北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

重機ボランティアのご本尊である小布施の防災パークnuovoを視察してきました

2025-01-30 23:19:04 | Weblog

 

 今日から開催される上越での「ゆきみらい」イベントですが、午前中の時間ちょっと抜け出して、小布施の「日本笑顔プロジェクト」さんのを視察してきました。

 前日からレンタカーを借りてあって、上越からは高速道路で約70キロほどの距離です。

 小布施には「日本笑顔プロジェクト」さんによる「総合公園防災パーク nuove(ノーボ)」が開設されていて、ここでは重機オペレーターを育成して各地に重機とオペレーターを一緒に派遣する「重機ボランティア」のご本尊なのです。

 事前にお伺いしたいことを伝えてあって、現地では主催者の林さんが笑顔で出迎えてくれました。

 私が着いた時にはちょうど重機(小型特殊)の免許を取られた方が、自分たちでお金を払って、腕を磨く運転練習をしているところでした。

 今日は6名の方が来られていて、年代的には私とほぼ同じの60代くらいの方ばかり。

 職業も、現役の消防士さんもいれば、もうリタイアして家にいても仕方ないのでここで練習をしている、という方もいたりと多様です。

 練習も、指導的立場の人が笛を吹くと三々五々、それぞれ勝手に小型のバックホウに乗り込んで、移動したりアームを動かして穴を掘ったりと勝手に練習しています。

 それもそのはず、それぞれができる作業を細かく分けて初級・中級・上級とわけてそれぞれに10項目の作業項目が設定された資格証があるのです。

 一回に一つずつ見極めを受けて、合格すればハンコをもらってより高い技術に挑んでいきます。

 林さんに伺うと、「重機ボランティアで現地に行ってもらうためには、最低初級の10項目を合格してもらうことが必要です」とのこと。

 ただし、災害の現場では、バックホウだけではだめで、同時に解体の技術とチェンソーの技術も求められるといいます。

「なので、ここでは解体の重機も用意してそれも練習できるようになっています」と林さん。

 しかも、15分単位の練習では、次の練習の時に乗る重機を変えて練習するのだそう。

「これは、現地へ行ったときに違う重機で戸惑わないようにするためです。また、燃料も各自で入れてもらって慣れてもらうのと、さらにはバックホウのバケットを解体用の部品に交換することも練習してもらいます。
 すべて、現地で戸惑って作業ができなくなることのないように、という備えです」

 それは重機ボランティアを派遣しよう、と志を立てた初めの時に、重機を貸してくれる企業と、運転資格を持っている人をマッチングさせて現地に送ってみたのだそうですが、そのときは資格を持っていると言いながら実際には現地で使い物にならなかった、という苦い経験があったのだそう。

「普段から練習をしておく、ということがどれだけ大切か身に沁みました」と林さん。

 なので、普段から練習できる場がなんとしても欲しかったとのことで、ここでは小布施町の公園に付随する駐車場スペースを町から借りて展開しているのがこのnuovoなのです。

 私も解体の免許が欲しくなりました。


     ◆


 そして見ている限り、皆さん楽しそうに作業をしています。

 林さんは、「はじめは、『重機の練習場など作っても誰も来ないから成立しないよ』という方がほとんどでした。でも、実際に動かす練習場を作りたかったのと、実際にやってみて本当に誰も来なければそれでやめれば良いと思いました。
 こうやって開設してみると、平日に大の大人が今日も6人来てくれていますよね。興味をもってやってみたいというニーズがあるんです」

 
     ◆


 今回の能登の地震でも、ここ小布施から重機ボランティアが何人も現地に赴いたそうです。

 その先遣隊は林さん自身が1月3日に現地に入って、どのような機械でどのような技術が求められるかを見極めて、そこから練習を積んでいる人で希望する人をマッチングさせて現地に送っています。

 
 日本笑顔プロジェクトというNPOでは、このシステムをフランチャイズ化してノウハウを提供してそれによる対価をNPOが得るというシステムにしていて、今は長野県や関東を中心に、現地なりのnuovoが増えてきています。

「しかし行政からお金を支援してもらうと、そこではないところを支援しにくくなるというしがらみが生じてしまうことを恐れています。自由度を保ちながら災害からの復旧を支援するという立場を保持したいと思っています」

 ここにある重機も、個人が所有しているものをレンタルしていたり、重機メーカーから提供を受けたりといろいろな形があります。

「最近はニュースでも取り上げられるようになり、車体に企業名が入った機械を貸してくれるところが出始めました」

 普段から重機の運転を練習できる場があって、地域にそんなオペレーターがたくさんいるところこそ、真に災害に強いまちと言えるのではないでしょうか。

 うーん、北海道にもぜひとも欲しいところです。

 
 この記事だけでは書ききれない内容は、後日続報をお届けします。 

 

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今日からは新潟県上越市への出張 ~ フェリーには何度も乗ったなあ

2025-01-29 22:16:15 | Weblog

 

 釧路から帰ってきたばかりですが、今日からは二泊三日で新潟県上越市に出張です。

 明日から冬の暮らしを考える「ゆきみらいin上越」が上越市で開催され、それに出席するのが主な目的です。

 上越市は、20年前に直江津市と高田市を中心に周辺14市町村が合併して出きた自治体です。

 とてもキャラの濃い安塚町などは合併して全町NPO法人を作るなど、いろいろな動きがあって市町村合併では注目された市でした。

 しかしそれ以前から私にはこの町と、特に直江津と縁がありました。

 それは松本市に住んでいた平成9~10年くらいのことでもう30年以上前のことです。

 海のない長野県の松本市に住んでいながら、当時周辺の誘いがあって「ダイビング免許を取る」ということにしました。

 海がないのにどこでダイビングの免許を取るのか、となったときに、周りが懇意にしていたのが佐渡島の小木町にあるダイビングセンターでした。

 ここへは松本から車で北上し、直江津港からフェリーに乗って佐渡島の左下の小木港へ着くというわけです。

 ダイビング免許も、普通の人なら二泊三日で取れるコースを、私たち夫婦は揃いも揃って課題がこなせず、特に私は波酔いでグロッキーになるという弱点もあり、一度では取れなかったのが苦い思い出です。

 結局翌月に再度小木を訪問してようやく取れたダイビング免許でした。

 その後もファンダイビングと称して、何度も遊びに行ったり港の海底を掃除するボランティアに参加するなど、直江津港からのフェリーにはお世話になりました。

 しかしその一方で、実は上越市に宿泊したことがなく、今回が初めての宿泊となった次第です。

 

       ◆


 それにしても、松本からならば車で北上すれば割と近いところですが、札幌から行くとなると結構な旅になります。

 新千歳空港から羽田空港へ飛び、東京駅へ移動してそこからは北陸新幹線はくたかに乗って上越妙高駅へ向かいます。

 上越妙高駅から直江津へは「えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン」という、かつては信越線だった路線で2両編成の電車に乗って移動しました。

 新幹線が開通すると並行在来線はJRと経営分離しなくてはならない、というルールの下で新しい鉄道会社による在来線運航となっている路線です。

 
 こんな用事でもなければたぶん一生乗らなかったであろう電車にも乗れました。

 こちらも今シーズンは異常に雪が少ないそうですが、明日からは荒れそうです。

 ほどほどの荒れ具合でお願いします。

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生島ヒロシさんの突然の降板 ~ 過去の過ちが許されない時代

2025-01-28 21:45:56 | Weblog

 

 出張で宿泊した釧路。

 夕方にホテルに入ってテレビをつけてみると、フジテレビの会見が延々と放送されていました。(なんと午後4時から夜中の2時までやったのだと!)

 フジ系列だけではなく、他の民放もこぞっていわゆる「つるし上げ」を中継しているさまはちょっと異常な盛り上がり方で、そこまで針が振れるほどのことなのかな、とあまり気分の良いものではありませんでした。

 
 そんななか、早朝のラジオ番組「おはよう一直線」のパーソナリティを務めていた生島ヒロシさんがコンプライアンス違反を理由に電撃降板するというニュースが飛び込んできました。

 私は朝5時半に起きるのですが、その時間から始まるこの番組をスマホで聞くのが常でしたので彼の突然の降板には驚きました。

 私はたかだかここ数年のリスナーですが、番組自体はもう27年間も続いていて、結果的に最後となった昨日の月曜日が6995回目。

 くしくも昨日の放送の冒頭で彼自身が「来週火曜日が7000回目です」と言っていた長寿番組でした。

 7000回目の節目を迎えることはきっと楽しみにしていたでしょうから、朝の段階ではこの話は聞かされていなかったのだろうな、と想像されるところです。

 ことここに至って、降板した生島さんについては「好きだった」「嫌いだった」とネットには賛否が入り乱れていますが、私も最近はちょっと癖が強いなあと思い始めていたところでした。

 特に最近は「消費税をゼロに」「日本の財政は大丈夫」「国民負担率がとんでもないことになっている」といった主張を強く感じ、その意見に沿ったコメンテーターを登場させていました。

 その意見自体はご自身の確信だったのかもしれませんが、そうであれば、逆に財政健全派など自分の考えと異なる意見を持つ人にも登場させれば報道番組と言えたでしょうが、そうではありませんでした。

 また、健康食品の宣伝なども個人の感想とコマーシャルをシームレスに話す手法で、(これは)お年寄りには魅力的に映ったことでしょう。

 内容の質はともかく、あくまでもエンターテインメントとして聴く分には私の朝のリズムに合った番組でした。


      ◆


 それにしても、中居君の騒動はまだ燃え広がるのに時間がかかりましたが、今回は一発レッドカードで、即退場という非常に厳しい措置が打ち出されました。

 こんな風に目の前の人が一瞬で消えるんだ、コンプラ違反、パワハラ・セクハラへの風当たりの強さをまざまざと感じた次第です。

 しかもこの手の処分は、全て「やってしまったことへの後出しじゃんけん」なので、取り返しがつかないという恐怖があります。

 人前に出る仕事に求められる倫理的なふるまいはますますエスカレートしているようです。

 いつ過去をほじくり返されるかわからないなんて怖い世の中ですね。

 この流れって一体どうなっちゃうんでしょうか。

 

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釧路へ阿寒インターから先の開通部分を走りました

2025-01-27 22:42:43 | Weblog

 

 今日から釧路へ一泊二日のあいさつ回り出張です。

 昨年末に道東道の阿寒インターが釧路外環上道路に接続したのですが、開通後に初めてそこを走ることができました。

 新しい道路は気持ちがいいな、というのが第一印象で、釧路がまた少し近くなったことを喜びたいと思います。

 もう一つ印象的だったのは、橋が架かっている部分などに5mくらいのポールが密に立てられていたことです。

 これは鳥たちが道路上を飛ぶときに走行する車と接触する事故を防ぐための措置だと思われますが、規模や密度が以前より格段に増強されています。

 こうすれば鳥たちが道路上を横切りにくくなって接触事故が減らせるという知見を活かしたのでしょう。

 興味深い取り組みでした。


      ◆


 私が15年前に釧路市役所にいたころから、「いつか高速道路がつながって便利になる」とは思っていましたが、そういう夢が地道な努力の積み重ねによって実現していくのだな、と感慨もひとしおです。

 ただ、今までは釧路から札幌へ行くには阿寒インターから高速道路に乗る、ということだったので、そこまでのルートにはいくつかのバリエーションがありました。

 車窓の風景を楽しみながら走ることもあったのですが、この道路ができると釧路~札幌の往復にはこの道路一択になるのかな、と思いました。

 高速道路もそうですが、それができると高速道路下の現道を走ることが少なくなって、途中のまちへの経済的な効果が少なくなる傾向があります。

 それを少しでも引き戻そう、というのがシーニックバイウェイ活動で、地域の人たちの力で地域の魅力を再認識・再構築して高速道路から降りてもらって、地域をめぐってもらおうじゃないか、という運動です。

 便利と効率を追求するのも一つの方向性ですが、たまには下の道に降りてみて、新しい魅力を発見するのも楽しく、それもまた人生なのではないかな、と思う次第です。

 今日も釧路は冬の快晴の夕日がきれいでした。


    【ポールがたくさん立てられています】

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億劫になってはいられない ~ 今シーズンのワカサギ釣り初め

2025-01-26 21:09:30 | 釣りのはなし

 

 先日「趣味が億劫になりかけている」と書いて、億劫になっている場合ではない、と気合が入りました。

 そうと決めたら、まずは今年のワカサギ釣り初めにいつもの湖へ行くことにしました。

 現地までの道すがら、途中に吹雪のところもあったりして現地の天候の荒れ具合が気になりましたが、いつもの湖は穏やかなもので助かりました。


 最近のワカサギ釣りはやたら道具が増えて、引っ越しみたいになるのですがそれでも一年ぶりに釣り道具を展開してワカサギ釣りの設営を始めました。

 ところがここで思わぬ失態が…。

 電動ドリルで穴をあけるのにはそれほど電力はいらないと思い、大と小の電池を一個ずつ持参したのですが、なんと氷にドリルで穴を2個開けたところで大の電池の全放電してしまいました。

(え?穴二つで放電?) これは周りの気温が低いせいかと思い、残りの小さな電池で別なポイントでもう一個だけ穴を開けてみたのですが今度はそれで放電してしまいました。

 さすがに氷は硬くて厚さも30センチほどあったですが、それで電池を使い切ってしまうとは思わず、呆気にとられてしまいました。

 本来テントの中には釣り用の穴二つと魚探用の穴一つで穴を三つ開けるところなのですが、二つ開けたところでおしまいになってしまいました。

 おまけに、テントの張り綱を固定するにもドリルでやりたかったところがそれができず、テントの支えが不十分なままの釣りになりました。

 これは今後に向けての大きな反省材料です。


     ◆


 穴の上にテントを張って釣り道具やらストーブやらを設置して釣りを始めるには、到着ら有に1時間を経過。相変わらずのスロースタートです。

 釣りははじめのうちは順調で、深さ9mほどの湖底に仕掛けを落とせばわりとコンスタントにワカサギがかかってくれました。

 ところが突然大物がかかり釣り糸が一気に引き込まれそうになりました。

「ワカサギじゃないね。イワナかウグイかサクラマスか…」

 そういいながら苦労して引き上げてみるとこれがウグイ…。

 今回はウグイの出迎えが丁寧で、なんと全部で5匹ものウグイが針にかかってそのたびにトラブルになりかけて苦労しました。

 ウグイの来襲に悩まされながら、それでも一匹、二匹と順調に数を釣り上げてゆきます。

 たくさんの魚を釣るのを「数釣り(かずつり)」と言います。

 魚の大きさよりもたくさん釣ることを楽しむ釣りですが、魚がかかった瞬間の興奮をなんども味わえるのがだいご味です。

 今回は私は132匹で打ち止め。

 妻の方が使っていた釣り穴は私の方に比べてやや掛が悪かったのですが私が上がった後に急に釣れるようになり、無事に101匹を達成しました。

 100匹のことを一束(いっそく)と言いますが、夫婦二人して一束を達成できたのならシーズン初日としては上出来です。

 連れたワカサギにあ魚体の大きなものも混じっていて楽しい釣りになりました。


 ウグイたちは釣り上げた後テントの中のたまり水に放置していたのですが、結構な生命力で釣り終わった時にもまだ息がありました。
 
 最後には釣り穴から湖に返してあげたのですが、ちゃんと自力で泳いで湖中へと消えてゆきました。

 
 行く気になるまでが億劫であっても、やはり行けば楽しいものですね。

 でも普段使わない体の部位を使ったことで筋肉痛が激しくなりました。

 いててて…。

 
 

 

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捕らわれるな ~ 「虫坊主と心坊主が説く生きる仕組み」を読む

2025-01-25 23:09:00 | 本の感想

 

 私こと、年齢を重ねるとともに本が読めなくなってきました。

 本が読めないと「困る」のかと考えてみると、さほど困ることはありません。

 情報ならスマホでもパソコンでも新聞でも、自分が必要としている以上の情報が提供されますし、プッシュ型でこちらがわからないことなら探せば大概のことはでてきます。

 最近は動画で詳しく教えてくれる動画サイトや音声で伝えてくれるもあって、サービスも自分が選べばお望みの情報が手に入りやすくなっています。

 しかし! 読書って情報を得るためだけのものではありません。

 逆に、液晶の画面を視て疲れた目と脳を休めるひと時でもあるかもしれません。

 液晶画面と本の活字を見るのとでは、目の疲れの種類が違うようにも思われますし、同時に脳の疲れの種類もやはり違うように思われます。

 
      ◆


 そんななか、昨日書いたことと類を同じくするのですが、「読めなくなったな~」と嘆くだけでは、読書への意欲と関心がうすれ"億劫になっている"ことへの恐怖を感じます。

 そんなときは、なにも難しい本を読むのではなく、さらりと読み流して心に風を送るような読書も良さそうです。

 今回読んだのは養老孟司さんと名越康文さんの対談書「虫坊主と心坊主が説く~生きる仕組み」という本です。(実業之日本社)

 養老孟司さんは解剖学者で東大名誉教授、「バカの壁」が大ヒットした著作家でもあり、大の虫好きなのでここでは"虫坊主"とされています。

 また名越康文さんは、精神科医でいながら「驚く力」などの著作多数でコメンテーターとしても活躍中。なのでここでは"心坊主"とされています。

 この本はいくつものテーマでお二人に対談をしてもらい、その内容をライターが書き記したという体でできています。

 一つのテーマでの語らいがせいぜい2000文字くらいなので、さらりと読めてときどきドキリとします。

 お二人の対談は、「仕事って何ですか」「成功って何ですか」「世の中って何ですか」などの章立てにまとめられて、一見好き放題に語っています。

 もともとお二人とも、この本を出したところで世の中を変えようと思っているわけではないし、何かを教えようと思っているわけでもありません。

 でもお二人なりのモノの見方を通してみると、「なるほど」「そうお考えですか」という新鮮な驚きがあります。

 通底しているのは「捕らわれるな」ということ。

 当たり前と思われているいわゆる「常識」というのは、社会の中でうまくやっていくための知恵ではあるけれど、それに捕らわれるとそこの中に留まるために苦労する。

 だから「ほどほどにしろ」という感じ。

 でもそれは世間に逆らえ、とか自分一人だけでも正論を主張しろ、というのともちょっと違います。

 世の中とは何か、をちゃんと知ったうえで"上手に付き合うといいですよ"というもので、そこにほどほどという感覚が出てきます。

「こうやったら成功しますよ、と言われてその通りにやって成功したら楽しいのかね?」

「今の流行に乗っかったって、いずれその価値観も変わるしね」

 
 決してビジネス書に見られるような「成功のためにまっしぐら」な情報ではなくて、ちょっと東洋的で漢方薬のような、「これを知っておくと、後々楽になる」という語り合い。

 最近は"品格"とか"上品"とか"品がある"ということが気になってきた私ですが、逆に言うとそれだけ品のある人が少なくなってきたということなのかもしれません。

 お二人のちょっと品のある対談を読む傍らには、コーヒーよりはお茶が似合いそうな気がします。

 自分にもこの手の話ができる対談相手ってほしいものですね。

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趣味が億劫になりかけていませんか?

2025-01-24 22:12:28 | Weblog

 

 先日、「そろそろワカサギ釣りのシーズンだな」と思って、釣具屋さんへ行って仕掛けやら最新の道具などを物色していました。

 するとかつての同僚とばったり会ったのです。

 彼は釣り好きで知られていて、たしかワカサギ釣りもしていたはずです。

「どう、ワカサギ釣りにでも行くの?」

 そう訊くと彼は「はい、今度いつもの釣り仲間で行こうかと思ってるんです」とのこと。

「これからワカサギ釣りに行くとしたらどこに行くの?」
「今回は阿寒湖狙いです。ホテルの前にビニールハウスのドームがあって楽ちんに釣りができますから」

「阿寒湖とはまた結構遠いね。ワカサギ釣りのテントなんかは持っていないの?自前の道具で釣るんじゃないの?」

 すると彼はこう言いました。
「テントも持っているんですけど、だんだん億劫になってきましてね。阿寒湖だったら湖畔に泊まって、お金さえ払えば全部レンタルで釣りが楽しめます。それにつったワカサギを天ぷらにしてくれるサービスもあるでしょう。こっちは朝からお酒を飲みながらでも釣りができる、というのも優雅なものですよ」

 
 確かに、ワカサギ釣りは楽しいと言えども、自前の道具を運んで設営して釣りをして、また片づけて運ぶという一連の行動がだんだん疲れるように感じてきていました。

 逆に、それに気がついているからこそ、内心で(それは精神の老化だ!まだまだ楽な路線にいっちゃいかん!)と自分を戒めてもいたところです。

 なにか、自分の心を見透かされたような気がして、ちょっとドキッとしました。


      ◆


 趣味がだんだん億劫になりかけています。

 はじめのうちは道具を集めることだけでも楽しかったのですが、だんだん道具に振り回されて、大仰な荷物で大移動をするということが増えました。

 ワカサギ釣りもしかりです。

 生き延びるためには変化を恐れてはいけない、変化し続けなければいけない、とよく言われます。

 しかしその変化も、変化によって生じる後始末やらマイナスな要素を増やしてゆくということにもつながりかねません。

 断捨離もそうですが、どこかでグレートリセットをする必要があるのかもしれませんね。

 
 

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「走れ、走れ!」 ~ あわや大失態

2025-01-22 22:23:57 | Weblog

 

「ちょっと知人の会社の会合があって人が集まりますので、そこで10分間だけお話をしていただけませんか」という依頼を受けたのは年末の12月のことでした。

「はい、いいですよ」と心やすく引き受けた私。

 年が明けてからは担当の方と、どんな形でどんな話をしますか、という打ち合わせを一回、また直前の先週にはその上司の方も来てくださって、細かい進行の打ち合わせをしたところでした。

「10分ということで短い時間なので、スライドや映像などは使わずにパンフレットを渡して頂ければそれをネタにしてお話します。せいぜい話題は3つくらいでしょうか」

 会合の開催されるホテルは職場から近いので、タクシーなどは使わずに歩いていくことにして、時間も打ち合わせておいたのでした。

 その会合は明日のはずだったのですが、いや、私の中では明日だったのですが、会合が始まる5分前に担当の方から電話が来て、「あのう…、まだおこしいただけませんでしょうか」という声。

「えっ!明日じゃなかったでしたっけ?」「いえ、今日これからです…」

「申し訳ありません、今から向かいます!」


 まあ、走った走った。人生で久しぶりに心臓が破れそうなくらい全力疾走をかましてホテルへと向かいました。

 ホテルの一階に走り込むと、「会場はお二階です」と言われ、エスカレーターに乗り込もうとしたら、「あ、クロークをご利用ください」と言われ、(うお、この10秒がもったいないぜ)と思いながらコートをクロークに投げつけ、番号カードをもぎ取るようにしてエスカレーターを駆け上がりました。

 二階でようやく担当の方と落ち合うことができて、「面目ありません、失態で宇」と平謝り。

 幸い予定時間を一分過ぎたところで会場に入れたので、そこからは何食わぬ顔で与えられた時間分のお話ができました。

 直前の打ち合わせでいただいたメモには、確かに開催日は今日になっているのですが、私の手帳には会合の予定は明日の予定として書きこまれていて、全く開催日を疑うことはありませんでした。
 
 いやあ、久々の大失態を演じるところでした。いや、演じたのか。


 実は昨日から今日にかけて一泊の主張を入れようかどうか迷って、入れずにいたのですがなんともそれが幸いでした。

 これで出張など入れていたら本当にとんでもないところでした。

 会場が走っていけるところで本当に良かったなあ…。ふー

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北海道の歴史を農業・農業団体の歴史として学ぶ

2025-01-21 23:33:03 | Weblog

 

 月に一度、報徳を学ぶ常会が札幌で行われていて、私もできるだけ出席をして学びを深めています。

 常会は、毎回1時間ほどの話題提供者が講話をしてくださりその後意見交換をするという形で進められています。

 先日もその常会があったのですが、今回は会に良く出席される富田義昭さんという方が、ご自身がまとめられた「北の大地の開拓・農業・農業団体の原点と軌跡を探る」という本についての講演でした。

 この本についての講演は三回連続で今回はその最終の三回目でした。

 私自身北海道に生まれ、北海道や開拓の歴史についても人並みには勉強してきたつもりですが、それを開拓の歴史、農業の歴史、農業団体の歴史という切り口で俯瞰した研究成果を初めて見て、正直深い敬意と感動を覚えました。

 一口に「開拓」と言っても、北海道という未開の大地を、日本各地から入植して土地を切り開き、農業を興し、村落を形成し、産物を収穫し輸送し売りさばく、という多くの努力と活動によって一つ一つが成立してきたわけです。

 それを「先人たちの努力で未開の土地が切り開かれて農業を興し今日に至っています」という一言では背景への理解と説明が全く足りないと思いました。

 また、この村落形成や相互扶助の精神を報徳活動が注入して各所でそれが取り入れられた結果として、産業組合設立への道が開かれ、また昭和初期や戦後といった荒廃した時期も乗り越えることができたことも忘れてはなりません。

 
     ◆


 筆者の富田さんは1935年生まれで、北海道庁に入庁されたのちに農業団体に籍を移されて、以来、農業技術に軸足を置きながら、農産物の流通・加工・消費にも関わった活動をされた、と記されています。

 この本では、農産物の「商的流通」「物的流通」「農業倉庫」「農産物検査制度」等の変遷を明らかにし、さらに「土地改良制度」「農業共済制度」「北農かい」などの関連機関の歴史的記録を整理されています。

 そもそも開拓時代初期の農業では、投下できる資本がないために、「仕込み商人」という、産物を安く買いたたく商人が暗躍した時代がありました。

 農家が個別に生産物を作っていたのでは売り先を見つけることも難しく、それゆえ買ってくれるなら安くても仕方なく売るという、豊かさには程遠い労働になることも多かったわけです。

 そういう状況に対して、農業者が団結して協力し合って組織になって金融機能の充実や流通、市場の形成などを一つ一つ乗り越えていった農業団体の歴史などは大いに学ぶ意義があります。

 今日、流通大手は特定の農家さんと直接取引をすることで農産物を安く仕入れて安く提供し、消費者もそれを歓迎するという風潮がありますが、このことが農業者にとって相互扶助の精神で作り上げてきた農業団体のあり方をどのように変えてゆくのか不安もあります。

 著者は「相互扶助の精神が衰えて『今だけ、金だけ、自分だけ』になるのはよろしくない」と述べ、北海道での報徳の育ての親の一人である小林篤一翁が講演で述べた「販売実務者心得」を「示唆に富む」として掲載しています。

 
 今日改めて協同組合の原点に報徳の思想を感じて、農業が強くなることを願います。


 北海道の開拓と農業を考えるうえで一読に値する良書でした。

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悟りと煩悩 ~ 父の貼り薬

2025-01-20 23:38:37 | 介護の世界

 

 先日実家を訪れて、母の買い物サポートなどをしてきました。

 買い物が終わって実家でくつろいでいるときに、「なにか変わったことはない?」と訊いてみるとと、「お父さんが貼り薬を『かゆいかゆい』って剥がしちゃうんだよ」と母。

「それって何の薬?」
「認知症を遅らせる薬だっていうんだけど、粘着剤のついた貼り薬なのさ。それが、以前は名刺くらいの大きさだったのが、病院で検査したら認知症の数値が悪くなったとかで、今回から2倍の大きさになったの。
 一日一枚で、主に背中に貼るようにして毎回貼るところを変えているんだけどね。小さかったときはずらしずらし貼っていって最初に貼ったところにまた貼っても大丈夫だったんだよ。それが、倍に大きくなったのでずらしても最初に貼るところまで戻る順番が早くなって、そこに貼るともうかゆいって、寝ながらでも剥がしちゃうんだよ」

 ネットで薬の名前を調べると、確かに認知症を遅らせるという振れ込みの貼り薬で、大と小の2種類の大きさの薬がありました。

 しかし説明書をよく見ると、それほど劇的な効果を期待するほどの薬でもないようです。

 そもそも90歳を超えて認知症の傾向が表れたものを劇的に変えるほどの効果は期待できないんじゃないかな、と息子としては思うのですが、母はそうではないらしい。

 一つには、「お医者さんからもらった薬だから言われたようにちゃんと処方するべきだ」という義務感と、二つ目には「少しでも認知症を遅らせられるなら」という願いにも似た期待感がありそうです。

 
 しかしそれにしても、副作用とは言わないまでも貼り薬で体が痒くなっていたたまれないというので、日常生活に支障が出ているということにほかなりません。

「お医者さんに、貼り薬で痒くなって困ります、と伝えるか、それでも変えてくれなくて同じ薬が処方されるようなら、もらった薬でも貼らない、という防衛手段もあるよね。なにが一番父さんのためになるか考えた方がいいんじゃないかな」

 そう言うと母は、「そうだね、病院に電話してみるよ」と言ってくれました。

 実はそれ以外にも、なんだかんだで飲み薬を山のようにもらっていて、毎食後にそれらを飲むのに父は苦労しているのだと。

「それでも薬を減らしてくれないしねえ」

 
 さて、わが身に立ち返ると、自分自身いったい何歳になるまで病院にかかるつもりがあるでしょう。

 ある程度の年齢になれば私自身、「体に病気や不具合はあって当たり前」と悟りを開けるようになるのでしょうか。

 それともいつまでも煩悩に悩まされるのか。

 親の姿を見て、わが身のことを考えています。

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