かなり長い間、「です・ます」調で書き続けていたのを「だ・である」調に変えてみているのだ。
「です・ます」調の良さは、文章が優しい感じになって読みやすいということがあるのだけれど、書き手にとっては制約がある。
それは文末が「です」にしても「ます」にしても「…す」で終わるために一本調子になりやすいことだ。
読んでいて「…です」で終わるような単調な文章の連続は幼稚な印象を与え、いささか品が足りない。
そこでそれを避ける工夫としては、名詞で文章を終える「体言止め」を挿入したり、会話のセリフを入れるようにして、特に文末に変化を与えるように努めていたのである。
それに比べると、「だ・である」調の方が文末に変化を与えやすく、読みやすさに苦労するよりは内容にエネルギーを注ぐことができる。
リズムも良くなるような気がしているので、少しの間この文体を試してみたいと思っている。
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さて、ブログを書き始めた最初の数か月に苦しんだのは「どんなテーマで書くか」ということが大きいが、もう一つ悩ましかったのはこの文体というやつだった。
多分皆さんもブログを初めてみれば気がつくと思うが、ある程度の自分の型ができるまでは、テーマと文体は同じくらい苦しむ二大要素のはずだ。
テーマの方は私の場合、日常の中に見出せるキラリと光る砂金のような希望の種だとか、自分自身が知らなくて「へぇ~」と思うことで自分自身も成長した記録になるようなことに置いている。
またできるだけ批判的でネガティブなことは書かずにおこうと決めている。
その理由はそんな文章は読んでいても自分のプラスのエネルギーが消耗するだけのような気がするからだ。
ブログを読んでくださる方からは「いつも楽しそうですよね」と言われることがあるが、読んで楽しくなるような種を明るくなるように書こうと心がけているので、そう感じていただいたとすれば本望というものだ。
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さて文体だが、長い間単調になりやすさを感じていたものの、慣れ親しんだ文体を変えるのが面倒なのか、怖いのか、不安なのか、いずれにしても変えなくてはいけない積極的な理由がみつからなかった。
すっかり自分の型ができたように思っていたのだが、ある方の文章に触れたことでもっと表現の可能性が広がるような書き方にも挑戦してみるべきだと気がついた。
そう思うと、「自分の型」などというものは単に昨日の自分に安住しているだけの楽な道を歩んでいるように思えてきた。
そこでこの際、文体を少し変えてみることを試してみることにした。
ただそれだけのことなのだが、ポイントは昨日の自分との決別を恐れないようにしよう、という生き方の問題だ。
人間は新陳代謝を繰り返している。
今日の自分は昨日の自分とは違うはずだ。
昨日の自分に追いつかれないように逃げまくってやろうではないか。
【おまけ】
あと、読みやすい文章を書こうと思ったら、できるだけ短い文章にすることがコツだ。
文の途中で「、また…」などと接続詞でつながりそうだったら切ってしまって二つの文にした方が良い。
私がお手本にしているのは『ローマ人の物語』を書かれた、女性作家の塩野七生さんの文章。
彼女の文章は読んでいて本当にリズミカルで心地良いのだが、その理由はポンポンと打ち出すような短い文章だからだと気ついたのは幸運だった。
長くて難しい文章を書くことが物書きだと思っていた先入観を打ち砕いてくれたからだ。
どうぞお試しあれ。