにいる北海道観光の現実がかいま見えた。

 お金を喜んで払ってもらえて、サービスを提供する側も幸せになるような仕掛けは一体何なのだろうか。


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 話は千歳空港へ。

 Eさん「最近は個人旅行者が増えてレンタカー利用が急増しているのですが、新千歳空港のレンタカー案内がこれまたどうしようもなく悪いのです。空港内で宣伝をしては行けないという規制なのかも知れませんが、こういう受け入れ体制は絶対に問題があります」 そして返す刀で「上士幌の北海道遺産になっている旧国鉄の石橋がありますが、これが道路に看板がないと来ている。訊いてみると、どうも国立公園か何かなので規制がかかっているというようなお話でした。地元もその財産を全く大事にしていない」

 Aさん「JR駅だって不便なところは多いですよ。大きなスーツケースを持って急な階段を上っている若い女性を見ていると可哀想になりますよ」

 座長「実はタクシーも外国人が苦手だと思っている。最近はカードを見せ合う事で意思疎通するような工夫が始められて、少しは改善したようですが、外国人の乗車は勘弁して欲しいという風潮がまだあります」

 Cさん「ネイチャーガイドを食べられるようにしてあげて欲しい。年収200万円以下でやっている人が実に多い。それでも彼らはやりたがっていますが、奥さんが給料の安定した正職に就いている人でなければやれないでしょう」

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 そしてDさんから「開発局さんではカーナビのマップコードで案内を始めていると聞きました」という話題が出た。

 私「(そらきた!)開発局ではマップコードによる周遊の実験を進めています。これはデンソーの特許なのですが、最新のカーナビには大抵ついていますし、旅行雑誌などにも見所紹介に9桁の番号が情報提供されています。このマップコードの優れたところは、日本中を30mのメッシュに切って場所を特定できることで、羊蹄山はぐるり360度の回りから見えますが、『この写真の風景はここ!』という紹介が可能なのです」と宣伝。

 続けて「しかしながら、まだまだ若い女性などにはその意味が浸透していなくて、カーナビはついているのにその機能を使っていないケースがほとんどです。つまり観光のためのインフラは整備されてきているのに、それを最終的に利用する人間との間の関係が築かれていないのです。マン・マシン・インターフェイスというやつですね。人間が機械に着いて行けていないのです」

 いかがだろう。素晴らしいインフラも、それをありがたく利用出来なくては宝の持ち腐れになってしまうのだ。

 機械がもっと使いやすくなるのが先か、人間が成長するのが先なのか。

 要はそれを利用する事に多大のメリットを感じて、喜びが身体の中にわき起こるかどうかが問題だろう。

 何の感情もない単なる技術の紹介は、喜怒哀楽を感じる人間にはなかなか浸みて行かないものなのだ。一ひねりする工夫が必要なのだろうな、きっと。

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 ここに至って一応議論は尽くされて、お時間となった次第。

 少しでも具体的な組織や行動につなげなくては、これだけのメンバーが揃った会議がもったいない。

 何か良い儲け話はないものか。志は儲け話によって支えられるのだ。これを報徳的に言えば「経済と道徳の両立」なのである。

 経済と道徳はどちらが上になってもおかしい。車の両輪としてそのバランスが取れてこそなのである。日本人は儲け話を卑しく見る性向があるけれど、それなくしては世の中は回らないという見たくない現実には目をつぶる傾向にある。

 見たくない現実を見よう。真実の種はそこに落ちているものですだ。



 今日もなかなか白熱した議論で面白かった。意見が出る会議は良い。

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ニセコの旅~蘭越・倶知安編

2005-10-23 23:54:21 | Weblog
 秋のニセコの小旅行の二日目です。心配された雨も上がって行楽日和。羊蹄山もはっきり見えました。

 さて今日は
■ニセコへの旅~蘭越・倶知安編 の1本です。

【ニセコへの旅~蘭越・倶知安編】
 義父が喜寿祝旅行の二日目です。

 今回の宿泊場所はログ・ビレッジに宿泊させてくれるユニタスというところ。

 ログキャビンには流し台にバス・トイレ、冷蔵庫、電子レンジ、ちょっとした食器一式などもあって、グループが長期滞在してリゾートを楽しむのならばリーズナブルな宿泊所だ。

 センターハウスには食事どころもあって注文しておけば料理も出してくれる。こういうところに泊まってこの冬は家族でスキーをしたくなりました。この辺りでは道路拡幅工事の真っ最中で、この冬は交通も改善されている事だろう。

 今の道路環境で良しとすればそれまでだが、改善する余地はまだまだいくらでもあるものだし、そのことで地域の利便性は確実に向上するのだ。

 さて、ニセコと言いながらこの宿泊地の住所は倶知安町山田。ニセコの宿泊所は倶知安町にあるものの方が多いのだ。
 地名ブランドはニセコだが、集積は倶知安町…。地域連携が必要なはずだ。

    *   *   *   * 

 本日のメインメニューは家族対抗パークゴルフ大会。会場は蘭越町の開基100年の森公園パークゴルフ場で、ここは18ホールのコースが協力金一人100円で楽しめてしまうという格安のコースである。

 コースはパー66で、ハーフがそれぞれ33ということになっている。

 義父も義母も最近パークゴルフにはまっていて、週末ごとにコースを渡り歩いているらしい。

 道具だってどんどん高価なものを手に入れたくなるようだ。パークゴルフは昔の「プロゴルファー猿(古い!)」のように一本しか使わないので、その一本の性能は良いにこした事はない。

 やはり高い道具は良いらしく、ヘッドが重いほどボールの飛びも良いのだそうだ。他に使い道もない事だろうから、せいぜい良い道具を購入して歩きながら楽しむ生活を続けて欲しいものだ。

 なお2ホール回っての結果は、パー132に対して122で回った私が優勝

 パークゴルフは結構歩くし、勝負事になるので知らず知らずに本気になってしまう。また年寄りと子供と孫の三世代にわたって一緒に楽しむ事も出来る。

 北海道発のレクリエーションが東から本州を南下しつつあるのだが、本州ではまだ芝生が珍しくて、土の広場で行うグラウンドゴルフも多い。

 歩く事が楽しみになるレクリエーションは良い。単目的ではなく一石二鳥をねらうのは生涯学習の真髄の一つである。

 できればそれがお金儲けにも繋がるとなお良いのだが。一石三鳥、四鳥をねらえればさらに良いに違いない。

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 お昼は倶知安町でスープカレーを食べる。

 スープカレーはこれまた北海道発の新メニューだが、現在道内中にお店とメニューが広がっていて、ちょっとしたブームになっている。

 今までのカレーに比べると格段にとろとろしたスープに野菜などがたくさんもられている。

 ここ倶知安のお店で食べたものもこの時期の地域の野菜(お店の方談)がたくさん煮込まれていて美味しいものだ。

 タマネギなんか小ぶりのものが一個丸ごと煮込まれていて、それが柔らかくて実に甘くてジューシー。これが「タマネギの味だー!」と嬉しくなってしまう。


 「北海道発」って結構多いのだが、その事の評価があまり高くないのが残念だ。歴史を深めて「北海道発だからこそメッカ」「北海道発だからあこがれの地」というような付加価値が高まると良いのだけれど。

 生んだだけでは伝統になりはしない。生んだからこそ人に先駆けて変わるべき道筋が分かり、常に先導的な位置にいられるということなのだ。

 自ら変わるべき方向が分からないのならそれまでだ。だからこそ変わらなくては。

 
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ニセコへの旅~中山峠編

2005-10-22 23:46:33 | Weblog
 秋のニセコの小旅行です。この時期のニセコってあまり行った事はないなあ。

 さて今日は
■ニセコへの旅~中山峠 の1本です。

【ニセコへの旅~中山峠】
 義父が喜寿を迎えて、子供らでニセコ一泊旅行を企画した。今日から明日にかけてニセコのペンションへ泊まろうというのだ。

 午前中雨というのがちょっと残念だが義兄のワゴン車に三家族7人で乗り込んでニセコへと向かう。

 白川浄水場から八剣山の下を抜けるトンネルなども初めて通って、知らない間に少しずつ道路環境が改善されている事も知った。

 考えてみるとあまりこの時期に中山峠へ向かう旅をした事は案外なくて、国道230号線の木々がこれほど黄色に染まるものとは知らずにいた。

 最近はシーニックバイウェイや観光振興のことを一生懸命やっているので、外国人を呼び寄せる北海道の美しい風景に関心がことさら強くなったのだが、実は案外北海道の美しい風景などを気にしてはいなかったのだ、という事に改めて気づきもした。

 やはり地域の中で漫然と日々に追われていると正しい評価の目が損なわれてしまうようだ。日常の中に面白さを発見する目と、情報を発信し続けて行くという実践が求められるのではないかな。

 しかし一方で、いくら情報を発信していてもチャンネルが繋がっていないために多くはむなしく虚空に叫んでいるだけになっている情報も多い事だろう。

 情報を正しく、面白く、より多くに対して伝えるためにはしっかりした戦略が必要なのだ。

    *   *   *   * 

 実は植物の種を見ていると、種をどうやってより広範にばらまくかということにものすごく工夫している事が分かる。

 桃やりんごはおいしい果実をつけて食べてもらう事でばらまいてもらおうとしているし、オナモミなどは人や動物にくっついて運んでもらう事を考えている。

 アイヌの人たちが好んで食べたウバユリは徹底的に数で勝負してとにかく多くの種子をばらまく戦略をとっているし、タンポポは風に乗せて遠くまで運んでしまおうと考えた。

 要するに情報も提供する側にとっては種みたいなものなので、戦略的にどうやって運んでもらうか、届けるかということを考える事が必要だ。


 我々役所の作る広報誌などは、リンゴのように美味しさ(=おもしろさ)につられて読まれて広がる事を期待しているのだろうか。あるいは米や麦のように、種(=情報)そのものが美味しいということになるのだろうか。

  オナモミの作戦はホームページのバナー広告みたいなものだろうし、徹底的に数をばらまくような戦略は我々はとれないだろう。

 植物が数億かけて培ってきた進化の歴史に我々が学ぶべき戦略は多い。自分の世界が広いにこした事はないのだ。

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 ニセコへの途中で中山峠に立ち寄って休憩。道の駅休憩所から連絡通路で階段を上がって行くと、昔のアールヌーボ-美術館が今では写真展示館になっている。

 その一角にはシーニックバイウェイ・インフォメーションセンターがあって後志地域の情報を一気に仕入れる事が出来る。

 WAOと記した名札をつけている方がおられたのでお話を聞いたところ、喜茂別の方だという。

 地域のパンフレットや情報はかなり充実しているのだが、位置がかなり奥なので、なかなか来る人は少なそうなのがちょっと残念だ。下の買い物や食事客を上に来てもらえるような工夫はなにかな。


 峠のあげいもは久々で美味しかったのだが、「あげいも」の顔はめ看板っていうのもすごいな。うーむ…

 
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