尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

2014年8月の訃報

2014年09月07日 23時32分34秒 | 追悼
 8月には映画演劇界の重要人物の訃報が続いたけど、独立の記事を書くほどよく知らない人が多かった。ここでまとめて追悼の言葉を書いておきたいと思う。でも、最初は孫振斗(ソン・ジンドウ 8.25没、87歳)のことを書きたい。18歳の時広島で被爆したが、戦後になって韓国に強制送還された。しかし、原爆被害の治療が韓国では不十分なため密航してきて逮捕され、被爆者健康手帳の交付を求める裁判を起こし、1978年に最高裁で勝訴したという人である。被爆者援護法には国籍条項はなかった。これが有名な「孫振斗手帳裁判」で、その記録は昔「たいまつ新書」で出たが、今は別に復刊されているようである。民族、国籍を超えた反原爆の運動が、このように実を結んだことがあったことをもっと語り継いで行かないといけない。この裁判闘争には多くの人が関わったが、博多人形の職人だった伊藤ルイさんが初めて関わった市民運動だった。今では伊藤ルイさんの名も知らない人がいるかもしれないが、松下竜一さんの傑作ノンフィクション「ルイズ」の主人公、つまり大杉榮と伊藤野枝の間の子として生まれた人である。

 ハイデッガー研究の第一人者だった木田元(きだ・げん 8.16没、85歳)が亡くなった。僕は哲学関係はほとんど読んでないんだけど、様々なメディアで発言してたから、折々に感心して読んだ。昔、生松敬三という早死にした思想史家と語り合った「現代哲学の岐路」という中公新書がものすごく刺激的だった。今見たら、講談社学術文庫で復刊されているようだ。

 ロビン・ウィリアムズが自殺という報には驚いた。(8.11没、63歳)「グッド・ウィル・ハンティング」でアカデミー助演賞を得ているが、「ガープの世界」のガープ役と「いまを生きる」の教師役が印象的だった。「精神保健」の大切さに関して考えさせられる。
 ローレン・バコール(8.12没、89歳)の訃報は、失礼ながらまだ存命だったのかという感じで受け止めた。言うまでもなくハンフリー・ボガートの相手役であり、妻だった。同時代的な思い出は書けない「伝説の人」だが、「三つ数えろ」(「大いなる眠り」の映画化)などの存在感は忘れがたい。ハリウッドの黄金時代の伝説を生きた人。でもボギー死去後には、フランク・シナトラと恋愛し、ジェイスン・ロバーツと再婚したと山田宏一氏の追悼文にあった。そうだったっけ。もうボギー伝説しか記憶にないのだが。

 リチャード・アッテンボロー(8.24没、90歳)はイギリスの有名俳優だった。「大脱走」のイギリス人捕虜など忘れがたい。俳優としてナイトの称号を受けている。その後、監督にも乗り出したが、「素晴らしき戦争」という第一次世界大戦を描いた反戦ミュージカル(だという話で、双葉十三郎先生は「スクリーン」で四つ星を付けていたが、ほとんど話題にならず未見のまま)とか「戦争と冒険」(若き日のチャーチルのボーア戦争での「活躍」を描く)など、英国人しか関心がないようなテーマの作品を撮った。評伝映画が多いが、結局一番成功したのは「ガンジー」で、米国アカデミー賞で監督賞を得た。アパルトヘイトを告発した「遠い夜明け」、ミュージカル「コーラスライン」はわりと評判になったし、記憶されている。でもチャップリンを描いた「チャーリー」、ヘミングウェイを描いた「ラブ・アンド・ウォー」なども作っている。結局、大作監督のような扱いをされたけど、案外本質は違うんではないか。動物学者デイヴィッド・アッテンボローの兄にあたる。

 日活ロマンポルノを担った監督の一人、曽根中生(そね・ちゅうせい 8.26没、76歳)はもう映画界から引退していた。というか、数年前にシネマヴェーラ渋谷で曽根特集があった時には、監督は消息不明だった。映画資金かなんかでトラぶって事件に巻き込まれたのではないかという話まであった。2011年の湯布院映画祭に突然現れ、約20年ぶりに名乗りを上げ驚かせたが、大分県で漁業の養殖などの事業に関わっていたという話。ポルノ時代は「㊙女郎市場」が注目され、「天使のはらわた 赤い教室」という暗い情念のたぎる傑作をものした。その前に一般映画「嗚呼!花の応援団」が大ヒットし、そのハチャメチャな楽しさに度肝を抜かれた。ATGでも坂口安吾の大傑作「不連続殺人事件」を一応満足させる出来に仕上げた。そして松竹で「博多っ子純情」を撮って評価された。では、どれが一番かは決めがたいが、僕の人生上では「博多っ子純情」。でも今見ると「天使のはらわた」かもしれないなあ。映画(あるいはポピュラー音楽やコミックなど)は、接した時の年齢が大きい。

 米倉斉加年(よねくら・まさかね 8.26没、80歳)が亡くなった。舞台、映画で活躍した俳優で、演出家、絵本作家でもあったと大体そう言われている。その通りで、実に忘れがたい演技をしてたから、小さい時からテレビで知っていた。でも読み方が判らなかった。長いこと「さかとし」なのかと思っていた。僕が最初に市民集会に参加したのは、1974年3月に読売ホールで行われた韓国の民青学連事件救援集会なんだけど、その時に民藝の役者がまとまって参加していて、その時に「まさかね」と読むと知ったように思う。その後も、金芝河などの劇を積極的に演出していて、僕の一番の思い出はそういう時代になる。「男はつらいよ」シリーズでも、印象的な出演が多かった。絵本作家としてボローニャ国際児童図書展で2年連続で受賞していて、「多毛留」(たける)を持ってるはずだが、今は見つからない。反戦平和への思いが演劇活動の前提にあった時代を最後に生きた新劇人の一人だったと思う。

 作家の稲葉真弓(8.30没、64歳)は読んでないのだが、映画化された「エンドレス・ワルツ」(鈴木いづみと阿部薫の関係を描いた)の作家として知っていた。2011年に「半島」で谷崎賞を得ている。彫刻家の宮脇愛子(8.20没、84歳)は知らなかったけど、抽象彫刻で知られているという話。磯崎新の夫人だという。そごう会長だった水島広雄(7.28没、102歳)はバブル時代を代表する人とも言え、強制執行妨害容疑で逮捕され有罪が確定した。そごうが日本一の百貨店グループだった時代があるのである。

 最後に相撲関係で三人。関脇金剛の元二所ノ関親方(8.13没、65歳)は、「ほら吹き金剛」と呼ばれて、平幕優勝した時の談話は毎日面白かった。1975年の名古屋場所である。元時津風親方(小結双津竜、64歳)は力士死亡事件で逮捕され実刑となった。肺がんだったという。元小結龍虎(8.29没、73歳)は引退後にタレントとして活動した。現役中からテレビで活躍していた。もう若い人には知られていないと思うが、年齢的には相撲取りとしては長生きだったというべきか。
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映画「クスクス粒の秘密」

2014年09月07日 00時20分09秒 |  〃  (新作外国映画)
 アブデラティフ・ケシシュ監督の「クスクス粒の秘密」を見て、その圧倒的な面白さ、豊饒な映像体験を堪能した。一日だけの上映だったけど、DVDも出ているようだし、今後の一般公開を期待して取り上げておきたい。もっともアブデラティフ・ケシシュなどと聞いても、誰だか判る人はまだ少ないかもしれない。2013年のカンヌ映画祭最高賞を受賞して日本でも今年公開された「アデル、ブルーは熱い色」の監督である。その映画が新文芸坐で上映されるのに合わせて、今まで映画祭でだけ公開されていたケシシュ監督の「身をかわして」「クスクス粒の秘密」を「新文芸坐シネマテーク」と題してレイトショー上映して、映画批評家大寺眞輔氏の講義を行うという企画である。これは非常に素晴らしい試みだと思う。映画祭等で上映され、だから日本語字幕もついているのに、一般公開はされないままになっているアートシネマはものすごくたくさんある。もったいない話で、それを名画座で上映する機会を作るのはとてもいい。第2回以後も企画中だというから、期待して待ちたいと思う。
 
 さて、「クスクス粒の秘密」は、2007年度の作品でヴェネツィア映画祭で審査員特別賞や新人俳優賞を受賞した。東京国際映画祭やアンスティチュ・フランセ東京などで上映されたが、僕は見ていなかった。昨年秋には監督が来日して講演付上映があったが、満員で残念ながら入れなかった。世界的に注目されている監督だというのは聞いていて、是非見たいと思っていたのである。でも監督も俳優も無名では、なかなか公開されない。ようやく「カンヌ最高賞で同性愛を描いた」という話題性で「アデル、ブルーは熱い色」が公開され、日本でもケシシュの名も知られ始めている。是非、どこかで過去の作品をまとめて一般公開して欲しい。

 ケシシュ監督の名前は日本人には覚えにくいが、チュニジア系フランス人である。父親が移民としてフランスで働いて、アブデラティフ・ケシシュは下層労働者の子としてフランスで成長した。この経歴は監督にとって決定的なもので、この映画もチュニジア系移民の世界を描いている。しかし、けっして「エスニック映画」とか「移民問題を追及する社会派」という枠には入らない。そこがユニークなところで、現在世界で活躍する映画監督の中でも非常に独自な存在だと思う。どんな世界を舞台にしても、そこには「普遍」がある。とても独自な世界を描きながらも、見た後に残るものは世界の豊饒さであり、人間存在の圧倒的な力である。それは全くフランス映画の正統を継承していることを示し、大寺氏の講義にあったようにまさにジャン・ルノワールを思わせる

 映画の冒頭は、港町(南仏の漁港で監督の生地で撮影したという)を船で案内するツァーで、ある若い男性がガイドをしている。と、突然ガイド(拡声器での解説)を同僚女性に任せて、船の下部に向かいそこで待ってる女性とセックスを始める。場面は変わって、ある高齢男性が同じ港町のドックで、上司から仕事が遅い、もう年だし、仕事を半分にしろなどと詰め寄られている。でも俺は35年働いてきたと反論するけど、90年に買収する前の資料は残っていないなどと言われる。その後、、その男は港で魚を安く仕入れてバイクで家に向かい、女性に届ける。ここが家で、女は妻なのかと思うと、どうも違って会話がギクシャクし、その後また別の場所(ホテル)に行ってまた魚を渡す。だんだんわかってくるのだが、高齢男性がスリマーヌと言う主人公で、監督の父の世代を代表している。(実際に父親の同僚男性が演じているそうで、素晴らしい存在感である。)彼は妻と別れていて、その前妻が最初に魚を届けた女性。彼は今はホテルの持ち主の女性と暮らしていて、彼に親しみを感じている義理の娘リムがいる。スリマーヌには男子2人、女子3人がいて、冒頭にセックスしてた男は長男。

 こういった人間関係がだんだんわかってくるのだが、前妻の誕生パーティで子どもたちが配偶者とともに集まるが、目玉は母親の作る絶品クスクスである。ホントに美味しそう。クスクスというのは、イメージは湧くけど食べたことはない。今調べてみると、デュラム小麦粉を水で小さい粒々にして、それを炊いたり蒸したりしたものに、ソースや具を乗せて食べるという料理である。マグレブ諸国(北アフリカのチュニジア、アルジェリア、モロッコ)の主食であり、地中海一帯などで広く食べられている。カレーライスやどんぶり物(天丼、かつ丼、うな丼等々)など、穀物の上にソースや具材を乗せて食べる食品は日本人なら皆大好きだから、クスクスが大好きというのはとっても共感できる気がする。スリマーヌはパーティに来ないので、息子たちが後で届ける。そこで子どもたちはもう故郷に帰ればいいと突き放している。結局、会社は退職して、その場合に受けとれる退職一時金を受け取ったらしい。フランスで「こんなぼろホテルにいないで、もう帰ればいい。」

 それを義理の娘リムが聞いてしまい、傷つくことになるが、そのシーンも素晴らしい。その後、スリマーヌはリムを連れて、銀行や役所を回り始める。何だと思うと、ぼろ船を買い取って、そこでクスクスのレストランを開きたいという計画を立てたのである。ラマダン明けにアラブ系移民が集まるレストランがないということも主張する。フランスでもどこでも共通するような、新規事業立ち上げと官僚機構の壁。でも船を買い取り、改修を家族で進め始める。でも、だんだんスリマーヌの家族関係が見えてくると、今の同棲相手は前妻の料理を出すレストランを開くことが面白くない。子どもたちの方も、母親の料理を出すくせにホテルにいる父親が面白くない。そういう人間関係のひだひだが見えてくると、そんな計画がほんとに実現するのか、頑張ってる移民労働者を応援したくなってきて、ドキドキハラハラしながら見続けてしまう。

 なかなか正式な計画が下りないので、一度関係者を呼んでパーティを開くことにする。そのパーティの場面が、映画史に残る素晴らしい場面で、家族が共同して素晴らしいレストランを開き、成功が間近と見えたものだけど…。ここで冒頭以来何度か描かれてきた長男の女出入りの激しさという伏線が一挙に重大な意味を持ってくる。ロシア系移民の女性と結婚して子どももいるのだが、それでも浮気と朝帰りが絶えない。(夜勤だと言い張っているらしいが。)クスクス料理を母親の家に長男の車で取りに行き、トランクに詰めて戻ってくる。桟橋を渡って船に運ぶシーンなど、うっかり転んで全部パーにしちゃうのではないかとハラハラするが、この映画のキモはそんなチャチな発想にはなかった。いよいよクスクスを出すという時に、クスクス粒が見つからないのだ。どこにある…。車に積んだままなのか。長男はどこだ。車がないではないか。時間だけが経っていく。パーティの客は不信を感じいらだってくる。スリマーヌはバイクで長男を探しに行くが見つからない。リムは思い切った手段で、座を持たせようとアッと驚く奇跡のシーンが始まるが、クスクスはいかに…。

 と、これだけ書いても分からないかもしれないが、一度見たら絶対に忘れられないラスト近くの数十分である。チュニジア系移民であることの社会的問題、ムスリムとしての異文化を生きる問題も出てくるけど、結局人間は人間関係の網の目の中で生きていて、民族や文化というよりも、ちょっとした親切や思いやり、友情などが支え合っている。でも、どうしても衝突も避けられないところもあり、普通の人間の中に様々の面があるのである。その人間が生きている「現場性」を見事に描き切った「クスクス粒の秘密」は偉大なる傑作である。

 「アデル、ブルーは熱い色」の時にも、「記録映画的」というか、横にいてドキュメントを撮っているのではないかという感じを持ったのだが、大寺氏の講義によれば、監督は徹底したリハーサルを繰り返した後で撮るのだという。即興性は全くなく、すべてはシナリオに書かれているというが、そのシナリオは一年近くにも及ぶ準備期間に変えていくそうだ。そんな長期間の拘束に有名俳優は耐えられないから、結果として新人俳優を使うことになる。その俳優たちを訓練して、登場人物を生きているかのごとく思わせるほどの時間をかける。その結果、まさに実在の人物が横にいるのをドキュメントで撮っているかのような感覚がもたらされるというのである。だから作品数は少ない。今までに5作しかない。でも、一作一作が濃いわけである。南仏の港町、アラブ系移民の心情など、この映画で知ったことも多いけど、結局は普遍的な「人間の肉体性」、若かったり老いたり、男や女、愛やセックスなどを含みつつ、毎日まずは食べて生きているのであって、その食べ物の豊饒性に圧倒される映画だった。絶対どこかで見て欲しい映画であるが、153分という長尺である。でも時間はほとんど感じることなく、ひたすら画面を見続けることになる。
 (なお、「身をかわして」も見たかったけど、あまりに遅い時間が二日続くのでやめることにした。終わりが11時になるというのは、ちょっと長すぎる。講義を入れても終わりが10時頃になるような時間設定にして欲しい。)
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