北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

シカ食文化の復活を

2013-01-31 22:50:13 | Weblog

 今日は、釧路市域内循環推進事業者の認定式がありました。

 これは市が唱える、域内循環のビジョンに賛同し、それに向けた活動をすることを誓うという事業者さん達に対して、市から推進事業者として認定をするというもの。

 今回は39の事業者が認定され、そのうち約半数の代表が出席して認定証が手渡されました。

 雇用、地域内資源の利用など、事業者が協力できる分野は幅が広く、こうした考え方をなお一層宣伝に努め、賛同者を増やして行きたいものです。

   ◆   ◆   ◆
 
 さて、その認定式にちょうど阿寒町にある(株)北泉開発の曽我部社長が来ていました。

 曽我部さんは阿寒町で、罠で捕獲したエゾシカを飼う養鹿牧場と、シカ肉を加工するグリーンファームという施設をもっていて、シカ肉を食材として供給する事業を行っています。
 
 実は今書きかけの本の中にも、「昔は日本人はシカ肉を食べていた」というテーマで一文を起こしているのですが、内容が現時点で変ではないかというチェックをお願いしていたのです。

 ちょうどその返事が返ってきたところで会えたので、ついでに最近のホットな話題について教えてもらいました。

「原稿をチェックしていただいてありがとうございました」
「いえ、良く書けているのでいじることはないのかな、と思いましたが、背景などを理解されたうえで書くのとそうではないのではニュアンスが変わるかな、と思って、情報を送りました」

「ありがとうございました。その後、シカ肉の販売はいかがすか?」
「おかげさまで、少しずつ安定的な引き合いが来るようになりました。何よりも、シカ肉を食べるという食文化が少しずつ戻っているような気がします」

「そうですか。いつかのシンポジウムでも、釧路短期大学の西塔学長が、『江戸時代も食べていたのに、明治期に30年ばかり食べない時期があって、その間にブタ、トリ、ウシが入ってきた』と言っていましたもんね」
「シカ肉をやるつもりだ、と前の公立大学の小磯学長にご相談したら、『人間の一番保守的な部分は何か分かりますか?』って謎をかけられました」

「保守的な部分って何ですか?」
「それはね、『食文化』なんだそうです。今まで食べたことのないものを食べるようになる、とか、食べていたものを食べなくなるって事は人間にはものすごく抵抗があるらしいんです。だから小磯先生は『一度消えたシカ肉の食文化を復活するというのは大変だと思いますよ。まあ気長におやりなさい』とおっしゃっていました」

「今年でシカ肉の事業は何年目でしたか?」
「ちょうど10年ですね。最近はコンビニがシカ肉バーガーの材料として養鹿のシカ肉を指定してきたり、ペットフードの缶詰としても人気が出てきたり、使われる先が少しずつ多様になって増えてきている感覚があるんです」

「グリーンファームでは、年間何頭くらいシカを処理しているのですか?」
「ハンターが持ち込んでくるシカが1000頭、養鹿牧場から持ち込むのが500頭、合計1,500頭ですね」

「ハンターが持ち込むのは、ちゃんと頭を撃ったものだけですか?」
「ええ、一見のハンターのモノは引き受けていません。普段からお付き合いがあるハンターさん達に、『首から上を撃ったものだけだよ』と言って、そういうものを引き受けます。そうしたら一頭いくらでハンターさん達にもちゃんと経済が回りますから、彼らも真剣に獲ってきてくれます」

「そこでできる肉は売られて、人びとの胃袋を満たして、森からはシカの被害が消える、というのは良いシステムですね」
「そうなんです。今は年間13万頭のエゾシカを駆除していますが、そこから出る肉の量なんて、計算したら、道民が年に2回か3回のハンバーグやステーキで食べるくらいなものなんですよ。だから道民に、シカ食文化が戻れば、それだけでシカ肉の流通は回るというわけです。もうちょっとですよ」


  ◆   ◆   ◆

 

 ブタ、ウシ、トリ肉に慣れた我々の舌を、シカ肉に向けさせるのはなかなか大変だが、年に一、二度でよいからシカ肉を食べるイベントがあると良いのです。

「小松さん、ドイツでは、『お祝い事の時にシカを食べる』のだそうですよ。日本もそういう食文化が定着すると良いですね」

 肉を選ぶ時に、家畜だとただ安いだけだが、ちょっとお高いしか肉に、「その一口が森を守る」なんて書かれていたら、シンパシーが湧かないでしょうか。

 なにも森まで行って間伐をしたり手入れ作業のボランティアをするまでもありません。レストランでシカ肉料理を注文したり、シカ肉を使った料理を楽しめばよいのです。

 流通ルート→販売店・レストラン開拓→食文化の定着→エゾシカ肉欲しい→流通ルート…というこのループがどんどん回転すると良いですね。

  ◆   ◆   ◆

 やっと、本の原稿を全て出しました。この後は使う写真や図のの送り込みと、版を組み上げてもらった後に修正点の再校正が待っています。

 まだ気が抜けず、考えたくないサボりたい脳と戦って、いろいろな方のご協力で完成めがけて一歩一歩前へ歩んでいます。

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自然ガイドのプロになる

2013-01-30 23:55:45 | Weblog

 身近な知り合いで飲もうという事になり、予定をしていたところ、新幹線フォーラムの基調講演で釧路へ来てくれた北大の田村亨先生が、「僕、夜予定ないんだよね」とのこと。

 せっかく釧路へ泊ってくれるのに、だれもアテンドしないのは失礼だ、と思って、自分の予定していた飲み会へ急きょお誘い。

「いいんですか?」と言うので、「日中会っていた方たちも来ますから大丈夫ですよ。連絡もしてありますので」と飲み会に参加してもらいました。

   ◆   ◆   ◆

 会合のお店に着くと、席が一つ空いています。

「おや、あと一人は誰ですか?」と訊くと、「急きょ、鶴居村で自然ガイドをしている安藤誠さんという方を誘いました。ご存じありませんか?」

「いえ、存じ上げません」
「そうですか、アラスカにも詳しくて、現地のガイドもしたりして、すごい方ですよ」

「へえ、楽しみです」


 そうこうするうちに、安藤さんが到着。
「初めまして」
「あ、どうも初めまして」

 …と挨拶をするうちに、どこかで会ったことがあるような気がしてきました。

(うーん…、あ!)

「あのう、10月上旬に阿寒のひょうたん沼へカヌーガイドをしておられませんでしたか?」
「え?」

「あのときカメムシフライの話題になって、ちょうど私が持っていたので盛り上がりましたよね」
「ああ!あのときの!ええ、覚えていますよ。なんだ、あの時の方でしたか。これは不思議な再会ですね」

 周りが「ええ?どこかで会ったことがあったんですか?」と訊くので、「ええ、ひょうたん沼で釣りをしていた時に、ちょうど霧の向こうからカヌーが二艇やってきて、そこに乗っていたガイドさんが、安藤さんだったんです」

「そうでした。ちょうど季節が秋だったので、『カメムシのフライなんて言うのもあるんですよ』と言ったら、小松さんが『そうなんです、ちょうど作ったばかりのがあるんです』と言って出してくれたので、内地からのお客さんも大いに盛り上がったんです」

「そう、内地からのお客さんも楽しそうでしたよね」
「ええ、私もガイドをしていて、釣りをしている方の邪魔をしてはいけないと思うので、あまり話しかけるようなことはないのですが、あのときはバイブレーションが合うというか、『あ、この人なら話しかけても大丈夫だな』という雰囲気が伝わってきたのでつい声をかけたんです。そうしたらフライフィッシングの話を楽しそうに教えてくれたので、帰りのカヌーの中でもお客さんたちは『楽しかった』と言って、大喜びでしたよ」

「そうですか、そういっていただけると嬉しいですね。こちらも内地からのお客さんだと分かったので、この地域の楽しさをせいぜい伝えたいと思ったので」

「素晴らしい思い出になったと思いますよ。あのときはありがとうございました」

 


   ◆   ◆   ◆


 なんと不思議な再会です。

 帰り際に、「鶴居村で××というコテージとガイドをしている△△です」と言われたのですが、よく聞き取れなくて、(そうか、鶴居村にいるガイドの方か)とは覚えていたのですが、今日あらためてしっかりと名刺も交換できました。

 人間、その瞬間を誠実に応対しておくものだ、と痛感しました。


   ◆   ◆   ◆


 安藤さんは、若くして自然ガイドを職業にしようと、アラスカへ渡って実際にガイド修行をしながら腕を磨き、プロのガイドとしての道を実践している方です。

 また多才で、自然ガイドかと思えば、ギター演奏家だったり、写真家、アウトドアウェアのアドバイザーなど多方面の顔を持つ方です。

 今ではガイド業でも、名指しで指名してくれる外国のお客さんも増えて、認知が増してきたとのこと。

 この4月には、アラスカへオーロラハンティングのツアーガイドとして行くそうですが、この場にちょうどアラスカに三年いたという方がいて、現地での話題で大いに盛り上がっていました。

 今度はアラスカツアーの壮行会で飲もうか、という話も盛り上がりましたが、現場で様々な経験をしている方の話は実に魅力的です。

 田村先生も「いやあ、来てよかった、楽しかった!」と喜んでくれました。よかった。

     ◆   


 不思議な再会でしたが、会えるべくして会えたのかなという運命的なものも感じます。

 「バイブレーションが合う」というのは面白い表現ですね。今度使って見ようっと。
 
 


【安藤誠の世界】 http://bit.ly/XS4UL6

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どさんこ商品研究所~アンテナショップを利用しよう

2013-01-29 23:45:54 | Weblog

 

 北海道の建設コンサルタントでは老舗にして大手のドーコンさんから、話を聞かせてほしい、と二人が訪ねてきました。

 これまでドーコンさんでは、技術社員が仕事をしながら気づいた様々な視点を「ドーコン叢書」という形で二冊の本を出しています。

 http://amzn.to/126O1mO

 今回はその三冊目を企画する中で、駅前コンコースに面している「どさんこ商品研究所」について書こうとしているのですが、外から見たときの意見を聞きたいということでした。

【どさんこ商品研究所】 http://dosanko.docon.jp/

 札幌駅から大通りへ向かう地下コンコースからちょっと入ったところに展開しているのは、実際は道内各自治体が開発した商品のアンテナショップです。

 道内の自治体では地域の産物を活かした様々な商品が作られていますが、現実には売るための流通の流れが見つからなかったり、商品と買い手の間のミスマッチに気付かなかったりして、商品が売れるためには様々なハードルがあるものです。

 しかしそれは実際に売ってみて、買い手の意見を聞いて初めて改善ができたりするもの。

 その最初の売り場が見つからない、というのがそもそも売れない理由の一つなわけです。

 それを「どさんこ商品研究所」ではとにかくショップの中に展示して売ってみるという場所を提供しようというのですから、自治体で何か売りたいものがあるようなところは相談してみない手はありません。

   ◆   ◆   ◆

 とは言いながら、ドーコンさん自身にしても、この企画そのものが会社と地域にどのような貢献ができているのかを計りかねているところがあります。

 そうしたことを、外部の人の意見として聞きたいというのが今日訪ねてきた理由です。

 
   ◆   ◆   ◆


 この問いに対する私の答えは、道路や橋梁などの設計は根幹的な仕事として与えられた業務を一生懸命にこなすのはもちろんですが、地域の信頼を得て、道内にいるシンクタンクとしての役割を考えると、地域の産物を売るという課題に対しても、共に考えるような場を提供することに大きな意味があるだろう、というもの。

 商品を置いている各自治体の首長さんならば、ぜひここを訪ねてほしいものですし、売れる理由、売れない理由も学んでいってほしいものです。


 また、道内各地の産物として置かれていても、他の商品とのコラボ企画や、関係者同士の交流や情報交換の場というのは案外ないものです。

 あったとしても、道内各地の地域の中に留まっていて、ダイナミックな交流の場にはなりません。

 そうした場の提供になる可能性だってあるでしょう。

   ◆   ◆   ◆


 商品が売れるためには、その特徴やイチオシの理由、ここまできた物語など様々な周辺情報もあるでしょう。

 それらが適切に情報発信されているでしょうか。

 こうした売り手と買い手の間にあるミスマッチを少しでも解消して、結果としてドーコンと各地域の人たちの関係性を築くのもこういう場の力と言えるでしょう。

 アンテナショップというと、単なる場所貸しに聞こえるかもしれませんが、このチャンスを生かせるかどうかは売り手の情熱と才能に負うところが多いかもしれません。

 ならばなおのこと、こうした実践を通じて地域の人材を鍛えるという事も必要なはず。

 なぜ売れないか、どうしたら売れるのか、課題は何なのか…、答えは自ら見つけるしかありませんが、ただ頭の中で考えるよりは実践を通じた気づきがあるでしょう。

 こういう取り組み、私は大いに共感しています。

 手元になにか商品がある、という方はまずは相談してみてはいかがでしょうか。

 新しくできるという第三弾のドーコン叢書も楽しみです。   
 

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地域をブランディング化する

2013-01-28 23:45:34 | Weblog

 釧路公立大学地域経済セミナーに出席しました。

 今日のテーマは、「地域のブランディングに求められること」と題して、株式会社コボ代表取締役社長の山村真一さんの公演です。

 山村さんは、かつて三菱自動車のデザイナーとして働いていた時期があり、その頃にランサー電灯器のテストのために道東を走り回った記憶があるとのことでした。

 さて、今日、地域そのものをブランド化するという動きが盛んになってきました。特に低成長期になってからその動きが加速していますが、それはモノづくりが中心だった社会が、文化を背景にしたブランド化を進めている減少としてとらえられると言います。

 山村さんご自身が関わっている対象は幅が広く、企画、サービス、野菜、電気製品など多様で、モノだけでなく、サービス、コンテンツ、文化へとどんどんその幅が広がっています。

 ブランディングとは、価値を再認識してさらに価値を付加して行くことなのです。

  ◆   ◆   ◆

 いくつかの地域ブランディングの成功例も紹介されました。

 九谷焼は床の間の置物が中心でしたが、日本の家屋から床の間、飾り棚、畳の部屋が少なくなっています。

 そのため、そうしたスペースに飾るのにちょうどよかった置物類が売れなくなり、九谷焼もかつては200億円産業だったのが、あっという間に100億円を下るようになりました。

 そこで焼き物でワイングラスを作ってみましたが、単なる焼き物では細い足が難しく、そこで新潟県が洋食器の産地であることに気付きます。

 新潟の金属加工やメッキなどで接着剤のメーカーも(東亞合成アロンアルファ)金属とセラミックが見事に融合しました。

 ワインをペアで本のような綺麗なパッケージに入れて売り出したのは、本棚に収容することも可能かな、という思惑。ネーミングも九谷物語として本棚にぴったりです。

 この延長で、いろいろな絵付けも出てくるし、値段は1万円程度としましたが、モノによっては金製の足をつけて、ペアで60万円という高額なものもあり、60億円ほどは売れているといいます。

 モノ自体は簡単なモノですが、流通、価格、思惑などがあって、産地同士が力を合わせるというのは案外難しいものです。こうしたことを乗り越えられれば、面白いことができあがるかもしれません。

  ◆   ◆   ◆

 さて、地域ブランドの考察です。

 「地域をブランディングする」ということは、地域の価値を幅広く知ってもらって利用してもらうと言うこと。

 ブランドクラスターという考え方がありますが、一般の人に買ってもらえる商品イメージは、パブリックブランドのところ。

 そのうえのプロダクトブランドは、手に入る最高級品、ハイエンド商品のイメージ。「ここまでできるのですよ」という理想の最上級です。

 しかしさらにその上にあるのがイメージブランド。これは、その会社がこれからどこに向かって行くだろう、と、未来に向かって発信するイメージをブランド化したものです。

 およそこれによって会社に対する憧れや共感が増すことでしょう。

 


  ◆   ◆   ◆


 さて、これから注目されるブランドファクターは、「自然、歴史・未来、環境、文化、食」といったものだろう、と山村先生は言います。

 企業もモノづくりから、企業の持つ文化的背景をきっちりと発信して行くパワーが必要になるでしょう。
 
 日本の企業が上位から消えたのはなぜか。モノづくりの時代が終わって、企業文化のステージに入った時に、小さくてもしっかりした文化的背景を持ちきれていなかったのではないか。

 商品としては、軽薄短小の機能中心主義的なところから、知的で創造的、美しい、優しいというような感性・ライフスタイルが中心になってくるのではないか。

 価値観の軸を変えて行かなくてはならない時代が近づいている。

 …とまあ、大体このようなお話でした。


   ◆   ◆   ◆


 質問の時間があったので、私から、「地元にいるといくら良いものでも、どうしても馴れてしまって刺激にならず、価値を再認識しにくい。外への売り物だけでよいのか、地元が楽しむための工夫は何かあるでしょうか」と尋ねてみました。

 その答えは、「渦中にはいると見にくいですが、歴史に遡るとか、いろいろな方法があると思う。『温故知新】と言いますが、古いモノをもう一度引っ張り出してみるとか、近世だけではなく、ルーツやライフスタイルを振り返って研究、勉強してみてはどうでしょうか」

「そして、あたらしいそのものずばりではなく、何かの新しさを付け加えるようにして発信できるモノがないか。今は皆が振り返り始めているので、そのときに置いて行かれないようにした方がよいでしょう」とのこと。

 また、「一度出た人を出戻りは歓迎しない風もあるが、まちづくりのパワーになっている例も増えている。自分たちが幸せにならないと人が幸せにもならないでしょう。自分たちも楽しんで、時に離れて、遠くの人と話をするのも良いのではないでしょうか」

 さて、釧路も阿寒ももっと地域をブランディングしたいものです。

 地域の価値を再発見です。

 

 

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撮り鉄の魂~SL冬の湿原号

2013-01-27 23:45:45 | Weblog

 昨日開かれた、釧路臨港鉄道の会(会長星匠さん)の新年会に参加しました。

 私自身は鉄道ファンというわけではありませんが、知人にこの会の会員が多いのでときどき声がかかっては参加させてもらっています。

 特に昨日は、JR北海道の前釧路支社長である矢崎義明さんも参加するというので、喜んで出席しました。

 矢崎さんは現在旭川で旭川ターミナルビルの社長として活躍中ですが、今回はSLの写真を撮るついでにこの会に参加したとのこと。

 釧路地域に対する矢崎さんの功績は絶大で、ルパン列車を走らせたり、日本一長い各駅停車である滝川~釧路間の2429Dで、沿線のお酒を集めたツアーを作るなど、鉄道に関する話題を大いに振りまいた張本人。

 そんな矢崎さんに敬意を表する意味でも参加できてよかったです。


   ◆   ◆   ◆


 鉄道ファンが集まると、もう聞いていて訳が分からなくなるような細かい話題で勝手に盛り上がることが多いのですが、昨日一番の話題は、先週19日から運行を開始したイベント列車「SL冬の湿原号」が運休になったこと。

 釧路地方では一昨日から湿った雪が降っていましたが、特に弟子屈の奥あたりの雪が多くて走れなかったのだそう。

 この「SL冬の湿原号」は、座席を取るのも大変ながら、その雄姿をビデオや写真で撮ろうという、いわゆる「撮り鉄」と呼ばれる人たちにとっては憧れの的。

 しかも特に、この1月26日と27日は、SL機関車二台による重連で走る予定でした。

 しかしそれが早々とSL一両の車輪交換が必要という整備トラブルにより重連はなし。そのうえ、せめて一両のSLもなし、というわけで、「撮り鉄」にとっては最悪の一日となったのです。

 撮り鉄つながりで、急に参加が決まった、大阪の堺市から来たという方は、「金曜日の夜9時40分発の堺市発新宿行きの高速バスに乗り、朝6時10分に新宿へ到着。そのまま羽田空港へ移動して、朝8時10分発のJALに乗って釧路空港へ到着しました。その足で釧路川沿いの撮影ポイントへ直行しましたが、運休と聞いてがっかりしました」と半分やけ気味に笑いを誘っていました。

 【堺市からのゲスト】

 地元の会員からは、「小松さん、こういう取り鉄の皆さんは、わざわざ遠くへ行かずに釧路市内に泊まりますから、地域への経済貢献は大きいものがあるんですよ」と教えてくれました。

 確かに、たった一つの目的のために大変な旅をしながらわざわざ釧路へ来てくれるのですから、ありがたい話です。

 願わくば、こういう人たちへの理解と観光サービスがもう少し増えてもよさそうですね。


   ◆   ◆   ◆ 


 さて、そんな話を昨夜聞かされた今日の朝。

 朝11時09分釧路駅発のSLは、なんとSLが逆向きになってバックで客車を引っ張るというこれまた珍しい走行になるとのこと。

 これは撮り鉄の生態も見てやろうという事で、晴れてはいたものの風の強い中を釧路川沿いの鉄橋付近まで行ってみました。

 すると、いるいる!

 

 ひとりで2台も3台もカメラやビデオを持ち込んで三脚に固定している人たちが50人くらい今や遅しとSLを待ち構えています。

 三脚を固定した人の中には、前に陣取る人たちに、「どうか立たないでくださいね」とお願いしたり、後から来て前に陣取るような人には、「頭下げて!後から来て、だめだよ」とやや殺気立つ雰囲気も。

 この一瞬に賭ける必死の思いが伝わってきます。

   ◆   ◆   ◆

 いよいよ駅からポーッ!という汽笛が聞こえ、遠くの黒い煙がもくもくと近づいてきます。

 いよいよ鉄橋にさしかかると、興奮は最高潮。

 

 バックで客車を引っ張る、今日でなくては撮れない映像が撮れて、皆さん大興奮のようでした。

    ◆   

 さて、SL湿原号が目の前を通過するのはほんの一瞬のことですが、撮り鉄はこれでまんぞくするような人たちではありません。

 すぐに撤収した撮影機材を駐車場に止めたレンタカーに押し込むと、慌ただしく汽車を追いかけてゆきました。

「次は塘路湖周辺あたりで撮ろうかなと思っています」とは、昨日堺市から長旅で来てくれた方。

「道路は滑りますから、気を付けて」
「ありがとうございます、それじゃ!」

 
 それもこれも、皆、釧路でしか撮れない鉄道サービスがお目当て。

 それだけJR北海道が頑張って、道東の汽車の旅の価値を高めてくれているおかげです。

 これからも根室本線、花咲線、釧網線を地域の宝として、大いに磨きをかけてやりたいものです。

 実はこれもまた釧路の凄い資源なのです。  

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国際ソロプチミストガールズフォーラム

2013-01-26 23:45:19 | Weblog

 

 今日は「2012年度国際ソロプチミスト2クラブ合同ガールズフォーラム」に招かれました。

 そもそも国際ソロプチミストとは、管理職や専門職に就いている女性の国際的奉仕組織で、世界中で女性と女児のためのプロジェクトを推進しているもの。

 釧路には、国際ソロプチミスト釧路と国際ソロプチミスト釧路アミティという二つのクラブがありますが、今回はこの2クラブの合同イベントです。

 今日の「ガールズフォーラム」は、このクラブの活動の一つで、青少年が明日の指導者として将来の重要な役割を果たせるように、その能力を開発し、指導者を育成する機会や経験の場を提供するというもの。

 特に今回は、市内および管内の高校の女子生徒を対象に、「世界の中でボランティアを考える~私の夢~」というテーマで作文を提出、ならびに発表してもらいました。

 そして優秀者2名を、上位組織である日本北リジョンガールズフォーラム(今年の7~8月に札幌で開催予定)へ送り込みますが、さらに優秀な子には海外研修の機会が与えられるという、その予選会的な位置づけが今日のフォーラムです。

   ◆   ◆   ◆

 私は全体の基調講演として、「ボランティアの意志と能力」というタイトルでミニ講演をしました。

 内容は、「ボランティア」と聞くと、ともすると自分の意識や決意ややる気の問題と思われがちですが、そういう意志が発現した際にそれを実現するためには、能力が必要ということ。

 能力は、学力、語学力、など体得するのに時間がかかるものなので普段から備えるための努力が必要。

 ただし、そうした特殊能力だけではなく、実は健康であることや誠実な心を育成すること、さらには友人や仲間の存在や信頼なども広い意味での能力と考えられます。 
 
 身近なことをまず確実に行うところから少しずつ関心の領域を広げていって、自分の理想をみつけそれを実現させてほしいと思います…といったもの。

 特に私の場合は、献血に縁ができたのでそれを地道に繰り返して昨年末に100回を達成でき、それを誇りにしています。

 献血も健康でなくてはできないボランティアなので、そういうところから始めてみるのも良いかもしれません。


   ◆   ◆   ◆


 さて、講演の後は、今日参加して女子高生たちによる作文の発表と意見交換。

 私は審査委員長として札幌へ送る優秀者2名を決めなくてはなりません。

 事前の作文はほとんど甲乙つけがたいしっかりしたものでしたが、一人一人の発表を聞いて、あらためてその姿勢やボランティアに対する理解などを総合的に勘案して、第一位は武修館高校2年生の佐藤果菜美さんに、第二位は標茶高校の小澤梨花子さんの二人に決定しました。

お二人とも本当におめでとうございます。

   【左が佐藤さんで、右が小澤さん】

 
 実はこの会、昨年まではユースと称して男子学生も対象にした活動としていたのですが、今年は上部機関からの指示があって、女子生徒を対象にしたフォーラムにしたとのこと。

 女性の社会進出を促進するという意味では、意義深いことだと思います。

 ガールスカウトの評議員をしていて、参加した時に議論になるのは、女性のリーダー論。

 男女が混ざり合った社会ではつい男性が苦労を背負ったりリーダーになったりしがちです。

 しかしそれが女性だけの集団の中で行われることで、理想のお姉さん像が確立し、後輩の女の子を指導するリーダーの立場の実践に繋がります。

 これからも女性ならではの良さを生かして社会全体を明るく支えてほしいと思います。

 釧路のソロプチミストの会員の皆さんのご活躍にこれからも期待しています。

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釧路新聞「巷論」強靭な国土とは何か

2013-01-25 23:37:07 | Weblog

 

 釧路新聞「巷論」欄に、安倍政権の国土強靭化路線に期待する文章を載せました。

 真に力強い、強靭な国とは何か。それは施設と共にそれを使いこなせる人間の力、地域の力なのではないか、という問いかけです。

 国は強くありたいもので、国民一人一人がそれを目指して力を尽くしたいものです。


   ◆   ◆   ◆


 安倍政権は15日に、緊急経済対策の閣議決定を行った。

 今回の緊急経済対策による補正予算は、「復興・防災対策」、「成長による富の創出」、「暮らしの安全と地域活性化」という三つの重点分野により構成されているが、重点分野の一番目に掲げられた「復興・防災対策」には、「事前防災・減災のための国土強靭(じん)化の推進、災害への対応体制の強化等」とある。

 これは従来の公共事業には見られなかったテーマで、中央自動車道の笹子トンネルの事故など、老朽化するインフラ施設に対する危機感が大きく反映された結果だろうけれど、既存インフラの維持に目が向いたという意味で極めてエポックメイキングな出来事だと評価したい。

 さて、では「強靭な国土」とはなにか。トンネル事故を教訓にして橋やトンネルなど老朽化した施設の更新が行われるだろうが、そのことだけにとらわれていては強靭な国土とは言えまい。ソフト面や社会を維持し保全する体制なども強靭でなくてはいけない、と思うからだ。

 例えば除雪の問題だ。

 かつてのように夏の間の公共事業が十分にあった時代には、業者の皆さんも、冬の間の除雪は、「ボランティアみたいなものだよ」と言ってくれていたが公共事業が全体に少なくなってきた今日、そうした余裕は失われつつある。
 そしてそのことは機械力に端的に表れてきて、建設事業者に除雪機械を持つ余裕がなく、市役所でも毎年、機械力が不足する心配をしながら除雪の時期を迎えている。

 技術力のある技術者と相応の機械力が地域の中にあって、地域の中で日常の仕事をこなしていればこそ、不測の事態への即応体制も取れる。

 しかしそれを維持するためには、補助金のあり方も新しい施設整備だけではなく、既存施設を維持する地方の事業に使われて良いだろう。

 強靭な施設とそれを維持する強靭な体制の両者が揃ってこそ初めて「強靭な国土」が完成するはずだ。

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心が通う森のビジネス~共感が招く経済

2013-01-24 23:45:13 | Weblog

 

 釧路森林資源活用円卓会議シンポジウム「地域資源"森林"をまるごと利用するために!」が市内のホテルで開かれました。

 釧路は合併によって市域約1,060平方キロメートルの約75%が森林地域となりました。

 合併前の旧釧路市にはほとんど森林はなく、林務行政もなかったのですが、それが日本でも指折りの森林を有する自治体になったのです。

 森林はただ管理するだけではなく、間伐や皆伐で木を切り、製材をし、商品として流通させるという何段階もの手を経て最終消費者へと届けられます。

 しかしともすると、木を切る森林組合と、(財)の加工業者と最終的に使う建設事業者同士の連携が悪く、互いのニーズをお互いが知らないままに非効率なことがまかり通ることが多くなります。

 釧路ではそれを川上から川中、川下と川の流れに例えて、上流から下流までが同じテーブルで意見交換することで木材の適切な利用を推進しようという試みを始めましたが、それが釧路森林資源活用円卓会議というわけです。

 今日はその勉強会のシンポジウムとして、岡山県の最も北東部に位置する西粟倉(にしあわくら)村で株式会社西粟倉・森の学校代表取締役、兼株式会社トビムシ取締役の牧大介さんをお招きして、小さな村が森林を資源として地域の生業を立てる試みを紹介していただきました。

 西粟倉村は人口1,700人の小さな村で村域の95%が森林という森林しかないところ。

 ここは2004年に市町村合併をしないという選択をし、それでも生き延びてゆくための方策を真剣に考えて、村のコンセプトを「心産業(しんさんぎょう)」とし、2008年から「百年の森林構想」を立ち上げました。

 誓った言葉は、
①地域は下請けではない
②マーケティングの自前化へ
③丸太を売る村から、最終製品を売る村へ

 森林を産業の源泉と捕え、林野庁長官へ直談判して林野庁からの出向者を貸してもらい、また神奈川県を退職した女性が移住してきて、地元役場プロパー職員も加わっての3名の森林専門職員を有して森林に町の運命を託しています。

 この間、村の中に青年が一人、木工工房「木薫(もっくん)」を立ち上げて地元の木材を使った家具製造を始めます。

 この動きに呼応して若者が少しずつ村に移住してきて森林産業が始まります。

 しかし産業を起こすにも資金がありません。村の事業としてやれば、過疎債など有利な借金ができる道はありました。

 しかしそこで楽をしてしまっては、顧客とのつながりが結局できないままに売り先がなくて苦労をするだろうと予想されます。

 そこでこの村が挑戦したのは、「共有の森ファンド」という名の、小口投資をたくさん集める方法でした。

 

 
 一口5万円で最大でも十口までしか買えないファンドで、とにかく買ってくれる人をたくさん集めなくてはなりません。しかし事前の心配をよそに、実際やってみると、企業や個人などから多くの共感する出資者が現れ、約1億3千万円が集まったと言います。

 お金を出してくれたのは、ただの投資家ではありません。この運動に心底共感して、西粟倉村のファンとして応援してくれる関わりを持った人たちです。

 だから投資をした人たちも、販売先や販売ルートを探しては情報を村に寄せてくれます。

 ここには、木材を媒介として共感の心が繋がっています。

 同じ値段だったら、西粟倉の製品を使ってやろうという気持ちになります。そうやって、商品が売れてくれば仕事が忙しくなり、また新しい若者が村にやってきます。好循環は始まったばかりです。

   ◆   ◆   ◆

 

 木材は建材として使ってくれれば一番量が捌けますが、ライバルも多い世界。そこで、都会で賃貸住宅に住んでいる人が床に自前で敷き詰めて木のフローリング感覚を楽しめる床材を開発してこれを商品化しました。

 単なる床材ではなく、「西粟倉の心のこもった床材」なら買うという人がいる事実。ビジネスには共感の心が必要ということです。

 牧さんの仕事は、こうした仕事が生まれてビジネスになる仕組みづくりをプロデュースすること。

 コストカットやアイデア商品という以前に、共感してくれる人を探して巻き込むという心のビジネス。

 木材にはそうした共感を呼びやすい側面もあります。

 心の故郷で育まれた木材を活用して、経済という形で再び心の故郷に還元してやるビジネス。

 実に先駆的で独創的な取り組みです。

 釧路も、域内循環という表現で、木材も人材も地域の中で循環させて経済を呼び込もうと考えています。

 こうした楽しい事例を学びながら、釧路流の森林まるごと利用術をつくりあげたいものです。

 釧路も森林の町なのですから。
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暗唱で心豊かに

2013-01-23 23:45:45 | Weblog

 

 知人から、「小松さん、こんな副読本教材があるんですよ」と教えられました。

 題して「中学生のための暗誦詩文集~高校国語へのかけはし」です。

 中身は現代文、古文、漢文などから著名で知っていて損はない名文たる51個の詩文を集めたもの。

 暗誦とは文章をそらんじて声に出して発することで、そのためのコツは実際に何度も声に出して読むことだと言われます。

 この冊子では、暗誦することを大きな目的としているので、何度読んだかをチェックする項目や、横に印をつけて、「ここまで隠しても暗誦できること」を果たせるような工夫がされています。

 こういう教材の助けを借りてでも、名文の一節を暗誦できるようになるのにはどんな意味があるでしょうか。

 よく言われるのは、「記憶力がいいね」という評価ですが、多分暗誦の成果は記憶力ではないと思います。

 「暗誦することは文章を自分の体の一部にすることだ」という言い方をすることもあります。

 先人の名文が自分の口からすらすらと出てくることは一つの練習と鍛錬の結果であり、時間の差こそあれ、誰でもできることだと思います。

 そして暗誦によって、自分自身が使える語彙や表現が増えることが言葉の豊かさにつながってゆくことでしょう。

 日本人は古来より、暗唱というやり方は有効だと考えていて、九九、百人一首、いろはガルタ、素読などは、日本人が実践してきた教育の方法だったのです。

 


   ◆   ◆   ◆
 

 ところがこうした反復練習による記憶という伝統的な学習手法は、戦後急速に失われ、西洋的な理解と思考の教育に取って代わられました。

 そしてそれが行き着いたところで再び公文式のような反復練習による記憶の定着が評価される時代になります。

 暗誦によって「地頭(じあたま)」が良くなって、勉強ができるようになれば良いのですが、やはり名文を覚えるという事はそれ以上に人生を豊かにする効果の方が大きいと思います。

 私も学生のころから面白がってお経を覚えてみたり、祝詞をそらんじてみたり、世界の国々の首都を覚えるなどということをやっていました。

 もっとも世界の国々の首都は、その後国の名前が変わったり、新しくできた国に全く対応できません。暗誦が完成した時で世界の首都は止まってしまっているのです。

 やはり若い時の脳は柔軟で何でも吸収できる反面、歳を重ねると不利かもしれません。

 でもあきらめずに、「死ぬまでには覚えてやるぞ」という気構えで何度も何度も読み返してやればいつかは脳に定着してくることでしょう。

 一日10分程度で良いから繰り返すと良いそうですよ。


   ◆   ◆   ◆


 こういう冊子で暗誦を始めることから、原典に触れるきっかけになるとなお良いですね。

 いくつになっても、脳には良い刺激をたっぷり与えて苦しめてやりましょう。

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ヒフンで快適な春を

2013-01-22 20:40:39 | Weblog

 

 エア・ドゥの営業本部長さんが今日釧路市を訪ねて来てくれて、3月31日から就航する釧路~羽田便の時間帯について説明をしてくれました。

 それによると羽田発の一便目は朝7時40分羽田発→釧路着9時15分になり、折り返しが釧路空港9時50分発→羽田着11時30分。

 二便目が13時50分羽田発→15時25分釧路着、折り返しが16時00分釧路発→17時40分羽田着となるもよう。

 これだと、朝一番に東京から出てくるビジネスマンは釧路での10時からの打ち合わせに出席できて、さらに夜遅い他社の便を使えば一日を有効に使って東京に日帰りもできる。

 一方釧路ではこれまで東京行朝一番の飛行機が10時発だったために、東京には12時30分着で、13時からの会議に間に合わず、前泊が必要だった。

 それが間に合うことで朝一番に上京できて東京での出張の幅が広がった。

 もっとも、この話を聞きつけた、東京に家族がいて釧路で単身赴任をしているある方は、「これで前泊ができなくなりますねえ…」と複雑な心境だそう。

 いずれにしても、エア・ドゥが二往復分増えることで、東京釧路間の輸送人員が一日約300人ほど増えるので、地域として大いに期待したいところです。


   ◆   ◆   ◆


 さて、そんなエア・ドゥさん御一行と話をしていて話題となったのが、「ヒフン」のこと。

「今釧路では『ヒフン』で売り出そうとしています」というと、先方はきょとんとして、「『ヒフン』ですか?悲憤慷慨する悲憤?」

「いえいえ、粉を避けると書いて『避粉』と書きます。これはスギ花粉の広がる季節は、スギ花粉のない釧路へきてください、というプレゼンに使われている言葉なんです」
「ははあ、初めて聞きました。なるほど、暑さを避けるのが避暑なら、花粉を避けるのが避粉というわけですね」

「そうです。2月から3月頃まで、花粉症を我慢して暮らすよりも、釧路へ長逗留してくださった方が体が楽でしょうという宣伝なので、ぜひ航空会社でも使って見てください」

    ◆   

 あまり聞き慣れない単語だと思いましたが、ネットで調べてみると、長崎県の大島や沖縄などへは避粉地ツアーなる旅行も売り出されているようで、少しずつ認知されつつある単語のようです。

 杉が自生する北限は青森県とされていて、北海道はせいぜい植えたものが育つ程度で山には花粉症に悩まされるほどの杉はありません。

 もっとも、北海道にはシラカバ花粉症があって道産子の中にはこの患者も多いのですが、釧路くらいになるとシラカバもそれほど多くありません。

 あくまでも個人的感想ですが、シラカバ花粉症の私も釧路では楽な春を迎えています。

 巨大な湿原の力ですね。

 さて、避暑も避粉も、長期滞在は釧路へどうぞ。

 

【参考】釧路長期滞在ビジネス研究会ブログ http://cool946.com/blog/

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