毎田周一師の言葉をお届けします。
道元禅師が如何に「禅宗」といふ呼称をを嫌われたか。―(『正法眼蔵・仏道』の巻参照)
先ずそれは宗派(セクト)主義を表はす。
分派として局限されたものは一全体ではあり得ない。
何よりも仏教は「無」の立場として、何かに限定された立場をとり得ない。
いつでもそれは釈尊一人に直結しなければならない。
このことを妨げるものとして禅宗の呼称を嫌われたのであろう。
しかし釈尊御一人に直結してゆかれるに当たって、道元禅師は達磨以来の伝統に従われた。
そして親鸞聖人は、印度・支那・日本の浄土教の伝統に(七高僧に)従はれた。
これは重重の因縁の然らしめるところであろう。
そしてそれはひとごとではない。
私自身はどうなのであるかと省みてみたいと思う。
「和国の教主聖徳皇」と親鸞聖人が歌はれたやうに、印度の仏教は聖徳太子御一人によって、
我が国にもたらされた。我が国の仏教の伝統はそこに始まる。
この太子を弥陀と仰げばその脇士としての観音・勢至は誰であるか。
私は親鸞・道元二師をあげざるを得ない。
しかし更にこの二師に導いて下さった先師(暁烏敏師)と西田博士とを、
私は身近な観音・勢至として仰ぐのである。
そこで私は真宗でもなければ、禅宗でもない。
単なる釈尊の弟子に過ぎないのである。
一個の仏教徒なのである。たゞ釈尊に学びゆかんとする一人の人間でしかない。
お前はこの世へ生まれて、釈尊しか知らなかったのかといはれても、
それで充分なのである。
私は釈尊以外を知る必要のなかった人間である。
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