尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

歌丸の塩原多助を聞く

2015年04月20日 21時38分39秒 | 落語(講談・浪曲)
 先週、親族の葬儀があり、いわば今年の一番の出来事が終わった。そのために、行きたかったところ、マレーシア映画ウィークや世田谷美術館の東宝スタジオ展、あるいはいくつかの演劇や映画に行けなかった。完全に日程が重なったのもあるが、疲れている時に行かないでもいいかという気もしたのである。だけど、逆に行かなくてもいいかなと思っていた国立演芸場4月中席に行きたくなった。目玉はトリの桂歌丸三遊亭圓朝作「塩原多助」のうち「青の別れ」である。

 「コント山口君と竹田君」や瀧川鯉昇師の「ちりとてちん」などを堪能して、仲入り。その後は、桂竹丸の落語が快調、やなぎ南玉の曲独楽も面白かった。ということで、いよいよ長講の歌丸。そこまで頑張ってたので、不覚にもここで少し寝てしまう。疲れていたからやむを得ないか。芸協(落語芸術協会)には聞いてない人が多いのだが、歌丸師匠は最近圓朝をやってて、同じ国立で「牡丹灯籠」を、新宿末廣で「怪談乳房榎」を聞いてるはず。それに対し、「塩原多助」はほとんど知らない。映画にもなってないから、名前しか知らない。そういう点、怪談ものの方がよく残るのかと思っていたら、これも一種の怪談仕立てだった。大体、実在人物の「塩原太助」(1743~1816)と圓朝の語る「塩原多助」で字が違うではないかと今回初めて知った。江戸に出て苦労して炭商人として成功したという塩原太助の立身出世物語は、もう僕らの世代にはほとんど知られていないだろう。

 塩原だから塩原温泉にゆかりかと思い込んでる人がいるのだが、上州水上の近く、新治(にいはり)村の物語である。というのは、そこらをドライブした時に「太助の郷」なる「道の駅」に寄ったからである。ここでは「太助まんじゅう」を売っていた。資料館もあったけど入らず、今ホームページを見ると実在人物の由来が判った。「塩原多助」の方になると、もっとおどろおどろしい人間の欲が絡まりあった話になっていて、塩原多助は塩原温泉の出だという話になっている。故郷にいては殺されかねない(友人が代わって殺される)ほどの事態となり、そこで江戸へ出奔する。名前だけ僕もよく聞いたことがある「名馬 青」は、多助が殺されることを予知(?)してか、いつもは従順な多助に従わずに一歩も動かず、結果的に多助の命を救うという、まさに名馬の働き。それはフィクションとして、先のホームページを見ると、太助と青の銅像が作られている。

 最初に人間関係が入り組んでいると警告(?)している通り、途中で誰が誰だかと思うような展開はまさに圓朝。青との別れは前段で、後半部分はまた次の機会に。それは来年4月だというから、今にも危ういかのように「笑点」を見てると思いかねないが、まだまだ元気なようである。テレビでやってた笑点メンバーの健康診断でも、特に大きな問題もなかったようだし。うまいんだか何だかよく判らないところもあるんだけど、当代で圓朝をかける噺家は珍しいので気にかかる。最近、新作映画や演劇よりも、昔の映画と落語に気が向くことが多く、しばらく演劇より落語の記事が多いかも。映画は何となく東映時代劇をフィルムセンターで見たりしているのは、またそのうちまとめて書きたい。落語は来週の鈴本、紙切りの正楽三代展の記念公演を見たいなあと思ってる。紙切りの芸に特化した寄席公演なんて二度とないかも。
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