尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

追悼・土井たか子

2014年09月29日 23時11分17秒 | 追悼
 日本の憲政史上、女性として初の衆議院議長となった土井たか子(1928~2014)が亡くなった。そう言えば、この人の名前をしばらく聞いてなかった。反原発、集団的自衛権容認反対等のデモがいっぱいあるけれど、デモの先頭とは言わずとも、メッセージぐらいは寄せてもいいはずなのに、全然名前を聞かないと思ったら、長い闘病で近しい人にも会わないようにしていたのだという。

 この人に関しては、40代以上の人なら何事か語るべきことがあるのではないか。評価するにせよ、しないにせよ。日本の政治家でこれほど、さっそうとして、強い意気込みとリーダーシップを感じる人はいなかった、という時期がある。80年代後半の一時期である。自分が見てきた限りで、清新な魅力で国民の期待をものすごく集めた政治家としては、好き嫌いを別にして、田中角栄小泉純一郎と並んで土井たか子の名前を挙げることができる。(田中角栄はあっという間に「転落」したが。)

 土井たか子には「女性として初めて」がいっぱいある。1986年に、議席数では自民党に次ぐ日本社会党委員長に就任した。そこから、様々な「日本の憲政史上、女性として初めて」が始まる。あまり触れられていないが、「女性として初めて、内閣総理大臣指名選挙で指名を受けた」というのもある。えっ、首相になってはいないだろうと思われるだろうが、これは参議院でのことである。1989年夏、参議院選挙で自民党は大敗北し過半数を失った。当時の宇野首相は辞任し、後任の自民党総裁には海部俊樹が選出された。首班指名選挙が行われたわけだが、衆議院は海部俊樹を指名し、憲法の規定で衆議院の指名が優先するため海部内閣が成立したのである。だから、結局はムダに終わったと言えばその通りで、それが判っているから各野党(公明、民社、共産等もすべて)は政策協定もなく、指名選挙で「土井たか子」と書いただけである。しかし、それにしても今まで日本の歴史上で女性が首相の地位にもっとも近づいたのが、この瞬間だったのは間違いない。

 この1989年参院選は、自民党が4点セットと言われる逆風に苦しんだ。リクルート事件消費税牛肉・オレンジの自由化問題、そして選挙中に大騒動になった宇野首相の「女性問題」である。これに対して、野党側は土井委員長の社会党を中心に「ダメなものはダメ」と攻め立てた。この言葉は、2009年の総選挙時の「政権交代」と同じような強い印象を有権者に与えたと言っていい。リクルート事件で、主要な政治家は大体首相になれる条件がなく(安倍晋太郎や宮沢喜一が典型)、竹下内閣の外相だった宇野宗佑に総裁の地位が回ってきたものの、まさか「女性問題」まで出てくるとは。この選挙は「党首力」が決め手になったのである。

 しかし、この「成功」は社会党(社会民主党)にとって、大きな問題を残した面もあるのではないだろうか。社民党が「護憲」とともに「消費税反対」をウリにする政党になってしまった原因はこの時に由来するのではないか。消費税のないアメリカと違い、高率の消費税(と同じ大型間接税)があるヨーロッパの「福祉の充実した共助社会」こそが、ヨーロッパの社会民主主義が作ってきたもののはずである。しかし、日本の場合、「公約違反の大型間接税」という「出自の危うさ」がずっとつきまとっている。1986年に中曽根首相が「死んだふり」を続けて突然衆議院を解散、史上二回目の衆参同日選を強行した。この時に中曽根首相が「大型間接税は導入しない」と確かに公約したことを当時の日本人なら皆よく覚えていた。だから「ダメなものはダメ」というのは、「公約違反はダメ」ということだと思う。

 89年参院選、90年衆院選のときの「マドンナ旋風」ももう忘れられているだろう。今振り返ってみると、その時の当選議員はほとんどがその後の政界に生き残れず、数人が民主党で一定の活躍をした程度で終わってしまった。地方選挙でもずいぶん女性議員が誕生したが、結局政治の世界を大きく変えることはできなかった。21世紀になってからは、むしろ右派の女性議員の方が「活躍」していることは周知の通り。でも、僕はこの問題はもっと長いスパンで見ていくべき問題だと思う。

 いつの頃からか、中学や高校で「女子の生徒会長」が当たり前になってきた。それまでは、規約にも何にもないのに、「やっぱり生徒会長は男子」という「ガラスの天井」が多くの学校にあったのである。教師のなかにもあったし、第一に生徒の心の中にあったから女子は会長に立候補しないわけである。だんだん変わってきたけど、それは土井たか子委員長の誕生のことからではないか。各学校に「わが校の土井さん」「第二のおたかさん」などと言われる女子生徒がけっこういたはずである。それらの生徒も、今は40代前後の「アラフォー世代」である。しかし、もうしばらくすると、会社や官界で発言力が強くなったり、育児が一段落して地方議会選挙にどんどん出てきたりするはずである。それらの世代の女性が、「自分の若い頃に土井たか子さんという女性政治家がいて、女が総理大臣を目指してもいいんだと強い印象を受けた」と語り始めると思っているのである。そういう時代を、世代を超えて準備したというのが、土井さんの最大の功績なのではないか。
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「誤報」を恐れず「未報」を畏れよ-朝日問題⑧

2014年09月29日 00時19分43秒 | 社会(世の中の出来事)
 例により長くなってしまったので、最後にまとめて書いてしまって、何とか今回で終りにしたい。最近の回で書いているのは、「朝日たたき」問題は日本の言論空間の今後を左右するような思想、政治的な問題だということである。だから、朝日新聞を取っているとかいないとか、朝日もつまらなくなったしどっちもどっちだとか、やっぱり謝罪が遅れたのは問題ではないかなどといったレベルの問題で語る問題ではない。「思想的事件」なんだから、そういう意味では一人ひとりが「旗幟鮮明」(きしせんめい=立場をはっきりさせる)を求められるのではないか。今回の対応を見ると、朝日以上に毎日新聞も心配。昨年末の特定秘密保護法の時は、朝日や東京より鮮明な反対論だったと思うのだが。

 朝日内部の対応については、首脳陣の内情などは判らないし、関心もない。朝日であれ、他の新聞、雑誌であれ、今回の「朝日たたき」を見て、「敗走」してしまうか、「雌伏」の選択をするか、それとも「再出発」の狼煙を上げるか。僕の基本的立場は幕末の長州藩、第一次長州戦争後を思い出すということにつきる。一端は「恭順やむなし」が藩論となった時に、一人でも立ち向かい決起した高杉晋作のような人物がいて、初めて近代日本は成立した。広がる格差と差別の中で、一人でも「奇兵隊」を起ち上げる覚悟があるか。新聞というのは、やはり「奇兵隊」でなくてはならない。大所高所から読者に「お説教」するようになったらおしまいである。

 でも朝日新聞も、いつの間にか日本のマスコミの中でも一番の「エリート集団」になってしまった。そう言われるし、やっぱり入社試験突破も大変になると、野人臭よりエリート臭が強くなってきたのではないか。世の中全般がそうなってきたし、どこの社もそうかもしれないが、「トップ企業」としての朝日には「頭が高い」といった批判がつきまとう。僕が個人的に接してきた限りでは、記者の一人ひとりは優秀なんだろうけど、電話やネットでの対応などは確かに「守り」中心という感じを受けることもある。

 新聞は「野党」でなければならない。これは具体的な野党支持ということではない。米英みたいに、大部数の大衆紙と少部数の高級紙に分かれ、政党支持もはっきり打ち出す社会もある。しかし、日本では少数派である新聞でも、100万部を超える部数を持つ。政党支持に関しては「不偏不党」を打ち出さざるを得ないだろうけど、「社会の批判勢力」であり、「世の中に警鐘を鳴らす」役目を果たすから、存在意義がある。マスコミの存在そのものが「社会の野党勢力」であるべきだ。

 産経新聞は、2009年の総選挙の民主党勝利後に、公式ツイッターで「産経新聞が初めて下野」と思わずつぶやいてしまった。もちろんこれは取り消されたけど、やはり「ホンネがもれた」というものだろう。このように自己を政権党と一体化させている新聞では困ると思うのである。集団的自衛権だって、原発だって、世論調査では反対の方が多いんだから、基本政策を支持したとしても、進め方をめぐって「もっと丁寧な説明を」とか「もっとゆっくり進めよ」とか言わないと新聞ではないと思う。靖国問題でも産経は一紙だけ賛成の社説を掲載している。読売も日経も批判的なのである。このように朝日だけでなく、読売や日経にも「安倍首相を止める力はない」わけだから、所詮マスコミの影響力はそんなものと思うべきかもしれない。

 僕は「誤報」以上に重大な間違いは「未報」だと思う。「未報」は「未だ報ぜず」である。問題が大きくなったら報道するが、それまでは報道しない。これは再審・冤罪問題をめぐる報道ではよくあることで、「ハンセン病問題」でも「拉致問題」でも同じ。これらは何かあれば報道される問題だけど、本当の問題は「問題として意識されない」場合である。スポーツ面を例にとると、「高校強豪校の体罰問題」「大相撲の八百長問題」「Jリーグの差別問題」など、問題が起きてから報道するのではなく、もっと前からキャンペーン報道するべき問題だったのではないかというようなことである。多くの記者にとって、知らなかったというより、報道の対象として考えていなかったという問題ではないか。そういう問題は山のようにあるはずである。だから、僕は「誤報」以上に、新聞として報道すべき問題を報じていない「未報」が問題だと思うのである。それは「ネットに出ているのに」といったことではなく、「問題として意識されていない問題」を発掘することに、今後のマスコミの意義があると思う。

 ちょっと一般論になってしまった。朝日に投書が採用されたり、自分が関係する集会の記事を朝日が掲載したこともある。テーマによるんだろうけど、朝日や毎日しか載せてくれないことが多い。僕個人は家に年寄りがいるので、朝日を変える意思はないけど、ここ数年の朝日はどうなんだろうと思うことがやはりあった。しかし、朝日は書評欄が充実している他、あまり言われていないけど、「追悼記事の充実」を挙げておきたい。最近で言えば、ローレン・バコールの追悼を山田宏一山口淑子の追悼を四方田犬彦が書いている。これはまさに「読みたい人が書いている」記事である。もう少し前で言えば、加藤和彦の追悼を北山修テオ・アンゲロプロスの追悼を池澤夏樹小沢昭一の追悼を永六輔…と人を得た追悼記事がいっぱい思い起こされる。近年のものをざっと調べてみれば、他にも若松孝二(宮台真司)、森光子(矢野誠一)、中村勘三郎(串田和美)、東松照明(荒木経惟)、大島渚(篠田正浩、吉田喜重、樋口尚文)、山口昌男(中沢新一)、辻井喬(上野千鶴子、藤井貞和)、大滝詠一(内田樹)、ピート・シーガー(なぎら健壱)、安西水丸(嵐山光三郎)…などといった具合で、これはやはり朝日ならではの名物と言ってもいいのではないか。
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