私が高校2年生なるときに父が稚内に転勤になり、両親と弟たちは稚内に引っ越して、私は高校卒業までの2年間、旭川で下宿生活を送ることとなりました。
夏休みには稚内に帰省するということになったのですが、その年の夏に稚内に行ってみると家にトランプのスペードの形をした藁で編んだ団扇がありました。
「どうしたのこれ?」と訊くと母が「浜頓別に旅行に行った時のおみやげだよ」と言います。
まだ天北線のあったころの話で、母は汽車に乗って旅をしてきたというのです。
自分の中では浜頓別という地名や漁業の町というイメージとそのスペードの形の団扇のイメージがどうにも重ならなくて、「浜頓別」と聞けばそれを思い出すという結果的に強烈な印象を残すことになりました。
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そんな子供の頃の思い出の浜頓別町ですが、大人になってから何度も訪ねるようになって、新たなイメージができあがりつつあります。
かつて天北線の駅のあったところは駅がなくなり道の駅やバスターミナルができています。
すぐその横には北海道で2番目に作られた"ラウンドアバウト"というロータリー交差点もできました。
まちの風景が大きく変わりました。
そんな浜頓別町の南町長を表敬訪問して最近の町の話題を伺いました。
南町長の最近の問題意識は「知床の事故を見て、改めて携帯電話の不感地帯が問題だと思いました」と言います。
宗谷地域は人口が少なく集落が点在する散居的な地域になっており、集落感をつなぐ山奥の道路ではどのキャリアも繋がらない不感地帯が残っています。
「やはり電話がつながらないと事故のようないざというときの連絡ができません。実際浜頓別と豊富町を結ぶ道道で事故があったのですが、そのときにもなかなか連絡が付かず、受ける側もどこから発信されているかが掴めないということもしばしばです」
町長としては総務省や携帯キャリアなどに様々な陳情や状況説明を行ってきたのですが、「やはり知床ですね。連絡ができないというのは、現代社会の通信インフラがないということです。人口カバー率が99%と言われても、カバーされていないエリアの住民としてはゼロですから」
効率的な民間事業では非効率な事業はしばしば実施されないという事があります。
行政の対象人数は少なくても、最低限の現代生活は公的にも一定の保証があるべきだと思います。