『なぜ中国は派遣の妄想をやめられないのか』(PHP新書 石平著)を読みました。
中国の南シナ海スプラトリー諸島での埋め立て問題に対しては、日米が連携して憂慮を表明し、ASEAN諸国およびその周辺国を相手にして、中国にシンパシーを持つ国と日米側に立つ国々との支援取り付けの神経戦が続いています。
著者の石平氏は1962年中国四川省生まれ。後に中国民主化運動に傾倒し、88年に来日し、95年に神戸大学大学院で博士号を取得した後に、日中・中国問題を中心とした評論活動に入り、07年には日本に帰化した方です。
これまでの経歴から、現代中国のありように対しては批判的な論調が目立ちますが、本書はこれまでの中国の歴史、特に"中華秩序"の本質を明らかにすることで、それに縛られる中国の政治事情とその拡大路線を説明しようという試みです。
中国をただの乱暴者と考えて眉をひそめるだけではなく、この国の指導者が果たさなくてはならない歴史の重みを認識すると、そうせざるを得ない切なさも多少理解できるというもの。
この本が出版されたのは今年の3月ですが、その後の半年の動きもこの本が予言していることをトレースしているように見えて怖くなります。
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さて著者の石平氏は、「『民族の偉大なる復興』というスローガンを掲げて、現代中国の政治と外交はいまだ『中華思想』によって突き動かされている」といいます。
その証左として彼は、習近平国家主席が2013年の就任以来真っ先に周辺国外交を重要視し、その理念として習主席自身の考えとして「親・誠・恵・容」の四文字を掲げていることを指摘します。
ここで「親」とは、周辺諸国に親しみ親切にしてあげるということ。「誠」とは周辺諸国に対して誠意を持って接するということ。
「恵」とは主に経済分野の話であり、周辺諸国に経済的な「恵」を与えることによってその発展と繁栄に貢献するということ。最後の「容」は、周辺諸国に対して寛容な態度で臨み、各国の立場を「包容」するということです。
しかしこれらの視点を石平氏は、「時代錯誤の、上から目線の外交的マスターベーションだ」と談じます。そしてその外交理念は中国の伝統思想としての『中華思想」から来るのではないかと考えます。
中華思想では、世界の中心に文化的・道徳的優位性において世界の頂点に立つのが中華があり、これは「天子」と呼ばれる中国高弟の支配下の世界のこと。そして中華の周囲にはいわゆる「東夷・西戎・南蛮・北狄」と呼ばれる未開の民が生息していて、彼らは中華文化からの影響を十分に受けていないがゆえにいまだに文明化されていない「化外の民」とされています。
そこで中華皇帝はまず「徳」をもって彼らに接し、中華の道徳倫理と礼儀規範を持って彼らを感化させ、やがて彼らが文明開化して中華世界の一員となっていく。
その際に徳を持って化外の民を感化し彼らを中華世界へと導くことは中華高弟の偉さの照明であり、感化される化外の民が多いほど中華皇帝は「真の天命」を受けた偉大なる皇帝として評価されることになります。
ところがこの中華秩序は案外フィクションで、その「支配」とは実は形式上のものでよく、諸国は中華王朝とその皇帝に対して「臣下」としての礼儀さえきちんと守っていれば良いという程度のものでした。だから「臣下の礼」の最たるものとして諸国に求められたのは皇帝に対して定期的に貢物をもってご機嫌伺いに来ることで、いわゆるこれを「冊封体制といいます。
そしてその形式さえとってくれれば皇帝は持ってきた貢物の何倍もの価値のあるものを与えるのであって、つまりは経済的合理性ではなく形式を整えることが大事なのだと。
その数が多ければ多いほど、皇帝の徳が証明され本物の天子として認められ、その権威が不動のものになるということで、そしてそれに逆らう国があれば、当然ほうっておくわけには行かず頑迷で野蛮な国は征伐をしなくてはなりません。
しかし力関係が逆転しているような国があれば、実際には無視したり逆に経済的に援助をして懐柔するといった行動をとるときもあります。つまりこのような「中華秩序」というのは、実態と虚構がないまぜになった、本音と建前が混合している奇妙な国際関係とも言えるのです。
中国の歴代王朝にはそうやって国力がまだ満ちてもいないのに周辺国を征伐に向かい国力を落として内乱で滅びたものがいくつもあって、結果として王朝を滅ぼしても守らなくてはならないしそうしなければ認められないのが中華秩序であり、今日の中国でもこの覇権主義的思想は忠実に受け継がれていると見るべきなのだ、と著者は言います。
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こうした歴代の中国王朝に対する諸国の姿勢には三つのパターンがあり、その一つはひたすら恭順の姿勢をみせることでその代表が朝鮮半島、つぎに常に反逆児であろうとする姿勢でその代表がベトナムでした。
そして三つ目に、中華王朝とできるだけ距離を置いて独自路線を歩もうとする姿勢があってそれが日本だったのだ、と著者は言います。
そしてその日本は、近代化に成功した明治以降、老大陸が西洋列強によって蝕まれてゆくなか、彼らの掲げた「中華思想」「中華秩序」と一番激しく戦い、結果として中華秩序を打ち砕きました。
日本はやがてその勢いがあまって「大東亜共栄圏」という「日本版中華秩序」的なものをつくりあげることになりました。そしてそこに立ちはだかったのが新しい新興勢力である米国でした。
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実はそれまでのイギリス、フランス、オランダなどの西洋列強は、国内では自由と民主主義という高邁な理念で国づくりをしていたくせに、一度国を出れば植民地政策などでは平気で国内とは違う秩序で搾取を繰り返していました。
それはその時代としては世界常識であり、日本もそれに倣いかけていたといえるのですが、米国だけは違いました。国ができてからまだ若い彼らの考えは、国内の理想を同じように外に広げ、ある意味では押し付けてでも実現させるという当時としては極めて珍しいある種の宣教師的使命感に満ちた理想を掲げていたのです。
その結果として日本は米国との戦いに敗れ、米国を中心とするアジア秩序すなわち「パックス・アメリカーナ」が誕生して今日に至っています。今でも太平洋にあっては領土不可侵、国内問題への他国の不干渉、通商上の平等原則などを掲げるアメリカ的な理想と平和主義で行こうとし、それに逆らわないように警察国家として活動しているのがアメリカというわけです。
【石平氏の見る現代アジア情勢】
戦後長らくこの秩序が太平洋を覆ってきましたが、ここへきて改めて経済が勃興している中国の国力増強と、相対的な米国の国力低下から、むくむくと中国の中華秩序再興への執念がわきあがっているのが今日のアジアの不安定要素なのではないか、というのが石平氏の見立てです。
そして中国がさらに発展するに従ってその執念はますます増強するだろうし、その裏側でかつての中華秩序を粉々に粉砕した日本への恨みは決して消えていない、と石平氏は言います。
目の前の敵がアメリカであろうと日本であろうと、新しい中華帝国皇帝となった習主席にとっては自らが「天子」であることを天命とせざるを得ず、従ってそれに従った行動をとらざるを得ないのだ、と。
これからの日本の進路を考える上では、中国の出方を見極めたうえでの日米の関係、東南アジアやインド、オーストラリアなどとの外交関係、防衛協力体制、TPPなどの経済の連携のあり方などを考えることがとても重要なことになるでしょう。
中国が宿命的に背負っている行動様式としての中華秩序、中華思想を勉強しておくことはこれからのアジア情勢を理解するうえでとても大切な素養のように思います。