北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

昭和は遠くなりにけり ~ お店の隠れ新メニュー

2017-11-30 23:55:55 | Weblog

 知人のAさんを誘ってお昼にイタリアンレストランに行きました。

 ちょっと小洒落た感じのレストランで、ここの料理人は世界ピザ大会で日本人として一位を取ったこともあるということで、本格的なイタリアンが楽しめるのです。

 でも今日はピザよりはパスタ気分だったので、パスタメニューからチョイスしよう問う事にしました。

 ところがこのAさん、「僕は実は本格的なイタリアンよりも、昭和なナポリタンが食べたいんだな。でもこういう感じのお店だったらそんなメニューはないよね」というワガママを言い出しました。

 仕方がないので、かわいらしい女性スタッフに声をかけて「実はかくかくしかじかというわけなのですが、そんな昭和なナポリタンなんてないよねえ」と言ってみると、「あら、そうですか。たぶんできると思いますが、一応調理担当に確認してきますね」という対応。

(え?作れるの?)と、驚いたのもつかの間、件の女性スタッフが返ってきて、「作れると思いますので、どうぞご注文下さい」とのこと。

「へー!じゃあお願いします。昭和風味でね(笑)」

 待つこと10分。注文の品ができてきました。

 熱々の麺にトマトと粉チーズがたっぷりかかったパスタが登場です。


   【写真はイメージです】

 

「やったー、いいぞ」 そう言って、一口二口食べたAさん。

「どうです、お味は?」と訊くと、ちょっと苦笑いをしてひと言、「んー、細いアルデンテのパスタ(笑)」

 昭和のナポリタンのイメージは、太い麺が茹ですぎたくらいに柔らかく、そこにケチャップとウィンナーと玉ねぎがたっぷり、というのが彼のイメージで、さすがにちょっとイメージが違いましたか。

「美味しいんだよ、美味しいの。でもね、昭和のナポリタンじゃないんだなあ(笑)」


          ◆ 


 完食をしてコーヒーを飲んでいると、いろいろと労を取ってくれた女性スタッフが調理したという男性スタッフと一緒にやってきて、「いかがでしたか?」とにこやかな笑顔。

「うん、美味しかった。でもね、昭和の喫茶店のナポリタンじゃなかったね(笑)」

 そこで私も、「ケチャップをたっぷりかけてくれれば良かったかなあ」というと、「申し訳ありません、うちのお店にはケチャップを置いていないんです」という衝撃の告白。

「あ、そうなの?さすがは本格イタリアンのお店だね」と皮肉でもなく感想を述べると、「ご希望がそうであれば、近隣の系列の店からケチャップを取り寄せて、昭和のナポリタンを作るようにします。それで、今回の経験を次に活かしたいので、ぜひお名前を教えていただけますか?」

 Aさんも、「それじゃあ」と名前とメニューを出されたカードに書き込んでおりました。新しい隠れメニューの誕生です。

 名前を書き込んだ後に、「でもあなたたちは、昭和生まれじゃないでしょう?」と訊くと、女性の方は平成生まれでしたが、男性の方は「僕は昭和62年生まれです。ぎりぎり昭和です(笑)」と応えてくれましたが、「でもそれじゃあ昭和の味は覚えていないね」と一同笑って和やかになりました。


 美味しく料理をいただいて、お店から帰る道すがら、Aさんに「次にここへ来ると昭和のナポリタンが食べられますよ」というと、「ははは、本当は昭和のナポリタンを注文したらそれが出てくる喫茶店を知っているんだよ。でも次回ここへ来たら、ピザとか他の品を注文しずらくなったねえ」と言うので二人して笑いました。

 さてさて、昭和は遠くなりにけり、です。

 

 

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私、お昼、抜いてます

2017-11-29 23:44:44 | Weblog

 函館からバスで札幌まで帰ってきました。

 途中で休憩はするものの、5時間半はやっぱりちょっと遠いですね。

 今日もそうですが、ここ2、3か月というもの、お昼ご飯を食べなくなりました。

 お昼も長くおにぎり一個という時期が続いていたのですが、ここへきてそれも食べなくなりました。

 その理由の一つめは、歳を取ることで代謝の量が減ってきて、お昼ご飯をまともに食べるとカロリーオーバーになっていることを感じてきたこと。

 二番目は、その後からなのですが、空腹を感じる時間を増やすことで、晩御飯をより美味しく食べられることに気が付いたことです。

 普段から減らし気味にしておけば、何か会合やパーティがあって、たくさん食べても良いでしょう。

 とはいえ、あまりストイックになり過ぎているわけではなく、お昼に心底お腹が空いたと思えば、食べに出たりおにぎりやサンドイッチを買う事もあります。

 また、お土産のクッキーなどが出ればお茶と一緒に食べることもしょっちゅう。

 ただ、義務的に『お昼ご飯は食べるもの』とは思わないようにしよう、という程度の決意です。

 今の職場は狸小路のすぐ近くで、周りには結構美味しそうなお店も多いので、「うらやましいし、そんなところにいて食べに出ないなんてもったいない」と言う人もいるのですが、まず先に自分の健康を優先しようと思います。

 いい歳になったら、自分の健康をセルフコントロールする気持ちと実行を大事にした方が良いと思います。

 生涯学習の実践です。
 

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建設産業はブラックじゃダメ

2017-11-28 23:20:24 | Weblog

 今日は函館出張。

「舗装協会の函館地区会員と開発建設部との意見交換があるのでオブザーバーとして参加してくれませんか」というので出席したものです。

 公務員として現役だった時代にはなかなか気が付かない、発注者側の問題意識や課題意識は、実際受注者側の代表になってみてよく分かります。

 発注者側にいたときは、指摘された課題が、そのとおりだと思えば「改善しましょう」という返答をしてきたつもりでしたが、実際にはなかなかそうした課題が完全に解決しきれないという現実もありました。

 何段階にもわたる多層化された組織の中で、こまごましたすべての問題の理解と対応を意思統一するというのは実に難しいことです。どうしたものかと考えてしまいます。


 今回も、書類の簡素化に関する対応が話題になりました。

 本来必要のない書類ですが、それでも発注者の担当者から「はあー、でもすみませんがやっぱり用意してください」と言われたら、その場の空気の中で、それに対して「それはできません」とは言えないものです。

 そうしたちょっとしたことが積み重なっていると、受注者側の働き方改革はなかなか難しいもの。

 受発注者が協力して働き方改革に結び付けたい、という問題提起ですが、発注者側でも誠心誠意そうしたことがなくなるように努力したい、ということなので、共に協力しながら改善を目指したいところです。

 建設産業の辛く苦しい部分を改善したいものです。

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車の部品のブッシュ交換

2017-11-27 23:55:05 | Weblog

 先週後半は休暇を取っての山口旅行だったので、仕事を相当ため込みました。

 "TO DO list"(やらなきゃいけない仕事リスト)もなかなか減らなくて、締め切りが迫るわで、あたふたしています。

 
 旅行前に車を修理に出していて、届けられた翌日に旅行に出発しました。

 車はブッシュと呼ばれる、ショックを和らげるゴムの製品を交換したもので、交換前はやたらと路面の凹凸を拾って、車への衝撃が大きくなっていました。

 今乗っているセレナは、アウトドアや釣りにしょっちゅう出かける今のライフスタイルにぴったり合っているのと、まだそれほど傷んでもいないので、あと5年くらい乗るつもりで、細かいオーバーホールをしたのです。

 ブッシュって、部品代はそれほど高いものではないのですが、大きく分解しないと交換ができないのでその工賃が高いので二の足を踏んでいました。

 でもあと数年乗るなら快適さを求めたいところで、思い切って交換をしたのです。

 今日買い物に行ってきましたが、やはり衝撃吸収は改善されています。

 ついでにライトも明るいバルブに交換してもらいました。

 快適になった車で冬も釣りに走りますよ。

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「やる気になったのは旅のおかげ」 by 吉田松陰

2017-11-26 23:51:01 | Weblog

 昨夜は防府市に宿泊。

 山口市あたりでも良かったのかもしれませんが、あまり土地勘がないので思い切って南下してみたのです。

 しかし昨夜ホテルにチェックインした後に夜の街を歩いてみると、祭り装束の青年たちがそこかしこにたむろしていました。今日になって防府天満宮に行ってみると、なんと昨夜が裸坊祭りという大きなお祭りだったことがわかりました。

 もう少し早ければ神輿など祭りそのものも見られたのですが、これはちょっと残念でした。

 しかし今日の朝に天満宮へお参りに行くと、昨日神様が乗った神輿が境内に置かれていて、これを磨き、くぐるとご利益があるという、後祭りに参加することができました。

 防府天満宮は、無実の罪で太宰府に流された菅原道真公が愛した土地で、日本三大天満宮の一つですから、いろいろな願い事にもご利益があることでしょう。

 
       ◆ 


 レンタカーなので移動は機動的です。

 宇部空港から帰る前に、西の小京都と言われる山口市内を見て回りました。
「瑠璃光寺の五重塔はぜひ御覧なさい」とだれからも勧められた五重塔ですが、確かにこれは立派なものです。

 檜皮葺の屋根が、質実剛健な室町時代を象徴しているかのよう。

 これがかつてこのあたり一帯を治めた大内義弘の墓で、実は瑠璃光寺というのは元々あった香積寺が江戸時代に毛利輝元によって萩に移され、その後に移ってきた寺なのだそう。

 かつて大内氏に仕えて滅亡に追いやった陶(すえ)氏の七代目弘房を弔うために作られた寺なのだと聞かされると、そうした敵同士がすぐ近くに鎮座しているというのも歴史の皮肉です。

 それにしても釘一本も使わずに(竹釘は使っているらしい)、主として木組みでこれだけの造作を作っているというのは素晴らしい技術ですし、なによりやはり美しいというのが素晴らしい。

 そのあとに室町時代の墨絵の大家である雪舟が造作した雪舟庭も見学してきましたが、いわゆる一流の芸術家は何をやっても一流なのか、と思うことと、庭園もこうした表現スタイルの一つだ、ということを改めて思い知るのでした。

 
       ◆  


 最後に旅の印象を一言。

 今回の旅では行く先々で「北海道の札幌から来ました」というと、非常に驚かれまた感動されました。

「はあー、それはまたずいぶん遠いところから来られましたねえ」というのが驚きの第一声ですが、それに次いで出てくるのは「それでも私も何度かは北海道へ行ったことがあるんですよ」というもの。

「北海道は良いところですもんねえ、食べ物は美味しいし、きれいだし」というのは定番のお褒めの言葉でありがたいのですが、では我々道産子がその逆に北海道にいて、「山口県から来ました」と言われたら、どれくらいの人が「良いところですよね、○○があって」といってあげられるものか。

 「私も山口県には何度か言ったんですよ、下関とか萩とか…」とお愛想の一つも言えるでしょうか。

 好かれていると思い込んで、来てくれることだけに慣れていないで、観光もお互いさまで、互いの魅力を褒めあって分かち合うような交流があった方がずっと楽しくなると思いました。

 萩の博物館で「江戸幕府を倒す初めのエネルギーはここ萩から出ましたが、その幕府が終わりを遂げたのは函館戦争でしたもんね」と言われて、長州と北海道のつながりを感じることができました。

 歴史を単独の知識ではなく、繋がっていることと意識することが大切で、そのために旅は欠かせません。

 吉田松陰はその短い生涯の中で青森県まで日本を縦断する旅をしていますが、最後に「発動の機は周遊の益なり(やる気になったのは旅のおかげだ)」と言ったのだそうです。

 旅はいろいろなことに気づかせてくれますね。

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萩の歴史と津和野のSL山口号~ラッキーな旅でした

2017-11-25 23:40:17 | Weblog

 朝から萩市内を観光。今日の目的は江戸時代を感じる街並み観光です。

 まずは萩に残っている反射炉の遺構と造船所跡を見学。

 萩に残る反射炉は、トライ&エラーの産物で、外国の武器の強さに驚いた長州藩が、より品質の高い鉄を作る必要を痛感して作った施設なのですが、実際にはうまくいかなくて、遺構だけが残った代物だそう。

 反射炉の「反射」とは、燃焼室で石炭などを焚いて出た熱を天井や壁で【反射】して後ろにある路床に集中させることで質の高い鉄を製錬させるという仕組みであることからこの名がついたよう。

 ずっと「反射」って何のことかわからずにいたので、これで合点がいきました。旅をするといろいろなことがわかります。


       ◆ 


 萩市内は、今でも江戸時代の古地図で市内の道が読み取れると言われるほど、昔ながらの街並みが残っています。

 萩博物館で、ボランティアガイドをしていた女性にそのあたりのいきさつを聞いてみるとこんなことを教えてくれました。

「もともと毛利家は、関ケ原の戦いに参戦はするけれど、抵抗はしないので所領は安堵してほしい、という密約を徳川と交わしていたんです。ところが合戦が終わってみると、それまでおおよそ今の広島・島根・山口にまたがる八州あった領地が、長門・周防の二州に厳封されました。その恨みというのはずっと残っていて、明治維新の徳川幕府転覆にまでつながっていったんです」
「なるほど」

「で、長門・周防の二州に厳封されたときに、藩の居城をどこにしようかと幕府に相談したところ、『萩は三方を山に囲まれていて堅固要塞の土地であるからそこが良かろう』ということで、ここ萩にお城を構えて、武士団による城下町を形成しました。城下町なの「で、産業はなくても米や物資は藩内の各地から送られてきてことは足りる。なのでろくな産業のないままに幕末を迎えました」
「ほうほう」

「実は文久3(1863)年に、萩ではあまりに北に偏っていて藩政が十分に行えない、というので藩都を山口に移しました。そうすると武士団もそちらへ移動してしまって、産業がないところは一気に困る」
「で、どうしましたか」

「そこである人が『夏みかんを植えよう』ということを奨励して、それが当たりまして、地域の一大産業になり、財政的にはなんとかなったんです。今も市内各所に夏みかんが植えられているのはそのときの名残ですね」
「へえ、面白い」

「萩は二つの川の三角州のなかに形成された城下町で、川沿いには防備の武士が配置されましたが、土地の低い真ん中は畑として使われていたんですが、そこが近代化の際の道路をはじめとする土地利用に使われて、昔ながらの街並みをほとんど壊さずに済みました。また、大した工場もなかっので空襲も受けず、それらが燃えずに残されたことで今日の姿になっております」

 なるほど、萩の今の町の姿の歴史がよくわかりました。

 萩では、観光地のいたるところに黄色いジャンパーを着たボランティアガイドの方がいて、丁寧な説明をしてくれました。それも、型通りの一方的な説明ではなく、こちらからの質問にも丁寧に答えてくれるレベルの高いガイドさんたち。
 『まちじゅう博物館』という名にふさわしい、質の高いガイドさんたちにあらためて感謝いたします。ありがとうございました。


       ◆  

 萩を十分に堪能してから、今度はお隣島根県の津和野見物。萩からは車で一時間ちょっとです。

 津和野は、町の中心部に伝統的建造物群保全地域をかけて古い街並みを維持しています。高い近・現代の建物は学校や病院くらいなもので特に古い街並み地域は歴史的な景観が楽しめます。

 ここはさだまさしさんの歌「案山子」に出てくるところで、「…城跡から見下ろせば、蒼く細い河、橋のたもとに造り酒屋のレンガ煙突…」という歌詞がこの町の情景だと話題になったところ。

 それでは城跡から町を眺めなくてはなるまい、と太鼓稲荷神社の隣にある観光用リフトで山城跡を目指します。

 するとリフト乗り場の近くにやたらとカメラを抱えた人が多くいます。

 券売り場の方に「今日は何かあるんですか?」と訊くと、「SL山口号が15時45分に津和野駅を出発して山口へ向かうので、それを撮る鉄道ファンがたくさん来ていて、お城の上から撮影する人も随分上っていきましたよ」とのこと。

 なるほど、津和野までの車中からも多くのカメラマンが見えたのはそのせいでしたか。

 津和野城跡へと上ってみると、頂上には十数人の撮り鉄たちがカメラを手にSLが走り出すのを待ち構えています。

 我々が到着した時には、あと15分ほどでSLが出発するということだったので、これはチャンスと我々もにわか撮り鉄としてSLの勇姿を撮影することにしました。

 …といっても、せいぜいスマホなのでそれほどすごい写真が撮れるはずもありませんが、それでも津和野の街並みを走るSL山口号の姿を撮影することができました。結構ラッキーなことですね。

 あとは夕暮れが迫る中、時間の許す限り津和野の町を歩いたり、地酒を買ったりして回りましたが、もう少し時間が欲しかったな、というのが正直なところ。

 また来たい、と思うくらいが丁度よいのかもしれません。

 天気にも恵まれてラッキーな、萩・津和野の旅でした。
 

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秋吉台と吉田松陰ゆかりの地萩 ~ 教科書の中が現実に

2017-11-24 22:38:46 | Weblog

 山口県の旅の三日目。

 昨晩は萩市に泊まって、今日からは山口県の北東部を見て回ります。

 今日の目玉は秋吉台とその一帯。もちろん日本最大の鍾乳洞、秋芳洞も目的の一つです。

 まずは秋吉台道路のカルスト地形の前に手前にある大正洞という鍾乳洞を見学することに

 ここで、大正洞の他にすぐ近くの景清洞(かげきよどう)そして本日の目玉の秋芳洞と三か所が格安で見られるセット券を購入。

 不勉強なことに、ここへきてようやく秋吉台というのはカルスト台地一帯のことで、そこにある日本有数の大きな鍾乳洞の方は秋芳洞という名前だということを知りました。

 うすぼんやりした知識って駄目なものですね。


       ◆  

 大正洞は、鍾乳洞の歴史からいうとまだ新しい洞窟なのだそうですが、素人にはよくわかりません。

 景清洞は、その昔源平の合戦で敗れた平景清が身を潜めたという故事から景清洞と呼ばれるようになったもので、中は中間地点までコンクリートの平らな遠路が作られており、バリアフリー対策がばっちりされています。

 途中から奥は、まったく照明がされていなくて、そこから先は冒険コースとして追加料金300円で懐中電灯とヘルメットを借りて進入することができます。子供連れで探検隊になるのは面白そうですね。

 
 秋芳洞は入り口が正面入り口と黒谷入り口の二か所にあります。もともとあったのは正面入り口で、こちらから洞窟へ入ると上り調子で黒谷入り口へと向かい、反対は下り調子となります。

 今日は正面入り口から入ってみましたが、駐車場から洞窟の入り口までは3~400メートルほども商店が軒を連ねていて、いかにも昭和レトロな観光地という感じがします。

 それでも中国からの観光団体御一行様は名物のソフトに群がっていましたから、こういうスタイルでも喜ぶ人はまだまだいるのでしょうね。

 秋芳洞の洞窟はさすがのスケールで、中へ入ると天井からの鍾乳石と下から延びる石筍、それにさらにいろいろな成分の混じった石灰水が固まったいろいろな造形が見られて、変化に富んでいます。

 それでもこの洞窟空間を面白くしているのは、絶妙なネーミングと言えるでしょう。何気ない石一つに、おっと感心するような名前を付けることで、それが一つの景勝ポイントになるのです。

 またネーミングも、そもそもが古い時代からの観光地であるため、○○観音とか、××大仏など、信仰に由来するものがあるのも歴史を感じさせているのかもしれません。

 それでも段違いの水面を「千枚田」と呼んだり、鍾乳石がたくさんぶら下がっている天井には「傘づくし」と名付けるなどは面白いセンスだなあと感じ入ってしまいます。

 ネーミングは最後の最後でとても大事な観光地の味付けになりますね。


 秋芳洞の中には、ポイントポイントにボタンを押すと景観のポイントを説明してくれる音声ガイドシステムがあるのですが、こちらではちゃんと日英中韓の四か国語に対応していました。さすがの国際化対応です。

 それにしても、鍾乳洞っていかにもSF冒険映画に出てくる悪者の潜む基地のような感じがしますね(笑)


       ◆  


 そのあとは再び萩へ戻ってきて、今度は吉田松陰ゆかりの松陰神社と松陰のお墓などを訪ねます。

 松陰神社はもともとあった松下村塾の周りを整備して神社としたもので、松下村塾は今でもしっかりと残されています。

 東京の松陰神社にも松下村塾を復元したものがあってそちらは見学したことがあったのですが、今日は本物を見ることができて感慨無量です。

 吉田松陰のお墓は萩市の東側の高台にあって、萩市内の眺めが良い場所です。また、高杉晋作のお墓も松陰さんのすぐ後ろに建てられています。

 丁度今年は明治維新から150年ということで日本中でいろいろな地域が盛り上がっていますが、ここ山口県では今年が高杉晋作没後150年の150年忌ということで、あちこちに幟が建てられています。

 松陰門下の塾生のその後の運命は、早死にするか政府の高官に上り詰めるかの究極の二つに一つ。

 早世した同門の仲間たちの人生も存分に生きたのだと思えば合点がいきますね。

 幕末の歴史と言えば、やはり長州は欠かせません。

 

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さすがは周防の国、山口県には歴史物語が満ちている

2017-11-23 23:07:59 | Weblog

 

 山口県旅行の二日目。

 まずは車で長府の毛利邸、下関歴史博物館、曹洞宗金山功山寺を見学してきました

 毛利のお殿様の末裔が明治年間に建てた和風建築の大邸宅。お庭も書院庭園と池泉回遊式のものが併設されていて、尚な趣味の一端がうかがい知れます。

 今はかつての敷地や邸宅もすべて下関市に寄付されて、市が管理しているのだそう。

 寄付してもらったのはよいけれど、この財産をしっかりと管理しながら後世に残すのが与えられたミッション。

 かつての大名が果たした地域貢献が今では行政の仕事ですが、品質を高く保つのは大変です。


  【功山寺の国宝檜皮葺大仏殿】


       ◆ 

 山口県の海岸沿いを時計回りに北上している最中に、「本州最西端毘沙の鼻」という看板を見つけたので寄り道をしてみました。ぶらり旅の良いところです。 


 
 考えてみたら日本の四つの大きな島にはそれぞれ東西南北の端があるはず。

 ちなみに本州の最南端は和歌山県の潮岬。これは前回和歌山旅行をしたときに通っています。

 今回は最西端を押さえたので、あとは東と北の端ですが、岩手と青森が次なるターゲットになりそうです。


       ◆  


 今日一番に見てみたかったのは、元乃隅稲荷神社(もとのすみいなりじんじゃ)。こちらは昭和30年というのでまだ歴史は浅いのですが、明後日訪ねる津和野の太鼓谷稲荷神社から分霊された神社とされています。

 稲荷神社だけあって、真っ赤な123本の鳥居が山道に覆いかぶさる様子はなかなか異様な感じがして、今では外国人観光客にも人気が出始めたそうです。

 ここには鳥居の上につけられたお賽銭箱に賽銭を投げ上げて、入ったら願いがかなうと言われていて、大勢の参拝客がコインを投げ入れては失敗していました。

 確かに小さな硬貨を、狙いを定めて投げ上げるというのは難しいのですが、私は何とか二回目で投入に成功。しかし願いは特に思いつきませんでした。

 日本の風景は多様ですし、さすがは周防の国。万葉の時代に始まって、明治維新の物語や朝鮮半島と大陸とのつながりの歴史も豊富です。

 北海道が圧倒的に弱いところですが、それらの生かし方も勉強になります。観光も勉強です。

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山口県の旅初日

2017-11-22 22:43:14 | Weblog

 

 今日から日山口県を曜日まで、夫婦で旅行してきます。

 新千歳空港から羽田経由で山口宇部空港へ。空港近くでレンタカーを借りて、いよいよ山口県の旅の始まりです。

 今回の旅のメインは、萩と津和野の歴史的な街並みや風情を見て歩きたいということなのですが、もちろんその他の地域の観光や名産、名物も楽しみです。

 山口県というと、代表的なイメージは、秋吉台、壇之浦の合戦、関門海峡、フグそして獺祭というようなものですが、もっとディープなものやことを見て歩きたいと思います。


       ◆ 


 今日は、山口宇部空港に降り立つと天気は小雨。寒くはありませんが、やはり雨は気分が少し滅入ります。

 空港近くでレンタカーを借りるとまっすぐ下関までやってきました。

 壇之浦の合戦で入水した安徳天皇を祀る赤間神宮に詣でて、耳なし芳一の「芳一堂」を見学して、平家の御霊を慰めてきました。

 レンタカーを借りるときに、「どのあたりを回りますか?」と聞かれたので、「関門トンネルで門司へ渡ろうかと思っています」というと、「それなら自動車で行くよりも、下関の唐戸港から門司港へ渡船で渡った方が早いし楽しいですよ」とアドバイスをもらいました。

 門司港レトロと呼ばれるまちづくりは、夜景がきれいということで、あえて夜になってから渡し船で対岸の門司へと渡りました。

 門司港レトロでは、古い建物をよく残しているのと、街づくりの上でも色遣いや新しい建物でもレトロ風にするなどといった努力を地域全体が行っています。

 また夜景がきれいということは、建物のライトアップが上手で、古い建物も傷んでいるところは目立たず、建物のデザインだけが目につきます。

 単なるライトアップの魅力以上に、建物のレトロデザインの面白さが相まって、魅力的な空間になっています。

 しかも対岸の下関側のライトアップが門司側にとってみると魅力的な景観になっていて、お金をかけずに地域の魅力が増すというのも面白いと思いました。

 門司駅が修復中ということで見られなかったのは残念ですが、しっかりと修繕して長く観光客を楽しませてもらいたいものです。

       ◆  


 夜はささやかにふぐ刺しを一人前のほか、山口県のお酒を大いに楽しみました。

 旅行を通じて、観光地としての魅力づくりへの様々な努力とアプローチについて目を肥やしたいと思います。
  
 
 

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そりゃ私も長くやってますからね

2017-11-21 23:00:51 | Weblog

 

 尾籠な話で恐縮です。

 数か月前からときどき、右の乳首周辺が痒くなることがありました。

 放っておいてもなかなか治らず、ここ一週間ほど痒みが増してきました。

 ネットなどで「乳首のかゆみ」で検索すると、乾燥やアトピー性皮膚炎などいろいろなことが書かれていますが、素人なのでやっぱり原因はわかりません。

 そこで思い切って皮膚科の病院へ行ってきました。

 口唇ヘルペスの治療などでいつもお世話になっている先生なので、気安い先生なのですが、なにしろ見立てが早い方。

 事前に看護師さんが「今日はどうしました?」と患者の様子を聞き取ってメモにした後で先生が登場してメモと過去のカルテと患部を見ながら診断をしてくれます。

 この日も、看護師さんに症状を伝えるとやがて先生がやってきて、「ではちょっと胸を見せてください」というのでシャツをたくし上げるとすぐに、「ああ、ちょっと炎症が出ていますね」と言います。

 あまりの診断の速さと、乳首周辺に炎症が出ているとは思わなかったので、つい「炎症ですか、見立てが早いですね」と口にしてしまいました。

 すると普段はニコニコしている先生なのですが、一瞬すねたような顔をして、「そりゃわたしも皮膚科の医者を何年もしていますからねっ」と口をとがらせました。

 (ああ、これは失礼なことを言ってしまった)と思って、すぐに謝ったら笑顔に戻ってくれたのですが、ちょっとすねたのが妙に可笑しかったのです。

 素人はつい医学情報をネットに頼って自己診断をしがちですが、プロのお医者さんの見立てにはかないません。これからは余計な口答えをせずにしようと思います。

 もらった薬を塗ったところ症状は治まってきました。体の異常はすぐにお医者さんにかかりましょう。

 

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