朝から雨で、一日を整理と読書に費やしました。週末はできるだけ現場に出たいのですが、たまには見てきたことを整理することに当てる時間も必要なのかも知れません。
さて、今気になっている単語があります。それは「パラダイス鎖国」という単語。これはシリコンバレーで活躍中の海部美知さんという女性が開設している「Tech Mom from Silicon Valley」というブログで初めて述べた単語で、いまブロガーの間では話題になっています。
(初出はこちら → http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20050728/1122535870)
海部さんが夏休みに日本に帰省するたびにぼんやりと感じていたことが「日本はどんどん住みやすくなっていくな…」ということだったのだそう。それが年々その思いを強くして、2005年の夏のときにはついに「日本はもう住みやすくなりすぎて、日本だけで閉じた生活でいいと思うようになってしまった」「つまり誰からも強制されない『パラダイス的新鎖国時代』になってしまったように」感じたのだそうです。
その昔アメリカに行くと言うことは、必死に英語を勉強して、アメリカで働いたり生活できることで日本にいるよりも良い生活ができるという憧れがあったはずなのが、今ではアメリカで生活する苦労よりも日本の生活の方が質が上だと感じることが多くなった、というのです。
デジタル製品の品質は日本の方が上、コストも同じくらい、治安は良いし、美味しいものがちまたにはあふれ、商品やサービスを売るのでも、無理をして外国へ売らなくても国内だけで採算がとれるようになった、と多くの企業が感じているのではないか?
それならば無理をして難しい英語を身につけて、わざわざテロや戦争のある海外などへ行かなくても、幸せに生きることはできる。
もはやかつての世界に日本製品を売り歩くモーレツ商社員の姿は遠い歴史になったかのようだと。
「しかし本当にそれでよいのだろうか」と海部さんは問いかけます。このブログの中では「パラダイス鎖国」というキーワードがいくつもの記事に登場しますが、その中で彼女は「日本が世界からrelevancyを失って行くのではないか」ということをしきりに心配しています。
”relevancy”とは、「重大な社会問題との関連」などという意味ですが、つまり何か世界に事件や出来事があったときに、日本という国の姿やイメージが浮かばない時代になってしまうのではないか、という心配をしているのです。
別な記事では「文化のガラパゴス諸島」などという表現も登場します。ガラパゴス諸島とは、天敵もいない、狭い世界だけで天国的独自の進化をしたためにここだけにしかいない生物に満ちた島を、鎖国の中で世界を見ずに独自進化をする世界を言い表したもの。
ジャパンアニメや漫画文化、世界一わがままな消費者のニーズに応えるべく徹底的に機能が満載されたデジタル機器の進化などはその典型。
その世界だけで過ごす分には確かに天国なのだろうけれど、それまでは島にいなかった犬などの天敵が一匹入ってくるだけで生物が全滅するかも知れないほどの危うさを一方で抱えているのではないか。
日本が住みやすくなることは、それはそれですばらしいことだけれど、それが世界から孤立していくという生き方には不安を感じるというのです。
※ ※ ※ ※
そう言われてみると、自分自身も「世界に飛び出して活躍する人は頑張ってくれればよいし、すごいと思うけれど、自分はそうなるつもりはないし、そういう人とも関係ない。自分は自分の小さな幸せを大事にしたい」と思うことが確かにあります。
しかし「グローバルスタンダードの世界に飛び込め!」というスローガンやグローバルスタンダード教の信者にならずに、自分たちの持っている能力や文化を他に伝えることで、良い国(地域、町、人たち)だと思われるように頑張ろう、という気持ちを持つべきだし、それに向けて努力もしよう、という見方を海部さんはアメリカから伝えようとしてくれています。
そしてそれが日本の外の視点であり、常識なのだ、ということも。
「汝、狭き門より入れ。滅びに至る門は広くて大きい」そんな言葉を思い出しました。
※ ※ ※ ※
彼女のブログの中で「パラダイス鎖国」というキーワードを検索してみてください。もっと多くの記事が出てきて国内外の見方の違いが分かりますよ
さて、今気になっている単語があります。それは「パラダイス鎖国」という単語。これはシリコンバレーで活躍中の海部美知さんという女性が開設している「Tech Mom from Silicon Valley」というブログで初めて述べた単語で、いまブロガーの間では話題になっています。
(初出はこちら → http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20050728/1122535870)
海部さんが夏休みに日本に帰省するたびにぼんやりと感じていたことが「日本はどんどん住みやすくなっていくな…」ということだったのだそう。それが年々その思いを強くして、2005年の夏のときにはついに「日本はもう住みやすくなりすぎて、日本だけで閉じた生活でいいと思うようになってしまった」「つまり誰からも強制されない『パラダイス的新鎖国時代』になってしまったように」感じたのだそうです。
その昔アメリカに行くと言うことは、必死に英語を勉強して、アメリカで働いたり生活できることで日本にいるよりも良い生活ができるという憧れがあったはずなのが、今ではアメリカで生活する苦労よりも日本の生活の方が質が上だと感じることが多くなった、というのです。
デジタル製品の品質は日本の方が上、コストも同じくらい、治安は良いし、美味しいものがちまたにはあふれ、商品やサービスを売るのでも、無理をして外国へ売らなくても国内だけで採算がとれるようになった、と多くの企業が感じているのではないか?
それならば無理をして難しい英語を身につけて、わざわざテロや戦争のある海外などへ行かなくても、幸せに生きることはできる。
もはやかつての世界に日本製品を売り歩くモーレツ商社員の姿は遠い歴史になったかのようだと。
「しかし本当にそれでよいのだろうか」と海部さんは問いかけます。このブログの中では「パラダイス鎖国」というキーワードがいくつもの記事に登場しますが、その中で彼女は「日本が世界からrelevancyを失って行くのではないか」ということをしきりに心配しています。
”relevancy”とは、「重大な社会問題との関連」などという意味ですが、つまり何か世界に事件や出来事があったときに、日本という国の姿やイメージが浮かばない時代になってしまうのではないか、という心配をしているのです。
別な記事では「文化のガラパゴス諸島」などという表現も登場します。ガラパゴス諸島とは、天敵もいない、狭い世界だけで天国的独自の進化をしたためにここだけにしかいない生物に満ちた島を、鎖国の中で世界を見ずに独自進化をする世界を言い表したもの。
ジャパンアニメや漫画文化、世界一わがままな消費者のニーズに応えるべく徹底的に機能が満載されたデジタル機器の進化などはその典型。
その世界だけで過ごす分には確かに天国なのだろうけれど、それまでは島にいなかった犬などの天敵が一匹入ってくるだけで生物が全滅するかも知れないほどの危うさを一方で抱えているのではないか。
日本が住みやすくなることは、それはそれですばらしいことだけれど、それが世界から孤立していくという生き方には不安を感じるというのです。
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そう言われてみると、自分自身も「世界に飛び出して活躍する人は頑張ってくれればよいし、すごいと思うけれど、自分はそうなるつもりはないし、そういう人とも関係ない。自分は自分の小さな幸せを大事にしたい」と思うことが確かにあります。
しかし「グローバルスタンダードの世界に飛び込め!」というスローガンやグローバルスタンダード教の信者にならずに、自分たちの持っている能力や文化を他に伝えることで、良い国(地域、町、人たち)だと思われるように頑張ろう、という気持ちを持つべきだし、それに向けて努力もしよう、という見方を海部さんはアメリカから伝えようとしてくれています。
そしてそれが日本の外の視点であり、常識なのだ、ということも。
「汝、狭き門より入れ。滅びに至る門は広くて大きい」そんな言葉を思い出しました。
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彼女のブログの中で「パラダイス鎖国」というキーワードを検索してみてください。もっと多くの記事が出てきて国内外の見方の違いが分かりますよ