朝日新聞の「天声人語」と言えば、朝日新聞の朝刊一面に長期連載されているコラムです。
文章は、平易な表現ながら深い内容を表しているとして、よく大学入試試験などにも引用されることから、名文の代表的存在でもあります。
このコラムを、1975年から1988年まで担当した辰濃和男さんと言う方が、かつて掛川をよく訪れて、知人の家に長く滞在するなど、掛川とは縁の深い方でした。
ちょうど私も掛川にいた時に、ときどき滞在先を訪れて話を聞く機会がありました。
そんな辰濃さんは、「"新聞"というのは、新しいことを聞くのだから、自分の書いた話を再び書きたくはない、と思っていたのだけれど、ある時、ふと自分の書いた原稿を、過去に書いたことがなかったか気になって、調べてもらったところ、確かに昔同じようなテーマで書いたということがありました。そしてそれが三回になったときに、僕は天声人語の担当を降りることを決めました」と言っておられました。
二度と同じ話を書かない、と決めてそれを毎日書く天声人語を舞台に実行するというのは、大変なことで、しかもそれが果たされなくなった時に、天声人語の担当を降りるというのは、潔いものだ、と感心したものです。
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もう数年、現役のころから私は職員研修のカリキュラムの中で、『地方自治体から見た北海道開発局』というタイトルで1時間ないし1.5時間のコマを持たせてもらっています。
国家公務員として、各地へ転勤しながら国関係事業の執行という職務を果たす開発局職員ですが、これは地方自治体から見るとどのように見えるか、ということを主テーマに、私なりの地方自治体論をお話しているのです。
もう数年にわたって講義をしていると、過去に若手として私の研修を受けた人で、年が経って少し偉くなり、より上位の立場での研修を受けるときに、再び私の話を聞くことになった、という人が出てきます。
今年も二回講義を行ったのですが、その中である人が「私、小松さんの講義を受けるのは二度目です」という方がいました。
私の話は、主たるテーマは同じようなことを話しているので、後でその方の職場を訪ねた際に、「同じような話を二度聞くというのはどう思いましたか?」と訊いてみました。
するとその方は、「そういえば以前、小松さんの話を聞いたことがあるな、と思い出しつつも、前回に『開発局職員としてこうあるべきではないか』と言われたことが、今改めて聞いて、(ああ、できていないなあ)と反省をしました」と言われました。
同じことは言わない、ということも一つのポリシーですが、同じことを何度も言ってあげないと、心の中に染みて行きはしない、ということもあるのです。
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私が掛川で仕えた榛村市長さん(当時)は、市内の様々な会合で現在の市政について話をすることが多かったのですが、聴衆の中には、「市長さん、私はその話はもう5回くらい聞きましたよ」と冗談めかして言ってくる人がいた、と言いました。
「そんなときはどうするのですか?」と訊くと、榛村さんは、「『そんなに何度も聞いたのならもうすっかり話の内容は覚えているでしょう。今度はあなたがその話を他の方にしてくださいね』と言うんだよ」と笑いながら言いました。
大事な話は何度でもするべき。
聞かされた方も、たった一度の話でそれが心の中に染みるわけもありません。
自分の経験が増してゆく中で、話を何度も聞かされているうちにそれがストンと腹落ちする瞬間があるかもしれません。
内容が分かるという事以上に、それを自分が実践すべきだ、と思うところまで心に火がつくでしょうか。
頑な心になって、なかなか自分を変えられない人たちに変わってもらうという事は大変なことですが、だからこそ、一度でダメなら二度、二度ダメなら三度と繰り返すことが大事になるのだと思います。
大事なことなのに話の内容を変える人がいますが、それではいけません。
こちらにも、何度も繰り返す忍耐が求められるのです。