北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

ししゃもを三枚に下ろす

2012-02-29 23:45:13 | Weblog
 釧路根室地域工業技術センターで会議があって出席しました。

 会議の後で、「小松さん、先日新聞でも紹介されましたが、シシャモを三枚に下ろす機会の試作機ができたので見ていってください」と言われて見てきました。



これまでもサンマなどの中型の魚を三枚に下ろす機械はありましたが、シシャモのような小型の魚用の機械はありませんでした。


 機械は、高さ130センチくらいの高さで、ベルトが動いていて丸い刃が高速で回転しています。



 ベルトの間にシシャモを挟んで刃に送り込み、そこで切るのですが三枚に下ろすためのキモとなる工夫は、刃が2.5ミリほど離れた二枚刃であること。

 ここに頭を落としたシシャモを入れると、見事に右と左の実が分かれて、真ん中の背骨の部分だけは下に落ちてゆくという仕掛けです。




 扱いやすいのは体の大きいオスのシシャモで、メスは体が小さいのと卵を抱いている分上手く切りにくいのだそうです。

 実はシシャモの単価はオスの方が安いために、こうして三枚におろすという付加価値を上手に商品づくりに結び付けたいところ。

 例えば、丁寧な料理人はししゃもの三枚おろしの握り寿司を作ってくれますが、こんな機械があれば回転寿司でも格安でシシャモのお寿司が食べられるようになるかもしれません。

 今までのシシャモと言えば、丸ごと干して焼いて食べるかマリネくらいしか食べ方がありませんでしたが、このような形になるとぐっと可能性が広がります。

 技術は付加価値を作り出せるのです。

 
    ※     ※     ※     ※     ※


 関係者一同が機械を見学して驚嘆していた時に、一人が笑いながら言いました。

「でも三枚にして骨をはずしたらカルシウムは捨てちゃうんだな」
 
 ははあ、なるほど。でもそれならば残った骨は捨ててしまわずに、カルシウムたっぷりのおつまみくらいにはなるかも知れません。

 一次産業には知恵で付加価値をつける工夫の余地が多いことを有効に活用したいものですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鯨とイルカの文化政治学【本の感想】

2012-02-28 23:45:45 | 本の感想



 ちょいと固い話になりますが、「鯨とイルカの文化政治学」(三浦淳著 洋泉社)を読みました。

 以前東京晴海にある日本鯨類研究所(通称「鯨研」)へ挨拶に行った際に、南氷洋で捕鯨調査船に妨害を繰り返すシーシェパードのことが話題となり、その際に、「何か参考になる書物はありますか?」と尋ねたところ返ってきた答えが、「それなら三浦淳さんの『鯨と…』が良いですよ」と教えられ、購入しておいたのです。

 著者の三浦淳さんはドイツ文学を専攻された新潟大学教授という肩書き。やや異色の立場ですが、「反日本人論」という本を著したアメリカ人、ロビン・ギル氏に「面白いが、反捕鯨に関する記述には納得しかねる」という手紙を出したことで、数度のやりとりがあったことが鯨と関わるようになったきっかけだったと書いています。

 その上で、興味を持って捕鯨と反捕鯨の主張に関して勉強を進めるうちに、いろいろな現実が見えてきたと言います。


    ※     ※     ※     ※     ※


 著書の中では、1986年に「中央公論」誌上で行われた、小松錬平とロビン・ギルとの間での論争について触れていますが、この1986年時点で、とりあえず双方が認識を同じくしている点は、

 ①捕鯨モラトリアム(暫定的中断)がIWC(国際捕鯨委員会)で決議されたのは、英米の政治工作のせいであること。
 ②捕鯨モラトリアムをしなくてはならないほど、に全ての鯨種が減っているわけではないこと。

 しかし、その他の論点では意見はかみ合いません。

 ③反捕鯨は日本に対する人種差別ではないか、という点。

 ④他国の食文化と生態系の問題。

 ⑤クジラは知能が高いから殺すべきではない、という主張、などなど。
  

    ※     ※     ※     ※     ※


 著者は、欧米で捕鯨反対運動が始まった頃の事情として、アメリカがベトナム戦争への避難の矛先を変えるために捕鯨反対を持ち出したと解き明かします。

 それは科学的なアプローチによる特定の種類の鯨の減少という事実ではありません。

 なぜならIWCに対して捕鯨モラトリアムが訴えられた時に、IWCではそれを科学小委員会に諮るルールとなっていて、「その必要がある鯨種についてはすでに対策が取られている」として、小委員会では却下されています。

 それを敢えて総会で押し通したことは既に科学的な態度ではなく、この決定に対してはFAO(国連食糧機構)も批判をしていると言います。

 その後IWCには、米英の政治的工作により捕鯨をしない国が加盟国として加わり、捕鯨反対の票を投じてIWCの決定を左右しています。

 反捕鯨団体の主張は、全ての鯨は減っているという調査による現実とは異なる非科学的な主張であり、それが通じないと見るや、「クジラはコミュニケーションが図れる可能性のあるくらい、高度な頭脳を持った生物であり、従って殺すべきではない」という、ほぼ信仰に近い言説に依っています。

 現代の研究によれば、クジラの知能は牛くらいではないか、というのが定説のようで、それを神格化して大衆を扇動するのは、もはや科学とは言えない世界での力学です。


    ※     ※     ※     ※     ※


 著者は、元ワシントン条約事務局長で現在は国際野生生物管理連盟(IWMC)会長であるユージン・ラポワント氏の言葉を借りて、「欧米が捕鯨に反対するのは植民地時代への贖罪なのではないか」と言います。

 かつて欧米諸国の植民地になったことのないノルウェーや日本の捕鯨に対しては反対をし、植民地となった後の先住民族であるイヌイットやアボリジニーがいて、彼らの捕鯨に対しては何も言わないという事実から見えることは、植民地となった先住民族に対しては贖罪の念があり、そうではないところと差別を同じこと。

 ラポワントはそれを「価値観の植民地化が進んでいる」と看破していて、警鐘を鳴らしています。

 しかしこうした現実政治の前に、どちらかというと日本政府は力が弱く、じりじりと後退しているように見え、反転攻勢をかけるような大きな戦略は描けていないように見えることは残念です。


    ※     ※     ※     ※     ※


 日本国内にも、反日的な言説に基づいた捕鯨反対論を掲げる論者は多い、と著者は指摘しています。

 もはや捕鯨問題は化学から政治へと舞台を移しており、そうであるからこそ、我々は日本人として、ナショナリズムの発動としてではなく、事実と歴史をしっかりと学んだうえで、自分たちの文化は自分たちが守るという国際間の付き合い方の常識を主張してゆくしかないように思われます。

 経済が弱くとも国は滅びませんが、歴史を学ばない国は滅ぶ。

 その恐怖が頭をよぎります。 

  
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

当たり前のレベルを上げましょう

2012-02-27 23:45:32 | Weblog



 釧路の代表的な市場である和商市場で、売り上げを伸ばすための講習が行われていたのですが、今日はその成果の発表会がありました。

 乾物や海産物、野菜などを売っているお店が、商品の並べ方に工夫をしたり、商品を紹介するポップに工夫をしたことでどんな効果が表れたかを紹介しあって、互いに研鑽をつもうというのです。

 中には中国語で紹介のポップを作ってみたり、釧路で売り出し中の夕焼けをあしらった紹介パンフを作ってみたり、「オスとメスのどちらが美味しいか?」というクイズを作って、お客さんとの会話のきっかけを作ろうとか、様々な工夫があるものです。


  【中国語のポップだ!】


 総じて、まだまだ数字には表れないものの、「お客さんが足を止める時間が長くなった」とか、「会話をしてくれるお客さんが増えた」などの体感を得たようで、反応は悪くはないそう。

 あとはこれらを実際の売り上げにどれくらい繋げるかが勝負ですが、私の目から見ても、まだまだやれることはたくさんありそうな気がしました。

 例えば、野菜を売っているお店で、ジャガイモを四種類売っていました。「その違いを説明したらお客さんが買いやすくなりませんか?」と質問をしてみたところ、「それはお客さんとの会話のためにネタとして取ってあるので書かずにいます」とのこと。

 それならば四種類のジャガイモのポップに、「これらの違いが分かりますか?どんな料理に向いているかは店主に訊いてみてください」といったようなポップをつければ、もっと会話のチャンスが増えそうです。




 
 ししゃもを売っているお店の取り組みでは、紹介分の中に「『干し』と『塩』の加減にこだわり続けた逸品です」という文章があって、これなどは素晴らしいと思いました。

 よくあるのは、「こだわりの逸品」とはあるものの、どこにどんなこだわりがあるのかが分からないという例。これではこだわりが伝わりませんね。

 でも、紹介文にこだわりのポイントを書くならば、さらに突っ込んで、どれくらいの干し加減が良いのかや、塩加減へのこだわりとは何かをもっと徹底的に説明すればもっと熱意が伝わることでしょう。

 こだわりのブレーキを外して、ししゃもはどこまで面白いのか、どれだけ買ったお客さんを幸せにするのかをどこまでも考えるような試みがあってもよさそうです。

 魚屋さんではよく「ノルウェーししゃも」という名前で、同じキュウリウオ科の魚を売っていますが、それと本物のししゃもの違いって言葉でどのように説明できるのでしょうか。

「食べてみたら違いが一発で分かりますよ」というかもしれませんが、その違いが食べた時の幸せとして感じられないならば安い方を買ってしまうかもしれません。

 本物のししゃもだけが与えられる幸せって何なのでしょう? 


 まだまだやれることはありそうなのでこれからの可能性を感じますが、可能性で終わらせずに実現してほしいものです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 お店の品ぞろえとか陳列って、毎日変えるわけではないのでしょうが、何かを変えてみてそれがお客さんのどんな反応として帰ってくるかを観察してみると面白そう。

 変えるということを当たり前にできるかどうかがポイントです。

 人には難しいと思うことでも、自分には当たり前だと思うようになればしめたもの。

 そう、当たり前のレベルを上げましょう。

 できないことは練習を繰り返して当たり前にできるようになればよいのです。

 できるまでは何度でも何度でも練習して、修正点を探して修正すればよいのです。

 昨日よりも自分が成長したポイントを確認してみれば良いのです。

 単調な日々を劇的に変えるのは無理としても、少しずつの変化と実践を心がけると、振り返ったときに大きな違いになって表れていることを感じるでしょう。

 繰り返します、当たり前のレベルを上げましょう。

 ちょっとしたことでも、ね。

 


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夕張映画祭のクロージングは『僕等がいた』

2012-02-26 23:45:13 | Weblog
 朝十時に家を出て、市役所の車で夕張へと向かいました。

 目的は夕張国際ファンタスティック映画祭2012でのクロージングでのご挨拶。

 毎年開催されているこの夕張国際ファンタスティック映画祭も今年で22回目になるそうですが、今年のクロージング作品が、釧路を舞台とした映画「僕等がいた」になったのです。

 そしてクロージングとして「僕等がいた」が上映される前に、監督の三木孝浩さんが挨拶をされて、その際に釧路からお祝いに駆けつけて花束贈呈をする、という趣向が用意されました。

 出発した釧路は快晴でしたが、途中の本別あたりから雪が降ってきました。道中がやや不安です。

 会場のアディーレ会館ゆうばりはかつての市民会館。ちょっと古めかしい建物が昔を思い出させますが、入った途端に地元キャラのメロン熊がお出迎え。ちょっと怖いです。




 事前の打ち合わせとして控室でお会いした三木監督はまだ37歳という若さで、実にひょうひょうとしていて、「へえ、この方が監督だったんですか!」という印象です。

 MCの長谷川アナウンサーと三木監督とで壇上でのやりとりを打ち合わせてそれぞれ舞台袖でスタンバイ。

 いよいよクロージングのスタートです。



 【三木監督と。また釧路へ来てくださいね】


    ※     ※     ※     ※     ※


 まずはMCの長谷川さんがMCトークで盛り上げて、三木監督を壇上へと招きます。




 三木監督の釧路の印象は、「皆さんがとても協力的でやりやすかったです。また食べ物がおいしくて、5kgも太ってしまいました」とのこと。

 クロージングにあたってのサプライズとしては、この日のために、主演の生田斗真さんと吉高由里子さんからのビデオメッセージが届けられたこと。


 お二人とも、釧路での好印象を語ってくださいました。

 そしていよいよ私の登場。まずは三木監督に花束を贈呈したのと、サプライズで釧路から持って行った御菓子「幣舞の四季」をお届けしました




 私からの挨拶は、「栄えある夕張国際ファンタスティック映画祭のクロージングに、釧路を舞台とした『僕等がいた』が選ばれたことに感謝します。三木監督には釧路をとても美しく撮っていただきありがとうございました。映画が大成功をして、道東や釧路に行ってみたいという方が増えることを心からお祈りします」というもの。



 釧路からは3月17日の封切りに先立って映画が観られるこの会場に十数名の方が参加されていました。皆さんと一緒に『僕等がいた』の成功をお祈りしたいと思います。
 
 さあて、封切りが近づいてきました。釧路市を挙げて応援いたしましょう。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川は小さな流れの集合

2012-02-25 23:45:03 | Weblog

 【シカの出迎えと食害】


 朝から釧路川の本流へと出かけて、冬の名残のフライフィッシングはアメマス対決。

 さすがの釧路川も午前中はハス氷が流れて来ていたものの午後になるとそんな力も弱まりました。そろそろ凍り続ける力も衰えてきた様子がうかがえます。




 手作りのフライで二度目の挑戦ですが、できるだけ川底を這うようにして魚をとらえようという作戦は良いものの、川底の木の枝やら葉っぱに引っかかってフライを失うことの多い消耗戦の様相。

 川幅約50メートルほどの川でも、沈めるタイプの釣りでは手前の岸付近のポイントが攻めどころですが、いろいろなポイントでの釣りが楽しめました。

 釣果ですが、結果からいうと、魚がフライを口にしてくれた「アタリ」が二匹あったものの、一匹目はラインを引く際に手袋が滑ってもたついた間に川底に潜られて逃がし、二匹目は針が取れてしまい、いわゆる「バレ」てしまいました。

 魚の数も少ないし、まだまだ活性も低い状態なので渋い釣りが続きますが、ちょっとした自然の変化を感じるのもまた良いものです。


 同行のHさんの今日の名言。

「川を見ると大きな一つの川のように見えますが、釣りをやってみると、必ず魚がかかるレーンがあったりするものです。つまり、流れの速い遅い、水深の深い浅いなどの違いで魚が心地よく感じる流れが何通りかあるわけです。実は大きな川も小さな変化にとんだ小さな流れの大集団だ、ということが分かりますよ」
 
 そう言えば、昨年フライフィッシングの大師匠に手ほどきを受けた時に、「あの流れに入れてみな」と言われて、フライをキャストしてみたら、「おしい!あと10センチ奥だな」と言われたことがありました。

 次のキャストでその流れになんとか入れることができたところ、「そこだ、よし、出るぞ」と言われ、次の瞬間に魚がかかったことがありました。

 名人には流れが見えているのだと驚きましたが、まさに川は10センチ単位の小さな流れの集合なのかも知れません。

 川をそういう見方で見たことはありませんでした。

 ところでこれって、釣り橋のワイヤーロープが細いピアノ線を何百本と寄り合わせたモノだということに似ているな、と思いました。


 何事も小さなコトの積み重ねが大切のようです。まだまだ眼力が不足しています。



  【幻想的な釧路川の風景】


    ※     ※     ※     ※     ※


 さて、明日は日帰りで夕張に行ってきます。

 夕張国際ファンタスティック映画祭のクロージング作品が釧路を舞台にした「僕等がいた」だということで、三木監督が登場するのに合わせて挨拶をさせていただけるとのこと。

 こちらも大いに盛り上げたいものです。

 サプライズで吉高由里子さんなんか来てくれませんかねえ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

のめり込むべきとき

2012-02-24 23:45:14 | Weblog
 道内のある町で聞いたお話。

 その町ではある有名な経済評論家を招いて町民やまちづくりに熱心な方向けの講演会を開催したそう。

 講師のAさんはその町にやってきて、講演が終わったところで事務局の方に、「さて、それじゃあラーメンを食べに行きましょう」と相談してきたのだそう。

 担当の方は内心、(ん?ラーメン?参ったなあ、どこかあったっけ?)と困りました。

 北海道はラーメンが有名ですが、その町では札幌ラーメンや旭川ラーメン、釧路ラーメンのように名の通ったラーメンがありません。

 またたとえ地域ブランドはなくても美味しくて誇れるようなラーメン屋さんもないのだとか。

 とはいえ、講師からのリクエストなので、思いつかないまま知人に連絡をしたりしてなんとか連れて行けそうなラーメン屋さんを探したのだそうです。

 連れていけそうなラーメン屋さんを決めて、さあ案内しましょう、としたところでその講師は突然、「だめですよ!この町の自慢は○○でしょう?今盛んにそれを売り出しているじゃないですか。だったら、私がラーメン屋へ行きたいと言ったら、『Aさん、うちの自慢はラーメンじゃないんです。是非とも○○を食べに行きましょうよ』と言ってくれなくちゃ!」と言ったんだそう。

「それは…試したわけですか?」
「そう、試されたんです。自分たちの町の自慢に自信をもて、ということなんでしょうね。すっかり一本取られました」




    ※     ※     ※     ※     ※

 
 町の自慢とは言ってみたものの、本当にそれに自信を持って貫くには、自分自身が中途半端でなくのめり込む姿勢が必要なのだと思います。

 その全てを知ろうとする気持ちとか、多少エキセントリックなほどにのめり込むエピソードもまた話題のネタになるでしょう。

 自分自身の本気度こそが試されています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

釧路での大規模太陽光発電事業

2012-02-23 23:45:59 | Weblog



 今日は午前に道庁で、国際航業ホールディングス(株)さんによる、道内での太陽光発電事業合意の記者会見が行われました。

 道内では多数の候補地があって、道庁がそれを取りまとめて国際航業グループと調整をされていたのですが、今般事業個所を釧路市(西港地区と音別地区の二か所)、幕別町、本別町、中札内村で行うこととして、それを発表されたのです。

 釧路では西港地区で4ヘクタールで2メガワット、音別地区で1.9ヘクタールで1メガワットの発電事業で、これはそれぞれ600世帯、300世帯分の使用電力をまかなえる規模だとのこと。

 会見の場所は道庁二階の記者会見場でしたが、新聞テレビの各マスコミが訪れて結構な賑わいとなりました。


   【実は夕方のテレビで出たらしい】

    ※     ※     ※     ※     ※


 国際航業グループさんはこの度、上記四つの自治体で太陽光発電事業を展開することとしていますが、やはりその前提となるのは、国の再生可能エネルギー全量買い取り制度が企業の意に沿ったものになるということ。

 まだ太陽光発電の電力などが一体いくらで買ってもらえるのかが分からないという現状ではありますが、様々な企業が候補地を本格的に探している中、ある程度の具体性を持って事業を行うということを表明してくださったことは力強いことで、候補地として選定された自治体にとっては心から歓迎すべきことでしょう。

 共同記者会見は、道庁さんからの経緯説明、国際航業グループの代表からの事業に向けた合意の発表があったあと、各自治体からの挨拶という順で進みました。

 一応自治体としては釧路が一番大きいということで、町村は首長さんが自らお越しいただいている中、市長代理ながら真っ先にご挨拶をさせていただきました。




 釧路としては、域内の資源を存分に使うという政策や「環境・交流都市」を標榜する都市経営を進めている中、こうした形での進出の表明は政策理念にも合致することで改めて感謝を申し上げました。

 さらに、道東地域への立地ということでは、道東諸自治体の太陽光発電事業における優位性が改めて示された形となりました。

 その優位性とは、①日照時間が長いことで、釧路では年間2000時間と全国でも上位に位置します。また②日射量でも全国トップクラス、さらに③年間を通じて冷涼なことがあげられ、これは発電パネルは高温よりは低温の方が発電効率が高いという技術的な側面も合致します。

 そして④冬季でも積雪は少なく、積雪による発電障害の不安は少ないと言え、こうしたことが総合的に釧路のポテンシャルとして評価されたと考えています。


    ※     ※     ※     ※     ※


 記者会見では、「太陽光発電事業が進出してくれることに対する地元としてのメリットは何か」という質問がありました。

 どこの自治体でも同じでしょうが、私からは、①投資をしてくださった額に対する償却資産税や土地を購入していただければ固定資産税が期待できること、②管理費のかかる遊休土地を利用してくれることで管理費の削減につながること、③環境都市としてのイメージ向上などがあげられる、と説明をしました。

 釧路としては、国際航業さんのような大きな企業体が太陽光発電の事業個所として釧路を選んでくれたことが、これからの同様の事業者さんへの強いアピールにもつながることを期待できるということもありそうです。

 
 会見の最後には高橋知事さんもお見えになり、記念撮影に加わっていただきました。

 さて、新年度からの建設と発電事業に期待いたしましょう。


   【高橋はるみ知事とともに】
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

攻めの魅力と守りの魅力

2012-02-22 23:14:08 | Weblog

 私は札幌の滝野すずらん丘陵公園を始めとして、国営公園という大規模公園の建設や維持管理に長く携わってきました。

 こういう公園を作ったり管理したりすると、どうしても利用者は人間であるという現実を考えることが多くなり、人間とは何か、どのようなことを好ましかったり快楽と考え、どのようなことを嫌悪したり忌避しようとするかをひしひしと考えるようになります。

 公園の維持管理では、事業の意義の対外的な説明のためにも、少しでも利用者を増やすことへの要求が強くなり、そのことへの工夫やノウハウを蓄積することになりますが、このことは案外観光や地域振興にも使えることが多いことに気がつきます。

 大きな公園における利用者の現実として、「全体の7割のお客様は、入り口から距離にして数百メートル以内でしか移動しない」ということがあります。

 広い公園を作ると、魅力的な施設を入り口からちょっと遠くに作って、より遠くまで広く公園を使って欲しい、と計画しがちなのですが、それは利用者心理に反していて、利用者は少しでも歩かない方を選択したがっている、というのは公園関係者の間ではよく知られたことがらです。

 珍しい植物などで自然観察の愛好家を呼ぼうと思っても、そういうことが本当に好きでどんどん奥まで歩くのが平気な人は、全体の1割かあるいはそれ以下しかいない、ということも分かります。

 また、公園計画では管理用スペースがとにかくいじめられて、来園者が利用出来る施設ばかり置きたがるのですが、本当に来園者のホスピタリティを考えると、かなりの部分をバックヤードとして管理用に割くべきだ、ということも言えます。

 初期の公園づくりでは、こうしたことが分からずに管理のために必要な面積を不当に少なくして管理担当スタッフとの軋轢を生んだものです。最近は少しは改善したのでしょうかね。


    ※    ※    ※    ※




 こうした公園計画のノウハウの中で感じているのが、「守りの魅力」と「攻めの魅力」という二つの要素のことです。

 「守りの魅力」とは、利用してみて安心出来る備えがあるということで、例えば女性用トイレの数や使いやすさ、駐車場が大量にあって絶対に入れるという安心感、中での案内が親切で迷うようなことがないこと、分からないことがあった時のスタッフの応対が心地よいことなどです。

 これらは、それ自身のために行こうとは思いませんが、誰かを連れて行こうと思うときに安心感が得られるということはあります。

 例えば、きれいな女性用トイレがたくさんあるからあの公園へ行こうとは思いませんが、デートに誘ってもあそこなら安心だ、ということにはなることでしょう。

 そして「攻めの魅力」とは、そこにしかないというオリジナリティや唯一絶対性の魅力のこと。

 ただの観覧車でいいのだったら遊園地はいくつも選べます。しかし、ミッキーやミニーに会いたいと思えばどんなに混んでいようがアトラクションで待たされようがディズニーランドへ行くしかありませんし、マリモを見たいと思えば、阿寒湖畔へ来るしかないわけです。

 太陽は毎日西に沈みますが、それを「世界三大夕日」と位置づければ、まあとりあえず国内で行けるのは釧路しかない、ということになります。

 道の駅スタンプラリーで、全駅のスタンプを制覇しようと思ったら、どんな辺境にある道の駅でも一度は行かなくてはなりません。

 このような、どうしてもそこへ行くしかないという魅力を私は「攻めの魅力」と名付けていて、『わが町の資源を再発見しましょう』などというのは、改めて『ここにしかない唯一の魅力』を探して大いに磨きましょう、という事に他ならないのです。

 そして「守りの魅力」と「攻めの魅力」はこの両輪がバランスしていることが重要で、どちらかが欠けると低い方に評価が固まってしまいます。

 逆に唯一性を打ち出すのが難しいシティホテルになると、アメニティとしてのインターネットやシャワートイレの有無、枕での差別化があっても、それらでも競争にならなければあとは朝食が無料とか、料金が安いと行った価格競争になってしまうのです。

 顧客の不満を解消して、とにかく他にはない魅力を付加するという改善を永遠に続けるのが客商売の基本となります。

 ホテルでも地域の観光振興でも、多かれ少なかれその要素は変わらないことでしょう。

 土地や自然の恵みで優位性を打ち出せないならば、面白くて変わったまちづくりで人を呼ぶことだって可能です。

 掛川のスローライフにはそんな側面もありました。みんな生涯学習とスローライフを知りたくて掛川へ見学に来たのです。本物のまちづくりの工夫は皆が勉強したいコンテンツです。

 攻めと守りの魅力。それぞれの強化に頑張りましょう。 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湿地のワイズユース

2012-02-21 22:56:39 | Weblog

 【辻井先生(右)の来訪です】


 湿地研究の第一人者で、釧路国際ウェットランドセンター技術委員長の辻井達一先生が市役所を訪ねてくださいました。

 辻井先生は、今年7月6日から13日にルーマニア・ブカレストで開催されるラムサール会議において、ラムサール湿地保全賞の科学部門賞(Ramsar Wetland Conservation Award for Science)を受賞されるということでご報告に来てくださったのです。

 先生は、「今回受賞できたのは、長年釧路湿原にかかわらせていただいたおかげですよ」とにこやかに笑われます。

 今年のラムサール会議のテーマは、「湿地、ツーリズムとレクリエーション」なのだそうで、初めて湿地のツーリズムを真正面から取り上げて湿地におけるツーリズムを考えるきっかけになるそうです。

 辻井先生はかねてより、湿地は単なる保全ではなく賢く使う「ワイズユース」が良いのだ、ということを主張されてきた方なので、今回のツーリズムをテーマにしたということは、先生の主張に合致していると喜んでおられます。


「そこでですねえ、いろいろと考えるところがあるんですよ」

 先生はいろいろとアイディアをお持ちのようです。

「例えばJR花咲線。釧路から根室へ向かう汽車ですが、しょっちゅうシカやクマにぶつかって遅れますよね。JRの皆さんは汽車が遅れることを謝ってばかりいますが、これを海外から訪れてくる友人たちに見せると、車窓から野生のシカやタンチョウが見えることに大喜びするわけです」
「へえ、そうなんですか」

「エゾシカなんて我々には見慣れた風景ですが、考えてみれば、東京から飛行機に乗って二時間半程度のところで、汽車の窓から野生の動物が当たり前に見えるなどというのはとっても魅力的な出来事なのです」
「なるほど、そうかもしれませんね」

「特急列車などは一定時間以上遅れると遅延証明を出しますね。スーパーおおぞらなどはシカやクマにぶつかって遅れることがあるのですが、そんなときは薄っぺらな遅延証明書ではなく、『あなたの乗った汽車は熊にぶつかったことで遅延したことを証明します』と書かれた立派な遅延証明書を出してあげるというのはどうでしょう。良い旅の思い出になりませんか、これもまたツーリズムではありませんか」
「ははあ、面白いですね。バードウォッチャーは自分の目で実際に見たライフリストを増やすのが生き甲斐と言われますからね」

 野生動物はそのまま立派な地域資源であるのですね。


    ※     ※     ※     ※     ※


「それ以外にも、植物だって立派な資源ですよ。湿原では初夏のころにエゾカンゾウというユリ科の植物が花を咲かせますが、このつぼみは実は中華食材として珍重されていて、一部では中国からわざわざ輸入されてもいるんです。湿原にいくらでもあるのに、です」

「湿原の花にツルコケモモというのがありますが、これは海外ではクランベリーと言われて赤くて酸っぱい実がつきます。これは煮詰めてソースにすると、欧米ではサンクス・ギビング・デイの七面鳥には欠かせないクランベリーソースとなります。国立公園の湿地に生えたものから採取するのは難しいとしても、それ以外の湿地でなら栽培ができるかもしれません。これもまた湿地からの
贈り物ですよ」

 いろいろな資源を贈り物と捕えて、湿地を楽しむことができればそれもまたワイズユースと言えるでしょう。

 湿地を楽しむツーリズム、どんなアイディアと現実性があるでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

情報発信の四段階の目的

2012-02-20 23:45:00 | Weblog
 先日の美唄での講演会での話。

 話の話題の中で、「何のために情報発信をするのか」ということを説明する場面がありました。

 そこでの私の考えは、「受け取った側に心の変化をもたらすため」というもので、そこには段階があって、(無関心→)「認知」→「共感」→「参加」→「率先」という四段階があると説明をしました。

 情報を発信することで、無関心つまり知らない人に対して、まずお知らせをするというのが「認知」の段階です。
 選挙の際に候補者がひたすら名前を連呼するのは、まず「認知」の度合いをあげるためなのです。知らない人よりは聞いたことのある人に投票するというのが現実かもしれませんが、それだけではちょっと寂しい気がします。


 次の段階が「共感」のステージで、知ったものや人に対して、「うん、それはいいな、好きだな」と思ってもらう段階のこと。
 コマーシャルでは良い商品イメージをそこで植え付けるために人気のある芸能人をつかうわけで、キャラクターの良いイメージを商品に重ね合わせる手法ですね。
 また、商品であれば有効な効果を説明することも良いでしょう。


 その次が「参加」のステージで、何かの誘いごとであれば実際に自分も行くという実践行動です。商品であれば対価を払ってでも買うという行動のことです。


 最後が「率先」のステージで、ここまで来ると、自分が参加したイベントに人を誘ったり、商品であれば他の人にも勧めるという行動に出ることを意味します。
 ここまで心に火がついていれば、もう自分自身で新たな道を切り開いてゆけるもので、ときには自らがリーダーとなって他の人を導くような行動もとれるでしょう。

 情報発信とは、受け手に対して感動や喜びの心を沸き起こさせて行動に変化をもたらすために行っている、ということをまずは理解しておかなくてはなりません。

 こうした目的意識を持たないままに、認知向上のレベルにとどまっている広報宣伝や情報発信というのは案外多いものです。



   【さあ、ステージを上げましょう】


    ※     ※     ※     ※     ※


 講演がひと通り終わったところで会場から質問を受けました。

 すると一人の若者が手を挙げて、「認知から率先というステージがあるということは分かりましたが、まずは認知を共感のステージに持ち上げるのが大変なのではないかと思います。そこにどのようなコツがあるのでしょうか」という質問をしてくれました。実によい質問です。

 私からの答えは、「そのためには情報発信者が信頼されて好かれるということが必要だ」というものでした。

 そして情報発信者が信頼されて好かれるためには、発せられる情報が誠実であるかどうか、態度が不遜ではないこと、発せられる情報に感動がこもっているかどうか、などの好ましい条件が整っていることが必要だと思います。

 これが実際にできるかどうかのためには一つの条件と二つの段階があります。

 一つの条件とは、自分自身が誠実であること、あるいは誠実であろうとしていることで、まずここに偽りの気持ちなどがあった場合は、情報が数多く発せられる中でかならずやメッキは剥げると思わなくてはなりません。
 大衆を短時間、少数を長時間だませても、大衆を長時間だますことはできないものです。

 次に二つの段階とは、まず一つ目は自分の感性を磨いて、見聞きしたことの中に感動の気持ちを見出すことができるようにすること。そして二つ目はその感動を外に対して伝えるための文章など、表現方法を磨くことです。

 この二つはある程度練習を積むことで伸びるスキルであると思っています。

 こうした自分自身の感性や表現能力に磨きをかけて情報発信を続けてゆくことで、信頼を得て好かれることができ、そこで初めて発する情報に共感の心が得られることでしょう。

 そしてこのことは、一度や二度の機会では無理で、常日頃からの言動や数多くの情報の質によってようやくえられるもので、地道な積み重ねこそが求められるのです。

 逆に言えば、少しでも早く自ら誠実な情報発信や信頼を得られる行動を積み重ねてゆかなくては得られない高みでもあると言えるでしょう。

 
 それが実践できるかどうかはひとえに自分自身の問題です。

 思ったら実践してみることです。今生の寿命は案外短いものですよ。

 成功をお祈りしています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする