北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

年末のご挨拶 ~ 今年を振り返れば、読者の皆様にお世話になりました

2024-12-31 21:20:20 | Weblog

 

 関東から次女夫婦と孫が帰省してきました。

 久しぶりに会う孫は口が達者になっていて、それもちょっと関東風の単語を連発するので可笑しくてたまりません。

 ところが婿さんが移動の途中に体調を崩し発熱中。

 病院に行きたくても、コロナかインフルエンザかを判定するのに半日かかるのと、どの医療機関も予約が満タンとのことで、受け入れてもらえません。

 我が家で薬を飲みつつ大事を取って静養に努めています。


 私のほうは年末恒例の年越しそばを打って身内に配り、今年一年の最後のご挨拶をしてきました。

 こんな何気ない日常こそが幸せの極みです。


     ◆


 今年は9月に妹を病で亡くすという悲しい年になりました。

 父は認知症がだんだんに進行中で、母は頭はしっかりしているのですが腰が曲がって体を動かすのが辛くなりつつあります。

 友達と毎年続けていた釣りやアウトドア系の遊びも、仲間が高齢になるとともに次第に参加者が少なくなってきて、ちょっと寂しくなってきました。

 私自身の高齢化とともに、友達も歳を取っているのだと高齢化の波を感じます。


 個人的には一年前の正月に大型特殊の免許を取るなど、多能工になることを目指して生涯学習を続けていますが、まだまだ道半ば。

 次は何にチャレンジしましょうか。

 一方健康面では、何度かひどいめまいに襲われるなど体調管理の難しさを感じつつ、年末になって腰を痛めて、ここへきて難渋しています。

 体のどこかが痛くなる、というのは老いの典型的な症状で、突然にやってくるので防ぎようがありません。

 痛くなった後のケアの仕方を身に着けて乗り切るしかありませんね。

 
 遊びや旅行などに積極的に取り組めるのは60代が最後のチャンスと思って、これからの数年間をより前向きに過ごしていきたいと思います。


     ◆


 相変わらず日常の気づきを中心に書き留めているブログですが、特にコメントはいただかなくても、日々読んでいただいている数はカウントできていますので、それを励みにしています。

 本年もありがとうございました。

 来年も前向きに良い年にいたしましょう。

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大忘年会の再開 ~ ここに人あり

2024-12-28 22:41:58 | Weblog

 

 先日、同年代の友人が主催する異業種交流大忘年会が開催され、久しぶりに参加してきました。

 コロナでしばらく開催が途絶えていたもので、なんと7年ぶりだそうです。そんなにやらなかったかな?

 会場も、以前は狸小路近くのビルの2階にあったホールでしたが、コロナのどさくさで店が閉じられてしまいました。

 そのため今回は会場を平岸の「ダルマホール」に移して開催。前日の暖気で溶けた道路が今度はカチンカチンに凍って滑りやすくて大変でした。


 今回使わせていただいたダルマホールさんは、平岸ハイヤーさんが所有する建物で、まさに平岸ハイヤーさんに隣接した建物の二階です。

 昭和の香り漂うレトロな雰囲気で、今日こういう雰囲気の空間を探すのが難しくなってきた、そんなホール。

 一見して年代物ですが、消防設備や防音など不特定多数の利用に供するための設備はしっかりと整えられていて、札幌市にもホールとして申請済みの施設です。

 またせっかくのホールなので、様々なイベントや興業を行うことにも熱心に取り組まれていて、平岸と言う住宅街に彩を添えています。

 札幌に長年住んでいますが、こういう形で企業が地域貢献をしていることを初めて知りました。自分のまちのことも知らないものです。


      ◆


 会場には予定よりも早くにつきましたが、今日のこの日を待ちわびた友人が既に多く訪れていて、楽しい時間が始まりました。

 以前あった時は会社勤めだった方が、今や独立していろいろな事業を展開していたり、前回は大学生だった方が立派に就職して官庁の友人の部下になっていたりして、時の流れを感じます。

 行く前は、(懐かしい顔が見られたら早めに帰ろうかな)などと考えていたのですが、知り合いに次々に会ったり、知り合いに紹介された人と話し込んだりしていたら、あっという間に3時間が経過していました。

 人に会うことは、本を読むのと同じように、自分の知らない人生を教えてもらえる機会なので、仇おろそかにはできません。

 では自分自身は、前回会った時から何がどれくらい変わっているのか、ということも感じざるを得ない時間でもあります。

 ここに人あり。

 楽しい時間でした。

 幹事役の皆さんに感謝です。

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そういう商売をするんだな ~ 老親の下に届いた健康食品の顛末

2024-12-27 22:45:23 | Weblog

 

 恒例の母親から「ちょっと…、手伝ってほしいんだけど」と電話が来ました。

 どうしたのかと思ったら、ある有名な健康食品会社から商品が家に届いたのだそう。

「それが、頼んだ覚えがないんだよ。それで送り先に電話で聞いてみたら、『お申し込みをいただいています。やり取りの録音もありますよ』って言うんだよ」と母。

 どうやら母が不在の時に、その食品会社から来た電話を父がとった模様で、あいまいに「はい、はい」と言った返事を良いように受け取って契約が了承されたものとして商品を送ってきたようなのです。

 母が会社に電話をしたところ、「録音がある」と言っていたものの、後から来た電話で「クーリングオフが可能ですから30日までに送り返していただければ結構です」という対応になったのだそう。

 ところが送り返すのでもその際に契約解除通知なるものを書いて同封しなくてはならないようで、「その書き方がよくわからない」というのが母の困りごとでした。

 実家を訪ねて送り付けてきた袋の中を見ると、一応形式に従って「クーリングオフをする場合」という紙が一枚入っていました。

 しかしそれは"ハガキで契約解除通知を行う場合"となっていて、封筒で商品を一緒に返す時にどうするかについてはちょっと迷うような書きぶりになっています。

 改めて私のほうからクーリングオフ担当の電話番号に電話をして、書き方について問い合わせました。

 すると「お客様のお申し出は、先日女性の方からお電話を頂いていて、クーリングオフの連絡を頂いていますので、あとは商品をお返しいただければ結構です」と言いながらも、「契約解除通知は同封してほしい」と言うので、やはり一筆書いて同封することになりました。

 何をどのように書くかを考えて母にそれを書かせて、封筒に入れたものを近くのコンビニにもっていって着払いで送り返しました。

 
 一応は事なきを得たのですが、認知症の年寄りに一方的に電話をして、強く断られなかったのを良いことに商品を送り付けるというビジネスがまかり通っていることに驚きました。

 周りに判断力のある身内がいれば、必要な手続きを行って契約の解除もできますが、そうでないような方が一人暮らしともなると、かなりの確率で言われるままに商品が届いて代金を支払っているところもあるのではないかと恐ろしくなりました。

 
 朝のラジオ番組でもしょっちゅうCMが流れるような有名健康食品会社で、もとより商品の購買者は年寄りが多いんだろうな、とうっすら予想は慕いましたが、(こういう商売なんだな)と裏が見えた感じ。

 法律的にはクーリングオフにも対応するし、その手続きの説明もちゃんと書かれていてルールから外れたことは一切ありません。

 しかし、その手続きのために時間と手間を取られ苦労をすることへの保証は全くなし。

 これから社会に判断力のないお年寄りが増えることになると、送り手側がルールさえ守っていればよい、と言う以上の消費者保護の体制が必要になりそうな気がします。

 不必要に会社を貶めるつもりはありませんが、事実だけを書き連ねました。

 恒例の親をお持ちの同世代の皆さんも、ご注意を。

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会社は今日が仕事納め ~ 穏やかな年末年始でありますように

2024-12-26 22:27:39 | Weblog

 

 私の会社は今日が仕事納め。

 昼前に机の周りを掃除して、昼からは職員約40人が会議室に集合して折詰のお弁当を食べます。

 ビールやお酒も出されますが、以前ならお弁当に加えてオードブルがわんさか出されて賑やかな宴になったものです。

 しかしトップや幹事さんの意向なのか、オードブルもほどほどになり、お酒も今や飲まない人のほうが多いくらいです。

 本州からの単身赴任者も多く、ほどほどの時間で皆挨拶とともに席を立ってゆきます。

 昼前から「JALがサイバー攻撃を受けたらしい」と周りがざわつき始めました。

 夕方に飛行機で帰省するという部長の一人に「え?飛行機大丈夫?」と訊くと「一応ANAなので…」とのこと。

 かつて単身赴任をしていた時は、(天気は大丈夫か?飛行機は飛ぶんだろうなあ…)と年末年始の移動にやきもきしたものです。

 そういう苦労をした時代も遠い昔の夢のようです。


      ◆


 最近は国関係の官庁でも、職場結婚している夫婦が離れずに暮らせるような職場に配置するところが出てきているのだそう。

 私が現役だったころなどは逆に、敢えて遠く離れた職場に配置されたような記憶があります。

 そんなことを平気でしていた結果が少子化に繋がったのかもしれないという反省があったのでしょうか。

 考えてみればずいぶん残酷な考え方ですが、それでも「それが当たり前」の価値観でいる分には仕方がない、と思えたんですよね。

 少子化って、そういう今までの価値観への若者の反乱なのでしょうか。


      ◆

 
 昨日今日と少し雪が降って、雪かきと公園までの雪捨てに汗をかきました。

 年末年始には次女も札幌へ孫を連れて帰ってくるというので今から楽しみにしています。

 天気が穏やかに過ぎることを祈るばかりです。

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【勘違い陳謝】 内田樹著「だからあれほど言ったのに」を読む

2024-12-25 23:24:29 | 本の感想

 

【冒頭の陳謝】

 お恥ずかしいことに、掛川で榛村市長さんから教えていただいた内山節さんと内田樹さんを勘違いした文章をアップしてしまいました。

 コメントでご指摘を頂いて、誤った部分を修正したうえで再掲します。改めてお詫び申し上げますとともに、ご指摘くださった読者の方に感謝申し上げます。

 大変失礼いたしました。

 

ーーーーーー【以下、勘違い部分を書き改めてうえで再掲します】

 

 内田樹(うちだ・たつる)」さんの本を読みました。

 今年の春に刊行されたエッセイ集「だからあれほど言ったのに」(マガジンハウス新書)です。

 さらりと読み流せるエッセイの数々で、様々な媒体で書いたものを集めて編集した一冊とのことで、深い知性と教養が味わえました。

 
      ◆


 今の内田さんの肩書をWikipediaで探ると、「日本のフランス文学者、武道家(合気道凱風館館長。合気道七段、居合道三段、杖道三段)、翻訳家、思想家、エッセイスト、元学生運動家、神戸女学院大学名誉教授」となっています。

 Wikipediaでは最後に「立憲民主党パートナー」とも書かれていて、まあ政治を語るときには今の国のありようや政治体制、与党体制にちょっと辛めの批評が登場します。

 
 それはそれとしても、フランス文学者や思想家、武道家としての立場から書かれたエッセイでは知らない知識からのアプローチに「へえ~」と感心したり、「まさに!」と激しく同意する気持ちに膝を打ったりして、自分の心の中を掻き乱される思いがする語りでした。

 あとがきにはご自身で「読み返してみると…、中心的なテーマは『日本の未来を担う人たち』をどうやって支援するか、ということに尽くされているように思った」とあり、さらに「とくに子どもたちを『決して傷つけずに"無垢な大人"に育て上げる』ということが今の日本人にとって最優先の課題ではないかと思います」と書かれています。

 
 実際のエッセイにも、「学校は格付けするところではない」というタイトルの文章に、「今の学校は子どもたちを成績で"格付け"する評価機関になっているが…、学校は子どもたちの成熟を支援する場だと思う」と書かれています。

 続いて、「昔の日本では子供たちは七歳まで「聖なるもの」として扱うという決まりがあった」とか「子どもは七歳までは異界とつながる聖なる存在として遇された」と書かれています。

 なので、「この世ならざるもの」とこの世を橋渡しするものには童名をつけるという習慣があるのだ、として、「酒呑童子」や「牛飼いも童名を名乗った」という例や「船に〇〇丸とつけるのは海洋や河川という野生のエネルギーと人間世界の間に立つものだから"子ども枠"に分類されるのだ」などと教えてくれます。

 そういう視点でものを考えたことがなかったので目からウロコでした。


 子どもたちがまだ半分はこの世ではない異界の存在で、だからゆっくりとこちらの世界へと導かなくてはならない壊れやすく傷つきやすいものなのだ、という感覚は、日本人としてはどこか分かるような気がしますが、今日の職業教育者の教育理論にはそういう視点はないように思えます。

 
      ◆


 内田さんは2011年に神戸に自宅を兼ねた凱風館という道場を建てられました。

 そこでは武道だけではなく様々な伝統芸能なども演じられていて、「貸しホールではなく一種のコミュニティなのだ」と考えています。

 そして道場を建てたのは、「公共の体育館には神棚がないから」であり、ここで教えていることは「場への敬意」であったり、「超越的なものへの敬意」なのだと。

 そして「おのれの理解も共感も絶したようなものには適切な距離を取ること」という作法を身に着けることが武道を学ぶ勘所なのだと。

 
      ◆


 どこか、榛村さんと会話をしているときのように圧倒されるほど感心した次第。

 こういうことを教えてくれる大人がなかなかいないんですよね。

 年末年始のお暇な時にさらっと読むにはちょうど良いかもしれません。
  

 

  

 

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ビンゴゲームも時代とともに

2024-12-24 22:26:06 | Weblog

 

 先日市内のホテルを利用して、会社の忘年会がありました。

 参加者は30名ほどでしたが、直前にインフルエンザを発症して欠席したのが二人。

 巷ではインフルエンザがかなり流行っているようで、欠席した一人も「予防注射を打っていたんですがね」という始末。

 発症から五日間は出社できないことから、無念の忘年会欠席となりました。


     ◆


 今年の忘年会は幹事の発案で、ビンゴ大会の余興がありました。

 優勝は高額のQUOカードで、参加者全員目の色が変わりました。

 ビンゴ大会というと、紙製で使い捨てのカードが配られて出た数字があればその数字の部分を折り込んで穴をあけて一列になるのを競う、というのが定番です。

 ところが今回配られたのは、普段の4倍の大きさで樹脂製の表示板でした。

 数字のところには左右にスライドする赤いフィルムがあって、出た数字があればそこのフィルムをスライドすることで数字が赤く見えます。

 赤が縦横斜めに揃えば「ビンゴ!」です。

 普段よりも見やすくて、使い捨てではないのでエコだともいえるでしょう。

 ビンゴ大会にもSDGsの波が押し寄せてきたようで、ホテル側にはこういう気遣いが必要な時代になったかと面白く眺めていました。

 なお、数字を選ぶ装置は数多くの球から一個を選ぶアナログな装置ではなく、デジタル表示の小さなマシンでした。

 時代はかわりますなあ。
    

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そうならないためなんだが…

2024-12-23 22:43:22 | 健康

 

 今思い返すと、私の高校では体育の時間に柔道も剣道もやりました。

 一応進学校だったのですが、今でも高校生は武道なんて習うのでしょうか。

 それでその柔道の授業ですが、当然まずは初歩的な受け身の練習から入ります。

 ところが前転からの受け身の練習中に友人のY君が「いてー」と顔をしかめて離脱。

 一発目の受け身で骨折の憂き目に遭いました。

 後に先生から「骨折しないようにと受け身の練習をするんだがなあ」と言われて生徒たちは大爆笑したのですが、Y君はその後立派なお医者さんになりました。


     ◆
 

 さて、もう10日も前のことですが、私こと腰を痛めてしまいました。

 普段朝起きた時にスクワットの運動をしているのですが、その最中に腰の右後ろにピリッとした痛みが出ました。

 そういうことにならないための準備運動だったのですが、かつてY君も感じたであろう恥ずかしさと悔しさがよみがえりました。

 早々に家にあった経皮鎮痛テープを貼って療養に努めていたのですが、治りかけたところで早朝に除雪があるためにまた症状が悪化するという悪循環が続いています。

 病院に行くか整骨院に行くか悩んでいるところですが、これがまだ続くようだと真剣に考えなくてはなりません。

 そうこうするうちに、除雪の頻度が上がる季節になりました。

 完治しないうちに除雪の出動が増えるといつまでも治らないのじゃないかと不安です。

 歳を取ると体の傷みが突然やってきて、日常生活が脅かされるのですね。

 腰と膝を傷めると、様々な運動系の遊びにも支障をきたします。

 年齢相応の衰えを受け入れるのは仕方がないところですが、同時にまずは静養に努めて早く治したいところです。

 イテテテ…

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「最高の介護」(田口真子著)を読む ~ 無理をしないで、施設利用を恥じないで

2024-12-22 23:45:06 | 介護の世界

 

 実際のところ親の介護について考え始めると、まず何をすればよいのか、ということがなかなかわかりません。

 なにか本を読めばよいのだろうけれど、それだってどんな本を読んだらよいかもわからない。

 誰か知っている人に聞くというてもありそうですが、では誰に聞いたら良いか。

 まあ何かを始めようと思うと、短時間でものになるということはないもので、①本を読む、②人に聞く、③実際にやってみる、④腹落ちするところまで悩む…と言う形で時間をかけてアプローチするしかないのかな、と思います。

 そんななか、読みやすくて介護の真理に近いところに近づけてくれるような本に会いました。

 タイトルは「最高の介護」で、副題に「介護のお医者さんが教える満点介護」とあります。

 満点の介護なんてあるかな、と思いますが、さまざまな不安や悩みの霧を少しは晴らしてくれそうです。

 著者の田口真子さんは、現役のお医者さんとしていくつもの病院に勤務したのち、介護老人保健施設(老健)の施設長となり介護に携わる日々を過ごしています。

 その経験と日常を「介護のお医者さん20年目!介護とうまくつきあっていこう」というブログに書き連ね、それが高齢者・介護ブログ村ランキングで一位に輝く人気になりました。

 そうした積み重ねがこの本のベースになっています。


      ◆


  今介護の世界では、要介護者にはできるだけ在宅で過ごしてもらうことを最優先に考えた制度になっています。

 それは施設介護が増えると介護保険からの支出が増大して、支える側の負担が大きくなるから。

 なので、できるだけ施設を利用せずに在宅で過ごしてもらいたいというのが本音なのですが、お年寄りにしてもやはり住み慣れた家で慣れた暮らしを営めればそれが一番です。

 だから「できないことを支援することで家で過ごせるように」ということが要介護者と介護者の双方にとっても助かることです。

 しかしこの本の中で著者の田口さんが実際に介護をしようとしている人、している人に伝えたいことは、「介護をしているあなたの人生を優先してほしい。そして在宅介護に困ったら、施設に入れることに罪悪感を持たないでほしい、入所をためらわないでほしい」ということです。

 できるだけ施設を使わない社会であってほしいと思う反面、もうそうせざるを得ないときは介護をしている方には無理をせず施設介護に迷わないで、ということ。

 そのうえで著者は、「老健(介護老人保健施設)を上手に使うとよいですよ」とアドバイスをしています。

 短期間の宿泊もできるし、柔軟な使い勝手ができるので選択肢から外さないほうが良いですよ、というのです。

 
 まあ私も父の認知症に伴ってケアマネさんと打ち合わせたときに、「例えばですが、父が将来施設介護が必要になったとしたときに、老健と言う選択肢はありますか?」と訊いてみましたが答えは「う~ん、手近なところはたいがい満室ですからねえ。次にいつ空くかも予定が立たない感じでしょうかね」というものでした。

 大都会ならそうではないのかもしれませんが、両親の住む地域では老健が潤沢にあるということではなさそうです。

 ただ「制度としての老健」は知っておくほうが良いとは思います。

 
      ◆


 この本では、細かい介護のスキルや技術というよりも、介護をする方にとっての心構えとして「無理をしないでね」ということをいくつもの事例を示しながら丁寧に教えてくれます。

 ただ介護の実際の姿は千差万別で教科書通りということにはならないでしょう。

 でも「無理しない」という一点で、無理になれば人にも施設にも頼ることを恥じないでよい、ということは知っておいてよいと思います。

 介護をする側が潰れてしまって、幸せになることはないのですから。

 

 

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0(ゼロ)円物件

2024-12-20 21:43:25 | Weblog

 

 友人と親御さんの世話の話になって、話題は「空いた家をどうしたか」、ということになりました。

 その友人は高齢のお母さんが施設に入所して、お母さんの持ち家が空き家になりました。

 その家というのが道北の地方都市で、まともにいけば市場の流通には乗らない物件です。

「家を壊して更地にするのも200万円くらいかかるというので、ちょっとビビりました」と彼は言います。

「それでその家はけっきょくどうしたんですか?」
「はい、"0円(ぜろえん)物件"として行政に登録して『使いたい』という人が現れるのを待ちました。結局、その町で地域協力隊として活動している人が欲しがったのでタダでお譲りしました」

 0円物件とは、土地や建物を無償で譲渡している物件のことです。

 家と土地を相続すると、固定資産税や都市計画税などの税金がかかるほか、維持管理にもお金がかかりますし、さらにはたまには家を見に行ったり庭の雑草の手入れなどもあると、わざわざそこまで行く必要が生じる手間がかかります。

 もしうまく条件が合ってほしいという人とマッチングが成立すれば、こちらはたとえ0円でも、タダで物件を手放す方がお金や手間の負担がかかることを回避できるというわけです。

 もちろん譲り受けた側には、格安で土地と家が手に入りますし、多少のリフォームや設備改修にお金をかけたとしてもので超お得です。

 自治体によっては空き家回避のために、補助金や助成金を支給しているとこすらあります。

 ゼロ円物件も、立地や環境などが好条件ならば取得した後に住むだけではなく、賃貸物件やオフィス活用、宿泊施設などとして利益を生むような資源になるかもしれません。

 地方の人口減少は深刻ですが、譲りたい側と欲しい側とのマッチングがうまく成立して、双方がハッピーになると良いですね。

 高齢の親の家・土地・資産は今後大きな社会問題になりそうです。

 
  

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「金銭的刺激を与える政策」の是非について神野先生が語る

2024-12-19 23:41:14 | Weblog

 

 朝のNHKラジオの情報番組で、「金銭的な刺激を与える政策」についてのお話がありました。

 話題提供者は東京大学名誉教授の神野直彦先生です。

「金銭的な刺激を与える政策」とは、ノルマを達成したら金銭的な褒賞を与える政策、というわけですが、製作に適用させた場合の結果はどうなのか。

 
 最近の日本の政策に多いのが、政策目的を実現するためにお金を配ったり減税を行う例が多い。

 例えば、賃金を上げるために企業に補助金を出したり減税をしたりするといったことだ。

 つまり子供たちに勉強をさせるためにお小遣いをあげるなど、金銭的なメリットをちらつかせる政策を「金銭的な刺激を与える政策」と呼んでいる。

 神野先生はこうした政策は、「損か得か」「儲かるかもうからないか」という金銭的な動機で行動するようになってしまう点で問題。

 子供に、勉強をしたらお小遣いをあげる、というのは、勉強とはお小遣いをもらうためにすることだと考えるようになってしまう。

 まだ知らないことを学ぶ喜び、といった、本来の勉強の動機が失われてしまう。

 その結果、学ぶということに却って興味を失ってしまったりする。

 このように「金銭的な刺激を与える政策」を用いると、本来の目的と逆な効果になってしまう危険性をはらんでいる。

 具体的な事例としては、イスラエルの託児所の罰金制度の事例が有名なのだそうだ。

 イスラエルの託児所で、親たちが子供の迎えに来る時間に遅刻が多いことに困って、遅れると罰金を取る制度を設けた。

 ところがこのことによって遅刻が二倍に増加してしまいました。

 慌てて遅刻による罰金制度をやめたのですが、遅刻の度合いは減ることなく以前の二倍のまま推移したという。

 これは罰金という金銭的な刺激を与えたことで、遅刻で周りに迷惑をかけるべきではない、という思いやりの動機で判断するのではなく、損か得かという価値観で判断するようになってしまったためだ。

 まるで罰金をサービス購入の料金のように考えて、"兼ねさえ払えば遅刻をしても良い"と考えてしまったのだ。

 しかも予定より長く保護してもらい、「ベビーシッターを雇うよりも安上がりだ」といった損得勘定で判断してしまうようになった。

 
      ◆


 では日本の政策ではどうか。

 金銭的な刺激を与える政策としては、少子化対策や大学の研究奨励対策に見られます。

 少子化対策で、結婚したり子供を産んだことに対して金銭的な刺激を与える政策が取られています。

 これにより若者に、「結婚しなくても良い」「子供を産まなくても良い」と考える割合が増えました。

 本来は「人は愛情をもって結婚して家庭を持つべきである」「子供を産み愛情をもって育てるべき」という価値観が先にあるべきだが、金銭的な動機に関心が集まり逆効果になったのだろう。

 大学の研究でも、経済的効果を生み出すための国際的な研究に金銭的な刺激政策がある。

 即効的な研究が求められている。

 本来大学における、心理を探求するという動機が薄れてしまっているのではないか。


 さらにあらゆる局面で、金銭的な動機付が蔓延すると本来の動機や目的が失われ、それが元に戻らなくなるコットを危惧する。

 「今だけ、金だけ、自分だけ」というマインドが定着してしまったのではないか。

 今の103万円の議論でも、手取り収入がどう変わるのかだけが注目されている。

 本来は国民全体の暮らしを支えあってゆくのに、税を増やすのが良いのか、給付を増やすのが良いのかを議論すべきですが、租税とはどう負担すべきかの議論は聞かれません。

 自分だけの目先の利益を誘導するような議論が横行しています。 

 そして暮らしが厳しいという国民を救済するのであれば、生活面を補助すべきだが、実際は物価対策として輸入している石油などに補助金を出している。

 元売り価格を下げるためだが、本来はデフレ脱却政策をインフレ対策に振り替えなくてはならない。

 目先の利益を優先するために国債を発行するようであれば、結果としてインフレを誘発してしまう。

 
 根本を変えるためには、「金銭的な刺激を与える政策」ではなく、愛や倫理が息づいた社会を求めるべきです。

 しかし結局は、望ましい社会を実現するために誤った政策を取るべきではないということを学び、どのような社会を求めるのかについて社会全体が議論を尽くすべきなのです。


       ◆


 神野先生のお話にはうなづけることばかりでした。

 為政者も社会的リーダーも、最近は思想や哲学や理念を語れなくなり、経済やお金の話に終始しているように思いませんか。

 金銭だけでは社会は良くならないのです。  

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