北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

【おまけ】番茶の味⑦(4月30日号)

2011-04-30 23:55:34 | Weblog
 

 
 お楽しみいただいた「番茶の味」も今日が最後。最終回のテーマは「生涯学習の実践」としました。

 単身赴任での一コマを中心に書いてきたつもりでしたが、それぞれが結局は「何事にも興味と関心を持って実践せよ」という掛川の生涯学習の教えと同じことでした。

 いくらすばらしいものでも、毎日つきあっていると刺激に麻痺してしまって本当の良さが分かりづらくなってしまうものです。そんなときは、まだ刺激を強く感じるよそ者の意見を聞くことも自分たちを見つめ直す良いきっかけになります。

 釧路のことについては全くの素人である私が、私なりに釧路を理解しようとしてたくさんの場所を訪れたくさんの人に会い、たくさんの本を読む。そんななかから得られる釧路感をこれからもお届けしようと思っていますので、「それは違うよ」とか、「それならここも調べてみると良いですよ」といった『ディープな釧路』についてアドバイスがいただければなお幸いです。

 番茶の味は読者も多くて、この一週間の間には結構多くの方から「読んでいますよ」と声をかけられ、その影響力の大きさに驚きました。

 これで晴れて釧路の名士の仲間入りでしょうか?(笑)

 一週間おつきあいいただきありがとうございました。またいつか紙面でお会いいたしましょう。
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自分の親の時代のこと

2011-04-30 23:45:34 | Weblog



 毎年この時期に開催している私の両親の誕生会。今年も私の自宅で開催できました。

 親類縁者といってもそれほど多くはなくて、今日集まったのも11人というこぢんまりしたもの。妻の手料理には切れる包丁で私も参加して、大いに腕をふるいました。

 今年からは長女の旦那さんという新顔も加わってくれて、準備も手伝ってくれました。若い力はありがたい。


      ※     ※     ※     ※     ※


 飲みながら食べながら話をしている内に、父の昔話が始まりました。三歳の年に両親と妹を亡くしたこと。その後は親類縁者をたどりながら赤貧に甘んじつつ旧制中学に入ったこと。

 在学中のアルバイトでシケモクを再生して小遣いを稼いで糊口を凌いだこと。卒業してからは伯父を頼って材木会社に働きに出たこと。

 年齢制限で許される最後の年に公務員試験を受けてそれに合格したことと、それが私が生まれる年だったこと、などなど…。

 人それぞれの個人の歴史に”if”を語っても仕方がありませんが、もしあのとき運命の針が反対に振れていたら、多分今の自分はなかったのだろうとくことは分かります。

 もう何回か聞いた父の昔話だけれど、未だに全体像がしっかりと自分の頭の中で整理されているわけではありません。

 自分の親の歴史も実はちゃんと知らずに育ってきた自分。皆さんはどれだけ親の歴史を知っていますか。

 今度はもっとじっくりと聞いて、記録にとどめておきたいものです。
 
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【おまけ】番茶の味⑥(4月29日号)

2011-04-29 23:35:42 | Weblog


 一週間続く「番茶の味」も今日で六日目。

 今朝一番の特急電車で札幌へ帰省してきていますが、現地の秘書課の女性スタッフが記事を届けてくれました。お休みなのにすみません、どうもありがとうございます。

 今日のタイトルは「掃除」。

 東京にいるときは毎年秋になると、新潟県妙高高原で友人が経営しているペンションの大掃除に一泊で押しかけるという恒例のイベントがありました。

 7部屋ほどのペンションで、大掃除をすることで掃除を哲学しました。そのことでどこが汚れているかに気づくのはセンスなのだと思うようになりました。

 汚れているのは目が行き届いていない証拠なのですが、悲しいのは目が行き届いていながら時間がなかったり意欲が薄れて掃除ができないこと。気づくのと実行にはやはり乖離があります。

 おまけに「段取り八分」。掃除なんて準備と片づけが作業全体の八割で、それさえしてしまえば掃除そのものは案外簡単な作業なもの。その片づけができないから掃除もできないということが実に多い。

 まあ、たまにこんな文章を書くことで自戒を込めて、自らが恥ずかしくなると言う効果もあるだろうと思って書いてみました。

 札幌の我が家も掃除しなくては。

 
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我が家での包丁研ぎ

2011-04-29 22:30:14 | Weblog


  今日の朝一番の電車で札幌へ帰省しています。

 札幌でも結構「会いませんか」という声がかかって嬉しいもの。飲み会が多いけれど、こんな時でもなければ会えない人も多いからね。

 私のブログをチェックしている妻から「包丁をちゃんと研いでいってくださいな」と厳しいチェック。釧路新聞の「番茶の味」の記事もブログもしっかり読まれているのです。

 あそこまで書いた以上は当然!と、すました顔で私も包丁研ぎに精を出しました。

  我が家の砥石は1500番くらいのもので、研ぎで言えば中研ぎくらいですが家の包丁くらいなら十分です。

 明日は我が家で私の両親の誕生会をすることになっています。これでさぞ美味しいもてなし料理が作られることでしょう。

 期待も高まりますが、少しはお手伝いをして料理も学ぶといたしましょう。
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【おまけ】番茶の味⑤(4月28日号)

2011-04-28 23:33:38 | 番茶の味


 夫婦でも友達でも、人と人との関係で一番大切なことは「繋がっている」ことです。

 何かを伝えたいと思っても、繋がっていなくては叶いません。繋がっていさえすればまず話は聞いてもらえて、伝えたいことを話すのはその後のことです。


    ※     ※     ※     ※     ※

 自分自身からの情報発信にも情報技術が進んだ現代では、メールマガジン、ブログ、ツイッター、フェイスブック、ホームページなど様々なやり方があります。

 一時は登録者に定期的にメールを送るメールマガジン(通称メルマガ)が流行ったのですが、勝手に送っても興味を持ってもらえなければ届いたとしても開いて読んでもらったかどうかはわかりません。

 それに比べるとブログという形は、読者が興味を持って自分のサイトに飛び込んできてくれなくては行けません。それには、①読む価値があると思われる内容(品質)を②定期的に配信(安定性)しなくてはいけません。

 つまらなければ読者は離れてゆくし、いつ配信されるかがわからなければ開いてみようと思う気持ちも失われます。

 定期的に高品質であればよいのですが、自分のブログもそうありたいとは願っているところ。


    ※     ※     ※     ※     ※


 定期的な会話も、単身赴任で離れているからこそ一瞬の会話が彩を帯びるのかもしれません。

 ちゃんと奥さんと会話をしておかないと、後からう~んと恨まれそうです。 
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組織の反射神経

2011-04-28 23:21:41 | Weblog

           【内臓までは意志で動かせない】


「今の国会議員さんたちって、官僚になりたくてなれなかった人が多いようなイメージがあるんです」

 これは人づてに聞いたある高級官僚の感想。その意味するところは、「本来政治家と官僚の間にはそれぞれの持ち場と期待される役回りがあるはずです。政治家の役回りは、大きな方針を立ててたとえ国民やマスコミが反対したとしても将来のためにはこれをやるべきだ、という決断をすること。そしてその対極的な判断がなされれば、それに向かって法律や制度を作り予算を勝ち取って政策を実施するのが官僚の役目」というもの。

「それが、会議の場で『法律や制度はこうあるべきだ』というこまごましたところまで口を挟んでくることが多いのです。政治家さんたちにとって時間が無限にあるのだったらいくらでもそうした議論にお付き合いもできますが、お互いに時間は有限なのです」

「限られた時間の中で世の中を動かしてゆくためには、もっと大きな判断を責任を持って次々に下してほしい。そうすればそれを制度化するのは官僚の仕事です」

「提案をしろと言うなら提案もします。その裏付けとなる資料もつくります。しかしその提案に納得して一たび採用したならそこから先は採用した政治の責任です」

「政治主導が提案段階から政治家が行うべきものだ、となればものすごく大量の情報を短時間で処理しなくてはならず、それはいちいち考えていられる動作ではありません。とっさに体が先に動くような反射神経による動作が必要で、それはスポーツと同じで日頃の練習で鍛えられる体術なのです」




 
 現実には、霞が関の官僚の皆さんたちは、組織単位で各自が良かれと思って勝手な動きをすることをきつく戒められているらしいので、指示待ちになりかけているのですが、その指示がなかなか降りてこないので動けなくなっているのだとも聞きます。

 そういえばバルク港の指定の話なども目途が立たなくなってしまいました。決めるべきことはどんどん決めてほしいものですが。


 
    ※     ※     ※     ※     ※



 そういえば、以前にも動かせる筋肉と動かせない筋肉について書いたことを思い出しました。
 
 「政治主導」ということの意味が「すべて脳が判断すること」と思ったとしたら大間違いで、脳は大きな判断のために活動すればよく、体の動きのほとんどはそれぞれの臓器や各細胞が良かれという方向に向かって自動的に働いているものなのです。

 心臓の一拍一拍を「はい今!はい次!」と脳が考えていられるわけがないでしょ。

 任せるところは任せる。そして任されることを意気に感じる。強い組織とはそういうものなのです。


【随意筋と不随意筋について】「知らないところでコツコツと」2011-11-04
  http://bit.ly/lqeIjI
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【おまけ】釧路新聞番茶の味④(4月27日号)

2011-04-27 23:55:26 | Weblog



 今日のタイトルは「ブログ」。掛川で最初に日記的な書き物を始めたのは「エンピツ」というサイトでした。まだブログと言う言葉が一般的になる前のことです。

 それまでのホームページはhtml言語で書き表すのがとても面倒だったのですが、エンピツの登場で簡単にテキストで文章を書き込めばそれがすぐにネットで見られるようになるというのは画期的なことでした。

 最初のうちはとても毎日書く自信がなくて、こっそりと書いていたのですが、次第に一日一本くらいなら何とかなると思うようになり、一年たったころから少しずつ公開し始めたのです。

 書き始めた頃はいわゆる文体が定まらず、「だ・である」調で書いてみたり、「です・ます」調で書いてみたりと混乱してトライ&エラーを繰り返しましたが、次第に文体には落ち着きが出てきました。


    ※     ※     ※     ※     ※


 ブログを書くうえで私なりに気をつけていることは、①単なる批判は避ける、②前向きで楽観的な見方を心がける、ということくらい。

 今日一日のなかで最も印象的なことはなにか? 今日一日の中で目からうろこが落ちるように新しく知ったことは何でしょうか? なにもないなどということはありますまい。

 そして印象的な事柄は単に記憶に留めておくのではなく、記録として残しておくと物事を理解しているかどうかの確認もできますし、後から自分の思いを探し出すのにも便利です。

 非公開でもいいから自分なりに練習をしてみることをお勧めしますよ。 

  
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クリンチという技

2011-04-27 23:45:36 | Weblog

           【クリンチだって立派な技術】




 世の中には色々な交渉事があります。

 プロポーズだって買い物で値段をまけてもらうのも交渉事だし、日常の仕事の中では上部機関に予算要求をするのも交渉事です。

 交渉をする側は一生懸命お願いをしても、受ける側の要求レベルに達しなければ答えは「NO!」、交渉は簡単には成功しないもの。

 ところで交渉と言うものはこの「NO!」と言われてからが勝負。相手の条件に対する代替案をどう作るかが、知恵の出しどころです。

 交渉に当たってやってはいけないのは、拒否されたときにすぐあきらめてしまうこと。だめだと言われても必ず次にもう一度交渉のチャンスを得てから帰ってこなくてはなりません。

 だめだと言われても相手に「もう来るな」と言わせずに再挑戦のチャンスを得ることを私たちは「クリンチ」と呼んでいます。

 クリンチとはボクシングで相手の腕を抱きかかえて撃たせなくする技術のこと。派手な殴り合いを観たい観客としては汚い手口のように思いますが、これとて立派な技術です。


    ※     ※     ※     ※     ※


 ピンチになればクリンチして時間を稼いでそのラウンドの終了を待つということで、つまりは『負けは認めず時間を稼げ』ということです。

 もちろん考えなしの単なる先延ばしではダメ。時間を稼げば必ず勝てるというわけではなくて、時が経つうちにいろいろな知恵が出るかもしれないし、外的条件が変わることだってあり得るということ。とにかく勝てなければとりあえず先延ばしをして帰ってこいと言うのです。

 ノックアウトならその場で負けですが、クリンチしてラウンドを稼ぎ判定ならば何かが起きるかもしれません。なにより考えて知恵を出す時間が残ります。

 日本人はどこかで負けても潔ければそれを美徳と考えるところがありますが、交渉の場ではしたたかで泥臭く「負けない」ことを美徳とすべきです。
 
 今年もあちこちでお願いごとばかり。
 
 クリンチしながらもいつか逆転のノックアウトといきますかどうか。 
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【さらにおまけ】中華鍋が使いたくなったので炒飯を作る

2011-04-26 23:59:24 | Weblog
 


 パネルディスカッションで帰りが遅くなったので、日本酒と手軽な夕食でおなかを満たす。

 先日「番茶の味」で中華鍋のことを書いたら、やたら中華が食べたくなって、今日は特製チャーハン。

 どこが特製かというと、パプリカが入っている!

 普段は滅多に買わないのだけれど、近くのビッグハウスのオープン初日に行ったら案外安かったのでつい手に取ってしまった。買ってから「うう…、何に使おうか…」と悩んでいたところ。

 今日の動物性たんぱく質は鶏肉ね。

 十分熱して高温になった中華鍋に卵を放り、ご飯を入れる。卵のたんぱく質でご飯を包むのがポイント。

 そのあとに野菜と肉を入れて、返しを繰り返す。中華味の素と塩コショーでさっと味をつければ熱々のチャーハンの出来上がり。

 うん、上等!

 
           【パプリカの彩がいいね。味もウマー!】
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【おまけ】釧路新聞番茶の味③(4月26日号)

2011-04-26 23:55:32 | Weblog
 「番茶の味」の三日目。今日のお代は「包丁と砥石」です。

 包丁ほど手入れが必要な道具はないと思うのだけれど、その割にはあまり一生懸命に研ぐという話を聞きません。みんなはどうしているのでしょうね。






 ちなみに蕎麦包丁も良いものになると日本刀と同じで、鋼を軟鉄で包むようにしてたたき出して形を作るのですが、刃を研いで切れ味を最高にしたうえで、刃に砥石を一筋当てて鋭さをほんの気持ちだけ落とします。

 こうしないとまな板までサクサク切れてしまうし、所詮蕎麦の生地ではそこまでの切れ味を要求しないから。包丁も切れさえすれば良いというものではない世界があるのです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 研いだ後に切れ味が戻ったかどうかは、普通は親指の爪に当ててみてひっかかるかどうかで確認しますが、わたしはさらに髪の毛に当ててみます。

 切れ味が戻っていなければすっと流れてしまう一方、良く研がれていれば剃刀のようにツンツンと髪の毛のキューティクルに引っかかる感じがして、研げている部分とまだ研ぎが甘い部分が良く分かります。お試しあれ。

 
 今日のエッセイをすでに読んだ妻からは「今度帰省した時はきっちり研いでもらいますから、忘れないでね」とメールが来ました。

 今度はもう忘れるわけにはいきません。
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