法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

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里村専精師 「浄土真宗にようこそ」No46

2015年10月10日 23時24分12秒 | 里村専精師の言葉

里村専精先生の「浄土真宗にようこそ」No46をお届けします。

「二」という数字が、七祖にはついて回ります。
善導大師の場合は、実にたくさんの「二」があります。
今回は有名な「二河白道」を見つめてみましょう。
東西を流れる百歩ばかりの河ですが、その中間に道が見えていても、南北に火と水が遮っています。
四五寸の白道は、この水火にあおられているのです。
この白道は、実は信心の風景なのですが、実に危うい形に示されています。
火と見える南の半分は瞋恚だと言われていますし、北の荒波は貪欲だと設定されています。
実に象徴的な譬喩ですし、由来世界的に有名な譬喩だと評価されています。
東の岸では、一人の行者が追いつめられてゆきます。
群賊悪獸が、次第次第にその人を攻め立ててくるというのです。
現代の人が、いかにその尊厳を失墜させられているかを考えれば、何かその意味が浮かんできます。
追いつめられた行者は、ついに決断を迫られます。
「すでにこの道あり、必ず度すべし」と、その決断は固まって来ます。
と、その時になって初めて真実の声が聞こえてきます。
「仁者(きみ)ただ決定してこの道を尋ねて行け。必ず死の難なけん」
と、これは釈尊の声でした。そして…、
「汝一心正念にして直ちに来れ、我よく汝を護らん」と、西岸の人が呼びかけます。
この三人の言葉は、実によくぴったりと呼応しています。
人間の究極の場面には、規を一にした言葉が求められてくるのではないでしょうか。
白い道は、か細く儚いものに見えているのですが、今はこの道しかないのです。
で、その道は…、実はその人そのもののことなのではないでしょうか?
その人がその人を生きている、その状況自体がみんな細く頼りない道なのです。
敢然として、自己を見つめてほとんど絶望的だったその人は…、ほんの僅かずつですが歩き始めます。
背後には、彼を呼び戻そうとする無数の叫びが聞こえています。
けれども、彼はみごとに渡りきって、二人のブッダ如来と伴に喜びを交わしてゆくのです。
ほんの須臾(僅かの時間)だと、書かれています。
「須臾にすなわち西の岸に到りて永く諸難をはなる」とあります。
何故にそれは須臾だったのでしょうか。答えは簡単なのですが、お分かりになるでしょうね。
決断をしたその人のその決断は、実はその人自身を確認していたのです。
荒立つ水火の二河も、実はその人自身だったのです。
同じように、群賊も悪獸も自らが落ち込んだ幸せ追及型の生活のことなのです。
長さ百歩の白道は、実はその人自身の永く逡巡していた心もとない歩みだったのです。
そして今やその人の歩みは、自らを引き受けて歩む仏道に基づいたものに変わっていたのです。
勝れた譬喩ですが、善導大師の言葉をよくよく味読してゆきたいものです。

◆里村専精先生のお話は、11月9日(月)夜に、新小岩の専福寺様で聞くことができます。

◆カウンセリング研究会【くりのみ】も10月の定例会は、10月31日(土)です。
 学習会の内容は、『教行信証』の音読、『正信偈』の読誦他です。