北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

ビジネスはアイディア

2006-11-30 23:56:37 | まちづくり
 午後から大雪の札幌です。平地でも5センチは雪が積もり、夜の道路はツルツル路面となりました。降った雪がちょっとだけ融けているので、最も自動車の運転が危険な季節です。

【ビジネスはアイディア】
 個人的に関わっていたあるプロジェクト関連の反省会と称して、知人と酒を交えて情報交換です。ここのところ毎日情報交換会が続いています。

 私には、職業柄自分でビジネスというものをしたことがないので、まちづくりを語っていても、どこかで「それなら自分がコミュニティビジネスの一つでも出来るのだろうか」という内心忸怩(じくじ)たる思いがあるのです。

 もしも裸一貫になったら、自分が果たしてリスクを取ってお金を稼ぐことなどできるのだろうか、という怖さです。お金も稼げないのに、まちづくりを頑張りなさいと言う資格があるのだろうか、と怖くなるのです。

 今日合った知人のAさんは、ちゃんと会社を経営しながらまちづくりにも熱心に関わっている同世代の方で、私も大いに尊敬する一人なのです。

「Aさん、ビジネスってどういうきっかけで始められるものなんですかね。やったことがないものにはどうしても未知の世界なのですが」
「ビジネスの種って、やっぱりこういう飲み会などで話されるちょっとしたアイディアも大事ですよね。以前に出版した本が、そんな飲み会からのアイディアで当たったんですよ」

「へえ、どういう本ですか?」
「『さっぽろ喫茶店さんぽ』という本なのですが、コーヒーなんか手軽に飲めるようになった時代だからこそ、逆に喫茶店やカフェという空間が大事なんじゃないか、このご時勢に今なお頑張ってその空間を残してくれている気持ちって何だろう、そんな思いを抱きながらお店を回って、紹介した本だったんですよ」

「なあるほど。売れましたか?」
「それがね…」

 ゴクリ

「当たったんですよ、これが! 喫茶店って大人にとってやっぱり必要な空間で、40代の人たちを中心にして、『私も買いましたよ』という人が結構自分の回りでもいたんですよ。これなんか、まったく何気ない会話からのビジネスチャンスですよね」

「なるほどねえ」
「ターゲットは『確かな大人』で、キーワードは『大人のための空間』これだと思ったんですよ」

「すると第二弾はどうですか?」
「そこで第二弾の企画です。大人の空間というキーワードと言うことで、第二弾はバーと決めました『さっぽろ大人のBAR』として、贅沢な空間としてのバーを探して、紹介することにしたんです。取材班は一軒一軒飲み歩いて、結構大変だったみたいですよ」

「で?これも売れましたか?」
「それがね…」

 ゴクッ

「期待したほどには売れなくて、ちょっと残念でした…、もっと行けると思ったんですがね」

「あらら、駄目でしたか」
「うーん、まだバーの文化が成熟していないのかもしれませんね」

 Aさんは第三弾も考えているそうです。私なら、「メニューは10品以内の大人の居酒屋」とか「大人のストリート」、「大人の界隈」なんてのが良いのでは、と思いましたよ。

 なんだったら記事も一般の方からブログ形式で募集しても良いかも知れません。新しいビジネスを考えるためにも、やはり夜は飲まないとならないのです。うぃ~。
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ガラスが伝える文化

2006-11-29 23:35:40 | Weblog
 今日の午後は、建物の14階から眺めるとすぐそこまでもが見えなくなるくらいの雪が降りました。
 夜は小樽で情報交換会でした

【ガラスの文化】
 夜に小樽で情報交換会を開催。自分たちの知らない社会の話で大いに盛り上がりました。

「小樽はあまり好きじゃないけど、意地でここにいます」と小樽に本社を置きながら、ガラス食器の販売ビジネスを展開している方とお会いしました。

 小樽でガラス、と言うと北一ガラスを思い出しますが、そことは取引はあるものの、メインビジネスの相手ではないとのこと。

「ガラスの食器でビジネスをするというと、ライバルは多そうですよね」
「ええ、でもうちのところはニッチ(すきま)なところを狙っていて、そういう目で見ると、案外同業者は少なくて全国で五社くらいでしょうか。グラスなどを始めとするガラス雑貨みたいなものですけど」

「そういう世界が分からないんですね。(笑) グラスなどというと、レストランとかホテルなどに売り込むのでしょうか?」
「そういうところだと、最初に大量に納品出来るのですが、後々まで同じ形のものを補充出来るようにしておかないといけないので、在庫管理が大変なんです。ですからトータルで見ると良い商売とは言えませんね。それよりは、『ガラス食器は欲しいけれど、いくらなんでも100円ショップでは買いたくない』という層のニーズに応える事だと思います」

「私の家でもそうですが、日本ではあまりガラス食器はメインになっていませんよね」
「そのとおりです。日本の食器はなんといっても陶器が多いんです。それは食生活そのものが陶器にマッチしているからなんです。しかし、ワインなどを始めとして、ガラス食器でなくては格好が付かないという食文化が増えてきているでしょう。私たちはそのような食文化にマッチした食器をデザインしながら広めたいと思うんです」

「なるほど、確かにワインを陶器では飲みませんね」
「ご存じですか?ブルゴーニュワインにはブルゴーニュグラス、ボルドーワインにはボルドーグラスというワインに合うグラスの形態があるんです。そんな世界でデザイン性あふれるものを送り込みたいと思っているんです」

 考えてみるとシャンパングラスというグラスがありましたね。しかしそういわれるまで、銘柄ごとにマッチしたグラスがあるとは知りませんでした。

 そこで小樽ワインにはどんなグラスが合うのだろうか、ということを提案して、食文化にマッチした食器文化ができると面白いですね。夢のあるお話でした。

    *   *   *   * 

 その場で一緒に飲んでいたのが、アメリカンドリンクの代表の「○カ・コーラ社」の方達でした。

 コーラのボトルには文化がある!などと話していて、私の35年来の疑問をぶつけてみました。

「コーラの瓶には底部に■と●の形をした引っ込んだ部分がありましたよね。僕たちはあれを『■は辛口で●は甘口なんだ』と言っていたものですが、どうなんでしょう?」
「よく覚えていますね。でも辛口、甘口は違います。実はあれは、ボトルを作る際にラベルも同時に貼るんですが、そのときにビンを押さえて回す際の機械の爪の跡なんです。その機械の詰めに■や●の形があったんです。ビンがまだ少し柔らかいときにその工程があるので機械の爪の跡がつくんですよ」

 そーだったんですか!いやあ、これで子供の時の謎が解けました。

 これで気持ちが「スカッと爽やか」になりました。

 あのビンにはアメリカ文化が詰まっていましたね。ガラスは食の文化を伝えてくれるのです。
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じわじわ訪れる少子化の影響

2006-11-28 23:19:11 | まちづくり
 まだなんとなくぼんやりと暖かい日が続いています。雪が遅いのは、この時期の工事業者さんにとっては天恵です。

 本格的な雪が積もる前に、少しでも作業が進むと良いのですが。

【札幌の少子化】
 今日は札幌市の町作りを担当している皆さんと飲む機会がありました。

 私も仕事がら、札幌市の都市計画審議会を始めとして札幌市役所の方とは何人か知り合いがいるのですが、さらに人間関係が厚みを増す、こういう機会は大歓迎です。

 札幌市での最近の話題は、女性が生涯で出産する子どもの平均数である「合計特殊出生率」が1.00を下回る0.98となったことです。

 札幌市が11月1日に発表した2005年の人口動態では、市内の15歳から49歳までの「出産可能年齢」の女性は05年10月1日現在で46万2,627人、出生数は1万4,184人だとか。

 札幌市の合計特殊出生率はこれまでも減少傾向が続いていたようですが、0.98というのは、全国平均の1.25(概数)や、道内平均の1.13(同)をも大きく下回る驚くべき数字であり、現時点で集計されている政令指定都市の中でもワーストワンの数字なのです。

 札幌市で少子高齢化が進む原因としては、未婚化・晩婚化がほかの大都市より多いことや、晩婚の女性の出生率が低いことが挙げられていますし、また経済状況から見ても、若年層に安定した正社員が少なく、収入が安定しないことなども挙げられています。

 しかしいずれにしても、このような数字に表れる症状は、地域のまちづくりにとってやがてボディブローのように効いてくることでしょう。

 その一つの動きが既に都市計画の場面でも出ています。

 札幌市には、住宅開発された団地などに将来の人口増を見込んで将来の小・中学校用地として先行的に取得していた土地があるのですが、もう既に将来の人口増が見込めないことが明らかになったとして、都市計画法上で学校が建てられる用途地域の変更に踏み切る動きがあるのです。

 もう地域には新しい学校は作らない、いや作れない状況になっていると言うことです。

 それどころか、このような新しい学校を作らない動きの後には、現在ある学校ですら児童生徒の減少に伴って再編が行われることになりそうだというのです。

「学校にも基準があって、どうしても児童が少なくなると統廃合によって、集約を図らなくてはならなくなります。しかし、そのような事態になって地域に学校の統廃合の話を降ろすと、そのときになってやっと学校が地域コミュニティにおいて一定の役割を果たしていた、ということに気づくんです。でもそんなときに気づいてももう遅いんですよ」とは市役所の方のお話。

「統廃合がされる学校って建ててからどれくらいの建物なんですか?」
「それが割と新しくて、十数年から二十年まえに開発された新興住宅地に作られた学校が危なくなるでしょうね。実際私が十五年くらい前に家を建てた住宅地がもうそのまま年を取ってしまって、学齢の子供達がいない地域になってしまっているんですから」

「私たちも国有財産の耐用年数について勉強していますが、鉄筋コンクリートの建物って一般に耐用年数は五十年と言われていますよね。今おっしゃった事態というのは、建物の耐用年数が来る前に社会的な寿命が来るということなんですね」
「学校というニーズだけを見るとそういうことです。我慢してプレハブでも良かった、なんて言われかねませんね」

 学校が地域コミュニティの核だということは、案外無くなってみて初めて分かることなのかも知れません。

 機能としての学校が無くなった後に残された建物が、新しい地域コミュニティの核として生まれ変わるためにはより一層の地域の関わりが必要なようです。

 …しかし、その大変さに今気づいたとしても、地域の力で子供を増やすことが出来るのでしょうか。

 すると、「どこかの自治体で、そうした子供の数が減ったところに住むお年寄りに対して都心部のマンションなどに住むことを奨励や補助して、空いた家に学齢児を持つような若い家族が住んでもらえるような施策をとっているところもあると聞いたことがありますよ」とのお話も。

 とりあえず学校を存続させるにはそれでよいのかも知れませんが、いずれ若い家族の奪い合いになって、やはり住宅地の高齢化は不可避のようです。

 収入や結婚など、出産や子育てのための必要条件が満たされるような施策が必要だと痛感しました。

    *   *   *   * 

 家のパソコンがウンウンとうなりを上げてきたので、何事かと箱を開いてみると、どうやら電源を冷却するファンの回転が悪くなっている様子。

 以前にも電源のファンの調子が悪くなったので買い換えたのが今の電源なのに…。保証書なんてもらってあったかなあ。うーん…。

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つい観てしまう「あいのり」

2006-11-27 23:10:30 | Weblog
 そろそろ年末が近づいて、お酒を飲む機会が増えてきました。酒は飲んでも飲まれるな。毒になるか薬になるかも自分次第であります。

【つい観てしまう「あいのり」】
 飲んでも飲まなくても、家に帰るのはいつも夜11時くらいという私の生活です。

 最近はほとんどテレビを観なくなってのですが、月曜の夜についつい観てしまうのがフジテレビ系列の恋愛観察バラエティの「あいのり」です。

 家に帰ってご飯を食べながら、ほっと一息ついた頃に丁度やっていて、ついぼんやりと、それでいて案外引き込まれながら観てしまうのです。

 男女7人が海外を一緒に旅しながら、好きになったり好かれたり、互いの気持ちを不安に思ったりするようすを克明に追いかけて映像として見せることで、観ている我々の側はついつい感情が移入してしまい、「ガンバレー」とか「馬鹿!まだ告白するには早いー!」などと、傍目八目なヤジをテレビの前で飛ばしているのです。

 ごく狭い人間関係の中で、恋愛をするために集まった人たちという特殊な環境の下に置かれている人たちですが、ちょっとしたことが恋愛に発展して行く様々なスタイルが見られます。

 恋愛がいろんなことから始まるんだな、というのが見えて面白いとも思えます。


 ところで、江戸時代初期の陽明学者に中江藤樹先生という方がいて、この方がおっしゃるには、「人間が我が身を振り返って反省するときに一番大事なものは愛と敬を持つことだ」ということだそうです。

 論語には弟子の弟子の子游との孝に関するやりとりがあります。

 すなわち子游が「先生、考とはどのようなことでしょうか」と訊ねたのに対して、孔子先生答えて曰く「近頃の孝は、ただよく養えば良いということのようだ。それならば、犬や馬を飼うのでもみなよく養っているではないか。親を敬うという気持ちがなかったら、何で親と家畜の区別をしたら良いのかね」と答えられたのです。

 親と家畜をどう区別するのかとはまたきつい一言ですが、相手を敬うということなくして愛することだけでは動物と変わらないと言い切られてしまいました。

 男女の間も同じで、恋愛や結婚をするのに「愛」は語るけれど「敬」を語ることは少ないのではないでしょうか。

 愛する自分と愛される自分がいて、相手を敬い自分が敬われる。

 愛は湧き上がり燃え上がるような気持ちのうねりですが、同時にその気持ちが相手を尊敬し、敬うと言うことに通じているのかどうか、また自分は相手から尊敬されるに値しているのだろうか、そんなことを考えてみて、敬に確信が持てれば本物なのだと思います。

 我と我が身に振り返ってみても汗が出てくる思いではありますが、相手から尊敬されるに値する自分であるかどうかを、一日を振り返って反省してみてはいかがでしょう。

 たとえ今日できなくっても、我が身を省み続けることで何かに近づくことが出来そうな気がしますよ。

 もっとも「あいのり」に敬をもとめると番組としてはつまらなくなるかも。

 「恋は盲目」もまた人生を彩る経験として良いのかも知れませんからね。


 
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チーズで付加価値を

2006-11-26 23:19:46 | Weblog
 昨日に続いて肩こりと背筋痛に苦しんでおります。

【自然食品のお店「M」】
 ある知人からの紹介で「こままささん、西野に『M』という自然食品のお店があるから一度行ってご覧なさい」と言われておりましたが、今日やっと訪問することが出来ました。

 お目当ては、独特のチーズ。ここでは農事組合法人共働学舎新得農場で作られたチーズが売られているのです。北海道のチーズが世界の品評会で優秀な成績を修めていたなんて知りませんでした

 早速お店の方に訊いてみると、まさにこのチーズを丁度入荷したばかりでした。

「なかなかの人気で、入る先から売れるんですよ」とのことで、残っていたこと自体が今日はラッキーでした。

 北海道の牛乳の売れ行きがなかなか伸びないなかで、乳製品に付加価値をつける必要が叫ばれ、チーズはその意味で注目が集まりつつあります。

 北海道でも探せば、付加価値のついているチーズ工房が結構あるのです。詳しくは又別なところでご紹介するといたしましょう。
 
 
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発達障害と学校

2006-11-25 23:12:16 | Weblog
 原因不明の背筋痛で一日ぐったり。たまにはこういう日もあるのです。いててて…。

【娘との会話】
 親元から離れて暮らし、教育関係の大学へ通っている長女が週末に帰省しました。

 金曜日の夜に中国の皆さん達との会合の後で、携帯から「もう帰ってきているの?」と単純に帰っているかどうかを確認しただけなのに、家に帰ってみると「あれ?おみやげの数の確認じゃなかったの~」と、ブーイングの種を作ってしまったようです。やれやれ。

 娘が良い先生について勉強しているのは障害児教育という分野です。障害者と言うと、私などは、「障害者」と言っても、障害者基本法に定義される、身体障害、知的障害、精神障害の三つの存在しか知らなかったのですが、教育環境下での子供の持つ障害というのは近年、様々な分類がなされるようになってきていて、その中に発達障害というものがあるのだそうです。

 発達障害の中にも、LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥/多動性障害)、アスペルガー症候群、高機能自閉症など多くの分類があるそうです。

 そして、それぞれには細かな特徴があるのだそうで、まだまだ日本では一般にとって、単語を聞いたことがあるかどうかといった程度で、認知度は低いのだそうです。

「お父さんも小学校1年生の時って、教科書の一年分の中身が全部分かってしまって、授業を受けるのがあほらしくて、参観日の日に完全に後ろを向いて、セーターの中に手を入れながら来ていた父兄の顔を眺めていたことがあったよ。でも勉強は後ろを向いていたって分かっていたんだよ」
「発達障害は、勉強が出来るかどうかじゃなくて、今どういう行動をすべきかとか、すべきじゃないかといった想像力が働かないという要素があるんだよ」


「うむむ、そうか」
「あとは社会的関係を持てるかとか、人とのコミュニケーションを保てるか、とかいうチェック要素もあるんだけど、それって、今の時代だったらアスペルガー症候群の傾向があると思われていたかもしれないよ」

「ううむ、紙一重だったのかな」
「誰でも少しくらいは、そんな傾向や要素はあるよ」

「大体、障害を持っている子供達ってどれくらいの割合でいるのかという調査はあるのかい?」
「うん、国が平成14年に全国の公立小・中学校の内370校を抽出して実施した調査があるらしいんだけれど、その結果は、通常の学級に6.3%の割合でLD・ADHDを含めて、特別な教育的支援が必要な児童生徒が、在籍する可能性があるというものだったんだって」

「ランダム調査にしても、6.3%と言えば、16人に一人じゃないか。30人クラスでも2人はいる割合になるよ」
「あくまでもそういう一回の調査の結果だけど、そういう子がクラスに一人でもいると学級経営が難しいと思うんだよね」

「先生だって、対応の仕方が分からないんじゃないの」
「そう、でも今はそれに対応しなくちゃならないことになってる。でもあまり特定の子に関わっているとクラス全体の進度にも影響してしまうし…」

    *   *   *   * 

 今は、子供の成績が下がると、「学校の先生は何を教えているんだ?」というクレームもつきかねない時代ですが、現場の実態は私などが考える以上に大変なんですね。

 クラスにそうした障害の可能性のある子供がいたとしても、それはそのまま世に出たときの縮図のはず。「世界がもし100人の村だったら」という本がありましたが、世の中には一定の割合で、いろいろな人がいるものだ、ということを教えてくれるのも学校やクラスの貴重な意味なのでしょうね。

 だから、自分とは異なる個性の仲間がいたときにも、排除をするのではなく、関わったりアドバイスをしたり、見守ったりするという社会性を養うことも重要な眼目のはず。しかし、学校の評価が「成績!」の一点張りになると、そういう優しさや社会性も失われてしまいそうです。

 学力も含めた総合的な社会性を養う学校と、学力に特化した能力要請を行う塾との違いはそういうところにありそうですが、それぞれが異なるベクトルを目指していると言うことなのです。

 娘との話の私なりの結論は、「世間ももう少し、現実に与えられる運命に対して従順さや諦めの気持ちを持つべきだ」というものでした。

 もちろん関係者それぞれが向上に向かって努力を続けることは重要ですが、その結果として自分の将来と運命だけは保証してもらいたいという傲り(おごり)が強くなりすぎているような気がします。

 とうとう娘に教えられるようになりました。これもまた一興なり。


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まちづくりで日中友好

2006-11-24 23:55:18 | まちづくり
 午前中を中心に、吹雪混じりの雪。こうしてだんだん街が白くなって行くのです。

【中国からの調査団】
 中国大使館に勤務した経験のある知人からの依頼で、中国政府からの調査団を受け入れることになっていて、その説明会を今日の午後に行いました。

 外務省経由ではなく、大使館からの知人ネットワークを経由して私の所へ話が持ち込まれたというのも面白いのですが、これもなにかの縁だろうと思い、コーディネーター役を引き受けました。 

 今回の訪日の目的は、日本の都市計画制度について学ぶことで、特に都市の都市計画と、その上位計画との整合をどう取るのか、ということに関心を持たれているとのことでした。

 一応まちづくりの担当として私が受けたものの、都市計画制度の実際の運用上の話となると、専門に担当されている方から話を聞くのが良かろう、ということで、道庁の都市計画課や、実務担当として経験豊富な建設コンサルタントの知人、さらにはまちづくりの現場に立っている若くて美人の女性プランナーなどに声を掛けて参加してもらいました。

 しかしこちら側が用意したスタッフも、通訳を介して外国の方に説明をするのは初めてという人ばかりで、少し不安げ。
 
 来訪者を待つまでの間に、そもそも今回の話を紹介してくれた、中国大使館に勤務していたBさんから「説明の際は、主語と述語をはっきりとさせて、簡潔な文章で説明してくださいね」と言われて、皆ちょっと緊張気味です。

 やがて中国からの調査団が到着。在札幌の中国領事館からも一人随行が来ていて、全部で四名のお客様でしたが、調査団の代表は中国政府で地域政策を担当されている局長のAさんでした。

 この方は、中国中央政府の中でも最も若い局長さんだそうです。まさに将来の中国を担うエリートですから、やっぱり少し緊張です。

 またAさんの他には大学の研究者がお二人。一人は男性ですが、もう一人は、日本の大学で学位を取って、一時国土交通省の研究機関にも在籍していたという女性教授です。この方、日本語はぺらぺらで、通訳も兼ねてくださいましたが、真の中国エリートは本当に頭脳明晰だと感心しました。

 説明では道庁の担当者から、全道に展開している北海道都市計画マスタープランの説明を行い、続いて実務担当者のコンサルタントから実務を行う上での留意点などを説明し、最後に女性のプランナーからNPOなどと連携したまちづくりの話題をお話ししました。

 意見交換の中でのやりとりで分かってきた中国側の問題意識は、地方自治体である市が自分たちの発展のために工業団地を作りたいと考えている思惑と、より上位の省や国の計画がバッティングすることがあって、そうした上位計画と地元計画との不整合をどのように解決しているのか、ということを知りたいということのようでした。

 国内の都市計画では、都道府県レベルの広域マスタープランと下位レベルのマスタープランは事前に調整が図られるので、それほど大きな対立はあまりありません。

 しかしこれからまさに発展しようとする中国では、都市の発展の圧力をどのように受け止めながら、インフラ整備の順番と調整したり、より広域なレベルでの国家づくりのための計画との整合が重要になってくるのでしょう。

 日本が高度成長期に通ってきた道をまさに歩んでいる中国の姿がかいま見えたような気がします。

 会話の中で自治体合併の話に及びました。

「日本でも自治体が合併すると、首長という職がなくなると思いますが、その時にそれまでの首長の処遇はどのようにしていますか?」
「日本の首長は公職選挙法で任期が決まっていますから、その任期がなくなれば失職します。合併で数が減っても同じ事です。保証はありません。逆に中国でも合併の話題があるのですか?」

「はい、中国でも道路網の整備などで移動が円滑になったことから、それまで複数の自治体であったところで行政の効率化を図る必要性が出てきました。しかしまさにその場合の首長の処遇が問題になっているのです」とのことでした。

 ううむ、実に興味深い。

    *   *   *   * 

 説明会の後には、折角のことなので、参加者で懇親会を用意していたのですが、それに快く出席をしてくださって、より身近な話題で盛り上がりました。

 一行は札幌入りする前日には、函館に泊まったそうなのですが、そこでの函館山での夕方の風景を「本当に美しかったです」と感慨深げでした。

 おまけに調査団団長のAさんが、そこでの感動を詩にしたためてくださったそうです。

  函館行

 函館夜色美
 灯火最輝煌
 西照日本海
 東映太平洋

 日本七日行
 湖沼景●忘 (●=又偏に隹)
 駒岳映火焔
 積雪荷蓮傍

 うーん、おしゃれです。これも教養のなせる技でしょうか。

 小さな規模の日中友好はうまくいったようです。
 

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ワインの錬金術

2006-11-23 22:42:08 | Weblog
 札幌の朝は5センチの積雪で、今冬一番の雪となりました。もっとも、まだ日中が暖かければ融けてしまう程度の雪ではあります。

 今日は支笏湖周辺へドライブです。

【現代の錬金術】
 今日はドライブの一日だったのですが、その最初の目的地は金の鉱山でした。

 そこは明治以来の金の鉱山で、昨年まで道内でただ一カ所残った採掘現場だったのですが、地震の後に地下の坑道に水が出るようになり、採掘を諦めてしまったのだそうです。

 金の鉱脈というのは、岩盤の裂け目に地下から温泉が湧き出して、そこに石英質の岩が成長することで金を含んだ鉱脈になるのだそうです。

 昔の金山衆と呼ばれた一団は、そうした金の鉱脈が沢筋などに露出したところを探して、その鉱脈に沿って彫り込んだということなのだとか。目利きが見ると、お宝のありかがすぐにわかるのです。

 さて、水没の結果金の採掘を諦めている鉱山ですが、せっかくの施設をインフラとして何かに使えないものかと考えた会社の社長さんが思いついたのが、「この坑道をワインセラーに使えないか」というものでした。

 金の坑道は、夏でも冬でも中の温度が10℃前後で、湿度が70%程度と、季節によって余り変化しないのが特徴なのだそうで、その条件がワインの貯蔵には最適なのだそうです。

 ある知人を介してそんなお話を聞いたので、今日はこの鉱山の社長さんに案内してもらい、その現場を見せてもらうことにしたのです。

 待ち合わせをして道案内をしてもらった現場は、国道から少し入ったところにありました。こんなところで金が採れていたなんて。

 ヘルメットと合羽を借りて、中へ入ってみると、今日の外は厳しい寒さだったのに、坑内はほんわか暖かです。気温は9℃で湿度は75%でした。

「この坑道が、マイ・ワイン・セラーにどうかと思っているんです」とはこの会社の社長さん。
「マイ・ワイン・セラー…ですか?」

「そう、子供の誕生日だとか結婚記念の年だとか、記念になる年のワインを買って、ここに有料で保存して差し上げるんですよ。一度に何本かロットで保存されると、10年、20年後に瓶熟成されたワインを楽しめるというわけです」
「なるほど、子供の生まれた年のワインを買い貯めておいて、成人式に20年もののワインとして飲んだり、結婚式に振る舞うとかいうわけですね」

「もちろん、そういう楽しみ方もできますし、それ以外でもご自分で買い求めたワインをここで貯蔵してあげられます。坑道のスペースは広いですから、いくらでもスペースを使うことができますよ。できればレストランなども開きたいと思っていて、マイ・ワインで食事を楽しめるなんて面白いと思いませんか?」
「レストランまでやるとなると、表の道路の交通量や周辺環境の魅力にも影響されると思いますが、金や銀の採れた鉱山で熟成されたワインというのはここにしかない、独特の可能性を秘めていますね」

「私達も、明治以来これまで金や銀を採掘してきたこの鉱山の歴史や施設がもったいないように思っているんです」
「最近は産業観光などという言葉も出てきたくらいですからね。なるほど、少し勉強してみますよ」

 全て道内産のブドウからできたワインが、金銀の鉱山で熟成されてその価値を増すというのはなんとも面白いではありませんか。北海道の歴史ならではの話題がそこにあるのですから、これを上手に活かしたいものです。

「ところで社長さん、原料の鉱石から金はどれくらい採れるものなのですか?」
「優良なもので、原石1トンから金が40グラムくらいですね。それくらい採れると、商売になるという感じですよ。もっとも、国内の精錬は九州でしか行われていないので、原石を採取しては苫小牧で船を一艘チャーターして、ピストンで苫小牧まで運び、そこから九州まで運んで商売にしていましたけどね」

「なるほどねえ」
「ところで、金は、最近は携帯電話などの精密機械に電気の伝導率が良いと言うことで随分使われているんです。携帯電話1トンから金がどれくらい採れると思いますか?」

「ううむ、原石の半分の20グラムくらいですか?」
「それがなんと、原石の10倍の400グラムも採れるんだそうです。ですからいまでは使い古しの携帯電話の争奪戦だそうですよ。時代も変わったものです」

 さて、ワインが金を生む錬金術は成功するでしょうか。これもまた面白そうです。

 ドライブの最後は、支笏湖と同じ水位の秘湯丸駒温泉でリラックスです。
 
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【番外編】「発信スキル」のご意見へのお答え

2006-11-23 22:32:10 | Weblog
 「発信するスキル」でこちらから問いかけをしたところ、日頃から意識の高い方からはいくつかの反応が返ってきました。

 コメントでお返しできる分量ではなかったので、本編にてお答えしたいと思います。ご意見ありがとうございました。長文ご容赦です。
 
【Hiroさんからのご意見について】
 「…しかし、何分浅学非才の身で質問の組み立てを考えている内に早々打ち切られたり、今日は良い質問を考えたぞと思えば質問の時間が取られなかったり、うまくいかないものです。最初の質問は中々出しにくいものでもありますので、主催者側は「やらせ」でなくて、一つ二つ口火を切る質問を頼んでおくと、そこを切り口に活発な意見交換が始まるケースが良くあります。参加者、主催者両方の立場で意識したいと思います」

 Hiroさん、ありがとうございます。一度や二度のすれ違いにめげず、その一瞬、一瞬が勝負だと思いましょう。

 主催者の側が誰か口火を切るサクラを用意するというのは今流行の「ヤラセ」とは意味が違って、聴衆に優しい現実的な良策だと思います。榛村さんが市長当時は、まず自分から率先して口火を切る質問をしていましたよね。あれこそが実践者としての姿であって、今の私にとってもお手本になっているのです。

 最初の質問をするのは恥ずかしい、ということですが、私は逆に、とにかくやり続けてみることで「あいつは一番に質問をする奴だ、と思われる」という型を作ってしまうのが良いと思っています。

 一番に手を挙げることを繰り返していれば、いつしか「ああ、またあいつか」と、思われるようになることでしょう。もっともそのデメリットは、どうしても手を挙げられずにいると「あれ?あいつは今日はどうしたんだ?」と思われることでしょうか。まあ、それくらいはご愛敬でしょうがね。


【yashiyashiさんからのご質問について】

************【yashiyashiさんからの質問】****************
こんばんは
小学校の3年生を担任しております。
子供たちには、いつも考えを持たないこと考えないことは恥ずかしいこと、そして伝えないことはとてももったいないと話しています。だから、自分のクラスでは手を挙げない子は一人もいません。時にはありますが・・・。

 というわけで自分も講演(人数が数百人いると尻込みしますがあまりにも目立つので恥ずかしさが・・・。)や授業を見させて頂いた時は、必ず礼儀として意見を述べさせていただきます。それがせめてもの礼儀だと考えます。

 子供にもそうしていますし、後輩にもそう伝えて話せ話せとせきたてます。だから自分もそうするのです。

 このような子供に育てているつもりですが将来どうなるかは未知数です。ただ、礼儀とか相手の気持ちとか考えることの大切さは学級経営の土台としてもっていますし、忘れることはありません。
 ただ、講演した後、質問がでないと寂しい限りですがそれを求めるとなるとまた違う気もするのです。

 子供たちにはそのように伝え自分もしますが、求める物ではない気がします。質問していただければさいわいですぐらいでしょうか。
 もう一つ言えることは、自分もそんな教育は受けていませんが、自分の学校で教えられました。ある先輩からです。大人になろうがなるまいがそういうことが大切であることを伝えていくことが必要なのだと思います。

 では、質問させていただきます。

 毎日のブログをこれだけの量、そして質を保ちながら続けていく秘訣をお聞かせ下さい。
 よろしくお願いします。

************【以上、yashiyashiさんからの質問】****************

 yashiyashiさん、今晩は。コメントご参加をありがとうございます。

 ご意見を読んでいて、yashiyashiさんの人生に立ち向かう姿、生き方のマインドはまさに私のものと同じだと感じました。良き先輩に恵まれて、そのよろしき薫陶を受け、自分のものとして実践し、それをご自身の学級経営の土台とされておられるご様子も立派です。
  
 こういう先生に日々見守られている子供達は幸せですね。今はその価値が本当には分かってはいないかも知れませんが。(苦笑) 
 さて、私が人生の師匠榛村さんから教わった大事なことの一つは、「大事なことは何回でも言うことだ」ということです。

 一度や二度言ったことがあるのでは不十分、「前にも言ったよね」は禁句、「まだ分からないのか」が当たり前、なのです。

 しかし「伝えたい大事なこと」も、同じ表現で言い続けると刺激も薄れますから、どうやって手を変え品を変えて、メッセージを発し続けるか、ということが重要なポイントです。

 間違うことが当たり前の子供達に、「間違うことは恥ではない。何度も間違うことでやっと間違えなくなるんだ。今の大人もみんなそうやって大きくなってきたんだ」と正直に言ってしまいましょう。
 そして、「そのかわり、いつかは同じ間違いをしなくなるようにならなくちゃな」です。

 さて、「ブログを高い質で続けられる秘訣を教えてください」という質問を受けましたが、大変核心を突いた質問です。

 答えのその1は、まず「続けることを覚悟すること」です。最初にこのようなブログ形式の情報発信を始めた時は、続けられるかどうかが分からなかったので、公表をせずに9ヶ月ほど書いてみる練習をしました。

 9ヶ月とにかく続けてみて、なんとか日々続けることだけはできそうだ、と確信できたときから公開をして、それ以来多少の空白はあるものの、続いています。続けるという覚悟が今は自分のなかにあるということでしょう。

 答えその2の「質と量」のうち、量は、多すぎると思っているのですが、「一行ごとに一行空ける」というパソコン画面ならではの書き方で読んでくれている皆さんに疲れを与えないように工夫しています。

 「質が高い」と評価してくださってありがとうございます。質の善し悪しは自分では分かりませんが、幸いにして、職業柄や自分の性格として人に会う機会が多いので、そこから自分の知らない実に多くの良い情報が得られます。

 ですからそんな良いお話しを自分だけのものにしておくのはもったいないことです。特に、良い話の中から、読んだ人が元気になって、心がふかふかに耕され、善の種が落ちた時にすぐに芽が出るようになってほしいと願っています。

 いつまでも読むに値すると思われるように祈りながらこれからも書き続けますよ。


【kawaさんからのご意見について】 

************【kawaさんからの意見】****************

 現在小学校5年生の担任をしている教員です。
 講演会後や授業を見させて頂いたあとに質問するということは、いろいろな面で大変意味のあることだと考えています。

 一つは、わからないことを教えて頂ける。
 二つは、それが他の人にとってもプラスになる。
 三つは、講演してくださった方へのお礼の気持ちを伝えられる。
 四つは、質問上手への道が開ける。
 まだまだありそうです。

 こんなにいいことばかりの「質問」なのに、参会者はどうして質問しないのでしょうか・・・。「日本人としての奥ゆかしさ」、質問の準備無く講演を聴く、「自分が質問しなくてもだれかがしてくれる」という責任逃れ、など理由はいろいろあると思いますが、私の頭をよぎるのは、「こんな質問したら、講師の先生、他の人がどう思うかな・・・」という「値踏みされることへの恐怖」です。

 「質問したい」「でもできない」「えーい、だめでもともと、質問だ!」そんな葛藤を繰り返しております。

************【以上、kawaさんからのご意見】****************

 kawaさん、ご意見をありがとうございます。

 私は人に会う機会が多いのですが、かつて大勢の人と会っている時に「きっとみんな僕の名前を覚えていなくて、思い出すのに苦労しているんだろうな」と分かっていながらどうすることもできずにいました。

 それがあるときに「もう自分がバカだと思われても良い」と覚悟をしました。そしてその時からひときわ大きな名札をつくり、人の集まる会合の時にはそれをつけることができるようになりました。

 それまでは恥ずかしかったのですが、知らない人に話しかけることも平気になりました。自分なりにさんざん悩んだ後の覚悟でしたから、なんとかやれています。
 
 最近、「武士道」という言葉をよく聞くようになりましたが、武士とは切腹することも含めて、武士として振る舞う覚悟のできた人種だと思うのです。

 現代社会に生きる私達に求められる振る舞いとはなにか、を考えて、自分の中で修練を積んで、その期待に少しでも応えられるように覚悟すること。 

 覚悟すること一つ取っても習練が必要で、ある日突然できるようになるなどということはないのだと思います。

 人生にはそうありたいと思わせる、見習うべきお手本が必要で、先生という存在は子供達にとって最も身近なお手本ですね。

 そんなメッセージを発し続けてくださいね。

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三省堂の由来

2006-11-22 23:42:23 | 古典から
 ついについに、夜から本格的な雪が降りました。明日からは天気が荒れ気味とのこと。注意しなくては。
 
【三省堂の由来】
 佐藤一斎先生の「言志後録」という本を読んでいたら、次の一節に出会いました。

 曾子の三省として、「曾子(そうし)は『論語』の学而篇に『我れ日に三たび、我が身を省みる』とて『人のために謀って忠ならざるか、朋友と交わって信ならざるか、伝えて習わざるか』とある」

 つまり、①人のために謀って、心底を尽くして残るところがないようにやれたかどうか、②また朋友と交わって、互いに相背くようなことがなかったかどうか、③そして師についてこれを自分に習い、自得する事が出来たかどうか、この三つを省みる、というのです。

  …と、この一節を目にして、「もしや?」と思い、本の販売や出版で有名な三省堂のホームページを見てみました。

 すると社名の由来として、「社名の「三省堂」は中国の古典『論語』の「学而篇」の一節「吾日三省吾身」(われ日にわが身を三省す)という言葉から採られたもので、「不忠、不信、不習について、日に幾度となくわが身を省みる」という意味です。『論語』の「三省」は「さんせい」と読みますが社名は1889(明治22)年までは「SANSHODO」と表記していました。1890(明治23)年以降は「SANSEIDO」と表記しています」と書かれていました。

 なるほど、三省堂という社名の由来はまさにそういうことだったのでした。また一つ思わぬところで良いことを知りました。

 しかし孔子先生、いつも省みておられる。

 我々凡人は、なかなかそこまでできないものですが、たまに振り返るだけでも得るところは多そうです。

 さて、我が身を振り返るとこの本を買ったのは三省堂ではなくて旭屋さんでした。うーむ、反省すべきか…
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