北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

あの鐘を鳴らすのはあなた~名士カラオケ大会

2015-11-30 22:56:12 | Weblog

 先週の土曜日にある飲み会がありましたが、話題はすぐに「名士カラオケ大会で何を歌うんですか?」ということに。

「えへへ、私の歌はですねえ…」と言いかけたところ、お相手が「そうそう、昨日の新聞に出ていましたね」と教えてくれました。

「おー、まだ見ていませんでした。今頃出るんですか」

 週明けの今日になって、先週の地元新聞「日刊宗谷」を見てみると、おお、名士カラオケ大会に関する記事が大きく出ていました。

 イベントは二部制で、第一部が13団体、第二部が12団体の合計25団体です。

 私は第一部の五番目に登場して、和田アキ子さんの「あの鐘を鳴らすのはあなた」を歌います。

 この歌って歌詞が良いのです。


 著作権の関係があるので書き起こせませんので、ぜひ下記をご覧ください。

 http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36870

 未来への希望に満ちつつも、「あの鐘を鳴らすのは(ほかでもない)あなた」なんですよ、というのが良い。自助を促すまちづくりの歌のようで、なんとも奥が深い歌詞なのです。

 ちなみに歌には審査も点数もありません。だから「鐘一つ」で歌を中断させられることはないそうです(笑)

 さて、バックコーラス隊の準備は大丈夫かな?

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ドジな子供がいなくなる?

2015-11-29 23:25:25 | Weblog

 私は小学校三年生までを稚内で過ごしました。考えてみると今からおよそ50年前のことですが、今でも断片的ながら当時のことを思い出すことがよくあります。

 稚内市内で何度か家を変わったのですが、稚内を離れる直前に住んでいたのは、今の宿舎から見える小高い丘の上にあった平屋で二戸が一棟になっている、いわゆる「二戸イチ」と呼ばれる官舎でした。

 あれは冬の出来事だったと思うのですが、当時の家に使われていたガラスは脆いもので、よく割れました。

 野球をやってホームランが家のガラスを割ってカミナリオヤジに叱られるというのはサザエさんかドラえもんのワンシーンくらいにしか登場しませんが、当時のガラスはちょっとしたことでよく割れました。

 その日は私が学校から帰ってきて、遊びに行こうとドアを強く閉めたところその衝撃でドアのガラスが割れてしまいました。

(しまった!)と思いましたが後の祭りです。

 父はほとんど怒ることのない人ですが、そのときも「やれやれ」という感じでガラス屋さんに連絡をしてガラスをはめてもらいました。

 実はガラスを割った記憶はあるのですが、ガラスを直しているところの記憶はありません。そこは記憶が抜け落ちています。

 ところが割ったガラスが直ったと思い、喜んで再び遊びに行こうとしてドアを閉めたところ、なんとまたそのはめたばかりのガラスが割れてしまったのでした。

 子供心に(えーーーっ?)と衝撃が走りました。ドア越しに家の中を見ると父がなんとも当惑した表情で半分笑いながらこちらを見ています。

 ほんの一、二秒のことだったのでしょうが、私はいたたまれなくなってその場から逃げ去ってしまいました。すべてがストップモーションのようにゆっくり見えたのだけは覚えています。

 しかし記憶にあるのはそこまでで、その後どうやって家に帰りどういう話をしたのかは全く覚えていません。ただ、直したばかりのガラスをすぐに割ってしまってなんともばつが悪かった、という記憶だけが映画のワンカットのように頭に残っているだけです。

 幼い時の記憶なんて皆そんなものかもしれませんが、思い出すと恥ずかしくなって忘れてしまいたいワンシーンだけがどうしても記憶から消えないのです。

 今日の現代家屋ではドアにはゆっくり閉じる様なドアクローザーがつけられていますし、そもそも脆くて割れるほど大きなガラスが入っていません。

 進んだ科学技術は、子供がドジって叱られるような機会も防いでいるのでしょうか。喜ばしいようなちょっと寂しいような、ノスタルじじいな気分です。

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間宮林蔵の輝きに比べて陰になった心優しき探検家松田伝十郎

2015-11-28 23:25:04 | Weblog

 稚内が地元のことを学ぶ"稚内学"。 今日は特別講座として間宮林蔵と共に樺太を探検した松田伝十郎に関する講演会を聞きました。

 場所は市立図書館で、講師は立正大学名誉教授の仁木勝治先生です。

 松田伝十郎(1769~1842)は、幕府の探検隊の上司として1808年に間宮林蔵(1780~1844)と共に樺太へ渡りましたが、松田は島の西側を、間宮林蔵は島の東側を探検しました。

 その結果、松田は西側の大陸側を巡って島の半分ほどのところまで行きましたが、このときはそれ以上北上することができなかったため、松田の探検はそこまででした。

 間宮林蔵は、西側の探索を命令されて樺太中間の大きなタライカ湾を巡るところまで行きましたが、それ以上先へ進むことができなかったため一度戻って、松田伝十郎と合流し、二人で再び北上。前回よりもさらに北上することで、北側で樺太は大陸とは繋がっていないことをほぼ確信しましたが、それ以上実際に確認することができないままこのときの樺太探検は終了しました。

 間宮林蔵は一度戻って報告をしたのちすぐに単独での再探検を願い出てこれが許されると、単身で樺太へ向かいます。そして今回の探検では間宮はさらにはるか北へと北上し、ついにナニオーという土地で樺太が島であることを確認したのでした。

 さらに間宮は、その旅の中で、樺太北部に居住するギリヤーク人から『大陸にはデレンという町に清国の役所が存在する』ということを聞き、さらにはロシア帝国の動向を確認したいという衝動にかられました。

 当時の国法は鎖国ですから、それを破って他国へ渡ることは死罪にあたることを知りながらも、ギリヤーク人らと共に海峡を渡ってアムール川の下流部を調査しました。

 このときの旅で得た知識や情報を彼は帰国したのちに『東韃地方紀行』として残していますが、当時としては初めて日本が知った北東アジアの情勢でした。

 そしてこのとき間宮が確認した大陸と島が離れている海峡の最狭部を後にシーボルトが「Mamianoseto=間宮の瀬戸」と命名しました。(海峡全体はタタール海峡とされています)

 間宮はその後伊能忠敬に測量術を学んで、伊能忠敬が測量しきれなかった北部北海道の海岸線を測量して伊能の「大日本沿海與地図」の不足分を補って完成させたり、後半生は幕府の隠密として各藩の調査を行う役目を仰せつかりました。

 今では間宮林蔵は名のある探検家として認知され、宗谷岬には記念の銅像が立てられたり、稚内百年記念館の博物コーナーでは彼の事績が詳しく紹介され、さらには稚内市のゆるキャラ「りんぞう君」として市内観光の盛り上げに一役買っています。


   【稚内市観光協会ホームページより】


       ◆ 


 このように間宮林蔵は随分と名が売れているのですが、同じときに探検をした松田伝十郎はほとんど知られていません。

 彼の生まれ故郷である新潟県柏崎市を訪ねた方も、「現地で松田伝十郎のことを聞いたけれど、誰も知りませんでした」とのこと。

 しかし実は松田伝十郎には心優しい役人としての大きな功績があります。それは樺太アイヌたちが、大陸の山丹人(さんたんじん)達との間で、交換レートが著しく不公平な交易をしていて、その借金のために人身売買までしていたということを知り、その負債の多くを幕府が肩代わりしたということ。

 間宮林蔵は、北方四島で幕府に捕えられて松前で囚われの身となっていたゴローニン(ゴローニン事件)を訪ねて、ロシア事情を聞きだそうとしたり自分のロシア語がどうかと尋ねたりしたというエピソードが、ゴローニンが後に書いた日本幽囚記という書物の中にあったり、何としても自分が樺太が島であることを確認したいという強い思いがあるなど、非常に個性的な性格を持っているように思います。

 それに対して功名に興味がなく、臣民のことを真剣に考えて対策を講じた心優しき役人としての松田伝十郎はあまりに知られなさすぎているのではないか、と残念に思っているファンも多いはず。

 
 今日の講演会の後半のパネルディスカッションでは仁木先生以上の情報提供がありました。

 質問のコーナーがあったので私は、上記の問題意識から「心優しい松田と功名心に燃える間宮、という印象を持つのですが、人となりとしてどうお考えでしょうか」と質問してみました。

 仁木先生からは「彼は生涯七度、24年にわたって蝦夷地経営に携わりながらずっと後になって『北夷談』しか著さなかった彼は口下手な印象をもちますねえ」というお話。
 また地元の間宮林蔵顕彰会の会長で前市長の横田さんからは、「僕は間宮の功績を宣伝する立場なんだけど(笑)」と笑いつつ、「しかし最初の探検の時に、自分は大陸に近い西側を回り、間宮には東へ行くように指示をしたあたりは、自分が島の証をみつけたい、という思いが少しはあったのではないでしょうか」という示唆に富むお話がありました。


 最後に松田伝十郎のエピソードを一つ。彼が最後となった七回目の勤務を終えて江戸へと帰るときには、地元のアイヌたちが宗谷からかなり距離のある稚咲内というところまで名残惜しげに見送りに来たという話があるそうです。

 地元から慕われた松田伝十郎。地域の偉人としてもっと資料を集めて顕彰してあげたいものです。 

 

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腸を健康にするライフスタイル

2015-11-27 23:13:54 | Weblog

 

 体質としてあまり胃腸が強くない私。健康になる秘訣を教えてくれる本にはつい手が出てしまいます。

 特にこの春に盲腸で入院してからは特に腸の健康が気になっていました。

 今回読んだのは、四万人の腸を診たといって腸に関する著書の多い松生恒夫(まついけ・つねお)先生による『腸に悪い14の習慣』(PHP新書)という本です。

 腸のご専門の医師から見ると、世の中で流行っている健康法、特に食に関するものの中には医学的に見て間違っているものが多く、腸に良いどころか悪い方に作用しているものが多く注意が必要だ、と言います。

 腸が大事だというのは、全身のリンパ球の60%は腸に存在し、『腸は体の中で一番大きな免疫系』と言われているからにほかなりません。それに歳と共に腸の機能は低下するので、腸に悪い習慣はできるだけ改めて健康な生活を取り戻してほしい、とも。

 腸に良いライフスタイルを一度ちゃんと勉強してみることが良さそうです。腸に関する知識や実践すべき生活スタイルを学びましょう。


       ◆ 


 著者の松生先生は、「日本人はこの五十年間で『腸に悪い習慣』を身に着けてしまった」と言います。それは疫学的な調査からの統計として見えることなのですが、「食べ方」と「暮らし方」という切り口で説明されています。

 「食べ方」で言うと、何と言っても食の欧米化が大きな要因を示しており、「暮らし方」で言うと運動不足とストレスが大きな要因だと言います。

 本のタイトルにもなった『腸に悪い』のでやめるべき習慣として著者は、①一日一食生活、②グリーンスムージーの朝食、③糖質オフダイエット、④赤味肉好み、⑤マクロビオテックスやベジタリアン、⑥水分不足、⑦味噌汁や漬物嫌い(=もっと味噌汁や漬物をとりなさいということ)、⑧野菜をサラダで採る習慣、⑨毎食玄米ご飯、⑩下剤や健康茶の長期摂取、を挙げます。

 ダイエットなどを目的とした極端に偏った食生活はやはり腸を正常な状態から遠ざけているようで、逆に著者おすすめなのは1950年代以前の、昔の日本人の食生活。つまりは少し麦入りのご飯に味噌汁に魚に漬物なんだと。

 この食にはなんといっても『植物性乳酸菌』が多く、これが昔の日本人の健康に効いていたというのです。
 腸に悪い代表的な事例は便秘ですが、昔の日本人は味噌や野菜に含まれている植物性乳酸菌によって腸を守っていたのが、生活が様式になったことでこれらが食卓において減少していったことで便秘が増加し腸には悪い時代になったのではないか、とされています。

 私も健康のために好んで食べるヨーグルトですが、これは『動物性乳酸菌』で、重度の便秘にはほとんど効かないし、これを食べるだけで腸内環境がすぐ改善されるなどとは思わない方が良さそうです。

 
       ◆ 


 逆に『腸に良い習慣』も記されています。

 それらは①マグネシウム(ひじきなどの海藻に多い)というミネラルを取ること、②グルタミン(→うま味のグルタミン酸とは別物)を取ること、③植物性乳酸菌を多くとること、④オリゴ糖を取ること、⑤ショウガやシナモン、カレー、オリーブオイルなどで腸を冷やさない生活をする、⑥ビタミンCを取ること、の六つ。

 私などはすぐに下痢をしてしまうのですが、これにはストレスやお酒の摂取過多が強く関係しているとのこと。

 最近は「脳腸相関」という言葉が登場して、腸の状態が脳に影響を与え、また逆に脳が感じるストレスなどが腸にも伝わるということが言われるようになっています。
 
 つまり腸の健康に良い生活とは、お酒を控えめにして脂肪は取りすぎず植物性の乳酸菌を取り入れるように心がけ、ストレスを上手に発散し、偏ったダイエットなどの食生活は避ける、というようなこと。

 もう少し飲み会が少なければよいのですが、こればかりは仕事の延長でなので仕方のないところ。

 改めて普段食べている納豆と味噌汁のありがたみに感謝しつつ、単身赴任での料理のバラエティに注意しようと思いました。皆さんも健康な腸で健康な生活をお送りくださいね。

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練習でも緊張~名士カラオケ大会迫る!

2015-11-26 23:23:47 | Weblog

 

 いよいよこの時期、稚内では名士カラオケ大会が近付いてまいりました。

 営業やら挨拶で立ち寄ってくれる業者さんたちと話をしていると、「いやあ、どこの機関へ行ってもトップの方の話題は『カラオケ大会を前にして緊張する』とか、 『練習が大変だ』ということばかりですねえ(笑)」と笑っています。

 いやいや笑い事ではありません。

 上手な歌を聞かせることが目的ではなく、いかに場を盛り上げて楽しませるかが問題なので、衣装やバックの演出をどうするかが重要なことなのです。

 しかしそういう事が大事だとなると、それを得意にしている技能を持った人が不思議に表れるものです。いろんな才能を持った人はいるものです。

 そんなわけで私が歌う歌はもう決まっているものの、それをどう盛り上げるかについて議論を交わし、どういう演出にするかという会合が終業後に開かれました。

 会場はもちろん近くのカラオケのパーティルーム。ちゃんと20人はいる部屋があるんですねえ。


 ここではまずは私の歌をみんなで聞いて音合わせ。
 大体どういう感じで歌うのかを見せろ、というので20人が見守る前での前で課題曲を歌わされました。

 ま、これだけでも結構緊張するものですが、本番では800人を前にして歌うことになるので緊張はこんなものではありますまい。

 歌い終えてホッと一息ついていると、「ははーん、大体の感じは分かりました」と一同納得。あとはこれをどうするんじゃ、というのはおまかせです。

 "プロデューサー"と呼ばれるチームリーダーの女性は、自前のキーボードを持ち込んでコーラスアレンジを提案。パートに分けたりどういうフレーズで歌うといいかを次々に指示していきます。

 歌の上手な人もいれば苦手な人もいますが、上手ければ難しいパートを用意して苦手な人には簡単なフレーズを用意。「これなら他の人に引っ張られずに頑張れるでしょ?」

「はい部長、もう一回!」「えーー」

 ここから先は、パート案ができるたびに音合わせと雰囲気合わせのために何回歌わされたことか…。リハーサルも大変です(笑)

 
       ◆    
 

 何度も練習を重ねて一応大方の形が見えたところで本日は時間切れ。

 同じ歌の連続ではつまらないので、どうしても一曲歌いたいという参加者を募って最後は大カラオケ大会にかわっちゃいました。

 結局一番印象的だったのは最後に歌ったピンクレディーの歌だった、なんてことのないようにお願いしますよ~~。

 稚内名士カラオケ大会は十日後です。

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ときどき役に立つ樹木の知識

2015-11-25 23:42:49 | Weblog

 札幌は昨日から断続的に降る雪が42センチに達したとのこと。報道によれば、札幌で11月に積雪が40センチを超えるのは62年ぶりなんだそうです。

 しかしこの時期の雪ならば、まだもう一度や二度は融けると予想されるので道路の除雪も出にくいのか、おかげで札幌から稚内へ戻るバスは札幌市内でまず時間を取られました。

 高速道路も全線で圧雪状態になりバスは終始ゆっくり走っているように感じられ、稚内へは夏の間よりも30分ほど遅く到着。いよいよ冬の道路事情になってきました。

 
 札幌では森林の専門家の知人のAさんを訪ねて、道路防災林の管理に対する意見を聞いてきました。

 Aさんは、苫東の林地をコモンズと呼ばれる組織体で管理しているのですが、管理の対価は林地管理で得られる材木です。これが良い薪になったり林業資源となり、これらの処理もかねて切った林材をもらうことで管理費のかからない森林管理を行っているのです。

 Aさんは「これは自分自身の経験から来るのですが、週末の土日を使って一年間かけて自分一人で管理できる森林面積は1ヘクタールくらいだと思います。これが一人の管理での原単位なのではないでしょうか」と言います。

「なるほど、でも相当熱心にやってそれくらいでしょうから、もう少し片手間ということになると、もっと現実的には小さい面積でしょうね」

「ええ、道路や公園など公共施設を管理するのにアダプト(養子)制度というのがあって、『好きにしていいからちゃんと管理してね』という管理の制度ですね。これに近い形で私のやっているところでは一人当たり0.5ヘクタールを自由に管理していいよ、ということをやってみています。すると、皆周りを見ながら、他の人がやっている良好な管理を真似して管理の水準が上がっていくんです。競争というのはやっぱりモチベーションが湧くんですね」

 やらされ感でやるのではなく、自らのやる気をかきたてる手法が求められるようです。


       ◆  


 私の問題意識は、今は針葉樹が中心の防風林を将来はアダプト制度やコモンズのような管理形態になっていかないだろうか、というもの。

 今はお金を払って防風林を管理してもらいますが、出た木材はこちらで引き取ることが中心です。

 それを出る材をあげるからタダで管理してください、ということが可能ならば管理費はずっと安く済むでしょう。

 しかしそれならばもらいたい材が多くないとこの関係は成立しません。薪やキノコのホダ木にするならばミズナラのような木が求められますが、それならば防雪林や防風林の一部にミズナラを植えるということだってあるかもしれません。

 管理者側の求める条件と、管理をしたい、あるいはしても良いと思うような団体との関係性をどのように構築できるかが、中長期的な課題になってくるように思います。

 いろいろな良い事例を勉強しておくことが必要ですし、生きている植物を相手にする林学や造園の世界って、ときどき役に立つ素養のように思います。

 

 

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ピンチのときにとるべき態度

2015-11-24 23:25:08 | Weblog

 先日、インプラントで直してもらった歯の一部が欠けてしまいました。

 当時治療してもらったのは東京の歯医者さんだったので、そこへ行くわけにはいきません。近くの歯医者さんに電話で事情を話すと、「当時のインプラント治療の詳細なデータは入手できますか。それとインプラントの場合は修理でも保険が効かないのでそれもご理解くださいね」とのこと。

 インプラントが壊れるとは思いませんでしたが、ひとたびそういう事態になってしまったからには面倒くさいこともつらい事も乗り越えて最善を尽くさなくてはなりません。その手間と苦労は乗り越えなくては、ね。


      ◆  


 望むと望まないにかかわらず、人生にはピンチが訪れるものです。

 ピンチの原因は自分自身の不始末のこともあれば、自分のせいではない過去から積み残した前任者の課題まで様々なことがあります。しかしいずれにしてもそれは、今の自分の立場が方をつけなくてはならない案件だとしたらどういう態度をとるでしょう。

 私の経験から思える正しい対応は、「逃げるずに立ち向かおう」ということに尽きます。

 聞いた瞬間に(いやだな)と思っても、嫌なことは逃げたら最後です。最初なら言えたことが逃げているうちに言えなくなってしまい、いやな案件はどこまでも追いかけてきてどんどん状況は悪化するばかり。

 それよりは、(よし、自分が解決してやる!)と気持ちを強く持って立ち向かう方が最初のうちは苦労しても結果は吉とでるはずです。

 相撲にたとえると、押し負けていると思っても引き技に入るな、ということ。そういう癖がつくと、いざというときに逃げるマインドが習い性になってしまいます。

 押し負けたとしても引かずに押し続ける相撲をとり続けている方がやがて自力がついて来るものです。それと同じように、ピンチのときは怒ることなく逃げることなく、にっこり笑って、できれば協力者を募ってみんなで力を合わせて乗り切りましょう。

 
 でも一番難しいのは、「ああ、今がその逃げちゃいけないピンチのときなんだ、と気がつく」ということかもしれません。

 必要なのはちょっとの勇気です。    

 

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円満な家族が行っていること

2015-11-23 23:33:57 | Weblog

 

 久しぶりに妻の実家の両親のところへ顔を出したところ、妻の甥っ子が奥さんと三人の子供をつれて遊びに来ていました。

 甥っ子の子供は5歳と3歳の男の子に1歳の女の子の三人。上の男の子二人はやんちゃな遊びをしたい盛りで、ソファに座る甥っ子の背中からのしかかってきては持ち上げてもらってきゃっきゃっと喜んでいます。

「やんちゃな盛りだろう?」というと、「ここのところ急に遊びが激しくなってきました」と言います。

「子供のおとなしいのとやんちゃなのを教育でうまくコントロールして育てられるものじゃないしねえ」
「ええ、うちの子はやんちゃな暴れん坊にしたくなかったので、鉄道に興味のある鉄道オタクに育てようと思って、テレビもあまり見せずに鉄道の本とか列車ばかり見せていたんです。最初は鉄道に興味を示したのでしめしめと思っていたんです」

「ほうほう、うまくいったの?」
「それが、鉄道を見せているうちに『烈車戦隊トッキュウジャー』を見るようになっちゃったんです」

「特急列車が合体して巨大なロボットになるってやつね。もうあそこまで行くとなにがどう合体しているのか分からないけれど、子供には大人気なんだよね」
「そうなんです。それで戦隊モノのテレビを見るようになっちゃってどんどん乱暴になってきましたよ(笑)」

 子供たちがいとこにまとわりついて遊んでいるうちに、上の子が下の子の飲んでいる水を蹴っ飛ばして服がビショビショになってしまいました。

「あ~あ」
 そこから先は服を脱がせてドライヤーをかけたり、義父がアイロンをかけたりして服を乾かすのに一騒動。

 でもそんな一つ一つのシーンが後から振り返ると笑い話や思い出話になるということをみんなよく知っていて、怒ることもなく笑いながら作業にいそしんでいます。

 こんな風な子供たちの笑いと穏やかさに満ちている家族は本当に幸せの棲家に思えて、いとこの家族ながら良いものを見せてもらいました。

 幸せは笑いと穏やかさにあり。家族円満の秘訣です。 
 

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「なぜ中国は覇権の妄想をやめられないのか」を読む

2015-11-22 23:44:22 | 本の感想

 

『なぜ中国は派遣の妄想をやめられないのか』(PHP新書 石平著)を読みました。

 中国の南シナ海スプラトリー諸島での埋め立て問題に対しては、日米が連携して憂慮を表明し、ASEAN諸国およびその周辺国を相手にして、中国にシンパシーを持つ国と日米側に立つ国々との支援取り付けの神経戦が続いています。

 著者の石平氏は1962年中国四川省生まれ。後に中国民主化運動に傾倒し、88年に来日し、95年に神戸大学大学院で博士号を取得した後に、日中・中国問題を中心とした評論活動に入り、07年には日本に帰化した方です。

 これまでの経歴から、現代中国のありように対しては批判的な論調が目立ちますが、本書はこれまでの中国の歴史、特に"中華秩序"の本質を明らかにすることで、それに縛られる中国の政治事情とその拡大路線を説明しようという試みです。

 中国をただの乱暴者と考えて眉をひそめるだけではなく、この国の指導者が果たさなくてはならない歴史の重みを認識すると、そうせざるを得ない切なさも多少理解できるというもの。

 この本が出版されたのは今年の3月ですが、その後の半年の動きもこの本が予言していることをトレースしているように見えて怖くなります。


      ◆  


 さて著者の石平氏は、「『民族の偉大なる復興』というスローガンを掲げて、現代中国の政治と外交はいまだ『中華思想』によって突き動かされている」といいます。

 その証左として彼は、習近平国家主席が2013年の就任以来真っ先に周辺国外交を重要視し、その理念として習主席自身の考えとして「親・誠・恵・容」の四文字を掲げていることを指摘します。

 ここで「親」とは、周辺諸国に親しみ親切にしてあげるということ。「誠」とは周辺諸国に対して誠意を持って接するということ。

「恵」とは主に経済分野の話であり、周辺諸国に経済的な「恵」を与えることによってその発展と繁栄に貢献するということ。最後の「容」は、周辺諸国に対して寛容な態度で臨み、各国の立場を「包容」するということです。

 しかしこれらの視点を石平氏は、「時代錯誤の、上から目線の外交的マスターベーションだ」と談じます。そしてその外交理念は中国の伝統思想としての『中華思想」から来るのではないかと考えます。

 中華思想では、世界の中心に文化的・道徳的優位性において世界の頂点に立つのが中華があり、これは「天子」と呼ばれる中国高弟の支配下の世界のこと。そして中華の周囲にはいわゆる「東夷・西戎・南蛮・北狄」と呼ばれる未開の民が生息していて、彼らは中華文化からの影響を十分に受けていないがゆえにいまだに文明化されていない「化外の民」とされています。

 そこで中華皇帝はまず「徳」をもって彼らに接し、中華の道徳倫理と礼儀規範を持って彼らを感化させ、やがて彼らが文明開化して中華世界の一員となっていく。
 その際に徳を持って化外の民を感化し彼らを中華世界へと導くことは中華高弟の偉さの照明であり、感化される化外の民が多いほど中華皇帝は「真の天命」を受けた偉大なる皇帝として評価されることになります。


 ところがこの中華秩序は案外フィクションで、その「支配」とは実は形式上のものでよく、諸国は中華王朝とその皇帝に対して「臣下」としての礼儀さえきちんと守っていれば良いという程度のものでした。だから「臣下の礼」の最たるものとして諸国に求められたのは皇帝に対して定期的に貢物をもってご機嫌伺いに来ることで、いわゆるこれを「冊封体制といいます。
 そしてその形式さえとってくれれば皇帝は持ってきた貢物の何倍もの価値のあるものを与えるのであって、つまりは経済的合理性ではなく形式を整えることが大事なのだと。

 その数が多ければ多いほど、皇帝の徳が証明され本物の天子として認められ、その権威が不動のものになるということで、そしてそれに逆らう国があれば、当然ほうっておくわけには行かず頑迷で野蛮な国は征伐をしなくてはなりません。
 
 しかし力関係が逆転しているような国があれば、実際には無視したり逆に経済的に援助をして懐柔するといった行動をとるときもあります。つまりこのような「中華秩序」というのは、実態と虚構がないまぜになった、本音と建前が混合している奇妙な国際関係とも言えるのです。

 中国の歴代王朝にはそうやって国力がまだ満ちてもいないのに周辺国を征伐に向かい国力を落として内乱で滅びたものがいくつもあって、結果として王朝を滅ぼしても守らなくてはならないしそうしなければ認められないのが中華秩序であり、今日の中国でもこの覇権主義的思想は忠実に受け継がれていると見るべきなのだ、と著者は言います。


      ◆ 

 こうした歴代の中国王朝に対する諸国の姿勢には三つのパターンがあり、その一つはひたすら恭順の姿勢をみせることでその代表が朝鮮半島、つぎに常に反逆児であろうとする姿勢でその代表がベトナムでした。
 
 そして三つ目に、中華王朝とできるだけ距離を置いて独自路線を歩もうとする姿勢があってそれが日本だったのだ、と著者は言います。

 そしてその日本は、近代化に成功した明治以降、老大陸が西洋列強によって蝕まれてゆくなか、彼らの掲げた「中華思想」「中華秩序」と一番激しく戦い、結果として中華秩序を打ち砕きました。

 日本はやがてその勢いがあまって「大東亜共栄圏」という「日本版中華秩序」的なものをつくりあげることになりました。そしてそこに立ちはだかったのが新しい新興勢力である米国でした。


      ◆ 


 実はそれまでのイギリス、フランス、オランダなどの西洋列強は、国内では自由と民主主義という高邁な理念で国づくりをしていたくせに、一度国を出れば植民地政策などでは平気で国内とは違う秩序で搾取を繰り返していました。

 それはその時代としては世界常識であり、日本もそれに倣いかけていたといえるのですが、米国だけは違いました。国ができてからまだ若い彼らの考えは、国内の理想を同じように外に広げ、ある意味では押し付けてでも実現させるという当時としては極めて珍しいある種の宣教師的使命感に満ちた理想を掲げていたのです。

 その結果として日本は米国との戦いに敗れ、米国を中心とするアジア秩序すなわち「パックス・アメリカーナ」が誕生して今日に至っています。今でも太平洋にあっては領土不可侵、国内問題への他国の不干渉、通商上の平等原則などを掲げるアメリカ的な理想と平和主義で行こうとし、それに逆らわないように警察国家として活動しているのがアメリカというわけです。


【石平氏の見る現代アジア情勢】 
 戦後長らくこの秩序が太平洋を覆ってきましたが、ここへきて改めて経済が勃興している中国の国力増強と、相対的な米国の国力低下から、むくむくと中国の中華秩序再興への執念がわきあがっているのが今日のアジアの不安定要素なのではないか、というのが石平氏の見立てです。

 そして中国がさらに発展するに従ってその執念はますます増強するだろうし、その裏側でかつての中華秩序を粉々に粉砕した日本への恨みは決して消えていない、と石平氏は言います。

 目の前の敵がアメリカであろうと日本であろうと、新しい中華帝国皇帝となった習主席にとっては自らが「天子」であることを天命とせざるを得ず、従ってそれに従った行動をとらざるを得ないのだ、と。

 
 これからの日本の進路を考える上では、中国の出方を見極めたうえでの日米の関係、東南アジアやインド、オーストラリアなどとの外交関係、防衛協力体制、TPPなどの経済の連携のあり方などを考えることがとても重要なことになるでしょう。

 中国が宿命的に背負っている行動様式としての中華秩序、中華思想を勉強しておくことはこれからのアジア情勢を理解するうえでとても大切な素養のように思います。

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オッサンの世界の床屋に女性が来る時代

2015-11-21 23:43:48 | Weblog

 

「昔は高校生の頃にクラスにいたワルって案外モテたじゃないですか」

 いつもいく床屋さんでの床屋談義。今日はモテ男子についての話題です。

「いたいた。リーゼントとかちょっと乱れた学ランを着ている強面の一団ね。ところが案外そういう奴らの周りには女子がいてモテたんだよね」

「でしょう?でも最近はそういう悪ぶる男子がモテないんですって」
「へえ、どうしてだろ。モテたいがために無理して悪ぶってるなあ、と思うような奴もいたよ」

「うーん、一言で言うと価値観が変わったということでしょうかね。悪ぶっている子を指して、女子が『あの人浮いているよね』ってラインでまわされるらしいです(笑)逆に学生服をピシッと着ているような子がモテるんだそうですよ」

「でも所詮、悪ぶろうとピシッとしていようと結局はモテた奴がモテたんだけどね(笑)」
「そりゃそうですね(笑)」

「でもどうしてそんな女子高生の話題みたいなことに詳しいの?」
「知ってます?最近まで理容室つまり床屋ではパーマはやっちゃいけなくて、美容室では男性のカットってしちゃいけなかったんです。昔の厚生省の仕切りだったみたいですが、それが最近ようやくどちらも良くなったんです。ただし美容室ではカミソリを使った顔ソリはできません。でもそれ以外はもうどちらも制限が無い腕勝負になったんですよ」

「ん?だってパンチパーマなんてやってたんじゃないの?」
「厳密に言うとだめだった見たいですよ。それに男性客が美容室でカットをするというのも同じく違反だったのをまあ互いに黙認していたんじゃないでしょうか。で、その仕切りがなくなったので、うちも女性のお客さんを積極的に呼べるようになって、顔ソリでこられる女性のお客様に『ここはパーマはできないんですもんね』と訊かれて、『いえできますよ』というと喜ばれて口コミでお友達が来るということが増えているんです。それで女性のお客様の話を聞く事が増えているんです」

「へーーー!知らなかった」
「うちに何度か来た後にようやく赤青白のくるくる回るのに気がついて『ここは床屋さんだったんですか?』って驚かれる女性もいますよ(笑)」

「それで女性の話が聞けるんだ!面白いなあ」
「最近はファンデーションで化粧をする男子が増えているらしいですよ、僕はちょっと感覚が合いませんけど」

「ファンデーションで化粧!?へー、なんでだろう」
「それが美しいって価値観じゃないでしょうか。男子のヒゲが濃くなる頃にそれが美しくないというのでファンデに走る子が多いみたいです。まあそれ以外にも地肌がきれいには見えますからね」

「いやあ、無理無理。僕はその感性は分からないなあ」
「お客さん、そういう時代なんですって(笑)」

 
 いつもながらの床屋談義ですが、ファッション最前線の話題で面白い話が聞けました。

 どうやら今年の7月17日付で厚生労働省が美容と理容の制限を撤廃する新しい通知を出したらしいのですが、厚労省のホームページを見ようと思ったら外部からの攻撃を受けて閲覧不能なのだとか。やれやれ。


 いろいろな規制は撤廃される時代ですが、こんな規制があったんですね。美容室よりは床屋さんの方が料金も安いだろうし、理容と美容の対決はどうなるでしょう。

 規制で業界を守る時代から腕勝負の時代になりつつありますね。

 

 

コメント
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