北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

「一人でできる?」と聞かれたけれどできなかった記憶

2024-11-22 22:45:35 | 介護の世界

 

 まだ3歳だった時に、長期出張中の父の宿泊所に私一人だけが連れられて行ったことを覚えています。

 はじめは父の職場にいたのですが、宿泊所に帰るときに父は「一人で帰れるかい?」と私に聞きました。

 たぶん私は「うん」と答えたのだと思いますが、そこで父と別れて私は一人で宿泊所に向かいました。

 後から母に聞かされたのは、「お父さんはたぶん麻雀に行ったんだよ」とのことでした。

 一方「帰れる」と言った私は、曲がるべき道を間違えて迷子になってしまいました。

 一人寂しく道路で泣いていると、それに気が付いた女性が家に招き入れてくれたようで、私は寂しいのも忘れてそのお家で遊んでいました。

 そこで父の名前を言ったのかどうか、どうしたのかは覚えていないのですが、やがて血相を変えた父が玄関を開けて、私は引き取られていったのでした。

 父から「一人で帰れるかい?」と訊かれたけれど結局できなかった私。

 まだ3歳の頃の苦い思い出です。


      ◆


 今日はその父の月に一度の通院日で、私は休暇を取って父に同行しドクターから父の診断書をもらうことにしていました。

 病院では毎回少し待たされた後に、腕に点滴の針を刺して袋2つをローラーのついた点滴スタンドに吊り下げ、さらに待たされたところでドクターの診察を受けます。

 父と一緒に診察に入れてもらって、父の問診を終えて血液検査結果を聞いたところでドクターは「ではお願いされていた診断書も出しておきますね」と言いました。

 そこで「ありがとうございます。それで、診断書の病名は何になるのでしょうか?」と訊くとドクターは、「まあ、脳血管性とアルツハイマーの混合型の認知症なのですが…」と言いましたが、後で受け取った診断書には「アルツハイマー型認知症」となっていました。

 診察を待つ間も、「こんだけ点滴の量があると、30分はかかるかなあ」という父に、「うーん、もっと2時間くらいかかると思うよ」「2時間か!じゃあお昼を過ぎちゃうなあ」という会話を5回くらい繰り返しました。

 なので診断書にも驚きはありません。まあそういうことで。


      ◆


 診察が終わっても、点滴が終わらなければ父は帰りの送迎バスに乗るわけにもいきません。

 その間に事務の方がやってきて、「小松さん、処方箋も出ていてお会計もできますけど」と言われたので、「じゃあ、僕が行きます」と私が父の代わりに会計を終えて処方箋を受け取りました。

 以前からここまでやれば用は足りて、後は父に任せれば薬をもらって帰りの送迎バスに乗り込んで家まで帰ってこられます。

 なので、私は一足先に母のいる実家に帰っていることにしました。

「処方箋はこのバッグに入れてあるからね。薬はもらって帰ってこられるよね?」

 父は一瞬ぽかんとしましたが、「ああ、うん」と言い、私はそこで父を病院において帰ってきました。

 実家では母を買い物に連れて行き、それが終わったところで私の家まで帰ってきました。


 すると家についてから1時間くらいしたところで母から電話がありました。

「お父さん、薬をもらわないで帰ってきちゃった。処方箋がバッグの中にあるの」

 (ああ、失敗した)と思いました。

 何のことはない、点滴を待っている間に私が薬を取りに行ってしまえばよかっただけのことで、父に任せなければ良かったのです。

「わかった、じゃあもう一度行くよ」

 結局、もう一度実家へ立ち寄って処方箋を預かって薬を受け取ってきました。

 これから先もこんなことがあるのかな、と思いながら、私には冒頭の昔迷子になった時の記憶がよみがえりました。

「一人で帰れるかい?」と訊かれてできなかった私。
 
 それが今は「薬をもらって帰れるかい?」と私に訊かれた父はもうそれをできなくなっていたのです。

 
 実家に薬を届けると、母は「ごめんねー、二度手間にさせちゃって」と言いますが、失敗したのは私です。「いや、僕が薬を取ってきちゃえばよかっただけさ、かえってすみません」

 今回はこんな失敗ですみましたが、さてさて次回の通院からはどうなることか。

 早く成年後見人の手続きを進めようと思います。

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成年後見人制度に挑戦するとしますか

2024-11-21 23:03:33 | 介護の世界

 

 今回稚内宗谷方面を訪ね歩いて、またまたいろいろな方と会って情報交換ができました。

 そんななか、ある建設会社の方が、「次の自分のテーマが『成年後見人』なんです」と教えてくれました。

 会社の中には自分よりも高齢で単身の職人さんがいて、将来なにかあったときの財産や事務処理などに後ろ盾となる人がいたほうが良いだろう、と思うことが多くなったのだそうです。

 そしてそうした後ろ盾となるのが成年後見制度です。

 成年後見制度のホームページを見てみると、制度の説明として下記のようなことが描かれています。

 ---【以下、「日本公証人連合会」ホームページより】--

 一般的に後見とは、保護を要する人の後ろ盾となって補佐することをいいますが、法律上の後見は、後見人に財産管理や日常取引の代理等を行ってもらうことによって、保護を必要とする人を守る制度をいいます。

   成年のための後見制度は、認知症、知的障害、精神障害等の理由で判断能力の不十分な方々を保護し、支援する制度です。判断能力の不十分な方々は、不動産の管理や預貯金の預入れ、払戻し等財産を管理したり、身の回りの世話のために介護保険を利用してのサービスや施設への入所に関する契約を結んだりすることが難しい場合が少なくありません。

 自分に不利益な契約であっても正しい判断ができずに契約を結んでしまい、悪徳商法の被害にあうおそれもあります。成年のための後見制度は、このように、認知症や精神障害等の理由で判断能力の不十分な方々を保護し、支援する制度です。 


  成年のための後見制度は、法定後見制度(成年後見制度)と任意後見制度の二つがあります。

   この法定後見制度は、裁判所の手続によって成年後見人等(成年後見人・保佐人・補助人)が選ばれ、後見が開始する制度で、判断能力の程度等本人の事情に応じて、「成年後見」(判断能力が欠けているのが通常の状態にある人を対象)、「保佐」(精神上の障害により、判断能力が不十分な人を対象)、「補助」(軽度の精神上の障害により、判断能力の不十分な人を対象)に分かれています。なお、成年後見人等は裁判所が選任するので、当事者の希望される方が選任されるとは限りません。

  これに対し、保護を必要とする人が、判断能力が十分なうちに、自分の意思(任意後見契約)によってあらかじめ後見人を選任するのが、任意後見制度です。

 ---【ここまで】---

 この方の話を聞いて、まさにそれは我が家でも同じ問題が起きるなあ、と思いました。

 私の父も軽度の認知症という診断がなされています。

 母がまだ元気で頭のしっかりしているので今は良いのですが、今後母に何かあったときに父が単独で何かを判断するということは時間が経てばたつほど難しくなってゆくと思われます。

 任意後見制度は、「委任者が自分の判断能力が十分なうちに、あらかじめ後見人となってくれる人(「任意後見受任者」といいます。)と任意後見契約を締結し、そこで選任しておいた任意後見人に、将来、自分が認知症や精神障害等で判断能力が不十分になったときに支援を受ける制度」とされています。

 そのため、父の判断能力が十分なうちに後見人を決めておいて、判断能力が落ちた時に効力を発揮するというものなので、まだ元気なうちに決めておかなくてはならないのです。

 任意後見人を決めるにも時間の限りがあるということです。


     ◆


 任意後見人となるのには特別な資格はいらないそうで、法律が任意後見人としてふさわしくないと定めている事由がない限り、成人であれば、誰でも、委任者本人の信頼できる人を任意後見人にすることができて、本人の子、兄弟姉妹、甥姪等の親族や知人でもかまわないとのこと。

 法律が「ふさわしくない」と定めているのは「破産した人とか行方不明者、本人と訴訟をしている…」などの要件で、一見、息子である私には当てはまらないと思われます。

 母や弟と相談したところ、「その方が良いね」ということになり、まずはどんな手続きになってゆくのかを公証役場に相談に行くことにしました。

 これもまた老いを迎えるための生涯学習の新しいテーマになりそうです。

 皆さんのご家庭は大丈夫でしょうか?

 ご両親の世話でできることに一つかもしれませんよ。

【成年後見人制度】 成年後見はやわかり|厚生労働省 
 

 

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デイサービスでの父の様子 ~ 今日は「介護の日」

2024-11-11 23:16:08 | 介護の世界

 今日11月11日は、1が4つ並ぶ日で「いい」という語呂合わせや数字の形から様々な記念日になっています。

 曰く、その形から「ポッキーの日」、「きりたんぽの日」、また語呂合わせから「いい獣医の日」や、十一の組み合わせで「鮭の日」などなど、ざっと数えただけで54もの記念日があるそうです。

 そんな記念日山盛りの日のなかでも私が注目するのは「介護の日」です。

 介護の日のキャッチコピーは、「いい日、いい日、毎日、あったか介護ありがとう」なんだそうで、11月11日が「いい日、いい日」の語呂合わせになっています。

 ただではこの日が介護とどのように関係するかというと、パブリックコメントで推す声が多かった、ということだったようで、2008年に制定されています。

 記念日の趣旨は、国民の一人一人が介護への理解を持ち、協力的な体制を築くことが重要なことから、人々が介護を正しく理解するための象徴的な日になる、ということ。

 厚生労働省では、この日の前後2週間の11月4日~11月17日を福祉人材確保重点実施期間と定め、各種の啓発活動や介護従事者を増やす取り組みにも注力しています。

 地方自治体でも様々な啓発の取り組みがなされているので、皆さんのお住いのところはいかがでしょうか。


      ◆


 さて、父がデイサービスに通い始めてからひと月が経ちました。

 施設に行くことに拒否感が出ないかと心配しましたがどうやらそれは杞憂に終わり、今では帰るなり「楽しかった」と言っているそうです。

 もっとも、週末に家を訪ねて父に「デイサービスは楽しかったんだって?」と訊いても、「うーん?」とそのことを思い出せないよう。

 短期記憶が難しくなっている現状では仕方ありません。

 しかしそれでもデイサービスの車が迎えに来る火曜と金曜日は「まだかな」と言って、楽しみでそわそわしているようですから良かったです。

 施設からは毎回、今日一日のことを記した紙がお便り帳として渡されてきます。

 それを見ると父がどんな様子だったかがわかり、スタッフの皆さんは見守りとお世話をしながらこういうことを利用者一人一人にサービス提供しているのだな、と頭が下がる思いです。

 こうやって見守りの目があれば、細かな変化も共有できて変化への対応もできることでしょう。

 
      ◆


 プログラムの合間には、小学校高学年程度のドリルをやっているそうです。

 漢字の書き取りや数字の計算、間違い探しなど、数種類のドリルですが、父はそういう面ではまだまだ立派なもので、子供の時に修得した学力は衰えていません。

 これもまた一人一人の現状の能力を見極める要素になっているのかもしれません。

 多くの人が介護で悩まなくて済むように、介護の制度やその実態がもっと広く知られるようになってほしいものです。

 

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歳をとる前に「老い」を学びましょう

2024-11-01 23:40:15 | 介護の世界

 もう1年以上前ですが、まだ50代の現役の後輩を訪ねて世間話をしていると、「父親が認知症で大変なのです」と教えてくれました。

 彼のお母さんはもう亡くなっていて、お父さんが一人暮らしなのですが、それでいてお父さんには認知症が進んでいるとのこと。

 彼は「だんだん記憶が乏しくなって判断も覚束なくなっていて、私が『こうしたら』とか『こうしなさい』と言っても聞かなくて、訪ねるたびに喧嘩になるんです。だからもう頭にきて父のところを訪ねるのをやめようかと思っています」と言います。

 一人暮らしの父とのコミュニケーションが取りにくくなっていて本人もどうして良いかわからない状態のようでした。

「それはお父さんが住んでいる自治体の地域包括センターに相談したの?」
「いいえ、それはなにか気が引けるというかそこまで考えていません」

「どうして?もう自分一人で世話ができなければ誰かほかの人か社会の制度に頼る方が良いでしょ?」

 しかし彼は「私自身、そのときにどうしたらよいかを考えたことがありませんでした」と、父親の世話や、もう介護レベルでの対応をどうしたらよいかが分かっていなかったのです。

 そうした高齢の両親・老人の世話のためにわが国では、介護保険制度を作って財源を確保し、介護施設などのシステムを作り、介護支援専門員(通称ケアマネ)などの人材育成をして、制度の周知を図っています。

 しかしそれにも関わらず、大学も出て仕事はちゃんとできる大人が、いざそういう事態に直面すると全く情報をもっていないことに気が付いて愕然として身動きが取れなくなるのです。

 彼には「とにかくお父さんの地元の地域包括センターに連絡をして介護認定してもらったうえで、必要なサービスを受けるように動いた方が良いよ」とアドバイスをしておいたところ、そのご連絡が来て「介護の担当者と連絡が取れて、なんとか良い方向に動き始めました」とのことでした。

 それなりに社会的な地位のある人でも、両親の老化や介護の問題となると、普段全く考えたことがないために、頭が真っ白になってしまうのかもしれません。

 彼の場合は独身ということもあって、相談できる人が身近にいなかったことで、事態の収拾が図れなかったということもあったのでしょう。

 親を持つ子供としてはまず恥ずかしがらずに役場に相談するというのが第一歩です。

 ただその先には、親御さん自身の問題として「施設利用なんて必要ない。恥ずかしいし、絶対に行かない」という拒否反応を示すこともあるでしょう。

 本当は早いうちから、老いて在宅での日常暮らしがむずかしくなったときはどうするか、ということについて親とコミュニケーションを取っておくことが大切なのです。

 90歳を超えるような我が家の場合には、もう「胃ろうも含めて延命措置はしない」というような意思の確認もしていますが、それもコミュニケーションの延長のなかで話せることです。

 お年寄りの中には、「一度施設利用を始めると、その先には施設利用の頻度を高めて、最後は施設に入れられる」という恐怖と拒否感を持つ人もいると聞きます。

 我が家は幸いにしてデイサービス利用をすんなりと始めてくれましたが、それも妹の死をきっかけにして、親自らが「そろそろそういうのを利用したほうが楽かね」という気分になってくれたからです。

 まず大切なことは、普段から親とコミュニケーションが取れる関係性をちゃんと保っておくことで、その先には自分以外の介護のプロも含めて、親の様子を見守る体制を作ることです。


         【created by copilot】

 
 私も介護初任者研修を受講して改めてわかったことが数多くありました。

 介護を取り巻く制度のこと、施設のこと、身体介護のやり方などは大いに参考になりましたが、一番感じたことは「老いる」ということに対する理解と心構えを持つことが大切だ、ということです。

 そしてそれはやはり自分の人生において一度しっかりと勉強をしておくべき社会テーマだ、ということです。

     ◆
 
 私たちは「社会人になって就職をして社会に貢献する」ために、小・中の義務教育と、高・大の高等教育という就学の時代を経て社会人になります。

 社会人になるにはこれだけの素養と教養を身に着けておくように、という社会の合意がそこにあります。

 しかし親が高齢者になるということ、そして自分も高齢者になるというに対しては、社会的合意としての学びの場はありません。

 それは一人ひとりに任されていて、もしかしたらそんな勉強をしなくても困ることのない人生があるかもしれませんが、一方で、不勉強なために途方に暮れてしまう人の方が多くいるのではないかと思います。

 老後についての勉強は「介護」について学ぶのが一番だと思います。

 介護初任者研修を受講すると120時間の座学が必要となるので、そこまでするつもりはないと言う方でもせめて本の1冊や2冊は読んでおくのが良いのではないでしょうか。

 老いは生涯学習のテーマの一つです。

 

 

 

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スムースな施設利用ができてよかった ~ 老親とデイサービス

2024-10-24 22:51:03 | 介護の世界

 

 老いた親に介護施設の利用を勧めた時に、「わたしはそんなところには行かない!」と言って拒否されることがあると聞きますが、今のところ私の両親に関してはうまくいっているようです。

 短期記憶がかなり怪しくなってきた父ですが、毎週火曜日と金曜日に送迎者が迎えに来てくれると、母に促されて車に乗り、デイサービスのプログラムをこなして帰ってくるとのこと。

 ただ、帰ってきた父に「どんなことをしたの?」と訊いても、「うーん…?」という感じで教えてもらえないことの方が多いのです。

 施設からはお便り帳でやりとりをしていて、そこには「今日はこういうプログラムをしました」という項目が書かれているのですが、父がそれを"しぶしぶ"やったのか、それとも"楽しそうに"こなしていたのかがよくわかりません。

 施設の方に連絡をしてみると、「そうですね、先日はカラオケがなかったのですが、室内でのプログラムをそれなりにやられていましたよ」とのこと。

 お風呂もちゃんと入ってきたので、施設利用を嫌がっているそぶりはなさそうです。

 母によると、「お父さんの施設が家からすぐそこなもんだから、送迎の車に乗ったらすぐに降りるんだよ。お父さんはそれを『乗ったらすぐ降りるんだ』と言って笑っているから、まあたのしんじゃないかな」という見立て。

 家では得られないような刺激を受けて、少しでも変化があると良いのですが。


      ◆


 母の方も週一度半日のコースながら、91になってなお筋力アップをめざして自転車を漕いでいるとのこと。

「この間は10分間漕いで、太ももがパンパンだ」と言いながらもそれはそれで楽しそうに参加しているようです。


 先日は二人を担当するケアマネさんとの月に一度の面談ということで私も加わらせてもらった中で情報を共有しました。

 ケアマネさんは、施設利用の感想を聞き取ったりしながら様子を確認しています。

 先日付き添った父の病院での出来事を伝えると、「薬が少し減ったんですね~。これからも何か変化があったら教えてください」と情報収集に余念がありません。

 そのうえ今回は、「ちょっとお二人がどこで生まれてどこで過ごされてきたかの歴史について参考までに教えてください」と言って、二人の略歴を聞き取ってゆきました。

 二人を見守る中で、そういう過去の歴史が何かに作用していることもあるのかもしれません。


       ◆


 私の方は父の短期記憶が持つ時間がかなり短くなっているのが気になっていて、「今は要介護1ですが、介護度が進んでいるのじゃないか、と心配です」と聞いてみました。

 するとケアマネさんは、「いえいえ、全然穏やかなものですよ。認知症の要介護2とか3になると、もう言葉も『あー』とか『うー』としか言えなくなりますし、排便にもトラブルが出てくる感じです。なので、今はまだ大丈夫ですから」と教えてくれました。

 たくさんのそうしたお年寄りを見ているであろう方だけに、ちょっと背中が寒くなりました。

 次回の打ち合わせも、父と母が通院してお医者さんに健康状態が見てもらった後で行うことになりました。

 やはり介護のプロに加わってもらうと心強い限り。

 こういう安寧の日が続くことを祈るばかりです。

 

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「連れは同級生ですよ」 ~ 看護師さんが驚いたわけ

2024-10-11 22:49:26 | 介護の世界

 

 今日は父が月に一度の病院診療日。

 

 休暇を取って朝から父の診察の付き添いをしてきました。

 

 父は病院の車で送迎をしてもらって診察を受けています。

 

 ドクターと診断結果ややり取りをしているのかもしれませんが、家に帰ってくると病院でどんな話をしたかを覚えていないので診断の細かい情報が分かりません。

 

 そのためたまに私が付き添って、ドクターに最近の父の様子を伝え、診断結果は私が聴くということをしています。

 

 特に今回は、「最近デイサービス施設へ通うようになった」ということと、「血液検査や認知検査の結果のコピーを欲しい」ということ、そして「ちょっと飲み薬が多いので、何か減らせるものがあれば減らしてほしい」という三つの点をドクターと確認したかったのです。

 

 病院へ着くと、少し待たされたところで父は採決と点滴の処置を受けるのに採血室へ案内されてゆきました。

 

 少しするとその部屋から看護師さんが私の元へやってきました。

 

「お父様に、『今日一緒に来られた方はどなたですか?』と世間話をしたら、『いやあ同級生ですよ』と言うのでびっくりしました。息子さんですよね?」

 

 病院へついて隣に座っている間は息子と思われていると思っていたのですが、採血室ではいつのまにか「同級生」になっていたようです。

 

「こういう感じはいつごろからですか?」

「そうですね。半年ほど前から短期記憶が弱ってきていると感じましたが、特にこの3か月は急速に短期記憶の力が衰えていると思います。先月妹が亡くなったのですが、彼女の名前も亡くなったことも覚えていませんし、日常生活では昨日あったことも、午前の事を午後になるともう覚えていません」

 

「ほかに日常生活に異常なことはありますか?怒り出すとか徘徊とか…」

「何かが無くなったと言って怒ることも徘徊もありません。食事もトイレも入浴もできます。日常は穏やかで何事にも感謝することが多くてその点は助かっています」

 

 看護師さんは父の日常の様子を聞きとってから、連絡先として私と母の電話番号をメモしてゆきました。

 

 言っていることの突拍子のなさにさすがに驚いたようです。

 

 

      ◆

 

 

 腕に点滴の処置をして点滴ハンガーに点滴袋をぶら下げた父が町挨拶の席に戻ってきました。

 

 特段何も言うわけではありませんが、会話がやたら丁寧言葉で、見ず知らずの人と話しているようなのは「同級生」と思っているのかもしれません。

 

 

      ◆

 

 

 いよいよドクターに呼び込まれて、私も父と一緒に診察室に入れてもらいました。

 

「特に最近の短期記憶の衰えが激しいと感じています。またデイサービスに通い始めたことで健康状態をケアマネさんなどと共有したいので検査結果のコピーをいただきたいこと、そしてちょっと飲み薬が多いようなので減らせるものがあれば減らしていただきたいのですが」

 

 そんな話をドクターにしました。

 

 ドクターからは「今年の8月に認知機能検査をしたのですが、昨年が24点で今年が20点とやはり数字が低下しています。 脳のMRIを撮りましたが、記憶をつかさどる海馬が小さくなっていて、アルツハイマー型認知症が進んでいることが伺えます」との診たてが示されました。

 

「今は認知症の進行を抑えるために貼り薬をつかってもらっていますが、成分の量を増やして様子を見ましょう。ただ、ほかの内臓数値がよくないところがあるので、薬を減らせるのは…2種類ですかね。これは今後は出さずに様子を見てみましょう」

 

 やはり認知症が進行していることをドクターも感じていたようですが、なにしろその認知症の患者が一人で来るので他に誰にも説明のしようがなかったようです。

 

 今回は私と母の電話番号を登録したので、今後何かあれば連絡がもらえると思います。

 

 人によっては「息子である自分のこともわからなくなってしまったとは…」と嘆き悲しむ人もいるかもしれませんが、そこに感情を出してもあまり建設的ではありません。

 

 認知症とはそういうものだ、と思って、そのうえで日常生活に支障を及ぼさないようにするためにはどうするか、誰に助けてもらうか、を考える方がずっと建設的です。

 

 感情はあまり出さずにおきましょう。

 

 

       ◆

 

 

 私は用事があって、会計と薬をもらう父を残して一旦母のいる実家へ戻ってきました。

 

 そこで「僕のことを同級生と言ったそうだよ」というと母は「うーん、相当だね」とちょっと困り顔。

 

 私からは「認知症と言うのはそういうことだから、何かを覚えていないとかできないとか、そういうことで叱らないようにね。言い聞かせてももうできるようにはならないと覚悟することが大事だと思うよ」と母に言って家を離れました。

 

 

 その後夕方に母に電話をして、「ドクターに頼んであった検査結果のコピーは父さん、ちゃんともらってきたかい?」と訊くと、「うん、持ってきたよ」とのこと。

 

 そのうえで母は、「お父さんに、今日誰と病院へ行ったの?って訊いてみたんだよね。そうしたら『正明だ、良い息子だ』って言っていたよ。そこは思い出せたのかね」とのこと。

 

「なるほど、まだら模様の記憶力だね。でもこれからは今日みたいなことが増えるけど『仕方がない』と思うようにしてよ」

 

 

 認知症の人を相手にすると接する時間の長い母などはイライラするようです。

 

 しかし本人はわざとやっているわけではなく、精いっぱいの事をしてその状態なので、叱り飛ばしたり文句を言ってはいけません。

 

 あくまでもそれで弊害ができるだけでないように言葉を工夫するとか、そうでない場合は受け入れるしかないのです。

 

 一瞬、同級生になった私ですがまた息子に戻ることができました。

 

 これが25年後の自分の姿なのかもしれません。

 
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できることはやってもらう ~ 冷たいようで冷たくない見守り

2024-10-09 21:16:22 | 介護の世界

 

 91歳になる母親は94歳の父と夫唱婦随でいまでも一軒家で暮らしてくれています。

 父は短期記憶が相当に怪しくなっていて昨日のことはおろか、数時間前に食べたものも思い出せないような状況です。

 それでも杖なしで歩くことができ、食事もトイレも介助なしで自分でできます。

 またデイサービス施設で入浴サービスを受けた時も、施設の担当者が見守ってくださっていた時には浴槽をまたぐことも問題なく、頭と背中を洗ってあげるだけでそれ以上の介助はなかったとのこと。

「ちなみに自分の服は分かるんですか?」と訊いてみたところ「いえ、それは担当者が『お着替えはこれですよ』と教えてあげますね」とのこと。

 父はデイサービスの施設で、「子供が3人います」と言っていたそうですが、妹の名前も先日亡くなったことも覚えていなかったそうです。

 それはそれで父なりの幸せなのでしょう。


      ◆


 一方母の方は、腰が曲がってしまっているものの時間をカートを押しながらかければ歩ける、と頑張っています。

 先日は私の買い物サポートに頼らずに一人で数百メートル先の食品スーパーまでカートを押して出かけたのだそう。

 ところがスーパーの中で携帯に電話が来て会話を終えた後で買い物を続け家に帰ってきたところ、その携帯電話を見失ってしまったのだそう。

(スーパーのどこかで落としたかしら)とまた父を連れてスーパーに戻り、サービスカウンターに届いてないかと思いきやそれもなし。

「電話をかけてみてはいかがですか」と言われて、お店の方に自分の携帯にかけてもらったところ、持参していた普段は携帯を入れない別の買い物袋の底に入っていたのだそう。

「焦って、もうどきどきだったわ」と言いながら、買い物に出かけることはあきらめません。

 私が車でスーパーまで連れて行けば、あとは店のカートを押しながら店内を歩くことはできるので、そこで商品を選んで欲しいものを買う、というのは母にとってはルーチンでありながら楽しみでもあるのでしょう。

 だから買い物の最中は、「高いところのあれを取って」と言われたりしない限りは一切余計な声をかけないようにしています。


        ◆


 「介護の三原則」というのがあります。それは
① 生活維持の原則
② 自己決定の原則
③ 残存能力活用の原則  …の三つと言われています。

 ①の生活維持の原則とは、高齢者にもできるだけこれまで通りの日常生活を送ってもらうべきという考え方です。

 日常の環境をできるだけ変えないように心がけたいところです。

 ②の自己決定の原則とは、あくまでも生き方や暮らし方は本人がきめるべきだ、という考え方です。

 本人たちの意思を尊重せずに勝手に「こうしたから」と決めてはいけないということです。

 ③の残存能力活用の原則とは、本人たちができることはなるべく自分自身でやってもらうようにするという考え方です。

「〇〇をして」と言われない限り、先を見越してやってあげるべきではありません。

 それで時間がかかったり非効率だとおもったりしても、それを自分自身で一生懸命にやることが意欲と能力の継続に繋がります。

 なので、母の買い物は本人がやりたくてやれる範囲でやっていることなので、サポートをしつつ余計なことはしない、というスタンスで臨んでいます。

 まして、「早くして」とか「こんなの買うの?」などと言うこともなく淡々と見守ることが一番です。

 私は買い物の最中に「これ買ってちょうだい」と果物などをおねだりすることもあるのですが、そういうサポートとして付き合ってあげているという貸し借りの帳消しみたいなこともあってよいと思っています。

 とにかく老いたる両親の日常をできるだけ長くぎりぎりまで続けるということを目標にしています。

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デイサービス施設との契約手続き ~ 何枚書類を書くの?

2024-10-08 22:09:54 | 介護の世界

 

 高齢の両親に在宅での暮らしを維持するために、日常にやれなくなったことをサポートしてもらうためのデイサービス利用を進めてから一か月。

 この間家事を一手に担っている母は、「お父さんがシャワーの使い方が分からなくなっているのでお風呂で頭と背中を洗っている」という入浴サポートの苦労を述べ、自分自身は「筋力をもう少しつけたいんだけど」と、自身の体力の維持に不安がありました。

 そこで両親の住む自治体の包括支援センターで両親の担当をしてくれているケアマネさんに相談したところ、要介護1の父には『入浴ができるデイサービス』の施設利用を勧め、また要支援1の母には『リハビリ特化型のデイサービス』利用を勧めてくれました。

 それぞれ体験利用をさせてもらって、父は最初に行った施設が気に入ってそこに、また母も一度利用してみたところが楽しかったとのことで、それぞれ利用する施設を決めました。

 そこで先日、ケアマネさんとそれぞれの施設の担当者が両親を訪れてくれて、私も立ち会った中で施設利用の契約を結ぶこととなりました。

 
 まずはケアマネさんの前で、施設の担当者が両親それぞれのお試し利用の際の状況を報告。

 父については、「お父様は施設についた後も杖がなくてもすたすた歩かれて、入浴の浴槽をまたぐのも問題なし。ちょっと『財布がない』と動揺されてお母様に電話しましたが、『持たせていない』とのことで本人納得でした。
 歌のレクリエーションに参加されて、歌うのが好きそうでしたがカラオケの順番が来ても『何を歌いたいかわからなくなった』とのことで、ちょっと残念そうでした」と報告がありました。

 すると母が、「地区のカラオケでは歌いたい曲のカードを持っていくんですよ。今度はそれを持っていくと良いと思います」と、普段庁内のカラオケ会に参加するときのカードを見せてくれました。

「これなら次回からは歌いたい曲が歌えますよ」と施設の担当者も安心した様子。

 こういう情報を共有しておくことでより満足度の高いサービスが受けられるというものです。


      ◆


 母については、「お母様の方は体操のプログラムを難なくこなして、『そろそろちょっとお疲れならやすみましょう』と言ったのですが、『いやそれもやりたい』とのことで、タオル体操などもこなして9時25分から11時15分まで訓練メニューに汗を流されました。
 最後の方でバイクに乗るメニューがあって、初めてで疲れたろうと通常は10分のメニューですが、お母様には5分のメニューでやっていただきました」と報告。

 すると母は、「あのバイクですけど、次からは10分やらせてください。ちょっと物足りなかったので」と意欲が増しています。

 施設を利用して回りの友達からは「筋肉痛になるんだよ」と言われて、確かに「二日後に痛みが来て湿布を貼りました(笑)」とのこと。

 そうした施設利用状況の情報を全員で共有したうえで、こちらの施設にお世話になるという契約書を交わします。

 ところがこれがまあ書類の量が半端ではありません。

 契約書に加えて利用料の引き落としの銀行口座も登録するので、住所と名前を書き込むのが全部で7~8か所の欄になり、印鑑が必要なところは押印をします。

 挙句にものによっては「ご家族欄には息子さんにお願いできますか」と私も何か所も住所と名前を書き込みます

「こんなに住所と名前を書き込まないといけないのですか」 
「ええ、そうなんです。一か所の書き込めば全部用が足りるようにしてくれるとありがたいんですが、今の制度はそうなっていないので…」

 担当者も申し訳なさそうにしていて、まだ母の様に頭もしっかりしていれば良いですが、独居で高齢の方となるとこれを説明して納得してもらって住所と名前を書き込み、契約書と銀行契約を印鑑付きでやるとなるとかなりの苦労とお見受けしました。

 全部でまるまる2時間はかかった契約手続き。

 いつかはやらなくてはいけない手続きなのでとにかく勢いでやってしまえて良かったです。

 施設やケアマネさんによる見守りは、人生の最終盤を迎えるためには必要な関わりになってくることでしょう。


       ◆


 多少のお金はかかったとしても、お金の問題ではなくこうしたサービス利用に踏み出してもらうことがとても大切です。

 もしも「自分はまだ大丈夫だから施設なんか一切利用していない」と豪語されているご両親だとしたら逆にいざというときに危ないと思うべきなのかもしれません。

 歳相応の振舞いとはなにかを考えるきっかけになりました。

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父の二つ目のデイサービスはミスマッチだったようです

2024-10-04 21:54:49 | 介護の世界

 

 今日は父が二つ目のデイサービス施設を体験利用した日でした。 

 今度の施設は一軒家を改造したくらいの小規模なデイサービス施設ですが、割とショートステイで宿泊がしやすいとのこと。

 ケアマネさんからは「お母様に何かあったときにお父様が宿泊サービスを受けたい、ということであればこちらを利用するのも一つの手だと思います」と提案された施設でした。

 母は「ちょっと狭そうなんだよね」とあまり乗り気ではなかったのですが、「まあ父さんがどう思うかだし、ショートステイ狙いでまあ体験はしておくといいのじゃないの?」と私の方が強く体験する事を勧めたものです。

 
     ◆


 夕方になって母から電話がありました。

「で、父さんはどうだった?」

 すると母はちょっと暗い感じで「なんか『面白くなかった』って言うんだよ。それにお風呂も入ってこなかった」

「ええ? それはよほどのことだね」
「うん、ケアマネさんからそっちに電話がいったかい?」

「あ、充電中で取れなかったかもしれない」
「そう、こっちにケアマネさんから電話が来たんだよ。ケアマネさんも心配で利用状況を見に行ったんだって、そうしたら施設は小さいし、お父さんも『お昼ご飯が少なかった』と言うし、全然楽しそうじゃなかったんだって」

「あらら、そう?」
「後からパンフレットを見たんだけど、なんか女の人向きのプログラムばっかりなんだよ。掃除をしたり体操をしたり料理をしたりするんだけど、それってお父さんは普段しないしさ。 送り迎えをしてくれたのがすごく若くてかわいい女の子だったんだけど、送ってくれた時に『今日はパンを作ったんですよー』って言ってさ。それって全然お父さんには合わないよね」

「そうかー、いやー、じゃあだめだね」
「うん、ケアマネさんも『こちらはよしましょう。前回の方がカラオケもあって楽しそうでしたから』って言うしさ。だから来週契約するけど、お父さんは近くのカラオケのある所で週に2日にしようと思うよ」

 
 父は認知症が進んでいるとはいえ、その瞬間が楽しいか楽しくないかという感情はあるので、さすがに今日の施設では全く楽しめなかったようです。

 でもそれも使ってみて初めて分かったこと。

 提案したケアマネさん自身も「こちらはまだ新しい施設なので私もあまりよく分かっていなくてすみません」と恐縮していました。

 一言で「デイサービス施設」と言っても、数はあるしそれぞれに推しのポイントや得手不得手もあるのですね。

 やはりより多く質の高い情報を得るためにも、専門家の知恵を大いに借りながら自分に合うものを探してゆくしかないようです。

 マッチングの難しさを知った一週間でもありました。

 来週からは落ち着いた利用でできると良いのですが。

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両親の初めてのデイサービス利用

2024-10-02 23:22:19 | 介護の世界

 

 両親の介護支援の続き。

 昨日は94歳の父が入浴つきのデイサービスを体験利用して、今日は91歳の母がリハビリ系のデイサービスを体験利用しました。

 母の方は「いいわー、これからも毎週行きたいよ」ということで、他の施設を利用してみるまでもなく、今日行ってきた施設にいくことにしたようです。

 母は性格が社交的なので、すぐに他の利用者たちとも打ち解けられるところがあります。

 リハビリ系の施設で弱っている体を動かしたり外の人と話をすることでストレス解消になるということもあるのでしょう。


 一方母に施設を利用して帰ってきた父の様子を聞くと、「うーん、どうなんだろね。『どうだった?』と訊いても『なんもだー』っていう返事だからね。カラオケって聞いていたけど歌ったんだかどうだかねえ」と父から詳しい話はあまり聞けなかったようです。

「ただね、ケアマネさんから連絡があって、『いざというときに宿泊できるショートステイサービスが受けられる施設は昨日とは違うところで、そこのデイサービスを契約しないといけない』って言うんだよ。それも場所がちょっと遠いところみたいで、どうする?」

 母は、ショートステイのできる別な施設の利用をためらっているようです。

 しかし私としては、「それはとにかく使ってみて、気に入るかいらないかをそれれから決めればよいのじゃないの? 体験できるんだったらいろいろな違いも分かるしね。 それにお父さんだったら使った感じもあまり覚えていないんじゃないかな?」とアドバイス。

 まずはいろいろな可能性を広げておいて、それから絞り込めばよいのではないかと思い、二つ目の施設も体験させてもらう事を勧め、母も「そうだね」と納得してくれました。


      ◆


 そんなやり取りの後にケアマネさんから私の携帯に電話が来ました。

「お父様とお母様の利用した施設に聞き取りを行ったのでご報告しておきたいと思います」とのことで、気遣いに感謝です。

「まず昨日のお父様ですが、お風呂もちゃんと利用されてカラオケも楽しまれて、『もう一曲歌いたい』と随分喜ばれていたと聞きました」
「えー?そうなんですか?母は『お父さんは何も言わなかったんだよね』と言っていましたが、すぐに忘れたのかもしれませんね」

「そうですか。ただ、施設から帰られるときに『財布を忘れた』と言い出して、周りも探したのですが見つからずお母様にお電話した、ということがあったようです」
「あ、母から聞いています。父は『お金を払わないといけないと思ったんだって』とのことらしく、母から『財布は持たせていませんので』と伝えてそれでOKだったようです」

 どうやらそんな記憶にまつわるちょっとした出来事があったようですが、全体には施設利用は楽しんでいたようです。

 一方で、ショートステイのためには別な施設も利用する必要がある、というお話がありました。

「母から、ショートステイのためには別な施設の利用を勧められた、と聞きましたが」
「それなんですが、ご提案したのは小規模なのですが割と新しい施設でまだ契約者が少なく、それなら何かあっても宿泊できる枠が確保できそうなところなんです。
 お母様の方から、『何かあればすぐに宿泊できるところ』とのご要望だったので、それならそこを普段利用しておけばお父様の様子もわかりつつ宿泊もできることになるので、そちらをご紹介した次第です」

 私の方も「お申し出を理解しました。母には『まずは使ってみて、可能性を広げておく方がいいと思うよ』と伝えてある程度納得してくれたようです」と伝えました。


 まずは初めての施設利用は大きなトラブルもなく、始められたようです。

 施設を利用することで、父と母の普段の様子を外部の方の目で見てもらっているということが重要だと思います。

 ケアマネさんも施設からの報告をきっちり受けているようで、こうして複数の目で見ていることで、何かあった時でも対処方針が立てやすくなることでしょう。

 日常に少しずつ新しい変化を加えてゆきましょう。

 

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