ここ数日、ひたすら西村健「地の底のヤマ」(講談社)を読みふけっていた。いやあ、こんなすごい本、面白い本も久しぶりだなあ。2011年12月に出た本だけど、僕の持ってるのは2012年8月に出た第7刷である。2年以上読まずに積んどいたのだが、何しろ「2段組み863頁」という超巨編なのである。頑張って4日半で読み切ったけど、持ち歩くには難儀した。今は講談社文庫に入ってるけど、それでもこれほど長い本は手に取りにくいだろう。でも、これは読むべきだ。普段、ミステリー系に縁遠い人も、日本という国の仕組みをこれほどスリリングに描いている本も少ないから、読んだ方がいい。
この大河小説は、体裁としては「警察小説」である。だけど、ある警官の半生を追いながら、三池炭鉱を抱えた福岡県大牟田市(おおむた)という町が実は主人公になっていると言ってもいい。主人公の猿渡鉄男(さわたり・てつお)は父に続く2代目の警官として、福岡県警に勤務している。高卒だから警察で出世するとしてもタカがしれているが、様々な事件に関与して行きながら、どういう人生を送っていくのか、読者は最初は判らない。最初に「序」があって、結局は出世もできず地元の海で密漁取り締まりをしていて、妻子もいない人生になっていることが読者には示される。それどころか、時々は悪夢にうなされることがあり、何か幼少時に関わる「闇」を抱えているらしきことも示される。
第1章は1974年で、猿渡は警官になって間もなく交番勤務。ある「死体発見事件」に関わり、地元に詳しいということで、本部の優秀な警官の助手役に引き抜かれる。死体は、「旧労」の幹部であり、組合の激しい対立関係が絡んでいる可能性がある。ということで聞き込みに回ると、「あの猿さんの息子か」と言われて、口を開いてくれる人が多いのである。言うまでもなく、大牟田市の三井鉱山の三池炭鉱と言えば、1960年に「総資本対総労働」と言われた大争議が起こったところである。途中で第2組合が出来て分裂するわけだが、猿渡の父は、旧労、新労にこだわらず、差別なく接してくれる稀な警官として慕われていたらしい。ところで、争議後3年経った1963年11月9日に、三池三川鉱で死者458人を出す大規模な炭塵爆発事故が起きた。ちょうどその日に、猿渡の父は殺されてしまったのである。そして、この警官殺害事件は大事故の陰に隠れて迷宮入りしてしまったのである。
そういう過酷な運命を町も主人公も背負っているのだが、小説が進むにつれ、主人公はちょうど同じ日に、まだ少年時代の友だちとともに「もう一つの運命」を背負っていたことが判ってくる。このように、歴史と個人史が大牟田という町で交差していく構造が、驚くほど心に刺さるのである。第1章では、そもそも殺人か事故かも判らないまま捜査が進行し、もはや真相不明かという段階で、主人公の苦労が実るのだが、その結末は苦いものだった。第2章は1981年で、主人公は県警のエースと言われている。筑豊で殺人事件を起こしたヤクザが大牟田に潜んでいるらしいということで、一時的に大牟田に帰って捜査している。
その問題に少年時代の4人組のその後が絡んでくる。結局は法の裏を生きる友もいるが、一人は高校から鹿児島にいき、東大を経て大蔵省へ。三井の金持ちの息子だったもうひとりは、早稲田を出て検事になっている。その検事が福岡地検にいて、地元の政界につながるネタを追っている。どうもあの大争議の時から続く「政財界の裏金」の存在があるらしい。その黒い人脈は警察内部にも通じているかもしれない。しかも法の裏を生きる友を通して、地元政財界の大スキャンダルも知ってしまう。そんな主人公が果して、警察内部でどのような生き方を選択するか。そのとき、妊娠中の妻も地元の大牟田に帰っていて、どうもうまく行かなくなってきた結婚生活が再生するのかどうか。
この第2章の選択が以後の主人公を決めていくのだが、その人生がいいのかどうか。だんだん、主人公が世俗的には成功せず、私生活でもうまくいかない人生になっていくことが判ってきて、読者も自分と思い合わせて、それがいいのか悪いのか、どうしたら良かったのか、さまざまに悩むことになる。不完全な人間として、公私ともに幸福というものは難しいのか。だが、友に恵まれ、のんびり暮らす生き方ではいけないのか。第3章(1989年)は大牟田の端っこの方で駐在所勤務、第4章(現在=2011年)は密漁機動取締隊勤務だから、そういう部署も警察には必要とは言えど、出世どころか警察の端っこの方でかろうじて生き延びているという感じで、かつて県警のエースと言われた面影はない。だけど、父親以来の信用もあり、地元の人脈を生かして捜査を進展させる情報をもたらすのである。第3章では地元の殺人事件の犯人の母をめぐる事情を追う。第4章は覚せい剤を密輸する漁師を追う。そこらはまあ小説だから面白く出来ているのだが、だんだん終わりが近づくと、僕も「あれはどうなる」と思う。
つまり「父の事件の真相」が出てくるのか。実はその前から、父親が単に組合差別をしないというだけの警官ではなく、実は組合情報を会社側に流していたのではないかという問題が出ているのである。ジェームズ・エルロイの母が亡くなった事件は、事実だから解明できなかったが、マイクル・コナリーのボッシュシリーズでは、小説だからボッシュの母が若くして殺された事件の真相をボッシュが解明する。この小説ではどうなる。そうすると、第4章で定年間近の主人公が再捜査するという話になって、今までのすべてが絡んでくる。いや、驚きましたの真相ではあるが、人間には見えない部分があるということである。ここでほとんど詳述しなかった第3章が、ミステリー的には一番面白かった。
だけど、この小説の凄味は、警察小説としての面白さだけではない。事故によるCO中毒事故の悲惨、組合分裂の実情、朝鮮人強制連行の問題、少年犯罪、政界のスキャンダル、高度成長からバブルの時代相、そういったものが混然一体となった「日本という国の闇を見た」という思いである。そう、「強制連行」がどうの、「少年犯罪は厳しくせよ」などという輩は、これは小説に過ぎないなどと侮らず、じっくりと読んで欲しい。だけど、それらを超えて、人情の厚さ、さらにはいかにもうまそうな郷土の料理の描写の数々が印象的である。有明海の魚のあれこれ、ラーメンもおでんも実にうまそう。結局、ここまで人間と社会の闇を描いた小説ではあるが、ベースにあるものは人間と郷里への深い愛なのである。だから、どんな厳しい、苦しい、寂しい描写と展開が続いても、読後感は案外爽やかである。読んで、感じて、考える。小説の魅力。
こんな小説を書いた作家、西村健とはどういう人か。1965年生まれ、福岡県福岡市に生まれ、6歳から大牟田に住む。鹿児島のラ・サール高校から東大に進み、労働省に入るも、4年で退職してフリーライターに。1996年の「ビンゴ」でデビュー。日本冒険小説協会大賞を受ける。以後、「劫火」「残火」などの作品で評価され、この「地の底のヤマ」で日本冒険小説協会大賞、吉川英治文学新人賞を受けた。と言うんだけど、僕は知らなかった。初めて読んだ。登場人物に少し似ている経歴である。これだけの本は大牟田育ちでないと書けないと思ったら、やはりそうだった。長いからなかなか読めないと思うけど、ちょうどゴールデンウィークが来るではないか。是非、読んで欲しい本。
この大河小説は、体裁としては「警察小説」である。だけど、ある警官の半生を追いながら、三池炭鉱を抱えた福岡県大牟田市(おおむた)という町が実は主人公になっていると言ってもいい。主人公の猿渡鉄男(さわたり・てつお)は父に続く2代目の警官として、福岡県警に勤務している。高卒だから警察で出世するとしてもタカがしれているが、様々な事件に関与して行きながら、どういう人生を送っていくのか、読者は最初は判らない。最初に「序」があって、結局は出世もできず地元の海で密漁取り締まりをしていて、妻子もいない人生になっていることが読者には示される。それどころか、時々は悪夢にうなされることがあり、何か幼少時に関わる「闇」を抱えているらしきことも示される。
第1章は1974年で、猿渡は警官になって間もなく交番勤務。ある「死体発見事件」に関わり、地元に詳しいということで、本部の優秀な警官の助手役に引き抜かれる。死体は、「旧労」の幹部であり、組合の激しい対立関係が絡んでいる可能性がある。ということで聞き込みに回ると、「あの猿さんの息子か」と言われて、口を開いてくれる人が多いのである。言うまでもなく、大牟田市の三井鉱山の三池炭鉱と言えば、1960年に「総資本対総労働」と言われた大争議が起こったところである。途中で第2組合が出来て分裂するわけだが、猿渡の父は、旧労、新労にこだわらず、差別なく接してくれる稀な警官として慕われていたらしい。ところで、争議後3年経った1963年11月9日に、三池三川鉱で死者458人を出す大規模な炭塵爆発事故が起きた。ちょうどその日に、猿渡の父は殺されてしまったのである。そして、この警官殺害事件は大事故の陰に隠れて迷宮入りしてしまったのである。
そういう過酷な運命を町も主人公も背負っているのだが、小説が進むにつれ、主人公はちょうど同じ日に、まだ少年時代の友だちとともに「もう一つの運命」を背負っていたことが判ってくる。このように、歴史と個人史が大牟田という町で交差していく構造が、驚くほど心に刺さるのである。第1章では、そもそも殺人か事故かも判らないまま捜査が進行し、もはや真相不明かという段階で、主人公の苦労が実るのだが、その結末は苦いものだった。第2章は1981年で、主人公は県警のエースと言われている。筑豊で殺人事件を起こしたヤクザが大牟田に潜んでいるらしいということで、一時的に大牟田に帰って捜査している。
その問題に少年時代の4人組のその後が絡んでくる。結局は法の裏を生きる友もいるが、一人は高校から鹿児島にいき、東大を経て大蔵省へ。三井の金持ちの息子だったもうひとりは、早稲田を出て検事になっている。その検事が福岡地検にいて、地元の政界につながるネタを追っている。どうもあの大争議の時から続く「政財界の裏金」の存在があるらしい。その黒い人脈は警察内部にも通じているかもしれない。しかも法の裏を生きる友を通して、地元政財界の大スキャンダルも知ってしまう。そんな主人公が果して、警察内部でどのような生き方を選択するか。そのとき、妊娠中の妻も地元の大牟田に帰っていて、どうもうまく行かなくなってきた結婚生活が再生するのかどうか。
この第2章の選択が以後の主人公を決めていくのだが、その人生がいいのかどうか。だんだん、主人公が世俗的には成功せず、私生活でもうまくいかない人生になっていくことが判ってきて、読者も自分と思い合わせて、それがいいのか悪いのか、どうしたら良かったのか、さまざまに悩むことになる。不完全な人間として、公私ともに幸福というものは難しいのか。だが、友に恵まれ、のんびり暮らす生き方ではいけないのか。第3章(1989年)は大牟田の端っこの方で駐在所勤務、第4章(現在=2011年)は密漁機動取締隊勤務だから、そういう部署も警察には必要とは言えど、出世どころか警察の端っこの方でかろうじて生き延びているという感じで、かつて県警のエースと言われた面影はない。だけど、父親以来の信用もあり、地元の人脈を生かして捜査を進展させる情報をもたらすのである。第3章では地元の殺人事件の犯人の母をめぐる事情を追う。第4章は覚せい剤を密輸する漁師を追う。そこらはまあ小説だから面白く出来ているのだが、だんだん終わりが近づくと、僕も「あれはどうなる」と思う。
つまり「父の事件の真相」が出てくるのか。実はその前から、父親が単に組合差別をしないというだけの警官ではなく、実は組合情報を会社側に流していたのではないかという問題が出ているのである。ジェームズ・エルロイの母が亡くなった事件は、事実だから解明できなかったが、マイクル・コナリーのボッシュシリーズでは、小説だからボッシュの母が若くして殺された事件の真相をボッシュが解明する。この小説ではどうなる。そうすると、第4章で定年間近の主人公が再捜査するという話になって、今までのすべてが絡んでくる。いや、驚きましたの真相ではあるが、人間には見えない部分があるということである。ここでほとんど詳述しなかった第3章が、ミステリー的には一番面白かった。
だけど、この小説の凄味は、警察小説としての面白さだけではない。事故によるCO中毒事故の悲惨、組合分裂の実情、朝鮮人強制連行の問題、少年犯罪、政界のスキャンダル、高度成長からバブルの時代相、そういったものが混然一体となった「日本という国の闇を見た」という思いである。そう、「強制連行」がどうの、「少年犯罪は厳しくせよ」などという輩は、これは小説に過ぎないなどと侮らず、じっくりと読んで欲しい。だけど、それらを超えて、人情の厚さ、さらにはいかにもうまそうな郷土の料理の描写の数々が印象的である。有明海の魚のあれこれ、ラーメンもおでんも実にうまそう。結局、ここまで人間と社会の闇を描いた小説ではあるが、ベースにあるものは人間と郷里への深い愛なのである。だから、どんな厳しい、苦しい、寂しい描写と展開が続いても、読後感は案外爽やかである。読んで、感じて、考える。小説の魅力。
こんな小説を書いた作家、西村健とはどういう人か。1965年生まれ、福岡県福岡市に生まれ、6歳から大牟田に住む。鹿児島のラ・サール高校から東大に進み、労働省に入るも、4年で退職してフリーライターに。1996年の「ビンゴ」でデビュー。日本冒険小説協会大賞を受ける。以後、「劫火」「残火」などの作品で評価され、この「地の底のヤマ」で日本冒険小説協会大賞、吉川英治文学新人賞を受けた。と言うんだけど、僕は知らなかった。初めて読んだ。登場人物に少し似ている経歴である。これだけの本は大牟田育ちでないと書けないと思ったら、やはりそうだった。長いからなかなか読めないと思うけど、ちょうどゴールデンウィークが来るではないか。是非、読んで欲しい本。