自力整体でいきいき歩き: 狛 雅子

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皮膚感覚から生まれる幸福  5 ナマコ的思考(?)と生活(?)

2021-10-27 05:51:53 | いまどきの世情
本文とこの写真は何の関係もなく、ウィキペディアから借用しただけです。


p.196 ナマコは砂を食べても生きていけるそうだ。
   砂はいくらでもあり、他の動物は見向きもしないため、
   いわば食べ放題である。

   それと同時に、硬さの変わる皮をもっていて敵にも
   襲われにくいから、逃げずに済む。その結果、筋肉は
   ほとんど必要がなくなる。餌を探さなくていいから、
   感覚器官も必要なく、脳という感覚器官からの情報を
   処理して筋肉に指令を出すための中枢もいらなくなる。

   心臓や血管と言う循環系も必要ない。心臓も筋肉も
   目鼻も不要になれば、ますます省エネになる。
   省エネに徹すれば徹するほど、ナマコは皮ばかりになる。
   すると捕食者にとって魅力のない食べ物になり、安全になる。

p.197 食物連鎖の底辺にいるナマコと、その頂点に君臨するヒト。
   二つの生物の生き方を脳と皮膚で対比すると興味深い事実が
   あることがわかる。

   ナマコは脳を持たない代わりに、特殊な皮膚を持つことで
   生き延びる戦略をとった。一方ヒトは、脳を進化させて他の
   動物を圧倒する知能を手に入れ、逆に皮膚の機能を退化させて
   しまったのではないか。

著者・山口氏は「私たちもこの辺でナマコを見習って、皮膚感覚で
生きる方向に舵をとる時期にきているのではないだろうか」と
書いていますが、私には疑問符だらけです。
   
学術的に書くと、
p.198 多良間の子どもたちと、海部町の住民、そしてナマコの
   生き残り術の三者に存在する共通点は、

   実に質素な、より本来の姿に近い生活をよしとしている点

   (中略)明治以降の近代化によって、これまでの質素な生活を
   捨てて、西洋にあこがれて豊かな生活を目指すようになった。

   これはこれまでの触覚文化を捨てて、視覚文化に移行した
   ことを意味するのではないだろうか。文明の発展とは、
   狩猟採集の触覚文化から、紙や電子機器による視覚文化に
   移行することともいえるだろう。

だれも襲わず、利用されるだけのナマコは利他的なのかもしれないが、
<楽だから、何もしない(?)生活を好むナマコ的生活>は、
私の好みではありません。

コメント
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