北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

マメイカ狙いのつもりがホッケに ~ GO,GO,WEST!

2019-11-30 23:45:54 | Weblog

 

 小樽がダメで余市もダメ、古平もダメとなればさらに西へ行くしかありません。

 マメイカ釣りの話ですが、この時期マメイカは群れが西へ移動して言って終わるというのが釣り人の間では定説になっています。

 せっかくの土曜日でしかも割と温かいとなれば古平のさらに西を目指すしかありません。"GO,GO,WEST"なのであります。

 そこでどんどん車を走らせて時々訪れる積丹半島の小さな港へ行ってみると…、ありゃりゃ、すごい釣り人の群れ。

 こんなにも人がいるということは何かが釣れているということではありますが、何が釣れているんだろう。

 ちょうど帰ってくる若者がいたので声をかけてみました。

「こんにちは。たくさん人がいますけど何が釣れているの?」
「ホッケです」
「ホッケ!」

 なるほど、積丹でいよいよホッケが釣れているという情報は耳にしましたが、まさにここでもホッケが釣れているというのです。

「仕掛けは何で釣っているの?」
「餌釣りが釣れていて浮き釣りの人がたくさん釣っていますね。僕はサビキだったけど全然ダメでした」

 浮き釣りというのは1~2本程度の針先に餌をつけて10~30mほど先に投げ込んで魚を釣る方法で、サビキというのは数本の針がついている仕掛けで、岸壁からすぐ近くに投げ入れる仕掛けです。

 聞けば、撒き餌をして岸に寄せてはいたようですが、浮き釣りはイカやサンマなどのエサが魅力的なのに対して、サビキの針にはオキアミのような小さな餌しかつかないのでそこで釣果に差が出ているようです。

 時間はまだ3時。今の時間はマメイカよりもホッケを狙う方が良さそうです。

 幸い餌釣りではないのですが、こんなこともあろうかとルアー釣りの道具は車に積んでいたのでそれで狙ってみることにしました。


 釣り道具を抱えてとことこ歩き、岸壁に着くとまだ周りにはたくさんの釣り人。しかもそこここで結構ホッケを釣り上げています。

 人がたくさん並んでいてなかなか入る場所がなかったのですが、帰った人の後にようやく入れてもらえました。

 餌は周りの人が捲いてくれているので、私はワームという柔らかいゴムでできた仕掛けでトライします。

 これは、針のついた錘にこれを装着して30mくらい先に投げ入れ、それをリールで手繰り寄せる釣り方です。

 ラインを手繰るとワームが水中でゆらゆらと怪しげに揺れるのですが、撒き餌に飽きたであろうホッケをそれで誘おうというのです。

 周りにはワームで狙っている人もいるのですが、「ワームで釣れますか?」と訊いてみると「全然だめだね」という反応。

 多分使っているワームの色や形が違うのだろうと、周りが使っていないワームを選び、第一投。

 なんと、一投目からドン!という反応があって、小さいながらホッケがちゃんとかかりました。

 周りのワームで釣りをしていた人も「おー」という声。

 「多分この色形だと反応が良いと思いますよ」と言いながら、その後も2匹目、3匹目と釣り上げると、皆ワームを私の使っている色と形に替えて投げ始めました。

 すると周りの人も釣れ始め、「いや、もっと早く指導してくれれば良かったのに」と感謝される始末。

 なんだかんだで7本ほど釣り上げたところで辺りは暗くなりホッケは打ち止めにしました。

 あまり釣りすぎてもそれからが困りますので、ここから先はいよいよマメイカ狙いと参りましょう。

 
        ◆


 ホッケの血抜きをしてから車に一度戻り、マメイカ用の道具に替えて再び釣り開始。

 さっきまで一緒にホッケを釣っていた現地のワーム仲間も「お、じゃあ俺もマメイカやってみよう」とマメイカ釣りに加わりました。

 すると開始早々にマメイカ一匹。これは幸先が良いと喜んでいると、なんと二匹目はヤリイカがかかりました。

「今日はついてる。いよいよ俺の時代が来たか!」とウキウキして釣りを続けたのですが、なんとそこから先がパッタリ。

 粘れども粘れども釣れず、周りの人たちも最初に1、2匹上げた後は誰の竿にもかかりません。

 やがて一人去り、二人去りして、私だけが残って再び釣れる波が訪れるのを待ち続けたのですが、むなしい時間が過ぎ去ります。

 結局9時まで粘ってみましたがそこであきらめて本日の釣りは終了。

 結局は今年最後のマメイカ狙いのつもりが、ホッケの方をたくさん釣って帰ることになりました。

 釣りに来ればとにかく釣果があると心が満たされます。

 車の足取りも軽かったです(笑)
 

 

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時代を支えた道具たち ~ 計算尺って知ってる?

2019-11-29 23:46:51 | Weblog

 今年は道路事業関連である会報の編集作業をするということがありました。

 ちょうど一か月ほど前に印刷と配布を終えて、今日はその後の意見交換とご苦労さん会を行いました。

 半年ほどかけた編集作業では、私が編集部会長となり何人かの諸先輩と一緒に作業をしたのですが、なかには20歳ほど年上の先輩もいて、懇親会では昔の道路づくりの話になりました。

 今日の道路づくりは、測量技術が進歩して精緻な現況図面が作れますし、コンサルタントという職能が発達して図面を作ってもらえますが、今から50年以上も前ともなると全てが直営作業。

「それまでの一車線しかない細い道を、線形を改良して二車線の舗装道路にするんだけど、まず測量道具を抱えて現地へ行くのもバス、それもタダ。時代だな(笑)。そして工手(こうて)っていう直性作業員と一緒に山へ入って草を刈り、杭を打って土地の高さを測るところからやったよ」

「現地で何日も過ごすんでしょう、夜はどこに泊まるんですか?」
「バクシャ」

「バクシャってなんですか?」
「テントよ。漢字なら『幕舎』って書くよ。ある年末の12月28日の朝に帰ったら御用納めでもう誰もいなかったこともある。時代だ(笑)」


 すると隣にいた私の5歳くらい上の先輩が、「それから計算ですよね。当時は計算尺でやったなー」と割り込んできました。

「計算尺!懐かしいけどもう使える気がしませんよ(笑)」
「僕の卒業した工業高校には計算尺クラブがあったよ。部長は1級だったけど僕はせいぜい4級。難しかった」

 計算尺というのは、対数の考え方を用いて掛け算・割り算だけではなく、三角関数の計算や、指数・対数の計算まで答えが求められる計算道具のこと。


   【これが計算尺】

 いくつもメモリのあるバーをスライドさせて数字を合わせれば、別なメモリのところに答えが示されるというすごい工夫の道具です。

「でもあれって細かい計算まではできないでしょ?」
「概算でいいのよ。土工をするのに概ねどれくらいかがわかればよかったからね」


 するとさらに向かいのその隣の先輩が「そういえば俺がいたときに高校の先生が、その計算尺を使いやすくする工夫をして特許を取ったと聞いたなあ」割り込んできました。

「それはすごいですね」
「うん、これは売れるかなと思ったらさ…」

「どうなりました」
「電卓の時代になった(爆)」


 時代の陰に隠れた歴史も面白い。電卓もいまや消えかけているし、パソコンもいつか消えるのでしょうか。

 

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ほっかいどう学を楽しもう ~ 寒地技術シンポジウムにて

2019-11-28 23:30:35 | Weblog

 (一社)北海道技術センター主催の寒地技術シンポジウム。

 昨日の27日から三日間の日程で開催されているこのシンポジウムは、今年が第35回目。

 これまでも寒冷地技術の交流を目指して、これまでのジャンルでの様々な防災や河川技術、道路技術などの研究発表があったほかに、今年から新しく「ほっかいどう学」というジャンルが加わりました。

 「ほっかいどう学」は、第8期北海道総合開発計画のなかにも「北海道の自然や歴史、文化、環境などの分野で、北海道の地域特性や個性に焦点を当て、…北海道に対する理解と愛着を一層深めるとともに、北海道の強みを生かして『世界の北海道』づくりに取り組む人材を発掘・育成する」などと書かれていて、北海道の隠れた魅力を発見する一つの取り組みと言えます。

 とくにこれを提唱された新保元康さんが長年取り組まれてきた、小学校での社会科教育の分野で、北海道らしさとして雪について学ぶなどと言った先駆的な取り組みが多く行われています。

 
 今日のシンポジウムの「ほっかいどう学」分科会では、札幌市における雪教育の取り組みや陶器防災授業の実践事例、交通環境学習、エネルギーの地産地消学習、さらに北海道での製氷業の揺籃期の歴史物語など興味深い発表がありました。

 北海道における「雪」は、全国一律の学習指導要領では触れることが難しいテーマですが、ここに住む者としては避けられないものであり、これを利用したり楽しんだり、克服したりと様々な切り口で子どもたちに多角的に考えさせる取り組みは、まさに「ほっかいどう学」を体現する取り組みの一つでしょう。

 これを本気で学ぼうとすれば、雪にまつわる多くの外の関係者と触れ合ったり話を聞いたりすることが必要で、教科書の中に閉じこもってはいられません。

 それは地域のテーマを扱いながら「地域に開かれた教育課程」という学習指導要領の理念に沿ったものともいえ、これに取り組んでこられた先生たちのご努力に敬意を表します。


    ◆


 分科会の最後には、座長である新保元康さんから「ほっかいどう学」推進に向けた考え方がお話されましたが、地域に眠っている物語を掘り起こして見えない魅力を発見することが北海道の魅力増進につながる、ということ。

 それには退職された先生たちの力に期待するところも大きい、と。

 一方私としては、こうした物語が観光と結びつくことで経済につながるような橋渡しの工夫も必要と感じた次第。

 「ほっかいどう学」が地域をガイドするコンテンツ作りに繋がるという期待も膨らみます。

 「学」と言いながら、もっと緩やかに面白がりながら膨らませるそんな取り組みでもよさそうです。

 北海道の釣りだってそういう側面は大ですよね。よーし、週末はほっかいどう学を極めるためにも釣りに行くか!

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ゴルフ場を訪問 ~ ジュニア育成はもろ刃の剣ですって?

2019-11-27 23:46:56 | Weblog

 

 営業と挨拶回りの一環で、道央のゴルフ場を訪問しました。

 ゴルフ場には結構アスファルト舗装が多いので、工事や資材のニーズがあるものです。

 支配人にお会いすることができて、「もう一回大雪が来たらもう今シーズンはおしまいですかね」と言いながら、今日は一組がセルフで回っているとのことです。

 最近のゴルフをめぐる状況を伺ってみました。

「私はゴルフをしないのでわからないのですが、ゴルフ人口って減っているんですか?」
「はい、残念ながら減少傾向です。高齢者が離れていく数に比べて若者がゴルフの世界に飛び込んできていないんですね」

「外国人を迎えるというのはどうですか?」
「うちはまだそこはやっていないんです。将来の課題だとは思いますがね」


 ところでこちらのオフィスへ入る前に、私はジュニア育成のためのロストボール寄付のカゴを見逃していませんでした。

 そこで、「そうするとゴルフ人口を増やすためにはジュニア段階からゴルファーを育成するというのが良いのでしょうか。先ほどもジュニア育成のためのロストボール集めのカゴを見かけました」とお尋ねしました。

 すると支配人は「それも実はもろ刃の剣なんです」と言います。

「もろ刃の剣…ですか?」
「ええ。ジュニアからやらせると、大概は本人も親もプロを目指そうとするわけです。そうして幼い時から練習をさせていろいろな大会に出場させて上位の成績を収めようとします」

「はい」
「ところがそうやることで成績を上げてプロになれるのはほんの一握り。多くはその途中で自分の実力を悟って心が折れます。そうなるともうその後は、一切クラブを握らないようなところまでゴルフを嫌うようになるんです。私の娘も一時ゴルフをやらせてみましたが、中学生段階で止めてしまいました。今では『ゴルフは嫌いだからもうしない』と言って全く興味を失ってしまいました。なので、裾野を広げようと若い時からやらせるというのも善し悪しなんです」

 
 何が何でも裾野を広げるためには若いうちからやらせて経験させればよい、と思っていましたが、分別のつかない年ごろであったり、あるいは本当に才能のある一握りだけが成功するがその陰には死屍累々というようであれば、好ましく楽しむような層にはならないのだ、と。

 教育でもイヤイヤやらせられるようではその科目は嫌いになってしまうに違いありません。

 どうせやらなくちゃいけないのだったら、練習も楽しく魅力的なものにしないといけないということのようです。

 単純に数合わせだけでやられるような行政の政策も多くありそうです。

 しっかりと質や成果を見極めることも大切ですね。

 いろいろと考えさせられるお話でした。

 

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芯が回るシャープペン「クルトガ」の進化 ~ 10年ひと昔

2019-11-26 23:21:31 | Weblog

 もう10年ほど愛用しているシャープペンシルが三菱鉛筆(株)製の「クルトガ」です。

 シャープペンシルって、芯が細いので細い字が書き続けられますが、とはいえ字を書き続けていると芯の断面が斜めになって線が太くなってしまいます。

 この「クルトガ」が面白いのは、内部に仕込んであるギアによって筆圧をかけたときに芯が少しずつ回転して行く仕掛けになっていること。

 「(芯が)クルクル回ってトガり続ける」ことから商品名が「クルトガ」になりました。

 この洒落たアイディアが楽しくてこのペンをずっと使い続けていたのですが、先日文房具店に行ったところ、なんとこの仕掛けがバージョンアップした製品が売り出されていました。


 
 調べてみるともう2年も前に発売になっていて、その名も「クルトガ・アドバンス」。

 以前のものよりも進化した工夫が凝らされています。

 その一つは、筆圧による回転率が2倍になったこと。

 以前は40回の筆圧で芯が一回転していたのですが、アドバンスでは20回で芯が一回転するようになりました。

 回転のロゴが渦巻きに三角が二つ付いたように変わりましたが、これによって早く細い面を使えるようになりました。


   【上が新製品のアドバンス】


 二つ目は芯先が引っ込むようになり、書かずにいるときの芯を保護する機構がついたこと。

 アドバンスの芯先は芯をガードする円錐形の部分が、芯が減るにつれて引っ込んでゆくので芯を繰り出さなくてもずっと書き続けられるようにもなっています。

 こういうちょっとした工夫で字を書く時のストレスが低減されるので、実に良く考えられています。


 さらに気が付いたのは、透明プラスチックと紙からなるパッケージに、ホッチキスの針が使われていないことです。

 この手のパッケージを開けるときはいつもこのホッチキスの針を外すのが邪魔だったのですが、このパッケージは紙の出っ張りがくぼみに引っ掛かることで取れないようになっていて、針の節約にもなっています。

 こういうちょっとしたところも見逃さないカイゼン魂に敬意を表します。

 ちなみに、10年前にこのクルトガに感動して書いたブログがありました。

 10年経ったら人も進化していなくちゃだめだなあ(笑) 


【090530 いつも尖ったシャープペンシル~クルトガ】 http://bit.ly/2QLGwRP

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防災の主体は行政ではなく自分自身 ~国土強靭化フォーラム片田先生講演より

2019-11-25 23:58:28 | Weblog

 

 国土強靭化フォーラムという集いがあって、今日は講師に東京大学特任教授で防災情報学がご専門の片田敏孝先生が来られて講演をされました。

 先生の講演のタイトルは、「想定を超える災害にどう向かい合えばいいのか ~危機に主体的に備えるための国民強靭化~」。

 問題意識は、気象現象が荒ぶる度合いを増している今日、行政は何にも増して防災の対策を行わなくてはいけないが、それだけでもいけなくて住民の側にもっと防災意識を強く持つようなもとめなくてはいけない、ということでした。

 豪雨の様子がこれまで考えられてきたものよりも大きく変化し、河川の流域全体で大変な量の雨が降る時代です。

 平成30年7月に中国・四国地方を襲った豪雨では、下流域ではそれほどの雨が降っていなくても、上流で大量に降った雨が次第に流下してくる中で河口付近で大きな水害を発生させ、1府13県で200名を超える死者・行方不明者が発生しました。

 この背景を探ってゆくと、行政が頑張って堤防を整備したこの50年間に大きな水害がなく、災害の記憶がないのだと。

 岡山県倉敷市真備町でも、浸水ハザードマップは整備されて住民に公開されていました。

 しかしそれを住民のほとんどは知らないし知っていても自分には降りかからないだろうと高をくくってしまった。

 それは防災を公共のサービスとして行政にやってもらうことが当たり前になってしまって、住民側に『安全も行政が保証してくれるはず』という依存体質が身についてしまったからではないのか。

 こうした被害が発生するたびに行政は改めて「ハザードマップを見ましょうよキャンペーン」をしていれば良いのでしょうか。

 片田先生は、この平成30年7月豪雨を受けた「平成30年7月豪雨による水害・土砂災害からの避難に関するワーキンググループ」に委員の一人として加わり、議論を進める中で、「…国民に〇〇していただく」というような書き方をしていては、これからも何の解決にもならない、と強く感じたとおっしゃいます。

「防災を行う主体は行政で、それを受ける客体が国民」という前提がもう違うのではないか、と。

 片田先生は、「"主客未分"ととらえて、これまでの『行政が防災も行政サービスする』というスタンスから、『行政は住民(自らの主体的行動)をサポートする』という風に発想を変えなくてはならないのではないか」と強く主張されます。


 そうして出来上がった「平成30年7月豪雨を踏まえた水害・土砂災害からの避難のあり方について(報告)」(http://bit.ly/2QQC6cg)は、これまでとは異なるトーンの書きぶりが登場しました。

 そこには「行政は防災対策の充実に不断の努力を続けていくが、地球温暖化に伴う気象状況の激化や行政職員が限られていること等により、突発的に発生する激甚な災害への行政主導のハード対策・ソフト対策に限界(がある)
 「防災対策を今後も維持・向上するため、国民全体で共通理解のもと、住民主体の防災対策に転換していく必要(がある)」とされています。

 

        ◆

 

 この報告書の「おわりに」の一文を紹介しましょう。

 「…今回の豪雨災害は、行政主導の避難対策の限界を明らかなものとし、国民一人ひとり が主体的に行動しなければ命を守ることは難しいということを我々に突き付けた。行政には、引き続き、避難対策の強化に向け全力で取り組むことを求めるが、加えて、国民の皆様に、下記のことを強く求める」

  
 「皆さんの命を行政に委ねないでください」は強烈です。

 

【生涯学習による防災意識】
 大変有益なお話でしたが、こうした防災学習の根底にあるべきなのは偏に「生涯学習運動」なのではないか、と強く思いました。

 現代社会には災害リスク以外にも、オレオレ詐欺リスク、健康リスク、運転リスク…様々なリスクがあります。

 これらを様々な関係者がやってきて「これを学ばないと危ないですよ」と言われても、頭も心もついてゆけません。

 こうした社会の最前線の問題そのものを普段から日常的に学習する姿勢、すなわち「生涯学習」ということを実践するのだ、という意識がまず先にあって、その先に個別の学習課題として防災も乗っかってくる、という形でなくては上手く行きようがないのではないか。

 生涯学習を知識や念仏ではなく、実践活動として日頃の生活に取り入れてゆきましょう。

 そして自分の命も財産も自分自身で守りましょう。

 生涯学習運動への揺り戻しが必要ではないでしょうか。
 
 

 

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トラブルはたいてい最悪の状態で発生する

2019-11-24 23:59:44 | Weblog

 

 リビングで本を読んでいたらトイレに入っていた妻が突然、「あれ?え?え?くぁwせdrftgyふじこlp※▲§!」と叫びだしました。

 そのうち声は止みましたが、トイレから出てきた妻に「何か叫んでいたけど、どうした?」と訊くと、「シャワートイレのスイッチを押して水が出たところでリモコンの電池が切れて止められなくなっちゃった」とのこと。

 我が家のトイレはシャワー装置を操作するのが電池式のリモコンなのです。

「ははは、そういえば以前から液晶の表示が薄くなっていたとは思っていたけどね。それで止まらないシャワーはどうしたの?」
「パニックになったけど、何回も押していたら止まってくれたよ」

「電池が最後の力を発揮したか(笑)、よかったね」

 せめてシャワーが始まる前に電池が無くなっていればよかったのに、こういうことってしばしば最悪のタイミングで起こるものです。

 そういことを防ぐための備えができている工夫もあります。

 私の釣り用の投光器は、LED光源が30個ほどついていてとても明るいのですが、充電池が無くなったときは点灯するLEDが1個だけになって、電池交換を知らせます。

 電池が無くなったときに真っ暗になってしまわない工夫がそういう形でできています。

 
 考えたらパソコンデータのバックアップなど、「もしものとき」の備えをしておきましょう。

 リモコンの横には電池の予備を置いておこうかな(笑)。

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郷に入りては郷に従え ~ 古平港異常なし

2019-11-23 23:45:00 | Weblog

 

 一日前の釣りでは、小樽港でマメイカが全く釣れませんでした。

 このあたりのマメイカは、北から始まって南下すると言われています。

 小樽が終われば次は余市や古平など積丹の方で釣れ始める、という話を何度も聞かされていたので、今日は妻と一緒に積丹方面のドライブ&釣りの旅をしてきました。

 まずは昼頃に余市の港の様子を見てきましたが、少し風が強い余市港にはほとんど釣り人がいません。

 人は魚が呼ぶもので、人がいないということは釣れていないということ。

(余市も厳しいのかな)

 そこでさらに車を西に向かって走らせて、古平へと向かいました。

 古平へ着いたのはちょうど午後一時くらい。

 釣りにはまだ早いし、お昼の混雑は終わったころで、角を曲がったところのお寿司屋さんへ飛び込みました。

 土瓶蒸しのついた特選寿司を注文しましたが、美味しい!

 お腹を満たしてからいざ古平港へ。

 ぽつぽつと先行の釣り人がいる地元の釣り人とちょっと外れた方へいって2時過ぎから竿出しをしましたが…、うーん、こない。

 情報収集のために、いかにも地元の釣り師と思しき方に声をかけてみましょう。

「こんにちは、どうですか」
「どっから来たのー? (マメイカは)いねーよ。1匹2匹をみんなして狙ってんだ」

 確かに、周りを見ても、だあれも釣れていません。(これは粘るしかないか)

 
      ◆


 今日は天気が良くて日中は暖かく、竿を柔らかく動かしているだけでは眠たくなるほど。

 しかし時間が経っても、なかなか釣れる気配はありません。

 いよいよ日没が過ぎて、暗くなってきました。

(そろそろ投光器を使って誘い出すしかないかな)と思いかけたところ…、なんと誰も投光器を使っていない!

 そういえば釣りの先輩から言われたことを思い出しました。

「明かりを使う釣りっていうのは、場所によっては嫌われるからね。『そんなのここじゃ使うんじゃねーよ!』ってね。釣り場には釣り場のマナーがあるから、何でもかんでも釣れればいいという独りよがりは考えるべきだよね」

 なるほど、ここはそういう釣り場かしら。

 これも地元の方に訊いてみようと、いかにも毎日来ている地元の釣り師然としたおじさんに声を掛けました。

「こんにちは。あのう、この辺りでは皆さん、釣りの時に投光器なんかは使わないのでしょうか?」
「んー?明かりはつける人もいれば嫌う人もいるじゃろね。明かりなんか使うのは、あの奥でやっているような人たちなんじゃないか」


 やはりこの辺りでは投光器をガンガンつけて釣るというような釣りは好まれないようです。

 そうなるともう我々じゃ無理だな、と判断して竿仕舞。

 うーん、余市古平方面も異常なしか。今年のマメイカは終わったかもしれません。


 帰りがけにはいつものお魚や田中商店にて海産物を購入。

 真ん中の「船上活〆サバ」は脂が乗ってとっても美味しかった。

 本当に美味しいものは地方にあるなあ。

 

 

 

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小樽港異常なし

2019-11-22 23:46:56 | Weblog

 

 友達と夕方から小樽港へマメイカ釣り。

 天気は良かったけれど釣り人が案外少なくて嫌な予感。

 案の定、どこを狙っても一向に反応がありません。

 厳しく海底ギリギリを狙っていると、「むむ?」

 マメイカではなくて海底の藻に引っかかったような嫌な予感。

 (あー、無事に戻ってきてくれー!)

 祈る思いで引っかかったラインを引っ張ると、なにかごそっと取れたような感触がありました。

 引っ張り上げてみると、今まで何人もの釣り人が海底でロストしたエギやスッテが何個も絡んだグチャグチャの釣り糸。

 一体海底には何千個のエギが沈んでいるのでしょうか。

 周りの釣り人も一人、また一人と姿を消す中、3時間ほど粘ったものの、我々も退散することに。

「数を釣る釣りは、魚がいないところで何時間も粘っても良い釣りにはなりませんよね」とはアユ釣りをする友達の弁。

 その辺を見極めないと、逆に釣れないのに仕掛けを失うなどろくなことがありません。

 結局今夜は、マメイカはゼロでしたがエギを5個、スッテを2個ゲットしたので一応釣果あり、といたしましょう。

 小樽のマメイカが終わったということは、イカの群れは南下したのかな。

 明日も天気は良さそうですが、積丹方面に行ってみようかな。

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AIが奪う仕事と少子化で減る人手はバランスできるのか

2019-11-21 22:37:35 | Weblog

 40代にダイビングにはまった時期がありました。

 ちょうど長野県の松本にいた頃で、環境問題に関心を寄せる人たちと意見を交わしていた頃です。

 環境に詳しい方から「陸上だけ見ていちゃダメだ。海の中を見て、そしてその接点である水辺を学ばないと環境のことは分からない」と妙な理屈を言われて、それが心に響いてその方に誘われるままにダイビングの免許を取りその世界に入ったのです。

 ダイビングの免許は佐渡島で取得しました。直江津まで車で行ってそこからフェリーに乗って佐渡島まで渡り、ようやくとったCカードでした。

 佐渡島ではファンダイビングと言って、地形や魚を見て楽しむダイビングを何度もしました。

 佐渡島で潜っているとたまにとてもきれいな色をした熱帯魚のような魚に出会うことがありました。

 あとで教えてもらったことは、「あれは対馬暖流に乗って南から流れてくる魚だよ。海が温かいからそのまま流れてきたけれど、このまま北へ流れて水が冷たくなると死んでしまう魚で、死滅回遊魚という」ということでした」

 「死滅回遊魚」という呼び方が妙に印象的で今でも頭に残っています。


       ◆


 かつて日本の技術屋のエースがこぞって炭鉱の世界に飛び込んだ時代がありました。

 炭鉱を経営する企業は最も安定していて高い給与がもらえた時代で、当時の話を聞くと20代で何百人もの炭鉱労働者を束ねて、その地域の名士扱いだったといった話は枚挙にいとまがありません。

 それが炭鉱が斜陽産業になった後には公共事業の時代がやってきました。

 そこでは建設業が大きな産業となり、それを担う公共事業官庁とともに建設系産業に優秀な技術屋が飛び込んでいきました。

 しかしそのときに、炭鉱技術者が公共事業を担う技術者として転換できた例はあまりなかったでしょう。

 一つの世界に特化して能力を最大限に発揮した者ほど、他の分野へ転向するのが難しいのです。

 ある方は、「時代が求めた役割が終わったら、それはただ消えるのみだな」と寂し気に言っていました。

 そういう意味では、別にぬくぬくしていたわけではないでしょうけれど、冒頭の「死滅回遊魚」の話にどこか通じるものがありそうです。


       ◆


 ネットの日経ビジネスの記事を読んでいたら、「AIが奪う仕事 vs 少子化で減る人手」という記事がありました。

 著者は米国エール大学准教授の伊神 満さんという方です。

AIが奪う仕事 vs 少子化で減る人手】 http://bit.ly/2D4JlFw

 
 記事の内容は、AIが進んだら人間の仕事は奪われるだろうけれど、一方で少子化で人手は減りつつあり、それらはうまく相殺されるのだろうか、というもの。

 研究の結果を言うと、アメリカでは仕事は増える方が多かったものの、それは国や時代によって違いそうだ、ということでした。

 記事ではいろいろなエピソードが語られるものの、最後に私たちが本当に考えるべきこととして、4つの項目が提示されていました。

 4つのポイントとは、

① 仕事と人手の出会いを、業界・社会全体でスムーズにする工夫。
② いまある人手でこなせるように、仕事のカタチを柔軟に変化させる工夫。
③「新たな仕事」に柔軟に対応できるような、新スキル習得の場所と機会。
④「人手不足の分野を狙って自動化を進める」ような、研究開発と企業活動。

 …というものでした。

 人口や若者が減ってどうしよう、と嘆いてばかりおらずに現実にこれからできることを明確にしてそれを確実に実践してゆこう、という強い気持ちが表れていて、意を強くしました。

 さて、年寄りはどんな応援ができるのか。

 しっかり考えて実践してゆきましょう。

 

 

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