松竹の映画監督だった中村登(1913~1981)は、2013年が生誕百年で東京フィルメックスで特集が組まれた。その前のヴェネツィア映画祭では「夜の片鱗」が上映されて好評を博したという。最近世界的に再評価されている監督で、最近渋谷のシネマヴェーラ渋谷で特集上映があった。全部見る余裕はなかったけれど、前に見ている作品を含めてまとめを書いておきたい。
(「夜の片鱗」)
女性映画を得意とした松竹で、中村登監督は安定した力量で文芸映画、女性映画を量産した。家族や夫婦の情愛をしみじみと描きだし、爽やかな後味を残す作品が多い。そういう意味で、日本映画の良質な部分を代表するような監督である。松竹には小津安二郎、木下恵介、渋谷実などの作家性の高い「巨匠」がいたけれど、中村登の位置はそのような「巨匠」というより、安定した「佳作」を作る「名匠」と言った扱いを受けてきた。ベストテンに入ったのは、「紀ノ川」(1966年の3位、有吉佐和子原作)、「智恵子抄」(1967年の6位、高村光太郎、佐藤春夫原作)の2本。「智恵子抄」と「古都」(1963年、川端康成原作)はアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。
僕はこれらの映画、特に「古都」が大好きで、多分今回で4回見ている。有名な原作、美人女優の名演、しっとりした情緒と奇をてらわないリアリズム演出による中村映画は昔から好きだった。巨匠より「マイナー・ポエット」好みなので、今まで何回か特集されているときには出来るだけ見てきた。しかし、最近注目されているのは、今までほとんど聞いたこともない「土砂降り」「夜の片鱗」などの作品で、そのビターな味わいと人間性への深い考察に驚かされたのである。コメディも面白いものが多く、単なる文芸映画の職人監督を越えた側面が今見直されている。真の評価をこれからに待つ監督だ。
デビューは案外早く、戦時中の作品が修復されて近年フィルムセンターで上映された。(僕は見逃したので評価できない。)戦後になって、1951年の「我が家は楽し」が最近評価が高い。笠智衆、山田五十鈴の父母、高峰秀子、岸恵子らが子どもの「仲睦まじい家族」に起こるホームドラマ。原作、脚本は田中澄江である。でも、この映画を「家族の素晴らしさ」とばかり評価するのは間違っている。画家を夢見た母の山田五十鈴は、娘の高峰秀子に夢を託す。父も退職し、家の経済も大変なので高峰秀子も働こうとするけど、母は自分の和服を売り続けて娘の画業を応援する。これは「子どもの自立」を愛情でしばる「日本的家族」の典型例。山田五十鈴は自分の羽で布を織る鶴女房である。そのような視点から再評価するべき作品だ。
女優を美しく撮って松竹映画を支えた中村作品だが、50年代後半は岡田茉莉子と有馬稲子の主演映画が多い。岡田茉莉子は、井伏鱒二原作のロードムービー「集金旅行」(1957)が楽しい。地方の風景の珍しさとともに岡田茉莉子のコメディ演技が堂に入る。また、村松梢風原作の「斑女」(はんにょ、1961)も北海道から夫の弟と駆け落ちしてきた岡田茉莉子が、東京タワーを描いていた画家山村聰と知り合い、バーのホステスになりながら生き抜くさまを軽妙洒脱に描いて行く。東京風景、特に東京タワーをこれほどオシャレに使った映画は他にないのではないか。後の「三丁目の夕日」「東京タワー」など足元にも及ばない。日本映画にこんなオシャレな「東京映画」があったのである。
(「集金旅行」)
引き続き1961年に岡田、山村コンビで撮った井上靖原作「河口」がよく出来ている。財界有力者と別れ画廊を開く元愛人という、ありそうでなさそうな役を岡田茉莉子が楽しく演じる。一方、山村は財界有力者かと思うと、その滝沢修に頼まれて画廊を助ける美術マニアを演じている。これが実におかしな役で、非常に面白い映画だと思う。
その前に1957年に「土砂降り」があり、これも岡田、山村共演だけど、ここでは親子である。しかも、山村聰は愛人の沢村貞子に3人の子をもうけ、長女が岡田茉莉子、その下に田浦正巳、桑野みゆきがいる。沢村は旅館(「連れ込み旅館」)をやらせてもらい、子どもを育てている。岡田は職場で佐田啓二と仲良くなり結婚の約束もするが…。家庭環境を調べられ破談となり、そこからどんどん転落していく。家族関係が破たんしていく様を、モノクロの美しい映像で冷徹に見据えていく。下町の風景も興味深いが、岡田茉莉子の熱演も見事で、「知られざる傑作」から今や「代表作の一本」となった。
一方、有馬稲子の「白い魔魚」(1956)は、舟橋聖一原作で、岐阜の紙問屋の娘が東京の大学で学んでいる。キャンパスライフや東京風景が楽しい。1959年の「危険旅行」では流行作家の有馬が仕事を放りだして日本放浪に旅立ち、そこで雑誌記者の高橋貞二と偶然知り合う。各地、特に長崎の平戸の風景が美しい。軽妙なコメディで、ロードムービーの佳作。松本清張原作「波の塔」(1960)は若き検事と愛し合う人妻役を美しくミステリアスに演じる。有馬稲子は美しく忘れがたいが、作品的には軽い。
しかし、中村映画の真のミューズは、60年代の岩下志麻だった。「古都」「智恵子抄」の他、「千客万来」、「暖春」「爽春」「わが恋わが歌」など佳作がいっぱいある。「智恵子抄」の高村智恵子役は鬼気迫る名演中の名演で、キネマ旬報女優賞を受けた。熊谷久虎監督で1957年に原節子主演の「智恵子抄」も作られているが、今はあまり振り返られず、岩下志麻の智恵子が残った。
「古都」(1963)は、成島東一郎のカラー撮影、武満徹の音楽が忘れがたく、また父親役の宮口精二も名演。「七人の侍」に並ぶ名演だと思う。岩下志麻が一人二役で、双子が別れ別れになり商家の一人娘と北山杉の村の職人娘を演じ分ける。格差のある姉妹が祇園祭の日にめぐり合う「奇跡」。清冽な感動を呼ぶ作品である。叙情性と厳しいリアリズム、セリフや小道具の美しさ、格調高き名作で何度見ても飽きない。
(「古都」)
最近評価の高い「夜の片鱗」(1964)は、確かに驚くべき傑作だ。成島東一郎のスタイリッシュなカラー撮影が圧倒的で、一度見たら忘れられない。主演の桑野みゆきは若い時からずいぶんたくさん出演しているが、これが代表作ではないか。ヤクザの平幹二郎に入れ込み、成り行きから街娼を続けてゆくという難役を絶望的なまなざしと倦怠感あふれる演技で演じきっている。定時制高校をさぼってバーを手伝い、ふとなじみの客平幹二郎と結ばれる。家にもいづらく、男の家で暮らし始め、ヤクザの掟に縛られつつ、どんどん堕ちていく。希望のない彼女に惹かれた男が出てくるが…。「原色の街」をさまよう孤独な魂を見つめる目は冷徹かつリリカルで、この作品が忘れられていたのは映画史の損失だった。
長くなったので他の作品を急いで短評。1958年の「顔役」は、銭湯主人の伴淳が山形市議選に出馬する「選挙映画」で、社会派喜劇だが非常に興味深い。1960年「いろはにほへと」は、保全経済会事件をモデルにした社会派経済サスペンス。これも時代と社会の関係が興味深い。佐田啓二が悪役で、伊藤雄之助が警官と普通の逆。1964年の「二十一歳の父」は曽野綾子原作のビターな青春映画。倍賞智恵子が全盲で、山本圭が名家の息子ながら、家出して彼女と結ばれる。しかし…。この映画はわりと知られていて、見たのは2度目だけど、こんなに社会批判の厳しい映画だとは忘れていた。
1966年の「紀ノ川」は今回見てないけど、長い長い大河映画で、司葉子、岩下志麻らの家族が和歌山で生きぬいた様を描く。こういう名作はちょっと苦手で、それより平岩弓枝原作、脚本の「惜春」(1967)が傑作。糸屋の跡取りを3人の娘の誰が継ぐか。姉妹の争いを描くが、長女新珠三千代、死んだ主人の愛人で次女、三女を生んだ森光子もいいんだけど、この映画のキモはうすぼんやりした感じの次女を演じる香山美子である。いつものシャキッとした感じと違う役柄で、これが面白い。
「皇太子ご成婚」から始まる「明日への盛装」(1959)は案外面白かったけど、もう省略。「つむじ風」(1963)は渥美清主演で見たかったけど見逃した。「結婚式・結婚式」(1963)もあちこちでやってたけど、今回も含めていつも見逃し。「風の慕情」(1970)は、さすが橋田寿賀子脚本、吉永小百合、石坂浩二主演だけあって、テレビの2時間ドラマ。オーストラリアまで行って観光映画を作っただけ。吉永、石坂は今と同じで驚き。「塩狩峠」(1973)は三浦綾子原作のキリスト教映画で、今回初めて見たけど、若いころ敬遠していたのが正しかった。僕はこれには感動できない。
(「夜の片鱗」)
女性映画を得意とした松竹で、中村登監督は安定した力量で文芸映画、女性映画を量産した。家族や夫婦の情愛をしみじみと描きだし、爽やかな後味を残す作品が多い。そういう意味で、日本映画の良質な部分を代表するような監督である。松竹には小津安二郎、木下恵介、渋谷実などの作家性の高い「巨匠」がいたけれど、中村登の位置はそのような「巨匠」というより、安定した「佳作」を作る「名匠」と言った扱いを受けてきた。ベストテンに入ったのは、「紀ノ川」(1966年の3位、有吉佐和子原作)、「智恵子抄」(1967年の6位、高村光太郎、佐藤春夫原作)の2本。「智恵子抄」と「古都」(1963年、川端康成原作)はアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。
僕はこれらの映画、特に「古都」が大好きで、多分今回で4回見ている。有名な原作、美人女優の名演、しっとりした情緒と奇をてらわないリアリズム演出による中村映画は昔から好きだった。巨匠より「マイナー・ポエット」好みなので、今まで何回か特集されているときには出来るだけ見てきた。しかし、最近注目されているのは、今までほとんど聞いたこともない「土砂降り」「夜の片鱗」などの作品で、そのビターな味わいと人間性への深い考察に驚かされたのである。コメディも面白いものが多く、単なる文芸映画の職人監督を越えた側面が今見直されている。真の評価をこれからに待つ監督だ。
デビューは案外早く、戦時中の作品が修復されて近年フィルムセンターで上映された。(僕は見逃したので評価できない。)戦後になって、1951年の「我が家は楽し」が最近評価が高い。笠智衆、山田五十鈴の父母、高峰秀子、岸恵子らが子どもの「仲睦まじい家族」に起こるホームドラマ。原作、脚本は田中澄江である。でも、この映画を「家族の素晴らしさ」とばかり評価するのは間違っている。画家を夢見た母の山田五十鈴は、娘の高峰秀子に夢を託す。父も退職し、家の経済も大変なので高峰秀子も働こうとするけど、母は自分の和服を売り続けて娘の画業を応援する。これは「子どもの自立」を愛情でしばる「日本的家族」の典型例。山田五十鈴は自分の羽で布を織る鶴女房である。そのような視点から再評価するべき作品だ。
女優を美しく撮って松竹映画を支えた中村作品だが、50年代後半は岡田茉莉子と有馬稲子の主演映画が多い。岡田茉莉子は、井伏鱒二原作のロードムービー「集金旅行」(1957)が楽しい。地方の風景の珍しさとともに岡田茉莉子のコメディ演技が堂に入る。また、村松梢風原作の「斑女」(はんにょ、1961)も北海道から夫の弟と駆け落ちしてきた岡田茉莉子が、東京タワーを描いていた画家山村聰と知り合い、バーのホステスになりながら生き抜くさまを軽妙洒脱に描いて行く。東京風景、特に東京タワーをこれほどオシャレに使った映画は他にないのではないか。後の「三丁目の夕日」「東京タワー」など足元にも及ばない。日本映画にこんなオシャレな「東京映画」があったのである。
(「集金旅行」)
引き続き1961年に岡田、山村コンビで撮った井上靖原作「河口」がよく出来ている。財界有力者と別れ画廊を開く元愛人という、ありそうでなさそうな役を岡田茉莉子が楽しく演じる。一方、山村は財界有力者かと思うと、その滝沢修に頼まれて画廊を助ける美術マニアを演じている。これが実におかしな役で、非常に面白い映画だと思う。
その前に1957年に「土砂降り」があり、これも岡田、山村共演だけど、ここでは親子である。しかも、山村聰は愛人の沢村貞子に3人の子をもうけ、長女が岡田茉莉子、その下に田浦正巳、桑野みゆきがいる。沢村は旅館(「連れ込み旅館」)をやらせてもらい、子どもを育てている。岡田は職場で佐田啓二と仲良くなり結婚の約束もするが…。家庭環境を調べられ破談となり、そこからどんどん転落していく。家族関係が破たんしていく様を、モノクロの美しい映像で冷徹に見据えていく。下町の風景も興味深いが、岡田茉莉子の熱演も見事で、「知られざる傑作」から今や「代表作の一本」となった。
一方、有馬稲子の「白い魔魚」(1956)は、舟橋聖一原作で、岐阜の紙問屋の娘が東京の大学で学んでいる。キャンパスライフや東京風景が楽しい。1959年の「危険旅行」では流行作家の有馬が仕事を放りだして日本放浪に旅立ち、そこで雑誌記者の高橋貞二と偶然知り合う。各地、特に長崎の平戸の風景が美しい。軽妙なコメディで、ロードムービーの佳作。松本清張原作「波の塔」(1960)は若き検事と愛し合う人妻役を美しくミステリアスに演じる。有馬稲子は美しく忘れがたいが、作品的には軽い。
しかし、中村映画の真のミューズは、60年代の岩下志麻だった。「古都」「智恵子抄」の他、「千客万来」、「暖春」「爽春」「わが恋わが歌」など佳作がいっぱいある。「智恵子抄」の高村智恵子役は鬼気迫る名演中の名演で、キネマ旬報女優賞を受けた。熊谷久虎監督で1957年に原節子主演の「智恵子抄」も作られているが、今はあまり振り返られず、岩下志麻の智恵子が残った。
「古都」(1963)は、成島東一郎のカラー撮影、武満徹の音楽が忘れがたく、また父親役の宮口精二も名演。「七人の侍」に並ぶ名演だと思う。岩下志麻が一人二役で、双子が別れ別れになり商家の一人娘と北山杉の村の職人娘を演じ分ける。格差のある姉妹が祇園祭の日にめぐり合う「奇跡」。清冽な感動を呼ぶ作品である。叙情性と厳しいリアリズム、セリフや小道具の美しさ、格調高き名作で何度見ても飽きない。
(「古都」)
最近評価の高い「夜の片鱗」(1964)は、確かに驚くべき傑作だ。成島東一郎のスタイリッシュなカラー撮影が圧倒的で、一度見たら忘れられない。主演の桑野みゆきは若い時からずいぶんたくさん出演しているが、これが代表作ではないか。ヤクザの平幹二郎に入れ込み、成り行きから街娼を続けてゆくという難役を絶望的なまなざしと倦怠感あふれる演技で演じきっている。定時制高校をさぼってバーを手伝い、ふとなじみの客平幹二郎と結ばれる。家にもいづらく、男の家で暮らし始め、ヤクザの掟に縛られつつ、どんどん堕ちていく。希望のない彼女に惹かれた男が出てくるが…。「原色の街」をさまよう孤独な魂を見つめる目は冷徹かつリリカルで、この作品が忘れられていたのは映画史の損失だった。
長くなったので他の作品を急いで短評。1958年の「顔役」は、銭湯主人の伴淳が山形市議選に出馬する「選挙映画」で、社会派喜劇だが非常に興味深い。1960年「いろはにほへと」は、保全経済会事件をモデルにした社会派経済サスペンス。これも時代と社会の関係が興味深い。佐田啓二が悪役で、伊藤雄之助が警官と普通の逆。1964年の「二十一歳の父」は曽野綾子原作のビターな青春映画。倍賞智恵子が全盲で、山本圭が名家の息子ながら、家出して彼女と結ばれる。しかし…。この映画はわりと知られていて、見たのは2度目だけど、こんなに社会批判の厳しい映画だとは忘れていた。
1966年の「紀ノ川」は今回見てないけど、長い長い大河映画で、司葉子、岩下志麻らの家族が和歌山で生きぬいた様を描く。こういう名作はちょっと苦手で、それより平岩弓枝原作、脚本の「惜春」(1967)が傑作。糸屋の跡取りを3人の娘の誰が継ぐか。姉妹の争いを描くが、長女新珠三千代、死んだ主人の愛人で次女、三女を生んだ森光子もいいんだけど、この映画のキモはうすぼんやりした感じの次女を演じる香山美子である。いつものシャキッとした感じと違う役柄で、これが面白い。
「皇太子ご成婚」から始まる「明日への盛装」(1959)は案外面白かったけど、もう省略。「つむじ風」(1963)は渥美清主演で見たかったけど見逃した。「結婚式・結婚式」(1963)もあちこちでやってたけど、今回も含めていつも見逃し。「風の慕情」(1970)は、さすが橋田寿賀子脚本、吉永小百合、石坂浩二主演だけあって、テレビの2時間ドラマ。オーストラリアまで行って観光映画を作っただけ。吉永、石坂は今と同じで驚き。「塩狩峠」(1973)は三浦綾子原作のキリスト教映画で、今回初めて見たけど、若いころ敬遠していたのが正しかった。僕はこれには感動できない。