掛川にいた時にずいぶん勉強した、二宮尊徳の教えである「報徳思想」。
尊徳先生は実にいろいろなことを述べていて、弟子たちがそれを本にまとめていますが、仕えた殿様に「あなたの教えは『徳をもって徳に報いる』という孔子の教えそのものであるな」と褒められたことにいたく感動して、自らの教えを「報徳思想」と呼ぶようになりました。
敢えてその要点を表す言葉が、「至誠・勤労・分度・推譲」ということになります。
至誠=誠実に
勤労=よく働いて
分度=分をわきまえ
推譲=他に譲れ
これが報徳の教えのポイントで、個人としてそういう個人を目指せば地域社会は安定して繁栄するというのが彼の哲学でした。
二宮尊徳が生きた江戸時代末期は、時代背景として飢饉がたびたび発生して国民は食うに困る時代であり、また彼が力を尽くした北関東地域は、地方行政などと言うモノの力が弱いために、地域住民が協力し合わないといけないにもかかわらず、怠惰や博打、喧嘩などが絶えないようなところばかりでした。
そこへ赴いて彼は住民の心をつかみ、真面目に精出して働くものを顕彰し、不真面目で怠惰なものを叱咤激励することで皆が一生懸命に生きる地域づくりを次々と成し遂げていきました。
そこには優れたリーダー像や、神仏を取り入れた日本人向きのマネジメント理論、地域が農業で発展する中長期計画といったことがうかがえます。
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さて、しかしながら明治時代から昭和も戦後くらいまでは地域づくりの好事例として各地で採用された報徳思想はその後実践的ノウハウから哲学思想へと変貌していきました。
私はその変化の背景に、地方自治の充実と農業国から工業国への国あり方の変革があったと思っています。
地方自治については、それが充実して住民自らが頑張らなくてはいけないことを行政が肩代わりしてくれるようになり、非常に楽ちんな社会に変わりました。
報徳を語り合うために皆で公民館に集まって顔を突き合わせて報徳訓を唱えあい、明日もまた頑張ろうと誓い合うような地域の付き合いなど必要ありません。問題や注文があれば役場へ掛け合えば大抵のことはできるようになりました。
地域経済は、真面目に精出して農作業をすれば確実に収量は上がるという農業中心経済から、工業そして商業、サービス業と言う、当たりはずれがあってより大きなお金が動くような社会になりました。
そのためただただ真面目にやれば必ずうまくいく時代でもなくなり、才覚とチャンスと資本が必要な時代に変わってしまいました。
もう報徳の時代ではないのでしょうか。
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先日、録画してあったNHKスペシャル「縮小ニッポンの衝撃」をようやく見終わりました。
地域は人口減少で、行政は財政難により、地域での行政サービスや担い手がどんどん減る社会になる、という近未来予測の番組ですが、ここへきて、行政もなんでも引き受けなくてはいけない立場からの脱却を目指し、また住民もなんでも行政に頼るのではなく自分たちでやれることはやろう、という機運が高まっているようです。
行政が今までの役割を手放して住民参加の充実へと移行していくのであれば、その哲学的バックグラウンドとして、報徳思想を再びよみがえらせる必要があるのではないか、と大いに感じ入りました。
一人一人が自らを律して、自分の持っているものを「譲る・差し出す」という推譲の精神を発揮することなしには、人口減少地域を活性化することは難しい。逆にその精神が土壌としてあれば、よりスムースなソフトランディングができるのではないか。
そう感じた番組の感想。さて、報徳思想をバックグラウンドにできるような地域のリーダーや首長は登場するでしょうか。
勘の良い人は勉強を始めておいた方が良いと思います。