法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

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主宰者の《日乗》

「仏法は わかきとき たしなめ」

2014年11月20日 23時58分13秒 | 日乗

午後、区立図書館に出かけた。

『蓮如上人御一代記聞書』を読みながら拾った言葉。

仏法者、もうされ候う。
「わかきとき、仏法はたしなめ」と、候う。
「としよれば、行歩(ギョウブ)もかなわず、ねむたくもあるなり。
ただ、わかきとき、たしなめ」と、候う。

「たしなめ(嗜なめ)」の語。
この頃は死語のように思いますが…?
ボクも、すっかりと忘れていました。

若い時、仏教に親しみなさい。
若い時、仏教を心得なさい。

といったことでしょう。

そして、人生の先輩が後輩に、軽くいましめる(窘める)ことも少なくなったようです。

特に、仏教の教えを“リレー”することが難しい時代のようです。

 

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釈尊の慈悲

2014年11月20日 23時34分11秒 | 日乗

毎田周一師の言葉をお届けします。

○涙のうちに、じっと見守るような釈尊の慈悲。

○涙で以て衆生を浸すやうな、釈尊の慈悲の立場の重々しさ、その深さ、大きさ。

○慈悲とは、慈しみ悲しむといふこと。その味はいの奥深さ。人生の極点はこゝにあるか。

○その慈悲からする救済は、たゞ名号を喚ぶといふに尽きるであらう。
 「わが名を喚んで来れ」といふの外にないだろう。

 

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「水辺の馬」

2014年11月20日 10時42分49秒 | 日乗

「水辺の馬」の教えは、教師になりなりたての頃、先師・五十嵐正美先生からいただきました。
スクールカウンセラーや教師の立ち位置のコツとして領解しています。
もちろん、他の場面での人間関係でも同じです。

「水辺の馬」の教え
馬を水飲み場に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない。

出典は不明ですが、英語のことわざに次の一文があるそうです。(webで拾いました)

You can take a horse to water but you can't make him drink.

A man may lead a horse to the water, but he cannot make him drink(unless he will).

さて、今朝の福岡伸一さんのツイート

「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」という諺のとおり、
私たちは馬を水辺に連れて行くことはできるけれども、
その水を馬が飲むかどうかはわからないわけです。
しかも最近は、その水辺自体に近寄れないような川ばかりになりましたよね。

確かに、福岡さんのご指摘の「近寄れない川ばかり」に同感であります。

これを、学校教育にあてはめますと、
(教師が川の場所を知らない?)のでは…

文科省は、道徳教育を正式な教科にしたいようです。
ボクは、道徳教育に反対するモノではありませんが、
安倍政権のもとでの道徳教育には心配です。反対です。

教育現場の先生方が、(仏教の勉強をしてくれるといいナー)と思います。

もちろん、宗派としての仏教ではありません。
新仏教、新々仏教ではありません。

このブログでも、紹介している里村専精先生のお言葉。

「仏教は 人間学。仏道は 人間道」

この立場です。

ボクは、「教育も仏教もカウンセリングも、“聴聞の一道”」だと確信しています。

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