冷蔵庫というのは案外断捨離ができない場所です。
ご飯を食べる際に食欲を増進させるいわゆる「ご飯の友」にはたくさんの種類がありますが、それらはしばしば"あと少し"という量を残した瓶が冷蔵庫内に残されているものです。
本当に「あとスプーン一杯だけ食べてしまえば消費完了」となるのに、そのほんの少しが消費されずに瓶が残っていて、それでいて捨てるには惜しい。
どうしてそんな風に残りの少ない容器が残ってしまうのでしょうか?
この冬話題のドラマ「ミステリという勿れ」の主人公である久能整君のように言えば「僕、常々思うんですけど、あれって家族のみんなが飽きちゃってその存在を忘れているんだと思うんです」というところではないでしょうか。
美味しそうだと思って買ってきて、瓶の蓋を開けた時には「美味しい」と大いに満足するのですが、毎日食べたりしているとやはり脳はその味と刺激に飽きてしまいます。
そのためその食材を求める気持ちが失せてしまい、まだ中身の残っている瓶があっても関心が薄れてしまいには忘れられてしまう。
そんなサイクルが繰り返されて、消費されない中身の残り少ない便が量産されてしまうのではないか、というのが私の推論です。
で、それなら飽きる前に消費しきってしまうくらいの少量しか入っていない商品を買うのはどうだろう、と思います。
ところがこの作戦は、やはり量と価格のバランスを考えると割高に見えてしまってなかなか手が出ないものなのです。
逆に割安だ、という一点で内容量の多いものを買ったりすると、いよいよ消費されず冷蔵庫の奥でいつまでも残っているということになるというのもよくある話。
要は、気が付いたときに勇気を奮って食べてしまう、ということに尽きるのですが、そういうときに限って、「え~、お父さんあれ食べちゃったの~!?」と家族から文句を言われたりもするものです。
まあ新しいものに手を出す前に今あるものを食べてしまう。
新しいものを買うときは古いものは捨てる。
そんな心がけが断捨離の極意なのかもしれません。