最近話題の一冊、「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(加藤陽子著 朝日出版社)を読みました。
この本は、2007年から2008年に移ろうという冬休みの5日間に、東大文学部教授の加藤陽子さんが、中高一貫教育の栄光学園で歴史研究部の中学校1年生から高校2年生(当時)までの17人を相手にした歴史講義をまとめた本です。
構成は、「序章 日本近現代史を考える」から、「1章 日清戦争」、「2章 日露戦争」、「3章 第一次世界大戦」、「4章 満州事変と日中戦争」、「5章 太平洋戦争」となります。おそらくはこの各章が一日分の講義だったのでしょう。
加藤先生の専門は1930年代の外交と軍事です。大学では文学部の3年生と大学院生に対して講義をしていますが、これでは理系の学生や文系でも他の学部の学生に対して、近現代史を知ってもらえない、と常々考え、もっと若い人たち、つまり中高生に対して歴史を語ろうと思ったのだそうです。
その結果この本は、若い人たちとのやりとりによる新鮮な感性が伺え、同時に大学教授ならではの戦争の時代に対する深い洞察の両方が盛り込まれ、歴史のエピソードが満載の格好の近現代史入門書となりました。
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冒頭加藤先生は、1930年代(大正末期から昭和初期)ころの教訓はなにか?と問いかけます。
実は1937年の日中戦争の頃までは、我が国は政党政治による社会民主主義的な改革(労働者の団結権など、戦後GHQによって実現されたことがらなど)を求めていたのですが、その当時は既成政党や貴族院、枢密院など多くの壁によってそれらが実現出来ずにいたころなのです。
その結果何が起こったかというと、こうした改革要求は既存の政治システム下では無理だと言うことで、擬似的な改革推進者としての軍部への人気が高まっていったのだと言います。その当時の陸軍の改革案の中には、自作農創設、工場法の制定、農村金融機関の改善などとてもよい社会民主主義的な改革項目が盛られていました。
ここで先生が述べる歴史の教訓とは、国民の正当な要求を実現しうるシステムが機能不全に陥ると、国民に、本来見てはならない夢を擬似的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現れるかも知れないという危惧なのだ、ということです。
ちなみにこの本の初版は今年2009年6月です。
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さて、日本の近現代史を勉強しようと思うと、大抵は自分の国の中の出来事を中心に語ります。加藤先生はそれを「日本中心の天動説」だと言います。
やはり時代を大きく俯瞰して、大陸の大国である中国とロシアの力関係、またヨーロッパ大陸における、ドイツ、イギリス、フランス、イタリアなどの力関係とやはり対ロシア関係、そしていよいよ登場するアメリカといった国々の中の政治状況や思惑などを見て行くことで初めて、関係性の結果としての歴史を少しずつ理解出来てくるもののようです。
読んでいて感じ入るのは、やはり当時の世界常識はなんだったのか、ということに思いを馳せる必要があるということです。
ともすると、現代日本における常識をそのまま半世紀前に持ち込んだ議論がなされがちですが、植民地もあたりまえならば、そこでの権益を強国どうしが密約を交わして取引をするというのも当たり前。
日本もそうなるまいと必死に権益を確保しようとした努力の跡が痛いほど分かります。
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また、政治的に重要な判断をしようと思う時に、しばしば人は過去の出来事について誤った評価や教訓を導き出すことが以下に多いのか、という点も興味深いものでした。
ハーバード大学のアーネスト・メイ教授は1973年に「歴史の教訓(原題は”The lessons of the Past”)」という本を書きましたが、そこでの主題は、「なぜアメリカはベトナム戦争に突入し泥沼に陥ったのか?」という問いでした。
それをメイ教授は、アメリカの第二次大戦後の「共産化による中国の喪失」というトラウマだと言います。
せっかく第二次大戦は中国の蒋介石率いる中国国民政府と共に対日本、対ドイツに対して勝利したのにもかかわらず、1945年以降の内戦で結局中国は共産化してしまった。
だから内戦の最後には介入して、こちらにとって都合の良い政治体制を確立させなきゃいかんという思いを教訓として感じてしまった。これがメイ先生の結論なんだと。
要するに人間はしばしば歴史から得た教訓と思われることに縛られて仕舞う存在でもあるのだと言うことです。
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さて、タイトルの「それでも日本人は『戦争』を選んだ」のはなぜでしょう?
答えを全てまとめて言ってしまうわけにも行きませんが、一つには、当時の国民の中に、「日中戦争はなにか弱いものいじめをしているような気が進まない戦争だったが、米英を相手にする戦争は強い相手と戦って東亜を建設しようと言うのだから明るい戦争だ」という気分が広く認知されていたということ。
また、一部のインテリには「日本は武力戦には勝てても、持久戦、経済戦には絶対に勝てない、つまり日本は戦争する資格がない」という人もいました。しかしそれだからこそ、持久戦ではなく速戦即決を求めざるを得なかったのだとも言えます。
大陸における中ロの政治力学、同じロシアとヨーロッパの関係、ドイツとイギリスの関係など、時々刻々と変わる政治情勢を判断し、日本はやはり「巻き込まれた」と言うよりは戦争をする決断をそれぞれの段階でしていたのではないでしょうか。
ただし、そういう判断をするためには当時の資料をもっと公正に評価し、歴史的に適切な問いを発してそれに答える知的作業をもっとしなくてはならない、というのが加藤先生の結論のようです。
大人の教養書として近現代史への入門書としては非常に面白い本でした。冬休みの読書には最適かも知れません。