名経営家の稲盛和夫さんが亡くなられたとのこと。
会社を経営するということは常に利益を得て会社を存続させ、さらには拡大するという使命を負うものです。
そこにはしばしば「安く仕入れて高く売る」から「他人を蹴落として利益を得る」といった自分さえよければ、という考えに陥りがちです。
もちろん利益を得られずに会社が立ち行かなくなってしまっては困るのですが、それにしてもそこには何をなすべきか、という哲学(=フィロソフィ)がなくてはならない、というのが稲盛さんの基本的な考え方でした。
稲盛さんはご著書を何冊も出しまた「稲盛和男 OFFICIAL SITE」でも読めるので、その中でご自身の考え方は常に開陳しています。
そしてその中でも「フィロソフィ」という言葉に強い意味を持たせています。
稲盛さんの言うフィロソフィとは、①会社の規範となるべき規則、約束事、②会社が目指しべき目的・目標を達成するために必要な考え方、③企業に素晴らしい社格を与えること、を挙げて、この三つのさらにベースとなる四つ目の要素として④「人間としての正しい生き方、あるべき姿」を掲げられています。
そしてそれらは「知識として理解される」のではなく、実践してゆくことこそが大事なのだ、とも。
この「人間としての正しい生き方・あるべき姿」として稲盛さんはしばしば「利己的ではなく、利他的であれ」ということを説きました。
このような稲盛さんの言説に触れるたびに、私にはこのような人生哲学の先駆者でありまた稲盛さん自身も尊敬していたという二宮尊徳翁の報徳哲学との親和性を感じます。
二宮尊徳の報徳哲学(=報徳思想)では、四つの綱領として「至誠・勤労・分度・推譲」を掲げています。
至誠とは誠実であれ、ということ。日本人が嘘を嫌い、また日本は落し物がちゃんと届けられる社会であるということの背景には、「誠実であるべきだ」という価値観が広く支持されているのだと思います。
勤労とは働いて労働の対価を得て暮らせる自立の力をもて、ということ。これが行きすぎると労働時間無制限と言う働きすぎという負の側面も現れますが、やはり日本人には「働くことは良いことだ」という価値観が広がっているのだと思います。
分度というのは、今日なかなか使われない単語になりましたが、文をわきまえなさいということ。それは収入が少ないのなら倹約をしなくてはならない、という"わきまえ"ですが、一方で金持ちには金持ちなりに使うべきところに使うという"わきまえ"もあるのだと思います。
そういう意味で借金と言うのは収入以上の暮らしをしているという意味で、分度ということを思い出す方が良いでしょう。
そして推譲ということ。これは「分度によってゆとりができたならばそれを他のために譲れ、差し出せ」という考えです。
これが稲盛さんになると「利他的であれ」ということになるのでしょう。
ただ報徳でいう推譲は、他人のためだけではなく子供や孫、世間、未来にも譲れという対象の広い使われ方をします。
例えば「目の前の食べ物を今食べてしまわずに明日に譲る」「今年の蓄えを来年に譲る」などで、これらは資源を大切にしてサステイナブルな暮らしを目指す今日のSDGsにも通じる、先駆的な考え方でありましょう。
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稲盛さんの主催した「盛和塾」では、国内でも優れた経営者を育成しましたが、お隣の中国でも多くの経営者に支持され、拝金主義のはびこる中国でもそんな経営を理想とする稲盛ファンは多かったのです。
そして稲盛さんが慕われたのはそうした哲学を口で唱えただけではなく自ら率先垂範して実践をしたことです。
自らは質素で謙虚な暮らしをし、正しい考えで正しいことを実践するというその姿勢が多くの人に慕われた理由です。
二宮尊徳翁は「良いことは多くの聖人君子が言い尽くした。我はただ実践あるのみ」と、理想の生き方を実践し多くの疲弊した村々で村民を改心させた生き方に通じるものを感じます。
SDGsにも、戦争のない平和な暮らしにも、活力ある地域づくりにも通底する良き価値観を持ちそれを実践をするという生き方を見習いたいものです。
人間学を学ぶ雑誌「致知」でも良く拝見しておりました。
稲盛和男さんのご冥福をお祈りします。
【稲盛和男OFFICIAL SITE】 https://www.kyocera.co.jp/inamori/