二つ目が一階のウッドデッキの防腐剤塗布。
一昨日の両親の誕生会での近況報告。
弟の奥さんは大の日ハムファンで、弟を家に置いて息子だけを連れて応援に行くほどでした。
久しぶりに会ったので、「そういえば、日ハムが北広島に移ったらそれでも応援するの?」と訊いてみました。
すると奥さんが答える前に弟が、「いやいやいや、日ハムが札幌から出ていくというので、今日ハム製品の不買中なのさ(笑)」と笑いました。
「ええ!ほんと?」
「はい、もう応援しませんし、日ハム製品は一切買いません!」
「これはまた随分嫌われたものだね」
「だって、札幌への裏切りですよ、裏切り!」
この話題になると、かわいい顔立ちながら目を三角にして怒っています。
日ハムが北広島へ移ることで意気消沈してテンションが下がるだけならまだしも、嫌われ憎まれて、製品も買わないなどというアンチが出てくるとはちょっと驚きでした。
私自身はそれほど力の入った日ハムファンではないので、割と冷静で、「問題は輸送計画だよな」などと思うだけですが、カンカンのファンだった人であれば、「それでもついていく」というコアなファンと、「裏切者!」とこれをきっかけにしてアンチになってしまう人に分かれそうです。
コアなファンとアンチになっちゃった人ってどれくらいの比率なんでしょうかね。
誰か調べてみてくれないかなー。
私の兄弟の家族、そして娘たち家族と一緒に、両親の誕生祝いをしました。
両親は、父が5月1日、母が5月8日が誕生日なので、いつからかゴールデンウィークのこの時期に誕生会をするようになったのです。
私は弟と妹の3人兄弟ですが、こういう機会でもないと一同になって合うこともなくて、お互いの元気な様子の分かる良い機会です。
一通り食事を進めながら、一人一人の近況報告をしてもらいました。
すると私の娘の番になったときに、「最近髪を切りました」と言い出しました。
言われて初めて、以前は髪を長くのばしていた娘がショートカットになっているのに気が付きました。
彼女の説明はこういうこと。
「以前、新聞である記事を読みました。それは、一人の男性が『ヘアドネーション』をするために髪を伸ばしていたのですが、男の人が髪を長くのばしているが変に思われるので普段はちょんまげにしていたのだ、という記事でした。それを読んで、髪を伸ばすんだったら私もできるな、と思って伸ばしていたのをつい先日切ったんです」
ヘアドネーションと言うのは、病気のために髪の毛を失った子供たちや女性のために、医療用かつら(Onewig)を作る材料としての髪の毛を提供する活動です。
「そうだったんだ。それって美容室で切るの?」
「そう。でもちゃんと『ヘアドネーションしたい』という意思を示して、それに協力している美容室じゃないとだめなの。それに、髪が濡れるとカビが生えたりしちゃうので、乾いた状態で髪を縛って束にして切るの」
提供する髪の毛の条件は大体31センチ以上の長さなのだそうですが、今までのロングヘアをばっさりと切った理由を知って、(随分長い間思い続けたものだ)と、とても嬉しくなりました。
ちなみに、Onewigを作るためには20~30人の髪の毛が必要なんだそうで、たくさんの人の協力があって初めてできるボランティアです。
男女の別もないそうですが、もう私にはできないボランティアだなあ。
自分がやれることをしっかり見定めて行動に移した娘がちょっと誇らしいです。
この4月で満65歳となる先輩が、本日付で退職されました。
本人はこの先はもう仕事には就かず、「自宅で過ごしますよ」と言いますが、数年先の自分の姿が重なります。
「もう仕事には就かないというのは、何かやりたいことがあるんですか?」
「これをやりたい、という事が明確にあるわけじゃありませんが、仕事をしているとその世界には入れないので、残りの人生の時間を考えると、今が仕事から離れる良い機会だと思いました」
「奥様と旅行なんかは行かれないんですか?」
「いやあ、うちの(妻)もどちらかというと家にいる方が好きなもんでね」
人間には寿命がありますが、そのまえに健康寿命があります。死んでしまえば何もできませんが、生きていても病気になったり体が動かなくなったりして、やりたいことができなくなる年齢があります。
日本人男性の場合は、平均寿命が81歳で、一方『健康上の問題がない状態で日常生活を送れる期間』を示す健康寿命は71歳なんだそう(2015年)。
65歳というのは、平均的な健康寿命まで6年。
もちろん、節制や努力をして健康寿命を延ばすことができれば、もっと人生を楽しむことはできるわけで、まずは健康こそがすべての基礎です。
でもその一方で、本当にやりたいことは何か、誰と一緒にやりたいのかなどの具体的な目標も必要で、そのための準備も早いうちから始めた方が良いですね。
「もう仕事はしないつもりなんだけど、もしかしたらそのうち近くのスーパーのレジ打ちをしているかもしれないから、あまり私の家の近くには近寄らないでくださいね、恥ずかしいから(笑)」
人生の先輩の第三の人生を、職員全員の拍手でお見送りしました。
お声をかける会合もいくつかあるのでその時は元気な姿を見せてください。
お疲れ様でした。
人気グループTOKIOの山口達也メンバーが、未成年者に対する強制わいせつ容疑で書類送検されたという事件で世間はもち切り。
謝罪記者会見では自ら事件の顛末を語り、強い反省の気持ちを示していました。
聞けば、飲酒で肝臓を悪くするなど体調を崩して入院していたのが、退院をしたことで「飲もうかな、と思って」とまたお酒に手を出した結果としてのこの不始末。
社会的な影響の大きいタレントであると同時に、TOKIOの一員であることから、グループとしての活動を大きく損ねることから、被害は甚大です。
「酒は百薬の長」と言われますが、そのあとに「されど万病の元」と続くことを忘れてはなりません。
それにしても、誰もが違和感を持ったのが「山口達也メンバー」という表現でしょう。
「メンバー」という言い方の理由については、被害者と示談が成立していることから「容疑者」でもなく、また「芸名のみの呼び捨てを避けるために何らかの肩書呼称が必要となり、その結果TOKIOの一員という職業上の肩書から『メンバー』という言葉になったようだ」とのこと。
「メンバー」という表現が珍しくて、「TOKIOの山口達也氏」ではだめなのかな、と違和感が大でした。
まあ多くの社会人は、どこかの組織に帰属しているわけで、その組織の信用や信頼、評判を背負っています。
いくら「俺は俺で、一人の国民だ!」と言っても、特に日本では、所属している組織や集団が、もしそれらがなくても、家柄や血筋まで、その縁が問題になる。人はどこまで行っても何かの「メンバー」なのです。
公務員であれば、「信用失墜行為」というのが立派な処罰の理由になりますが、昨今は、財務省も厚労省も防衛省も、様々な評判を落とすような行為が世間の批判を浴びています。
セクハラも、実際の行為だけでなく口先での発言も大きな問題になる時代。
一罰百戒で、厳罰化に向かって立派な人ばかりの世間になるのか、それとも犯罪者だらけの社会になるのか。どこかの「メンバー」であることが自制の力になるでしょうか。
犯罪に該当するようなレベルは論外ですが、一瞬の過ちや感情の高ぶりも許されない社会って、ちょっと怖いような気もします。
「北海道道路利用者会議」という、道路について利用者の立場から考え、要望をしていく団体の総会がありました。
活動費用の多くは道庁、札幌市などの自治体に加え、ハイヤー協会やトラック協会、バス協会などのユーザー団体、そして建設関係の団体などが負担していて、北海道のためになる道路整備について中央への要望活動などをしています。
冒頭で、最近の道路の話題について、北海道開発局と道庁の課長から説明がありました。
開発局の課長からは冒頭で、「今年は春先から道路の傷みが目立ち、新聞等でも話題になるなど、さすがにもう少し道路の補修に予算をつけなくてはならないという雰囲気になってきている」と、少しは希望の持てる発言がありましたが、この雰囲気が実際どれくらいの数字として表れてくるかを注視しなくてはなりません。
一方で、道路の予算には限りがあるわけで、今北海道開発局の道路予算は、概ね、改築(新しく道路を作る予算)と維持管理のための予算が1:1になっているそう。
意外だったのは、「実は本州では、改築予算の方が維持管理よりもずっと多いのです」という言葉でした。
私は本州の方がもう新しく道路を作るよりも維持管理が多いのではないかと思ったのですが、実際はそうではないのだと。
その理由というのが、「本州では大都市圏の外環状道路など、未来につながる投資的な道路整備が盛んにやられているので、維持管理よりも改築が多い」という事だそう。
それに比べると、わが北海道もオホーツクやニセコ周辺など、早急にネットワークを整備したい計画はあるのですが、そちらに潤沢な予算がつかず、そうこうするうちにこれまで整備した道路の維持管理の必要も増しているというわけです。
未来を切り開くのは、新しい時代に必要なインフラがあってこそで、未来の子孫に向かって豊かな国土を残したいものです。
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そういった予算を要望する上でのちょっとしたコツについても興味深い話がありました。
東京から、いわゆる国会議員や中央省庁の高官などが視察に来た際に、ただただ「道路を作ってほしい、管理してほしい」ということを訴えてもその意味にインパクトがなければ印象に残らないのだと。
状況を印象的に伝えるためには「具体的な数字をいう事だ」と言います。
たとえば、「このスキーリゾートのエリアでは、冬期に住民票をもつ住民のうち7~8%が外国人なんです」というと、インバウンド観光が盛んになっていることが伝わります。
また、「一言で『馬産地』と言いますが、日本の馬の90%がここ日高地方で生産されているんです」というと、競馬を観た時にも日高地方を頭に浮かべ、その馬たちが本州まで運ばれてくる道路や馬運車を思い出すかもしれません。
ただ「欲しい」というのではなく、その予算がどういう価値を持っているかを印象的に伝えることを心掛けたいものです。
交渉のテクニックですね。
昨日のホッケ釣りでいろいろ考えたこと。
小樽港は色内埠頭が使えなくて、釣り人が厩岸壁に集中しているため場所取りが難しい。
まさか釣りのために修繕してくれ、と言っても通じないでしょうが、インフラは使えなくなるまで放置すると仕えるようにするためには莫大な費用が掛かります。
予算を査定する部局に言わせると、「使えなくなったら【仕方がないので】予算をつけますよ」と言う。
それって、予算の理由を「仕方がないから」という安易な理由に持ち込んで説明しやすくしているだけで、早めに修繕予算をつけておくと、結果的には機能を維持するために安く済むのにです。
つまり、自分の説明のしやすさのために、結果として納税者としては高い費用負担をさせられているという意味で、行政の不作為と言えるのではないでしょうか。
結果的に安く済ませるためという理由がちゃんと説明できれば、壊れる前の適切な時期に修繕するという選択があるはずなのに、議会も市民も誰もそういうことを指摘しない。
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釣れないながらもわずかに釣れたホッケを家でさばきました。
釣ったホッケはどれもお腹が、釣り師たちが撒く撒き餌でパンパン。
お腹が一杯なのだから、簡単には釣り針の餌にも食いつかないのでしょうが、それでも釣れたという事は、お腹が一杯なのになお食べようとして釣られてしまった、というわけ。
ある意味、「足るを知らないことで不幸になる」ということの極みではなかろうか。
二宮尊徳は、「人間と禽獣の違いは、物事を推譲できるかどうかにある」と言いました。
推譲とは「譲る」「差し出す」「我慢して先へ延ばす」といった意味ですが、良い意味で次のことを考えて我慢するという意味が込められています。
禽獣は、目の前にある食べ物を明日のことを考えずに食べてしまいますが、人間は明日のことを考えて今日のものを明日に取っておくことができるし、自分のものを独占してしまわずに誰かに差し出すこともできます。
そういう理性があることと、自分のことだけでなく子や子孫や社会のことを考えてそのために利他的に行動できるのが人間だ、というわけです。
もっとも、目の前の食べ物をつい食べ過ぎてしまい、ダイエットに失敗するのも人間なので、まあ一つの理想として覚えておけばよいでしょうか。
あまりに釣れない時間が長かったので、遠くの色内埠頭を眺めながら、そんなことを考えていました(笑)。
今日はお休みをいただいて、久しぶりに小樽まで釣りに出かけました。
今年の春は、小樽港にホッケの群れが入り込んで爆釣と言う話が、釣り人の間では話題になっていて、まさにそのホッケを狙おうという釣りで、野遊び友達を誘って二人で行ってきました。
ホッケって、昔はいくらでも釣れて、価値もないような扱いでしたが、最近はめっきり数が減り、釣れない魚になっています。
以前はずっと遠くのポイントまで車を飛ばして、それでも一匹も釣れないなんてことがしばしばあったのに、小樽港で釣れるなんてこんな素敵な話はありません。
ところが最近小樽港では、釣りのメッカの色内ふ頭というところが昨年の夏から、耐久性に難ありということで立ち入り禁止になってしまっています。
そのため、数少なくなった釣り場に釣り人が殺到しており、釣り場を確保するのも大変な時代になりました。
インフラの老朽化と一口に言いますが、人々の生命財産を守られないだけではなく、人の楽しみをも奪ってしまうのです。
港湾管理者は、責任をもって早急に修繕をしてほしいものです。
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さて、そんな状況なので、日曜日などはとても無理と考えて、今日の月曜日に休みを頂いて、釣りに行こうという魂胆だったのですが、朝4時に家を出発して、現地には5時に着いたというのに、もう厩(うまや)岸壁には、釣り人がわんさかいます。
(みんな仕事はないのか!)と心で叫びながらふ頭を探し、ようやく車一台分が入るスペースを確保しました。
平日の朝5時でこれとは、いやはや大変だ。
◆
さて、いよいよホッケ釣りなのですが、海釣りは魚の出方によって釣り方も様々。その場所ごとの釣り方があって、自分の得意な釣り方がどこで通用するというようなものではありません。
海で周りの様子を見ていると、「浮き釣り」という、浮きの下に仕掛けをつけて餌をつけてそれで釣るという手法が多いように見受けました。
そこで浮き釣りのシステムを取り出して、それでホッケに挑みます。
岸壁の下を見ると、ホッケの群れがときどき姿を見せて、私の釣り針の下を悠悠と泳いでいきます。
(なぜ釣れないの?)
原因はさっぱりわかりませんが、左右を見ていると、結構ホッケを釣り上げている人はいます。
腕の良し悪しというか、釣り方が分かっている人には釣れるけれど、釣り方が分からない人には釣れないものなんでしょう。
ところが次第に友人竿にはホッケがかかるようになってきて、期待が持てそうなのに、私の竿には本当にかかりません。
友人が10匹ほど釣り上げたところで私は2匹。
情けない釣りが続きましたが、隣で朝から釣っていた若い方が帰る支度をしているときに、「何匹くらい釣れましたか?」と話しかけ、そこから釣りの情報を仕入れることに。
するとその若い方は、「先週来た時に、周りはみんな50~60匹も釣り上げている中で、私はボウズだったんです。それでどうしてかと思って聞いてみると、周りはみんな針の大きさが私よりずっと小さいことを教えてもらいました。そこで今日は教えられた小さな針に替えてやってみましたが、おかげさまで10匹くらいは釣れました」と嬉しそう。
釣具屋さんへ行くと、釣りたい魚のための仕掛けが数多く売られていて、「ホッケ」のコーナーへ行って、ショップがお薦めの商品を買いました。
ところが札幌の釣具屋さんで聞く話と、現地のショップで聴く話はいろいろと細かいところが違っています。
針の大きさなどはその違いの最たるものかもしれません。釣りの話は、地元のお店に聞け、ですね。
そんなこんなで、お昼頃方は少し私も釣り方が分かってきて、結局今日の釣果は、「ホッケ8匹」。一緒に行った友人は、30匹ほども釣り上げて、さすがです。
なんだかんだ言って、腕の差は釣果に跳ね返るのですが、私も春先で8匹はまあまあの釣果といえるでしょう。
朝5時から始まった釣りが終わったのは夕方の5時。なんと12時間も同じところでずっと釣りをしていました。
しかしそんなに時間が経った印象が全くなくて、あっという間の時間でした。本当に楽しい時って短く感じるものですね。
◆
さて、家に帰ってきてからは釣った魚の処理です。
ウロコを取って、まずはホッケのフライ用に二匹を三枚に下ろし、残りは一夜干しで焼いて食べるように、背中から開く背開きで魚を処理。
ホッケのフライは柔らかくて実に美味しかったし、釣った苦労というか楽しみも加われば、その美味しさもさらに倍増というわけです。
釣れれば釣りは楽しい野遊びです。しかも釣り方や工夫などでとても頭を使います。
なかなか釣りに行けなかったストレスもこれで吹き飛びました。
【ありがたーくいただきました】
北海道の春の楽しみの一つが山菜取り。
四月も半ばを過ぎて、そろそろ行者ニンニクの季節となりました。
野遊び友達の友人が行者ニンニク採りに行くというので、頼み込んで一緒に連れて行ってもらいました。
札幌から車で1時間ちょっとの山は、小さな沢筋がたくさんあって、その沢ごとに斜面を上り下りしては、行者ニンニクを探します。
私などはアマチュアなので、眼力も乏しく、がつがつ行ける体力もないので、そこそこの成果だったのですが、それでも知らず知らずのうちにポリ袋二つくらいにはなって、思いのほかの収穫でした。
始めてから二時間くらいで、もう獲れすぎたくらいに思えたので道を戻ることにしましたが、そういう時に限って、目の前に行者ニンニクが現れます。
こういうときは、採らないと山菜の神様に叱られるので、心の中でお礼を言いながら採りましょう。
さて、それぞれ山菜取りを楽しんだ後は、昼前に集合してリーダー格の友人がジンギスカンの用意をしてくれました。
もちろん、ジンギスカンには取れたての行者ニンニクを放り込んで、参加者全員でバクバクいただきます。
道民は、ジンギスカンと行者ニンニクのゴールデンユニットで、ようやく春を感じ始めるのです。
行者ニンニクのちょっとピリ辛な風味が、極上のジンギスカンのたれとマッチして、美味しかった!
今日の収穫はスーパーのポリ袋で二つほど。家に帰ってから、ハカマを取って葉についた木の葉っぱなどを落とすのが手間とはいえ、重さを量ると2kgほどあって、自家消費では十分な量が取れました。
◆
帰りがけに厚真町で有名な厚真のジンギスカンを買って、家ではお昼に続いて夜も行者ニンニク付きのジンギスカンにして、妻と食べました。
我が家にもようやく山からの贈り物で春が訪れたようです。
【美味しいわー】
先月朱鞠内湖へ最後のワカサギ釣りに行った時に、道の駅「森と湖の里ほろかない」で500gパックの蕎麦粉を買いました。
あまり日が経つと、いくら脱酸素剤でパックしていても品質が落ちるので、お昼に一打ちして美味しくいただきました。
500gの蕎麦粉には、100gほど小麦を混ぜて打ったので、全部で600gの粉で蕎麦ができますが、粉モノの一人前は100gが相場。
蕎麦粉が残っても仕方がないので、全部を打つとさすがに夫婦二人では食べきれず、1/3ほどがあまりました。
これもまさか捨てるのは惜しい、と思い、夜に蕎麦サラダにしてみました。
僕はラーメンサラダを、北海道最大の発想の一つだと思っていますが、ラーサラの麺を蕎麦で代用して胡麻ドレッシングで食べるというサラダにしたもの。
小洒落たどこかの居酒屋で、蕎麦サラダのメニューって見たことがあるような気もしますし、ネットで探せば多種多様なドレッシングのレシピもたくさん出てきます。
しかしその中でもやっぱり私は胡麻ドレッシングでの蕎麦サラダが好き。鳥のササミや茹で卵を添えると栄養面もアップ。
家で蕎麦を打つと、どうしても食べられる以上に打って、つい余り気味になるのですが、蕎麦サラダで二食目ならいいですね。
本当は、打ち立て状態で3日くらい保存できるようなパックの道具も売っているんだけど、そこまで買う気にならない。
本当に美味しい粉を手に入れて、打ち立てをすぐ食べるのが一番なのさ。