猪瀬都知事に徳洲会から5千万が渡っていた問題。本人が「個人的な借金」といい、返したと言って、借用証も出てきた。どうも選挙資金らしいとは思いつつ、渡した方の最高責任者は重病、猪瀬氏の妻は亡くなっていて、どうにもはっきりウソと証明するのも難しい…と思っていたのだが、さらに考えるともなく考えていたら、ちょっと違って見えてきたことがある。その話。
この「借金」は「妻名義の貸金庫」に預けてあったが、妻のゆり子さんが7月21日に亡くなり、そのために返すのが遅くなったという説明だった。でも、ここでよく考えてみたい。うっかりそんなことも政治家にはあるのかなと思ってしまいがちだが、日本の民法には「夫婦共有の財産」という制度がない。「妻の財産は妻のもの」であり、それは「夫の財産」ではない。夫の預金と夫名義のローンで家を買って、所有権を半分ずつにしたら、夫から妻への贈与税がかかる。(僕は昔、家を買った時に持ち分を間違って登記してしまい、贈与税がかかりそうになったことがある。そういう場合は司法書士に依頼して「前の登記は間違い、理由は錯誤」という訂正をしてもらわないといけない。)
つまり「妻名義の貸金庫」などという表現はおかしいのである。妻の名義の貸金庫に入っているものは、妻の財産である。もっともお金に名前は書いてないから、お互いに生きていて裏で出し入れしている限り、確かに誰のお金とも判らない。しかし、妻は死んでしまった。妻名義の貸金庫は手続きが済むまで開けられない。妻が亡くなり、妻名義の貸金庫を開け、そこに5千万があった。それは「妻の遺産」である。徳洲会からもらった5千万は「妻の遺産」になったはずである。しかし、借用書は猪瀬名義である。従って、この5千万円は「猪瀬氏から妻へ贈与された」ものである。しかし、もちろん贈与税は払っていないだろう。また相続税の届けもしていないだろう。これは形式的に脱税に当たると思われる。
以上に書いたことは形式論である。問題はなぜ「妻名義の貸金庫」なるものがあるのかということである。もちろん、妻が個人的に宝石や証券類、重要書類などを保管するために借りていたのかもしれない。しかし、それなら猪瀬氏本人が利用するべきものではないだろう。僕が想像するに、前から「表に出す必要のないお金をここで保管していたのではないか」という疑いがある。本を出した場合の印税などは、今は全部振込みだからごまかしようがない。でも小さな講演会や雑誌などでは、今でも現金払いのお金もあるだろう。昔は「お車代」だって結構な金額になったはずだ。それらはまとめれば年に百万、二百万になった年もあるのではないか。バブル時代から、いろいろなメディアで活躍してきたのだから。それらを申告せずに「妻名義の貸金庫」に保管していたのではないか。僕はそういう疑問を持つのだが、間違っているだろうか。
そしてここに「5千万」が加わった。それは「選挙資金」か「政治資金」か「わいろ」か「借金」か、いずれかはともかくとして、「妻名義の貸金庫に保管するべき性質のカネ」と認識されていたわけである。話がちょっと変わるが、猪瀬氏のことをよく「作家出身の知事」という人がいる。まあ今は「ノンフィクション作家」という言葉も使われるから、猪瀬氏も作家でいいだろう。でも「作家出身」は間違いである。都知事になる直前の職は「副知事」である。全国でたくさんいたと思うが、「副知事出身の知事」なのである。だから徳田氏は「作家が選挙に出るからお金を貸した」のではない。石原氏は衆議院議員を辞めていて、ただの民間人として都知事選に立候補した。しかし、猪瀬氏は副知事として立候補したのであり、徳田氏がお金を出したのは「副知事にお金を渡した」ということになる。
さて、「医療法」という法律があり、以下のようになっている。「第七条 病院を開設しようとするとき、医師法の規定による登録を受けた者及び歯科医師法の規定による登録を受けた者でない者が診療所を開設しようとするとき、又は助産婦でない者が助産所を開設しようとするときは、開設地の都道府県知事(診療所又は助産所にあっては、その開設地が保健所を設置する市の区域にある場合においては、当該保健所を設置する市の市長)の許可を受けなければならない。」
一方、地方自治法第百六十七条では、「副知事及び副市町村長は、普通地方公共団体の長を補佐し、普通地方公共団体の長の命を受け政策及び企画をつかさどり、その補助機関である職員の担任する事務を監督し、別に定めるところにより、普通地方公共団体の長の職務を代理する。」とある。
つまり、猪瀬副知事は病院開設の許認可権限を持つ知事を「補佐」し、「政策及び企画をつかさど」っていたのである。副知事に「職務権限」があることは明らかで、都内に病院、老人福祉施設を有している徳洲会から大金を「借りる」ことは、目的が何であるにせよ、「限りなくわいろに近い」と言うべきではないか。特定の請託はないとしても、「今後もよろしく」という趣旨がないはずがないと思う。まあ都知事選に落ちたら「ただの人」だけど、猪瀬氏が最有力候補だったのは間違いない。人が一番行く衆議院選挙と同時になって、まさか400万票も獲得するとはその時は思っていなかったけれど。
猪瀬氏の著作は大宅賞を受けた「ミカドの肖像」の他何冊か読んだこともあるが、いつも隔靴掻痒というか、一番大事な所をはずしてストライクにならない球を投げ続けてきた印象がある。政治に関与した後も同じで、いつも大事な所を外しているように見える。石原氏は外すのではなく、ねらって暴投していくわけで、少しタイプが違う。まあ「小物」とも言えるかもしれない。やはりこの程度の人物だったのかというのがまず感じたことである。選挙にいくらかかるか知らないが、誰かに世話になって金を貰ったら、当選しても頭が上がらない。そんなことが判らないわけではないだろう。それでも断らない生き方をしてきたということなんだと思う。
僕が思い出すのは、1992年の新潟県金子清知事のケースである。1989年に当選し一期目を務めていた金子知事に、東京佐川急便から1億円が渡っていたことが明らかになり、政治資金規正法違反で在宅起訴された。知事は辞任し、知事選挙が行われたのである。今回の猪瀬氏のケースはこれに極めて近いというべきではないか。
この「借金」は「妻名義の貸金庫」に預けてあったが、妻のゆり子さんが7月21日に亡くなり、そのために返すのが遅くなったという説明だった。でも、ここでよく考えてみたい。うっかりそんなことも政治家にはあるのかなと思ってしまいがちだが、日本の民法には「夫婦共有の財産」という制度がない。「妻の財産は妻のもの」であり、それは「夫の財産」ではない。夫の預金と夫名義のローンで家を買って、所有権を半分ずつにしたら、夫から妻への贈与税がかかる。(僕は昔、家を買った時に持ち分を間違って登記してしまい、贈与税がかかりそうになったことがある。そういう場合は司法書士に依頼して「前の登記は間違い、理由は錯誤」という訂正をしてもらわないといけない。)
つまり「妻名義の貸金庫」などという表現はおかしいのである。妻の名義の貸金庫に入っているものは、妻の財産である。もっともお金に名前は書いてないから、お互いに生きていて裏で出し入れしている限り、確かに誰のお金とも判らない。しかし、妻は死んでしまった。妻名義の貸金庫は手続きが済むまで開けられない。妻が亡くなり、妻名義の貸金庫を開け、そこに5千万があった。それは「妻の遺産」である。徳洲会からもらった5千万は「妻の遺産」になったはずである。しかし、借用書は猪瀬名義である。従って、この5千万円は「猪瀬氏から妻へ贈与された」ものである。しかし、もちろん贈与税は払っていないだろう。また相続税の届けもしていないだろう。これは形式的に脱税に当たると思われる。
以上に書いたことは形式論である。問題はなぜ「妻名義の貸金庫」なるものがあるのかということである。もちろん、妻が個人的に宝石や証券類、重要書類などを保管するために借りていたのかもしれない。しかし、それなら猪瀬氏本人が利用するべきものではないだろう。僕が想像するに、前から「表に出す必要のないお金をここで保管していたのではないか」という疑いがある。本を出した場合の印税などは、今は全部振込みだからごまかしようがない。でも小さな講演会や雑誌などでは、今でも現金払いのお金もあるだろう。昔は「お車代」だって結構な金額になったはずだ。それらはまとめれば年に百万、二百万になった年もあるのではないか。バブル時代から、いろいろなメディアで活躍してきたのだから。それらを申告せずに「妻名義の貸金庫」に保管していたのではないか。僕はそういう疑問を持つのだが、間違っているだろうか。
そしてここに「5千万」が加わった。それは「選挙資金」か「政治資金」か「わいろ」か「借金」か、いずれかはともかくとして、「妻名義の貸金庫に保管するべき性質のカネ」と認識されていたわけである。話がちょっと変わるが、猪瀬氏のことをよく「作家出身の知事」という人がいる。まあ今は「ノンフィクション作家」という言葉も使われるから、猪瀬氏も作家でいいだろう。でも「作家出身」は間違いである。都知事になる直前の職は「副知事」である。全国でたくさんいたと思うが、「副知事出身の知事」なのである。だから徳田氏は「作家が選挙に出るからお金を貸した」のではない。石原氏は衆議院議員を辞めていて、ただの民間人として都知事選に立候補した。しかし、猪瀬氏は副知事として立候補したのであり、徳田氏がお金を出したのは「副知事にお金を渡した」ということになる。
さて、「医療法」という法律があり、以下のようになっている。「第七条 病院を開設しようとするとき、医師法の規定による登録を受けた者及び歯科医師法の規定による登録を受けた者でない者が診療所を開設しようとするとき、又は助産婦でない者が助産所を開設しようとするときは、開設地の都道府県知事(診療所又は助産所にあっては、その開設地が保健所を設置する市の区域にある場合においては、当該保健所を設置する市の市長)の許可を受けなければならない。」
一方、地方自治法第百六十七条では、「副知事及び副市町村長は、普通地方公共団体の長を補佐し、普通地方公共団体の長の命を受け政策及び企画をつかさどり、その補助機関である職員の担任する事務を監督し、別に定めるところにより、普通地方公共団体の長の職務を代理する。」とある。
つまり、猪瀬副知事は病院開設の許認可権限を持つ知事を「補佐」し、「政策及び企画をつかさど」っていたのである。副知事に「職務権限」があることは明らかで、都内に病院、老人福祉施設を有している徳洲会から大金を「借りる」ことは、目的が何であるにせよ、「限りなくわいろに近い」と言うべきではないか。特定の請託はないとしても、「今後もよろしく」という趣旨がないはずがないと思う。まあ都知事選に落ちたら「ただの人」だけど、猪瀬氏が最有力候補だったのは間違いない。人が一番行く衆議院選挙と同時になって、まさか400万票も獲得するとはその時は思っていなかったけれど。
猪瀬氏の著作は大宅賞を受けた「ミカドの肖像」の他何冊か読んだこともあるが、いつも隔靴掻痒というか、一番大事な所をはずしてストライクにならない球を投げ続けてきた印象がある。政治に関与した後も同じで、いつも大事な所を外しているように見える。石原氏は外すのではなく、ねらって暴投していくわけで、少しタイプが違う。まあ「小物」とも言えるかもしれない。やはりこの程度の人物だったのかというのがまず感じたことである。選挙にいくらかかるか知らないが、誰かに世話になって金を貰ったら、当選しても頭が上がらない。そんなことが判らないわけではないだろう。それでも断らない生き方をしてきたということなんだと思う。
僕が思い出すのは、1992年の新潟県金子清知事のケースである。1989年に当選し一期目を務めていた金子知事に、東京佐川急便から1億円が渡っていたことが明らかになり、政治資金規正法違反で在宅起訴された。知事は辞任し、知事選挙が行われたのである。今回の猪瀬氏のケースはこれに極めて近いというべきではないか。