「大阪都」問題の続き。大阪市を解体して、5つの特別区を作るとする。僕がすぐに思うのは、区議会も教育委員会も…いろんなものを新たに5つ作るわけだから、かえって手間と多額の税負担がかかるんじゃないかということである。大阪市会の議員定数は、86人となっている。しかし、5つの区議会議員の数を合わせれば、もっと多くなるだろうと思われる。いや、86を5で割った17ぐらいに抑えるんだというかもしれないけど、そうもいかないだろう。
東京の場合を見てみると、一番少ない千代田区議会で25人。ここは人口が4万程度しかないのに、議員数は多い。大阪の場合、各区の人口は50万前後になるだろうから、同程度の区を東京で見てみると、杉並区(54万)が48人、板橋区(53万)が46人、江東区(45万)が44人…となっている。もっと小さな区でも、30人以上の議員がいる。大きい区では50人を超えている。だから、大阪でも30~40人程度はいるのではないか。
なぜなら、福祉や教育など、基本的な行政サービスに特別区が独自に取り組むわけで、行政をチェックするためにはそれなりの議員数がいるからである。例えば、大阪市教育委員会が解体され、各特別区に教育委員会が置かれる。それぞれ独立していて、地域の教育に責任を持っているわけである。今までは大阪市会でまとめて全市の教育をチェックしたわけだが、特別区が出来れば特別区議会がそれぞれ別個にチェックすることになる。それなりの人数がいるはずである。議会は各委員会に分かれていて、議案はまず委員会で審議する。議員の人数があまりに少ないと、委員会の審議がおざなりになってしまう。主要な政党の議員が各委員会に入れるぐらいの規模がない限り、区議会を置く意味がなくなってしまうのである。だから、地方議員数が倍増するのではないか。また、そうしないと特別区を作る意味がないということである。これだけで、けっこうムダな感じがしてしまう。
5つの特別区は、大阪市の人口を5で割れば約50万強になるわけだが、これは政令指定都市になるには少ないが、中核市の指定を受けるには十分な人口である。並みの県庁所在都市より、ずっと大きい。だから、それぞれの区が様々な特徴を出そうと様々な施策をするだろう。今、「大阪府と大阪市の二重行政」などと言ってるものが、各特別区の「五重行政」になってしまうのではないか。日本によくあることだが、隣の区が何か箱モノを作れば、自分のところも作りたいとなる。県庁所在地レベルの人口があるんだったら、体育館は当然必要だし、美術館ぐらいは持ちたいだろう。東京を見てみると、世田谷美術館を筆頭に、練馬、板橋、目黒、渋谷などに区立美術館があるし、スカイツリー直下の墨田区では北斎美術館の建設が進められている。郷土資料館や劇場、科学館、自然公園など各区で競って作っている。それが東京の状況と言える。
それが一概に悪いとは思わない。だけど、練馬や板橋の区立美術館など、都心から離れすぎていて、違う自治体の住民は行きにくい。けっこういい展覧会をやってるんだけど。東京は首都だから、国立の施設も集中しているわけだが、国立の博物館、美術館、劇場、競技場などは大体山手線内にある。(新国立劇場は、新宿から京王新線でひとつ先の初台というところが最寄駅になっている。)東京都立の美術館(上野)、芸術劇場(池袋)、体育館(千駄ヶ谷)なども山手線内である。だけど、区立の劇場になると、当たり前だけど、それぞれの区に作られる。世田谷パブリックシアター(三軒茶屋)、杉並区の座・高円寺(高円寺)、足立区のシアター1010(北千住)など、都心から少し離れたところにある。しかも、それらの劇場のチケットを買う時には、区民割引があったりする。他の区や市の住民にとっては、「もし東京市があったら」、もっと23区内の市民が行きやすい場所に施設が作られ、割引なども市民全員が受けられたはずである。文化行政などは「大きい単位」で推進していく方がずっと効果があるのではないか。いや、だから大阪府(大阪都)でやればいいのであって、分割後の区は文化には手を出さないというかもしれないが。だけど、小中学校は区立になるんだから、スポーツや文化の施設がゼロでは教育にならない。結局は、文化施設は各区にいっぱいいるのである。
もともと、国の地方行政の方向性は、「大きくする」ことで「スケールメリット」を図ることにあった。だから「平成の大合併」を進めたわけだし、有力な地方都市は周辺の都市を合併して政令指定都市を目指した。大きくなることの不便もあるけれど、福祉行政などを考えれば、規模の大きさが必要な場合はあるだろう。現在の制度では、一番身近な「基礎自治体」である「市」から「中核市」に、さらに「政令指定都市」になるほど、都道府県の権限が委譲される。それに対して、「特別区」は、普通の市ほどの権限もない。そのことに対して、特別区長会などは長く権限委譲の要求を東京都に行ってきている。(特別区長会のサイトを参照。)その権限のない特別区に、わざわざこれからなりたいという政令指定都市があるなんて。それほど「都道府県」を大きくしたいということか。アメリカの方ばかり見ている日本政府高官のようなもんだろうか。
大都市の場合、小中は地元に通っても、高校入学段階からは他の自治体に通う場合が多い。大学や職場も同じである。だから、友人知人の多くも、基礎自治体が違う人たちになる。友人グループでスポーツや学習をしようと計画しても、区営の施設は区民(在勤でもいいが)が半分以上いるグループ登録をしないと使えなかったりする。じゃあ、どうするかと言えば、どうしても使いたければ、まあ名前だけ知人を借りてグループ登録することが多いのではないか。私営の集会所もないわけではないが、数は少ないし高い。会議をするだけなら、結局「喫茶店」(ドトールなんかじゃなく、ルノワールなど)でやるのである。都民全体に向けた施設がもっとあればいいけど、公民館などのサービスは基礎自治体の仕事だから、区立しかないのである。
こうして、僕なんか昔から「何で各区に分かれているんだ」「何で東京市に戻さないんだ」と思い続けてきた。東京市が無くなって、特別区になって不便ばかり受けているからである。その不便さを東京都民だけに味あわせるものかと、大阪市民が義侠心を発揮して同じような不便さに甘んじようとするのだろうか。だけど、客観的に見て、もはや東京市の復活は不可能だろう。人口の集中度合が大きすぎるからである。東京は首都であることの恩恵で、大会社の本社が集中して税収のメリットを受けている。だけど、首都であることで政府機関や外国公館が集中し、警備などの負担が大きい。また、日本最南端の沖ノ鳥島を始め、島しょ地区も東京都である。伊豆諸島はももと伊豆の国に帰属し、明治以後は一時は静岡県になるが、1878年に東京府に移管された。世界遺産の小笠原諸島などの自然を保護していくためにも、特別区に集中する税収を東京都全体で利用する必要があるからである。
常識で考えれば判ると思うが、「大阪市」が「大阪府」と二重行政だから、大阪の経済が不振になると言ったことになるわけがない。東京一極集中は、大阪市の行政組織の問題ではない。今まで橋下氏は教育などでは、「競争」こそ煽り立ててきたように思われる。その考え方で言えば、「大阪府」と「大阪市」が両方あって競争する方が、大阪の発展につながるはずではないのだろうか。まあ、大阪市民が特別区の不便さを実感して声をあげてくれれば、東京の特別区制度の改正につながるかもしれないから、「やってみなはれ」というのも一案なのかもしれないが。それにしても、一番大事なことは何かを間違えてはいけない。それは「住民の権利」から発想するということである。
東京の場合を見てみると、一番少ない千代田区議会で25人。ここは人口が4万程度しかないのに、議員数は多い。大阪の場合、各区の人口は50万前後になるだろうから、同程度の区を東京で見てみると、杉並区(54万)が48人、板橋区(53万)が46人、江東区(45万)が44人…となっている。もっと小さな区でも、30人以上の議員がいる。大きい区では50人を超えている。だから、大阪でも30~40人程度はいるのではないか。
なぜなら、福祉や教育など、基本的な行政サービスに特別区が独自に取り組むわけで、行政をチェックするためにはそれなりの議員数がいるからである。例えば、大阪市教育委員会が解体され、各特別区に教育委員会が置かれる。それぞれ独立していて、地域の教育に責任を持っているわけである。今までは大阪市会でまとめて全市の教育をチェックしたわけだが、特別区が出来れば特別区議会がそれぞれ別個にチェックすることになる。それなりの人数がいるはずである。議会は各委員会に分かれていて、議案はまず委員会で審議する。議員の人数があまりに少ないと、委員会の審議がおざなりになってしまう。主要な政党の議員が各委員会に入れるぐらいの規模がない限り、区議会を置く意味がなくなってしまうのである。だから、地方議員数が倍増するのではないか。また、そうしないと特別区を作る意味がないということである。これだけで、けっこうムダな感じがしてしまう。
5つの特別区は、大阪市の人口を5で割れば約50万強になるわけだが、これは政令指定都市になるには少ないが、中核市の指定を受けるには十分な人口である。並みの県庁所在都市より、ずっと大きい。だから、それぞれの区が様々な特徴を出そうと様々な施策をするだろう。今、「大阪府と大阪市の二重行政」などと言ってるものが、各特別区の「五重行政」になってしまうのではないか。日本によくあることだが、隣の区が何か箱モノを作れば、自分のところも作りたいとなる。県庁所在地レベルの人口があるんだったら、体育館は当然必要だし、美術館ぐらいは持ちたいだろう。東京を見てみると、世田谷美術館を筆頭に、練馬、板橋、目黒、渋谷などに区立美術館があるし、スカイツリー直下の墨田区では北斎美術館の建設が進められている。郷土資料館や劇場、科学館、自然公園など各区で競って作っている。それが東京の状況と言える。
それが一概に悪いとは思わない。だけど、練馬や板橋の区立美術館など、都心から離れすぎていて、違う自治体の住民は行きにくい。けっこういい展覧会をやってるんだけど。東京は首都だから、国立の施設も集中しているわけだが、国立の博物館、美術館、劇場、競技場などは大体山手線内にある。(新国立劇場は、新宿から京王新線でひとつ先の初台というところが最寄駅になっている。)東京都立の美術館(上野)、芸術劇場(池袋)、体育館(千駄ヶ谷)なども山手線内である。だけど、区立の劇場になると、当たり前だけど、それぞれの区に作られる。世田谷パブリックシアター(三軒茶屋)、杉並区の座・高円寺(高円寺)、足立区のシアター1010(北千住)など、都心から少し離れたところにある。しかも、それらの劇場のチケットを買う時には、区民割引があったりする。他の区や市の住民にとっては、「もし東京市があったら」、もっと23区内の市民が行きやすい場所に施設が作られ、割引なども市民全員が受けられたはずである。文化行政などは「大きい単位」で推進していく方がずっと効果があるのではないか。いや、だから大阪府(大阪都)でやればいいのであって、分割後の区は文化には手を出さないというかもしれないが。だけど、小中学校は区立になるんだから、スポーツや文化の施設がゼロでは教育にならない。結局は、文化施設は各区にいっぱいいるのである。
もともと、国の地方行政の方向性は、「大きくする」ことで「スケールメリット」を図ることにあった。だから「平成の大合併」を進めたわけだし、有力な地方都市は周辺の都市を合併して政令指定都市を目指した。大きくなることの不便もあるけれど、福祉行政などを考えれば、規模の大きさが必要な場合はあるだろう。現在の制度では、一番身近な「基礎自治体」である「市」から「中核市」に、さらに「政令指定都市」になるほど、都道府県の権限が委譲される。それに対して、「特別区」は、普通の市ほどの権限もない。そのことに対して、特別区長会などは長く権限委譲の要求を東京都に行ってきている。(特別区長会のサイトを参照。)その権限のない特別区に、わざわざこれからなりたいという政令指定都市があるなんて。それほど「都道府県」を大きくしたいということか。アメリカの方ばかり見ている日本政府高官のようなもんだろうか。
大都市の場合、小中は地元に通っても、高校入学段階からは他の自治体に通う場合が多い。大学や職場も同じである。だから、友人知人の多くも、基礎自治体が違う人たちになる。友人グループでスポーツや学習をしようと計画しても、区営の施設は区民(在勤でもいいが)が半分以上いるグループ登録をしないと使えなかったりする。じゃあ、どうするかと言えば、どうしても使いたければ、まあ名前だけ知人を借りてグループ登録することが多いのではないか。私営の集会所もないわけではないが、数は少ないし高い。会議をするだけなら、結局「喫茶店」(ドトールなんかじゃなく、ルノワールなど)でやるのである。都民全体に向けた施設がもっとあればいいけど、公民館などのサービスは基礎自治体の仕事だから、区立しかないのである。
こうして、僕なんか昔から「何で各区に分かれているんだ」「何で東京市に戻さないんだ」と思い続けてきた。東京市が無くなって、特別区になって不便ばかり受けているからである。その不便さを東京都民だけに味あわせるものかと、大阪市民が義侠心を発揮して同じような不便さに甘んじようとするのだろうか。だけど、客観的に見て、もはや東京市の復活は不可能だろう。人口の集中度合が大きすぎるからである。東京は首都であることの恩恵で、大会社の本社が集中して税収のメリットを受けている。だけど、首都であることで政府機関や外国公館が集中し、警備などの負担が大きい。また、日本最南端の沖ノ鳥島を始め、島しょ地区も東京都である。伊豆諸島はももと伊豆の国に帰属し、明治以後は一時は静岡県になるが、1878年に東京府に移管された。世界遺産の小笠原諸島などの自然を保護していくためにも、特別区に集中する税収を東京都全体で利用する必要があるからである。
常識で考えれば判ると思うが、「大阪市」が「大阪府」と二重行政だから、大阪の経済が不振になると言ったことになるわけがない。東京一極集中は、大阪市の行政組織の問題ではない。今まで橋下氏は教育などでは、「競争」こそ煽り立ててきたように思われる。その考え方で言えば、「大阪府」と「大阪市」が両方あって競争する方が、大阪の発展につながるはずではないのだろうか。まあ、大阪市民が特別区の不便さを実感して声をあげてくれれば、東京の特別区制度の改正につながるかもしれないから、「やってみなはれ」というのも一案なのかもしれないが。それにしても、一番大事なことは何かを間違えてはいけない。それは「住民の権利」から発想するということである。