北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

生産性向上に必要なのはスピードアップ

2017-03-31 23:55:39 | Weblog

 

 今朝(2017年3月31日)の日経新聞に、『高速の速度制限、緩和を~ヤマト・佐川、政府に要望』という記事が載っていました。

 内容は、「宅配大手のヤマト運輸と佐川急便がトラック運転手の人手不足対策として、高速道路における大型トラックの速度制限緩和を政府に要望している」というもの。

 高速道路の法定速度は、乗用車やオートバイが時速100㎞なのに対して、大型トラックは時速80㎞に制限されているとのことで、大型バスが100㎞ならば大型トラックも100㎞で良いのではないか、という話。

 最近は、特に会社名の入った看板を背負って走るトラックなどは、走行記録が残るために、きっちりと制限速度を守って走ります。10kmくらいオーバーしても捕まらない、などという甘いことはせずに、本当に制限速度で走ります。

 実際の道路上では、制限速度をいくらか超えて走ることが常態化しているので、はみ出し禁止区間などでは、そういう車は制限速度を守っているトラックの後ろに列をなして連なります。
 そうしてはみ出し禁止が解けたところで追い越しをかけて前へと出てゆくのです。

 制限速度を守ることは当たり前と言えばそれまでですが、(せめて急ぐ後ろの車を抜かさせればよいのになあ)と思う事がありますが、片側一車線の道路ではなかなかそうもいきません。

 
 高速道路での大型トラックの制限速度が80㎞だったなんて、この記事を読むまで実はよく知りませんでした。

 しかし人口減少時代を迎えて、一人一人がもっと付加価値を生産していかなくてはならないとして、社会全体で『生産性向上』が叫ばれる今日、移動のスピードを上げるというのは極めて簡単にできる生産性向上方策の一つと言えるでしょう。

 高速道路であれば、ある程度のインフラの整備水準も維持管理水準も高いので制度を改善することで簡単に対応できそうです。

 ただそれを敷衍すれば、情報が光ファイバーや高速通信手段の整備でどんどん大量で高速化してゆくのに対して、物流がいまだにとろとろとしか運べないということこそ生産性向上を阻害しているように思います。

 考えてみれば、橋やトンネルができることで輸送距離を短くするということがずっと行われてきたわけで、これなどは時間短縮にどれだけ効果があったことでしょうか。

 そしてこれからの未来を語るとして、なにも一般道路を全面的に四車線化するなどという無理な投資が必要だと言うわけではありません。

 道路用地にゆとりのあるところで、追い越し付加車線をもう少し増やして走行をスムースにするとか、わだちや穴ぼこなどスピードを出せなくなる道路のメンテナンスをもう少し改善するなどで、走行はもっとスムースになるはずです。

 AIやGPSによる無人運転やビッグデータの活用など、次世代技術の改良も必要でしょうが、今あるインフラをもっと良好にすることでも、生産性向上や人で不足への対処が可能だと思います。

 生産性向上のためにも、何が必要なのかをもっと議論してほしいですし、見逃されていることって多いように思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「こころ旅」を見て四万十川を思い出した

2017-03-30 23:30:53 | Weblog

 

 朝何気なくBSNHKを観ていたら、火野正平の自転車旅番組「にっぽん縦断こころ旅 とうちゃこ」が始まっていました。

 なんと今週の月曜日から番組を再開していたようで、気が付くのが遅れました。

 今回の旅は高知の四万十川河口がスタートです。


 四万十川には一度だけ行ったことがあります。今は合併して四万十市になりましたが、合併前の中村市に知り合いの助役がいて訪ねて行ったのです。

 そのころは釣りをしていなかったのですが、四万十川の流れがとにかくきれいで感動したのを覚えています。

「どうしてこんなに水がきれいなのですか?」と現地の方に尋ねたところ、「上流になにもありませんからね(笑)」という答えが返ってきました。

 確かに上流には大きな都市がなく、汚れる要素がないのでしょうけれど、あまりいじられていない川の魅力に惹かれました。

 四万十川には沈下橋(ちんかばし)という、欄干のない橋が架かっている場所があります。これは、普段は橋として使いますが、洪水の時には水が橋の上を流れるようになっている橋の事。

 増水の時になおその水面よりも上に流されない橋を架けるのにはどでかい構造物とたくさんの予算が必要になります。

 しかし洪水の時は過ぎるのを待ち、普段通れれば十分という設計思想で、安上がりに機能を果たせればよい、ということならばこういう橋もありなのでしょう。

 今度行くときはぜひ釣り竿を引っ提げて行ってみたい川です。


 さて、一度だけ行った中村市では、日本酒を大いに飲まされて大変な目に会ったことが記憶のかなたに思い出されます。

 良い思い出と辛い思い出の交錯した土佐の旅でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天ぷらの衣は大きく

2017-03-29 23:47:43 | Weblog

 

 今の職場では、「舗装協会ニュース」という情報紙を舗装協会の会員向けに毎月発行しています。

 この紙面の中で、先月から「識者インタビュー」というコーナーを作って、道路の舗装が悪いことで困っているとか不利益を受けているという事例を、人へのインタビュー記事として紹介することを始めました。

「道路が悪くて困っている人が増えている」ということを漠然と言ったり、道路が傷んでいる写真を何枚撮るよりも、その結果として、どんな道路ユーザーがどのような不満を持っているか、ということを具体的に掘り起こす方が分かりやすい、と思うので、こういう企画を始めました。

 月に一度、三千字の記事となると、テーマにふさわしい相手探しや記事の執筆など、結構大変なのですが、この積み重ねが北海道の道路利用者の声だと思って、続けてみたいと思っています。

 
 そんな話を、先日建設関係の業界紙の記者さんに話していたら、「専務、その話はいいですね。今度記事にしてもいいですか」と言うので、「どうぞどうぞ。話の輪を広げてください」と言っておきました。

 すると今日になって職場の一人が笑いながら、「専務、協会ニュースが記事になっていますよ」と教えてくれました。

「おー、本当だ(笑)。ちゃんと背景まで書いてくれていますね」

 
 業界紙という限られた読者層しかいない新聞ですが、それでも、「記事を書いたことが記事になる」ということが面白い。

 書いた内容もネタですが、『書いたという事』もネタになる。そのネタもまたブログのネタになる(笑)。

 一つのことを何度でも使いまわして、天ぷらの衣を大きくしてやりましょう(笑)

 
        ◆


 先日ネットの書評記事で、藤原和博著『10年後、君に仕事はあるのか?」という本からの内容紹介記事がありました。

 「『未来を生き抜く子ども』を育てるたった3つの考え方」として、「学校的な価値観、すなわち『正解主義』『前例主義』『事なかれ主義』から、だんだん解放されていく(時代になる)」ということが書かれていて、この三つの主義から脱却した先には、「修正主義」「先例主義」「事あれ主義」になるべきなのだ、というのです。

 ダメだったら修正すればよいし、前例にとらわれず自分が先例になりましょう。何もないより、何か事が起きた方が楽しいでしょう。

 今を変えられるのは、今を生きている自分だけだしね。


            ◆  


【未来を生き抜く子ども」を育てるたった3つの考え方】
 ダイヤモンド社書籍オンライン 【藤原和博著『10年後、君に仕事はあるのか?」】
 http://diamond.jp/articles/-/121519 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はー、日本列島はこうやってできたんだ

2017-03-28 21:59:11 | 本の感想

 

 タモリさんが登場するNHKの人気番組「ブラタモリ」。

 最初は単なる地域紹介の番組かと思っていたのですが、あるときから「地質だとか地形といった地学的な要素によって、地域の歴史が説明できる」という主旨が鮮明になってきました。

 特にナビゲーターのタモリさんが地質や地形に造詣が深いということがあって、現地を案内する地元の専門家も舌を巻く様子が番組の一つのお約束になっています。

 今回読んだのは、「日本列島100万年史」(ブルーバックス 山崎晴雄・久保純子著)。

 これは46億年という長い地球の歴史の中の、新生代第四紀と呼ばれる最新の260万年という時間スケールで日本列島の変化を説明しようという本で、身近な自然としての「地形」を分かりやすく説明してくれます。

 章立てとしては、まず「日本列島はどのようにして形作られたか」ということで、日本列島全体の成り立ちを説明し、その後に、北海道、東北、関東、中部、近畿、中国・四国、九州というもう少し細かい各地域の土地の発達史を紹介しています。

 
 日本の(というか、世界もそうですが)地形形成に強く影響している要素は、なんといっても「プレートテクトニクス」。地球内部の熱による対流で、地球表層のプレートと呼ばれる薄い層がゆっくりゆっくり下から湧いてきたり、プレート同士がぶつかるところでは片方が下に沈み込むという動きの原因です。

 特に日本列島は太平洋の西側の端にあって太平洋プレートのほかに、フィリピン海プレート、北アメリカプレート、ユーラシアプレートが、複雑に相互作用をしていて、これが日本列島の成り立ちに関わっています。

 日本が列島になったのは、1900万年前~1500万年前に、沈み込む海洋プレートと大陸プレートとの間のマントルに対流が発生して下から湧き出す力で大陸プレートが割れて今の日本列島が大陸から離れて日本海に相当する部分が登場したから。

 その後列島の東半分は反時計回りに、また西半分は時計回りに回転しながら合わさってその間にはフォッサマグナ(大地溝帯)が形成されました。

    ◆

 次の要素が「火山」。日本列島は火山列島ですが、火山は地下のマグマがマントルから上昇してきて地表に噴出したものです。

 沈み込むプレートが地下100kmほどのところが、温度や圧力の関係で岩石がもっとも溶けやすくなり、そこに水が作用するため、海底のプレートが沈み込む中で地下100kmほどになったところの上に火山ができやすくなるわけ。

 子供のころは「那須火山帯」とといった表現が社会の教科書にあった記憶がありますが、今はこうした背景が分かってきたのでそういう表現はなくなったようです。教科書の知識も変わるんですね。

    ◆

 最後の要素が気候変動による海水や水の力。この本が対象としている時代は、260万年前から今日までの新生代第四紀という時代ですが、この期間に日本列島の地形形成に大きく影響したのは、温暖期と氷期が繰り返されたことによる海水面の上下変化です。

 寒冷期には水が大陸に雪として積もり、それが夏になっても解けずに氷床になりそれが発達します。降った雨が海に戻ってこないので、海水の量が次第に減って海水面がどんどん低下して、今よりも海水面が120メートルも低い時代が続いたのだそうです。

 そのときは今よりもずっと陸地が広がり、低くなった海面近くでは陸地からの土が流れて広い海岸平野ができます。

 やはり子供の時に、「日本列島の周りには大陸棚とよばれる海面の浅いところがある」と習いましたが、これは実はこの時代の海岸平野の名残なんだそうで、この後に海水面が上がったことで海の底になったということなんですね。初めてわかりましたわ。


    ◆

 各地の地形紹介のなかでの北海道の紹介では、「大雪山と層雲峡のなりたち」があって「ナキウサギは氷河期の生き残り」とされています。

 氷河期に海水面が下がった時には、北海道はカラフトを経由して大陸と繋がっていたのですが、津軽海峡はまだ深かったためにそのときも海だったらしく、北海道の多くの動物が本州と縁が切れていて独自なのは、そういうことが原因なんだそう。

 また道東の根釧台地や道北の宗谷丘陵では、氷河に由来する周氷河地形が随所に見られるとも紹介されています。

 最近は地学的に興味深い土地を「ジオパーク」として認定して観光の目玉になっているところも増えてきました。

 大きな時間スケールと土地スケールという地学的な視点で北海道の風景を眺めると、また新たな観光の魅力が発見できますよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その一言は予言なのか、占いなのか?

2017-03-27 23:24:15 | Weblog

 

 人生長く生きていると、不思議な出会いというものが何度かあるものです。

 先日、「舗装に穴が開く原因と対策について」ということで受けたインタビューがテレビで放映されました。

 私が映っていた時間はわずか15秒ほどだったのですが、その映像を見て、「あ、小松さんだ!」と気付いた方がいました。

 かつて受注業者として私と一緒に仕事をしてくれた方なのですが、私を思い出して会いたくなったのだそう。

 彼はオフィスへ来るなり、「いやあ、覚えていますか?23年ぶりですよ」と満面の笑み。

 昔あった時のままの印象で、昔一緒に仕事をしていたときから23年たっているとは思えません。

「若いですねえ。おいくつになりました?」
「実は七十●歳になりました」

「見えないなあ、なにか若くいられる秘策でもあるのですか?」

 何気なくそう訊いてみると、彼は急に声の調子を下げて「…実はね、こっそりお伝えしたい健康法があるんです…。これを毎日やれば老化も遅れるし絶対にガンにならないって方法です。自慢じゃないけど私も妻も、この30年間一度も病院に行っていないんですよ」と言います。

「そんな方法があるんですか」
「はい、それはね…▲▲を茹でて、×××を揚げたものと一緒にして、◆◆◆をかけて食べる。これをとにかく毎日続けるんです。ぜひやってみてください。一生健康でいられますから!では、きょうはこのへんで」

 彼はそれだけを言いたかったようで、言うべきことを言うとそそくさと帰ってゆきました。

 この健康法をそんなに教えたかったのかなあ。なんだか不思議な時間でした。


          ◆  


 不思議と言えばもう一人。

 半月ほど前に、「お宅に一度舗装のことを訊いてみようと思って、やってきました」という白髪に長いひげの老人が私を訪ねてきました。

 彼は自分を地質研究者として40年仕事をして日本中を歩いた、と言い、舗装の話をするはずがいつの間にか日本中の地質の話になり、やがて地震の話になりました。

「東日本大震災が起きて、日本周辺のプレートの動きは一段ステージが上がったんですよ。御岳山が噴火して、熊本でも大きな地震が起きたでしょう?これで多くの人が東南海、南海トラフでの大地震を警戒している。だが本当に危ないのはそこじゃあない。本当に危ないのは日本海の◎◎◎地域なんだよ…」

 本当に危険な地震が来る地域は東南海エリアではなく、実は別なエリアなので注意しなさい、というアドバイスのようにも聞こえます。

 このときも次の約束があって、時間切れでお帰りを願わなくてはならなかったのですが、仙人のような風貌と相まって、これまた誰かが何かを伝えたかったのかとなんだか不思議な予言のような会話でした。

 
 皆さんも、まちなかでふと耳にした単語や会話が、自分のためだけに語られたような気がすることがありませんか?


 ま、占いの類って、当たった記憶しか残らないので当たるような気がするってこともありますしね。そういう気になるところが人間の心理と言うものかもしれません。

 皆さんは占いとか予言なんて信じますか?

 長く生きているといろいろな出会いがありますね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家を建てたら転勤するというジンクス

2017-03-26 23:58:58 | Weblog

 

 この春に転勤で札幌を離れる親せきの送別会をしました。

 実は今日の会にはもう一つ意味があって、それは新築のお祝いを兼ねたもの。

 彼はこの冬に家を建て、3月に引っ越したばかりなのでしたが見事に転勤となってしまいました。

 
 「転勤族は家を建てたら転勤になるぞ」という、転勤族マーフィの法則に見事にはまってしまった彼ですが、新しい土地での活躍を祈ります。


          ◆   


 しかし考えてみれば、私も「よし、四月から家を建てよう」と思ったその四月に掛川に転勤。

 四月に転勤をして、五月に一度戻ってきて地鎮祭をした後は、夏休みで八月に帰省した時にもう家ができていたという思い出があります。

 家が建った時に自分がいないというのは、家の中の生活がスタートした時から、私のいない回り方をしているという事。

 その後に何度か帰省したときも、どうにも居場所がない思いをずっとしていました(笑)。

 転勤族が家を建てるというのは、自分では住めないリスクを相当に追う事になりますが、 約十五年前の当時は、単身赴任をしたときは官舎に長く住めなくて、それ以上住むと家賃が上がるという制度になっていたのでした。

 職務上の命令で転勤をするのに、家族を連れて行かないことは「あなたの勝手でしょ」という思想だったのです。

 子供たちの教育や家族の事情などがあって、離れ離れになる選択をすることに対して斟酌しない、というかある意味冷たい対応だったように思います。

 それが昨今の「働き方改革」では、単純な残業時間規制のほかにも、転勤を強要する働き方の是非も問われようとしています。

 最近は「転勤があるから」という理由で、転勤のある公務員への人気が下がっていると聞こえてきます。

 しかしこと我が身を振り返ってみると、転勤と言う運命によって得た出会いも数多く、前向きにとらえると「良かった」と思えることの方が多いのですが、そうした環境の変化を嫌う風潮が増えているようです。

 個人的には経験が豊かになり、得るものも多いと思うのですが、家族や家庭とのバランスとなると価値観も多様化してきており、それに対応する方策も求められているのでしょう。

 さて、家を新築したばかりの親戚の彼ですが、まだ子供さんが小さいこともあって、彼は運命を受け入れて「単身」ではなく新築の家を空けても、家族で揃って新任地に赴くとのこと。
 
 その方が行った先での家族との思い出も豊かになりますので、そういう前向きなほうが僕は好きだなあ。

 幸い道内での転勤なので、落ち着いたところで遊びに行こうと思います。良い釣りポイントを教えてもらいたいものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本当の春の使者は

2017-03-25 23:19:46 | Weblog


  【3月22日の朝】

 

 今週半ばの雪はこの時期としては多くて大変でした。

 冬の間はせっせと雪かきをして、家の前の駐車スペースは、最低一台は駐車ができるようにしていました。

 しかし二日にわたった大雪の初日は、(この時期になればもう除雪などしなくても早晩融けるだろう)とたかをくくって除雪をせずに放っていました。

 ところが翌日も同じだけの雪が降り、家の前は真冬にはないほどの雪が残ってしまいました。

 この時期の雪はまた重たくて除雪は重労働です。

 もういいや、と思っていたところ、今日になって気温が少し上がって日中の最高気温が5℃ほどになり、暖かい感じがしてきました。

 そうなると、「いままで残っていた雪は何だったの?」と思うくらい急に雪が融けてゆきます。黒いアスファルトの上の雪は特にてきめんに融けて行ってくれます。

 嬉しくなって、雪を道路にまき散らして融けるのを早めようとします。いわゆるこれが「雪割り」です。


  【今日、3月25日のお昼】

 この雪割と言う単純作業がまた没頭できる楽しい時間。みるみるうちに融ける雪を眺めながら雪をまき散らしていると時間を忘れます。

 まだまだ夜になると気温が氷点下になる日が続いているのですが、これが夜になっても気温がプラスの日になり、ましてそんなときに強い風が吹くと雪の量はみるみるうちに減っていくのです。 

 夜も気温がプラスの日、これこそが本当の春の使者。もう冬将軍もかたなしなのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

声には迫力を込めること

2017-03-24 23:51:59 | Weblog

 

 立場上、大勢の人たちの前で資料の説明をしたり、司会進行をしたりする機会が結構あります。

 若いときは結構緊張をしたものですが、やはり場数を踏むと言うか、回数をこなしているうちに次第に慣れてきました。

 そんな人前で話すときに、私が最も気をつけているのが「声が聞こえているかどうか」ということです。

 会場にはマイクを用意しているところもありますが、だからといってマイクに頼り切ってはいけません。

 マイクなどなくても聞こえるくらいに声を出して、それでも届かないところのためにわずかにマイクで助けてもらう、というくらいでなくてはいけません。

 自分自身の中に「ちゃんと伝えよう」と思う心があればと、声の張り方も良くなって音圧が強くなります。

 反対に、「マイクで拾ってもらえば聞こえるボリュームになるさ」などと高をくくっていると、資料ばかりに目がいって周りが見えなくなります。

 言いたいことを伝えるために声を張る。それも単に音量が大きい大声ではなく、音圧が高い「迫力」ある力で声を出すという事。

 この「迫力を出す」という一点を注意するだけで自分は変われます。


 大勢の人の前で話すときばかりではなく、もっと数の少ない人数での会議でも同じことが言えます。大声ではなく迫力ある声を出すこと。

 そのこと一つだけでも意識していると、漫然としゃべるという事がなくなります。

 言葉を発することが「一期一会」であり、一瞬一瞬を生きることなんだ、と思えてきます。

 
          ◆  


 神社をお参りするときに、お賽銭を投げ入れて二礼二拍手一礼をします。

 お賽銭は硬貨である方が良くて、それは投げ入れた時に音がすることが必要だから。

 拍手をするのも、自分の手から音というエネルギーが出ることが大切なのです。

 迫力のある人は、皆、そういう話し方をしていることに気が付きます。

 声にエネルギーと魂を込めましょう。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

注目されるのは怖い

2017-03-23 23:33:38 | Weblog

 

 今日は職場でも、国会での籠池理事長の証人喚問の話題でもちきりでした。

 今は国会も「衆議院TV」や「参議院TV」という形でネットで視聴ができるので、テレビにかじりつかなくても机の前のモニターで見られます。便利な世の中になりました。

 しかし画像が極めて不鮮明で、ぼんやりしたが映像しか見られません。音声も遅れて到着し、これは如何にもたくさんの人がこの番組を視聴しているんだろうな、と想像されました。
 世間の一大注目事案であることは間違いありません。

 しかし、時間をかけて議論をしている割には、本来国として議論して方向性を出すべき事案かどうか、と思うと、どちらかというと個人を晒し者にして自分の興味を満足させているように思えます。

 まあそう言いながら、それを見ている私もいるのですが。


          ◆  

 誠実さと真実がないと、メッキだったらいつかは剥げるものです。

 多くの目にさらされるという事は恐ろしいなあ、と思います。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

繁栄の法則~原理原則を知ればよいのに

2017-03-22 23:57:17 | Weblog

 

 今月号の致知のテーマは「繁栄の法則」。

 企業や組織が顧客に愛されて長続きするための原理原則はいったい何なのでしょうか。

 記事の中に、陶芸家の北川八郎さんと、オークス社長の佐藤俊之さん、鎌倉投信社長の鎌田恭幸さんの鼎談記事がありました。

 このなかに「いいなあ」と思う下りがありました。


   ---------------------

鎌田「…私の場合も、母親が町に一軒しかない小さなよろず屋をやっていましたが、わずかお菓子一個の買い物をしたお客様にも「ありがたい」という感謝の気持ちを忘れることがなかったし、支払期限など約束は絶対に守る人でした。
 母は365日、店を開けていました。お客様が来ない日も当然あったと思うんですが、「なぜ365日、休まずに店を開けるの」と質問したら「この小さな町で、誰か一人でも買い物に来たら困るだろう」と。儲けのことなんか全然考えていないわけです。今にして思えば、私のお金や商いに対する考え方の原点は、そんな母の姿勢だったと思います」

北川「おっしゃるように、経営者にとっては幼少期の両親との関係が事業に大きく影響してくれるようですね。駄目になっていく経営者の中には、幼少期に両親からきちんとした愛情をもらっていなかったり、倫理観を教えてもらっていなかったり、する人たちが多くいらっしゃいます。
 その点、鎌田社長も佐藤社長もそうですが、両親からたっぷり愛情を注がれ、幼少期に人生の法則を教えてもらっている人たちは全く違います。その一番の違いはやはり個人欲の深さなんですね。倒産する会社を何千と見てきた私の知人も、倒産する企業と、しない企業の違いは何かと言ったら個人欲の深さだと言っていました。
 つまり会社を倒産させる社長の多くが自分と自分の家族は大切にするけれども、周りは一切信用しない、とにかくお金が大好き、という人たちです。そして、そういう人たちは不安感も人一倍強い」

佐藤「不安感ですか」

北川「お金や物をたくさん持てば持つほど失うのが怖いわけです。分かち合うことを知っている人は、人の徳といいますか、社徳をつちかえば、収入や売り上げは途絶えないという法則を知っています。それを知らない人は今持っているものをあげたら、もう入ってこない、失うと思ってしまう。でも、そうではないんだ。分かち合うことを知れば清水は湧き続けるから不安に陥ることはないと私は教えているんです…」

   ---------------------

 報徳で言えば、「推譲(すいじょう)の精神」ですね。

 「倹約をして余ったら譲れ」。これこそ繁栄の法則です。

 あ~、家の中も余ったものを整理しなくては。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする