区立図書館で、
『法然全集 第三巻』
1989年12月20日 第一刷
春秋社
を借りてきて読んでいます。
本書の、「問答集」からの【落穂拾い】です。
問い。
念仏をとなえている人たちが、毎日となえるつとめとして、
声をたてて申す人もいれば、心のうちで念じ数をかぞえている人もいますが、
どちらの方がよいのでしょうか。
答え。
それは口に出してとなえるのも名号ですし、
心に念ずるのも名号ですから、
どちらの方法とるにしても往生のはたらきとなります。
ただし、仏の本願は名をとなえる願ですから、声を出してとなえるべきです。
それ故、『観無量寿経』には「声を絶えないように、十念をっとなえよ」と説き、
『往生礼讃』には「私の名号をとなえ、少なくとも十声の念仏に至るまで」と説明しています。
耳に聞こえる程度ならば、高声念仏のうちに入ります。
そうであるからといって、そしり嫌われることも知らないで高声でとなえることはよくありませんが、
本来は声に出してとなえるものと思って下さい。