朝からどしゃ降りの雨。1月になってから四度目の雨なのだそうですが、この時期に雨に降られるとせっかく固まっていた道路の雪が融けだして大変です。
雪まつりも来週からだというのに…。
【日本的なるものからの訣別】
昨日の夜に、北海道観光に関わる産官学のメンバーが集まって会合を行いました。
大学の先生の観光論を聴いていて、北海道のこれからのテーマを考えていたのですが、先生の「飛行機で新千歳空港に降り立つときに、『ここは日本とちゃうなぁ』と思ったんですよ」という言葉にひらめいたものがありました。
そこで講演の後の質疑応答の時間に次の質問をしてみました。
「先生、うすぼんやりと考えていたことなのですが、北海道はもう【日本的なるもの】と訣別をして、異国を自覚するという生き方の選択をしてはどうか、と思うのですが、いかがでしょうか」
【日本的なるものとの訣別】とは穏やかではありませんが、ときどき登場する『北海道が国として独立する』という事とは違います。
つまり、北海道は気候が亜寒帯に属していて植生がまず内地の温帯とは違います。本州の平地には見られないような植物や樹木が北海道を特徴づけています。
また、農業で言えば、確かにお米も作ってはいますが、寒冷地に適した小麦や野菜、それに牧畜が盛んで、乳製品は安心で美味しいブランドです。
寒冷地故に茅葺き屋根に囲炉裏ではとても過ごすことはできません。北海道独特の住宅技術によって瓦屋根が懐かしい、内地の都市には似ても似つかない土地柄です。
どこまでも続く真っ直ぐな道は、どこにでも人家のある内地とは景観を異にしています。
漁業も本州とは違って、新鮮で脂ののった豊かな産物が獲れ、北海道の食を支えています。
そして何よりも、北海道の本格的な開拓の歴史を彩るのはお雇い外国人による技術であったり、函館、小樽の異国情緒です。
こうして改めて北海道のアイデンティティを眺めてみると、やはり北海道と言うところは、温帯で細々と米を作り、茅葺き屋根や瓦屋根に暑い夏を過ごす内地とは全く異なる土地、異なる島なのです。
美瑛の丘と、美馬牛小学校を見て、実に美しい風景だと感動するのは、そこに日本的なるものではない異国の風情を感じるからではないでしょうか。
こうなったら、北海道を大和民族の歴史の延長にある日本とは思わず、日本的なるものの延長を探るのはやめにしてはどうでしょうか。
北海道内中の酪農家がこぞってご当地チーズを造り、チーズの種類と味を競い合いましょう。
斜面があればブドウを植えてご当地ワインを造り、これまた大いに競い合いましょう。内地の人に飲ませることはありません、自分たちの楽しみにしてしまいましょう。
北海道の建築を考えましょう。日本の法律に渋々従っても、北海道の風景にあう北海道様式のデザインや素材を真剣に考えましょう。レンガや札幌軟石が最高です。
温泉宿は和風旅館をやめて、ドイツのバーデンバーデンを参考にしましょう。ローマ人も楽しんだ、西洋風スパリゾートです。
…とまあ、こんな想像をどんどん膨らませて、北海道から日本的なるものを放逐して、北海道のオリジナルな歴史と文化を思いきり追求してはどうでしょうか。
決して道内一斉に行う必要はありません。「うちがやる!」という志に燃えた小さな町の方がやりやすいかも知れません。
そして思いきり変わった場所を作れないものでしょうか。
* * * *
とはいえ、日本という国の一部ですから、どうしたって全く縁を切ることはできるはずもありません。そこは大いにしたたかに生きるという術も必要です。
お米はやっぱり効率的に、美味しく安くつくって外貨を稼ぎましょう。小麦や乳製品、チーズに水産品もしかりです。
そしてある時は日本の一員として、あるときは日本ではない異国という両面を併せ持ちながら、これを使い分けてええとこ取りをするような生き方を、覚悟を決めて模索してはいかがでしょうか?
* * * *
これが私の言う、日本的なるものからの訣別の趣旨です。
突然の質問を受けた先生は一瞬目を白黒させていましたが、私としては面白いテーマであるように思うのです。
そういう覚悟でまちづくりをするような町は現れないものでしょうか。小さいほど小回りが効いてやりやすいでしょう。
本格的な独立論を語る前に、精神的な独立に挑戦してみる値はありそうに思うのですが。
雪まつりも来週からだというのに…。
【日本的なるものからの訣別】
昨日の夜に、北海道観光に関わる産官学のメンバーが集まって会合を行いました。
大学の先生の観光論を聴いていて、北海道のこれからのテーマを考えていたのですが、先生の「飛行機で新千歳空港に降り立つときに、『ここは日本とちゃうなぁ』と思ったんですよ」という言葉にひらめいたものがありました。
そこで講演の後の質疑応答の時間に次の質問をしてみました。
「先生、うすぼんやりと考えていたことなのですが、北海道はもう【日本的なるもの】と訣別をして、異国を自覚するという生き方の選択をしてはどうか、と思うのですが、いかがでしょうか」
【日本的なるものとの訣別】とは穏やかではありませんが、ときどき登場する『北海道が国として独立する』という事とは違います。
つまり、北海道は気候が亜寒帯に属していて植生がまず内地の温帯とは違います。本州の平地には見られないような植物や樹木が北海道を特徴づけています。
また、農業で言えば、確かにお米も作ってはいますが、寒冷地に適した小麦や野菜、それに牧畜が盛んで、乳製品は安心で美味しいブランドです。
寒冷地故に茅葺き屋根に囲炉裏ではとても過ごすことはできません。北海道独特の住宅技術によって瓦屋根が懐かしい、内地の都市には似ても似つかない土地柄です。
どこまでも続く真っ直ぐな道は、どこにでも人家のある内地とは景観を異にしています。
漁業も本州とは違って、新鮮で脂ののった豊かな産物が獲れ、北海道の食を支えています。
そして何よりも、北海道の本格的な開拓の歴史を彩るのはお雇い外国人による技術であったり、函館、小樽の異国情緒です。
こうして改めて北海道のアイデンティティを眺めてみると、やはり北海道と言うところは、温帯で細々と米を作り、茅葺き屋根や瓦屋根に暑い夏を過ごす内地とは全く異なる土地、異なる島なのです。
美瑛の丘と、美馬牛小学校を見て、実に美しい風景だと感動するのは、そこに日本的なるものではない異国の風情を感じるからではないでしょうか。
こうなったら、北海道を大和民族の歴史の延長にある日本とは思わず、日本的なるものの延長を探るのはやめにしてはどうでしょうか。
北海道内中の酪農家がこぞってご当地チーズを造り、チーズの種類と味を競い合いましょう。
斜面があればブドウを植えてご当地ワインを造り、これまた大いに競い合いましょう。内地の人に飲ませることはありません、自分たちの楽しみにしてしまいましょう。
北海道の建築を考えましょう。日本の法律に渋々従っても、北海道の風景にあう北海道様式のデザインや素材を真剣に考えましょう。レンガや札幌軟石が最高です。
温泉宿は和風旅館をやめて、ドイツのバーデンバーデンを参考にしましょう。ローマ人も楽しんだ、西洋風スパリゾートです。
…とまあ、こんな想像をどんどん膨らませて、北海道から日本的なるものを放逐して、北海道のオリジナルな歴史と文化を思いきり追求してはどうでしょうか。
決して道内一斉に行う必要はありません。「うちがやる!」という志に燃えた小さな町の方がやりやすいかも知れません。
そして思いきり変わった場所を作れないものでしょうか。
* * * *
とはいえ、日本という国の一部ですから、どうしたって全く縁を切ることはできるはずもありません。そこは大いにしたたかに生きるという術も必要です。
お米はやっぱり効率的に、美味しく安くつくって外貨を稼ぎましょう。小麦や乳製品、チーズに水産品もしかりです。
そしてある時は日本の一員として、あるときは日本ではない異国という両面を併せ持ちながら、これを使い分けてええとこ取りをするような生き方を、覚悟を決めて模索してはいかがでしょうか?
* * * *
これが私の言う、日本的なるものからの訣別の趣旨です。
突然の質問を受けた先生は一瞬目を白黒させていましたが、私としては面白いテーマであるように思うのです。
そういう覚悟でまちづくりをするような町は現れないものでしょうか。小さいほど小回りが効いてやりやすいでしょう。
本格的な独立論を語る前に、精神的な独立に挑戦してみる値はありそうに思うのですが。
