北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

さっぽろホワイトイルミネーション、明かりの数は昨年の6割増し!

2016-11-30 22:37:38 | Weblog

 

 札幌の夜の街並みを彩る「さっぽろホワイトイルミネーション」が始まっています。

 まだ暖かかったり、雨が降ったりすると興醒めですが、気温がぐっと下がって引き締まり、それに雪が降って周りを白く覆い始めるといよいよ冬らしい雰囲気が漂ってきます。

 メインの電飾が数多く飾られているのはなんといっても大通公園を舞台にした大通会場。

 今年が第36回を迎えるホワイトイルミネーションですが、最初はたった一つのイルミネーションで、電球の数も1,048個だったそうです。

 私に記憶があるのは、モニュメントの数が4つくらいのときだったような気がします。この時代はまだ札幌観光は夏型だったんですね。

 そんなイルミネーションでしたが、今ではLEDが普及したこともあって、明かりの数もどんどん増えています。その数、昨年は52万球だったのが今年は一気に83万球になりました。なんと明かりの数は6割増しなんです。
 
 最近は色の数も増えて、美しさと華やかさが増した冬の札幌の夜ですが、大通会場のイルミネーションは12月25日まで。やがて2月上旬の雪まつりが始まるので、その準備に入るのです。

 私は通勤経路がちょうど大通公園を歩く形になるので毎日楽しむことができますが、美しいものははかないものです。

 期間限定の札幌の夜景を早めにお楽しみください。

 

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北海道の旅をわたしたちの日常に

2016-11-29 22:30:57 | Weblog

 

 先日11月29日の北海道新聞朝刊「道央ワイド」の紙面に、北海道宝島旅行社の鈴木宏一郎さんが紹介されていました。

 10月13日に開かれた「SAPPOROベンチャーグランプリ2016」での基調講演の内容の紹介という形ですが、鈴木さん自身もかつては大企業から転職をして、北海道の魅力を伝えるための起業をした方です。

 彼が設立した北海道宝島旅行社は、北海道は宝の島だ、という信念に基づいて、大きな旅行会社が携わっていないようなニッチなアクティビティをこつこつと開拓し、現地でのガイドや事業者、協力者を少しずつ広げ、それらのアクティビティを旅行者への商品として売る、というところがポイント。

 最近は通訳案内誌の会社「H-SEG」もつくり、外国人観光客のガイドへの備えを着々と進めています。

 記事の中で鈴木さんは、「田舎体験、文化体験、冒険、これが北海道観光のキーワード」であると言っています。

「新しいテーマパークを作るのではなく、地元の歴史、文化、基幹産業、日々の生活を有料で体験させる(ような)取り組みを増やして、リピーターの増加や滞在時間の延長につなげましょう」そして「地元にとっては日常でも、観光客には非日常です。我々には当たり前のことを価値につなげる必要があります」とも。

          ◆ 

 さて、鈴木さんが言うように、北海道観光はグルメや景色だけではありません。我々の日常の生活の中にこそ、よそから来た人の驚きや思い出があるはずです。

 で、私が言いたいのは、私たちは真に言われるような北海道の日常を暮らしているのだろうか、ということ。

 どれだけアイヌ文化を理解して、犬ぞりに乗って、馬に乗って、農家を訪ねてグリーンツーリズムを楽しんでいるでしょう。

 町にはいろいろな食事ができるお店があるのにどれだけ一生懸命回っているでしょうか。

 鈴木さんの企画のなかでもスマッシュヒットなのが、「石狩川でのワカサギ釣り」なんだそうです。この旅は、上着や長靴を貸してくれて、手ぶらで現地へ行き釣りの道具を借りて釣り方を教えてもらい、釣れた魚はその場でから揚げにして食べさせてくれます。

 どれくらいの人が、北海道でワカサギ釣りを日常の中で楽しんでいるでしょう?

 冷めた目で見ていないで、北海道が売れる旅は、我々の日常として楽しんでやろうじゃないか、と言うことです。なんだったら外国語を勉強して、ガイドとして案内をしてあげてください。

 売れる北海道をわが日常にとりこんでやりましょう。

 まあ、私が狂ったように釣りをしているのも、そのほんの端くれのつもりなんですが。

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テレビでおなじみ、武田邦彦先生による道路講演会が面白かった件

2016-11-28 22:57:22 | Weblog

 

 今日はこの時期恒例の「道路講演会」が開催されました。

 講師は「ホンマでっか!?TV」などでもおなじみの武田邦彦先生で、今日のお題は「科学者が見る環境問題」

 もともとご専門の資源材料工学の見地から、石油や鉄鉱石はなくならないのかとか、地球温暖化の問題、人間による地球汚染の問題、人間の長寿の問題など、興味と感心の赴くままに、『科学者から見た真実』について縦横に語っていただきました。

 武田先生は元々「地球温暖化はない」と主張されている科学者のお一人で、ネットを検索するとその手の記事は膨大に出てきます。

 しかしその根拠となる節などを直接聞いたのは今日が初めてで、武田先生が「地球温暖化はない」とおっしゃる主張の根拠は、「もとも地球が誕生してから何億年もの間、地球の大気はCO2が95%以上あった。そこに植物と言う生命が誕生して何億年もの間光合成によって炭素(C)をCO2から切り離して、『CO2=C+O2』という炭素固定活動をしてきた結果が今のCO2が0.04%という大気組成になった原因だ」というところにあります。

「CO2が増えたら地球がどうなるかのシミュレーションなど必要ない。だって、地球の歴史はCO2が減り続けてきた過程なのだから、増えたらどうなるかはCO2の濃度がまだ濃かったときに地球がどうだったか、ということを調べれば良いだけのこと。それでも恐竜も人類も生きていたでしょう」

「それよりも、CO2が増えることを恐れて日本中が国民運動みたいなことをして、暑い夏にエアコンをセーブして能率が下がっていても我慢する生活をすることの方が弊害が大きいんです」

 武田先生は、「そういう主張の根拠を、ちゃんと検証した方がいいですよ。それが科学的なアプローチというものだ。それなのに、根拠に当たらずして『世間や有名な司会者が、このままじゃ大変だと言っているから大変だ』というような噂で自分の行動を決めてしまうのがおかしいと、私は言っているだけ」とおっしゃいます。

 また、「アメリカのトランプ次期大統領も、『温暖化なんかない』という立場の人だから、少しは真実をみる機運が出るかな」とも。

 そういわれると我々自身、温暖化主張の根拠論文などを直接読んだことがあるわけでもありません。

 それこそ科学者の主張を鵜呑みにしているだけかもしれませんが、それならば是非とも科学者同士で決着をつけてほしいな、と思うところ。

 武田先生の主張には、「武田氏こそマチガイ」という反論も多いので、両方の説をちゃんと勉強しないといけませんね。


 

         ◆ 


 お次は人間の高齢化と長寿の話。「寿命は健康と関係ないんだよ」というのが武田先生の主張です。

 何歳まで生きるのかを決めるのは、①天寿、②体と心、③予防、④治療、という順番に効いてくる。人間だったら大体60歳からせいぜい生きて120歳で、いくら頑張っても個体の命はそれくらいしかもたない。

 しかし命は継げる。「命を大切にする、命を継ぐ」という事はつまり結婚して子供を作るという事。それが続けば命は何百年でも継がれていくんです。

 人間以外の生物は、大体生殖ができなくなり子供を作ることができなくなれば、それが社会的寿命。大抵はその後で死んでしまう。

 ところが人間の女性は、50歳を過ぎてもう子供は作れないとなってもなお長生きをする。そういうステージの女性にどういう意味と役割があるのか、ということをいろんな学者が研究してきたのだけれど、ようやくその理由がわかってきました。

 それはその世代の女性は、子育てを終えても今度は孫の世話をし、社会的のお世話をするという役回りがあるんじゃないか、ということ。

 男にはそういう役割はなくて、横に女性がいない男性、特に独身男性の平均寿命はせいぜい60歳。逆に女性の伴侶がいれば男性の寿命は79歳まで伸びる。

 ところが女性は、男性の伴侶がいてもいなくても、独身でも代替平均寿命は86歳ということになっている。

「僕の住んでいる名古屋には、"錦"というススキノのような歓楽街があるのですが、そこでお酒を飲むと、横にババアみたいな女性が座って、それで家で飲めば一杯5百円のお酒が一杯一万円になっちゃう(笑)。でもそれでいいんだと。男は横に女性がいるってだけで長生きするんだ、という話に得心がいってからは一杯一万円のお酒が高く感じられなくなりました(笑)」

 
 最後に、道路の話にも少し触れてくださいました。

「日本は効率化を目指せ、なんて言っているのに、国として高速道路すら満足につながっていない国ですよ。こんなのありえない。ドイツやアメリカなどの先進国は、効率化=道路をつなぐっていう理解ができているから国中を高速道路で結んでいるじゃないですか」

「ちょっと前に、『コンクリートから人へ』なんて言った人たちがいたけど、人が幸せに暮らすためにコンクリートがあるのじゃないですか?そもそもどっちを取るか、なんて比べるモノじゃないしね」 

 つまり!

「日本人は、いい大人が科学でも政治でも、ちゃんとした議論を全くしない国になっちゃったってことなんです。そこはしっかりと考えた方がいいと思いますよ」


 まあテレビとおんなじ声と語り口で、一時間半にわたる熱弁。話し方が上手ですねえ。会場は爆笑の嵐でした。

 武田先生は73歳になった今でも講演を年間200回やり、テレビのレギュラー番組を4本、年に十冊の著書を出す、という生活をしているそうです。

 見習うとともにあやかって、もっと勉強をしなくてはいけませんね。

 楽しい講演でした。

 

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男子、久々に厨房に入る…と惨事になった

2016-11-27 23:05:28 | Weblog

 

 単身赴任を解消して自宅暮らしになってからというもの、とんと料理から離れてしまっている私。

(たまには勘を取り戻さなきゃ)と思っていて、今日は夜に得意のマーボー豆腐をつくることにして材料を一通り買ってきました。

 ニンニクは中頓別の小林町長さんからいただいた北海道在来種であることはいうまでもありません。

 調味料のレシピは何度も作ってきた中で確立した自分なりの自信作。豆鼓醤(とうちじゃん)、甜麺醤(てんめんじゃん)、豆板醤、砂糖、香味シャンタンなどの分量は自分の中で決まっていてもう毎回味はほとんど変わりません。

 ところが途中で味見をした段階でなぜかしょっぱく感じる…。

(ん?豆鼓醤を入れ過ぎた?そんなはずないけどなー…)と水で少し薄めて砂糖と香味シャンタンを追加。

 それでも味が一向に変わらない、いやかえって塩味が濃くなってる…?

「ごめん、なんか失敗したみたい」と妻に言って、「え?どれどれ…?」と妻が味見して一言。

「塩味!砂糖と塩を間違えなかった!?」
「えっ!!!」

 まさに砂糖と塩を間違えて大量に塩をぶちこんでいたのでした。しかももう食べられないほどのしょっぱさ。

 こんなの最近のコントでもやらないようなミスですが、自分の中では塩味は豆鼓醤しか頭にないのでしょっぱくなる理由が全く分かりませんでした。恥ずかしー!

「ふむ、もっと頻繁に台所に立ってどこに何があるかをちゃんと理解すべし、ってことね(笑)」
「…ども、すみましぇん…」

 ということで、マーボー豆腐は近いうちにやりなおしになりました。

 炊き立ての五穀米が美味しかったです、はい。

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釣れたのは、「幸せボケ」の話。プライスレス!

2016-11-26 23:51:27 | Weblog

 

 最近の休日の定番行事のマメイカ釣りへ余市まで行ってきました。

 サバも釣れるかと期待しましたが、今日のポイントにサバはいなくて残念。

 今シーズン六度目のマメイカ釣りですが、これまでの成績は、0,0,2,0,10と、ほぼ惨敗状態(笑)。

 今日のマメイカ釣りも、昼まだ明るいうちは全く反応がなくて、場所を変えたところで時間が16時を過ぎたあたりからようやく釣れ始めました。

 釣果は夫婦で10匹たらずでしたが、まあボウズでないだけまし。現地では思いがけない釣り仲間とも遭遇して、嬉しくなりました。

 これまで釣ったイカが20匹で、買ったつもりになれば貨幣価値はせいぜい千円か二千円くらいかもしれません。

 さらに、それらを得るために釣り道具を買ったり、"エギ"というエビに似せたイカ用の疑似餌への投資額は膨大で、現地までのガソリン代なども考えると、いわゆる「費用対効果」は全く釣り合っていません。

 確かに得たものが12匹のイカ【だけ】ならそうかもしれません。しかし、実際に私が得たものは、ひたすら釣竿を振ることに没頭してストレスから解放される時間、釣りを教えてくれる仲間たちとの会話、下手を笑われながらもこの時間を過ごすことで少しずつ上手くなっている実感、そして釣りに行く間の夫婦でのドライブ時間と思い出。
 これらは値段のつけようのないプライスレスな価値を持っています。

 振り返ると、思い出を作ろうなんて思っても、それが心に残る思い出になるかどうかなんて分からないもの。事前のプラン通りになんて行かないことの方が多いかも。

 しかしいろいろな挑戦やアクションを起こしていると、案外様々なハプニングに出会って、それが思いもよらない思い出としていつまでも記憶されることがあります。 


          ◆ 


 今日は釣りに行く車の中で、妻と「歳を取ったらどうなるか」という話になりました。

 認知症でボケちゃったらどうなるだろう、という話で、知人の話題になりました。

「その人のお母さんが、軽い認知症になっちゃったんだけど、楽しかったことだけを思い出す"幸せボケ"なんだって」と妻が言います。

「それは幸せなことだなあ。よく普段は大人しいのにお酒が入ると愚痴ばかり言ったりして、実は根はネガティブだったなんて人もいるしなあ。いくら共通の思い出を作っても、楽しくて幸せだったことを忘れちゃって、『あのときあれをしてくれなかった』とか、恨みつらみだけが残るんじゃあ悲しいもんね。」
「本当だね。よし、ボケるにしても幸せなことだけ思い出す『幸せボケ』でいこう!」

 釣りに行って釣れた今日の釣果はこういう会話。

 うーん、プライスレス!

 

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情報は友達からが一番

2016-11-25 23:59:50 | Weblog

 明日からの週末も釣りに行こうと、釣具屋さんでイカ用の釣り道具を選んでいると、釣り仲間とばったり遭遇。

「あれ、小松さんじゃないですか」
「おや、Aさん、久しぶり」

「小松さんは何探してるんですか?」
「んー、明日もまたイカ釣りに行こうかと思って」

「あー、いいですねー、でも…」
「でも…ってなんです?」

「イカも良いけれど、昨日小樽の港ではイワシとサバが爆釣でしたよ」
「ホント!?」

「ええ、釣りをしている人はみんな大きなバケツに一杯釣ってましたもん」
「はー、そうなんだ」

「小松さん、どうせイカが釣れるのは夕方でしょうから、それまで違う魚を狙って時間を過ごすってのはアリじゃないですか」


 釣り情報もいろいろな情報源があります。年間でどのあたりで釣れるという場所情報もありますし、直近の釣り情報のための釣り新聞なんてのもあります。

 しかしもっともありがたいのは、こういう実際に釣りに行った友人同士のローカル情報。

 明日は地元の友達にその日の情報も教えてもらえそう。ネットを使いまくる地元人のリアルタイム情報は最高です。釣りって情報戦ですからね。

 …とは言いながら獲物がいなくてはしょうがない。さて明日はどうなりますか。

 またたくさんエギ(イカ用の疑似餌)を買い込んでしまいました。道具への投資ばかりだなあ…


  【イカ釣りのためのエギ これにイカが抱きつくのです】

 

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人を叱る三つのコツ ~ 「致知」12月号『特集:人を育てる』

2016-11-24 23:43:04 | Weblog

 

 人間学を学ぶ月刊誌「致知」。今月号のテーマは「人を育てる」です。

 教育とは教師や学校の仕事か、と思いがちですが、長い人生の中で人を育てる立場にもなれば、育てられるときもある。

 知らず知らずのうちに成長しているときがあれば、日々強烈な指導を受けて無理矢理に自分を伸ばすときもある。

 やるもやらないも、今がその時なのだ、という事は振り返って初めてわかるもの。人は「今、ここで」生きていることが全てなのです。


          ◆ 


 致知の「人を育てる」の特集記事で、円覚寺の横田南嶺管長と、今回のリオ五輪でシンクロナイズドスイミングを銅メダルに導いた日本代表ヘッドコーチ井村雅代さんのお話が載っていました。

 円覚寺の横田館長のお話は「姿勢」の話。ある将棋名人の話を紹介されて、「名人クラスになると、実力はほとんど差がない。勝敗を分けるのは姿勢だ」とのこと。

 姿勢とは単に身体の姿、形のことだけではない。身体の姿勢は心の姿勢の反映である。そして心の姿勢の反映とは心がけ、心構えの問題である。
 
「心がけ、心構えが崩れていては、人生における問答が解けなくて翻弄されることになるのではないか」と記事にはありました。


 そしてもうお一人の井村ヘッドコーチのお話として、オリンピックから帰って来た時のNHKの取材に答えたインタビューが印象的だったという。

「私と一緒に練習して、それで、ああ厳しい練習が終わってよかった、というような意識のレベルでは絶対にメダルは取れない。大事なのはその練習の後、では自分は何をするかを考え、さらに自分で練習をするような人でなくてはメダルは取れない」

 人を育てるというためには、相手の内面が変わってくれなくては育っていかないということを端的に言い表した言葉です。

  
 記事は、イギリスの十八世紀の歴史家ギボンの言葉で締めくくられています。

「あらゆる人は二つの教育を持っている。その一つは他人から受ける教育であり、他の一つは、これよりももっと大切なもので、自分が自らに与える教育である」
 自らが自らに教育を与える … 一人の人間をしてそういう意識にまで高めることこそ、人を育てる真髄ではないだろうか。


          ◆  

 致知の今月号の本編の中でも、井村ヘッドコーチの指導論が紹介されていますが、あの素晴らしい演技を見せたシンクロチームの選手たちは、井村さんが中国から戻ってきて指導し始めた時は全くダメダメな集団だったというので驚きます。。 

 曰く、「あの子たちは、勝つためにはどんな覚悟で臨むべきかとか、どこまで自分を追い込まなければならないのかとか、そういうことをあまりにも知らなさ過ぎました」。

 そしてその理由をこう述べています。「それは何かっていうと、負けても『精一杯やったから、それでいいじゃないの』という言葉にごまかされてきたんです。いま日本に充満している言葉ですけどね」
 負けた原因に触れるような痛い思いをさせない大人に囲まれてきたことが彼女たちをそうさせた、と井村さんは言います。

 また褒めることの難しさも語っています。「できることなら褒めて勝たせてあげたい。しかし褒めたらその子は、これくらいでいいんだ、と思い込んでしまうんです」。
 
 そして三つの叱るコツを教えてくれました。「一つは現行犯で叱ること。二つ目が直す方法を教えること。三つめがそれでOKかNGかをはっきり伝えることです。そこまでやらないなら叱ってはダメ。それは無責任です」

 まだまだ続く井村節、心にしみる言葉が続きます。

 物足りない方は致知12月号をぜひお読みくださいね。

 

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「合掌」の意味を考える~伯父の葬儀にて

2016-11-23 22:36:27 | Weblog

 

 両親を連れて、北見の伯父の葬儀を終えてきました。

 北見の伯父は私の父の七つ上の兄にあたります。父と伯父は、二男三女の兄弟姉妹の男二人。

 二人の両親つまり私の祖父母は、昭和9年に相次いで病死し、当時生き残っていた二男二女は親戚筋にバラバラに育てられました。

 しかも残念ながら女の子たちは、ゼロ歳、15歳、30歳でそれぞれ他界していて、兄弟の中では男児二人だけが生き残り、伯父は享年94歳、父は87歳で存命中とどちらも長命の部類。
「先に死んだ姉たちの命をもらったんだな」と父は言っています。

 実は父の半生って、断片的なエピソードは何度も聞かされたことがあるのですが、それを時系列できれいに並べたり、詳細な場所の特定などはしないままになっています。

 今回の葬儀では、喪主を務めたいとこが詳細な個人略歴を作って会場で披露していたので、「よくあれだけちゃんと作れたね」と賛辞を送りました。

 すると彼は「うん、何年か前に親父にインタビュー録音をして、メモを取るという作業をしていたんだ。あれがなかったらとても今日みたいにはできなかったな。あなたも機会を見てやっておいた方がいいよ」と勧めてくれました。

 父の半生なんて、案外正確には知らないものです。ちゃんとまとめておこうと思いました。


          ◆ 


 葬儀は浄土真宗のしきたりに則って行われました。

 住職の法話の中で印象的だったのは、「なぜ私たちは阿弥陀仏を前にして合掌するのだろうか」という話でした。

 「我々は両手を自由に使って好きなことをしているけれど、御仏を前にして手を合わせるとき、手はそれ以外のことはできない状態になる。人はいつでも自由と言うわけにはいかないのだ、という教えです。

 そして手を合わせて合掌・礼拝し、目を上げた時にそこには個人のお顔とともにその後ろに阿弥陀仏がおられます。
 
 『この不自由な世界のなかでお前は人生の始末を正しくつけられるのか?』という問いかけをそこに感じます。故人を通じて、弥陀の本願に触れるのです」


 故人を偲び思う事は、我が身のこれからに関わってくるのです。
「お前はどうなのだ?」「それでいいのか?」

 
 伯父の冥福を祈ります。お疲れ様でした。

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筆ペンにみる、ほんの些細な心遣い

2016-11-21 23:13:59 | Weblog

 

 一年ほど前から体調を崩していた北見の伯父が亡くなったという知らせが届きました。明日から両親を車に乗せて北見へ行ってきます。

 香典袋をつくるのに、薄墨の筆ペンを買ってきました。

 こういう慶弔袋に名前を書くのは字の下手な私にはつらいところですが、筆ペンの袋の中におまけとして、「まっすぐ書けるお助けプレート」なるものが入っていました。

 要は四角い穴の開いたプラスチックのプレートで、この開いた部分に自分の名前をバランスよく書き込むと、なるほど、少しは見られる文字になるというわけ。

 ほんのちょっとしたアイディアなのですが、このペンがなんのためにあるか、どういうシーンで使われて、ユーザーの悩みは何か、というようなことがよく考えられています。

 世の中をほんの少しでも便利にしようというささやかな気遣いや改良が、日本の経済成長を支えているのではないかと感心したのでした。

  

 

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一日で五つのアクティビティ、これぞ北海道!

2016-11-20 23:58:36 | Weblog


  【なんであなたが先に釣るの?】

 

 ようやく休日らしい日が訪れて、満を持してマメイカ釣りに出かけました。

 ポイントはいつもの余市の港ですが、午前中の雨も上がって寒さもそれほどでもなくこの時期としてはまあまあの天気です。

 まずは余市港でも人気のあるいつものポイントへ行ってみましたが、どうも反応がありません。すれ違う人に声を掛けても「渋いですね。反応も薄いです」とのこと。うーむ…。

 釣りの場合は釣れないと、だんだんと人影が薄くなっていくので釣れていないことがなんとなくわかります。逆に人がたくさんいるという事は、なんとなく釣れていそうな雰囲気が漂います。

 場所を変えることにして、今まで行ったことのないポイントへ行ってみたところ、なんといつもの釣り仲間に遭遇。

「いやいや、どうですか」
「あんまり芳しくないですよ」

 そんな会話をしている最中に、仲間たちがどんどんと釣り始めました。

「小松さん、ちょうどよい時間帯になったかもしれませんね」 
 
 これはラッキーだ! と、私も勇んでマメイカ用のエギを海に向かって放りますが、これが一向に釣れません。

 地元のKちゃんがそれを見ていて、「おやじ!なにやってんの?」とイライラし始めました。

「エギが合わないんじゃないかな」
「何言ってんの?貸してみな!」

 見る見るうちに数匹を釣り上げました。

「何で釣れるの?」
「ほれ、何にも問題なし。それこそなんで釣れないの?」

 そういっている間に、こんどは妻の方が釣り上げました。「やったー」何やってくれてんの?

「おやじ、何やってんの、奥さんに抜かれてんでしょ!」
 怒りながらも気の良いKちゃんが手取り足取り、マメイカの釣り方の基礎をレッスンしてくれました。

「ほれ、こうやって糸フケ取って、ちょんちょんて引いてまた糸フケ取る。エギは落ちていくときにイカが抱くから、その感触を覚えるのさ。ほれ、釣れた!」

 教えられたままに何度かキャストを繰り返すうちに、ようやく私の竿にもアタリがあってマメイカが釣れました。

「かー!これで帰れる」 心底そう思って安堵しました。

 ところがそこから先は、チャンスタイムの到来です。一投一匹状態になり、次々と十匹ほどほぼ連続でイカが上がってきます。

 その後ライントラブルで時間を食って、勢いが衰えましたが、自分自身で10匹ほどを釣り上げ、妻やKちゃんの釣果も加えて今日は二時間ほどで20匹ほどのマメイカをゲット。
 今年は0、0、2と来ていたのですが、ようやく釣りらしい釣りになりました。


          ◆  

 
 家に帰ってからは早速マメイカを捌いて、刺身、バター焼き、マメイカ飯、煮つけにしてワインとともに楽しみました。いやあ、最高です。

【二ハイ分のバター焼きと六ハイ分の刺身】

 


 【一口イカ飯10ハイ分】

 

 北海道の休日ライフ、今日は、①妻とドライブ、②マメイカ釣り、③釣り仲間との釣りレッスン&語らい、④マメイカ捌き、⑤食べて美味しいマメイカ料理、と一日の間で五つのアクティビティを楽しむことができました。

 北海道の観光雑誌には、ドライブ観光で北海道を満喫するというコーナーがよくありますが、ただドライブして景色を見て食べ歩きなんて、北海道を味わうにはもったいない。

 自分のアクティブ活動を開拓して、地元の友達や仲間を増やして笑いあいながら、自然と触れ合う。これだけのことがこんなに簡単に楽しめるのは、やっぱり北海道だなあ。

 ここのところ、締め切りに追われる原稿書きに没頭していて気の休まらない日が続いていたので、今日は本当に爽快な一日になりました。

 北海道万歳!

 
 
 

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