北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

ネット上の生涯学習

2008-11-30 23:39:25 | Weblog
 ネットが集合知を生み出すための、参加のマナーについてお話しします。

 2チャンネルなどのネット上であるテーマについて意見交換をしていると、ときどき気軽に「ねえねえ、どうしてか教えて」と簡単に経緯をしろうとする書き込みがあります。

 こうした発言に対しては、すぐに回りから「ググレカス」と非難されます。

 「ググる」というのは、ネットの検索サービスであるグーグル(google)を使ってキーワードを検索して調べることの動詞として使われます。

 「ググれ」となると「グーグルで自分で調べろ」という意味になり、カスは文字通りの悪口。だから「ググレカス」とは、強い非難ではないけれど、「グーグルで検索して自分で調べろ、このカス!」という意味になります。
 そしてこれもまたネットを使う上での生涯学習の一つにほかなりません。
 
 ネット上には非常に要領よくテーマに関する経緯をまとめてくれる能力を持った親切な人もいます。適切なキーワードで検索してまともに探せば事前の予習が出来る資料は絶対に探せるようになっているはずなのです。

 だからそれらの資料と共に、ネット上の発言を少しだけ真面目に追いかければ話題についてこれるだけの知識レベルになるはずなのです。

 しかしそれを怠っていながら答えだけを求めようとする者の発言に対しては厳しい指導が待っています。(分からないなら、発言する前にまず十分に読み込んで勉強しておけよな)と言うわけです。

 ネットとは言え、勉強の基本的な仕方は小学校と全く変わりません。問題について予習をして自分ならどう考えるかをまとめておいて、必要に応じて発言をして意見交換をしながら自分の考えをさらに発展させる。そして終わったら復習をして知識を自分のものにする…。
 まさに、(予習)→(意見発表)→(討論)→(まとめ)→(復習)のサイクルです。

 小学校で身につけておくべき基本的な学習態度が、大人になってからのネットを使った社会生活でも全くそのまま通用することがよく分かりますね。

    ※    ※    ※    ※

 生涯学習は、この学習態度で、世の中の様々な問題に対する問題に関心を持ちながら、常に自分のこととして「自分ならどう考えるか」を考える姿勢を持ち続けよう、という理念です。

 一人一人が誰かから何かを「してもらうばかり」なのではなく、「してあげる」側に回ろうではないか、という考え方は報徳精神でいう「推譲」そのものです。常に自分の余剰を他人に差しだそうというのです。

 相田みつをさんは、「うばい合うと 足らないけれど わけ合うと あまっちゃうんだなあ」 (出典:『生きていてよかった』)と書きましたが、分け合っても余らない、むしろ「差し出すと余る」と言うべきでしょう。

 みんなが知恵を、汗を、時間を、お金を、応援の気持ちを差し出せば、世の中にはそれらが充ち満ちてくるはずです。
 
 ネットも貪るだけではなく、与える側になりたいものですね。 

    ※    ※    ※    ※

【おまけ】
 ネット上の動画を見ていたところ、先の党首討論を受けて、鳩山幹事長が演説で「どう見ても小沢の勝ちだ。自分が仕掛けた党首討論で、 むしろ返り血を浴びたなと」と述べた、とありました。

 麻生さんが返り血を浴びたと言うことは、切られたのはどちら…?思わず吹き出してしまいました。こういうのは失言とは言わないのですね。

http://www.fujitv.co.jp/safe/red_mpl/common/frame/fnnFrame.cgi?MD=n&URL=http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00144990.html

 

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なぜ俺がはらわなくちゃいけない ~ 麻生総理発言の解釈

2008-11-29 23:11:45 | Weblog
 今日は面白い場所を見学したのでその記事にしようと思ったのですが、麻生総理の「何もしない人の分なぜ払う」発言へのバッシングが気になったのでこちらにしました。

 まず事の発端(と思われる記事)から引用してみましょう。

 毎日新聞の11月27日の記事からです。(以下引用)

 麻生首相:高齢者医療費「何もしない人の分なぜ払う」
(ソースはこちら→)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20081127k0000m010145000c.html

 麻生太郎首相が20日の経済財政諮問会議で、社会保障費の抑制を巡り「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と発言していたことが26日公開された議事要旨で分かった。高齢者医療費の増大は患者側に原因があると受け取れる発言で、批判も出そうだ。

 首相は「67歳、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらにかかっている者がいる」と指摘。「こちらの方がはるかに医療費がかかってない。毎朝歩いたり何かしているからである。私の方が税金は払っている」と述べ、理不尽さを訴えた。

 最後に首相は「努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、インセンティブ(動機づけ)がないといけない。予防するとごそっと減る」と語った。

 首相は19日の全国知事会で「(医師は)社会的常識がかなり欠落している人が多い」と発言し、20日に撤回、陳謝していた。その日に不用意な発言を繰り返していたことになる。(引用終わり)

    ※    ※    ※    ※

 他の新聞や各局のテレビでも放映されたので上記のような(なんとなく総理がまたまずいことを言ったのかな)と思われる雰囲気はご存じの方も多いと思います。

 ここで批判の対象となっているのは、総理の発言が「高齢者医療費の増大は患者側に原因があると受け取れる発言で、批判も出そうだ」という点。

 では原典に当たってみることにしましょう。総理が発言が載っていたのは第25回経済財政諮問会議の議事要旨です。これはすでにホームページで公開されていますから、誰でも見ることができます。

 「平成 20年第25回経済財政諮問会議議事要旨」
  →http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/1120/shimon-s.pdf

 ちなみにこの日の議事は
(1)社会保障・税財政一体改革について
(2)平成21年度予算編成の基本方針(事項案)について
 ということで、この会議の最後の締めにあたっての総理の発言のなかに上記のセリフが含まれています

    ※    ※  (以下引用)  ※    ※

(麻生議長) 67歳、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらにかかっている者がいる。彼らは、学生時代はとても元気だったが、今になるとこちらの方がはるかに医療費がかかってない。

 それは毎朝歩いたり何かしているからである。私の方が税金は払っている。たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金を何で私が払うんだ。だから、努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、そういうインセンティブがないといけない。予防するとごそっと減る。

 病院をやっているから言うわけではないが、よく院長が言うのは、「今日ここに来ている患者は 600人ぐらい座っていると思うが、この人たちはここに来るのにタクシーで来ている。あの人はどこどこに住んでいる」と。みんな知っているわけである。あの人は、ここまで歩いて来られるはずである。歩いてくれたら、2週間したら病院に来る必要はないというわけである。

 その話は、最初に医療に関して不思議に思ったことであった。 それからかれこれ 30年ぐらい経つが、同じ疑問が残ったままなので、何かまじめにやっている者は、その分だけ医療費が少なくて済んでいることは確かだが、何かやる気にさせる方法がないだろうかと思う。(引用終わり)

    ※    ※    ※    ※

 この総理からの発言に対しては各委員からのコメントはなく、あくまでも総理の意見という形です。

 私は総理の発言の中に、「高齢者医療が増大するのは患者のせいだ」という悪意を感じることはできません。そしてそれとは逆に、国の代表者として、医療費の増大を自分のこととして気をつけることで健康になってくれれば、社会保障費の削減になるのに、という思いを感じます。

 麻生総理独特のキャラクターから来る発言としては、誰か特定の友人をA溜めに描きながら「あいつの医療費も俺が払っている社会保険から出ているのに」という思いがあったのかも知れませんが。

 このことはまさに健康で社会的コストをかけずに死ぬ人生を心がけよう、という生涯学習にも通じるものがあると思います。

 決して不運にして病気になったり、怪我をしたりあるいは老化から来る必然によって病院にかかる人を批判しているのではなく、同じ歳を取るにしても、自分で気をつけて、社会的コストをかけないような生活をしようよ、というメッセージでしょう。

 同時に総理自身は、ただ言うだけではなく、自分自身も日々の健康づくりに気をつけて実践しているという自負もおありなのでしょう。

 実際、社会には自己の健康管理に気をつけて、自分がかかる以上に社会保険費用を負担しているという方は多いと思います。そういう方たちからすれば、みんなが健康に気をつけてくれれば社会コストは少なく済むだろう、と思っていることでしょう。総理の立場はこちらからの発言であったわけです。

 みんなが負担し合って支えている限りある資源をみんなが貪ってしまうようではたちまち枯渇してしまうのは当たり前です。求められるのは一人一人の自覚と実践なので、まさに健康を生涯学習することが必要だ、ということなのです。

 「他の人の分の負担は甘んじて受けるが、自分はそれにかからないようにしよう」という覚悟ある姿勢は美徳です。

 二宮尊徳の報徳精神では分度(ぶんど)・推譲(すいじょう)と言って、分を守って他に(社会に、後代に)譲れ、と教えています。人間として(なかなかそうはなれないけれど)そうあるべき理想の姿として追い求め続けるのだ、という姿です。

 そうやって頑張った人を「よくやったね」と顕彰することで人は報われます。

 人に貴賤はないけれど、尊徳先生も勤惰(きんだ)の別はあると言っています。いつからこの国は不真面目を奨励して頑張る人を応援しない国になったというのでしょうか。

 批判的にも肯定的にも解釈出来る発言ならば、肯定的に解釈する方が建設的な社会に繋がると思うのですが、そうならないのですね。

 記事は「…批判も出そうだ」と言う、自らは判断を下さずにどっちつかずの書き方でごまかしています。火がつけばそれでよい、ということなのでしょうかねえ。
 
 
    ※    ※    ※    ※  

 ここまで書いていて、「AtomⅢ」というブログにも同様の記述があるのを見つけました。ご参考まで

http://d.hatena.ne.jp/miminoha/20081128/1227865274

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足温器が届きました

2008-11-28 23:31:36 | Weblog
 ネットで注文していた足下暖房器が届きました。お値段は4,980円。

 この商品は、足を温める電気暖房器に加えてそれを入れて下半身を覆う袋がセットになってのこのお値段です。

 早速箱を開けてみると、中には茶色の袋とコードの着いた足下暖房器が入っています。





 付属の袋は袋の足元にチャックが着いていて開けられるようになっているのですが、ここに足元暖房器をちょうど入れることが出来ます。

 あとはコンセントを差し込んでスイッチを入れるだけ。おー、足が温まってきましたー!

 暖房器は30Wと60Wの切り替えが出来ますが、30Wでも靴下一枚だと熱くなりすぎるので、靴下二枚重ねかまたはタオルを敷いてちょうど良いくらいでしょう。

 実は30年以上も前の中学生だった頃に、足温器という道具があって受験用にと親が買ってくれたのでした。

 こちらで単身生活をするようになって、部屋を暖房するのがもったいないので重ね着で頑張っていたのですが、足元だけは冷たいのがちょっと辛くて、湯たんぽなどで凌いでいたのでした。

 ネットでこの商品を見て、昔を思い出しながら(5千円くらいなら良いか)とつい奮発してしまったというわけ。

 あの頃の足温器は寒い季節の勉強にものすごく役立ってくれました。なにしろ寒い中で足だけは温めてくれるので、頭寒足熱そのままなのですからね。ネットでのユーザーたちからも絶賛の声が届いています。

 ただ少しだけ難点を言えば、スイッチが手元にないこと(昔のはあった)、暖房器にサーモスタットがついていない(昔のはついていた)、下半身袋にポケットがついていない(昔のはついていた)というあたりでしょうか。このあたりを改善するとさらに支持が広がると思うのですが。

 懐かしい感触に浸りながら受験時代勉強に頑張っていた頃を思い出しました。

 
 
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おぼろづき発見

2008-11-27 23:43:05 | Weblog
 タイの空港がデモで閉鎖…かと思うと、インドのムンバイではホテルをねらった同時多発テロが発生。日本人も一人が亡くなられたとのこと。無念ですね。
 改めて国の平和のありがたみを感じます。海外旅行をする方はお気をつけください。

 夜に家の近くの、スーパーマーケットの隣の小さな頑張るお店へ行くと、道産米の「おぼろづき」が売られていました。お値段は5kgで1950円。

 北海道では高いと感じるかも知れませんが、こちらではごく普通のお値段です。次にはもう手に入らない可能性が高いので思わず買ってしまいました。

 

 おぼろづきは北海道農業研究センターが8年間の歳月をかけて開発・育成した新品種で、最近道内で栽培が進められやっと市場に出てきたお米です。その特徴はなんといっても、今までの道産米の常識を打ち破る粘りと柔らかさ。ササ・コシに決して引けを取りません。

 北海道では二年前くらいから探せば見つかるようにはなっていたのですが、単身赴任先で見つけたのは初めてです。ちゃんと今年取れたお米と書いてあります。

 

 まだ家のお米はあるのですが封を開けて食べてみたくなります。

 ご飯の友には明太子が良いか、イクラがよいか、塩辛か…、うー、それだけあればおかずは要らない、飯だけでいい!

 平和でご飯の美味い日本は幸せ。

 農家から自衛隊まで、一人一人が自分の仕事への熱心な取り組みによって幸せな国造りが果たせているのですね。自分も頑張ろうっと。 
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ネット対マスコミの戦い

2008-11-26 23:43:06 | Weblog
 面白い記事がありました。ネット上の読者とマスコミの攻防戦です。
皆さんはどのような感想を持つでしょうか。


    ※    ※    ※ 【引用始め】 ※    ※    ※    ※

ネットユーザーたちが暴き始めた「客観報道」というまやかし=佐々木俊尚
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20081125-01/1.htm

                文=佐々木俊尚(ジャーナリスト)

 ネットの普及、IT技術の進化により、一般の人が目撃したマスメディアの取材現場がネット上に晒されるケースが増えている。また、報道に疑問を持った読者、視聴者がマスメディアに電話をかけ、その対応をネット上に掲載するケースも多々ある。従来は覆い隠されていた取材現場、被取材者としての対応が暴かれることで、マスメディアは大きな危機を迎えている。

《化けの皮が剥がされる「高邁な社会正義」》
 今年6月8日、秋葉原で無差別殺傷事件が起こったときのことだ。

 たまたま事件現場やその周辺に居合わせた一般の人たちが、携帯電話やデジカメやデジタルムービーで被害者の様子を含め現場の悲惨な状況を撮影し、それを赤外線送受信で交換したり、ネットの掲示板やブログや動画投稿サイトにアップしたりする行為を盛んに行なった。土地柄からITに強い人が多く、パソコンに内蔵されているウェブカメラで撮影し、その場で動画配信サービスに接続して現場の生中継を行なった人もいた。

 こうした行為に対してマスメディアは「惨劇を前にして不謹慎ではないか」「被害者に失礼ではないか」と、その〝野次馬根性〟を批判した。

 もちろん、人が生きるか死ぬかという状況を前にして撮影をするべきなのか、それとも何をおいても被害者を救護するべきなのかというのは、プロの取材者であっても、モラルが問われる根源的な問題だ。実際、野次馬根性に対する批判はネット上でも沸き起こった。

 しかし、その一方で、では、マスメディアには一般の人たちの野次馬根性を批判する資格があるのか、という問題がある。

 私自身、新聞記者出身で事件現場の取材を何度も経験したのでわかるが、慣れないうちは一般の人たちと同じように興奮し、場数を踏むと今度は感覚が麻痺し、殺人現場であろうと笑いながら取材したり、他社の記者と場所取りで争ったりするようになる。ところが、紙面や画面では「我々は高邁な社会正義に基づいて報道している」という姿勢が装われる。

 従来はそうした現場の実態と報道の建前とのダブルスタンダードが通用した。たまたま一般の人が取材現場におけるマスメディアの実態を目撃しても、せいぜい周囲に話すだけで終わっていたからだ。

 ところが、今は違う。かつてなら一般の読者や視聴者にとってはブラックボックスだった取材現場における野次馬ぶり、不謹慎な態度が、ネットユーザーにより、掲示板、ブログ、動画投稿サイトなどで、文章で書かれるだけでなく、画像、映像、音声付きで生々しく暴かれるようになったのである。

 実際、秋葉原の事件のときには、新聞記者が容疑者に「あれってオタクがやったんだよね」と大声で問いかけたり、一般の人たちに「誰かもっとセンセーショナルな写真を持っていませんか」と聞いて回ったりする様子がネットにアップされた。5月に愛知県豊田市で女子高生が殺害された事件のときには、テレビ局のスタッフたちが殺害現場の近くで手を叩いて笑っている映像が投稿された。これ以外にも、路上禁煙地区になっている取材現場でマスメディアの人間がタバコを吸い、ポイ捨てしている様子や、違法駐車を注意した周辺住民にマスメディアの人間が怒鳴っている場面がネット上で報告されるといった例は数多くある。

 ちなみに、秋葉原の事件の翌日、新聞各紙は、一般の人が撮影した容疑者逮捕の瞬間を写した写真を掲載した。こうしたことは従来から当たり前のように行なわれていた。ところが、毎日新聞社内ではその写真を紙面に使うべきかどうかで議論が起こったと聞く。同じ紙面の片隅で、一般の人の撮影行為や赤外線送受信行為を批判的に取り上げる記事を掲載した手前、皮肉なことに、「そんな写真を借りて掲載していいのか」という建前に自縛されてしまったからだ。

《自らが取材されることに鈍感なマスメディア》
 ネットの出現、普及により、このように取材の現場やプロセスが可視化され、その実態と紙面、画面の建前のダブルスタンダードが通用しなくなり、マスメディアの取材姿勢が厳しく問われるようになっている。

 典型的な事例のひとつが、毎日新聞が2007年正月から掲載を始めた大型連載『ネット君臨』を巡る新聞社と著名ネットユーザーの議論だ。

 前年9月に始まった、難病にかかったある幼女の手術費用を募金する運動に対し、募金活動の倫理性や情報の透明性を問う視点から、ネット上で批判が起こった。『ネット君臨』取材班は批判の中心人物のひとりだったある著名ネットユーザーを取材し、『難病児募金をあざける「祭り」』と題した連載第1回で取り上げた。

 掲載された記事は決してその人物を正面から批判してはいないが、「男」と表現していた。新聞記者なら誰でも知っていることだが、「男」という表現は、犯罪者、容疑者、反社会的人物などの代名詞として使う。一見公平を装いながら、じつは読者に対してその人物は禍々しく、卑怯な人間だという明らかな印象操作を行なっていた。その後、私が彼を直接取材したところ、記事を書いた毎日新聞の記者は、最初の取材申し込み時点では所属や連絡先などを明確にせず、実際の取材でも最後まで明確な取材趣旨を説明せず、最初から議論を吹っかけるようだったという。

 彼は毎日新聞が読者向けに開設しているコミュニティサイトに取材手法や記事内容について質問状を出し、それに対して何の回答もないと取材班に抗議の電話をかけるなどした。結局、〈社としての回答は「見解の相違としかお答えできません」〉という回答がきただけだった。

 従来なら、取材対象者がいくら新聞社に抗議しようと、黙殺されるか、横柄な、あるいは官僚的な対応をされて終わりだった。ところが、時代は変わった。

 彼は一連の経緯を自身のミクシィ上の日記で公開したのである。そして、それが他の多くの日記ブログにリンクされ、掲示板にもコピーが貼られ、毎日新聞に対する批判の嵐が起こった。

《ネットを見下している限りマスメディアに未来はない》
 このように、現在のマスメディアは、取材現場やプロセスがネットという公の空間で可視化されるという危機に晒されている。さらに危機的なのは、マスメディア自身がその危機に極めて鈍感であることだ。

 これも毎日新聞の例だが、英文サイト「毎日デイリーニューズ」上のコラム「WaiWai」が長年にわたって低俗記事を配信し続けた問題では、JCASTニュース、PJニュースといったネット上のニュース媒体が毎日新聞に取材を申し込んだ。ところが、毎日新聞はなおざりな対応をしたばかりか、社長室の広報担当が「ネット媒体の取材は受けません」などと言って取材を断わった。

 こうした一連の対応もそのままネット媒体で報道された。JCASTなどはYAHOO!ニュースにもリンクされているので、莫大な数のページビューがある。

 マスメディアは不祥事を起こした一般企業を厳しく追及し、法令遵守と説明責任を強く求める。ところが、いざ自分が不祥事を起こすと、それとは正反対の態度を取る。その実態がネットという公の空間で公開されるようになったのである。

 同様に、ネットユーザーが、マスメディアの報道内容や報道姿勢に疑問を持ち、マスメディアに問い合わせ、それに対する返答をそのままネット上で報告するケースはいくらでもある。

 マスメディアの側はネットの言論をいまだに「フリーターやニートが適当なことを書いている」と見下している。

 しかし、その影響力はマスメディアが想像するよりもはるかに大きい。実際、WaiWai問題では、多くのネットユーザーが毎日のサイトに広告を出稿している企業に抗議電話をかけた結果、一時はネットの広告が全てストップし、本紙の広告にも影響が出た。リアルの世界に対するネットユーザーの影響力はここまで高まっているのである。

 ネットの登場、普及により、マスメディアの言論とネットの言論が等価値になり、言論のあり方がフラット化した。読者、視聴者のメディアリテラシーも格段に向上した。

 だが、長年「自分たちだけが報道する権利を持つ」という特権意識にあぐらをかいてきたマスメディアは、こうした時代の変化や問題の本質を理解できないでいる。ネットユーザーを見下し、恐怖し、憎悪しているだけでは、マスメディアはますますネットユーザーから不信感を抱かれ、批判を浴びるのは当然だ。

    ※    ※    ※ 【引用終わり】 ※    ※    ※    ※

 最近のマスコミに対するネット読者たちの分析は、「何をどのように書いたか」というなかに嘘やねつ造がないか、ということよりも、「これは大事だと思われるような情報の中のなにをスルーして書かずにごまかしているか」ということに及びます。

 大量の事実の中から、何を取り上げて何を取り上げないのか、というところにマスコミの考える社会正義のフィルターがあるということでしょう。そしてそのフィルターがどのようなものなのかも次第に明らかになりつつあります。
 
 少なくとも記者の署名がない記事や、記事に対して賛同や批判のコメントを書き込めないマス媒体はその事自体、マスコミが求めて止まない「説明責任」を回避していると言えるでしょう。

 ネット上の掲示板は、始まった頃は落書きとニセ情報の洪水の中に真実という小さな宝石が垣間見えるという状況でしたが、最近はこの統制が取れてきて、ネットリテラシーが目に見えて向上しています。

 多くの目と耳が集まって集合知を形成する場になる可能性が高まるなかで、一人のネット読者として真実にたどりつくための能力を向上させるにはそれなりの教育と努力が必要です。

 面白い時代になってきました。 
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ゆうちょ銀行のサービス拡大

2008-11-25 23:10:43 | Weblog
 先日ゆうちょ銀行から封書が届きました。

 中身は平成21年1月5日からゆうちょ銀行・郵便局と他の金融機関の間で振込が出来るようになる、というお知らせです。

 転勤が多い我々にとって全国ネットでATMが設置されている郵便局は、お金を出したり預けたりするのに実に使い勝手が良いのですが、市中金融機関とのやりとりが開放されていない点だけは不便でした。

 しかしそれも郵政民営化によって国による制限が取り払われた結果、市中銀行等との振込なども可能になると言うわけです。郵政民営化は是だったのか否だったのか、判断はまだ難しいのですが、細かなところで変化は起きつつあるのです。

    ※    ※    ※    ※

 ところで実際に市中銀行とゆうちょ銀行の間で振込をしようと思うと、銀行の場合、銀行名に加えて店名、店番号、預金種目、口座番号が識別に使われますが、今までの郵便貯金ではこうした表示が異なっていたために簡単にはつなげなかったもの。

 今回のお知らせは、銀行とのやりとりが可能になったことと共に、振込を行うために必要な店名、店番号、預金種目などを通帳に書き込むので郵便局にご持参ください、というお知らせでした。

 新しい便利を取り入れたい私としては早速郵便局へ行って手続きを行いました。手続きと言ってもただ通帳を差し出すだけです。

 通帳の一角に店番号などを印刷してもらうだけで、簡単です。

 もちろん銀行との取引では手数料がかかり、ATMでの利用ならば3万円未満は210円で、3万円以上ならば420円。窓口利用ならば3万円未満が630円、3万円以上は840円という設定です。ATMが安い設定になっていますね。

 これは同じ銀行間での取引よりはやや高めですが、とりあえずは便利が増したと理解しておきましょう。

 民営化は過疎地での郵便サービスの低下が心配されて政治問題にもなりましたが、その結果、全国の郵便局では自分の土地の有効利用も検討し始めるなど、環境の変化を前向きに捕らえ始めています。

 次はネット利用サービスの拡大がポイントでしょうか。ピンチはチャンスなのです。

 

 
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今夜はウィスキー

2008-11-24 23:39:26 | Weblog
 昼過ぎに札幌を出て、川崎の家に着いたのは18時過ぎ、やっぱり5時間くらいはかかるのです。今回も楽しい帰省の休日でした。

 娘の彼氏を紹介されました。家族と一緒にバドミントンへ参加。随分面白い出会いの場ではあります。

「で、感想は?」と娘。
「うん?残念だな、いやな奴なら一発殴れたのにな」と私。

「それってウィスキーのコマーシャルじゃないの?」
「ふふ、でもそんな感じだよ。向こうはなんて言ってた?」

「緊張した、でも笑いの多い家族だね、って」


 次はみんなで呑むとしますか。




 今日は単身先で一人でオールドです。


 
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道内初開催のFリーグ戦を観戦

2008-11-23 23:22:21 | Weblog
 昨日の会場作りに続き、今日は真駒内屋内競技場で道内開催は初めてというFリーグを観戦してきました。

 

 その模様は地元の北海道新聞にも紹介されていました。
 → http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sports/130913.html

 今日観戦したのはステラミーゴいわて花巻とデウソン神戸の対決でしたが、神戸には須藤慎一選手、花巻には水上玄太選手と、両チームにそれぞれ北海道出身の選手がいて観客からの声援を受けていました。会場には約2千人のファンが詰めかけました。

 
 
 試合は5人対5人で、そのうち一人はキーパーですから実際に攻守を繰り広げるのは4人同士。

 Fリーグの試合を見るのは初めてでしたが、非常にスピード感があって好手の切り替えも早く見応えがありました。感覚的にはサッカーのようなゆったりしたものではなく、オフサイドのあるバスケットといった感じ。キーパーがボールを取って相手のゴール近くまで投げることだってできるのです。
 
 昨日床作りを見学していて、これならスライディングをしても大丈夫なのかな、と思いましたが、実際の試合ではスライディングなどしている暇はほとんどありません。かわされてしまえば起きあがるまでの瞬間に、ボールに置いて行かれると守備に遅れが出てかなり不利になるからです。

 選手は交代が自由なのでタイミングを見計らって出入りを繰り返します。体力を回復出来るので登場している間は全力でのプレーが可能なのですね。

 

  *    *    *    *    *

 試合はここまで1分13敗とリーグ戦成績で振るわないステラミーゴ花巻に対してデウソン神戸が終始圧倒。

 得点が1ー3で残り時間4分となったところで花巻はパワープレイを選択して、こちらが攻めているときに、キーパーもできる目印を背負った選手を投入。ボールを取られたときには素早くその選手がキーパー役をこなすというわけです。

 

 このプレイに席の後ろに座った少年の一団も興奮。「すげー!でも失敗してみて欲しいんだけど・・・(笑)」
 少年がそう言った先から花巻は無人のゴールに決められて敢えなく1-4になりここでタイムアップ。心情的には勝ちのない花巻を応援していたのですが、力量にやや差があった感じです。


 さて、今年が2期目のFリーグ。現在8チームでの対戦が行われていますが、来年からは北海道からの1チームも含め2チームが加わり、10チームによるリーグ戦が繰り広げられるのだそうです。

 日本のサッカーレベル向上のためにも盛んになって欲しいものです。

  *    *    *    *    *

 夜は地域SNSの仲間たちと一足早い忘年会。
「こままささんって思ったより若かったんですね!私は絶対60過ぎのおじいさんだと思っていました!」という女性に遭遇。

 はいはい、書いている内容はオッサンということですね(笑)
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フットサルの会場作り

2008-11-22 23:13:38 | Weblog
 明日から札幌の真駒内公園屋内競技場で、フットサルのFリーグと呼ばれる大会が開かれます。

 今回はその会場作りをしている企業から、運動用床材の設置をしますから見に来ませんか、というお誘いがあり、大会前日の会場の様子を見てきました。
 
 この床材は厚さ1センチで一辺が25センチほどの正方形をしたプラスチック製なのですが、隣同士が連結できるようになっていて、大きな面積の運動場を作ることが出来るのです。

 昼頃の真駒内競技場は暖房が入っていないためひんやりしていて寒さもひとしお。ここで会場作りが始まります。

 すでに緑色の養生用ビニールシートは敷かれていますが、ここにまずは薄い絨毯のようなクッション素材を敷いて、それから床材の敷設が始まりました。



 床材はすでに16枚が連結したもので保管されていて、これを現場で4枚ずつ連結した大きな正方形をつくり、これを次々につなげて行きます。



 プレイコートは青でその外はオレンジというカラフルな色遣い。おまけにカッティングシートでスポンサーのロゴを入れたりも自在です。

 作業開始から約2時間で床は完成。あとはテープでラインを仕上げます。試合は明日ですが、見に来ようと思います。





  *    *    *    *    *

 Fリーグの北海道での幹部の方にもお会いしました。私は知らなかったのですが、フットサルの発祥は北海道なのだそう。

 最初は「室内サッカー」だとか「サロンフットボール」など、名称がいろいろでしたが、今はフットサルに統一されて、全国的にチーム作りが増えているのだそう。

「私もサッカーとの違いがよく分からないのですが、フットサルの特徴は何なのですか?」と質問をしてみました。すると
「フットサルの特徴は、11人×2チームで行うサッカーに比べて、面積が小さくて屋内でもプレイが可能、また人数が少なく交代自由というルールなので、参加者のボールにさわる回数が圧倒的に多いということです」とのこと。なるほど

「野球で言うと草野球みたいなものですかね」
「それに近いですね。子供たちが、ここでチームでボールを蹴ることの楽しさを覚えたり、学生時代にサッカーをやっても続けられなかった人たちが、草フットサルとして地域のチームでいつまでも楽しむことが出来ます」

「外国でも流行っているのですか」
「もちろんです。スペインやブラジルなどはフットサルが日本よりもはるかに盛んで、ボールを蹴ることは楽しいという幼児体験から本格的なサッカーを始めてスーパープレイヤーになる人たちも多いんですよ」

  *    *    *    *    *

 これに対して日本では、本格的サッカーの世界が確立しているためにフットサルをやや軽んじており、指導者もサッカー出身ということで、最初からサッカーを教え始めてしまうのだとか。

「ワールドカップで日本を強くしようと皆さんにいますよね。そのためにはサッカー人口の拡大が必要で、さらにそれを下支えする、ボールを蹴ることが大好きな底辺人口を拡大させることが大切です。フットサル指導者の育成と施設整備が求められますね」

 大都会では、大人のチームならば夜12時から2時までプレイするところもあるとか。
 
 案外すごい人寄せのコンテンツなのかもしれません。うーん、フットサルも勉強しなくちゃ。 

 
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今日から帰省

2008-11-21 23:26:25 | Weblog
 今日の夜から今週末は札幌へ帰省です。

 週末は家族と過ごしたいのですが、いろいろと用事が入っていて忙しい日々になりそう。

 なにしろまずは車のタイヤ交換からやらなくてはなりません。今年は車検の年なのでついでに交換しても良いたのですが、自らやらなくては気が済まない性分。

 タイヤ交換は、タイヤの状況を自分でチェックする大事な機会なので大切にしているのです。

 新千歳空港からもう寒さもひとしお。北海道は冬模様です。 
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