先程、11月の《道元とカウンセリングコース》から帰宅しました。
今晩の参加者は、総勢9名でした。(男性8名 女性1名)でした。
4名の方から、お仕事&ご都合で欠席の連絡をいただきました。
学習会の流れは、先日ご案内の通りです。
◆『正法眼蔵・他心通』の音読。
20分の音読は、結構汗がでてきます。
音読は、身心に良いですね。
◆『正法眼蔵・仏向上事』は、6回目。
最終回になります。
今晩読んだ、『仏向上事』の最後の箇所は、
古来から、表現の面でも理解の面でも、いろいろ問題になってきたところだそうです。の
講師のtenjin先生から、その辺の事情を詳しく教えていただきました。
今晩教えて教えていただきた箇所を、tenjin先生の現代語訳でお伝えします。
【第一〇章・仏向上事とは何か?】
つまり、仏向上事ということは、仏に至っても、進んで更に仏を見ることである。
衆生が、仏を見るのと同じである。そうであればつまり、見仏がもし、
衆生の見仏と等しいのであれば、見仏ではない。
見仏がもし、衆生が行う見仏のようであれば、
見仏を錯まったのである。ましてや、仏向上事になることがあろうか。
知るべきであるが、黄檗が語った向上事は、今どきの杜撰に学ぶ連中は、
明らかにすることは出来ないであろう。ただまさに、
法を語ろうとも、法融にも及ばないことがある、法を語ることが自ずと法融に等しくても、
それは法融と法の兄弟だというだけである。どうして、向上の仕組みを知ることがあろうか。
それ以外の十聖・三賢といった者達も、どのようにも向上の仕組みを知らない。
ましてや、向上の仕組みを開閉することがあろうか。
この拠り所となすべき旨は、参学する時の肝心なところである。
つまりは、向上の仕組みを知ることを、仏向上人とするのであり、
仏向上事の本質を会得したのである。
◆次回は、12月13日(金) 午後18時30分~20時30分
《タワーホール船堀》 部屋は、入口のインフォメーションをご覧下さい。
次回から、『正法眼蔵 自証三昧』に入ります。
*音読タイムは、『正法眼蔵・仏向上事』を読みます。
*テキストは、事務局で用意しています。
*坐禅のスペースに制約があります。
新しく参加ご希望のお方は、ご一報ください。