8月には映画演劇界の重要人物の訃報が続いたけど、独立の記事を書くほどよく知らない人が多かった。ここでまとめて追悼の言葉を書いておきたいと思う。でも、最初は孫振斗(ソン・ジンドウ 8.25没、87歳)のことを書きたい。18歳の時広島で被爆したが、戦後になって韓国に強制送還された。しかし、原爆被害の治療が韓国では不十分なため密航してきて逮捕され、被爆者健康手帳の交付を求める裁判を起こし、1978年に最高裁で勝訴したという人である。被爆者援護法には国籍条項はなかった。これが有名な「孫振斗手帳裁判」で、その記録は昔「たいまつ新書」で出たが、今は別に復刊されているようである。民族、国籍を超えた反原爆の運動が、このように実を結んだことがあったことをもっと語り継いで行かないといけない。この裁判闘争には多くの人が関わったが、博多人形の職人だった伊藤ルイさんが初めて関わった市民運動だった。今では伊藤ルイさんの名も知らない人がいるかもしれないが、松下竜一さんの傑作ノンフィクション「ルイズ」の主人公、つまり大杉榮と伊藤野枝の間の子として生まれた人である。
ハイデッガー研究の第一人者だった木田元(きだ・げん 8.16没、85歳)が亡くなった。僕は哲学関係はほとんど読んでないんだけど、様々なメディアで発言してたから、折々に感心して読んだ。昔、生松敬三という早死にした思想史家と語り合った「現代哲学の岐路」という中公新書がものすごく刺激的だった。今見たら、講談社学術文庫で復刊されているようだ。
ロビン・ウィリアムズが自殺という報には驚いた。(8.11没、63歳)「グッド・ウィル・ハンティング」でアカデミー助演賞を得ているが、「ガープの世界」のガープ役と「いまを生きる」の教師役が印象的だった。「精神保健」の大切さに関して考えさせられる。
ローレン・バコール(8.12没、89歳)の訃報は、失礼ながらまだ存命だったのかという感じで受け止めた。言うまでもなくハンフリー・ボガートの相手役であり、妻だった。同時代的な思い出は書けない「伝説の人」だが、「三つ数えろ」(「大いなる眠り」の映画化)などの存在感は忘れがたい。ハリウッドの黄金時代の伝説を生きた人。でもボギー死去後には、フランク・シナトラと恋愛し、ジェイスン・ロバーツと再婚したと山田宏一氏の追悼文にあった。そうだったっけ。もうボギー伝説しか記憶にないのだが。
リチャード・アッテンボロー(8.24没、90歳)はイギリスの有名俳優だった。「大脱走」のイギリス人捕虜など忘れがたい。俳優としてナイトの称号を受けている。その後、監督にも乗り出したが、「素晴らしき戦争」という第一次世界大戦を描いた反戦ミュージカル(だという話で、双葉十三郎先生は「スクリーン」で四つ星を付けていたが、ほとんど話題にならず未見のまま)とか「戦争と冒険」(若き日のチャーチルのボーア戦争での「活躍」を描く)など、英国人しか関心がないようなテーマの作品を撮った。評伝映画が多いが、結局一番成功したのは「ガンジー」で、米国アカデミー賞で監督賞を得た。アパルトヘイトを告発した「遠い夜明け」、ミュージカル「コーラスライン」はわりと評判になったし、記憶されている。でもチャップリンを描いた「チャーリー」、ヘミングウェイを描いた「ラブ・アンド・ウォー」なども作っている。結局、大作監督のような扱いをされたけど、案外本質は違うんではないか。動物学者デイヴィッド・アッテンボローの兄にあたる。
日活ロマンポルノを担った監督の一人、曽根中生(そね・ちゅうせい 8.26没、76歳)はもう映画界から引退していた。というか、数年前にシネマヴェーラ渋谷で曽根特集があった時には、監督は消息不明だった。映画資金かなんかでトラぶって事件に巻き込まれたのではないかという話まであった。2011年の湯布院映画祭に突然現れ、約20年ぶりに名乗りを上げ驚かせたが、大分県で漁業の養殖などの事業に関わっていたという話。ポルノ時代は「㊙女郎市場」が注目され、「天使のはらわた 赤い教室」という暗い情念のたぎる傑作をものした。その前に一般映画「嗚呼!花の応援団」が大ヒットし、そのハチャメチャな楽しさに度肝を抜かれた。ATGでも坂口安吾の大傑作「不連続殺人事件」を一応満足させる出来に仕上げた。そして松竹で「博多っ子純情」を撮って評価された。では、どれが一番かは決めがたいが、僕の人生上では「博多っ子純情」。でも今見ると「天使のはらわた」かもしれないなあ。映画(あるいはポピュラー音楽やコミックなど)は、接した時の年齢が大きい。
米倉斉加年(よねくら・まさかね 8.26没、80歳)が亡くなった。舞台、映画で活躍した俳優で、演出家、絵本作家でもあったと大体そう言われている。その通りで、実に忘れがたい演技をしてたから、小さい時からテレビで知っていた。でも読み方が判らなかった。長いこと「さかとし」なのかと思っていた。僕が最初に市民集会に参加したのは、1974年3月に読売ホールで行われた韓国の民青学連事件救援集会なんだけど、その時に民藝の役者がまとまって参加していて、その時に「まさかね」と読むと知ったように思う。その後も、金芝河などの劇を積極的に演出していて、僕の一番の思い出はそういう時代になる。「男はつらいよ」シリーズでも、印象的な出演が多かった。絵本作家としてボローニャ国際児童図書展で2年連続で受賞していて、「多毛留」(たける)を持ってるはずだが、今は見つからない。反戦平和への思いが演劇活動の前提にあった時代を最後に生きた新劇人の一人だったと思う。
作家の稲葉真弓(8.30没、64歳)は読んでないのだが、映画化された「エンドレス・ワルツ」(鈴木いづみと阿部薫の関係を描いた)の作家として知っていた。2011年に「半島」で谷崎賞を得ている。彫刻家の宮脇愛子(8.20没、84歳)は知らなかったけど、抽象彫刻で知られているという話。磯崎新の夫人だという。そごう会長だった水島広雄(7.28没、102歳)はバブル時代を代表する人とも言え、強制執行妨害容疑で逮捕され有罪が確定した。そごうが日本一の百貨店グループだった時代があるのである。
最後に相撲関係で三人。関脇金剛の元二所ノ関親方(8.13没、65歳)は、「ほら吹き金剛」と呼ばれて、平幕優勝した時の談話は毎日面白かった。1975年の名古屋場所である。元時津風親方(小結双津竜、64歳)は力士死亡事件で逮捕され実刑となった。肺がんだったという。元小結龍虎(8.29没、73歳)は引退後にタレントとして活動した。現役中からテレビで活躍していた。もう若い人には知られていないと思うが、年齢的には相撲取りとしては長生きだったというべきか。
ハイデッガー研究の第一人者だった木田元(きだ・げん 8.16没、85歳)が亡くなった。僕は哲学関係はほとんど読んでないんだけど、様々なメディアで発言してたから、折々に感心して読んだ。昔、生松敬三という早死にした思想史家と語り合った「現代哲学の岐路」という中公新書がものすごく刺激的だった。今見たら、講談社学術文庫で復刊されているようだ。
ロビン・ウィリアムズが自殺という報には驚いた。(8.11没、63歳)「グッド・ウィル・ハンティング」でアカデミー助演賞を得ているが、「ガープの世界」のガープ役と「いまを生きる」の教師役が印象的だった。「精神保健」の大切さに関して考えさせられる。
ローレン・バコール(8.12没、89歳)の訃報は、失礼ながらまだ存命だったのかという感じで受け止めた。言うまでもなくハンフリー・ボガートの相手役であり、妻だった。同時代的な思い出は書けない「伝説の人」だが、「三つ数えろ」(「大いなる眠り」の映画化)などの存在感は忘れがたい。ハリウッドの黄金時代の伝説を生きた人。でもボギー死去後には、フランク・シナトラと恋愛し、ジェイスン・ロバーツと再婚したと山田宏一氏の追悼文にあった。そうだったっけ。もうボギー伝説しか記憶にないのだが。
リチャード・アッテンボロー(8.24没、90歳)はイギリスの有名俳優だった。「大脱走」のイギリス人捕虜など忘れがたい。俳優としてナイトの称号を受けている。その後、監督にも乗り出したが、「素晴らしき戦争」という第一次世界大戦を描いた反戦ミュージカル(だという話で、双葉十三郎先生は「スクリーン」で四つ星を付けていたが、ほとんど話題にならず未見のまま)とか「戦争と冒険」(若き日のチャーチルのボーア戦争での「活躍」を描く)など、英国人しか関心がないようなテーマの作品を撮った。評伝映画が多いが、結局一番成功したのは「ガンジー」で、米国アカデミー賞で監督賞を得た。アパルトヘイトを告発した「遠い夜明け」、ミュージカル「コーラスライン」はわりと評判になったし、記憶されている。でもチャップリンを描いた「チャーリー」、ヘミングウェイを描いた「ラブ・アンド・ウォー」なども作っている。結局、大作監督のような扱いをされたけど、案外本質は違うんではないか。動物学者デイヴィッド・アッテンボローの兄にあたる。
日活ロマンポルノを担った監督の一人、曽根中生(そね・ちゅうせい 8.26没、76歳)はもう映画界から引退していた。というか、数年前にシネマヴェーラ渋谷で曽根特集があった時には、監督は消息不明だった。映画資金かなんかでトラぶって事件に巻き込まれたのではないかという話まであった。2011年の湯布院映画祭に突然現れ、約20年ぶりに名乗りを上げ驚かせたが、大分県で漁業の養殖などの事業に関わっていたという話。ポルノ時代は「㊙女郎市場」が注目され、「天使のはらわた 赤い教室」という暗い情念のたぎる傑作をものした。その前に一般映画「嗚呼!花の応援団」が大ヒットし、そのハチャメチャな楽しさに度肝を抜かれた。ATGでも坂口安吾の大傑作「不連続殺人事件」を一応満足させる出来に仕上げた。そして松竹で「博多っ子純情」を撮って評価された。では、どれが一番かは決めがたいが、僕の人生上では「博多っ子純情」。でも今見ると「天使のはらわた」かもしれないなあ。映画(あるいはポピュラー音楽やコミックなど)は、接した時の年齢が大きい。
米倉斉加年(よねくら・まさかね 8.26没、80歳)が亡くなった。舞台、映画で活躍した俳優で、演出家、絵本作家でもあったと大体そう言われている。その通りで、実に忘れがたい演技をしてたから、小さい時からテレビで知っていた。でも読み方が判らなかった。長いこと「さかとし」なのかと思っていた。僕が最初に市民集会に参加したのは、1974年3月に読売ホールで行われた韓国の民青学連事件救援集会なんだけど、その時に民藝の役者がまとまって参加していて、その時に「まさかね」と読むと知ったように思う。その後も、金芝河などの劇を積極的に演出していて、僕の一番の思い出はそういう時代になる。「男はつらいよ」シリーズでも、印象的な出演が多かった。絵本作家としてボローニャ国際児童図書展で2年連続で受賞していて、「多毛留」(たける)を持ってるはずだが、今は見つからない。反戦平和への思いが演劇活動の前提にあった時代を最後に生きた新劇人の一人だったと思う。
作家の稲葉真弓(8.30没、64歳)は読んでないのだが、映画化された「エンドレス・ワルツ」(鈴木いづみと阿部薫の関係を描いた)の作家として知っていた。2011年に「半島」で谷崎賞を得ている。彫刻家の宮脇愛子(8.20没、84歳)は知らなかったけど、抽象彫刻で知られているという話。磯崎新の夫人だという。そごう会長だった水島広雄(7.28没、102歳)はバブル時代を代表する人とも言え、強制執行妨害容疑で逮捕され有罪が確定した。そごうが日本一の百貨店グループだった時代があるのである。
最後に相撲関係で三人。関脇金剛の元二所ノ関親方(8.13没、65歳)は、「ほら吹き金剛」と呼ばれて、平幕優勝した時の談話は毎日面白かった。1975年の名古屋場所である。元時津風親方(小結双津竜、64歳)は力士死亡事件で逮捕され実刑となった。肺がんだったという。元小結龍虎(8.29没、73歳)は引退後にタレントとして活動した。現役中からテレビで活躍していた。もう若い人には知られていないと思うが、年齢的には相撲取りとしては長生きだったというべきか。