天皇のパラオ訪問(2015年4月8日~9日)を各マスコミは大きく報道した。それをほとんどのマスコミは「慰霊の旅」と表現している。例えば、朝日新聞の社説(4月9日)では「天皇の慰霊 歴史見つめる機会に」と題されている。読売新聞の社説(4月10日)も「陛下パラオ訪問 戦地に立つ「慰霊」への使命感」と題している。毎日新聞、東京新聞、産経新聞などは社説の題名には「慰霊」という言葉は出てこないが、中の文章では「慰霊」と書いている。また、東京新聞9日付夕刊では、一面トップで「両陛下 平和祈り慰霊」と大きな見出しを付けている。つまり、安倍首相の靖国神社参拝や安保政策の転換に関しては評価を異にする東京のマスコミ各紙も、「天皇の慰霊」という表現を使うことに置いては、全く同じ感性を有しているということになる。
ところで、果たして「天皇は慰霊しているのだろうか」という問いを立ててみる。むろん、天皇の「内心」を垣間見ることはできない。もしかしたら「慰霊」をしているのかもしれない。だけど、公的に表明された言葉を見る限り、「慰霊」という言葉は注意深く避けられているのではないかと思う。
宮内庁のホームページにある「天皇皇后両陛下 パラオご訪問時のおことば」を見てみる。(なお、当然のことだが、外国訪問にあたっての「おことば」なるものは、天皇の個人的文章ではなく、「内閣の助言と承認」により作成され、内閣が最終的責任を有する種類の文章である。)
出発時の言葉を見ると、「私どもは,この機会に,この地域で亡くなった日米の死者を追悼するとともに,パラオ国の人々が,厳しい戦禍を体験したにもかかわらず,戦後に,慰霊碑や墓地の清掃,遺骨の収集などに尽力されてきたことに対し,大統領閣下始めパラオ国民に,心から謝意を表したいと思っております。」とある。また、晩餐会の答辞では、「ここパラオの地において,私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し,その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います。また,私どもは,この機会に,この地域の人々が,厳しい戦禍を体験したにもかかわらず,戦後に慰霊碑や墓地の管理,清掃,遺骨の収集などに尽力されたことに対して心から謝意を表します。」とある。
どちらにも、「慰霊碑」という言葉はあるが、それはいわば「固有名詞」として使われているだけである。訪問の目的は「死者を追悼する」ことと「パラオ国民に謝意を表する」という二つである。いや、「追悼」と「慰霊」は同じだろうという人もいるのかもしれない。だけど、よく考えれば、この二つは全然違う。「追悼」は一般的な言葉だけど、「慰霊」は宗教的行為を行う時の言葉である。そして、政教分離を定める日本国憲法のもとでは、天皇が宗教的行為を行うことはできない。だから、「誤解」を招かないように、「慰霊」ではなく、「追悼」という言葉で統一されているのではないかと僕は考えるのである。だが、マスコミ各紙はそこに問題意識を感じ取らないらしく、平気で「慰霊」と使っているのは何故なんだろう。
憲法問題もあるけれど、僕が問題にしたいのは、そもそも慰霊を行うためには「霊」が存在しなければならないということである。霊はあるということを当然視する人には何の問題もないだろうけど、霊の存在自体を疑問視する立場からすると、慰めたくても慰めようがないではないかということになる。これは戦死者の霊に留まる問題ではない。もっと一般的な問題である。ところが、近年の日本では戦死者のことを「英霊」などと表現することに疑問を持たないような人が増えてきたように思う。「英霊」とは「英雄の霊」ということだから、「戦死者」は「正しい戦争で死んだ英雄」という意味が入り込む。というか、そのようなイデオロギー用語として、近代になって作られた新語である。「英」も「霊」も僕には使えない言葉である。果たして、霊は存在するとあなたは思っているのか?と僕は問いたいのである。ちなみに、日本人の多くは仏教寺院で葬儀を行うと思うのだが、仏教は本来「霊は存在しない」という立場だったはずである。(日本仏教は違うのかもしれないが。)
ところで、天皇の言葉には、問題のある部分もかなりある。それが「問題」に見えないのは、その言葉に責任を有する安倍内閣の歴史認識に歪みがあるということだろう。例えば、「玉砕」(ぎょくさい)などという言葉が出てくる。これは戦時中の典型的な「インチキ言い換え語」であり、要するに「全滅」と表現するべき出来事だろう。また「祖国を守るべく戦地に赴き,帰らぬ身となった人々」とあるけど、これは当時の軍隊が「皇軍」だった事実を隠ぺいする表現である。例えば、軍人勅諭(陸海軍軍人に賜はりたる勅諭)には以下のように書かれている。
「朕は汝等軍人の大元帥なるそされは朕は汝等を股肱と頼み汝等は朕を頭首と仰きてそ其親は特に深かるへき朕か國家を保護して上天の惠に應し祖宗の恩に報いまゐらする事を得るも得さるも汝等軍人か其職を盡すと盡さゝるとに由るそかし」
なんのこっちゃという人が多いだろうから、その部分の現代語訳をあげておくと、
「朕は汝(なんじ)ら軍人の大元帥である。朕は汝らを手足と頼み、汝らは朕を頭首とも仰いで、その関係は特に深くなくてはならぬ。朕が国家を保護し、天の恵みに応じ祖先の恩に報いることができるのも、汝ら軍人が職分を尽くすか否かによる。」
つまり、朕(ちん=天皇の一人称表現)が国家」であり、軍人勅諭などには「国家」という言葉が確かによく出てきて、一般論で「軍人は国を守る」と思われているかもしれないが、その守るべき国家は「朕が国家」なのである。そして、「大元帥」である天皇の股肱(ここう=手足)として働くのが軍人ということになる。戦前の軍隊だから、当然天皇の命令で戦地に赴くとされていたわけで、そこで戦死した土地に天皇が赴き「慰霊」すると、「これで戦死した家族も報われた」と感じる。少なくともNHKニュースに出てきた何人かの生存者や遺族はそのように言っていた。非常に判りやすく、「天皇制の存在意味」が可視化された瞬間である。「御仁慈」に触れて、国家への疑問や怒りは雲散霧消するわけである。ある人などは、「草葉の陰で兄も喜んでいるでしょう」などと語っていた。そうか、戦死者の霊魂は、靖国神社にではなく「草葉の陰」にいるのかと僕は驚いてしまった。それにしても、草葉の陰にいるためには草がなくてはならないから、砂漠の宗教には出てこない感性だろうなあ。
ところで、果たして「天皇は慰霊しているのだろうか」という問いを立ててみる。むろん、天皇の「内心」を垣間見ることはできない。もしかしたら「慰霊」をしているのかもしれない。だけど、公的に表明された言葉を見る限り、「慰霊」という言葉は注意深く避けられているのではないかと思う。
宮内庁のホームページにある「天皇皇后両陛下 パラオご訪問時のおことば」を見てみる。(なお、当然のことだが、外国訪問にあたっての「おことば」なるものは、天皇の個人的文章ではなく、「内閣の助言と承認」により作成され、内閣が最終的責任を有する種類の文章である。)
出発時の言葉を見ると、「私どもは,この機会に,この地域で亡くなった日米の死者を追悼するとともに,パラオ国の人々が,厳しい戦禍を体験したにもかかわらず,戦後に,慰霊碑や墓地の清掃,遺骨の収集などに尽力されてきたことに対し,大統領閣下始めパラオ国民に,心から謝意を表したいと思っております。」とある。また、晩餐会の答辞では、「ここパラオの地において,私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し,その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います。また,私どもは,この機会に,この地域の人々が,厳しい戦禍を体験したにもかかわらず,戦後に慰霊碑や墓地の管理,清掃,遺骨の収集などに尽力されたことに対して心から謝意を表します。」とある。
どちらにも、「慰霊碑」という言葉はあるが、それはいわば「固有名詞」として使われているだけである。訪問の目的は「死者を追悼する」ことと「パラオ国民に謝意を表する」という二つである。いや、「追悼」と「慰霊」は同じだろうという人もいるのかもしれない。だけど、よく考えれば、この二つは全然違う。「追悼」は一般的な言葉だけど、「慰霊」は宗教的行為を行う時の言葉である。そして、政教分離を定める日本国憲法のもとでは、天皇が宗教的行為を行うことはできない。だから、「誤解」を招かないように、「慰霊」ではなく、「追悼」という言葉で統一されているのではないかと僕は考えるのである。だが、マスコミ各紙はそこに問題意識を感じ取らないらしく、平気で「慰霊」と使っているのは何故なんだろう。
憲法問題もあるけれど、僕が問題にしたいのは、そもそも慰霊を行うためには「霊」が存在しなければならないということである。霊はあるということを当然視する人には何の問題もないだろうけど、霊の存在自体を疑問視する立場からすると、慰めたくても慰めようがないではないかということになる。これは戦死者の霊に留まる問題ではない。もっと一般的な問題である。ところが、近年の日本では戦死者のことを「英霊」などと表現することに疑問を持たないような人が増えてきたように思う。「英霊」とは「英雄の霊」ということだから、「戦死者」は「正しい戦争で死んだ英雄」という意味が入り込む。というか、そのようなイデオロギー用語として、近代になって作られた新語である。「英」も「霊」も僕には使えない言葉である。果たして、霊は存在するとあなたは思っているのか?と僕は問いたいのである。ちなみに、日本人の多くは仏教寺院で葬儀を行うと思うのだが、仏教は本来「霊は存在しない」という立場だったはずである。(日本仏教は違うのかもしれないが。)
ところで、天皇の言葉には、問題のある部分もかなりある。それが「問題」に見えないのは、その言葉に責任を有する安倍内閣の歴史認識に歪みがあるということだろう。例えば、「玉砕」(ぎょくさい)などという言葉が出てくる。これは戦時中の典型的な「インチキ言い換え語」であり、要するに「全滅」と表現するべき出来事だろう。また「祖国を守るべく戦地に赴き,帰らぬ身となった人々」とあるけど、これは当時の軍隊が「皇軍」だった事実を隠ぺいする表現である。例えば、軍人勅諭(陸海軍軍人に賜はりたる勅諭)には以下のように書かれている。
「朕は汝等軍人の大元帥なるそされは朕は汝等を股肱と頼み汝等は朕を頭首と仰きてそ其親は特に深かるへき朕か國家を保護して上天の惠に應し祖宗の恩に報いまゐらする事を得るも得さるも汝等軍人か其職を盡すと盡さゝるとに由るそかし」
なんのこっちゃという人が多いだろうから、その部分の現代語訳をあげておくと、
「朕は汝(なんじ)ら軍人の大元帥である。朕は汝らを手足と頼み、汝らは朕を頭首とも仰いで、その関係は特に深くなくてはならぬ。朕が国家を保護し、天の恵みに応じ祖先の恩に報いることができるのも、汝ら軍人が職分を尽くすか否かによる。」
つまり、朕(ちん=天皇の一人称表現)が国家」であり、軍人勅諭などには「国家」という言葉が確かによく出てきて、一般論で「軍人は国を守る」と思われているかもしれないが、その守るべき国家は「朕が国家」なのである。そして、「大元帥」である天皇の股肱(ここう=手足)として働くのが軍人ということになる。戦前の軍隊だから、当然天皇の命令で戦地に赴くとされていたわけで、そこで戦死した土地に天皇が赴き「慰霊」すると、「これで戦死した家族も報われた」と感じる。少なくともNHKニュースに出てきた何人かの生存者や遺族はそのように言っていた。非常に判りやすく、「天皇制の存在意味」が可視化された瞬間である。「御仁慈」に触れて、国家への疑問や怒りは雲散霧消するわけである。ある人などは、「草葉の陰で兄も喜んでいるでしょう」などと語っていた。そうか、戦死者の霊魂は、靖国神社にではなく「草葉の陰」にいるのかと僕は驚いてしまった。それにしても、草葉の陰にいるためには草がなくてはならないから、砂漠の宗教には出てこない感性だろうなあ。