北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

中沢新一著「アースダイバー」を読む

2007-04-30 23:32:32 | 本の感想
 今日は昨日持ち帰ったソフト類をパソコンにインストールする作業に時間を費やしました。パソコンの環境って本当に大事ですね。
 これでハードディスククラッシュは三回目でしたが、なかなか学習ができません。
 バックアップは大切に。

【「アースダイバー」を読む】
 中沢新一さんの「アースダイバー」を読みました。

 東京に着いて早々に、知人に「週末は東京巡りをしようと思うんだ」と話をしたところ、「それだったら中沢新一の『アースダイバー』を読んでおいた方が良いですよ。すごく面白かった!」と言われ、早速購入して読んでいたものです。

 このほんの切り口は、「縄文時代の地図で東京を散策すると今まで見えなかった東京が見えてくる」というもの。

 地球の長い歴史の中でおよそ6000年前の、日本では縄文時代に、温暖化のピークを迎えた時代があったといわれています。そのときには海の水位が今よりも数メートル上がったと言われ、今の陸地からずっと奥まで水位の上がった海が入り込んだらしいのです。
 そしてそれを『縄文海進』と呼んでいます。

 著者の中沢新一さんは、この出来事が地層の変化に現れているという地質学の視点で手製の地図を作ったのだそうです。

 この手製の地図には、海水が奥まで入り込んだ時代でも地表に露出していた洪積層と、その当時陸地をえぐって水が進入してきたところに見られる沖積層の分布から、当時の海を再現したものです。
 そしてその地図にはさらに、縄文から弥生時代の遺跡や古墳、古くからの神社仏閣を落とし込みます。

 この地図で東京を眺めそして歩けば、縄文時代の土地の記憶がよみがえるのだと言います。

 縄文時代の土地の記憶は、今でも残る遺跡や古墳、そして古くからの神社仏閣、そして墓地がこの地図上では不思議なほど、当時海に突き出た岬状の場所に合致していることで甦ります。

 なるほど、東京をこういう視点から眺めましたか。目からウロコが落ちる思いです。

  *    *    *    *    *

 ただ、風俗や賑わいの集まる場所が縄文の記憶で、新宿を『縄文的盛り場』
と言われても、ちょっとぴんとこないのが正直な感想。

 私は、そこから先に培われてきた人間の営みの曰く因縁の積み重ねの方に興味を感じてしまいます。

 私のつとめる西新宿には十二社熊野神社があることは地図を眺めていて知っていたのですが、この本にはこの因縁も詳しく書かれていました。すぐに行くべき神社の一つでしたね。

 東京の神社仏閣も、こうした土地や地形から眺めるとまた違った風景が見えてくることでしょう。面白い視点を与えられた思いがして、東京巡りの楽しみ方がまた一つ増えたのでした。

  *    *    *    *    *
 
 さて、著者の中沢さんは本の中で東京巡りをするのに、黄色いママチャリを購入して走り回り、そしてこのやり方を「アースダイバー式」と名付けた、と書いています。

 それはアメリカ先住民の神話に由来するお話。

「・・・アメリカ先住民の『アースダイバー』神話はこう語る。はじめ世界には陸地がなかった。地上は一面の水に覆われていたのである。そこで勇敢な動物たちがつぎつぎと、水中に潜って陸地を作る材料を探してくる困難な任務に及んだ。ビーバーやカモメが挑戦しては失敗した。こうしてみんなが失敗したあと、最後にカイツブリ(一説にはアビ)が勢いよく水に潜っていった」

「水はとても深かったので、カイツブリは苦しかった。それでも水かきに込める力をふりしぼって潜って、ようやく水底にたどり着いた。そこで一握りの泥をつかむと、一息で浮上した。このとき勇敢なカイツブリが水かきの間にはさんで持ってきた一握りの泥を材料にして、私たちの住む陸地はつくられた・・・」

「・・・そこでぼくは自分もカイツブリにならなければ、と思ったのである。泥を材料にしてつくられてきた『人間の心』という陸地が、水中に沈みかけている。そこでもういちど水の中に潜って、底のほうから一握りの泥をつかんでこなければいけなくなった。その泥を材料にして、もういちど人間の心を泥からこね直すのである。そんな気持ちで東京を見回してみると、驚いたことにそこには、大昔に水中から引き上げられた泥の堆積が、そこここに散らばっているのが見えてくるのだった」

 黄色いママチャリで東京を走り巡る活動。私も札幌のエディ・メルクスを持って来たくなりました。東京には自転車が似合うんだよなあ。

 地中に潜らない今の東京巡りを応援してくれる本でした。
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道央の道の駅巡り

2007-04-29 23:39:01 | まちづくり
 四月の転勤後に壊れて、修理に苦労した我が家のパソコンのいよいよ最終調整。いやあ、苦労しました。

【道央の道の駅巡り】
 パソコン修理の最終調整とは、ふっとんでしまった各種のソフトの入れ直しです。

 何枚かの肝心なソフトが旭川の娘のところにあるために、一度旭川へディスクを取りに行くことにしました。ついでに娘がまた旭川へ行く際に持ってゆかなくてはならない荷物などを積み込み、帰り際にはゴミなどを持ってくるという親バカな旅でもありますが。

 急ぐ旅でもなし。どうせなら先日話題になった道の駅巡りと参りましょう。まずは国道275号線沿いは雨竜町の道の駅「田園の里うりゅう」

 以前はこじんまりとしたレストランとトイレしかなかった印象ですが、いつの間にやら増築をして、おみやげコーナーが充実していましたし、ソフトクリームや揚げたてのかまぼこなど、空いたお腹に強烈に訴えかけるアイテムも取りそろえ、お客さんを呼び寄せる魅力も充実です。

 ドライブの途中で揚げたてのかまぼこはとても魅力的。妻や娘はソフトクリームかもしれませんが、私はかまぼこ派。うん、美味しかったですよ。

 「道の駅の情報コーナーボックスが改善されましたよ」とは聞いたばかりの話ですが、なるほど四カ国語に対応しています。ここではこの機械そのものが隅っこにおかれている感じだったので、もう少し宣伝を強化してほしいところです。

 雨竜町といえばなんと言っても北海道遺産でもある雨竜沼が有名。道の駅では地元の写真家のすばらしい写真を展示して、その魅力の紹介が行われていました。

 本当の魅力は行ってもらうことですが、実際は登山をしてもあまりお金が落ちるところではないので、こういうところで町の知名度と魅力を訴える作戦の方が効果が大きいかもしれませんね。

 「田園の里うりゅう」、お薦めです。

  *    *    *    *    *

 旭川で用事を済ませた後は、今度はこの春に晴れて道の駅として登録された美瑛町の道の駅を訪ねてみることにしました。

 ここは、昨年の9月17日にも訪ねた、石造りの蔵を生かした物産館なのですが、遅い時間だったのでご自慢のピザを食べ損ねて、それが心残りだったのです。

 当時はまだ道の駅にする構想などなかったのですが、旭山動物園の人気が逆に災いして、丘の風景を見るだけの通過型観光になってしまっている、という話を聞いたのが昨年の暮れのこと。

 美瑛の美しい丘の風景を見るだけ見ていながら、どこにも立ち寄らないためにお金も落ちなければ、このまちの魅力にも触れられないというのは残念なことです。そこで立ち寄り型の施設としては強力な力のある道の駅にしてはどうですか、とアドバイスをしたところ、町の中で素早く検討を進めて、この春に晴れて「びえい『丘のくら』」として道の駅の認定を受けたもの。

 私も多少の関わりがある以上、その動向に少なからず責任もあるのですが、なにしろピザを食べたかったので立ち寄ったのでした。

 「丘のくら」は、札幌軟石でできた蔵で、内部をきれいに改修して趣のある空間に仕立てています。我々家族四人はさっそく「カフェ&クラフト PUU」に向かい、ポテトグラタンとピザを二枚注文しました。

 我々が入ったときにはお客さんが一人もいなかったのですが、我々の後には続々とお客さんが続いて入ってきました。福の神と呼んでほしいくらいですね。 
 さて、ここでは石釜でピザを焼いている様子を見ることが出来るのも面白い造りになっています。こういう姿を見ると家にも石釜が欲しくなるくらいです。

 やってきたポテトグラタンはもちろん美瑛産。ジャガイモがこんなに美味しいとは、改めて知りました。

 ピザもグッドです。うちの娘は黒豆茶を頼んだのですが、これも面白いお味。聞けば、「自分たちでやってみたけれどやっぱり駄目で、黒豆の焙煎はプロの珈琲屋さんにやってもらっています」とのこと。なるほどー。

 さて、美瑛といえば、農産物は山のように出来るのですが「これだ!」という名物お土産がないのが残念なところ。

 そんな美瑛が町をあげて開発し、強力に送り込んだ秘密兵器がこれ、「じゃがたわーとちょこの木」

 なんとも不思議なお菓子ですが、地元産のジャガイモを生かしたお土産です。ゴールデンウィークぎりぎりに間に合って、最初のロットの最後の数個が残っているとのことでしたので、慌てて一箱買いました。

 うーん、なんとも不思議なテイストですが、小麦粉やカレーうどんなど直接的なものよりは雰囲気というかオーラがありそう。これは期待できそうですぞ。

 なにはともあれ、お客さんでいっぱいの道の駅「びえい『丘のくら』」。是非一度訪ねてみてくださいな。 
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おやじの会に新会員多数!

2007-04-28 23:32:51 | おやじの会
 札幌は天気は良いけど気温は低め。GW中は好転が期待できそうなので、行楽地はにぎわうことでしょう。
 
【おやじの会の総会】
 今年もGWのはじめにおやじの会の総会です。

 私は単身赴任になってしまったのですが、総会をこういう時期にしてもらえれば、懇親会にも参加ができるというものです。

 今年は、一年生の父親がなんと15名も入会するといううれしい事になりました。実はこれには、学校側の努力と工夫もあったのです。

 例年おやじの会があるということのお知らせは、入学式の後のPTA総会でやらせてもらっているのですが、PTA総会で役員を決めていたときは、親御さんたちが役員決めを嫌って、入学式の後に帰ってしまうことが多かったのでした。

 そのため、おやじの会を知らせるときには特に父親の皆さんがいないという状況になり、あまり会の存在をお知らせできなかったのです。

 それが最近は、役員は別の時に決めることにして、入学式の後にも残ってもらうように工夫がされました。

 新会員のお父さんたちに、「どこでこの会を知りましたか?」と訊くと、「入学式の後の紹介で知りました」とのこと。作戦が成功です。

 もっとも、会の存在を知っただけで入ってもらえるものでもありません。何人かは、さまざまな会合の先輩として、「子供が中学校に入ったら、おやじの会に入るんだぞ」と後輩の父親に有形・無形の圧力?を掛けて、事前に会での活動がどういうものかを伝えていたということも大きな力になったよう。

 いずれにしても、新しい会員が多いと言うことは会の健全さを示すものですばらしいことですね。

 若いお父さんの中には「この中学校のOBで、若いときはバスケットで全道4位まで行きました」という心強いメンバーも登場。親子スポーツ対決ではバスケットが一番体力が要求されて、年を取ると苦しい種目なのです。若い力で子供たちをぎゃふんと言わせてくださいよ。

  *    *    *    *    *

 総会は型どおり進められて無事終了。

 来賓として出席してくださった校長先生からは、「わが中学校は生徒数で札幌市内で二番目となる820名です。少子化の中ですが、周辺にマンションがまだたち続けていて、総学級数が26クラスというのは市内で最大です。ふつうこれだけ生徒が多くて、また校区内に繁華街も抱えているとなると、指導上問題となる生徒が多く現れても仕方のないところですが、いまのところそういう事がない、というのは驚くべき事です。これもPTAや地域、そしておやじの会の皆さんに支えられているという事なのだと思います」と挨拶をいただきました。
 実にうれしいものですね。

 前会長からは、「とにかく無理をしない。出来るときに出来ることをするだけで良いので、末永く関わってください」という退任の挨拶がありました。ご苦労様でした。

 新役員も、会長、副会長などの枢要なところだけは事前にある程度本人の了解を得ておいて、他の役員は新会長に一任し、懇親会のなかで新会長が耳元で「役員をやってくれませんか?」とささやく仕掛け。

 ささやかれたら覚悟を決めて、役員になるというのがこれまでのルールで、今回もこれで決定です。新しい役員の皆さんよろしくお願いします。

  *    *    *    *    *

 今年他校からやってきた先生からは、「今年この中学校に来ることが決まる前から、この会があることを知っていて、楽しみにしていました」という発言がありました。

 だんだん他校にも知られるようになっているとしたら、これまたうれしい話。地道で健全な活動こそが評価されているのかもしれません。

 さて、離れているとなかなか参加は出来ませんが、節目では登場しようと思います。今年もがんばりましょう。
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道の駅と景観のお話

2007-04-27 23:55:03 | まちづくり
 午前中は、親類巡りをして帰省の挨拶。義理人情は大切に。 
 
【道の駅と景観と】
 夕方にかけて、転勤前に道の駅に関するある会合で一緒だったメンバーの集まりがあって、それに参加してきました。

 話題は、道の駅のこと。今の道の駅に期待されている役割は、トイレ、地域物産のおみやげ購入ということが中心となっていて、確かに利用は増えているものの、さらに地域に役立つ施設として活用できるのではないか、という発想です。

 そこでは、地域からの情報発信を強化することで、地域に対する関心を呼び起こすことができないだろうか、そしてそれでは情報発信を強化するためにはなにをすべきか、という議論を熱く語り合いました。

 また、そうしたここの道の駅でがんばって努力している事例をとにかくたくさん集めて、他の道の駅への参考にしようという試みもあって、昨年度末には道内に約100カ所ある道の駅をほぼすべてを現地調査もしてもらったのでした。

 この間、北海道開発局もがんばって、現在各道の駅におかれている情報提供装置の画面内容を一新して、この3月からなんと日本語はもちろん、英語、韓国語、中国語にも対応した画面を提供しているとのこと。

 おまけに、地域から提供された情報をモニターの画面内で紹介もできるようにしてあるとのことで、これからはやる気と能力のある道の駅とそうでないところの差がついてくるかもしれません。

 ここで得られたユニークでおもしろい情報は、今後公開されてさらに道の駅の改善に役立つことでしょう。

 道内旅行をするときは、道の駅の情報提供ボックスに注目です。

  *    *    *    *    *

 その後はいつものことながら、懇親会へとなだれ込み、会合では言えなかった思いなどについてお酒も交えて語り合いました。

 開発局の研究機関で景観を担当しているAさんは、道の駅にも景観にも情報にも詳しいスーパーマンみたいな人。

 このAさんが「おもしろいですよ」と言っていたのが、『失われた景観』(松原隆一郎著 PHP新書)という本。

 Aさん曰く「その本の中で、『空中電線がホワイトノイズだ』という話があって、おもしろく読めましたよ」とのこと。

 (どこかで聞いたことのある本のタイトルだな)と思って家に帰ってから書棚を見てみると、やっぱり! ありました。以前興味を持って買っていたのですが、最初の十数ページで読むのが止まっていたのです。
 
 Aさんから紹介を受けたのを機会に改めて読み直してみましたが、なるほど興味深い事が書かれています。

 なかでも引かれたのは、日本では当たり前の空中の架空電線のお話。

 筆者の松原さんは、「生活圏の景観」というキーワードを出して、こう書いています。
「生活圏における景観は、偶然によって現在のような形をとるに至ったのではない。景観とは歴史的建築物や伝統的街並みや自然環境のことだと狭く解釈すると、それからはずれた生活圏から見た情景は、いかように変化させられようと保全の対象とは見なされない」

「そこで国民に電力会社に電線の地中化を求めるよりも電気料金引き下げを望む傾向があり、土地所有権に関して個人の自由な処分を重視する法的な判断があり、地域の景観よりも経済振興を重視する国と自治体の住宅政策や都市計画があり、幹線道路脇に点在する派手な外観を持つ小売店を指示する消費者行動があり、家の外観をどうすべきかという公共意識があって、日々の暮らしで目にする景観は、めまぐるしいほど作り替えつつある」

「すなわち景観は全体として経済状態の反映であり、国土開発の帰結であり、都市計画の結果でもあるのだが、とりわけ生活圏における景観は、高邁な理想からは漏れるものであるだけに、戦後日本の達成したものが集中的に映し出されているのである」

 いや、まさにその通りであって、生活圏の景観の乱れの要因を一言で言い表しています。

  *    *    *    *    *

 さて、架空電線の話。

 この本で紹介されているのは、あるインターネット上のサイトでやりとりされた意見交換で、そのなかで「・・・ある人が、空中架線は普段は意識されないがいったん気づくと気になってしようがない『ホワイトノイズ』なのだ、と述べたのである。『ホワイトノイズ』というのは秀逸な表現で、冷蔵庫やエアコンの出す音のように、意識の周縁でかすかに不快と意識されるようになった、それが生活圏の電線類だ、ということだろう」と書かれている。

 また、電線地中化先進国であるヨーロッパやアメリカの歴史の中でも意外な事実を明らかにしていて、これらの国でも景観保全を第一目的として電線が地中化されたという言い方は必ずしも正確ではない、ということなのだそう。

 たとえばイギリスでは、十九世紀末に街灯をつけることが重要な社会的政策になったのですが、その際にガス灯と電気の街灯との競合が起き、ガスは必ず埋設にするため不利なので、電線も地中化して競争を公平にするということとし、架空線が禁止されるということになったのだとか。

 またアメリカでは、1880年代のニューヨークなどは今の日本などより遙かにひどい蜘蛛の巣のような架線の風景だったのですが、その多くが『裸線』で絶縁状態が悪く、人がふれて感電死する事故が続発し、それゆえ行政が主導して地中化を行ったという経緯なのだそうです。

 翻って日本では、電力供給が盛んになった時期がアメリカよりも半世紀ほど遅れたために、電線を被覆する技術が確立してしまっていて、空中を張り巡らしても電線の安全面での問題がなくなってしまっていたのだそうです。

 今でも電力の安定的で安価な供給が至上命題とはいえ、変圧器も小型化されるなど技術も進歩しているはず。

 今でも幹線道路などから順番に電線の地中化を進めているとはいえ、その歩みはきわめて遅いものです。「美しい国日本」を実現するためには景観は重要な要素のはず。

 景観面でも防災面でも豊かな国になれるのはいつのことやら。
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大阪から札幌へ

2007-04-26 23:36:42 | Weblog
 大阪は風の強い一日。現場の範囲が広いので移動が大変でした。
 
【大阪出張から北海道へ】
 大阪では、いくつかの地域で防災公園ができそうなところを見せていただきました。

 大阪もいざ災害となったときに、とりあえずの避難地や復旧・復興のための土地が少ない地域なので、工場や学校の移転などで土地が動きそうなときには計画的なまちづくりを行うことが重要です。

 大阪を始め関西にも木造密集地区があって、これまたなかなか地域の改善が進みません。

 近畿圏での木造密集地区は「木賃」といわれることが多いようです。「木造賃貸住宅」を略しての木賃ですが、関西が難しいのは、土地の所有者と、その土地を借りてアパートを建てて経営している人と、それを借りている借家人という構図になっていることが多いこと。

 それゆえ何か話を持ちかけようとしても、権利関係者が多岐にわたりなかなか話がまとまらないというのです。

 密集地区には密集の良さもあるのですが、この良さと町の安全や将来性を両方生かす手だてはないものでしょうか。

 まちづくりを土地の有効利用という点から見ると、ずいぶんと息の長い話なのです。

  *    *    *    *    *

 帰りは新大阪からの新幹線。明日は休暇を取ることにして今日はこのまま札幌まで帰省です。

 羽田からはエア・ドゥの最終便。

 久々の北海道は雪の出迎えにびっくりしました。まだまだ春とは言い切れないようです。

 今回のGWは、最終日の5月6日まで在札の予定です。
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神戸を訪ねる

2007-04-25 23:54:59 | Weblog
 大阪出張に帰省が重なって、なかなかブログがアップできませんでした。どうもすみません。

【大阪出張】
 朝十時前の新幹線「のぞみ」で新神戸へと向かいます。「のぞみ」は新横浜駅の後は名古屋まで止まらないので、ぐっすりと眠れるのですが、ふと目を覚ますとそこは掛川。
 うーん、不思議なことですねえ。どうしてわかるんだろ。

 途中の悪天候もなんのその。新神戸に着いた頃は快晴。どうやらメンバーの中に晴れ男がいる模様。

 神戸では、市役所の最上階の展望台に上って周辺の様子を教えてもらいました。前回来たのはもう数年前のことですが、駅の真ん前に高層のマンションが建設中でびっくり。

 市役所の横には、阪神淡路大震災で亡くなった方を忘れないようにと、公園の中にメモリアル施設が作られていました。

 一度に数千人が亡くなるというのは未曾有の大惨事。建築物や都市のあり方からの安全が求められるおおきなきっかけとなったのですが、喉元過ぎれば熱さを忘れるで、最近はそうしたことへの熱意がやや失せてしまっていることが懸念されます。

 「やるんだ!」という行政の強い姿勢が求められるんだなあ。
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都会の絵の具

2007-04-24 23:09:42 | Weblog
 恋人よ ぼくは旅立つ
 東へと向かう 列車で
 はなやいだ街で 君への贈りもの
 探す 探すつもりだ
 いいえ あなた 私は
 欲しいものは ないのよ
 ただ都会の絵の具に
 染まらないで 帰って
 染まらないで 帰って

 私の世代なら皆さんご存知の、太田裕美のヒット曲『木綿のハンカチーフ』の一番の歌詞。この曲が出たのは昭和50年(1975)年のことで、私高校2年生のころでした。

 作詞松本 隆、作曲は筒美京平という、この時代のゴールデンコンビ。本当にこの二人からは名曲の数々が誕生しています。

 曲は全部で4番までの歌詞からなっていて、男の子のほうが都会(東京を示唆)へ行くことになり、そこで次第に都会の暮らしに染まり素朴さを失ってゆく姿と、故郷に残った恋人の女の子がそれを悲しむ気持ちを歌い上げていて、私も良く聴いたものです。

 タイトルの「木綿のハンカチーフ」は、都会の男の子が高価なプレゼントをしよう、というのに答えて、欲しいのは悲しみの涙を拭く木綿のハンカチーフだけよ、と答え、歌はそこで終わっています。

 都会にあこがれ、そこで享楽的に過ごす生き方と、「故郷を忘れないで」と願う思いが絡まったまさに名曲といえるでしょう。

   *    *    *    *    *

 昨日は、うちの組織への補助制度についてディスカッションが行われました。  
 時限の補助制度で、今年度で自動的になくなってしまう補助を来年度以降も継続するということになると、新規要求と同じだけの理屈を用意しなくてはなりません。

「財務省は『こんな補助はもういらないんでしょ』という気持ちのようですよ。防災も国家的課題だと思ってはいない風ですよ」という状況の中で、どういう理屈を立てて、主張をして納得させるか、という理論構築と交渉の技術が必要。情は無用。

「とにかく理屈を考えろ、主張しろ」というのがこの世界の生き方で、これに染まることができなければ、お仕事にはなりません。物事を通すには、とにかく理屈と理由が絶対に必要なのです。

 地方が、こんな都会の生活に染まった人たちを相手にするのならば、自己の存在を主張するにも、理屈や理由が必要でしょう。

「この食べ物は体にどう良いから北海道の食材をどうぞ」
「こういう点がほかと違って楽しいから観光には北海道へどうぞ」
「北海道に住むと、ほかにはないこういうメリットがありますよ」

 日本中や世界中から情報が集まってくる中で、自分たちの地域をきらっと輝かせて、食べたり飲んだり訪れたりすると良いですよ、という理屈と理由はどこにあるのでしょうか。それが説明できるでしょうか。

 自分たちの主張が伝わるのかどうかは、都会に染まった目や耳や脳で判断してみないといけないかもしれません。そういう意味では、まだまだ北海道から聞こえてくる声は小さいし、主張の仕方もおとなしく感じられます。

 どこをどう変えたら都会に受けるのかを東京の視点で見てみたいと思います。決して都会の絵の具に染まりきらないようにしながらね。

 明日からは大阪出張です。
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北海道でサミット開催決定!

2007-04-23 23:55:42 | Weblog
 雨が降りそうで降らない、どんより曇りの一日。でもさすがにもう寒くはありません。

【北海道の洞爺湖町でサミット決定】
 今日の夜一番のニュースはなんと言っても、「洞爺湖町でサミット決定!」でしょう。

 大阪や横浜などが先行してサミット誘致の動きをとるなか、北海道は出遅れて、先行組からは「今頃なんだ?」といやがられている、という噂もだいぶ聞きましたが、最後には総理の鶴の一声なのか、北海道の洞爺湖町での開催が決定しました。

 洞爺湖から見上げる山の頂に、ひときわ大きなホテルがありますが、これがそのメイン会場になるのだそう。

 天気が晴れれば、洞爺湖を眼下に見下ろし、反対側を観れば太平洋が見えるという、素晴らしい絶景です。

 しかもアクセスする道路が一本しかないために治安上も非常に評価が高かったということのよう。

 サミット開催は再来年で、北京オリンピックの直前ということですが、北海道としては万全の準備をして、世界にその存在感を示して欲しいものです。

 目先の経済効果も確かに大きいのでしょうが、サミットを開催するという誇りや期待に応える地域ということを改めて考えてみたいものです。

 さて、我が故郷の組織はどのように協力できるでしょうか。北海道の素晴らしさを大いにアピールして下さいね。
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上野~根津~谷中を歩く

2007-04-22 23:52:13 | 東京ウォーク
上野の博物館からのまち歩きです。

【昼食はアメ横】
 昼食は、JR徒町駅のガード下のアメ横の一角にあった、丼のお店。食べるのは路上に広げられたテントの下のテーブルで、これは帯広の屋台村の元祖みたいなものですね。

 ここは海鮮の各種丼が東京にしては安い価格で提供されているのです。私は特別丼を頼みましたが、マグロ、鮭、ホタテ、いくらの四色丼で700円とは安いよね。


 イクラがちょっとしょっぱいのと、ご飯のボリュームがもう少しほしいところですが、十分にお値打ちです。長蛇の列ができるのも納得です。

   *    *    *    *    *

 さて、お腹が満たされたところで、上野の裏筋を歩いてみることにしました。まずは湯島天神から。

 湯島天神をWikipediaで見てみると、

~~~Wikipediaより~~~
 社伝では、雄略天皇2年(458年)1月、雄略天皇の勅命により天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建されたと伝えられている。南北朝時代の正平10年(1355年)、住民の請願により菅原道真を勧請して合祀した。この時をもって正式な創建とする説もある。当の湯島天満宮では458年創建としている。

 徳川家康が江戸城に入ってから徳川家の崇敬を受けた。江戸時代には、多くの学者・文人が訪れ崇敬を集めた。明治5年に郷社に列し、明治18年に府社に昇格した。平成13年(2001年)に神社本庁の別表神社に指定された。
~~~~~~~~~~~~

 ・・・とありました。徒町のほうから歩くと、急な階段を上がって境内に入りますが、実はこれは裏口。表参道は立派な銅の鳥居があってこれは都の有形文化財建造物に指定されています。

 拝殿の前には絵馬が鈴なりにぶら下げられていて、合格祈願かと思いきや、なんと合格のお礼参りの絵馬もたくさんありました。 お願い事をしてかなったならば、お礼もきちんといたしましょう。

   *    *    *    *    *

 さて、湯島天神を後にして、北へ向かって歩くことにしました。地図を見ると近くには「旧岩崎邸庭園」とあります。これは、三菱財閥の岩崎家ゆかりの建物に違いないと思い、早速行ってみることにしました。

 旧岩崎邸は入場料400円。中に入ると、これはまた立派な和洋折衷型の洋館がそびえています。玄関周りにいると、「ボランティアガイドを行いますので参加される方はお集まりください」という声が聞こえてきました。

 なるほど、建物の中を案内してくれるボランティアガイドですか。これはありがたいので、その列に加わって案内してもらうことにしました。

 最初に注意があって、「この建物は国の重要文化財に指定されていますので、壁や柱には触らないようにお願いいたします」とのこと。触ると手の油が建築に悪さをするのです。

 さて、中は、例によって「華麗なる一族」の邸宅はさもありなん、という感じの豪華絢爛です。以前紹介した旧前田邸と同じように、入り口のホールに壁に沿ったらせん状に空中廊下があって、ひろびろとしています。

 旧岩崎邸には、本館の洋館のほかに、当時の男性の社交場であるビリヤードをする撞球場と、和風の和館という三つの建物があるのですが、実はこれら三つが地下道で結ばれているのだそう。そのわけは、使用人が行き来するのにちょろちょろと見えないように、との配慮だったらしい、ということですから、驚きです。

 天井も非常に高いし、豪勢なことはわかるのですが、一番驚いたのは壁紙の贅沢さ。『金唐皮紙』と呼ばれる、和紙をベースにして型押しして模様を作り、それに色を塗るのですが、当時から高価で煙草入れに使っても贅沢といわれたこの金唐皮紙を部屋の壁紙に使っているのです。壁紙だけで数千万円という家一軒分のお値段だそうですよ。

 ベランダからは庭園も見えますが、今は芝生広場になっています。ここの一つのウリは、日本自生の関東タンポポが見られること。確かに今では珍しい貴重な広場なのです。

   *    *    *    *    *

 岩崎邸を後にして、今度は北へと向かいます。不忍池に面した不忍通りを北上して、根津駅で右に曲がり谷中の寺町の中を歩きました。

 今日のゴールはJR日暮里駅です。谷中、根津、千駄木のことをそれぞれの頭文字を取って「谷根千」と呼び、かつての下町の風情が残っているところとして知られているのだとか。

 今日はそのほんのさわりの部分だけでしたが、次はもう少し深く入り込んでみようと思いますよ。

 今日も何歩歩いたのかなあ。
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上野のダ・ヴィンチ展を観る

2007-04-22 23:36:43 | 東京ウォーク
 関東北部では雨の予報が出る中、今日の東京はなんとか一日が持ちました。今日は上野界隈です。

【上野界隈をめぐる~ダ・ヴィンチ展を見る】
 北海道の知人に誘われて、上野公園の国立博物館で行われている、ダ・ヴィンチ展を観てきました。

 そう言えば、宣伝をしていた記憶はあるけれど、あまり関心を持ってはいませんでしたが、知人と会うのも久しぶりなので、誘われるままに行くことにしました。

 朝十時に上野駅で待ち合わせて、公園の中を歩いて国立博物館のダ・ヴィンチ展を目指します。

 開場5分前位なのにもう人の列が見えましたが、近くまで行ってびっくり。見えていたのは本の最後尾の一部で、並んだ頃には「ここから入場までは30分くらいです」という看板のところでした。

 まず我々が並んだのは第一会場。こちらの目玉はダ・ヴィンチが二十歳の頃の作品で、日本では初公開の「受胎告知」という絵画です。まずはこれ一点を観るために、これだけ並んでいるのです。

 いよいよ建物に入る段になると、持参しているリュックサックなどの内部検査や金属探知器まであります。さすがはダ・ヴィンチ。

 いよいよ受胎告知の絵に到着。列がなかなか進まないのですが、これもまた致し方ないところ。何列かになって絵の前を通り過ぎるのですが、一番前の列は「止まらずにそのままお歩き下さい、こちらは止まれません!」と警備の係員が叫んでいます。

 結局絵の前を通り過ぎるのにわずか30秒という短さ。しかしそれでも絵の大きさ感や、質感などを少しは感じ取ることができました。
 でも本当に短いね。
 
    ※    ※    ※    ※

 「さすがに名画!しかしこれで1500円は高いなあ」と思いながら、何があるかも分からずに、もう一カ所の第二会場へと向かいました。

 こちらの第二会場の方は、ダ・ヴィンチの生涯にわたる生い立ち、思索や思想、物事の捉え方などを、多くの資料や模型で分かりやすい壮大な展示会でした。

 さて、第二会場も実は二つに分かれていて、一つ目はダ・ヴィンチコレクションの展示が中心。

 こちらが相当混んでいたので、私達は二つ目のコーナーから先に見ることにしたのですが、ここでひときわ目を引いていたのが日立製作所提供のDIS(デジタル・イメージ・システム)の展示コーナーでした。

 ここには、先程の「受胎告知」の模写が三つの大きさで飾ってあったのですが、これが実はこのDISによって複製されたのだそうです。

 DISというのは、要は精密なカメラで絵を何分割かした写真をとり、それを合成して全体を一つの絵にするものですが、この飾ってあったものは極めて精緻に作られていて金粉の輝きまでが表現されているのです。

 絵を詳細に検討する上では、精緻な模写があった方がよいわけで、この技術を、「受胎告知」の所蔵しているウフツィ美術館に提供した縁が、今回の「受胎告知」初来日に繋がったのだとか。

 壁に掛かっていたのは、一辺が80%(面積は0.64倍)、50%(面積は0.25倍)、30%の3種類ですが、一番小さいもので315千円、中くらいが756千円、一番大きいものはなんと2,625千円の値が付いていました。

 一番大きいものは今回5点用意して、すでに4点が売約済み。感動的な名画を観た後は、それを身近に置きたいと思うものです。

 名画であればあるほど、魔法は強力なのです。

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 これだけの展示会が開かれる場である、東京という都市の魅力をつくづく感じています。

 これだけのものを支えるには多くの観客が必要で、それを集めることのできる能力を持った最大の都市が東京ということなのでしょう。

 この東京の魅力と魔力と弱点をつぶさに見てみたいと思っています。

 単なるガイドブックに終わらないような、よそ者の視点を持ち続けることが大事かも知れません。東京人としての感性に麻痺しないうちにね。   

コメント
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