北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

幕張ベイタウンの見学(その2)

2008-12-02 23:54:59 | 東京ウォーク
 幕張ベイタウンの続きです。

 打瀬(うたせ)小学校には敷地境界にフェンスがありません。変わりに公園を帯状に配置して緑あふれる校庭になっています。

 

 

M先生「この建物も建築学会賞を取りました。『学校もまちの一部である』という発想で中に通路もあるんですよ。今は一部のドアが閉められているようですが」
私「学校に不審者が入り込むという事件もあって、学校関係者はぴりぴりしそうですが」

「回りをご覧なさい、建物に囲まれているでしょう。たくさんの人の目から学校が見られているんです。そういうところは大丈夫です。大体フェンスがあったって本気で入ろうと思えば入れますからね」
「なるほど」

「この小学校は最初にすばらしい校長先生を配属してくれました。開校当時は毎日学校便りを近隣に配ってくれたりして、学校と地域の関係性を構築してくれました。おかげで、非常に優秀な生徒さんたちが集まってレベルの高い小学校になりました。そしてそのことが『子どもを通わせるんだったらここの学校だ』というので地域の価値をさらに上げました。成績の良い学校は地域の価値を上げる資産になりうるんです」

 以前掛川にいたときに、名古屋に自宅のあるお医者さんとお話をしましたが、家族で移住をしようかどうかの決断の鍵は、行く先に良い学校があるかどうかだ、という話題になりました。

 全国的に医療崩壊や医師不足が叫ばれて、「国はもっと予算をつけるべきだ」という声が高まっています。しかしお医者さんも家庭を持つ人間です。いくらお金を積まれるかどうかに関わらず、行きたい場所、行っても良い場所、行きたくない場所の別があります。

 そのときのポイントの一つが地域の学力なのだとしたら、教育にもまちづくりの資源としての新たな見方をしなくてはなりません。

 良い学校の回りにはそれを求めてより収入の高い人がきやすくなります。そのことが地域の質を上げて行くことにも繋がることでしょう。

    ※    ※    ※    ※

 いよいよロの字の住宅の方へ行きました。

 日本の集合住宅は基本的には多くの住戸が南に向いたつくりをしているので、ニの字型に配置をされます。

 最近はタワー型の超高層マンションなどで北向きの住戸も作られますが、値段が低かったりします。日本人には南向きで光を受ける生活がすばらしいというライフスタイル上の神話が生きているのです。

私「北向き住戸ができてしまって人気がないというようなことはなかったのですか」
M先生「それがなかったんですよ。南向きが良いのは神話の世界です。もちろんそれを好む人は多いのですが、北向きでも良い、北向きの方が良いというニーズだってちゃんとあるのです。例えば高級な家具や高級な絨毯をもっている人たちは直射日光でそれらが痛むのを極端にいやがります。日中は仕事が遅いので夜遅くに帰るから、北向きで安い方が良いという人だっています。万人に受けるいろいろなニーズがあっても良いのです」 

    ※    ※    ※    ※

 M先生がこの街区の一角にお持ちの部屋に案内されて、中庭なども見れました。植物なども実に立派に手入れがされていて素晴らしい雰囲気です。

 

私「こうしたまちづくりはどんどん周辺に広がっているのでしょうか」
M先生「そこが問題です。最初のうちはデザイナーグループが認めなければ建築をさせないシステムが機能していたのですが、後代になり人も代わり開発が周辺部に及んでくると、容積をもっと取って儲けたいという要望が強くなり始めて、高層のマンションが建ち始めました。質の高いまちづくりを継続するには行政と住民を含めた継続した取り組みが必要なので、今まさにそれをやろうとしていますがね」

 初期の先駆者たちが頑張って質の高いまちづくりを行っても、その周辺でその恩恵を貪ろうとする力学も働いてくるものです。自分たちは景観づくりにも貢献せずに、良質な景観の地域ブランドの恩恵を利用するのです。

 こうして日本の街並みは乱れて行くのですが、M先生はそもそも日本人がコンクリートで出来た集合住宅に住むという文化を持ってからまだ50年なのだとおっしゃいます。


M先生「かつて『住宅すごろく』という言葉がありました。独身時代の小さな賃貸アパートから始まって、結婚して子どもが生まれ育つに従って大きな住居に移ってゆき、最後は郊外の一戸建てが上がり、というわけです」
私「そうですね、今でもあるのではないでしょうか。やはり最後は郊外の一戸建てに住みたいという希望は多いと思います」

M先生「そうですね。そしてその頃は集合住宅なんて一時の仮住まいという認識でしかありませんでしたが、今や集合住宅が終の棲家になる時代になったのです。こういう住居環境で生活をするという文化がもう少し育たなくては。それには、南向き一辺倒の考え方の転換も必要になるかも知れませんよ」

    ※    ※    ※    ※

 幕張ベイタウンを見学してM先生と意見交換をしながら、これからの日本の住まいについて深く考えることが出来ました。

 だだっ広い郊外に展開した戸建て住宅は人口減少と共に衰退が予想されています。コンパクトシティとはよく言われますが、その実現の方向性について興味深い示唆を得ることが出来ました。

 日本人はどういう暮らしをすることになるのでしょうか。

【おまけ】
 中庭に配置されたこのコンクリートの建物は集会場なんだそう、へー!

 
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幕張ベイタウンを見学する(その1)

2008-12-01 23:54:20 | 東京ウォーク
 先週の土曜日に幕張ベイタウンを見てきました。

 幕張ベイタウンとは、千葉県企業庁が手がけて千葉市美浜区打瀬(うたせ)に作られた集合住宅群のことです。

 この地域の特徴は、建物の高さを一定にした中庭のあるロの字型の建物をヨーロッパ風のデザインで統一したことで、素晴らしい街並み風景を作り出すことに成功しています。

 (幕張ベイタウンHPより)

 今回はこの地区のプランに初期から携わったM先生にご案内をお願いして見学をさせてもらったのですが、まちづくりの上では面白い話が満載でした。

    ※    ※    ※    ※

 M先生とは京葉線の海浜幕張駅で落ち合って、まずは駅北側の商業エリアを解説していただきました。

M先生「ここは駅前の商業機能を計画しました。最初はあまり店がなかったのですが、見ていただくと分かるように今では非常に安い作りの建物にフランチャイズの居酒屋などがたくさん入っています。売り上げも良いようです。建物はとにかく安く仕上げて3年くらいで減価償却をして、うまくいかなくなったらすぐに処分するつもりで商売をしているんですよ」
私「大型の建物に入るのはフランチャイズばかりのようですね。地元の優良な個店が商売をやる余地はないのでしょうか?」

 

「もう40年以上も前にアメリカに留学していた頃にすでに、アメリカの地方都市では個店がどんどん消えて行きました。みんな車に乗って大きなショッピングセンターに行き、安くたくさんのものを買うというライフスタイルが始まっていたのです。私はそのときにもう単純な形では個店は勝てないと思いました」
「しかし例えばヨーロッパなどではまちなかに大型店ではない小さなお店が商売をしていられているように思うのですが」

「私もそれを少し調べてみたのですが、どうもヨーロッパでは新しく移民で入ってきた人たちがそうした個店という形態の商売を昔ながらの形で営んでいるのが多いようです。そういう意味では現代的ではない商売の形態を継承している移民層がいるうちは個店も残るということなのかもしれませんね」
「なるほど、そういうことですか」

「ええ、しかしヨーロッパなどでは大学進学率が低く、学問で身を立てる人は限られていて職人層とホワイトカラーが分けられているのに対して、ほとんどの人が大学へ進学して、サラリーマンになろうとしている日本では個店の商売を次ぐ人は少ないでしょうね」

 駅の南側には今度は二階建てのショッピングモールが展開されていました。衣料系のお店がたくさん入っていて、結構な賑わいです。

    ※    ※    ※    ※

 さて、そこから緑の多い公園を抜けるといよいよ幕張ベイタウンです。歩道橋の上から見ると、建物の高さが揃っていてヨーロッパの街並みを思わせます。こんな事が本当に出来たことが驚きです。

 

私「こんなデザインの統一された街並み作りは他のところでは滅多にお目にかかれません。なぜこんな事がここでは出来たのでしょうか」
M先生「それは、最初にその当時の知事さんが偉くって、『私はここをはいつくばってでも良い町にする』と公言したことがきっかけのようです。その発言は政治的な意味合いを強く持ち、そのためこの幕張のまちづくりには歴代極めて優秀なスタッフが集められました」
「なるほど、人材を集めたのですか」

「ところが人間としては優秀だったのですが、ことまちづくりや景観づくり、建物のデザインといった専門的な領域は全く分からない人たちばかりでした」
「おやおや」

「しかしそれがまた逆に幸いしました。彼らは『自分たちは分からない』ということが分かったので、専門家を集めてその意見には実に真剣に対応してくれたのです。その結果、デザイナーや専門家たちが大いに腕をふるうことが出来たのです」

 立派なリーダーの存在とそれを受け止める優秀なスタッフたちの合作のようですね。

    ※    ※    ※    ※

 

 まちの中は車道と歩道の段差がほとんどない上に、路上駐車はたくさん見受けられます。このあたりは…?

M先生「路上駐車はありだと思うんです。人と車の共存を許容出来るまちにしようというのがコンセプトです。だから幹線道路は別として区画の中には信号をつけていません。車はゆっくり走って歩行者に気をつけるべきエリアだという認識を持って欲しいということなのです」
私「それは随分大胆ですね」

M先生「最近は信号をつけろという意見が出始めたり、中の道路を飛ばすタクシーなども見受けられて、始まった当時(1995年)の理念が薄れかけているのが心配ですが、まあ住民の力で解決出来るでしょう」

 街並みは一階部分にお店を入れて、その上が住居という形態を基本形にしていて、統一が合って実にきれいです。

 ぜひ機会があれば一度ご覧ください。

 個性的なロの字型の住居については次号でお届けします。
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円覚寺と時宗 ~ 鎌倉をポタリング

2008-09-27 23:39:20 | 東京ウォーク
 三浦半島の西側半分はこれまであまり行ったことがなかったので、自転車で駆けてみることにしました。

 鎌倉を越えて逗子まで電車で行こうと思って地図を見てみたところ、乗った電車の終点の藤沢から逗子までの距離は案外近かったため、藤沢駅で電車を降りました。今日はここから自転車の旅の開始です。

 逗子までの途中に鎌倉があって、ここは通り過ぎようかと思ったのですが、まさに道の途中に鎌倉五山の円覚寺や建長寺があるとやはり惹かれます。





 円覚寺には鎌倉幕府第八代の執権北条時宗の開基廟があります。



 北条時宗は、文永5(1268)年3月に18歳で執権職を引き継ぎ、文永公安の役といわれる元寇=蒙古襲来を防ぎました。

 時宗は、国難に立ち向かった歴史上の名君として肯定的に評価されていますが、公安の役(1281年)で勝利した以降は御家人への報償などの内政に苦労したといわれています。

 調べてみて改めて分かったのは、公安の役の3年後の弘安7(1284)年の四月にもう亡くなっているのでした。享年わずかに34歳、まさに国難にあたるためだけに天から遣わされたかのようです。

 ここ円覚寺は弘安5(1282)年に、北条時宗が中国より無学祖元禅師を招いて創建されたもので、蒙古襲来による殉死者を敵味方区別亡く弔うために創建されたと伝えられています。

 現在の開基廟は江戸時代に改築されたものとされていますが、今現在も国難と言える政治経済状況。地下の時宗公はどのように思われていることでしょう。

 「国中が力を合わせれば出来ないことはない」

 国難の時代も、歴史を作るのは我々だということを自覚せねば。



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ヴィータ・イタリア ~ 東京のイタリア街

2008-07-14 23:45:05 | 東京ウォーク
 今日も東京は外を歩くと熱風が吹き付けます。でもまだ梅雨が明けていないんですね。

 さて、昨日の東京巡りで出会った不思議な空間がこちら、イタリア街(ヴィータ・イタリア)。

  

 こちらは汐留土地区画整理内での開発事業で、汐留シオサイト5区と呼ばれる一角ですが、イタリアのエミリア=ロマーニャ地方にあるレッジョ・エミリアという待ちをモデルにしたイタリアデザインのエリア整備が進められているのです。

 こちらはエリアデザインを統一して、それぞれのビルがデザインコードに従って建築を進めています。しかしこの地区が本当に求めるまちづくりは単なる景観づくりだけではなく、住む人やお店に立ち寄る人たちとの関係をつくるということに理想を持っているとも。

 実際、屋外のカフェで過ごすカップルを見ると、こういう雰囲気は良いなあと思います。

  

 東海道新幹線が東京駅に着く直前に「なんだかイタリアみたいな不思議なデザインのビルがあるなあ」とぼんやりと思ったことがありましたが、それがまさにイタリア街のビルでした。

 昨日は暑かったためあまり人が歩いていませんでしたが、もう少し人がいるともっとイタリアっぽかったですね。

    ※    ※    ※    ※

 デザインコードを統一しているので、コンビニもフランチャイズ独自の看板を出すことは出来ません。ファミリー●ートも壁にマークが貼ってあるだけです。デザイン統一を一つの考えでやるとこういう風景が作れるという見本の一つですね。

  

 今度は食事でもしてみようかな。
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新東京タワーの周辺

2008-07-01 23:51:53 | 東京ウォーク
 わが組織の幹部の移動に伴って、新しい幹部による管内視察が行われています。現場巡りの機会には積極的に参加することにしている私にも嬉しい機会。今日は江東区と墨田区を巡りました。

 墨田区で今一番ホットな場所は東武伊勢崎線や京成線、さらには地下鉄半蔵門線などの鉄道が集中する押上駅周辺です。なんといってもここにはこれから愛称がスカイツリーと決まった新東京タワーが建設されるのです。

    ※    ※    ※    ※

 新東京タワーは、鉄道の車両基地跡地のスペースに作られるもので、高さは現在のタワーが高さ333mなのに比べるとほぼ倍の610mになります。
 しかし土地の幅は90mほどしかなくて、現在の東京タワーに比べると底面積は1/4ほどなのだとか。とてもスリムで高い塔がスッと立ち上がることになります。

 現場はまだこんな感じですが、鉄骨造りのため施工は早そうで、来年の8月には高さ200m、12月には300mまで立ち上がる計画になっているそうですよ。

  

    ※    ※    ※    ※

 新東京タワーができるといっても周辺は木造密集地域があったり低層のビルがぽつぽつあるくらいの地域で、ある意味有効な土地利用からは遅れているところです。

 新東京タワーが出来れば東京の東北地域一帯の大大規模開発の起爆剤になることは間違いありません。わが組織もそんな地域開発のお手伝いをしていて、結構頼りにされているというわけ。

 さてさて、こんな下町の風景は新東京タワーでどのように変わるのでしょうか。興味を持ってみていきたいものです。
 
  
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小さな店が生きる術

2008-06-22 21:46:16 | 東京ウォーク
 朝からいかにも梅雨らしい強めの雨が降り続いています。九州や東北の地震被災地の苦労が偲ばれます。

    ※    ※    ※    ※

 さて、単身赴任先の家の近くには一階で食料品、地下で衣料品を売っている中規模のショッピングセンターがあるのですが、その30mほど離れたところに家族経営の食料店があります。

 大きなショッピングセンターの近くの食料品ではお客はいないのではないか、と思いがちですがどうしてどうして、これが結構な人気のお店。かくいう私もまずはこちらで買い物をしてからショッピングセンターへ行くのです。

 自分自身がどうしてそういう買い物行動をするかを考えてみました。

 この小さな店には、
①ここで必ず買う安い商品(特に野菜類)がある
②良い品を薦めてくれることがある
③お店の人と会話がある
 という、大きなお店にはない特徴がある事に気がつきました。

 何を買うか迷うくらいに買い物を楽しむ人ならば数多い品揃えのお店の方が良いのでしょうが、野菜など大体買う品物が決まっているなら少しだけ安くて少しだけ新鮮な方が良いというものです。

 先日も長ネギを買おうとしたらレジで「お客さん、これを買うんだったらあの棚の下にある北海道のネギの方を買わないかい?柔らかくて美味しいよ」と話しかけられました。どっちもこの店で売っているのに、こっちのほうが良いよという会話はショッピングセンターではまずありません。

 昨日は常連さんとお店の人がなにやら会話をしたあとで、お客さんが「そりゃ良かった!おめでとうございます!」と喜んでいます。なんの事だろうと思って、「さっきのお客さんはなにをおめでとうと言っていたんですか?」と訊いてみました。

 すると「いや、うちの息子が自衛隊のレンジャーに合格したんですよ」「へえ、大変なんですか」「ええ、三日三晩寝かせてもらえないという試験みたいでね」 
 
 こういう会話を楽しめるのもこのお店に慣れてきた証拠なのかも知れません。小さなお店が大きなお店に対抗して生き延びるにはこういう戦略の違いを際だたせるのが良いということでしょうか。

 ショッピングセンターの袋を持ったままこのお店で買い物をしているお客さんもいたりして、客の側もお店を使い分けているようです。

 商売は単純な経済原理だけでもなさそうだ、という見本のようなお店。商売って難しいものです。
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穴守稲荷と海苔の神様

2008-05-17 23:53:51 | 東京ウォーク
 久しぶりの東京巡り。今回は行けそうで行けない大田区です。

 札幌に帰省するときは品川から京浜急行を使うことが多いのですが、品川から乗れば降りるのは羽田空港駅で決まりです。途中下車はしたことがありません。

 京浜急行線は、羽田空港までの途中に「穴守稲荷駅」という駅があります。神社フリークの私としてはずっと気になっていたのですが、なかなか行けずじまい。今回は意を決して穴守稲荷へと向かいました。

 とはいえ、自宅からだとさすがに遠いので、行きはJR川崎駅まで自転車を運び、そこで組み立てて、川崎市側から多摩川を渡って東京入りというわけです。

 あちらこちら周辺を巡りながらなんとか穴守稲荷に到着。こちらには奥宮があって、お稲荷さんならではの朱色の鳥居が独特の景観を形作っています。

  

  

 こちらの穴守稲荷神社は、もともとは今の羽田空港の敷地の中にありました。その地を開墾するのに堤防を築いていたのですが、ある時堤防の腹に大穴があいて堤防が破れそうになったときに、その穴の上に稲荷神社を祀ったところ、その後は堤防の破れもなくこの地は豊穣の地になったということで、その名も「穴守稲荷」と呼ばれ、地域の崇敬を大いに集めたのでした。

 その後、「穴守」という文字から女性の病に効くという風聞がたつようになり、女性、特に花柳界の女性たちからの支持を得て、大いに栄え、ちょっとした遊園地のような施設までできました。

 ところが大東亜戦争が始まると暗い世相となって休息に娯楽の場所としての人気が陰りました。そして昭和20年の敗戦を迎えると、進駐軍が羽田空港を拡張することを決め土地を接収。48時間以内に住民は退去せよ、という命令が下されて、元の場所を追い出されたのでした。

 その後地元の支援によって今の場所に移り、やがて社殿も復活して現在に至ります。

 狛犬のお狐さんがなかなかきりっとしたハンサムでした。

  

    ※    ※    ※    ※

 続いて足を伸ばして、「大森貝塚」や「大森の海苔」で知られる大森地区を散策。

 こちらには厳島神社がありました。境内は子供達が集まる格好の遊び場になっていて微笑ましい風景です。

  

 こちらの神社の御由緒を拝見すると、これまたなかなか由緒正しき神社です。こちらの神社はなんとあの源義経や弁慶が当時の玉川を舟で渡ろうとしたところ、折からの南西の風に煽られて漂流し始めたとのこと。

「これは困った」と、陸を眺めるとこんもりした森に社が見えてこれに無事を祈願したところ霊験あらたかにも無事風が治まって陸地につけたのでした。

 この神社こそこの厳島神社だというのですが、早速社殿の修理をして舟を止めたところには注連竹を作ったというのですが、そこからが面白い。

 あるときこの注連竹に黒い苔のようなものが付いていたので、村人が何かと思いきや結構な味がする。酢で食べるといける、というので、翌年に小枝をたくさん置いてみたところ、これにも美味しい黒い苔が付いたとのこと。

 そこでその後いろいろな工夫をすることで乾燥させた海苔として作り上げるに至り、鎌倉将軍にも献上。江戸時代には幕府にも献上して大森海苔として大森の名産品としてのブランドを確立したのでした。

 そんなわけでこの神社こそ大森海苔の守護神として今でも大切に祀られているのです。

 海苔にも守護神があるとは知りませんでした。でもこういう予期しない曰く因縁に触れることができると嬉しくなりますね。とにかく歩いてみるものです。
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根津神社つつじ祭り

2008-04-29 23:51:34 | 東京ウォーク
 好天に恵まれた休日の一日。今日は恒例の都内巡りです。

 今日の目的は根津神社のつつじ祭り。しかしその前に近隣を自転車でぐるりと一巡りです。

 まずは西日暮里から田端周辺を走りました。田端にある田端八幡神社は、源頼朝が奥州征伐に向かう際の縁の神社。頼朝にゆかりのある八幡神社って都内に結構沢山あるのです。

  

 しかしもっと珍しかったのは、この八幡神社のお隣にある東覚寺の仁王様。なんと全身に赤い紙が貼られていて赤紙仁王と呼ばれているのです。

  

  

 これは自分の身体で不具合のある患部の箇所を、仁王様の身体の同じところに赤い紙を貼ることで快癒を願うというものなのだそうです。その霊験は音に聞こえ、遠くからも多くの人たちが訪れています。なかなかの奇観ですよ。信仰の力ってすごいものです。

    ※    ※    ※    ※

 次にいよいよ目的の根津神社へと向かいました。

 根津神社に近づくと駐車場待ちの車がずらりと並んでいます。境内は所狭しと露店が並んで大にぎわい。やっぱり祭りや縁日はこうありたいものです。

 つつじは赤や紫、白など多彩な色のつつじが斜面を利用して植えられていて、結構な見応え。やはり色物は斜面を利用して立体的に圧倒するのが上手なやり方です。有料のつつじ園はすごい長蛇の列です。

  

  

 有名な根津神社のつつじ祭りをまずは見られて良かったのですが、肝心の神社へのお参りは、長蛇の列が出来ていて全く動かないので今日は諦めました。いやすごい人です。

    ※    ※    ※    ※

 露店商の前の道はわざと狭くしているわけでもないのでしょうが、すごい混雑です。しかしそれがいかにも賑わっているという風情で、なんだか嬉しくなってきます。

 日本には広い広場を使う風習がなくて、こういう道上の長い広場こそが民族性に合っていると言った人がいました。そう日本人は縁日の露店巡りで広場を楽しんでいるんです。

  

    ※    ※    ※    ※

 そこから帰る途中で、赤坂に最近出来た再開発ビルの赤坂サカスへ寄ってきました。

 ここでは三階建てのこじんまりした建物を造ることで、大きな本体ビルの一階部分との間にちょっとしたストリートをつくり、賑わいの空間を作り上げています。これまた長い広場というわけです。

  

 かつての商店街とこういう賑わいストリートの違いはなんでしょう?それは左右のお店との距離感がほどよくヒューマンスケールとして近く、しかも車交通で分断されていないということでしょう。

 実は人間の感じる心地よい賑わい間には、ほどの良いスケール感が必要なのです。だだっ広ければ良いというものではないのですね。

 ゴールデンウィークの東京はどこも混雑しそうです。

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自然豊かな石神井公園

2008-04-19 23:18:31 | 東京ウォーク
 なんだかすっきりしない天気の下、今日は杉並区あたりを自転車でポタリング(散策)です。

 まずは今までなかなか行けずにいた石神井公園へ。東京でもこのあたりはちょうど武蔵野台地が低くなって伏流水が表に出るあたり。

  

  

 一番北にある石神井公園と、南の善福寺池、そして一番南の井の頭池の三つの池は、武蔵野三大湧水池として知られています。どの池にもボート乗り場があって、昭和時代のデートコースという感じ。また池の南西にはどこも同じように神社が配されています。何か信仰上のしきたりがあったのでしょうか。

  

 しかし、都内に人工池ではなく、こんなに動植物層が多様に見られる自然の池があるというのは実に貴重ですし、贅沢の極みですね。


 ここ石神井公園から生まれた音楽作品は多く、Mr.Childrenの桜井和寿の『Tomorrow never knows』という曲の歌詞は、このあたりをジョギングしている時に思いついたというエピソードがあるそうですよ。

    ※    ※    ※    ※

 ついでに善福寺池の方も回ってきましたが、こちらも本当に自然が豊か。

 水、緑、自然、生き物、ボート…気持ちが落ち着いて心地よい、公園らしい公園でした。

 
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神田明神のお膝元

2008-04-10 23:28:57 | 東京ウォーク
 以前から千代田区の知人に「神田神社の濃い氏子衆に会わせてくれませんか」と頼み込んでいたのが今夜実現。

 場所はこれまた神田の路地の奥にあるSという居酒屋さんで、濃い神田っ子たちに囲まれて楽しいひと時となりました。

 そもそも神田神社の氏子の人たちに会いたかったのは、東京でも最も活気あふれる神田明神祭を支える地域力の源が何なのか、ということや、祭を通した地域の連帯がいざというときの地域防災力にどのように繋がっているのか、ということを知りたかったからです。

 さらに言えば、今は掛川市と一緒になった旧大須賀町横須賀の三熊野神社のお祭は、江戸の殿様が当時の横須賀の地に江戸の祭の様式をそのまま持ってきたもので、東京の祭が明治以降次第に変化していったのに対して、隔離分布のように昔のままに残されているという点で、神田以上に江戸らしく、その縁で今では人的な交流も盛んになっているというご縁もあるのです。

 さらにさらに言えば、神田神社の主祭神である平将門公の首検分をしたといわれるところが十九首という地名で今でも掛川市内に残っているというご縁もあり、実にさまざまな曰く因縁が掛川と神田の間にはあるのです。きっと何かがあるはずだと思わずにいられません。

   *   *   *   *   *

 今日来ていただいたのは、全部で6人でしたが、一番の兄貴分的な存在のTさんは、開口一番「いや~、横須賀の三熊野神社祭は今年も行ったけれど本当にいいねえ!」と言うのです。

「実は私は掛川にいたことがあって・・・」と経歴をお話しすると「あ、そうかい!いやあの祭は本当に良いし、あの地域がすばらしいよね」と重ねてべた誉め。

「神田祭の主のようなTさんから見て、何がどう良いですか?」
「神田はね、昔は横須賀のような歴史的な物語の人形をつけた二輪の祢里(ネリ=屋台)だったんだけど、明治以降に神輿に変えたという歴史があるわけ。それがそのまんまに残っている。そしてお囃子も昔の江戸のそのものが残っているのも素晴らしいね」

「なるほど」
「でももっとすごいと思うのは、鳳輦(ほうれん)って鳳凰のついた一番の神輿がお通りになるときには周りが土下座してお迎えするんだよ!こんなに光景なんて他じゃ見られないよ」

 神田の若頭が感動するんですから、本当にすごいんです。掛川の衆は自分の地域の外のお祭にはあまり関心がなさそうなので、どれくらいすごいか分かっているのやら・・・。

   *   *   *   *   * 

 祢里と神輿の話になると、参加していただいていた神田明神の禰宜でらっしゃるSさんも興味深いお話を教えてくれました。

「神田のお祭も江戸時代までは祢里を引いていたんですが、明治の御維新になって文明開化に伴って電線が張り巡らされるようになって、祢里がそれをくぐれなくなって変えたんだとも言われているんですよ」
「へー」
 するとまた別な方が「いや、商人は公方様が御代わりになったんだから、俺たちも変わろうという時代に媚びるような商人根性もあったんだと思うよ」

 神輿の話でももう大盛り上がりです。

   *   *   *   *   *

「すごいなと思ったのは、明治7年に明治天皇が神田明神に行幸された際に、『平将門はその昔天皇に弓引いた逆賊である。よって祭神から下ろすように』という沙汰があって、摂社か末社に動かれたときがありましたよね」と私。
「おやこままささん、良くご存知ですね」

「それが、また地域の熱意で昭和57年でしたか、また御祭神として復活したという話も聞きました。この神田の皆さんの将門公に対するシンパシーってどこから来るんでしょうねえ?」

 「将門公が祭神から降りた後の十年はお祭がなかったんです。昔はお祭は秋だったんですが、それを十年ぶりにやったらすごい台風にぶち当たりました。将門台風なんて言われて、『将門公の呪いだ』なんてい言われました。で、それで祭の時期を5月に変えちゃったんですよ」とTさん。「へー、それは知りませんでした」

 次に禰宜のSさんが「やはり将門公は、都から派遣されて地方で庶民を苦しめる官僚に対する義憤から乱を起こしたのであって、その気持ちに共感を感じるところが大きいんでしょうね。それに徳川三百年の御恩を簡単には忘れられないし、薩長に対する反骨の気持ちもあったんですよね。薩長が江戸入りするときは当時このあたりでも竹槍で立ち向かったくらいですから」

「『上からは明治だなどといふけれど、治明(おさまるめい)と下からはよむ』とか、『芋(薩摩のこと)はしもげる、おはぎ(萩=長州のこと)はすえる、五月葵(=徳川様)の花盛り』なんて言い方もあったよね」

 またSさんが「やはり徳川様は、天下祭と称して江戸総鎮守の神田明神の祭だけは江戸城に入ることを許したりして、庶民の心をつかむことに本当に長けていましたね。人の心が動く要素って、経済だけじゃないんですよ」

   *   *   *   *   *

「神田の祭が今でも氏子で支えられているというのは、皆さんはずっと昔から江戸の住人だからですか?」
「いや、それが結構人は変わっているんですよ。関東大震災もあったし東京大空襲もあったでしょう。でもやっぱり震災が大きかったかな。私なんかは親が大正時代にここへきてその二代目」

 聞けば、新しく入ってきた初代は割りと地域に対して大人しく過ごすのですが、二代目からは地域への貢献度が評価されるし、そのうちに神田のお祭が好きになっていくということのようです。

「お祭のときは3日間公園にテントを張って炊き出しをしますからね。それは防災訓練と一緒。いざというときの練習になってますよ」

 やはりお祭は地域が皆でやる最大のイベントであり、その連帯感はいろいろな方向に花開く財産になっているのです。

「こままささんって、神社に詳しくてなかなか面白いねー」
「是非今度は神社のほうへもお越しくださいね」
「もちろんですよ!これで神田明神へ行くのが楽しみになりましたよ」
  
 神田明神にお友達ができるとは望外の喜び。神田の人たちもとても熱
くて素晴らしい人たちばかり。こういうご縁ができるのも御神徳と言えそうです。 
 
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