北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

掛川でスローライフ講演会

2013-11-30 23:45:45 | Weblog

 午前の飛行機で静岡空港へ向かいました。

 新千歳空港から静岡空港へは、東京上空からまっすぐに静岡へ向かうのかと思いきや、日本海方面から佐渡島を右に見ながら上越市上空から左へ曲がり、妙高山、北アルプス、松本市などを眺めながら太平洋へと向かうのでした。

 天気が良かったこともあって、標高の高いところがうっすらと雪化粧をしていてとてもきれいでした。

 どれがどの山かというのは、松本にいた時に覚えましたし実際に燕岳~大天井~槍ヶ岳という登山を経験した私には非常に素晴らしい眺めでした。この季節の空路は大きな観光ポテンシャルがあると思います。

 
 静岡空港は、掛川にいた際に建設中の工事現場を何度か視察しましたが、今や立派に完成して多くの観光客を集めることでしょう。

 空港の滑走路正面には、山肌に「茶」という文字に植樹された粟ヶ岳が見えて、懐かしい掛川の風景と茶処のPRにもなっているようです。


    ◆      


 この日はちょうど、消費生活展というイベントが掛川市内で行われており、ここで掛川で蕎麦打ちを始めた掛川蕎麦研究会が振る舞いをしているとのことで、こちらに立ち寄ってメンバーと久々に会えました。

「汁にしても蕎麦打ちにしても、200人前くらいなら当たり前に準備できるようになりました」ということなので、とても頼もしくなりました。

 
    ◆   


 講演会はこれまた懐かしい、二宮尊徳ゆかりの大日本報徳者の大講堂。日本で最古の木造大講堂で、数年前に耐震工事も終えて立派によみがえりました。

 講堂にいると、話を始める前から旧知の知人の皆さんが寄ってきて声をかけてくださいます。よくもまあ覚えていてくださっていることは嬉しいですね。

 私の話は、「生涯学習とスローライフで変わった私」ということにして、掛川の生涯学習と特にそれを市政の柱として唱え続けた榛村さんにどれだけ感化されたか、から始めました。

 スローライフというのは新しくてキャッチーなネーミングでしたが、それが世間の耳目を引くことで「初めて行政としてスローライフのまちづくりを唱えたのは掛川」ということになって、まちの格を高めました。

 行政には市民に幸福と満足を与えることが目的ですが、その前提として、名のあるマチに住んでいるという誇りも生み出すこともあるということ。

 その結果、地域の産物にブランド感が増すということもあるでしょう。その恩恵を今の掛川市の皆さんも受けているということです。

 行政には、市民の健康や環境保全、産業、教育などを進行する活動を実施していますが、多くはともすると毎年のルーチンになってしまって、大切さが薄れがちになります。

 それらを「スローな生き方」という再提示をすることで、それぞれの活動が新しく見えるという効果も期待できるでしょう。

 同じお金をかけるのも行政はうまくやったほうが良いのです。


 そして私自身、生涯学習とスローライフでブログを書くようになったり、好奇心が増したり、新しいことを始めたりと人生観が変わりました。

 そういう思いを掛川にいる人たちとはぜひ共有したい、そういう思いをお話に込めました。


 聴いてくださった皆さんはどう思われたでしょうか。


    ◆   


 話の後の懇親会では、一人の釣りの友人がこんな話をしてくれました。

「僕は掛川で仕事をするうちに、小松さんという人がいるという話を聞いていました。それが道東の阿寒川で釣りをしたときに、初めて釣りをする小松さんに会いました。そして今日やっとスローライフの話を最初から聞けて、スローライフの全体が完結したような思いです」

 またある蕎麦仲間は、「蕎麦にはつなぎが大事。小松さんがいたことで、知らない同士が随分と知り合いになることができました。これも人を繋いでくれたということじゃないかと思います」とも。

 知らない人同士が知ること、知らないことを知るということは絶対善だと思います。

 一生を使って、精々知らないことをなくして行こうではありませんか。

 お世話になりました。

 

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さて、スローを楽しもう~明日は掛川へ

2013-11-29 23:37:18 | Weblog

 明日から一泊二日で掛川を訪ねてきます。

 今年は掛川でスローライフを始めてから12年目で、その活動からNPO法人スローライフ掛川が誕生してから10年目になるのでした。

 今回はそのスローライフ掛川からお招きを受けて、スローライフの始まりとなった12年前を振り返りつつ、スローライフについて語り合いましょうということで、講演の講師を仰せつかったもの。

 懐かしい人たちの名前も思い出されて、喜んで伺おうと思います。


   ◆   
 
 スローライフをやっていて面白いなと思ったのは、掛川がスローライフを唱えだしたときには、「これは現代文明批判だ」と思った人が結構多かったこと。

 どこか現代社会に批判的だった人たちには、これが流行ると面白い、と思った人も多かったことでしょう。

 彼らは現代社会が進みすぎて便利で早くなってゆくことを面白いと思わずにどこかで「昔はよかった」というノスタルジーというか、懐古的な思いがあって、「携帯電話なんかいらないんだ」みたいな思いをもって掛川を眺めていました。

 しかしそのうち市議会議員などからも、「そんな『ゆっくりがいいんだ』なんてい言っていたら、仕事にならないし、第一市役所がゆっくりじゃ困るじゃないか」などという批判も飛び出し始めました。

 スローライフの本質は、物事の中にあるゆっくりの良さや価値を見直して、それで日常の暮らしや人生を豊かに生きよう、ということなわけで、早いものすべてを否定するようなことがあるはずもありません。

 やがて、たんなる現代社会批判みたいな意見は消えてゆきましたが、印象的だったのを覚えています。

 さて、現代社会は文明の利器を使わなければスローを楽しむことができません。

 スローにもただ遅いだけ、非効率なだけという"よからぬスロー"があって、そうではなくて、携帯電話や飛行機、新幹線で効率は追求しつつ、生まれた時間で本を読んだり芸術に触れたり、自分を高めるような目的性のあるスローを楽しみ味わえばよいのです。

 そんなスローな生き方もだいぶ浸透してきたようです。

 さて、明日は飛行機で静岡空港へ向かい、夕方から掛川の皆さんと会うことになります。

 楽しみです。

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講演を聴くときにこうありたい三つの姿勢

2013-11-28 23:45:12 | Weblog

 

 講演を聴くときの姿勢について、私はいつも人に三つのことを薦めています。

①前の方に座ること
 これは次にも繋がりますが、これは人の話に真摯に立ち向かうためにはこちらも相応の覚悟で聴くべきだ、と思っているからです。

 声が聞こえてスライドが見えれば、隅っこに座っていても同じように思いますが、それでは心のどこかで逃げていないでしょうか。

 逃げずに攻めるためにも、まずは座る位置から覚悟を決めましょう。


②必ず一つ質問をすること
 これは、良い話を聞けば聞くほど、講師が述べていないことを質問でうまく引き出すと、お話に深みを持たせる効果があるからです。

 また不覚にも寝てしまったりすると、講師が既に述べたことを質問してしまうという失敗をする恐れがあります。

 質問をしようと思うとしっかりと起きているのはもちろんですが、どういう質問をしようかとずっと頭を巡らせて聴いていなくてはなりません。

 質問と言っても、ただ「○○はどうですか?」という単純な疑問ではなく、まずは話を聴いた感想を述べましょう。

「お話を聞いていて、△△なのかなと思って大変感銘を受けました。そこでお伺いするのですが…」といった感じ。

 こちらとして話に興味があって感銘した、というのは感謝の言葉であり、講師への礼儀です。そして当然、講演の内容もしっかりと聞き取ることができるというわけ。

 質問をする、と自らに課すことは大きな効果をもたらします。


③話の内容をかいつまんで他人に伝えられるようにする
 私は人の講演を聴くときは格好のブログネタになることもあって、自前のパソコンを持ち込んで、話の内容をその場でベタ打ちします。

 変換ミスも気にする必要はありません。後で使う個所ならば修正が効くからです。

 そして全体の中からポイントとなる個所を切り出して、簡潔にまとめてゆきます。

 自分自身が感動して、(これは今日聞けなかった人にぜひ伝えたい)という思いを込めて、話の内容が伝わるように書き込むのです。

 特にブログなどの電子媒体に残しておくと、後で思い返した時に検索すれば書いた記事が現れて、記憶がよみがえってきます。
  
 逆にそうしなければ、ただその時間に楽しい思いをしてそれで終りです。なんともったいないことか。

 記憶が鮮明なその瞬間に感動をとどめておかなければ、曖昧な記憶などすぐに掻き消えてしまいます。

 感動がまだ冷めやらぬうちに書き上げてしまうのがコツで、そうすると熱い感動がそのまま文章に閉じ込められているものです。

 
   ◆   


 上記の三つは人に勧めてもいますが、話だけして自分が実践しないわけには行かないので、私もそのように心がけています。

 ところが昨日書いた、松下幸之助さんを巡る対談の中に、故松下さんが講演をする際の興味深いエピソードが書かれていました。

 これもまた心に来るお話なのでご紹介しておきます。


岩井「…もう一つ申し上げたいのが、『質問の手を挙げたら昇格』というお話です。ある時、幸之助さんは『わしは創業期から従業員によう話をしたもんや。その後で時間があれば"なんぞ質問ないか"と聞くようにしていた。そしてパッと手の上がる従業員の名前を覚えておく』と言われました。『覚えてどうなさるんですか』と聞くと『昇格』とおっしゃったんです」

上田「手を挙げただけで?」

岩井「まさか、冗談だと思うでしょう?するとこんな説明をしてくださったのです。
『わしは現場の情報を皆から得たくて聞いている。でももう一つ理由があるんやで。それは何か?誰が松下を継いでくれるか、経営の幹部になってくれるか。後継者を求めているんや。
 わしが質問ないかと言った時に、パッと反応できるためには、まず問題意識が必要や。また皆からええ格好しいと冷やかされるし、勇気もいる。
 でもわしが『質問ないか』と言った時に、これを絶好のチャンスと受け止めて行動で示せる、そういうたくましい人材を後継者にせずして会社の発展はない』
 と言うんですね。ニコニコと質問をしながらも、内心ではそういう考えをもちながら行動されていたことに、ハッと目の覚める思いがしました」 

上田「そういう自発性や主体性を常に重んじておられたのでしょう」

岩井「そうですね。『君、どう思う?』にせよ、『社員稼業』にせよ、自分の考え、自分の言葉を持てと。いくら経営理念を知っていても、それが借り物であれば意味がない。君ら一人一人がこの言葉を応用し、実践するんやでと励まされました」


    ◆   ◆   ◆


 いかがでしょうか。講演の質問にこれほどの期待を込めた感じ方もないのではないでしょうか。

 しかし講演を聴くのも一期一会です。

 そこにいる巡り合わせを幸せに思って、この幸せを他の人におすそ分けするつもりでいれば、必ずや自分自身の身になって返ってくるのだと思います。
 
 次からはぜひ勇気を出して質問をしてみてくださいね。

 

 

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知恵の出る公式

2013-11-27 22:15:45 | Weblog

 

 今月号の「致知」に、経営の神様と言われ今なお多くの人を引きつけて止まない松下幸之助さんについて、語る対談が掲載されていました。

 一人は昭和36年から28年間にわたって松下氏に付き添い、薫陶を受けた元専務にしてPHP研究所客員の岩井虔(いわい・けん)さん、そしてもう一方は、松下語録を整理して研究しながら、故松下氏とは一度しか会わなかった、という兵庫経営塾代表の上田勝さんです。

 「苦境を突破する心得」というテーマについて語るなかで、松下氏がどのようにして事業経営の活路を見いだしてきたかについて興味深い対話が繰り広げられました。

 

上「…私の場合、創業者(=故松下幸之助氏)との接点はほぼ皆無でしたが、本社の朝礼や会議の席でお見受けする姿はものすごく丁寧で、腰が低い。誰かと話している間に、腕組みをしたり足を組んだりなんてことは絶対になかったと思うんです」

岩「そうですね。そうした人間性を大事になさる方だから、言葉遣いやお辞儀の仕方などのマナーについては相当しごかれました。やっぱり人間関係の中で仕事をするわけだから、好感を持っていただけるように接しないと仕事そのものが始まらんと。人に喜んでいただくとか、愛されると言うことには特にうるさかったです」

上「創業者の経営の特徴は三点あると思います。一つはお客様大切の経営。企業は社会の公器と言いますが、経営上の判断、決断、実践の基軸をいつも、社会のため、お客様のために置いていたと思います。こんな言葉も残しておられます。『商品が売れるかどうかは重大な問題。しかし、売れるかどうかは儲かることとは違う。役に立つか立たないかである。役に立てばうれしいが、役に立たなければ悲しい』。

 一つは人を大切にする経営。社員に対する愛情や感謝、信頼感が非常に深い。やはり、人の上に立つ人は部課に感謝する心が大切だと思います。
 最後は思いを伝える訴念経営です。創業者ほど経営理念を大切にし、訴え続けた経営者はおられないと思います。経営理念とは経営者の志、新年であり、経営者が一番のこだわりをもつべきです。そして、そのこだわりに社員が共鳴して、これを絆として、自主的に、それぞれの仕事に生かしている。最後の公式の場でも、『経営基本方針をご理解、ご認識ください」と、声を絞り出しておられます…」


岩「…ハーバード大学のコッターという教授が幸之助さんの評伝を書かれているのですが、二十一世紀に生きる我々が幸之助さんに最も学ぶべきは何かといえば、あの方が94歳まで生涯学び続けた姿勢だとおっしゃるんですね。今上田さんのお話を伺っていてよく似ていると感じました」

上「恐縮です。もう一つは『二階に上がりたいという熱意がある人がハシゴを作る』という言葉です。熱意を高めるためには何かをしたいという使命や目的が必要であり、それが強いほどいくらでも創意工夫することができる。使命や目的に照らして、最も適切なハシゴを創意工夫すればいいわけです。
 創業者は社長が一番熱心でなければならん、と述べておられる。社員稼業でいえば、自分の仕事には自分が一番熱心でなければなりません」

岩「それを聞いて思い出したのですが、幸之助さんがある時、こんな問答をしておられるんです。『商売は知識じゃなく、知恵でやるもんや。その知恵はどこから出てくるか知ってるか。ええか、まず必要なのは知識やで。でも知識だけじゃいかん。知識に熱意をかけ算し、それに経験を加えて出てくるのが知恵や』つまり知恵の出る公式とは『知恵=知識×熱意+経験』だと言われるんですよ」

上「稲盛和夫様の成功の方程式とも共通しておられますね」


    ◆     ◆  


上「…創業者は、正しい経営とは共存共栄する経営だと思う、と述べられておられます。『衆知を集める経営』と並んで創業者の基本的な経営姿勢だと思います。
 次ぎに、精神面ではやはり経営理念の徹底に尽きます。かつては創業者の謦咳に接して(=尊敬する人に直接会うこと)指導を受けられた社員がたくさんおられました。しかし、具体的な指示はしない。『君どう思う』『考えておいてくれ』という相談調、『君は何をしているのか』『最近の市況はどうか』などの質問調、そして最後までしっかりと聴く。この三つが、創業者の『衆知を集める経営』であり人材育成の大本だと思います」

岩「同感です」

上「会社が大きくなると、小さい活路は、一人ひとりの社員が自主的に拓かなければなりません。だから社員としては創業者の言葉を理解し、自分の仕事に落とし込む努力が大切です。言葉を暗記しているだけでは意味がありません。
 経営者として社員に活路を拓いてもらうために、経営者としての思いを語り続け、そして、それを、自主的に仕事に生かす工夫のできる社員を育成しなければなりません。ここに『モノをつくる前にヒトをつくる』ことの大切さがあるんだと思います。創業者は、創業当時の『行動の陣頭指揮』から、歳月とともに『考え方の陣頭指揮』に変わられた。だから社員が育ったのではないかと思うんです」


    ◆     ◆     ◆


 今はやや苦境に立っているパナソニックですが、創業者の理念を今一度思い出して、再び甦ることを祈らずにはいられません。

 最後に、上田氏提供による『松下幸之助自らが語る【松下電器発展の要因10箇条】』というのが書かれていました。

 これを掲げて終わりにします。

【松下電器発展の要因10箇条】

①仕事が時代に合っていたから
②人材に恵まれていたから

③社員が自主的に仕事をしてくれたから
④命令調でなく、相談調で仕事をしたから

⑤「ガラス張り」経営をしたから
⑥「全員経営」を心がけたから

⑦常に理想を訴えたから
⑧常に、方針を示したから

⑨「商売は公事」と考えたから
⑩「何が正しいか」を考え、勇気を持ってしごとをしたから


 誠実な人柄がよくあらわれていると思います。

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上昇気流を感じるんです

2013-11-26 22:37:31 | Weblog

 

 私の知人がある企画を提案して調整をしていたのですが、どうもあまり評価が高くなくて、ボツになりかけるということがありました。

 いろいろ評価が低い理由を探ってみると、それを決める人たちがその企画に馴染みがないようなのでした。

 一応外部の方の意見も聞いてみてはいるようですが、意見を求められた人たちにもどうやらあまり馴染みがないみたい。

 私はその案に賛成だったのですが、「どうも評価が低いみたいです」と聞かされると、「最初の提案がダメだとしたら、次の第二案を出してそちらの方向を探ってみますか…」と気弱になってしまいました。

 しかも第二案は事前の検討でも最初の案よりも劣ると思っているので、これが通るかどうか評価の程がよく分かりません。

 そこで、第二案ならちょっとわかると思われる知人に電話で訊いてみることにしました。

「あ、もしもし、Aさん?…実は、(第一案は伝えずに)こういう企画(第二案)を考えているんだけど、Aさんだったらどう評価しますかね」

 すると知人は、「そんな企画を出すのですか?まあ悪くはないけれど、それだったら○○(第一案)という企画が良いのじゃないですか?僕ならそっちを採用するけどなあ」という驚くべき反応。

「ええ!?やっぱりそう思いますか?実は決める人たちがその企画に馴染みがないために評判が芳しくないんですよ」
「ふーん、でも小松さんも第一案がイチオシでそれなりの理由があるわけでしょう?そのあたりを再度ダメ元で打ち返してみたらどうですか?第一案に詳しくて、それをちゃんと評価できる人を紹介するというのも手かも知れないし…」

「ああ、そうか、そうですよね。何も意見を言わずに引っ込めることはないですよね。わかりました、ありがとう」


    ◆     


 私自身、第一案をハナから諦めてしまって別提案に心が傾きかけていたのですが、何も言っていない相手から「第一案が良いのじゃないの?」と言われるとは思いませんでした。

 こういう不思議な偶然を、最近は偶然と思わないようになりました。何か知らない力が働いているのではないか?

 そうならばその流れに逆らわずに、行けるところまで流れに乗ってみる方が良いのではないか。そうしてみるとその過程で思わぬところに事態が転がって行くということが多いもの。

 今回の偶然、行く末はどうでしょうか。


    ◆     ◆     ◆


 偶然の成り行きで思い出したのですが、かつて掛川でスローライフイベントを仕掛けようとしていたころに、当時の榛村市長さんから、イベントが成功する時の機運について教えてもらったことを思い出しました。

 「まずはとにかくボッチ(核)になるいくらかのお金が必要なんですが、そのお金があることで絶対何かが出来る、ということになれば『じゃあ手伝うよ』という人が偶然に出てくることがあります。そういう人が現れれば『じゃあこの制度が使えてお金がもらえるのじゃありませんか』という人が現れる。それが人づてに伝わると『じゃあこのイベントはお宅に合わせてやりましょうか』となり、『面白そうなので記事にしましょう』というマスコミが登場する、という風な上昇気流のようなものを感じることがあるんです。そういう盛り上がるような予感というか勘所が分かるようになると、次の仕掛けが上手になりますよ」

 榛村さんはそういう風に教えてくれましたが、最初のお金の用意は必要だとして、そのお金だけで終わるのか、それが核になってどんどんいろいろなところへ広がって行くのかで、イベントの効果は大きく変わってくることでしょう。

 イベントの効果を上げるためには、人・モノ・金・情報を上手く使って上昇気流を生むことが大切、ということは覚えておいて良さそうです。

 掛川のスローライフ月間なんて、まさにそうでした。リアルにそれを感じることができたのも私の財産になっています。

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コミュニケーション能力の前に

2013-11-25 23:45:52 | Weblog

 霞が関のある官僚の方と会った時に、「最近の若者のコミュニケーション能力に不安があるんです」と嘆いていました。

 どういうことかと訊ねると、「本省では、課長補佐クラスが一番活躍してもらいたい世代なんですが、ここに上がってくる前には地方の事務所などを経験してもらうことになっています。その地方生活では、その地域を味わってもらうことは大切なんですが、次は東京で活躍するんだよと言うことをしっかりと伝えて鍛えておいて欲しいのです」
「地方の生活って、時がゆったり流れて楽チンに思えますね」

「はい、しかし次の段階で求められる能力、特に"コミュニケーション能力"の部分に期待はずれなことがままあるんです」
「コミュニケーション能力といいますと?」

「本省の課長補佐というのは、国会議員や他の省庁の職員、また地方自治体やあるときは業界などとも意見交換をしたり、こちらの考え方を伝えたり説明したりすることが多いでしょう。とにかく相手といるその瞬間に相手のことを理解して、こちらのことを上手に伝えるコミュニケーション能力が大変重要になります。ところがこれが育っていない人が結構いるんです」
「それも鍛えたり練習したりすれば、ある程度は身に着くのでしょうね」

「はい、だから今は同じ地域にいる先輩の職員に対して、『ちゃんと目をかけてしっかりと指導してあげてほしい』と号令を発しています。人を育てるのに気を使う時代になりました」

 

   ◆   ◆   ◆

 


 人材育成というのは、口で言うほど簡単ではありません。

 いつも言うように、"意志と能力"の両方が備わっていないといけなくて、それを口頭や態度で伝えるのは至難の業です。

 意志はやる気とか覚悟のようなもので、自分自身の精神的な部分をしっかりともつことですし、能力とは言語能力とか記憶力とか相手の言う内容を理解する力とか、空気を読む力、さらに言えばだれからも好かれる力、などということまでを能力と呼んでよいでしょう。

 "相手に好かれる能力"と言いますが、"好かれる"にも二通りあります。

 一つは"愛される=loved"ということ、そしてもう一つは"尊敬される=respected"ということです。

 そして"愛される"というのは、恋愛の片思いの多くが成就しないことを見てもわかるように困難を極めます。

 しかしもう一つの"尊敬される"という方ならば、努力一つでなんとかなりそうですが、尊敬の前段には信頼が必要です。

 相手に対して関心を持ち、人の嫌がることを率先してやり、誠実に努力する頑張り屋さんで、気が穏やかで誰にも優しいというような模範的な態度が身についているならば、きっと人は自分を信頼してくれて、それが続くときにいつかきっと尊敬してくれる人は現れるでしょう。

 人は、他人から信頼されようと思って、嘘をつかず誠実に過ごそうとします。

 実はコミュニケーション能力と言われると言葉の力の問題だと思われがちですが、その前段には会った瞬間に好かれたり信用されたりする能力を持っていることの方が大事なのではないかと思います。


「人間を50年もやっていたら、パッと見て良い人かそうでないかくらい分かるようになるものです。またそうでなくてはいかん」と言う人がいました。

 分かるような気がします。

 コミュニケーション能力も大事ですが、それを支える人間力を鍛えましょう。

 

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そろそろ年末の準備開始

2013-11-24 23:27:47 | Weblog

 

 来週から三週連続で週末に予定が入っています。

 年末のこの時期に週末をプライベートに使えないとなると、いろいろと早目の準備をしておかなくてはなりません。

 夏の釣り道具もやっと手入れを終えて、来年の春まで半年のお休みです。今年の春から秋にかけては本当に釣りに燃えた半年となりましたが、来春もまた活躍してもらいましょう。

 フライタイイングのセットだけはいつでも出せるようにして、冬の間にフライを作り溜めなくては。やっぱり机周りはなかなか片付きませんねえ。


   ◆   


 この一年にいただいた挨拶状や転勤あいさつ状、喪中ハガキなどを整理して、年賀状用の住所録のメンテナンスをしました。

 釧路での知り合いが増えましたが、年賀状が増えないようにそろそろ疎遠になりかけている方の整理が必要です。

 ついでに年賀状の文面も作成しました。

 私の場合は年賀状のフォーマットを決めてしまっているので、変更するのは年回りと写真と近況をお知らせする短い文章を整えれば、文面づくりにもそれほど苦労はしません。

 子供の頃は毎年干支をあしらったデザインで木版画づくりをしていましたが、それがやがてプリントごっこになり、今やパソコンのプリンターに変ったわけで、この間の印刷道具の変遷は急なものがあります。

 プリントごっこの時代も、版が一枚から始まって最後は三版の多色刷りをしていたもので、一版をすり終えた時に乾燥中のハガキで部屋中が埋め尽くされていたことは懐かしい思い出です。

 年賀状の文面はもうそろそろ印刷を開始しておきたいところですが、まずはおかしな誤りがないかどうかしっかりチェックする段取りが大切。

 段取りさえしっかりしておけば、印刷などはすぐにできるものです。同じように、掃除でも仕事でも『段取り八分』とはよく言ったものです。

 焦ってうかつに作業を始めてしまうとかえって手戻りが発生したりして効率が悪くなりますからね。

 特に最近は、新年あいさつもネットで交わすことで済ませてしまう人も多くなってきたので、年賀状を出す相手を考えなくてはいけません。便利が進むと新たな悩みと非効率が発生するものですね。

 さて、年末と冬の準備。効率的に済ませてしまいましょう。
 
 

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僕が親父の子供なんだなと思った時

2013-11-23 23:41:30 | Weblog

 

 娘が孫を連れて、私の親の実家へ遊びに行ったのだそう。

『曾孫を見せる』という名目ですが、仏壇を拝む練習もできるし美味しいものにもありつけるというので役得も多少はあるみたい。

 私よりも実家を訪ねているかもしれないくらいで、両親の様子を訊くと、「石狩(実家のあるところ)では、ひいお爺ちゃん(つまり私の父)がずっとY(孫の名前)の相手をしてくれていたよ」とのこと。

「そうかい、Yの方は曾爺ちゃんに慣れたかい」
「うん、すっかり慣れていて、今日は自分から抱っこしてほしくて歩いて行ったよ」

「そうなんだ、すごいね」
「曾爺ちゃんもお父さんと同じで、机の上のもので"研究"させてくれるからね。文房具とかを自由に触らせてくれてたよ。なんだかお父さんと似てたよ」

「え?どういうところが?」
「うーん、なんでも興味を引くようなものは触らせてあげようっていう感じかなあ」

「ふーん」


   ◆   


 娘が孫を連れて私の家に来るときは、背の届くところにあるものは片付けて、差し障りのないような物を置くようにしているのです。

 ところが、私の机のところに来たときは私は孫を抱きかかえて、膝の上に座らせて、釣りの道具やら文房具やらパソコンのキーボードやマウスなどを割と自由に触らせて遊ばせます。

 机の上には子供には不思議な道具類がたくさん並んでいるので、私はそれを"研究"と称していて、「おー、Yちゃん、今日も研究するかい?」と言って手に触らせているのです。

 訳も分からず触りまくるのでときどきはひっちゃかめっちゃかになるのですが、物を落としたら膝から降ろして拾わせるということを繰り返しやってみたり、とにかくいろいろな経験ができるようにと心がけながら相手をしています。

 それが実家の父の所へ連れて行ったら、父も全く同じように曾孫の相手をしていたというのを聞いて、とても不思議に思いました。

 別に二人で示し合わせて遊んでいるわけではないのですが、多分同じような思考を巡らせているのでしょうか。

 親子と言えば親子だし、DNAに組み込まれていると言えばそうなのかもしれません。

「あなたもお義父さんにそうやって育てられたことをどこかで覚えているんじゃないの?」と妻は笑いますが、そんな幼児の時の記憶などありません。

 まあ親子だけに価値観が同じようなところにあるといってしまえばそれまでですが、なんとも面白いことです。

 妻には、「おやじを見ていなよ。僕はきっとああいう風になるから」と言ってあります。

 似ているのは顔だけじゃなかったんですね(笑)

 私は親父の子供なんだと思って、ちょっとほのぼの。

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退職したら農業をおやりなさいよ

2013-11-22 22:24:38 | Weblog

 

 この業界でお世話になった先輩と、ある会合で久しぶりに会いました。

 まだ髪もふさふさあって見た目は若々しいのですが、私の若い時に所長でお世話になった大先輩です。

「失礼ですが、お幾つになられましたか?」と訊くと、「69歳だよ、もう歳だよ」と笑います。

 「今はどうされていますか?」と訊ねると、「今は本業は農業ですよ」と言って農場の代表の名刺をくれました。

 農場は仁木町にあって、主な生産品目は、サクランボ、ミニトマト、ブルーベリー、プルーン、プラムなどの果樹などが多く、またそれらを加工した果汁製品やトマトジュースなども作っているのだとか。

「農場というと、どれくらいの広さなんですか?」
「いやあ、2ヘクタールくらいなもんだよ」

「しかし、そもそも農地の取得なんかは農家でなければ難しいのじゃありませんか?」
「そうなんだけど、最近は離農して荒れている畑もあるからね。それまでも家庭菜園レベルでは農作業をしていたんだけど、そういう実績の書類を作って役場へ行って農業委員会に諮り、最後は面接まで受けたけどなんとか土地が買えました」

「これだけ果樹が多いとなると、ビニールハウスとかそれなりの設備も必要ではありませんか」
「そうそう、もちろんだよ。サクランボのハウスもあるよ」

 サクランボは、結実する時に雨に当たると実が割れて商品価値が下がるので、雨が当たらないように大きなハウスが必要とされています。そこまで投資をして農業をやるというのは家庭菜園の域を遙かに超えています。

「やっぱり農協に出荷したりするんですか?」
「いや、そういう付き合いはなくて、資材は直接知り合いから買うし、取れた作物も直接市場に送り込んでいます。で、実はここのホテルにも納めているんですよ。ちょっと幹部に知り合いがいるものですから(笑)そうだ、サクランボの季節になったら連絡ちょうだいよ。美味しいんだよ」

 農作業や作物の話をする姿がとても楽しそうで、幸せな時を過ごしていることが伝わってきます。

 今、十勝の農業高校を舞台にした漫画「銀の匙」が、テレビアニメでも大人気。若い人の就農意欲が向上するといいなあ、と思います。

 

     ◆     ◆  

 


 さて、現在国の農業政策は兼業農家から大規模な農地で専業で効率的に農業を行う農家を奨励するという方向に傾いています。

 それは小規模な農業ではどうしても効率が悪く農産品の出荷価格が下がらないからです。特に日本では小規模農家が多く、なかなか農地を他人に委ねて大きな農地の再編ができない理由の一つとなっています。

 だからTPPの議論では、日本の農産品は高く安い外国産が入ってくれば関税で守らなければ壊滅するという論法になってゆきます。

 しかし農業には、職業としての農家、農民の問題から、農地という土地の問題、農村の集落の問題、地域の収入源である産業の問題、土地改良のための公共事業の問題、耕作されていることによる環境の問題、薬漬けだとか遺伝子操作などの不安要素や、担い手の高齢化など問題が複雑多岐にわたります。

 現実に今農業に携わって生計を立てている人がいるなかで、農業が将来あるべき姿を議論してそちらへ移行して行かなくてはならず、農政は消費者でありかつ地域に暮らす我々にとって大きなテーマ。

 農家ではない者の一人としては、食の問題として安全・安心な地域食材を価格との兼ね合いで地域を支える消費者としてしっかりと考えた消費行動をしたいものです。
 
     ◆   

 それにしても、ある程度の年金があって収入が支えられている高齢者による退職後の農家って魅力的に写ります。

 健康で元気な高齢者によって、結果的に安くて質の良い農産品が供給されるなんて世の中になるでしょうか。

 先輩の農場にも一度行ってみなくては。来春が楽しみです。

 

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セラピードッグの物語

2013-11-21 23:16:46 | Weblog

 

 病気や入院などで苦しんでいる人を癒すセラピードッグという存在をご存知ですか?

 動物が人の心をいやす効果があることはなんとなくわかりますが、動物の側にもきちんとしたトレーニングがあるのだとか。

 私たちよりも寿命の短い動物が、生きている間に私たちを癒してくれるなんて、なんだか切なくなりますね。

 「致知」の12月号に、そんなセラピードッグにまつわる記事がありましたのでご紹介します。


  --【以下引用】---------------------


 高度な訓練を受け、医療や介護の現場で病に苦しむ人々に寄り添い、サポートする「セラピードッグ」。その日本第一号となった愛犬チロリが、私の胸の中で息を引き取ったのはもう七年も前のことになります。

 私はチロリをはじめとして、日本の動物愛護のあり方を問い直す取り組みに二十数年携わってきました。そのきっかけは、約三十年前にまで遡ります。

 私の本職は、アメリカを拠点に活動するブルースシンガーですが、1977年、ニューヨークの高齢者施設で活動するセラピードッグの姿に感銘を受け、その育成に携わり始めたのでした。

 しかし、その頃に参加したある動物愛護団体の会で私はこう言われたのです。
「日本には"犬猫のアウシュビッツ"がある。いくら経済大国と呼ばれようと、我々は日本人を認めない」

 バブル景気の絶頂期にあった1980年代の日本、そして隆盛を迎えるペット産業。しかしその裏では飼い主に捨てられた年間百万匹もの動物たちが殺処分されていたのです。

 その命を守る法律も未整備でした。動物たちは、いわば廃棄物のように扱われていたのです。

「あなたは有名なブルースシンガーだろう。なぜ祖国の不正を糺すために戦わないんだ」

 一介の歌手に何ができるのだろうと思いましたが、1977年から始まる日本公演の際、私は意を決し、殺処分を行う動物愛護センターを訪ねました。

 そこで見た光景はまさに地獄でした。犬や猫たちが次々とガス室に送られ、のたうち回っている彼らを容赦なく焼却炉に放り込んでいく…。

 その衝撃の中、脳裏に甦ってきたのは幼年時代に私の命を救ってくれた愛犬の姿でした。

    ◆     

 私は昭和26年、東京日本橋の下町に生まれますが、幼い頃はうまく言葉を発することのできない吃音障碍(きつおんしょうがい)のため、母親を"お母さん"とも呼べず、友人もできない孤独な日々を送っていました。

 祖父はそんな私に、「おまえ、人間とうまくやれないなら、せめて犬と楽しくやりな」と犬と暮らすことを許してくれたのです。

 どんなに辛くとも、家では愛犬が待ってくれている。突っかかる声で名前を呼べば嬉しそうに顔中を舐めてくれる。愛犬が唯一の友となり、私は生き抜くことができたのです。

 しかし愛犬との幸福な生活は十二歳の時、突如終わりを告げます。父親が事業に失敗し、一家離散してしまうのです。親戚に引き取られることになった私に祖父はこう言いました。
「おまえが持って行けるのは洋服と下着だけだ。犬はいい人にもらってもらうから心配するなよ」

 私はその言葉を信じ、夜逃げのように家を出て行くのですが、その後両親にも愛犬にも二度と会うことはありませんでした。

「あの貧しい時代、犬をもらってくれる人などいただろうか。私の愛犬たちも間違いなくこのガス室に入れられたのだろう」

 悔悟の念と申し訳なさで涙が止まりませんでした。私なこの時、日本の動物愛護のために尽くそうと決意したのでした。

 そしてアメリカからセラピードッグを連れてくるなど、活動を本格化させていた平成四年夏、私はチロリと出会いました。

 散歩で通りかかった千葉県松戸市の廃墟になった病院の敷地で、チロリは地元の子供たちに育てられていました。

 しかし私が講演で留守にした隙に野犬狩りに会い、ガス室に送られます。

 そして殺処分寸前のところを、私が救い出したのです。この後ろ足の不自由な片耳の垂れた雑種を、私は日本初のセラピードッグとして訓練しました。

 私といれば生きられると思ったのでしょうか、チロリは物凄い力を発揮し、通常二年半かかるカリキュラムをわずか半年でクリアしました。

 その後十五年、私はチロリとともに政治家に会い、各施設を回りながら、一つひとつ取り組みを進めていったのです。


     ◆     


 ある介護施設を訪ねた時のことです。脳障碍で体が動かず、苦痛なっ表情で車椅子に座っている女性がいました。チロリは女性にそっと近づき手を舐め、アイコンタクトを施し始めました。

 そして数日後、奇跡は起こりました。女性が「チロちゃん、いい子…」と言葉を発し、チロリの頭を撫でたのです。動物の強い愛情が人の心を癒やし、生きる力を与えた瞬間でした。

 こうした多くの実践と成果を得て、日本の動物愛護も変わり始めました。

 平成十七年、念願叶い動物愛護法が改正され、現在では殺処分もピーク時の五分の一にまで減少。当初は「犬に何ができるんだ」と言われたセラピードッグたちも、いまでは全国で毎年一万二千人以上もの人々を助けています。

 私のところにいるセラピードッグは全て捨て犬です。人間によって捨てられ、殺処分場に送られた犬たちが、逆にセラピードッグとなって人間たちを救っていく。

 心ある人ならば、この動物たちとの無償の愛と無垢な魂から何かを感じてくれるに違いありません。

 小さな命を守れない国に人を救うことはできないと私は思います。どんな命でも生まれてくる時には必ず誰かに祝福されている。

 命あるものは等しく幸せになる権利がある。これはチロリから私が学んだ教訓です。

 これからもチロリたちの魂を継ぎ、この世に生きるすべてのものの命の尊厳を、多くの人に伝えていければと願っています。

(おおき・とおる=ブルースシンガー、国際セラピードッグ協会代表)

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 私は子供の時と学生の時に犬を飼ったことがありますが、死なれたときの悲しみが辛くて、もう飼えないなあと思っています。

 飼うという責任が果たせそうにありません。

 動物とも出会いがあれば別れがあるんですね。

 それを覚悟して出会いという幸せを味わうという生き方はあるかもしれません。

 いろいろと考えさせられました。

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