13日(火)遠山美術館に出かけたことは、当ブログで更新したところです。
繰り返しになりますが、訪問の目的は、桑樹匠・前田南斉の収蔵作品を見るためでした。
平日の開館時間合わせて出かけたので、来館者は私一人。
前田南斉は私の祖父の兄になります。
学芸員の久保木さんに南斉の作品についてお話をお聞きしました。
遠山美術館は、日興證券の創業者で初代会長の遠山元一(1890-1972)が、1936年に故郷の埼玉県川島町に3000坪の豪邸を建設し、1964年その豪邸を法人化して財団法人遠山美術館となり現在に至ったそうです。
豪邸建設に際し、経済的支えであった遠山元一の依頼で、南斉作の飾り棚、書棚、厨子、文机、仏壇etcを制作し、現在30点ほどが展示・収蔵されているそうです。
ちなみに、私の知るところでは、三島の佐野美術館に厨子が、竹橋の近代美術館工芸館にも作品があると聞いています。
工芸館に収蔵されている作品は見ていないので、近いうちにたずねてみようと思います。
現在、前田南斉のお孫さんの、前田純一さんが美ヶ原で工房を開いています。
少し前になりますが、(10月29日~11月5日)に、銀座和光で前田純一・大作の親子展があったようです。
写真は、南斉作の仏壇。
(仏壇の中を特別に見せてもらいました。制作当時、南斉は弟子を連れて京都・奈良の寺院を見て回り、法隆寺や平等院の作品を参考にしています。)【学芸員・久保木さん談】
野田総理は、少子高齢化を背景に、若い方々に負担をお願いすることは無理があるとのことで、「社会保証・税一体化改革」「消費税率のアップ」を、「不退転」の決意でのぞむそうです。
確かに、人口減少の中で、若い方々に負担をお願いするのは申し訳ないことだとは思います。
しかし、お金だけでなく、「美しい日本」を若い方々にバトンリレーすることが一番大事なことではないでしょうか!
きょうのwebニュースによりますと、杉並区の小学校の芝生シートにセシウムが9万ベクレルを検出したそうです。
http://www.asahi.com/national/update/1213/TKY201112130198.html
何度も何度もこのブログで言ってきたことですが、私は原発に反対します。
一日も早く、原発を止めることを政府が発表することを期待します。
日本国の一番の基軸は、「美しい日本のバトンリレー」にすべきです。
静岡新聞(web版)で、伊豆急行開通50周年記念が行われたことを知りました。
http://www.at-s.com/news/detail/100084299.html
私が、高校2年生の時の開通でしたねー。
1年生の時は伊豆下田市蓮台寺に下宿して、開通に合わせて2年生の時から稲取~蓮台寺を電車通学をしたことを思い出します。
蓮台寺は、道路も整備されていなく、駅から学校まで徒歩20分位歩いたものです。
稲取の駅は、田んぼの脇道を通ったものです。
下宿先は、吉田松陰が黒船で密航を実行するまで隠れていたお宅で、大きな天然温泉掛け流しお風呂があり、贅沢な下宿生活をさせてもらいました。
高校時代のビックニュースは、ボクシングのファイティング原田選手がチャンピオンになり、伊豆蓮台寺で合宿をしているのを、新聞部のメンバーとして取材に出かけたことがあります。
懐かしいですねー。
半世紀前のお話でした。
毎日新聞の記事から。
静岡県内の各市・町議会で浜岡原発の「廃炉」を求める動きが拡大しているそうです。
http://mainichi.jp/
我が故郷・東伊豆町は、6月の議会で浜岡原発のの廃炉だけでなく、自然エネルギーへの転換を求めたそうです。
さすがにー、我が故郷・東伊豆町です。
近いうちに、議員さんと町の重役に会う機会が予定されていますので、大拍手を送りたい思います。
静岡県から原発の「廃炉」「永久停止」の運動を広げてもらいたいものです。
本日、午前10時から12月の「教育とカウンセリング・コース」を開催しました。
参加者は9名(男性3名 女性6名)でした。
『正法眼蔵随聞記』の音読の後、井戸端。
井戸端が盛り上がり、テキスト「やさしいカウンセリング講義」は読めませんでした。
井戸端の話題。
人生の「陰陽」に話が及びました。
聞者から、精神科医の北村修さんの、「昔、駅には表口・裏口があった。しかし、この頃は、表口も裏口無くなってしまった。例えば、新宿駅。昔は東口は歌舞伎町にもつながる表口。裏口は、淀橋浄水場だった」と。
アメリカでカウンセリングワークショップに参加した河野さんのお話。
セッションで、「天使と悪魔あらわす」の出されたそうです。
参加のアメリカ人と日本人で、表現の仕方が全く違ったそうです。
アメリカ人は、天使と悪魔を別人格と二人として表現したそうです。
日本人は、天使の影として悪魔を表現し、一人と表現したそうです。
面白い報告でした。
そうそう、仏典には、「随逐影護」(影が形によりしたがって離れない)というように、一体を大事にできるんですね。