里村専精師の「浄土真宗にようこそ No13」をお届けします。
浄土真宗にようこそ(No13)
仏教の歴史は、連綿とした真実開顕の大行の展開でした。
それは純粋にブッダ・如来の水準で成し遂げられて来ています。
他力の仏道は、如来の本願の意図のままにその実があげられています。
その場合その歴然とした証拠として、具体的なサンガがあることが目安になります。
ブッダの時代の四衆、やがて展開してさまざまな部派へ、それがサンガの具体相です。
中国では玄中寺、そして日本の法然上人の吉水のサンガがありました。
親鸞聖人には関東の御同行が、サンガとして見つめることができます。
やがて蓮如上人の時代には、吉崎・山科・石山と活発にサンガ運動が展開していました。
それは如来の本願によって展開されている大行と見ることができます。
偉大な仏道の運動だから、それは大行なのです。
中国・日本では、この本願の運動はほとんど省みられることもなくなっています。
法然上人について、日本の宗教界は永い弾圧の繰り返しでした。
エリート仏教しか考えられない、仏教への半端でかたくなな理解が続いています。
仏教と自称していても、ほとんどがアニミズム・シャーマニズムに堕している…、
その偏頗な仏教史観が、今も日本の精神の問題なのです。
誰であってもちゃんと本願が包んでくる、そういう大きな如来の運動があるのです。
南無阿弥陀仏するということは、そのような如来の運動への呼応です。
いっさい衆生もろともに、かの無量光明土へ生まれるということ。
親鸞も法然も、七祖たちもインドのサンガの人々も、同じ感動に生きたはずです。
如来の本願が行じているサンガ形成の歴史に参加することが念仏往生なのです。
歴史を貫く同質の高らかな感動に満ちた生存を、親鸞は見つめています。
明日、夜、新小岩のお寺様で開催される里村専精師の『仏説無量寿経下巻』のお話があります。
二月に一回、新潟から上京してくださっています。
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