北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

男子リレーで日本記録!ガンバレ日本

2007-08-31 23:01:18 | Weblog
 涼しくなりました。夜窓を開けて寝ると朝は風邪を引きそうです。


 テレビで世界陸上を見ていたら、100m×4人のリレーで日本記録を更新してくれました。

 今年の世界陸上では日本はまるで力を発揮できていなかったのですが、この快挙にはちょっと熱くなりました。

 だんだん残りの種目も少なくなってきました。日本の選手の調子が総じて思わしくなく、活躍が少ないのは寂しい限りですね。

 明日のリレーもガンバレ日本!
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会員制倉庫型店舗、おそるべし

2007-08-30 23:02:15 | Weblog
 今日も涼しい一日。まだまだ暑さもがんばってぶり返すのでしょうけれど、もう一時のピークは過ぎたような感じです。
 夜が楽になりました。


 今日は神奈川県内で、我が社の土地を有効に使った事例の視察会が行われました。

 多くの土地はマンションやオフィスビルになっているのですが、一つだけ変わっていたのは「costco(コストコ)」という、大規模ショッピングセンターがうちの土地を購入していたことです。

 このコストコは、高品質な優良ブランド商品を低価格で提供する会員制倉庫型店舗ということで、一見すると郊外型ショッピングセンターと同じに見えますが、その安さに対するコンセプトは既存のものとはかなり違っているようです。

 店内でまず驚くのは、だだっ広い店内でのその品物の並べ方。その多くがフォークリフトで運ぶパレット単位で並べられていることです。

    

 お店で担当者がいちいち「マヨネーズがなくなりそう…」などと商品の品数をチェックして足りないものを奥から持ってくるなどというような非効率的なことはしません。
 すべての品が、工場からパレット単位で包装されて運ばれてくるので、店ではそれを陳列棚の上に置いておき、商品が売れて残りが少なくなると、夜や朝のうちに、フォークリフトで棚から下ろして終わり。
 品物の陳列はフォークリフトが使われるので効率的。おまけにフォークリフトが走れるように園路の幅は広く、ゆったりとした感じを与えます。

 陳列する商品の数は約4500種類だそうで、これは大きめのコンビニと同じくらいの品数。つまり売れ筋の商品しか置かないことで商品の回転をよくしています。

 たとえばお醤油で言うと、メーカーの数を選別して、ボトルのタイプも二タイプくらいしかおかないことで、「お醤油が必要ならこの中からお選びください。そのメーカーと量と品質で良ければ低価格でご提供できます」というのがコンセプト。
 「もっと品揃えのある中から選びたい」というお客様にはよそのお店へ行っていただいた方が良いのです、とまで言い切ります。よけいな選択肢はすべて非効率で価格を上げる要素にしかならないと考えています。徹底的な合理主義です。

    ※    ※    ※    ※

 それにしても並べられている商品は一個一個の量が多いのです。液体洗剤は5リットルくらいの容器ですし、肉は大きな固まりです。
「少しだけで良いという人は困りませんか」と訊くと、案内してくれた担当者は「こちらは会員制で入店ができるのですが、会員カードが一枚あると二人の知人を一緒にお連れいただいても良いようになっています。見ていると、買った商品をお連れ様と分けるというようなこともされているようですよ」とのこと。

    ※    ※    ※    ※

 さらに「目玉の一つなんですよ」と教えてくれたのは「吸塵力の落ちないただ一つの…」というフレーズでおなじみのダイ●ンの掃除機。他のお店では安くても5万円台という品が、「よけいな付属物をつけずに安さを追求しました」ということで39,800円で売られていました。これには一緒に行った仲間も「こんなに安いのは見たことがありませんよ」と驚いていました。ふーん、そうなんだ。


 いかにもアメリカ的な量と買い方のような気がしましたが、買い物客は大きなカートに大きな商品をどんどん積んでいます。そういうことに抵抗感のない方も多いようです。

 都会にはこういうお店もはやるのだなあ、と思っていたら、少しずつ地方都市にも進出する計画が進んでいるのだとか。
「札幌にももうすぐ出店しますよ」とのこと。うーむ、これは既存店にとっては驚異かも知れませんが消費者には大歓迎かも。

 札幌の皆さん、「costco(コストコ)」という単語を覚えておいた方が良いようですよ。かなりのインパクトをもたらす予感がします。 
 
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高齢者ビジネスの行方

2007-08-29 23:37:22 | Weblog
 夕べは涼しくて、あまりに快適なので窓を開け放して寝ていたら、朝方寒気がしてきました。
 まずいまずい。急激な天候の変化に体がついて行けなくて風邪を引きそうです。みなさんもお気をつけて。

 
 今夜はある自治体の方と懇親会。その方は自治体の公園担当なのですが、お墓も担当しているとのこと。

「最近はお墓もなかなか手に入らなくて、抽選会にはお年寄りがたくさん来ますよ」とのこと。

「墓園の管理もするのですか?」
「ええ、最近は緑豊かなお墓が増えたのはよいのですが、木を植えるとそれが大きくなったときに根がお墓の下に入って墓を傾けたり倒したりすることがあるんです」

「そういう木の管理はどうするのですか?」
「個人のお墓の敷地の中に植えられたものは個人の財産なので手を入れかねるのですが、見かねた場合はやむを得ず切ることもあります」

「なるほど、緑の墓園も管理が大変ですね」
「はい。そしてこれまでは公園が少ないと言われてきましたが、高齢化が進むといよいよお墓が少ない、といわれる時代になりそうです」

 「団塊世代」という、巨大な世代人口の固まりが動くところには不足があったり、それが過ぎ去ったときには余剰が発生したりするのです。

 社会の変化を捕まえようと思うと、交流人口、定住人口、という人口の外に、緩やかな世代人口の動きを捕らえなくては行けないのですね。
 これからの時代は高齢者ビジネスに花が咲く時代のはずです。 
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変化を恐れない態度

2007-08-28 22:49:39 | Weblog
 今日の夜は耐えられないほど暑かったのですが、夜七時半頃から猛烈な雨が降り、その後は一気に涼しくなりました。
 今夜は久しぶりに涼しく寝られそうです。

 第二次安倍内閣が成立。閣僚には重鎮と呼ばれるような経験豊富な人たちが就任したようです。政権が失いかけた信頼を取り戻して、日本丸を良い方向に導いて欲しいものです。

 それにしても今回の閣僚の選任に当たっては、いわゆる身体検査と呼ばれる、政治と金に関してクリーンであることが条件になったと報じられています。

 政治には金がかかるというのは政界の常識かも知れませんが、もはや世間はそうした政界の常識を許さなくなった時代になったと言えるのかも知れません。

 一度こうした流れができると、これからの政治家はお金にきれいであるという条件をクリアして上で、当選するポリティシャンとしての能力と、社会問題を素早く把握して政策に展開するステイツマンとしての能力を兼ね備えた人しかなれない、ということになるのかもしれません。

 実際、アメリカの地方都市の議員や首長などは無報酬のボランティアで行っているところも多いのです。

 時代が変わるにつれて、さまざまな常識も変わって行くようです。

 変化に立ち向かえる者が勝ち、変化をおそれる者は負ける時代。

 心も体も柔軟に構えるのが良さそうです。

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パレスサイクリング

2007-08-27 23:13:27 | Weblog
 8月も最後の一週間となりました。暑さも少しずつ和らいでいるような印象です。もうピークは過ぎたかなあ。

 昨日の東京巡りからもう一つの話題です。

 麻布十番商店街での見物を終えて、貸し自転車場を借りた場所まで帰る途中で皇居前を通りました。すると、皇居南側の祝田橋付近で自動車通行止めの車止めが出ていました。おまけに車止めの向こう側ではやたら自転車を乗っている人が目立ちます。

  

(おやおや、イベントでもあるのかな)と思って、私も皇居前道路に入って行きました。

 すると麦わら帽子をかぶった関係者らしいおじさんがいたので、なにがあるのかを尋ねてみることに。

  

「これはなにかイベントなんですか?」
「イベントと言われるとそうなんですが、毎週日曜の10時から16時まで欠かさずこの祝田橋から北側の平川門までの間を車を止めて自転車専用の道路にしているんですよ。もう何十年にもなりますよ」

「それは知りませんでしたねえ。でも自転車を持ってくるのはなかなか大変ですよね」
「そういう人のためには無料の貸し自転車もあるんですよ。皇居前の交番で貸し出しをしています」

「へえ、そうなんですか。では皆さんはボランティアでイベントの管理をしているんですか」
「そうなんです。でも本当に大変なのは貸し自転車なんですよ。この自転車は倉庫が埼玉県にあって、毎週そこから自転車を持ってきて、終わるとまた埼玉へ持って行って保管するんです。それが大変ですね」

 家に帰ってきてから調べてみると、このイベントは「パレスサイクリング」というタイトルで続けられていることが分かりました。

  

 見ていると、自分自身の高級な自転車で快走している人もいれば、親子で笑いながら乗っているお父さんと娘さんがいたりして、楽しみ方は人それぞれです。

 しかし快晴の下、皇居前広場の芝と松の緑に囲まれながら車のこない広い道路でのサイクリングは快適でした。

  

  

 こんな皇居などという東京のど真ん中の場所で毎週行われているサイクリングイベントの「パレスサイクリング」。

 案外東京にいる人も知らないのではありませんか。


 パレスサイクリングのご紹介はこちらへどうぞ
 → http://www.cycle-info.bpaj.or.jp/japanese/cycling/ps1.html

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サタデー・ウェイティング・バー 「アヴァンティ」の出店

2007-08-26 23:47:01 | 東京ウォーク
 とにかく週末が晴れれば東京巡り。しかし今日も暑かった~、熱射病の一歩手前まで行きました。ふー

 今日は文京区の春日で自転車を借りてまち巡り。私は東京FM系列で土曜日の夕方5時から放送されている、「サタデー・ウェイティング・バー アヴァンティ」という番組をよく聞くのですが、この放送の中で、ときどき登場するのが麻生十番祭りです。


 これは「アヴァンティ」という架空のウェイティング・バーが麻生十番商店街の近くにあるということから、麻布十番祭りを盛り上げているという設定なのですが、その架空のレストランが実際に麻布十番祭りに出店しているそうなのです。

 そこでせっかく東京にいるのだから是非見たいものだと思って、麻布十番商店街を訪ねてみることにしました。

 六本木ヒルズの坂を下って行くとすぐに、それほど広くはない路地の上が賑やかで、お祭りの雰囲気です。

   

 出店はまさにこれから始まる準備も真っ最中で、それでもお客さんでごった返している状態。出店の時間は3時から9時までなのだとか。暑い日中を避けて涼しい夕方を楽しもうという作戦のようです。

 さて、お目当てのアヴァンティの出店も広場の脇に出ていましたよ。訪れる時間帯が早すぎて、ペンネ・アラビアータなど美味しいイタリア料理にありつけなかったのは残念ですが、次の機会に譲ることにしましょう。

   

   

 ちなみに、後ろのビルまでそれらしく化粧をしてあったのですが、普段からここにレストランがあるわけではなくて、あくまでもこのイベント限りのことだとか。

 過ぎゆく夏を惜しむような、商店街のお祭りです。
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人気の商店街

2007-08-25 21:38:02 | 東京ウォーク
 今日も晴れの一日。気温は34℃と予想されていますが、それほど厳しい暑さには感じられなくなりつつあります。体が慣れちゃったかな。

 暑いけれど今日も都内を巡りましょう。

 今日も三軒茶屋で自転車を借りて、目黒川に出たところで川沿いに下流へ向かって走ります。目黒川の両岸は桜が植えられていて、春はきれいなことでしょう。

 目黒川は都市の中の貴重な風の通り道として有効な空間ですが、この時期水面は入浴剤でも入れたような緑色なのが残念。下水を処理した水で水質浄化している場所もありますが、もっときれいになると良いのにね。

   

   

 目黒川沿いに走って行くと、賀茂真淵のお墓があるという墓地がありました。賀茂真淵といえば江戸時代に国学を起こした偉大な四人の学者の一人(国学の四大人=しうし、と読みます)ですが、ここにお墓があったとは知りませんでした。まさに犬も歩けば棒に当たる、ですね。

   

   

    ※    ※    ※    ※

 今日の商店街は、戸越銀座と武蔵小山商店街。どちらも人手が多くて賑わいあふれる商店街ですが、武蔵小山のご自慢は、東京都内最長の800mのアーケード。これはすごい!

   

   

   


 利用客もマナーを心得ていて、混んだ道は自転車を降りて歩きますよ。しかしどこからこんなに人が来るんだろう。さすがは東京ですね。

 商店街にお祭りが多いのは夏休み最後の週末だからかな。歩いて楽しい商店街でした。
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トマトに砂糖

2007-08-25 08:18:58 | Weblog
 皆さんの夏休みの思い出のメニューはなんでしょうか。

 わたしはこれ、トマトに砂糖をかけた一品。

 子供の時の夏休み、ラジオ体操から帰ってくると、トマトの薄切りに砂糖がかかったのがよく食卓を飾りました。

    

 いまではあまりやらなくなりましたが、あの頃って何でも砂糖をかけたような気がするなあ、それが贅沢だったのかな。

 朝トマトを見ていて昔を思い出し、「版昭和40年の我が家の朝の食卓」を復刻!

 とっても懐かし~い味がしましたよ。
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「集まって住む」ことの幸せ

2007-08-24 23:33:16 | Weblog
 こちらの夏休みもあと一週間。見かける子供達の顔は真っ黒です。


 数年前に大学教員へ転職して関西へ移っていったかつての同僚のA君が上京のついでに訪ねてきてくれました。二人して北海道の地名のついた飲み屋さんに入りました。北海道の地名を見ると、食べ物が美味しそうに感じるのはなぜでしょう。

   

 A君とはもう5年ぶりくらいでしょうか、つもる話をしながら話題はつきませんが、面白い話満載です。

「最近、俺の家の一軒離れたところの3LDKのマンションが売りに出たんだ」とA君。A君は神戸のマンションに住んでいるのです。

「で、親が離れていていろいろ不安もあったから、そこを買わないか、という話をしたら親もその気になってね。結局そこを買って、今は親の引っ越しの最中なんだ」
「へえ、じゃあ親となんとなく近くに住めるようになったんだ。それはいいなあ。でも地域のコミュニティとか地域づきあいってあるのかい?」

「いや、地域づきあいはないなあ。典型的なマンション暮らしだな。でもこうしておくと、子供が成長して、やがて親が亡くなって家が空いたときには大きな家の方を子供に譲って、俺たち夫婦が小さな家に移るというような世代間の移動もできるんじゃないか、と思ってね。」
 近場の家で上手に世代の交代がなされると、地域の年齢構成も安定するかも知れません。

「いいじゃないか」「それがさ…」「え?なんだい」
 なにかありそう。

「女房がさ、『なんだか近所づきあいのある場所に移りたかった』みたいなことを言うんだよ。官舎に入っていたときは、『階段掃除をやらない人がいるから自分がやらなくちゃならない』なんて不満を言っていて、だから近所づきあいのいらないマンションにしたのにな」と苦笑い。

「面白いなあ、年齢や経験を重ねていく中でどういう心境の変化があったんだろう。その辺を聞いておいて欲しいなあ」

 A君との楽しいひとときでした。

    ※    ※    ※    ※

 「人が集まって住む」そのなかに、幸せを見つけるというのはどういうことなんでしょう。

 青い鳥は案外近くにあるのかも知れませんけどね。

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「日本幽囚記」(ゴロヴニン著 岩波文庫)を読む

2007-08-23 22:33:13 | 本の感想
 今朝は早くから一雨降って気温も大きく下がりました。窓を開けて涼やかに寝られたのは久しぶりです。



 アマゾン・ドット・コムの古本で買った「日本幽囚記」(ゴロヴニン著 井上満訳 岩波文庫~現在は絶版)全三巻を一気に読みました。

     

 面白い!近世の日露外交史の一ページとも読めれば、運命にもてあそばれるように日本(北海道)に囚われの身となったロシアのディアナ号艦長ゴロヴニンの冒険譚とも読める。
 また、その代償として逆にロシアに囚われた日本の商人高田屋嘉兵衛の肝の据わった日露の友情譚でもあり、おまけに19世紀初頭の蝦夷地の市民生活の記録でもあるという、実にいろいろな意味を含んだ極めて優れた書物です。

 この物語を理解するには、江戸時代中期の対ロシア外交を概観する必要があります。

 ロシアは18世紀末ころから北太平洋の領土経営のために日本との交易を求めるようになります。それはまだ航海技術が発達していないために、近場で交易ができるように希望したものです。

 そこで1793年にラクスマンを派遣しますが、江戸幕府では長崎に寄港させた上で交易は認めませんでした。

 ロシアでは長崎では遠いので、蝦夷地での交易を希望して1803年にレザノフに政府の訓令をもたせて日本を訪れますが、そのときの対応は十年前のラクスマンのときよりもさらにつっけんどんな対応で、レザノフは頭に来て、武力による政策が必要と思うようになります。

 そこでレザノフは部下のフヴォストフらとともに樺太の襲撃に向かいます。事実としてはどうやら途中でレザノフ自身は考えが変わったらしいのですが、命令はそのままにフヴォストフは文化3(1806)年の夏に樺太を襲撃し、住民を殺害して村を焼き払うという事件が起きます。世にいる「フヴォストフ事件」です。

 このため日本はロシアを意識した北方に目を向けるようになり、近藤重蔵らを国後島まで派遣して、北方の事情を調べるようになりました。
 ちなみに近藤重蔵は、北方の島々と蝦夷地を視察するの旅の途中で蝦夷地を歩くための道をアイヌ人を使って開削します。今の黄金道路の広尾町あたりのビタタヌンケ~ルベシベツの間の山道で、これが北海道の道路開削の嚆矢と言われています。

 このフヴォストフ事件の思いがまださめやらぬ頃に北方の島々の測量のためにやってきたのがこの本の著者のゴロヴニンで、彼と6人の船員が文化8(1811)年に択捉島で日本の守備隊によって捕らえられることになります。
 世に言うゴロヴニン事件です。

 艦長のゴロヴニンが捕らえられた後、彼らのディアナ号には副館長に相当するリコルドが残されますが、彼は絶望の中にもゴロヴニン奪還に向けて活躍を始めます。

 そしてその活動のなかで高田屋嘉兵衛たちがリコルドに捕らえられることになるのです。

 囚われたゴロブニンらは松前島(北海道のこと)の松前に連れて行かれ、一時は脱走を試み三日にわたって北海道の山野をさまよいますが最後には再び捕らえられるというドラマもありました。

 しかしよくよく観察してみると、日本人が彼らに対する応対は一貫して礼儀にかなったもので決してそれまでオランダ人によってヨーロッパに伝えられた未開で野蛮な国というイメージを全く覆すものでした。
 彼らは接触した通詞(通訳)の熊次郎や村上貞助らから日本の文化について様々なことを聞き出し、日本観を改めて行きます。

 さて、逆にロシアに囚われた高田屋嘉兵衛はここで男気を発揮し、ゴロヴニンがまだ松前で生きていることをリコルドに伝え、同時に自分の一身に替えてもこの問題を解決しようと決心します。

 その態度にリコルドもうたれ、全幅の信頼を高田屋嘉兵衛に寄せるようになります。

 嘉兵衛は囚われている最中にロシア語を勉強して意思疎通を図れるようになると、日露の仲介役として活躍し、ついにフヴォストフ事件はロシア政府の知らない、個人の独断であるという公式文書を渡すことで双方の人質を交換するという策に出てこれを日露両国が了承し、函館にてゴロブニンを引き渡すという、この事件のクライマックスを迎えることができたのでした。
 
 この本は、捕らえられたゴロヴニンの手記と、残された艦長代理のリコルドによる補足的手記、ならびに訳者が日本側の公式文書を注としてつけることで、三つの視点でこの事件を俯瞰することができるようになっています。

 下手をすると武力衝突しかねない、緊張した状況の中でも信頼を寄せることで円満な解決を迎える最後のシーンは、よもや小説でもこれほど上手には描けまいと思うほど感動的です。

     ※    ※    ※    ※


 最後の喜びに満ちた別れのシーンでは「タイショウ」と呼ばれた高田屋嘉兵衛の見送りに対してロシア艦の全員が万歳にあたる「ウラー!」を三唱します。
「タイショウ、ウラー!」

 そして嘉兵衛は見送る船の一番高いところに立って拳を突き上げて「ウラー!ディアナ!」と叫ぶのでした。

 これは日露間の信頼と友情の物語でもあるのです。
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