朝日問題はちょっと置いといて、また教育問題などもちょっと置いて、まず今日見てきた「あしたのジョー、の時代展」の話。前から見たかったけど、真夏は暑いのでなどと思ってるうちに、最終日の9月21日(日)が近づいてきてしまった。練馬区立美術館(西武池袋線中村橋)。
いやあ、懐かしいなあ。「あしたのジョー」もだけど、当時のテレビCMが2階会場で流れてる。「大きいことはいいことだ」(森永エールチョコ、山本直純)、「オー、モーレツ」(小川ローザ)、「男は黙ってサッポロビール」(三船敏郎)…当時を生きていた人なら皆覚えているものばかり。同じフロアには当時のフォークソングのジャケットもたくさん展示されている。何と言っても岡林信康の圧倒的な存在感。高田渡の「自衛隊に入ろう」のニュアンスが今伝わるだろうか。それにしても最後は仙人みたいだった高田渡がこんなに若かったんだなあ。
「あしたのジョー」っていうのは、高森朝雄(梶原一騎の別名義)原作、ちばてつやの作画によるボクシング漫画。データ的には、1967年暮れから1973年まで『週刊少年マガジン』に連載されたということだけど、アニメ化、実写映画化などで一番インパクトがあったのは、69年、70年頃のことだろう。主人公「ジョー」(矢吹丈)と「宿命のライバル」力石徹の死闘は、比喩ではなく死闘だったわけで、両者ノックダウンのあとで力石徹は死んでしまう。それがジョーのトラウマにもなるわけだが、「打たれても打たれても決して相手に屈せず、血反吐にまみれながら強敵に立ち向かう」(展覧会の説明文)ジョーの姿は、「反乱の時代」の象徴にもなっていく。
梶原一騎と言えば、まったく同時期に「巨人の星」の原作も書いていた。川崎のぼる作画による「巨人の星」は、1966年~1971年に「少年マガジン」に連載されていたわけで、今もなお多くの人の記憶に残る大河マンガを同時期に創作できるというのはすごい。マンガというジャンルの「伝説的な英雄時代」だったわけである。しかし、今は梶原一騎展ではないので、その話は止めておくとして、「あしたのジョー」に戻すと、矢吹丈は「巨人の星」の星飛雄馬以上の大変な環境に育ち、少年院でボクシングを身に付ける。山谷の「ドヤ街」でジョーを気にかけてきた元プロボクサー丹下段平は、毎週「あしたのために」で始まるボクシング技術を書いたハガキを送る。そして少年院で力石徹に出会うのである。そこからの経緯は省略するが、大衆文化のもっとも豊かなドラマ性に富んでいる。しかし、僕はこのスポーツもの定番の「身を持ち崩した昔の英雄」による「あしたのために」に泣かされるのである。
力石徹の死を悼んで、実際に葬儀が執り行われたというのが、この「あしたのジョー」が最も話題になった瞬間だったと思う。1970年3月24日のことだった。場所は講談社の講堂で、何だかもっと大きな場所でやったような「記憶の改ざん」が生じていたのだが、要するに「基本的にはファン向けイベント」だった。しかし、呼びかけたのが天井桟敷の寺山修司で、ボクシング評論家でもあった寺山が司会をし、読経や焼香も行われた。この時の遺影は残されていなかったというが、今回書き直され、当日の祭壇も復元されている。これが今回の一番の目玉ではないか。僕はこのイベントの話は当時知っていたけど、もちろん出かけていない。(もちろんというのは、当時まだ中学生だったということ。)この時の写真を見ると、寺山修司のもっともカッコいい時代ではなかったかと感慨深かった。天井桟敷のポスターなんかも展示されている。
そして、力石徹葬儀の一週間後、1970年3月31日、日航機よど号がハイジャックされたわけである。赤軍派の田宮高麿は「われわれは明日のジョーである」と有名な声明文を残した。(「あしたのジョー」ではなく、「明日のジョー」と書かれていた。)このマニフェストの意味も、当時の時代の文脈でとらえないとよく理解できないのではないかと思う。当時の運動世代は「左手に朝日ジャーナル、右手に少年マガジン」といった感じで、マルクスや吉本隆明を読みながら、一方でサブカルチャーにも親しんでいた。「明日のジョーである」という時のヒロイックな昂揚感と未来への確信、革命のために異邦に身を投じる悲壮な覚悟…、そういった時代精神の象徴として「あしたのジョー」ほどピッタリするものはなかったと思う。
「世界同時革命」を標榜しながら、結局は「チュチェ思想」を受け入れざるを得ず、強大な権力の手ごまとして生きていくしかなかったその後の「よど号グループ」の現実の歩みを思い起こすと、何とも言えない苦い感慨を覚える。しかし、そのような時代を「あしたのジョー」は生きていたのである。赤軍派が「現実の肉体」をもって越境しながらも、実際には世界を「観念」でしかとらえられていなかったのに対して、60年代の「肉体の復権」を今回の展示では「暗黒舞踏」の土方巽(ひじかた・たつみ)に求めている。梶原一騎、寺山修司、土方巽…、その交点に存在したのが「60年代末の熱気」であり、「あしたのジョー」であるという今回の展覧会はとても興味深かった。もちろん「あしたのジョー」の原画がたくさん展示されてます。(もっと早く紹介できれば良かったんだけど。)
いやあ、懐かしいなあ。「あしたのジョー」もだけど、当時のテレビCMが2階会場で流れてる。「大きいことはいいことだ」(森永エールチョコ、山本直純)、「オー、モーレツ」(小川ローザ)、「男は黙ってサッポロビール」(三船敏郎)…当時を生きていた人なら皆覚えているものばかり。同じフロアには当時のフォークソングのジャケットもたくさん展示されている。何と言っても岡林信康の圧倒的な存在感。高田渡の「自衛隊に入ろう」のニュアンスが今伝わるだろうか。それにしても最後は仙人みたいだった高田渡がこんなに若かったんだなあ。
「あしたのジョー」っていうのは、高森朝雄(梶原一騎の別名義)原作、ちばてつやの作画によるボクシング漫画。データ的には、1967年暮れから1973年まで『週刊少年マガジン』に連載されたということだけど、アニメ化、実写映画化などで一番インパクトがあったのは、69年、70年頃のことだろう。主人公「ジョー」(矢吹丈)と「宿命のライバル」力石徹の死闘は、比喩ではなく死闘だったわけで、両者ノックダウンのあとで力石徹は死んでしまう。それがジョーのトラウマにもなるわけだが、「打たれても打たれても決して相手に屈せず、血反吐にまみれながら強敵に立ち向かう」(展覧会の説明文)ジョーの姿は、「反乱の時代」の象徴にもなっていく。
梶原一騎と言えば、まったく同時期に「巨人の星」の原作も書いていた。川崎のぼる作画による「巨人の星」は、1966年~1971年に「少年マガジン」に連載されていたわけで、今もなお多くの人の記憶に残る大河マンガを同時期に創作できるというのはすごい。マンガというジャンルの「伝説的な英雄時代」だったわけである。しかし、今は梶原一騎展ではないので、その話は止めておくとして、「あしたのジョー」に戻すと、矢吹丈は「巨人の星」の星飛雄馬以上の大変な環境に育ち、少年院でボクシングを身に付ける。山谷の「ドヤ街」でジョーを気にかけてきた元プロボクサー丹下段平は、毎週「あしたのために」で始まるボクシング技術を書いたハガキを送る。そして少年院で力石徹に出会うのである。そこからの経緯は省略するが、大衆文化のもっとも豊かなドラマ性に富んでいる。しかし、僕はこのスポーツもの定番の「身を持ち崩した昔の英雄」による「あしたのために」に泣かされるのである。
力石徹の死を悼んで、実際に葬儀が執り行われたというのが、この「あしたのジョー」が最も話題になった瞬間だったと思う。1970年3月24日のことだった。場所は講談社の講堂で、何だかもっと大きな場所でやったような「記憶の改ざん」が生じていたのだが、要するに「基本的にはファン向けイベント」だった。しかし、呼びかけたのが天井桟敷の寺山修司で、ボクシング評論家でもあった寺山が司会をし、読経や焼香も行われた。この時の遺影は残されていなかったというが、今回書き直され、当日の祭壇も復元されている。これが今回の一番の目玉ではないか。僕はこのイベントの話は当時知っていたけど、もちろん出かけていない。(もちろんというのは、当時まだ中学生だったということ。)この時の写真を見ると、寺山修司のもっともカッコいい時代ではなかったかと感慨深かった。天井桟敷のポスターなんかも展示されている。
そして、力石徹葬儀の一週間後、1970年3月31日、日航機よど号がハイジャックされたわけである。赤軍派の田宮高麿は「われわれは明日のジョーである」と有名な声明文を残した。(「あしたのジョー」ではなく、「明日のジョー」と書かれていた。)このマニフェストの意味も、当時の時代の文脈でとらえないとよく理解できないのではないかと思う。当時の運動世代は「左手に朝日ジャーナル、右手に少年マガジン」といった感じで、マルクスや吉本隆明を読みながら、一方でサブカルチャーにも親しんでいた。「明日のジョーである」という時のヒロイックな昂揚感と未来への確信、革命のために異邦に身を投じる悲壮な覚悟…、そういった時代精神の象徴として「あしたのジョー」ほどピッタリするものはなかったと思う。
「世界同時革命」を標榜しながら、結局は「チュチェ思想」を受け入れざるを得ず、強大な権力の手ごまとして生きていくしかなかったその後の「よど号グループ」の現実の歩みを思い起こすと、何とも言えない苦い感慨を覚える。しかし、そのような時代を「あしたのジョー」は生きていたのである。赤軍派が「現実の肉体」をもって越境しながらも、実際には世界を「観念」でしかとらえられていなかったのに対して、60年代の「肉体の復権」を今回の展示では「暗黒舞踏」の土方巽(ひじかた・たつみ)に求めている。梶原一騎、寺山修司、土方巽…、その交点に存在したのが「60年代末の熱気」であり、「あしたのジョー」であるという今回の展覧会はとても興味深かった。もちろん「あしたのジョー」の原画がたくさん展示されてます。(もっと早く紹介できれば良かったんだけど。)