尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「大阪都構想」再論②

2015年04月08日 23時20分12秒 | 政治
 「大阪都」問題の続き。大阪市を解体して、5つの特別区を作るとする。僕がすぐに思うのは、区議会教育委員会も…いろんなものを新たに5つ作るわけだから、かえって手間と多額の税負担がかかるんじゃないかということである。大阪市会の議員定数は、86人となっている。しかし、5つの区議会議員の数を合わせれば、もっと多くなるだろうと思われる。いや、86を5で割った17ぐらいに抑えるんだというかもしれないけど、そうもいかないだろう。

 東京の場合を見てみると、一番少ない千代田区議会で25人。ここは人口が4万程度しかないのに、議員数は多い。大阪の場合、各区の人口は50万前後になるだろうから、同程度の区を東京で見てみると、杉並区(54万)が48人板橋区(53万)が46人江東区(45万)が44人…となっている。もっと小さな区でも、30人以上の議員がいる。大きい区では50人を超えている。だから、大阪でも30~40人程度はいるのではないか。

 なぜなら、福祉や教育など、基本的な行政サービスに特別区が独自に取り組むわけで、行政をチェックするためにはそれなりの議員数がいるからである。例えば、大阪市教育委員会が解体され、各特別区に教育委員会が置かれる。それぞれ独立していて、地域の教育に責任を持っているわけである。今までは大阪市会でまとめて全市の教育をチェックしたわけだが、特別区が出来れば特別区議会がそれぞれ別個にチェックすることになる。それなりの人数がいるはずである。議会は各委員会に分かれていて、議案はまず委員会で審議する。議員の人数があまりに少ないと、委員会の審議がおざなりになってしまう。主要な政党の議員が各委員会に入れるぐらいの規模がない限り、区議会を置く意味がなくなってしまうのである。だから、地方議員数が倍増するのではないか。また、そうしないと特別区を作る意味がないということである。これだけで、けっこうムダな感じがしてしまう。

 5つの特別区は、大阪市の人口を5で割れば約50万強になるわけだが、これは政令指定都市になるには少ないが、中核市の指定を受けるには十分な人口である。並みの県庁所在都市より、ずっと大きい。だから、それぞれの区が様々な特徴を出そうと様々な施策をするだろう。今、「大阪府と大阪市の二重行政」などと言ってるものが、各特別区の「五重行政」になってしまうのではないか。日本によくあることだが、隣の区が何か箱モノを作れば、自分のところも作りたいとなる。県庁所在地レベルの人口があるんだったら、体育館は当然必要だし、美術館ぐらいは持ちたいだろう。東京を見てみると、世田谷美術館を筆頭に、練馬、板橋、目黒、渋谷などに区立美術館があるし、スカイツリー直下の墨田区では北斎美術館の建設が進められている。郷土資料館や劇場、科学館、自然公園など各区で競って作っている。それが東京の状況と言える。

 それが一概に悪いとは思わない。だけど、練馬や板橋の区立美術館など、都心から離れすぎていて、違う自治体の住民は行きにくい。けっこういい展覧会をやってるんだけど。東京は首都だから、国立の施設も集中しているわけだが、国立の博物館、美術館、劇場、競技場などは大体山手線内にある。(新国立劇場は、新宿から京王新線でひとつ先の初台というところが最寄駅になっている。)東京都立の美術館(上野)、芸術劇場(池袋)、体育館(千駄ヶ谷)なども山手線内である。だけど、区立の劇場になると、当たり前だけど、それぞれの区に作られる。世田谷パブリックシアター(三軒茶屋)、杉並区の座・高円寺(高円寺)、足立区のシアター1010(北千住)など、都心から少し離れたところにある。しかも、それらの劇場のチケットを買う時には、区民割引があったりする。他の区や市の住民にとっては、「もし東京市があったら」、もっと23区内の市民が行きやすい場所に施設が作られ、割引なども市民全員が受けられたはずである。文化行政などは「大きい単位」で推進していく方がずっと効果があるのではないか。いや、だから大阪府(大阪都)でやればいいのであって、分割後の区は文化には手を出さないというかもしれないが。だけど、小中学校は区立になるんだから、スポーツや文化の施設がゼロでは教育にならない。結局は、文化施設は各区にいっぱいいるのである。

 もともと、国の地方行政の方向性は、「大きくする」ことで「スケールメリット」を図ることにあった。だから「平成の大合併」を進めたわけだし、有力な地方都市は周辺の都市を合併して政令指定都市を目指した。大きくなることの不便もあるけれど、福祉行政などを考えれば、規模の大きさが必要な場合はあるだろう。現在の制度では、一番身近な「基礎自治体」である「」から「中核市」に、さらに「政令指定都市」になるほど、都道府県の権限が委譲される。それに対して、「特別区」は、普通の市ほどの権限もない。そのことに対して、特別区長会などは長く権限委譲の要求を東京都に行ってきている。(特別区長会のサイトを参照。)その権限のない特別区に、わざわざこれからなりたいという政令指定都市があるなんて。それほど「都道府県」を大きくしたいということか。アメリカの方ばかり見ている日本政府高官のようなもんだろうか。

 大都市の場合、小中は地元に通っても、高校入学段階からは他の自治体に通う場合が多い。大学や職場も同じである。だから、友人知人の多くも、基礎自治体が違う人たちになる。友人グループでスポーツや学習をしようと計画しても、区営の施設は区民(在勤でもいいが)が半分以上いるグループ登録をしないと使えなかったりする。じゃあ、どうするかと言えば、どうしても使いたければ、まあ名前だけ知人を借りてグループ登録することが多いのではないか。私営の集会所もないわけではないが、数は少ないし高い。会議をするだけなら、結局「喫茶店」(ドトールなんかじゃなく、ルノワールなど)でやるのである。都民全体に向けた施設がもっとあればいいけど、公民館などのサービスは基礎自治体の仕事だから、区立しかないのである。

 こうして、僕なんか昔から「何で各区に分かれているんだ」「何で東京市に戻さないんだ」と思い続けてきた。東京市が無くなって、特別区になって不便ばかり受けているからである。その不便さを東京都民だけに味あわせるものかと、大阪市民が義侠心を発揮して同じような不便さに甘んじようとするのだろうか。だけど、客観的に見て、もはや東京市の復活は不可能だろう。人口の集中度合が大きすぎるからである。東京は首都であることの恩恵で、大会社の本社が集中して税収のメリットを受けている。だけど、首都であることで政府機関や外国公館が集中し、警備などの負担が大きい。また、日本最南端の沖ノ鳥島を始め、島しょ地区も東京都である。伊豆諸島はももと伊豆の国に帰属し、明治以後は一時は静岡県になるが、1878年に東京府に移管された。世界遺産の小笠原諸島などの自然を保護していくためにも、特別区に集中する税収を東京都全体で利用する必要があるからである。

 常識で考えれば判ると思うが、「大阪市」が「大阪府」と二重行政だから、大阪の経済が不振になると言ったことになるわけがない。東京一極集中は、大阪市の行政組織の問題ではない。今まで橋下氏は教育などでは、「競争」こそ煽り立ててきたように思われる。その考え方で言えば、「大阪府」と「大阪市」が両方あって競争する方が、大阪の発展につながるはずではないのだろうか。まあ、大阪市民が特別区の不便さを実感して声をあげてくれれば、東京の特別区制度の改正につながるかもしれないから、「やってみなはれ」というのも一案なのかもしれないが。それにしても、一番大事なことは何かを間違えてはいけない。それは「住民の権利」から発想するということである。
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「大阪都構想」再論①

2015年04月08日 00時08分37秒 | 政治
 少し現実に戻って。とにかく沖縄をめぐる情勢、政府の対応がひどすぎて、何か書きたいと思い続けているけれど、書くとなると調べることも多いし…という状態。中学教科書の検定結果も公表され、これも書きたいけれど、いずれもっと調べてからにする。安倍政権の政策、あるいは首相以下の発言のあれこれが、反対というレベルを超えて、どこから手を付けていいのか判らない絶望感さえ感じる。

 そんな中で、もう書かなくていいかと思った「大阪都構想」なるものが甦ってしまって、5月に住民投票がある。その前に府議選、市議選が今行われている。「大阪都」に自民党大阪府連は反対のはずなのに、「憲法改正の同志」が欲しい安倍首相が橋下市長を持ち上げる。橋下市長は首相にすり寄る。「公明党は許せない」などと言ってたのに、昨年12月の総選挙で、公明現職のいる選挙区に「維新」は候補を擁立しなかった。その後、公明党は「都構想」に反対のはずなのに、住民投票を行うのは容認するなどと不思議なことを言って、都構想の採決に賛成してしまった。賛成した議案に、住民投票では反対するのか?こういう「裏取引」(誰だって、そう思うでしょう)は、やだなあ。

 橋下市長、あるいは「大阪維新の会」をどう考えるべきか、重大性、緊急性が今よりもあった時期がある。その時期に「大阪都構想」をどう考えるべきかについて書いた。基本的には今と同じなんだけど、時間が経ったので、もう一回書いておきたいと思う。「維新」側の考えも知りたいと思う人は、「大阪都構想―二重行政を解消し、大阪は豊かになる」というホームページがある。一々読む気もしないけど、詳しく知りたい人は参照。大阪都構想は紆余曲折があったけど、一応いまのところ、「大阪市を解体して、5つの特別区に分割する」ということが基本。大阪の土地勘がないから、僕にはよく判らないけど、その区割りは以下のようなものとされている。
■東区 城東区、東成区、生野区、旭区、鶴見区
■北区 北区、都島区、淀川区、東淀川区
■湾岸区 港区、此花区、福島区、大正区、西淀川区、住之江区
■中央区 西成区、中央区、西区、天王寺区、浪速区
■南区 阿倍野区、平野区、住吉区、東住吉区

 さて、「大阪都」というものは、僕の見るところ、要するに「単なる思い付き」であって、現代人によくある「自分から不幸になりたがる人々」の発想法だと思う。やって見れば判るけれど、面倒なことがあるだけで、かえって不便になるだけだと思う。そのことは、冷静に考えればすぐに判ることである。現在もすでに大阪市のサービスは切り詰められているようだが、「大きいことで得られるメリット」が基本的にはなくなってしまう。大阪市民が大阪市全域で受けられているサービスが、新設の「特別区」の住民だけになるのである。(もちろん、大阪府に移管されて同様に受けられるサービスもあるだろうが、それは旧大阪市民だけではなく、大阪府民全員が共通に受けられるものである。

 さて、そういう問題を考える前に、「大阪市はどのくらい大きいのか」を見ておきたい。二重行政だの何だのと言われるのは、つまりは「大阪府の中で大阪市が大きな位置を占めている」というイメージから来ている。だから、府と市で張り合うだの、協力しないだのということが起きるということらしい。今までの府と市の関係は、外部の人にはよく判らないから何も言えない。そういうこともあるのかもしれないが、要するに「大阪市の大きさ」と言っても、絶対的な基準はなく相対的なものである。(例えば、相撲取りの世界で「小兵」と言われる力士でも、一般社会では「ずば抜けて大きい」わけである。)

 さて、では「大きさの基準」は何だろうか。大きくは3つあるだろう。「面積」「人口」「税収入」である。前の二つは「目で見て理解しやすい」指標だが、本当に大事なのは税収の方かもしれない。だけど、税収の割合を調べるのは面倒なので、個々では面積と人口を見ておくことにする。(税収に関しては、府税収入の中で、大阪市民が納税している割合を見るだけでなく、大阪府の各市町村税の合計の中で大阪市税収入がどのくらいあるかも調べる必要がある。また市が解体されると、市税がどのように「府税」と「特別区税」に分割されるのかも。)

 さて、まずは東京から。
 東京都の面積は、2,190.90km² 
 東京23区の面積は、622.99km²   割合は、約28.5%
 東京都の人口は、13,392,417人
 東京23区の人口は、9,157,590人  割合は、約68.4%
*面積は3割にも満たないが、人口は3分の2以上が区部に集中している。

 では、大阪の場合。
 大阪府の面積は、1,904.99km² 
 大阪市の面積は、225.21km²   割合は、約11.8%
 大阪府の人口は、8,845,977人
 大阪市の人口は、2,687,456人  割合は、30.4%
*東京都に比べて、大阪府の中で大阪市が占める割合は、半分以下だということが判る。

 やはり大都市の問題だから、人口が重要なので、他の道府県の場合も少し見てみたい。
北海道の人口(5,432,200人)の中で、札幌市の人口(1,936,239人)が占める割合(35.6%
神奈川県の人口(9,097,624人)の中で、横浜市の人口(3,710,824人)が占める割合(40.8%
③同じく、神奈川県の政令指定都市である川崎市の人口(1,461,866人)と相模原市の人口(722,679人)を加えて、神奈川県で政令指定都市の人口が占める割合(64.8%
福岡県の人口(5,091,964人)の中で、福岡市の人口(1,522,368人)と北九州市の人口(961,873人)の合計が占める割合(48.8%

 以上を見れば判るように、「大阪市が大きすぎる」という前提条件にそもそも疑問がある。「大阪都」みたいな発想が意味を持つんだったら、大阪より大きな横浜市こそ、まず対象にならないとおかしい。特に神奈川は三つも政令指定都市があるというのは、確かに問題もあると思う。大阪の場合は、都道府県の中でひとつの市に人口が集中しているのは確かだが、その割合は東京などに比べてみれば、まだ大きいとは言えないのである。(なお、大阪府にも堺市というもう一つの政令指定都市があるが、当初は一緒に都構想に乗るはずが、脱退してしまった経緯がある。)

 ところで、以上の数字を見てもわかる通り、東京都で特別区部への人口集中は際立っている。しかし、これは理由があるのであって、歴史的経緯がある。東京では古く1878年(明治11年)に区制が敷かれ、15区が置かれた。浅草や深川を東端として、後はほぼ山手線内のあたりであるが、実はその当時は新宿、渋谷、池袋などの駅は郡部にあったのである。しかし、1923年の関東大震災で大きな被害を受けた東京市は、郊外に人口が移ってしまい、一時は大阪市に人口を抜かれる。ところが、1932年に郊外の5郡82市町村を東京市に編入し、20区を新たに置いて、合計35区になる。その「大東京市」が戦時下の1943年、内務省主導で(戦時中で東京市民の意向などと関係なく)、東京都に再編された。そして、1947年に23区体制になったのである。この「大東京」誕生がなければ、新宿や渋谷に止まらず、現在は高級住宅地とされる成城や田園調布など、みな東京市の外だったわけである。

 大阪も随時「市域拡大」を行ってきたが、東京ほど大規模な拡大をしていない。だから、東京の感覚では特別区になってもおかしくない距離の町が、独立した市になっている。都市というのは、中心部から近い地区に住んでいた中流階級が郊外に移転して、旧市街には貧困地区ができるようなことが起きやすい。(東京は東西格差があるので、むしろ「山の手」と「川向う」という差異になる。)だから、「生活保護世帯が多い」といった問題も、「大阪都」で解決するような問題ではなく、世界的に生じる「都市拡大」に取り残された地域という問題だと思う。大阪市だけ解体しても、逆に問題がさらに大きくなるという可能性が高いのではないだろうか。
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