里村専精先生の「浄土真宗にようこそ」No47をお届けします。
源信(942-1017)僧都の場合、明確な「二」という数字があります。
「報化二土正辨立」と正信偈にあります。
「報土」と「化土」は、真実の国土を際立たせる大切な問題です。
源信僧都は、出世コースを捨てて横川で学び続けられた人でした。
懐憾(えかん)禅師という、唐の時代の・善導大師のお弟子さんの流れを大切にされました。
横川で学ばれる僧都には、新鮮なサンガが見えていたのではないでしょうか。
それは中国の善導大師の生きられたサンガと、しっかりと直結するサンガです。
横川に住まれてはいても、源信僧都の世界は大きく仏道の歴史に開かれていました。
共に同じサンガとして、共に本願荘厳の世界に向かう。
ただひたすらに、誤って「化土」に生まれることの痛みを語られました。
対するに「報土」は、本願によって開かれ本願に生きる人々の大きな世界です。
この世界に、釈尊をも諸仏の一人と数えて、三世十方の諸仏たちが参加しています。
仏教の歴史を貫いて、龍樹菩薩も世親菩薩も曇鸞・道綽・善導も生まれられた世界なのです。
源信僧都の生きられたサンガは、「報土」という本願に酬報した世界なのです。
対するに「化土」は、自力我慢の思索で固めた世界であって、狭く小さく暗いものでした。
本願という如来の精神によって展開されている、浄土と呼ばれる巨大なサンガ世界。
それは人類に開かれた、巨大な生命交流の世界なのです。
仏教だけではなくて、いやしくも深く宗教に志す人があるなら…、
改めて巨きな生命交流の世界を考えてみたいものです。
本願に基づいたサンガ、それは仏道が至りついた究極の世界なのです。
無量寿経だけが語っている世界ですが、この経典によって龍樹・世親の二菩薩が生まれました。
「十住毘婆沙論」や「浄土論」は、無量寿経に即して開かれた論でした。
この二つの論を語った二人は、小さな論者ではありません。
勝れた論者ではなくて、むしろ大きなサンガにつつまれる一人の念仏者なのです。
が、こういう念仏者こそ、かえって大きく世界に意味をもつのではないでしょうか。
源信僧都の生きられたサンガは、みんなが帰り着く「報土」でした。
◆里村専精先生のお話は、11月9日(月)夜に、新小岩の専福寺様で聞くことができます。
◆カウンセリング研究会【くりのみ】も10月の定例会は、10月31日(土)です。
学習会の内容は、『教行信証』の音読、『正信偈』の読誦他です。