長野県東部に2泊の温泉旅行。ちょうど紅葉が終わる前で、少し寒くなりかかかっていた。今回は小諸の中棚温泉と上田の別所温泉に泊ったが、宿の話は別に書きたい。今まで別所温泉は何度も行っていて、小諸も行っている。しかし、佐久インターで下りたことがなかった。調べてみると、日本唯二の「五稜郭」(五角形の洋風城郭)、「龍岡城」が近くにあった。もう一つはもちろん函館だけど、この龍岡城は駅名にもなってるのに知られていない。また中山道の宿場が4つもある。川待ちなどに備え短い距離に宿場が置かれたという。僕の大好きな相米慎二監督の映画「台風クラブ」のロケ地もある。(ロケした中学は焼失して再建。)そういう場所があるんだけど、今回は時間の関係で残念ながら見られなかった。今回見たのは、旧中込学校と貞祥寺の二カ所。まずインターから南下し、旧中込学校へ。
この美しい塔を持つ「旧中込学校」は、1875年(明治8年)に建てられた。洋風の小学校の建物のもっとも古いものの一つである。塔は太鼓を吊るして時を知らせたので「太鼓楼」と言われたという。正面にはベランダがあり、廊下にはステンドグラスがはめ込まれている。中に入ると、下の写真のような感じ。大きな部屋にはオルガンがあり、自由に弾いて下さいとある。2階へあがると、やはりステンドグラスが美しい。丸岡秀子さんが卒業生だということで、その紹介もあった。「農村婦人問題」などに取り組んだ女性運動家である。(ベランダと太鼓楼には出られない。)
ということで、下りてきて隣りにある資料館や鉄道公園を見たあと、裏へ見ようかなとしたところ、なんと驚きの状態を見たのだった。何人か見物客はいたけど、大体表から写真を撮って帰っていたようだけど、裏はこんな様子。
一見美しいけど、2カ所剥がれているではないか。どうしちゃったんだろうか。一か所はかなり大きく剥がれ落ちている。これも展示なのか。それはないだろう、修理してないだけなんだろうけど、裏まで手が回らないのかなあ。そこから貞祥寺(ていしょうじ)へ。ここは三重塔と島崎藤村旧居がある。1521年創建のかなり大きい寺で、見て回る甲斐があった。塔の上の道まで出ると、黄葉がきれいだった。写真の最後2枚が寺の入り口にある藤村旧居。夏は公開してるらしいが、今は閉めていた。ここに藤村が住んでいたのではなく、小諸の住居を買い取った人がいて、ここに移築されたのである。ここを見た後で小諸に向かうことにした。
小諸の中棚温泉に泊り、懐古園入園付プランだから、翌日に懐古園(かいこえん)に。まあ小諸城址だけど、島崎藤村が1899年(明治32年)に小諸義塾の教師として赴任し、1905年まで6年間在任した。その間に「千曲川のスケッチ」が著され、小諸城址も有名になったわけで、懐古園にも記念館がある。でも、まあ基本はお城。前日まで紅葉まつりだったけど、この日も素晴らしい紅葉を見られた。最後の写真は天守閣跡。石垣も明治以後壊されて、後に再建されたものだという。
素晴らしい紅葉の数々。最後の写真は落ち葉に映る自分の影。
ところで、藤村以上に小諸に貢献したのは、木村熊二(1845~1927)ではないかと思った。木村は明治女学校を作ったクリスチャンの教育者で、名前は知っていたが詳しいことは知らなかった。でも、明治女学校を2番目の妻のスキャンダルで退き、後に小諸義塾を開いて藤村などを招いた。それだけでなく、「水明楼」という家を建て近くに鉱泉の出るのを見つけた。これが中棚温泉で、水明楼は現存している。その話は別に書くが、懐古園のそばに小諸義塾記念館もある。案外近いし、共通券で入れるので是非行きたい。当時の本館の建物だという。そこで見た年表によると、木村という人はスキャンダル後に、30近く離れた三度目の妻(早大の「都の西北」の作曲者の妹)と結婚し何人も子どもを作っている。昔の人はすごいね。木村の姿が懐古園の石垣にあった。最初が記念館。最後が島崎藤村。
その後、町中に出るが、うまく停められない。大手門や本陣など重要文化財指定のものがあるが、見れなかった。「そば七」で食べる。ここは美味しかった。レトロな街並みが楽しい。その後もっと面白い「昭和レトロ」の街並みもあったけど、運転してると写真を撮れない。町を入ると、「藤村の井戸」(今も水が出る。飲めないけど。)や「藤村旧居跡」なども。先ほど載せた旧居はここにあったわけ。街には不思議な装飾の骨董店もあった。そば屋の隣の紙屋には、俵万智の色紙があった。そこから高浜虚子の疎開していた家に寄る。そこらへんの「虚子の散歩道」を歩いたが、今は家が立ち並び風情はかなり変わった感じ。でも浅間山が堂々たる姿を見せていた。(写真は撮らなかった。)下に載せた写真は、順番に「そば七」、骨董屋、藤村旧居跡、虚子旧居。
この美しい塔を持つ「旧中込学校」は、1875年(明治8年)に建てられた。洋風の小学校の建物のもっとも古いものの一つである。塔は太鼓を吊るして時を知らせたので「太鼓楼」と言われたという。正面にはベランダがあり、廊下にはステンドグラスがはめ込まれている。中に入ると、下の写真のような感じ。大きな部屋にはオルガンがあり、自由に弾いて下さいとある。2階へあがると、やはりステンドグラスが美しい。丸岡秀子さんが卒業生だということで、その紹介もあった。「農村婦人問題」などに取り組んだ女性運動家である。(ベランダと太鼓楼には出られない。)
ということで、下りてきて隣りにある資料館や鉄道公園を見たあと、裏へ見ようかなとしたところ、なんと驚きの状態を見たのだった。何人か見物客はいたけど、大体表から写真を撮って帰っていたようだけど、裏はこんな様子。
一見美しいけど、2カ所剥がれているではないか。どうしちゃったんだろうか。一か所はかなり大きく剥がれ落ちている。これも展示なのか。それはないだろう、修理してないだけなんだろうけど、裏まで手が回らないのかなあ。そこから貞祥寺(ていしょうじ)へ。ここは三重塔と島崎藤村旧居がある。1521年創建のかなり大きい寺で、見て回る甲斐があった。塔の上の道まで出ると、黄葉がきれいだった。写真の最後2枚が寺の入り口にある藤村旧居。夏は公開してるらしいが、今は閉めていた。ここに藤村が住んでいたのではなく、小諸の住居を買い取った人がいて、ここに移築されたのである。ここを見た後で小諸に向かうことにした。
小諸の中棚温泉に泊り、懐古園入園付プランだから、翌日に懐古園(かいこえん)に。まあ小諸城址だけど、島崎藤村が1899年(明治32年)に小諸義塾の教師として赴任し、1905年まで6年間在任した。その間に「千曲川のスケッチ」が著され、小諸城址も有名になったわけで、懐古園にも記念館がある。でも、まあ基本はお城。前日まで紅葉まつりだったけど、この日も素晴らしい紅葉を見られた。最後の写真は天守閣跡。石垣も明治以後壊されて、後に再建されたものだという。
素晴らしい紅葉の数々。最後の写真は落ち葉に映る自分の影。
ところで、藤村以上に小諸に貢献したのは、木村熊二(1845~1927)ではないかと思った。木村は明治女学校を作ったクリスチャンの教育者で、名前は知っていたが詳しいことは知らなかった。でも、明治女学校を2番目の妻のスキャンダルで退き、後に小諸義塾を開いて藤村などを招いた。それだけでなく、「水明楼」という家を建て近くに鉱泉の出るのを見つけた。これが中棚温泉で、水明楼は現存している。その話は別に書くが、懐古園のそばに小諸義塾記念館もある。案外近いし、共通券で入れるので是非行きたい。当時の本館の建物だという。そこで見た年表によると、木村という人はスキャンダル後に、30近く離れた三度目の妻(早大の「都の西北」の作曲者の妹)と結婚し何人も子どもを作っている。昔の人はすごいね。木村の姿が懐古園の石垣にあった。最初が記念館。最後が島崎藤村。
その後、町中に出るが、うまく停められない。大手門や本陣など重要文化財指定のものがあるが、見れなかった。「そば七」で食べる。ここは美味しかった。レトロな街並みが楽しい。その後もっと面白い「昭和レトロ」の街並みもあったけど、運転してると写真を撮れない。町を入ると、「藤村の井戸」(今も水が出る。飲めないけど。)や「藤村旧居跡」なども。先ほど載せた旧居はここにあったわけ。街には不思議な装飾の骨董店もあった。そば屋の隣の紙屋には、俵万智の色紙があった。そこから高浜虚子の疎開していた家に寄る。そこらへんの「虚子の散歩道」を歩いたが、今は家が立ち並び風情はかなり変わった感じ。でも浅間山が堂々たる姿を見せていた。(写真は撮らなかった。)下に載せた写真は、順番に「そば七」、骨董屋、藤村旧居跡、虚子旧居。